レディランサー アグライア編2

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10 ジュン

 カティさんがアレンと共に去った後で、気がついた。
 アンヌ・マリーは、心の底でわかっていたのではないだろうか。自分が今回は、姉に勝てないことが。
 もしかしたら、未来で勝てない予感があったからこそ、子供の頃から突っ張っていたのかもしれない。
 それでもアレンと共にここまで来たのは、もはや逃げられないと覚悟していたからだし、アレンを信じてもいたからだろう。
 アレンがどう判断しても、自分はそれを受け入れるしかないという覚悟。
 だとしたら、表面の言動から受ける印象よりも、はるかに女らしくて愛情深い人なのかもしれない……少なくとも、好きな男を引き留めるために手首を切るなんて、あたしには真似できない。彼を姉から引き離すために、辺境に出るなんてことも。
 恋愛が人生の中核になるなんて……そんな博打みたいなこと、あたしには考えられない。
 でも、そういうことなら、あの三人は結局のところ、うまくいくのではないだろうか。
 何年後かに妹を起こす時、カティさんはきっと、妹に負けないくらい強くなっている。新しい平衡状態を作れるくらいに。
 既にアレンの愛情でだいぶ安定しているし、必要なら、あたしにも手助けができるだろう。あたしの方が、先に失敗していなければ。

 《アグライア》では、メリッサが昇格して、名実共に首席秘書になった。
「ジュンさま、本日の予定はこれでいいか、ご確認を」
 メリッサは毎日張り切って、スタイリストのナディーンと一緒にあたしの衣装を選んだり、あたしの予定を組んだり、新人職員の研修を受け持ったり、各部署とまめに連絡を取り合ったりしている。
 メリッサにとって、あたしの秘書という業務は、やりがいのある大仕事らしいのだ。メリュジーヌの元では何人も先任者がいて、監督される立場だったので、ここに回されたことは栄転≠ニいう意味になるらしい。
 彼女が誇りを持って働いてくれるなら、あたしも嬉しい。そういう部下が増えていけば、あたしの地位も安定するだろう。
 あたしは毎日、ユージンに教えを受けながら、実地で都市経営を学んでいた。
 まず、《アグライア》に拠点を持つ、有力組織の幹部たちとの会合。メリッサのお膳立てで、派手なパーティもこなした。個別の会食もした。
 彼らはまだ、あたしとどう付き合ったらいいのかわからず、手探りしている様子――最高幹部会がどのくらい本気であたしの後ろ盾になっているのか、計りかねている。
 そんなこと、あたしにだってわからない。付き合っていくうちに、少しずつお互いが見えてくるだろう。
 それから、彼らの組織運営の調査研究。強みはどこか、弱みはどこか。独立しようとしている幹部はいないか。合併や乗っ取りの動きはないか。それによって、こちらの対応も変わる。
 そして、あたしの所属する《キュクロプス》の直営事業の実態調査。
 歴史の長い大組織であるから、《キュクロプス》は各星区に幾つもの都市や研究所や工場群を置き、商業ビルやオフィスビル、大規模な輸送船団や護衛艦隊を稼働させている。
 それぞれに責任者がいるので、頼み込んでネット経由で見学させてもらったり、話を聞いたりする。近場では、実際に足を運んでみたり。うろうろしているうちに、少しは実務というものが見えてくる。
 それに加えて大事なのは、徒歩で街を歩いて人々を眺めたり、他組織の店で買い物したり、食事したり(六大組織の直営店なら、飲み食いしても危険はないとわかってきた)、そこに来ている人々と話したり、バーで噂話を拾い集めたり、という実体験だった。
 あたしにはまだ、辺境の違法都市というものが、本当にはわかっていない。幾度も驚き、立ち尽くすことがあった。
 見た目は市民社会の小惑星都市そっくりだけれど、底流にある思想が違う。
 道ですれ違うのも、車を停めるのも、レストランを利用するのも、おのずと地位が高い方が優先される。
 どちらが格上の組織に属しているか。
 また、そこでどのような地位にあるか。
 むろん、素顔や地位を宣伝して歩くわけではないが、連れの人数や護衛兵の装備などで、かなり見分けがつくものらしい。
 慣れない者が不相応な振る舞いをすれば、痛い目に遭って思い知らされる。
 何より街には、老人は一人もいなかった。護衛兵を連れて歩いているのは、壮年の男女ばかり。
 あるいは、中央から出てきたばかりで、おっかなびっくり、きょときょと、うろうろしている若者たち。
 みな整形したり、不老処置を受けたりしているから、美男美女がほとんどだ。ただ、美的感覚の違いがあるので、全員が同じタイプの顔にはなっていない。インパクトを重視しているのか、あえてファニーフェイスを選んでいる者もいる。
 たまに子供がいるのは、人間の主人に従うバイオロイドの侍女や小姓たちだ。彼らは工場で培養され、最低限の教育だけを施され、五年以内に使い捨てにされる。
 それだけは、放置しておいていいことではない。
 絶対に、何とかしてやる。
 できないはずはない、と思う。

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 アレンもユージンも、自分たちの組織では、バイオロイドを殺していないと話してくれた。長く生かして勉強を続けさせ、資質に応じて責任のある地位に就け、週に一度は休日も与えていると。
 それで何も、困っていないという。ただ、それは最高幹部会の指針に反することだから、公にはしていないというだけ。
 過去に起きた大規模なバイオロイドの反乱のおかげで、最高幹部会はすっかり用心深くなっているらしい。
 でも、それはバイオロイドの高い潜在能力を示すものだ……改変された遺伝子から注意深く培養される彼らは、本当は、元になった人間よりも優秀なのだから!!
 彼らに反乱を起こされたのは、人間たちが、あまりにも冷酷な扱いをしていたからだ。正当に扱うのなら(給与、休日、思想と行動の自由!!)、彼らが命がけの反乱を起こす必要はない。
「正当に扱うのなら、バイオロイドを使う利点はなくなるな」
 とユージンは言うけれど、そうなったら、世界からバイオロイドという商品がなくなるだけだ。新たな製造はせず、既に誕生した者は自由の身にする。それでいいではないか。
 他組織にも少しずつ、『バイオロイドの人権尊重』を広めることはできるはずだ。辺境に法はないはずなのに、『五年で処分』という不文律だけ横並びで守っているなんて、おかしい。長く生かして活躍させる方が、経済的にもよほど有益なはず。
 ただ、新しい常識を広めるには、あたし自身の足元が定まっていないといけない。
 あたしがまず、誰からも認められる(つまり、恐れられる)立派な総督になることだろう。
 それには、この《アグライア》が住みよい都市と認められ、多くの人間を吸い寄せることが絶対条件だ。
 辺境の住民だけでなく、市民社会からの観光客≠熄オきたい。彼らが違法都市を見物して回り、無事に市民社会に戻ることができれば、その話が周囲に伝わり、
(自分も行ってみようか)
 と思う、正の循環が始まるはずだ。
 とりあえず、中央の学者やジャーナリストたちには、案内状を送ることにした。違法アクセスだけれど、その手法はギデオンが教えてくれた。個人の船で、どのあたりまで来てくれれば、こちらの艦船が、軍に邪魔されず出迎えられるかも。
 もちろん、すぐに行きますという反応はなかったけれど、興味があるという応答はぽつぽつあったので、気長に待とう。
 軍も司法局も、その試みをよく思ってはいないだろうが、こちらはもう法の外≠ノ出てしまった。だから、市民社会の正論がいかに吠えようと、気にしなければそれで済む。
 まあ、連日のように、
「ジュン・ヤザキは連合≠ノ洗脳された」
「不老処置に誘惑されて、悪の世界に転落した」
「最高幹部会の操り人形になっている」
 などと報道されては、親父は胃に穴が開く思いだろうけど。
 個人的な通話はしていない。口先で何と言っても、親父を安心させることはできないだろう。ただ、あたしのやることを、遠くから見ていてくれればいい。
 一般の市民たちにも、いずれ伝わるはずだ。あたしが本気で、辺境の改革に乗り出しているのだと。

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 あたしは都市の業務を端から調べ、現場を点検して回っていた。
 物資の生産現場。流通システム。リサイクル施設。気候・植生管理。道路や公園、川や湖水の管理。
 何か不合理な点はないか。改革できる部分はないか。
 また、働く者たちには、どんな不満があるのか。問題のある職員がいて、周囲を困らせていないか。
 都市運営に関わる職員はおよそ千名いて、人間が六割、バイオロイドが四割だった。上級の管理職は人間が占め、それぞれがバイオロイドの部下を使っている。
 バイオロイドを五年で処分していないと知って、まずほっとした。ギデオンの説明では、
「事務職や警備職として使っているだけなので、心身の消耗は少ないのです。長い者では三十年以上、生きています。総督が心配なさる方面では、個人的な関係はあるかもしれませんが、組織的な強要はありません」
 ということだ。
 実際にバイオロイドの職員たちと面会して、それを確かめた。人間ほどの自由度は認められていないが(自由な外出とか、他組織への移籍とか)、ちゃんと個室や休日があり、まあまあの待遇になっている。長く働いた経験があることで、それなりの判断力もあるようだ。
 おおむね、今の境遇で満足しているらしい。もっとも、もっと出世したいとか、市民社会へ逃げたいとか、深い本音まで聞き出すことはできなかったけれど。
 下手にそんな考えを引き出したら、あたしより上からの命令で、処刑されてしまうかもしれないもの。
「五年で処分というのが、辺境の常識なのかと思っていたけど」
 とギデオンに聞いてみた。
「それは娼館などで、性的奴隷として使う場合です。中小組織では、事務職を性的に搾取したりもするので、長く生かすことは、やはりできていないようですね。うちのような大組織では、だいたい、規律を保っていますから、バイオロイドが早く損耗することは少ないのです」
 そうだったのか。
「もちろん、バイオロイドを長く使うことは、外部には宣伝などしていませんよ。冷酷なイメージが損なわれるのは、困りますから」
 冷酷なイメージだって。
「イメージ操作のために、わざと……五年で殺すって外部には思わせてるの!?」
 ギデオンは肩をすくめてみせた。
「せっかく経験を積ませたバイオロイドを、五年しか使わないのは経済的ではありません。市民社会では、辺境を混沌とした魔境として想像しているようですが。大きな組織になれば、それなりの秩序が保たれているものですよ。でなければ、たちまち崩壊して分裂するでしょう」
 混沌として、危険度が高いのは、中小組織だけなのか。
 少し、気が抜けた。
 まあ、あたしには、あたしの見える範囲のことしかわからない。いずれそのうち、全体が見えてくるかもしれない。長くこの世界で生きられれば。
 あたしはまた、新しい収益源になる事業は起こせないか、ということも考えた。
 たとえば、違法都市には遊園地がない。市民社会には、必ずあるのに。遊ぶ子供がいないから、採算がとれないのか。大人だって、遊園地は楽しめるだろうに。
 そもそも、立派な広場や公園があっても、利用者があまりいない。狙撃や誘拐、盗撮などを心配するからだという。それは、大勢が安心して過ごせる公共空間がないということだ。
 他の都市ならともかく、この《アグライア》ならば、狙撃や毒殺や誘拐や爆弾騒ぎを警戒せず、街歩きを楽しめる、という風にできないものか。
 それてもそんなことは、組織同士の抗争が当たり前の世界では、不可能なのか。
 繁華街の店も、片端から見て回った。上品な店も、いかがわしい店も。総督であると知られてはまずい場合は、変装した。時には、ユージンの侍女のふりをしたりして。
 ストリップを見せるバーも、ポルノショップも見た。驚くような商品を見て、メリッサと顔を見合わせることもあった。
「わたしもさすがに、こういう店は利用したことがありませんでした」
 とメリッサは言い、あたし以上に貪欲に、商品を調べていた。幾つか欲しそうな様子だったから、後で取り寄せたかもしれない。あたしとしては……人間の貪欲さに、いささか食傷したかも。
 しかし、生きているかのような人形群に、感嘆したのは確かだ。子供タイプから、美女タイプ、美青年、美中年まで、豊富に揃っている。
 こういう人形があるのなら、バイオロイドの代用になるではないか。生きたバイオロイドに、苦痛を強いる必要はないのだ。心のない人形なら、殴ろうが蹴ろうが首を絞めようが、好きにすればいい。
 あたしはそこで働く者たちに、あれこれ質問した。どんな客が来るのか。トラブルはないのか。どんな商品が売れているのか。
 自分の足場となるセンタービルの中も、くまなく回った。他組織のオフィスビルも、可能な限り見学させてもらった。
 もちろん、ど素人なので、とんちんかんな質問をしたり、担当者に苦笑されたり、反発されたりするけれど、しつこく勉強していけば、少しはわかるようになるはず。
 オフィスで報告書を読むだけより(そのつもりになったら、発狂しそうな情報量に埋もれることになる)、じかに現場で話を聞いた方が、理解が早い。
 その合間に、他組織の幹部たちと会って(あたしとの面会を希望する人物は、常に数百人いる。これから先、どこまで増えるかわからない)、お茶をしたり、食事をしたり。
 こちらもまた、その人物に関する調書を読むだけより、短い時間でも同席する方が、はるかに人となり≠ェわかる。
 あたしを懐柔しようとする者、頭から馬鹿にしている者、真剣な興味を持ってくれる者、さまざまだ。
 中には本気で、
「辺境が、このままでいいはずがない。改革は必要だ」
 と言ってくれる人物もいる。
 本気かどうかは、表情や態度、些細な事柄への対応でわかる。あるいは、わかると思えた。
 そこまで完璧に演技することなど、普通の人間にはとてもできない。超一流の俳優とか、超越体だったら、また別かもしれないけれど。

「ジュンさま、たまには丸一日、お休みになったら」
 とメリッサに言われても、ごろごろしているより、飛び回る方が気持ちが楽だった。
 朝、目を覚ました時から、頭の中に色々な考えが渦巻いている。あれを確認しないと。これを調べないと。
「あのな、きみが細部を全て把握する必要はないんだ。現場を把握している管理職が、各部門にいればいいんだよ。きみは、彼らとお茶でもすればいい」
 ユージンからはそう忠告されたけれど、あたしにはまだ世間智がないから、あれもこれも全部自分で確かめないと、気が済まない。
 こうやっていれば、いずれ、どこを他人に任せていいか、どこを自分で確認しなければならないか、その匙加減が体得できると思うから。
 幸い、一日も早く市民権を取るためにガリ勉した記憶と、《エオス》でしごかれた記憶が染みついているので、学ぶこと、働くことは苦にならない。
 朝早く起きて、軽い運動もしている。考えすぎて頭が疲れた時は、躰を動かすとすっきりするのだ。さすがに、本格的な空手の稽古をする余力はないけれど、いつでも自在に動く肉体を維持できていると思う。
 毎晩、ぐったり疲れてベッドに入ると、
(みんなが到着するまで、あと何日)
 と指折り数えた。
 その希望があるから、今の激務に耐えられる。
 エディが来てくれたら、メリッサと並ぶ秘書になってくれるだろう。あたしの気が回らない部分にも注意してくれ、正しい忠告をしてくれるに違いない。
 ルークは技術部門を掌握してくれるだろうし、ジェイクは情報分析や他組織との折衝を引き受けてくれるだろう。エイジは警備部門の責任者になってくれるはず。適材適所の、素晴らしい陣容だ。

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 そうしたら、あたしも少しは気を抜いて大丈夫だ。世間からは、
『忠臣に囲まれたお姫さまだな』
 と笑われるかもしれないけれど。
 何とでも言えばいい。あたしには、信頼できる側近が必要だ。ユージンはいずれ自分の組織に戻るか、他の任務でどこかへ行ってしまうかだろうし、メリッサの本当の主人はメリュジーヌだもの。
 もちろん、だからといって、いつまでもジェイクたちに甘えられない。何年かしたら、彼らは市民社会に帰らなくては。そして結婚して、子供を育てて、普通の幸せを掴んでくれなくては。
 だけど、数年でいい。あたしがもっと実力をつけるまで、側にいて支えてもらいたい。それは結局、世界全体のためなんだもの。

 ユージンとは毎日、色々なことを話した。というより、あたしが一方的に教わった。
 辺境の歴史。各組織が経験した、有名な事件や抗争。惑星連邦政府との攻防。生命科学や物理学の、最新の研究内容。どこの組織が、どんな計画で動いているか。
 あたしって、本当に何も知らない。
 これまで、自分は同い年の若者より勉強家で、知識も経験も豊富だと思っていたけれど、とんでもない自惚れだった。あたしはユージンの百分の一も、ものを知らない。
 それに、雑多な知識をどう統合して理解するか、その根幹の世界観みたいなものが、まだ出来ていない。
 だから、新しい知識を取り入れるたび、世界の見え方が揺らぎ、足場がぐらついてしまう。
「最高幹部会が中小組織を系列化して支配してきたのは、辺境の混沌を少しでも整理するためだ。好き勝手をやらかす小悪党どもを縛るには、より大きな恐怖しかない。最高幹部会に逆らえば、潰される。その恐怖を、長年かけて浸透させてきたんだ」
 夕食後、ユージンは水割りのグラスを持ち、あたしはココアのカップを持って、あたしの居間のソファで話をする。
 というか、ユージンの講義を受ける。
 メリッサは、データの整理をしながら近くで聞いていることもあるし、早く引き上げてしまって、いないこともある。彼女にも私生活の時間は必要だから、それは構わない。本人は、デートする相手などいないと言っているけれど。友達とおしゃべりするとか、映画を見るとか、好きに過ごしてくれればいい。
「秩序を作るのはつまり、自分たちの利益のためでしょ? 小悪党を手先にして、彼らを働かせるため」
 あたしは頭の中を整理しながら、言葉に出してユージンに確認を取る。
「そうだ。上納金を課すことによって、下っ端を制御できる。望ましい組織には、少ない上納金しか要求しない」
「ああ、そうなんだ。絞り取れるだけ、取ってるわけじゃないのか」
「それぞれの組織に必要な資金は、残しておかないとな」
 すると、あたしに課されている上納金――都市経営から上がる利益の一部――は少ない方?
「そもそもは何のための組織かというと、科学的な研究のためだ。不老不死。人工の超生命。より強力な武器。無敵の艦隊。バイオロイドの製造も、その一環だ。性的な奉仕をさせるのは派生的な用途で、元々の目的は、人体実験の素材にすることだった。その蓄積のおかげで、きみの母上のような実験体が生まれたわけだ」
 派生的とは、恐れ入った。
 そのおまけの用途で、辺境の各組織は途方もない利益を上げているはず。
 それに、どこの組織も、末端の労働の大半はバイオロイドがこなしている。
「あたしの母は、自由を得るために戦ったよ。辺境でも、市民社会でも」
 ここではメリュジーヌ以外、誰にも言わないけれど、母の姉妹であるアイリスは、今もどこかで戦っている。生存のための戦いを。
 いつかアイリス一族が、連合≠滅ぼす可能性だってある。それもまた、恐ろしい未来のような気がするけれど。人類は、彼らと融合することでしか、生き残れなくなるかもしれない。
「その姿を見ていたから、きみは幼い頃から戦う覚悟ができていたわけだ。おかげでこうして、最高幹部会に抜擢された。リリス≠ノ対抗する看板として」
「だから、そんなの無理だって」
 このあたしが、伝説の英雄と張り合うなんて。
 今、もしもこの場にリリス≠ェ現れたら、あたしは飛び上がって尻尾を振り、握手をねだってしまうだろう。
 それともリリス≠ヘ、あたしを退治するべき悪とみなすだろうか?
 それは困る。
 でも、必死に弁解しても、わかってもらえなかったら? その時は、リリス≠ニ戦うことになってしまうの?
 正義の味方って、そんなに偏狭だろうか? だって、自分たちだって違法°ュ化体なんでしょう?
「しかし、きみはもう歩き始めた。進むしかないだろう」
 とユージン。
 彼の話はわかりやすかった。おかげであたしも、だいぶ賢くなった……ような気がする。
「ユージン、あんたも不老不死が欲しい?」
 彼は平静なまま、薄い水割りをちびちび味わっている。
「少なくとも、任務をこなし続けるには、若さを保つ必要がある。遠い未来はわからないが、数百年は延命を続けるだろう」
 永遠に生きる。つまり、永遠に働く。途方もないことだ。
「辺境では、引退って、ないのか……」
「若い肉体で引退したら、退屈するだけだろう」
 今のあたしは、退屈な暮らしに、ちょっぴり憧れてしまうけどな。
「ずうっと若いってことは、ずうっと働くってことか。何百年でも、何千年でも……もしかしたら、何億年も」
 あたしだって長生きはしたいけど、そこまでの未来は想像がつかない。
 そんなに長く生きていたら、きっと、今の自分とはかけ離れたものになってしまうのだろうし。
 それとも、少しずつ変化していったら、何ともないのかな。あたしがいつの間にか、小さな子供ではなくなっていたように。そして、そのことを特別残念だとは感じていないように。
「少なくとも、わたしは、仕事がないと困る。芸術家なら芸術のためだけに生きられるだろうし、学者なら研究だけで満足だろうが、わたしは凡人だからね。何らかの職務がないと」
 それはそうだ。
 ただ、ユージンにしろ他の代理人にしろ、最高幹部会の飼い犬で満足なのかどうか。
 彼に接しているあたしには、わかる。ユージンはなまじの市民より、よほど真剣にものを考えている。そして、大きな責任を自覚している。
 だから類推して、最高幹部会の他の代理人たちも、人類社会の中の真のエリートなのではないかと想像している。
 戦いを他人に任せて思考停止している善良な℃s民たちより、あたしには頼もしく思えるくらいだ。
 こう感じること自体、あたしが洗脳され、邪悪に染まっていることなのかもしれないけれど。
 自分では、正常なつもりでいる。多少、知識が増えただけで、元のジュン・ヤザキと何の変わりもないと。
 いずれエディたちが来てくれたら、彼らが判定を下してくれるはずだ。あたしが、悪しき変質をしているかどうか。
「でも、もう一応の不老処置は完成しているんでしょ? まだ人体実験が必要なの?」
 ユージンは手の中でグラスを揺らし、中の液体をみつめているようだ。
「数百年の延命なら、現在の技術で確実にできる。だが、その先はまだわからない。数千年、数万年を考えるのなら、生身の肉体に依存するのは無理だろう」
「それで、超越化?」
 人間の精神を、有機的な肉体の束縛から解放すること。
 精神が機械的システムに宿ることになったら、そして無限に拡大できることになったら、どんな変化が起こるのか、まだ誰にもわからない。
 神になるのか悪魔になるのか、それとも発狂して自滅するのか。
 最高幹部会の陰には謎の超越体がいて、それ≠ェ世界を裏から支配しているという話もあるけれど、単なる与太話なのか、何かの裏付けがあるのか、それもあたしには知りえない。
 ユージンやメリュジーヌに尋ねても、わからない、出会ったことがないと言われるだけだ。あたしよりずっと、真実に近い場所にいるはずなのに。
 それでもユージンはゆったり椅子にもたれ、あたしの相手をしてくれている。彼と一緒にいて落ち着くのは、バシムやジェイクたちと同じように、あたしの教師役に徹してくれているからだろう。
 メリュジーヌには、あたしに必要なものがわかっていたのだ。彼女はもうこの都市にはいないが、通話を申し込めば、手の空いた時に相手をしてくれる。何だかすっかり、親戚の伯母さんみたいな感じだ。かなり怖い伯母さんだけど。
「他にもまだ、解答があるかもしれない。それを探るために、研究が必要だ。そもそも考えたり、研究したりすることは、人類の本能だろう」
「まあね」
 あたしはまだお酒が飲めないけれど、男の人が寛いでお酒を飲んでいる姿は好きだ。
 親父もよく、バシムやジェイクたちと飲みながら談笑していた。あたしは近くにいて、親父の気配を感じながら本を読んだり、お茶を飲んだりして、安堵していた。
 ユージンには、親父と似た部分がある。穏やかで理知的。あたしが幼稚な質問をしても、怒ったり、馬鹿にしたりはしない。精々、皮肉を言われるくらい。あたしが期待はずれの生徒だったら、いずれ見捨てられるだろうけれど。
「人間はここまで進化したんだから、このままでも、結構幸せに暮らしていけると思うけど?」
 空は飛べないけれど、地上を走れる。海でも泳げる。機械の力を借りれば、宇宙も飛べる。
「それは、きみがまだ十七歳だからだ。五十歳になったら、嫌でも考えるだろう。このまま老いていくのは惨めで困る、何か方法はないものかと」
 あたしが五十歳になるのは、まだだいぶ先のことだ。だから、その時の気持ちはわからない。
「不老を追求したら、その先はたぶん、人間であり続けるのかどうか、選択することになるだろう」
「ユージンて、五十歳過ぎてるの? それとも、二百歳くらい?」
「好きに想像してくれ」
 あっそう。
 自分の身元につながるようなヒントは、いつ尋ねても言わないな。話したくないんだろうと思って、追求はしていないけど。故郷に大事な人がいるのなら、巻き添えにしたくないのは当然だから。
「とにかく、組織は優れた人材を必要としている。まだまだ、科学技術を育てなくてはならない。そして、人集めのためには信用が必要だ」
「使い捨てられると思ったら、誰も違法組織に入らないもんね」
 自惚れの強いお馬鹿でない限り。
「そこで、きみだ。無法という大原則は譲れないが、少しくらいなら、辺境に正義の明かりを灯してもいいと、最高幹部会は考えた。きみがここにいて、この都市の信用が高まれば、誘蛾灯の働きをする」
 つい、苦笑してしまう。
「あたしはやっぱり、人寄せパンダか」
「それは、きみに華があるからだ。強気な態度もいい。やはり、スターは華麗な美女でないと」
 ひえっ。
 顔が熱くなってしまった。それは、ユージンがあたしを美女の仲間に分類しているという意味か。
 確かに最近は、メリッサとナディーンが二人がかりであたしを磨き立てているので、華麗なドレススーツやジュエリーも、段々と馴染んできた気はするけれど。
 いやいや、ユージンは一般論で言っただけかも。下手に自惚れたら、笑い者だ。
 エディはいつも、あたしを綺麗だとか可愛いとか褒めてくれるけれど、あいつの採点は大甘だから。
「あのう、念のために確認したいんだけど……」
 地雷原に踏み出す気分で、あたしは尋ねた。
「今の発言、あたしが華麗な美女……と言ったように聞こえたんだけど……?」
 ユージンは、ご機嫌取りのお世辞を言う男ではない。ただ、何か目的があれば、あえて人をおだて、木に登らせるかもしれない。やはり、平静な態度で返された。
「ファンクラブに何百万という人間を集めている者は、魅力的に決まっている。きみは元々美人顔だし、最近は美人の振る舞いも板についてきた。色気は大幅に足りないが、そこが良さでもある。少々甘めの採点だが、まあ、美女になりつつあると言ってもいいだろう」
 へええ。ううむ。
「甘めの採点、なんだ」
「厳しく採点するなら、まだ振る舞いに隙がある。人前で顔をしかめたり、大あくびをしたり、感情任せの罵り言葉を吐いたりするのは、まだ子供の部分だ。美女のイメージを傷つける。総督の威厳も傷つく」
 それには反論できない。
「わかった。気をつける」
 と約束した。
 それにしても、美人の振る舞いかあ。
 それは、メリッサやナディーンに注意されている。椅子に座ったら足を揃えて流せとか、写真撮影の時は斜めのポーズとか、人前でぼりぼり頭をかくなとか、背筋を伸ばせ、顎を引け、常に見られているものと思えとか。
 しかし、色気が足りないというのは……ううむ。そんなもの、振りまいている暇はない。
 そもそも、必死で仕事をしている女が、色っぽくしていられるものか?
 メリュジーヌは色っぽいかもしれないけど、それよりは怖さの方が強いぞ。あの人は美女というより、妖女だから。

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「その向上心が、きみの強みだ。今のきみはもちろん、大人の女性ではない。将来の完成形を目指して、階段を昇っているところだ。昇る意志を持ち続ければ、かなりの高みに到達できるだろう」
 何か、強く背中を押された気がする。霧の彼方の高みから、光が射したような気分。
「将来の完成形って、どんな?」
「それは、誰にもわからない。きみ自身が試行錯誤して、作り上げていくものだからだ」
 まあ、そうか。
「リリス≠焉A伝説のクローデル局長も、リュクスやメリュジーヌも、世界に知られた豪傑の女たちは、それぞれスタイルというものを持っているだろう」
「スタイル……」
「行動の様式と言えばいいか。その人物の生活、あるいは生涯を貫く何かだ。リリス≠ヘきみの憧れらしいが、その名を聞いた時に、何か心に浮かぶイメージがあるだろう」
「うん。強くてかっこいい。逃げない。誇り高い。弱い者に優しい」
 遠い目標ではあった。到底、そういう風にはなれないとわかっていても。
 だって、気に入った男がいたら、自分から押し倒すなんて……うわあ。できない。あたしには無理。やってみたい……かもしれないけど。
 エディだったら、どんな反応をするだろう? おたついて、でも結局、あたしに押し切られるか。ジェイクだったら? 笑われて、突き放されるな。叱られるかも。どうせ。
「きみがこのまま成長していけば、いつか人がきみの名を聞いた時、そうやって心に浮かべるイメージができる。どんな自分になりたいか、それを考えて成長していくんだな」
 でも、あたしの理想って?
 あたしは、どんなあたしになりたいか?
 よくわからない。
 エディなら、リナ・クレール艦長を理想にしているだろう。
 軍を改革しようとして、暗殺された人。あたし、殺されるくらいなら、じたばた逃げ回ると思うけどな。
 とりあえずは、美人になれるという保証がもらえて一安心、というところ。ユージンの保証には、エディの保証よりはるかに価値がある。
 自分を美人だと思えれば、美人として振る舞うことに自信が持てる。猿芝居じゃないかと自分で疑っていたら、どうしても卑屈になってしまう。
 もし、美人として振る舞っていいなら、色々なことが違ってくるだろう。
 これまでは、意識して『男の子のふり』をしてきたけれど、それは、いつまでも続けられる芝居ではない。そろそろ、次の段階に進まなくてはならないことは確かだ。
 その舞台が辺境の違法都市になるなんて、夢にも思わなかったけれど。

 ユージンが言うには、今はあたしにとって、活躍しやすい条件が整っているというのだ。
「時期もちょうどいい。リリス≠ェ半世紀かけて、地ならしをしてきた後だ」

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「地ならしって?」
「連邦市民に、違法強化体が必ずしも邪悪な存在ではないと、わからせただろう。それは、辺境への敷居を下げたということでもある。人体改造も悪くはないと、宣伝したことになるわけだ」
 辺境への脱出者の増加か。
「あたしはリリス≠ノ憧れて、軍や司法局への志願者が増えただけかと思ってた」
「これからはきみに憧れて、ここに来る若者が増えるだろう。また、そうならなければ困る」
 ひええ。
 人に憧れられると思うと、足がすくむ。あたしなんて、そんなたいしたもんじゃないのに。
 実物に接してがっかり、なんてことになられたら、辛いなあ。といって、人を落胆させないために頑張るのは、いかにも大変そう。
「あ、ちょっと待って」
 何か、もやもやが塊になりかけている。前からわだかまっていた疑問。
「そうするとリリス≠フ存在は、最高幹部会にとって、悪いことばかりじゃないのかな……?」
 これまで最高幹部会は、リリス≠最大の邪魔者としてきた……というのが、世間の共通認識だ。
 でも、賞金首にされたあたしが、こうして連合≠ノ迎えられたわけだから。できるものなら彼らは、リリス≠セって迎えたいのかも。
「もちろんだ。最高幹部会は、陰でリリス≠応援してきたともいえる」
「応援!? 何それ」
 でも、ユージンの言うことだ。きっと、核心に迫っているぞ。
「宣伝はしなかったが、正しい判断のできる者には通じていただろう。最高幹部会は、リリス≠ェ潰すと決めた組織は一切助けなかった。リリス≠ノ対する直接攻撃もしなかった」
 え、え?
 そうだっけ? そうだった?
 あたし、表面的な報道しか見ていなかったからな。
「そうしながら、リリス≠フ首にかけた賞金額を吊り上げてきた。つまりリリス≠ェ無敵の英雄であり、市民社会の守り手であることを、最高幹部会が演出してきたようなものだ」
 でも。
 それではまるで、最高幹部会がリリス≠育ててきたようなものではないか。
 いや、そうか、そうなんだ。
 やっとわかった。
 リリス≠ェどう思おうと、結果的にはその通り。彼女たちは、まんまと利用されたということだ。正義の象徴。市民たちの心の拠り所。正義は悪に勝つという希望。
 偽りの希望、なのか。
 市民たちが、明日を信じて生きていけるように。
 そして、その最高幹部会が、今度はあたしを育てようとしている?
 それはつまり、あたしのやろうとしている改革を、ある程度までは容認するということだ。それが、六大組織による支配体制を、根底から覆すものでない限り。
 では、もしかしたら、彼らを油断させているうちに、本当に体制にひびを入れられるかもしれない。あたしがもし、巧く立ち回ることができたら。リリス≠ノ共闘を呼び掛けることができたら。
 あたしの物騒な考えを、ユージンはどこまで読んでいるだろうか。
 そして、いざという時には、向こうに付くだろうか、あたしの側に来てくれるだろうか。
 とにかくそれまでは、この男から学べるだけのことを学んでおかないと。
「ごめんね、毎日、あたしに付ききりにさせて。あなたの組織の方、大丈夫なの?」
 彼が自室に引き上げるのを見送りながら、心配するふりをしたら、素っ気ない返事。
「問題ない。わたしが留守でも機能するよう、ちゃんと構築してある」
 その返答は、わかっていた。
 甘い期待かもしれないけれど、彼は本当は、照れ屋なのではないだろうか。あるいは、あたしと親しくなることを恐れているのかも。
 もしも先にいって、メリュジーヌにあたしを洗脳しろとか、殺せとか言われたら、自分が辛いから。

11 エディ

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 違法都市《アグライア》への航行中、ぼくはひたすら忙しかった。軍の好意で払下げにしてもらった小艦隊の、指揮艦の中である。
 軍や司法局からもらった資料の山、それに、ジュンから送られてきた都市経営や他組織の資料と格闘していたのだ。
 これからジュンの助けにならなくてはいけないのだから、知るべきことが山ほどある。
 先輩たちもそれぞれ資料を読み込み、疑問点を相談したり、司法局や《アグライア》に問い合わせをしたり。
 ゆっくり料理している暇もなくて、食事は大抵、専用のアンドロイド兵に任せていた。だけど、向こうに着いたら、ジュンには好きな料理を食べさせてあげよう。煮込みハンバーグやレーズン入り人参サラダ、バナナケーキにチョコレートムース。
 ジュンはきっと、ぼくの料理を恋しがっているに違いない。ぼく本人を恋しがってくれているかどうかは、疑問だが。
 ぼくら《エオス》のクルーが辺境へ行くことについては、市民社会でも賛否両論あった。ジュン共々、連合≠ノ利用されるだけだとか、不老処置が欲しくて誘惑に負けたのだとか。
 様々な取材の申し込みもあった。しかし、それについては司法局に対応を任せ、ぼくらは何も応じていない。
 何も言えないのだ。辺境へ行ってどうなるのか、誰にわかるだろう。
 ぼく自身について言えば、ジュンの元へ行くのは必然だし、既に半分、市民社会からはみ出している自覚もある。
 ぼくの体内には、アイリスの細胞が根付いているのだ。
 もし、これが暴走するようなことになったら、辺境にいた方が、まだ打つ手があるだろう。

 そのうち、ふと気がついたのは、ジェイクに元気がない、ということである。
 エイジとルークはそれぞれ、新しい冒険に夢中という様子なのだが、ジェイクはニュースを見る態勢でぼうっとしていたり、書類を見る姿勢で何か違うことを考えていたりする。
 もちろん、軍を辞めてから何年かハンターをしていた彼が、辺境には一番詳しいのだ。その分、ぼくらには見えない何かを案じているのかもしれない。
 彼はハンター時代のことをほとんど語らないので、ぼくもこれまで、自分から詮索することはしなかったけれど。
 ジュンと共にティエンの父親の元から逃げた時、初めて、ジェイクの昔の相棒だった女性と出会った。あれが、彼女の最後の親切だったらしいと、後から知ったのだ。彼女はたぶん、辺境のどこかで暮らしながらも、二度とジェイクの前には現れないだろう。
「あのう、何かあるんですか?」
 ジェイクに声をかけてみたら、こちらにぼんやりした顔を向けた。金茶色の目が、いつものような生気を浮かべていない気がする。
「何かって、何だ」
「いえ、そのう、何か沈んでいるように見えるので……特別な心配事かと」
 ジェイクはふっと笑った。
「辺境への片道航行かもしれんのに、浮かれていたらおかしいだろ」
 そうだろうか。ぼくは浮かれている。ジュンといられるなら、他のことはどうとでもなると思っているので。
 出発前に、郷里の母と姉には別れの挨拶をしたし(二人とも心配はしてくれたが、ぼくを止めようとはしなかった。ぼくの気持ちをよく知っているからだ)、艦隊勤務の父にも、手紙は送っておいた。
 父には勘当されたままだが、それはもう、何の心残りにもなっていない。ぼくは今、自分で決めた人生を歩んでいる。
 ジュンに出会えてよかった。
 先に何の保証もなくても、今の充実は幸福だ。
 だから余計、ぼくの目標だったジェイクが落ち込んでいるのが気になる。彼は本当は、辺境へなど出たくないのかも。妹同然のジュンのためだから、表面的には、何の文句も言わないけれど。
「やっぱり、未練があるんじゃないですか……たとえば、シギリヤさんとか」
 彼女は、ジェイクのガールフレンドの一人である。他にも十人かそこら、『継続している女性』はいると思うが、ぼくが直接知っているのは一部だけだ。《エオス》がどこかの港に着く度、出迎えに来る女性や、落ち合う女性がいることは、特に詮索しなくてもわかる。
「そろそろ結婚を考えていたとか、シギリヤさんが妊娠しているとか、そんなことじゃないんですか」
 ジェイクはふっと笑って否定した。
「それはない。そんな女がいたら、とうに《エオス》を降りてる」
 しかし、そこは義理堅く、親父さんとジュンへの気遣いを優先するだろうから。

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 本当に、私生活の悩みではないのだろうか。
 もしかしたら、他の女性では、誰もネピアさんの代りにはならなかったのか……
 今ではジュンこそが、ネピアさんを忘れられるくらい、大きな存在なのではないかと思っていたのだが。
「それより、おまえの方だ」
「はい?」
「ジュンと約束はできてるんだろうな」
「えっ」
 それは、将来の約束という意味か。
 ぼくの間抜け顔を見て、ジェイクは眉をしかめた。
「指をくわえていたら、ティエンに先を越されるぞ。今度からは、両方とも辺境なんだから」
 そうだ、あいつがいるんだ。違法組織のボスの息子。ニュース番組を見てジュンに惚れ込み、誘拐までやってのけた迷惑野郎である。
 おかげで、父親の組織を最高幹部会の使者に乗っ取られ、自分は外の荒海に放り出されることになった。
 しかし、ジュンが《アグライア》に落ち着くと、彼から接触があったというのだ。どうやら、荒波の中で生き延びて、まだジュンのことを思っているらしい。ううむ、今度からは、ティエンがライバルか。
「他人のことより、自分のことを心配しろ」
 とジェイクに追い払われてからは、ティエン対策に頭が向いてしまった。
 ジュンの側に張り付くのはぼくだから、あいつのアタックは徹底的に妨害してやろう。彼が贈り物を届けてきても、黙ってどこかに捨ててしまうとか。
 いや、だめだ。
 そんな真似、ジュンに知られたら、ぼくが信用を失くす。
 じゃあ、よその美女をティエンにけしかけるとか。
 いや、無駄だ。あんなにジュンに惚れ込んでいるのに、そう簡単に心変わりするものか。
 ああ、どうしよう。今はまだぼくの方が大人だと言えるが、もう数年経って彼が経験を積めば、そんな差はすぐ埋まってしまうだろうし。

 出迎えの護衛に囲まれた小艦隊は、とうとう違法都市《アグライア》に着いた。ジュンが途中まで、出迎えを寄越してくれたのだ。
 車でセンタービルに向かいながら、ぼくはそわそわして、何度も鏡を見てしまう。こんな、着古したジャケット姿でよかっただろうか。元からの職員たちの手前、ぱりっとしたスーツの方がよかっただろうか。それとも違法都市の流儀は、もっと自由なのだろうか。
 他の誰にどう思われてもいいが、ジュンには、ぼくを見て安堵してほしい。ジュンと知り合ってから、こんなに長く離れていたことはない!!
 市街のビル群は緑に囲まれて美しく、人も車も賑やかに行き交っていた。中規模都市なら、こちらも隅まで目が届きやすいかもしれない。過去に事件で違法都市に上陸したことはあるが、長期滞在のつもりで訪問するのは初めてだ。
「ようこそ、皆さん」
 センタービルでは、事務部門の代表者のギデオンという男が出迎えてくれた。感情を見せない、のっぺりしたハンサムだ。どこかハキムを連想させるものがあって、ぼくは内心、不快感を抱いてしまう。
 ぼくを餌食にした同性愛者の男は、既にこの世にはいないが……
 とにかく、先入観を持つのはやめよう。こちらが嫌悪を隠していると、それが向こうにも伝わってしまい、うまくいくものもこじれてしまう。
「総督閣下は視察に出ておいでですが、昼には戻られる予定です」
 ということで、それまでセンタービルの中を案内してもらった。
 総合司令室、総督執務室、それに付属する事務局、機械管理室、警備部隊の詰め所。ホテル区画やパーティ会場、職員用の宿泊施設などもあり、一つの町くらいの機能が詰まっている。
 ジュンはこれまで一人で、どんなに心細かったろう。ここにいて出迎えてくれなかったのは少し残念だが、前からの予定をぼくらのために変更することはできなかったのだろうから、仕方ない。
 ぼくらの部屋もジュンの私室の近くにそれぞれ用意されていたので、そこに荷物を入れたり、待機しているアンドロイド侍女や兵士に何か命令して、反応を確認したりした。
 もちろん、違法組織の警備システムを完全に信用できるとは思えないので、当面、ぼくらが連れてきた中央製のアンドロイド兵を護衛に使うつもりだ。気休めに過ぎないが、自分でも、銃やナイフ程度は身に付けておく。これを使う場面は、まずないと思うのだが。
 昼時になると、護衛車両に囲まれたジュンの車が戻ってきた。さすが、総督の身辺警護は厳重だ。ぼくたちはVIP用の駐車場で待ち構えていて、ジュンを出迎える。
「お帰り、お疲れさま。これからは、みんなできみを助けるからね」
「わあっ、エディ、みんな!!」
 甘いサーモンピンクのドレススーツを着て、耳に金のイヤリングを光らせたジュンは、見違えるほど美しくなっていた。ただでさえ、少女から大人へ変貌していく時期である。それが、プロの手で磨き上げられているのだから、なおのこと。
 それでも、元のジュンと変わらない証拠に、すぐさまぼくに飛びついてくれた。ぼくの胸に顔を埋め、すりすりしてくれる。
 ああ、このしなやかな弾力、果物のような甘い匂い。短い髪が、ぼくの顎をくすぐる感触。
 男でよかった。好きな女性を抱く側で。これがどれほどの歓喜か、きっとジュンにはわからない。
 先輩たちも交互に、ジュンの頭をぐりぐりやったり、肩を叩いたりする。
「まさか、こんなことで違法都市暮らしをするとはな」
「まあ、珍しい体験ではある。違法都市にも、美女はたくさんいるだろうし」
 ジェイクはぶすっとして、
「この、怖いもの知らずめ」
 と言ったきりだが。
 それからジュンは、ぼくの両手を握ってぐるぐる踊り回った。
「よかった。嬉しい、来てくれてありがとう!!」
 そして、喜びながらも心配する。
「ごめんね、あんたたちをこんなことに巻き込んで。エディの家族には、あたし本当に申し訳ない」
 ジュンからぼくの母や姉、父の元へ挨拶が行っていたことは、後日わかったことである。
「とんでもない。来たくて来たんだよ。何でもするから、どんどん使ってくれていいよ」
「うん、そのつもり。目一杯働いてもらうから、よろしくねっ」
 秘書のメリッサ嬢(上品だが、やや寂しげな面差しの、黒髪を結い上げた美人)と、相談役のユージン(暗色のサングラスをかけた、やや貧相な痩せ型の、褐色の髪の男)にも紹介された。

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「都市内のことは、何でもメリッサに聞けばいいよ。ユージンは、あたしの教育係としてメリュジーヌに派遣されてきたの。あたしが一人前になったら、自分の組織に帰るってさ」
「それまで、何年かかるかは知らんがな」
 愛想のない男だが、ジュンはなついているようだ。一応は、あてにしてもいいのだろうか。
 エレベーターに乗り込んだところで、メリッサ嬢の手首の端末に連絡が入った。
「ジュンさま、通話申し込みですわ。ティエンさまです」
 うわ、油断も隙もない。
「あ、それなら話すよ。上に着いてから」
 とジュンは機嫌がいい。
 既にもう、彼からは何度も通話があり、自分の組織をどのように育てつつあるか、苦労話を聞いているという。何でも、彼の侍女だったバイオロイドの女たちが、強い味方になってくれたのだとか。
 兄弟姉妹のないジュンは、元々、ティエンのことを弟のように見ている節がある。とんでもない。あいつのおかげで、ぼくがどんな目に……

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 いや、その後、ジュンに慰めてもらった≠ゥら、収支は大幅にプラスかもしれないが。
 あれから何度か、ジュンに、
『追加で記憶の上書き≠オようか』
 とにこやかに提案されたが、必死のやせ我慢で、辞退した。
 清らかな乙女に、そこまで甘えるのは浅ましい。ジュンの好意にだって、限度があるだろう。
 いや、ジュンにとっては、あくまでも生物学的実験≠ネのかもしれないが……
 これからは、ぼくも積極的に行動しないと、ティエンに先を越されてしまいかねない。幸い、彼の拠点が遠いので、面会ではなく、通話だけに留まっているのだが。
 エレベーターを降りたフロアで、ジュンは壁の通話画面に近づいた。
「ティエン。ちょうどよかった。《エオス》のみんなが着いたところなんだ」
 何が、ちょうどいいものか。
 そのタイミングを狙って、アピールしてきたんだろう。
 ぼくに釘を刺すつもりだな。
「やあ、ジュン、今日も美しいね。花を届けさせたよ」
「うん、いつもありがとう。お花は大好き」
 いつもだって、この野郎。
 画面のティエンは濃紺のスーツ姿で、だいぶ大人びて見える。カールした黒髪に緑の瞳、健康な赤銅色の肌。
 元から体格のいいハンサムだったが、父親を失った後、自力で生き延びてきた自信のせいか、かなり屈強そうな、いい男になっている。あと五年もしたら、どれほど手強い男になるか。
 ……そうか。こいつはナイジェルに似ているのだ。ぼくの少年時代のライバル。
 いや、向こうが勝手にぼくを敵視して、幾度も突っかかってきたのだ。だから余計、ぼくの神経がぴりぴりする。
 ジュンはなぜあんな奴に、チェリーの後見なんか頼んだのか。

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 まあ、ぼくらがこうして辺境に来てしまった以上、チェリーのためには、友人が多い方がいいのだが。
 チェリーが奴の毒牙にかかったら、と心配するぼくに、ジュンは笑って言ったものだ。ナイジェルは、死んだエレインに優しくできなかった分も、チェリーに優しくするから、問題ないよ、と。
「やあ、エディ」
 ジュンの後ろに立つぼくに、ティエンはわざとらしく視線を向けてくる。
「ついにきみも、辺境の住人だね」
 と、薄笑い。
「辺境では、自分の方が先輩だと言いたいわけか!?」
 ぼくの喧嘩腰に、背後で《エオス》の先輩たちが驚いた気配だが、仕方ない。こいつに対してだけは、強気に振る舞わないと。
「とんでもない。番犬としては、きみの方がはるかに先輩だよ。尊敬する」
 何年一緒にいても、まだ番犬のままだ、という厭味だ。
 言い返そうとしたら、ジュンがにっこり発言した。
「そう、エディと仲良くしてね。エディはあたしの大事な騎士だから。傍に来てもらって、本当に嬉しいの」
 ぼくははっとして、動きが止まる。
 騎士だって。
 ぼくが遠い目標にしていた地位が、他ならぬジュン自身から承認されたのか、本当に。
「ティエンも、あなたの所の女の人たちを守ってあげてね。ティエンなら、きっとそれができるはずだから」
 ティエンの顔が、何ともいえない悲しみに歪んだ。つい、気の毒になったくらいだ。
 ぼくの身内に歓喜がふくれ上がるのとは対照的に、ティエンから生気が薄れていく。
「ああ、そのつもりだ……そうしているよ」
 と答えた言葉にも、力がない。
 その後、短い会話だけで、向こうから通話を終えたのは、ジュンの態度がよほど堪えたからだろう。
 ジュンは何人もの証人の前で、ぼくを自分の騎士だと宣言してくれたのだ。
 お義理や追従ではない。ジュンは、本気でそう思っているから、そう言っただけ。
 ジュンの他に誰もいなかったら、ぼくは泣いていたかもしれない。だが、先輩たちがにやついているし、メリッサ嬢は興味ありげだし、ユージンは冷静な観察者の態度だ。ジュン本人はにこにこしている。
 もう、悠然と振る舞うしかない。
「ティエンは元気そうだね」
 と余裕ありげに言ったら、ジュンは姉のような包容力で言う。
「頑張ってるよ。頼もしくなった。先が楽しみだね」

 その晩はぼくらの歓迎会というか、側近グループの結成会というか、ユージンとメリッサも加わって賑やかな晩餐になった。
 ジュンからはアレンと双子の姉妹の物語を聞いたり、辺境の大立て者メリュジーヌの印象を聞いたり。こちらは親父さんの様子を報告したり、議会や司法局の反応を話したり。
「みんな、心配半分、期待半分で見守ってる感じかな。きみが辺境でやっていけるかどうか、賭けをしている連中もいる」
 ぼくが言うと、ジュンはにこやかに受ける。
「やるよ。それしかないもん。こうやって、みんなも来てくれたし」
 細身の伊達男のルークは、いつも通りに明るい。
「いやあ、辺境には辺境の女性がいるからなあ。今日も早速、素晴らしい美女と知り合えたし」
 と、メリッサ嬢に熱い視線を注いでいる。彼女の方は、露骨に気づかないふりをしていた。ルークは趣味ではないのか、それとも、わざと気を惹いているのかはわからない。
 ずんぐりした武道家のエイジは、いつも通りに平静だった。
「自分が辺境で暮らすとは思わなかったが、天に与えられた試練だと思って、やるだけはやってみよう」

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 無精髭を生やしたジェイクは、ジュンに皮肉を言う。
「最高幹部会も、よくこんなじゃじゃ馬をスカウトしたな。暴走して都市が潰れても、俺は知らんぞ」
 ジュンは不敵に笑っていた。
「あんたたちには、そのじゃじゃ馬の子分になってもらうよ。明日から早速、各部門の監督を頼むからね。必要な資料は、全部渡してあるでしょ?」
 これまで《エオス》では一番の下っ端だったジュンが、ぼくらのボスという形になる。最高幹部会が総督に任命したのは、ジュンだからだ。
 もちろんジュンは、先輩たちの知恵や経験を頼りにしているし、忠告も聞くだろうが、最終的な決定権はジュンにある。
 先輩たちも、そのことはわきまえていた。たぶん、ずっと前からわかっていたと思う。ジュンはいずれ、親父さん以上の大物になると。
 だからそれぞれ、自分の持っている知識や技能を、可能な限りジュンに注ぎ込んできた。
 ジュンが今日あるのは、先輩たちの薫陶のおかげだろう。
 とにかく明日からは、ぼくらのチームでジュンを支える。遠い違法都市を拠点にしたティエンなど、通話しかできないのだから。

 ぼくに割り当てられた部屋は、ジュンの私室の斜め前だった。つまり、最高の立地。
 ぼくの隣がジェイクで、同じ階にはメリッサ嬢の部屋もある。あとはエイジとルーク、それにユージンの部屋が、すぐ下の階。総督の周囲は、忠実な側近に囲まれているということだ。
 もちろんビルの管理システムは、上からの命令を受けたら、すぐさまぼくらを射殺できるが。
 嬉しかったのは、ジュンが当然のように、ぼくを私室へ招き入れてくれたことだ。他の皆は自分の部屋へ引き上げたので、ようやくジュンと二人きりになれて、ぼくは舞い上がった。ざまあみろ、ティエン。
「疲れたでしょ。でも、来てくれて本当にありがとう」
 ジュンと向い合せに座り、改めて真正面から見つめ合った。わずかな日数のうちに、ジュンはすっかりあか抜けて、まばゆいほど美しくなり、おまけに落ち着きを増している。
「親父さんとバシムから、くれぐれも無理をするなって言われてきた」
「うん、でもまあ、無理をしないと改革なんてできないからね」
 ジュンはさっぱりとして言い、いきなり核心に斬り込んだ。
「この部屋は一応、盗聴されていないと思う。されているとしても、メリュジーヌに対しては仕方ない。彼女は、あたしたちのことを調べ尽くしている。《タリス》のこともね。その上で、あたしを使えると判断しているんだ……エディのことも一緒にしてね」
 ぼくは数秒、理解に時間がかかった。《タリス》だって。
「まさか?」
 シドのこと。アイリスのこと。ぼくの心臓のこと。

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「そうなんだ。あたしも驚いた。でも大組織は、配下の系列組織の動きは、だいたい把握しているみたい。でなかったら、下剋上でひっくり返される」
 そうなのか。
 それも知った上で、最高幹部会はジュンをずっと監視していた。いずれ、大きな役目を与えるために。
 逆説的だが、むしろ安心した。そこまで知られているのなら……目先の抵抗なんか無駄だ。腹をくくって、ここに錨を下ろすしかない。もちろん、最初からそのつもりだったけれど。
「あたしが総督として広く認められるようになれば、エディの身も安全になる。あたし、本気でやるよ。あんたも、ここまで来てくれたのなら、腰を据えてかかってくれる?」
 それもあって、ジュンはぼくを騎士だと公言したのだろう。アイリスの万能細胞を植えられたぼくは、どのみち、市民社会では安心して過ごせなかったのだ。
「大丈夫、そのつもりだよ。きみがいる所が、ぼくの生きる場所だから」
 するとジュンは、嬉しいのか悲しいのかわからないような、微妙な笑顔になった。
「あたしのせいで、エディの人生を狂わせたね」
 それに関しては、ぼくは迷いなく断言できる。
「きみに会った時から、ぼくの人生の本番が始まったんだよ。ぼくは一生、きみの……騎士だからね」
 本当はこの後、感動したジュンが、ぼくの腕に飛び込んできてくれたら最高だったのだが……ジュンは苦笑して、平静なままぼくに言った。
「ありがとう。それじゃ、また明日ね。おやすみ。あたしとメリッサは七時に朝食だけど、エディは寝坊してくれて構わないから」
 誰が、寝坊などするものか。ティエンがどんなに悔しがっても届かないくらい、完璧な騎士になってみせるのだから。

 翌日から、みんなで一室に集まって朝食を摂り、その席で一日の仕事の割り振りをしたり、相談したりするようになった。
「俺がこっちの工場見てくるから、おまえはそっちな」
「護衛兵はちゃんと連れてけよ」
「この会合は、俺とジュンで行こう」
「ジュンさま、向こうとの時間調整できました」
「エディ、晩ごはんは一緒に食べようね!!」
 朝食後にはそれぞれの方角へ散り、会議に出たり、視察をしたりして、夕食時にはまた集まって、互いに報告したり相談したり。
 最初は慣れないことも多く、無駄にうろうろしたが、一週間もすると大体の様子が掴めてきた。
 身の安全に関する不安は、ほとんどないとわかった。ぼくらが最高幹部会の威光に守られている限り、辺境においては、大多数の者が道を譲るのだ。危険があるとしたら、リリス≠ェジュンを獲物と定めた時くらいだろう。そんなこと、まず有り得ない。軍も司法局も、今はジュンの改革を見守っているところなのだ。
 先輩たちもそれぞれ担当部署が決まり、現場を歩いて、元からの職員たちを掌握しようとしている。
 ぼくは大体ジュンに付いて回って、秘書兼護衛役を務めていたが、必要に応じてあちらを手伝い、こちらを手伝いしているので、広く浅く全体に目配りしている感じだ。メリッサ嬢に次ぐ、第二秘書という位置だろうか。いずれそのうち、第一秘書に昇格してやるつもりだ。
 何といっても、女王陛下の騎士≠ネのだから。
 その噂がどう都市に流れたのか知らないが、行く先々で、ぼくは総督閣下の第一の忠臣として、丁重に遇されたと思う。ジュンもまた、ぼくにぽんぽん仕事を投げてくる。
「あ、それはエディに言っておいて」
「これからは、エディが仕切るから」
「それは、エディが確認してくれればいい」
 おかげでぼくはたちまち、膨大な業務の結節点になった。大変だが、働き甲斐はある。都市の管理業務を背負うということは、大きな権力を持つことなのだ。軍の新米士官なんかとは、比較にならない地位である。千人の部下と、五十万の住民がいるのだから。
 同時に驚いたのは、ジュンが既に、総督として迷いなく振る舞っていることだった。ギデオンやメリッサに報告や説明を求め、疑問点を明確にし、決断して指示を下す。
 他組織の幹部たちとも会い、堂々と渡り合う。
 ジュンを馬鹿にする態度の者も、いないではないが、彼らも表面上は、一応の礼儀を保っている。それは、背後にいるメリュジーヌを怖れているからだ。
 大半の者は、既にジュン自身の権威を認めている。最高幹部会の後ろ盾があることは周知の事実だが、操られるだけの子供ではなく、ジュン自身に戦う意志があることが知られているのだ。
 優秀なのは知っていたが、これほど易々と、都市の最高指揮官の地位に馴染むとは。
 辺境の柔軟さや、効率の良さにも驚いた。法律の制限がないため、面倒な手続きもなく、ジュンが命じたことが即座に実現する。
「週に二回、外来者との面談の時間を確保することにした。申請者には順番に会うから、エディがメリッサと一緒に、申請者の身元調査をしておいて。どんな困りごとを抱えているのか、組織の運営状況はどうか、背景があたしにわかるようにね」
「週に一回、各部の責任者との会議を開くことにする。あたしへの業務報告とは別だ。お互いの情報共有をして、幹部同士が親しくなるのが目的だから、お茶と軽食を用意して、気軽な集まりのようにして」
「ルークとエイジで、繁華街の店を、悪質度に応じて区分けして。最悪レベルの店を淘汰したら、収入がどれだけ落ちるか試算して」
「《アグライア》の全職員との面談を開始する。人間もバイオロイドもひっくるめてね。小惑星工場の方も、艦隊の方もだ。経歴や教育レベルを一覧表にしておいて。これはジェイクとメリッサに立ち会ってもらう」
「メリッサ、今度から週末のパーティは、二十人以下の少人数にして。お披露目は大体終わったから、あとは個々の客と話せる時間がほしいんだ」
 こちらとしては、せめて週に一日は、何も予定を入れない休養日を取ってくれるよう、頼むしかない。
 都市運営そのものも、思っていたより厳正に行われていた。報告や連絡や調整は、きっちりシステム化されている。
 階級制度が明確で、軍隊に近い点、かつて技術士官だったぼくには馴染みやすかった。
 考えてみれば、当然である。客は好き放題してもいいが、ホスト側がきっちりしていなければ、都市や店は維持できない。
 公園や街路樹の手入れ、ビルや道路や水道などのメンテナンス、必要物資の流通、資源リサイクル、電力供給、警備部隊の巡回による治安維持など、必要な業務は定まった手順で遅滞なく行われている。
 最大の問題は、ジュンが前例のない大きな目標を掲げていることだった。
 総督就任時に宣言した通り、この《アグライア》から、娼館や人身売買を追放するというのだ。
 そして、都市に出入りするどの組織に対しても、そこで使われているバイオロイドの人権尊重を大原則として要求していくと。

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 ある日の夕食時、『娼館廃止』を改めてジュンの口から聞いたぼくらは、しばらく言葉を失った。
「ジュン、それは……」
 もっと時間が経って、住民たちがジュンに慣れてからでもいいだろうに。
 しかしジュンは、ぼくらが反対しても、聞く耳を持たない顔つきだ。
「娼館の売り上げそのものは、絶対値でいえば、たいしたことないとわかった。それがなくても、他にいい店があれば、都市としての集客はできる。誘拐されてきた市民を売り飛ばす公開市場についても、何らかの規制はかけたい。たとえば、十八歳以下は中央に帰すとか」
 確かに、子供が売られて人体実験の材料にされたり、違法ポルノに使われたりするのは、あまりにも惨い。
 大人ならば、たとえ違法組織に買われても、そこから自分の才覚で生き延びていくことが期待できる。あくまでも、期待だが。
「これからは評判を上げて、この都市に人間の女性を集めていきたいんだ。そうすれば、女目当ての男たちも集まってくるもの」
 ジュンはいま、勢いがあるうちに改革の端緒をつけたいらしい。
「だいたい、そんな店があるから、そんな店目当ての男がうろうろするんだよ。ガラが悪いから、まともな市民が来てくれない。あたしはね、普通の市民が遊びに来られる違法都市を目指したいの」
 それは、辺境の常識を飛び越えた発言だ。惑星連邦政府としても、市民がこれ以上、違法都市に向かうことは望まないだろう。現状は、違法都市から流れてくる違法ポルノさえ、取り締まれていないのだが。
「そんなの、違法都市と言えるか」
 ルークが虚しく文句をつけたが、ジュンは平気だ。
「これまでの常識を変えるんだよ。それが、小娘を総督に据える意味ってものでしょ。あたしにそれをさせたくなかったら、最高幹部会があたしを選ぶはずがない」
 治安の守られる違法都市。
 市民が気軽に探険に来られる魔都。
 もしも実現したら、それは、かなりの革命ではないだろうか。
 これまで辺境には、任務で短期間やってくる軍人や司法局員、勇敢な学者やジャーナリストなどを除けば、ほとんど片道の人口流入しかなかった。二度と市民社会に戻らない覚悟で、不老不死を求めてくる者ばかりだ。
 たまには、極秘の買春ツアーもあるというが、それに参加する市民はかなり限られている。発覚したら、一生が台無しになるリスクがあるからだ。それに、そういう弱みを持つと、違法組織に脅迫されやすい。
 だが、ごく普通の市民が、軽い好奇心で遊びに来られ、無事に帰れるようになったら。
 それは、劇的な変化のきっかけになりうる。最高幹部会が、そこまで望んでいるかどうかはわからないが。
「物理的には、十分可能なんだよ。専用のツアー船を仕立てて、護衛艦隊を差し向けて、往復の安全の保証をすればいいんだから」
 ジュンは既に、あれこれ検討してきたようだ。
「辺境に来ること自体は、現在の法律の範囲内でも、違法でも何でもない。連邦市民には、行動の自由があるんだから」
 異質な文明圏の存在を公式に認めていないものだから、そういう法律上の弱点が生まれるのだ。
「ツアーについてはいずれ、軍や司法局と交渉するつもり。その準備として、まず、人身売買や強制売春に関わる店は追放しておく」
 夢を語るのは簡単だ。総督命令なら、そういう店を営業停止にすることもできるだろう。
 しかし、辺境の人間人口≠フ大半は男だ。男たちが遊べる店を閉鎖してしまったら、都市の魅力がなくなり、人口が減ってしまうのではないか。
 人間の女性を集めるといっても、そもそも、辺境で暮らす本物の女性は数少ない。おまけに、それぞれの組織が貴重品としてがっちり抱えている。そこから抜け出すのは大変だろう。
 《ヴィーナス・タウン》のような女性向け娯楽施設に、短期滞在で遊びに行くことはあっても、この《アグライア》に永住となると……組織を裏切って逃亡するしかない、ということになるのでは。
 こちらでよほど受け入れ態勢を整えておかないと、いや、それにしても、あちこちの組織から恨みを買うだろう。それが、どんな風に祟ってくるかわからない。複数の組織が共謀して、ジュンを陥れる罠を張るのではないか。
「ジュン、きみの気持ちはわかるけど、違法都市というのは、そのう、そういう部分があるから人を集めているわけで……いきなり全廃というのは……」
 おずおず言いかけたら、黒い瞳に厳しく見据えられた。
「エディは反対なの?」
 ジュンにこの目を向けられたら、ぼくは勝てない。
「いや、反対はしないけど、まだ時期が早いんじゃないかと……もう少しリサーチしてから……」
「したよ。した上で、やろうと思ったの。あたしがやらなかったら、誰もしないでしょ、そういう改革は。失敗したところで、今より悪くなるわけじゃない」
 ジュンの身が危なくなる、という一点を除けば。
「いいんじゃないか」
 さらりとそう言ったのは、末席にいたユージンである。夜でもサングラスをかけたまま、目許の表情を隠している。
「やってみて駄目なら、軌道修正すればいい。試験的な実施なら、別に構わないだろう。何でもありというのが、辺境の売りなんだから」
 彼は淡々とした事務的態度を通し、ぼくらと個人的な話をすることもしないが、ジュンに対しては、いい相談役になっているらしい。ジュンが彼に接する時の態度から、それがわかる。
 ジュンは勇気百倍という感じで、にっこりした。
「よし。じゃあ明日、告示を発表するよ」
 唖然とするぼくらに向かって、人差し指を振る。
「文面はもうできてるから、訂正したい部分があったら、今夜中に言ってよ。ストリップ・バーとかポルノショップとか、そういう店は営業オーケイだから。ただ、生身の女性や子供を撮影に使った作品はいずれ、販売禁止にするつもり。それも布告に入れておくから」
 そんな、年頃の乙女が、大きな声でそんな言葉を。
 ああ、親父さんがここにいくなてよかった。
「とにかく、強制売春をなくしたいの。最終的には辺境全体でのバイオロイドの人権向上が目的だけど、それにはまだ遠いとわかってるよ。とにかく、できることから一つずつやっていくつもり」
 まあ、それでこそジュンと、誇らしい気持ちになったのは確かだ。ジュンが簡単に辺境に染まるようなら、それこそ一大事なのだから。

 夕食の後、ぼくはいつものように、ジュンの部屋で過ごした。
 仕事を終えた時間に、こうして私室に入れてもらえるのは、メリッサを除けば、ぼくくらいのものだ。
 ジュンは華麗なスーツを脱いで気楽な部屋着姿になり、素足をさらしてソファに寝そべっている。

イラスト

「そろそろ、空手の稽古も再開しなきゃ。ずっとさぼってたから、すっかり鈍ってる」
 軽い運動しかする余裕がなかった、とジュンは嘆く。
「無理しない方がいいよ。ろくに休みも取ってないんだろ。いくら若くても、休息はしないと」
「でも、エディたちが来てくれたから、大幅に気楽になった」
 エディたち。
 先輩たちとワンセットの扱いなのはいささか傷つくが、将来的には、三人は中央に帰るのだ。先輩たちがここでジュンの手助けをするのは、おそらく数年のこと。あとは結婚したり、正業に戻ったりしなければならない。
 本当はもう少し個人的な話もしたいけれど、ジュンはとにかく理想の実現に燃えている。だからぼくも、仕事の上で助けになるしかない。
「ジュン、そのう、娼館廃止の件なんだけどね」
 何度もためらった挙句、ようやく口に出せた。
「きみの理想は立派だよ。正しいことだと思う。だけど、世の中には、できることとできないことがあると思うんだ」
 ぼくの意見で、ジュンが止まるとは思わない。しかし、困難の度合いだけは理解してもらわないと。
「人類の歴史を見れば、女性の商品化は、少なく見積もっても数千年は続いてきたわけだから……それは、男の側の絶対的な需要があるからだろう?」
 ぼくも男だから、身に染みて感じることがある。おおかたの男にとって『金で買える女』というのは(ぼくはもちろん、買ったことなどないが)、とても有り難い存在だ。
 そういう立場に閉じ込められているバイオロイド女性の悲哀は……頭で考えても、自分の苦い経験から類推しても……ある程度、わかるつもりだ。それこそ、地獄の日々だろう。
 しかし、男がそういう気になった時、自由な女性を口説くところから始めるのは、本当に大変だ。
 決まった女性がいる男はいいが、そうでない男は、慢性的に飢えた状態にある。
 世界に女性はたくさんいるのに、その中の何人が、喜んでこちらと交際してくれるというのだろう。
 多くの女性の要求水準は、きわめて高い。
 ジェイクやルークたちのように、相手に困らない男なんて、そうはいない。
 中央でモテていた男だって、辺境に出てくる時は大抵、単身だ。まともな女性は、そう簡単に辺境行きを決意したりしない。
 アレン・ジェンセンのように、恋人連れで来られる男なんて(彼の場合は、アンヌ・マリーに引きずられた形だが)、例外中の例外と言っていい。
 辺境に出てくる男のほとんどが、有り難く、バイオロイド美女を利用していることだろう。
 彼女たちを五年で殺すなどという非道は、もちろん言語道断だが、しかし、長く生かしておくのが難しい事情もわかる。
 ずっと奴隷の立場では、彼女たちだって耐えきれない。自殺か発狂か、さもなければ命がけの反撃ということになる。だから、危険にならないうちに始末してしまうのだ。
 長く生かしておけば、バイオロイドにも知恵がついて、人権を要求するようになる……かつて地球本星で、二級市民として虐げられていた女性たちが、手を取り合って立ち上がり、男の身勝手を糾弾したように。
 だからこそ、それに不満がある男たちは地球を捨て、『男の天国』を作るために、辺境の宇宙を目指したのではないか……
 そういうことを、冷や汗たらたら訴えたら(むろん、ぼくの個人的事情は除外して)、ジュンは無邪気そうに言う。
「でもエディは、娼館なんかに行かないでしょ。このビルのバイオロイドたちにも、手出ししないよね。それなら、他の男にもエディを見習ってほしいな」
 信頼しきった顔でにっこりされたら、頭の中で下劣な妄想をふくらませていることなど、おくびにも出せないではないか。
「そりゃ、ぼくは行かないけど……だからといって、他の男にもそれを要求するのは、かなり無理が……」
 ぼく自身、ジュンを愛していても、他の女性に誘惑されると、ぐらりと揺れてしまう。危うく、理性が吹っ飛びそうになったこともある。
 このセンタービル内にも、女性は何百人もいるのだ。
 大多数は下級職のバイオロイド女性だが(彼女たちは事務部門にいるので、個人的に人間の男から誘われることはあっても、業務としてそれを要求されることはない。したがって、五年という命の制限はないと聞いて安堵した)、専門職の人間の女性もいる。
 都市内のライフライン担当エンジニア。造園デザイナー。医療室の医師。警備部隊の小隊長。ホテル部門の管理職。
 他には、仕事で出入りする他組織の幹部女性もいる。
 意味ありげな視線やウィンク、職務外の個人的なお誘いなどは……ぼくの勘違いでなければ、ほぼ毎日のように、ある。
 彼女たちは『まともな男性との交際』に不自由しているから、ぼくたち《エオス》の男は、絶好の誘惑対象になるらしいのだ……ぼくが受ける誘いは、先輩たちが受ける誘いの十分の一くらいだと思うが。
「エディなら、ちょっとにっこりすれば、どこのお姉さんでも喜んでデートしてくれるものね。いい相手がいたら、交際して構わないよ。対等な人間の女性なら、誰を口説いたっていいんだから」
 ジュンに寛大な微笑みで言われてしまい、内心で更に冷や汗を流した。
「いや、それは、そんな余裕はないから」
 まさか、知られていないだろうな。スタイリストのナディーンに、壁に押し付けられ、脚の間に脚を差し込まれて、思わずくらくらしたこと。もっとも彼女は、先輩たちのことも熱心に誘惑していたけれど。
「その、つまり、ぼくはきみの……」
 騎士という言葉を、自分で何度も口に出すのは面はゆい。
「きみの側近だから、身辺は清潔でなければならないと思うんだ」
 ジュンは半ば、気の毒そうな顔だった。
「まあ、エディの好きにすればいいけど」
 薄々わかってはいたが、やはり騎士というのは、恋人とイコールではないのだ。ジュンはただ、番犬では気の毒だからと、ぼくの地位を対外的に引き上げてくれただけ。自惚れ厳禁だ。
「モテない男が、易きに流れるのはわかるよ。バイオロイドは抵抗しないし、人間を恐れているからね。奉仕してもらって、偉そうなふりができて、いい気分になれるんだろうね」
 確かに。
 辺境に出てくるのはそれなりに覇気がある連中だとは思うが、奴隷状態のバイオロイドしか相手にできない、哀れな男も多くいるだろう。
 そもそも、人間の女性には相手にされない男たちが、あるいは、人間の女性には飽き足りない男たちが、バイオロイドの製造を始めたのだ。
 男たちが危険を承知で辺境に出てくる理由の半分は、『従順な美女たちのハレムに君臨したい』、それだろう。あとの半分は、不老不死だ。それも、永遠に快楽を楽しむために。
「ねえ、ジュン」
 怖々尋ねてみた。
「そういう男は、どうすればいいんだい。つまり、努力しても恋人のできない男は……」
 それこそが、人類文明の根底に横たわる大問題だと思うのだが。
 誇り高い美少女は、平然として言う。
「人形でも相手にしていれば。バイオロイドじゃなくて、本物の、命のない人形をね」
 がんと頭を殴られた気分だ。
 何という冷血。
「今は、精巧なラブドールがあるんだよ。あたし、お店で見たもん。心はないけど、命令通りに動いてくれるし、適当な受け答えもしてくれる」
 心のない人形で、満足しろというのか。
「でなかったら、二次元の美女でも相手に、脳内恋愛していればいい。仮想現実っていう手もある。現実の女性を巻き添えにしないで、一生、幻想に浸っていればいいんだよ」
 巻き添えときた。やはり、若い女の子は残酷だ。好きな女性に相手にされない男の絶望なんて、理解しようともしない。
 だが、それも当然か。ジュンには、モテすぎる悩みしかないのだから。
 シドは虜にするし、ティエンには崇拝されるし、ファンクラブはあるし。傲慢が服を着て歩いているようなナイジェルすら、ジュンには一目置いている。まったく、怖いものがない。
 いっそ狼になって、ジュンに喰いついてみたいという、破れかぶれの空想が湧いたが、現実には無理だ。嫌われてそれきりになるより、番犬で構わないから、側に置いてもらう方がいい。
 いやいや、もう騎士に昇格したんだ。自虐はやめよう。
 こうして夜間に、ジュンと二人でいられるのではないか。ファンクラブの男たちにしてみたら、悔しさでのたうち回るような状況だろう。ジュンは表向き、ぼくを交際相手≠ニいうことにしているのだから。
「ジュン、あのさ、たとえば辺境中から娼館をなくしたとして、バイオロイドも全て解放したとして、モテない男たちが、大規模な暴動でも起こしたらどうする? いや、暴動どころか、戦争状態になるかもしれない」
 女に飢えた男たちの怒りと絶望は、凄まじい脅威だと思うのだが……
 しかし黒髪の美少女は、そんな怨念など、簡単に蹴散らせると思っているらしい。
「艦隊でも何でも出して、鎮圧すればいい。モテないからって、暴れても無意味でしょ。努力して自分を磨いて、せっせと女を口説けば、一人くらいは付き合ってくれるはずだ」
「だけど、努力してもだめだったら……自分の好きな人に、どうしても振り向いてもらえなかったら?」
 それは、自分で考えまいとしている、恐怖の未来だ。たとえば、
『ティエンを恋人にするけど、あんたは変わらず、騎士のままでいてね』
 だなんて言われたら。
「その時は、悟りを開いてもらおう」
 ジュンは厳かな態度で言う。
「自分の願望が全て叶えられるなんて、期待する方が間違ってる。人生は厳しくて、不公正なものなんだから」

12 ジェイク

イラスト

 竜宮城から戻って玉手箱を開けた浦島太郎は、どんな気分だったのかと想像する。
 今の俺のように、時代に取り残されて、茫然としたのではないだろうか。
 今の主役は、ジュンやエディだ。怖いもの知らずの若者たちが、世界を改革しようと意気込んでいる。
 もっとも、年齢制限にひっかかったわけではない。俺と同年代のルークやエイジは、嬉々として働いているからだ。
 年齢ではなく、気力の差。
 俺だけが……総督の側近グループの中では、半端者だ。
 ルークは技術部門、エイジは警備部門を任されて、意気揚々と飛び回っている。実務を把握し、職員たちに指令を出し、ジュンに報告したり相談したりして。
 俺は一応、外交担当ということになっているが、外交の前面にはジュン本人が立っているから、さほどの意味はない。
 ジュンが他組織の幹部と会う時は後ろにいて、睨みを効かせている……ふりをしているだけだ。
 俺が気づいたことを、ジュンに注意することもある。あいつは嘘をついているとか、あの発言はこの情報と矛盾しているとか。しかし、それは、メリッサやユージンからも注進されることだ。エディだって気がつく。
 俺でなければ出来ない何か、なんてない。
 情報部時代やハンター時代の経験といっても、もうかなり昔のことだし、あの頃だって、ネピアの弾避けみたいなものだった。
 この違法都市で、俺には価値がないのだ。
 それでもジュンにとっては、気心の知れた仲間≠ェ周囲にいることで、かなり安心ではあるだろう。だから、自分は番犬だと思うことにした。いずれジュンが、もういいよ、中央に帰って、と言うまでは。
 その番犬から昇格したエディは、張り切っている。『総督閣下の騎士』だと公言されて、ティエンすら、負けを認めて引き下がった。
 それでいい。親父さんだって、前々から、二人が結婚することを願っているのだ。
 暮らす場所が市民社会ではないというだけで、ジュンとエディは望ましい方向に進みつつある。本当に改革が実現したら、たいしたことだ。
 俺はもう、新しい時代についていけそうにないが。

 ジュンの張り切り方は、見ているだけで疲れるくらいだ。毎日、勇んで総督稼業に飛び回っている。
 書類仕事に現場の視察、職員たちとの会議、他組織の幹部たちとの面会。そこで、娼館廃止やバイオロイドの解放について、熱く語る。
 俺たちはジュンを闘士≠セと思っていたが、実は政治家≠セったのかもしれない。市民社会で議員になることだけが、政治の道ではなかったのだろう。
「あの方は、本物ですね。最初はなぜ、こんな小娘がと思っていましたが、最高幹部会は、ちゃんと見る目を持っていたわけです」
 懐疑的だったギデオンのような幹部でさえ、心服させたくらいだ。トップが意欲に満ちていると、それが末端まで伝わっていき、日々の仕事に反映する。秘書のメリッサもまた、
「ジュンさまにお仕えできて、幸せです」
 と顔をほころばせ、毎日、いそいそ付き従っている。
 どこの違法都市だって、こんなに働く責任者はいないだろう。普通は各部署に有能な部下を据えたら、彼らに任せるのではないか。
 しかし、若いジュンには何でも新鮮らしく、センタービルで働く職員たちとの個別面談も、まめにこなしている。人間の職員ばかりでなく、下働きのバイオロイドたちにも時間を取っていた。
 何か辛いことはないか、困っていることはないか。現場から提案することはないか。
 問題があれば解決策を考え、すぐに実行する。
 優秀な娘なのは知っていたが、ここまで優秀とは思わなかった。若い頃の親父さんでも、たぶん、ここまで切れ者ではなかったはずだ。
 いや、有能さというよりは、情熱だろう。
 世界を変えようとする意欲。
 それがジュンにはあり、俺たちには……いや、俺にはない。
 ジュンはたぶん、母親の願いを背負っているのだ……違法組織で創られた戦闘兵器だった母親の。
 彼女は人間になりたいと願い、夫と子供を得た代わりに、無理な手術で命を縮めた。ジュンはその悲劇を肌で知っているから、辺境の矛盾を負わされるバイオロイドたちを見過ごせないのだ。
 おかげで側近である俺たちも、忙しく働くことになった。ジュンの要求水準が高いから、うかうかしていられない。
「エイジ、警備部隊の訓練するでしょ。あたしも参加するから、計画ができたら見せて」
「ジェイク、今後も定期的に親睦会を開きたいから、趣向を考えて。庭園で音楽会とか、湖で花火とか。その時々で、気が向いたお客が出席してくれるだけでいい。あたしの考えを、さりげなく広めておきたいの」
「ルーク、小惑星工場のバイオロイドたち、働きながら再教育できるかな? 教育プログラムを組んで欲しいんだけど」
「エディ、メリッサと一緒に、新規採用者の書類選考頼むね。面接はあたしも同席するから」
「ユージン、メリュジーヌの都合を聞いておいて。時間のある時に、あたしの考えを聞いてもらうから」
 さすがは親父さんの娘、どんな場面でも堂々と振る舞うし、何より打たれ強い。
 何かで失敗しても(他組織の幹部を怒らせるとか、困った人材を採用してしまったとか)、反省してすぐ立ち直る。
「幹部たちの序列を無視したから、まずかったんだ。次は、地位の高い順に話していこう」
「採用する時には、前の前の組織にまで、聞き合わせをした方がいいんだね」
「先週会った幹部が、今週にはもう、この世にいないなんてね。組織内の対立まで、目配りしないといけないんだね」
 最高幹部会がジュンを選んだのは正しい、としみじみ思うようになった。
 この子には、指導者になる素質があったのだ。中央にいたら、歴史に残る政治家になっていたかもしれない。
 リリス≠ノ匹敵する連合¢、の看板なんて、まさかと思っていたが、この調子なら、十年後にはそうなっているかもしれない。いや、五年後か。
「もしかしたら俺たち、ジュンの子分になるために《エオス》に集まったのかもしれないな」
 とルークがしみじみ、言うほどである。
 彼は《キュテーラ》に好きな女を残してきているから(ジュンが卒業した学校の教師らしい)、ここにいるのも精々、数年のことだろう。妹同然のジュンのためにここまで来たが、本来は市民社会で何の不満もなかったのだ。
「ま、おかげで、珍しい体験をしているよ」
 警備隊長を任されたエイジは、彼らしく、地道に部隊を強化しつつある。基礎訓練、出動訓練、戦闘訓練。また、都市の隅々まで巡回して、事件の芽や、各組織の内情を掴もうとしている。
 どこの店が流行り、どこの店が傾いているか。見所のある人物は。用心すべき人物は。
 エイジも郷里に婚約者同然の女性がいるから(自分で格闘技の道場を開き、弟子を集めているという)、やはり、数年の辺境暮らしにすぎない。その間に、最大限、ジュンの足場を固めてやろうとしている。
 エディもまた、よくジュンに付いて回っていた。まだ二十代だから、頑張りが効く。
 何よりも、愛するジュンのためだ。こいつだけは、生涯、ジュンから離れまい。
 俺がジュンの側にいる必要性は、もう薄れた。鬼軍曹は、そろそろお役御免だ。
 もちろん、まだ数年は支える方がいいだろうが、その先は新しい人材も集まってくるはずだし、エディが補佐していれば、大きな失敗はないだろう。
 親父さんも、懸賞金リストから外されたのだから、もう以前のような危険はない。これからは、ジュンの名声が父親を守るはずだ。軟禁生活から解放されたら《エオス》で仕事を続けるだろう。ドナ・カイテルと再婚するかもしれないし。
 だが、俺はどうする。
 《エオス》に戻っても、そこにジュンがいないと思うと、気が抜けた風船のような感じだ。こんなざまでは、とても副長の役目を果たせないだろう。
 いっそ、船乗りなぞ辞めた方がいいのかも。
 貯金はあるし、何年かぶらぶらしていてもいい。何か、新しい目標を見つけるまで。たとえば、田舎で小さなホテルを経営するとか。牧場で馬を育てるとか。
 そう、これまでは、ジュンを守り育てることが、俺の最重要任務だったのだ。しかし、ジュンはもう一人で飛べる。それに付き添うのはエディでいい。
 俺の居場所は、これから探すしかないのだ。

 総督の一方的な布告は、《アグライア》の住人たちに衝撃を与えていた。
『強制売春は禁止。人身売買は禁止。バイオロイドの虐待は禁止。この布告に違反した者は、都市から追放する』
 都市のあらゆる場所にその布告が掲げられ、繰り返し宣伝されたが、最初はみんな、半信半疑で模様眺めをしていた。違法都市の常識に、真っ向から逆らう内容だったからだ。
「まさか、本気じゃないだろ」
「女の子だからな。理想主義なんだよ」
「そんなこと、実際には不可能だと、すぐわかるだろ」
 それでも、威嚇的な護衛部隊を引き連れたジュンが繁華街を見て歩き、のうのうと営業していた幾つかの娼館に乗り込んで、支配人や人間職員たちを逮捕し、手錠をかけた姿で連行すると、その噂はすぐ辺境中に広まった。
「おいおい、本気かよ」
「仕方ない。しばらく謹慎するか」
「くだらない。俺はここから出ていくぞ」
「うちはとりあえず、様子見する」
 ジュンが行く先では、いかがわしい店は客を追い出し、慌てて扉を閉めた。バイオロイドの子供に性的サービスをさせていた店では、責任者が表の道路に蹴り出され、ジュン本人が銃を片手に凄んでみせた。
「布告を知らなかったのか? 知っていて無視したのか?」
 そこで平身低頭して謝ればよかったものを、二流組織の下級幹部である支配人は、ジュンが小娘だからと甘く見て、言い返した。
「あんたにそんな権限はない!! 辺境は自由な場所だ!! 他組織の商売に口を出すのはやめてもらおう!!」
 ジュンは黙って銃のトリガーを引き、その男の股間の布地をレーザーで焦がしてみせた。狙いは正確だったが、もちろん、服の下の皮膚や筋肉もただでは済まない。
 通行人が遠巻きの輪を作る中、急所に火傷した男は道路に転がって泣き叫んだが、オレンジ色のドレススーツ姿のジュンは、その頭を土足で踏みつけた。
「おまえが売り物にしていた子供たちは、もっと痛かったはずだ!!」
 人々が一斉に、シャッターチャンスと考えたのは無理もない。
「三時間以内に店を畳んで、この都市から出ていってもらう。三時間経って、まだうろついていたら、その時は、そこにぶら下がっている目障りなものを蒸発させる」
 脅しだと思いたいが、ジュンはおそらく本気で言ったのだろう。その男もそう感じたらしく、三十分後には従業員を引き連れて、街から逃げ出していた。
 俺たちもまた、その様子を一部始終撮影して、ネット上で公開した。むろん、ジュンの指示である。
 それが真実の映像であることを、ジュンの追っかけをしていた他組織の情報部門もまた、世界に広めてくれた。
 市民社会でも、大勢の市民がこの一件を報道番組で見たはずだ。安全な小島に隔離され、バカンスを楽しんでいる親父さんとバシムも。
 それ以後、繁華街からは強制売春の店がなくなった。隠れて営業している店すらなかった。路上で客引きをしていた女たちは消え、裏通りの街路は、ただ歩き過ぎるだけの場所に戻った。
 そういう点、辺境は変わり身が早い。
 残っているのは、煽情的なダンスやストリップを見せる店、女の子が隣に座ってくれるバーやクラブ、違法ポルノや小道具を売っている店くらいだ。それも経営者や支配人たちが、
「こういう業務内容ですが、構わないでしょうね」
 とセンタービルに問い合わせをしてきた上でのこと。
 もちろん、ブティックや雑貨屋、武器店やレストランのような店は、普通に営業を続けている。
 ただし、バイオロイドを売る店はなくなった。
 ジュン個人を恐れたというよりは、ジュンに好き放題やらせておく最高幹部会の意図を察したのだろう。
 これは、辺境の最高権力者たちが認めている、社会的実験なのだと。

「ようし。次は違法ポルノを規制しよう」
 ジュンは張り切って言う。
 総督就任から三か月で、《アグライア》は変わった。中央からは、軍人や司法局員、ジャーナリストたちが偵察に来るようになっている。そして、ジュンと面会し、都市内を案内されては、感銘を受けて帰っていく。
 いずれ、一般市民の辺境ツアーが細々と始まるはずだ。最初は試験的に、当局の密かな監視付きで。それがどのくらいの流れになるか、まだ楽観はできないが。
 幹部会議で、ジュンは計画を語る。
「漫画やアニメや小説はどんな内容でもいいけど、実写のポルノ映画は禁止する。生きた女性や子供を使って撮影するのは、悪質な犯罪だからね。そういう商品を見つけたら没収するって、布告を出すよ」
 まったく、このガキは。
 自分の青臭い正義が、どこまで通用すると思っているのだ。
 しかし、総督の布告の威力は絶大だった。繁華街の店から、実写のポルノ映画は姿を消した。
 街を歩いて、抜き打ちにポルノショップを検閲しても、禁制品はもはや出てこない。
 違法都市が短期間にこれほど変貌するとは、自分の目で見ても信じられないくらいだ。
 とはいえ、男たちが連れ歩くバイオロイドの侍女は、まだたくさんいる。あちこちの店の店員も、大抵はバイオロイドだ。店番や在庫品の管理など、人間には退屈すぎるが、心を持たない機械では融通が利かない、そういう業務にはバイオロイドが充てられる。
「次は、バイオロイドに週一日の休日を与えるように、布告を出そう。個室と給与は、その次の段階でね」
 とジュンは調子づいて言う。俺たちは顔を見合わせたが、止めて止められるものではない。
 ジュンがメリュジーヌと画面越しに話すのを、横から聞いていて納得したが、最高幹部会も、改革が人寄せの宣伝になるなら、やらせてみても損はないという計算だ。
 彼らにとって、辺鄙な位置にある二級都市一つなど、たいした財産ではない。辺境には他に二百以上の都市があり、必要なら、幾らでも新設できるのだから。
 しかしそれでも、ジュンに無制限の自由が与えられたわけではない。影響が他都市に及ぶことは、彼らの望みではないだろう。
 あくまでも、《アグライア》一か所の実験。
 いつか彼らが、ジュンの都市経営が失敗したと判断したら、それまでのこと。ジュンなぞ、競り市で売り飛ばして始末をつける。さぞや、高値が付くことだろう。これほど鮮烈な跳ねっ返り、手に入れて楽しみたいと考える男たちが、こぞって落札に参加するはずだ。
(その時は、ジュンを抱えて逃げるしかない)
 そうだ。ルークやエイジが中央に帰っても、俺は残るべきだ。いざという時、エディだけでジュンを守れるとは思えない。
(いや、未練かな……)
 自分がまだ、ジュンには必要だと思いたいのだ。最高幹部会が敵に回った時、俺に何ができるわけでもないのに。

 そのうち、思ってもみなかった副産物が出現した。
 いや、ジュンのファンクラブが各地に存在する以上、予期しておくべきだったのかもしれないが。
 ある日、アンドロイド部隊を連れ、エディと二人で繁華街の見回りをしていた俺は、ポルノショップの店頭で、ショッキングな宣伝映像を見たのである。
 どう見てもジュンにしか見えない、短い黒髪の美少女をヒロインにしたアニメである。しかも、相当に過激なポルノ。
 それも、一本や二本ではない。触手を持つ怪物に捕まって犯されるジュン、何人もの男に輪姦されるジュン、美女を相手に女同士の快楽に夢中のジュン。ありとあらゆる設定での痴態が描かれている。
 俺は目がくらむ思いがした。これでは、親父さんに、
『あの子をよろしく頼む』
 と頭を下げられたことに、少しも応えられていないではないか。
 おそらく、市民社会にもすぐ出回るだろうから(違法ポルノは、市民社会でこそ大量に売れるのだ)、司法局に対して、親父さんには隠してくれるよう、頼んでおくべきか。いや、まずはバシムだ。親父さんに付いている彼に、堤防役を頼もう。
 エディは店頭で一連の広告映像を見た後、真っ青になって、上着の下から銃を引き抜いた。
 俺が止めなかったら、それを店長の頭に突き付けていただろう。勢いで、射殺していたかもしれない。その後は、映像の製作現場に乗り込んで、破壊しまくったのではないか。
「落ち着け。布告では、アニメまでは規制していない。規制していないのに処罰したら、ジュンの信用問題になる」
「だからといって、こんな、こんな……外の道路から見える場所で!!」
 エディは怒りにぶるぶる震え、押さえつける俺の腕を跳ね飛ばしかねない。
「広告は、奥へ引っ込めさせよう。とりあえず、エイジたちにも対処を相談しないと」
 どうにかこうにかエディをなだめ、護衛のアンドロイド兵士にも協力させ、何とか車に連れ戻すことに成功したが、俺が後から聞いた店長の言い分はもっともだった。
「総督閣下をヒロインにしたポルノ映画は、よく売れるんですよ。実写ではなく、アニメなら構わないというお達しだったでしょう」
 この業界に詳しい優男の店長は、得々として語ったものだ。
「各組織の映像作家たちは、張り切って新作に取り組んでいますよ。これからも色々、新作が出ます。売れ行きがよければ、都市の収益にもなりますし、総督閣下の評判をますます高めることになるでしょう」
 毅然とした美少女だからこそ、それを徹底的に貶め、犯したいという願望が、多くの男にあるらしい。
 確かにこれまでも、中央の歌手や女優などを登場させた違法ポルノは多かったのだから、ジュンが素材にされたことは、不思議でも何でもない。ただ、迂闊な俺たちが予想しなかっただけだ。
 市民社会にできているファンクラブでは、きちんとした紳士協定があり、盗撮した映像などは売らない、流通させる資料や写真もきちんと吟味したものだけ、と自己規制している。
 だが、辺境の商売人たちには、そんな自制は一切ない。売れれば勝ちという世界。
 それにしても、あのジュンが。
 店頭で見た刺激的な映像の数々が脳裏にちらついて、頭が混乱する。
 俺が最初にジュンを見たのは、母親と一緒に親父さんの出迎えに来ていた、赤いリボンに白いワンピースの少女の頃だ。
 その母親が亡くなった時、ジュンは髪を短く切って、男の子のような格好に切り替えた。そして、船乗りになると宣言した。
 あいつがB級ライセンスを取り、強引に《エオス》に乗り込んできて以来、俺たちは心を鬼にして、弟同様にしごいてきたものだ。父親の盾になることに決めたジュンに、それしか、してやれることがなかったから。
 そのジュンが誘拐されて連合≠ノ取り込まれ、この《アグライア》で再会した時は、スタイリストが付いて特注のスーツやドレスを着せ、スター並みの華やかな美少女に仕立て上げていた。
 最初は、知らない女が車から降りてきた、と思ったものだ。明るいピンクの衣装で、きらきら光る宝石をつけて。その女がすぐエディに飛びついたので、やっとジュンだとわかって、たじろいだ。
 たった数か月で、これほど変わるものか。
 顔は同じだし、髪も短いままだが、雰囲気が違う。明らかに、女≠前面に出すようになっている。うっすらと化粧して、甘い香水の香りを振り撒いて。
 確かに、いつか、バシムに言われたことがある。ジュンもいずれ、別人のように花開く時が来るだろうと。
 その通り、堅い蕾だったものが、大輪の花になりかけている。よりによって、違法都市で。
 いや、だからこそ、女を出すことが武器になると、本人も覚悟したのだろう。違法組織はほとんど、男たちの天下だからだ。
 それでもまだ、俺たちに頼るところは元のままだったから、こちらも胸を撫で下ろした。ジュンの中身は、変わっていないと。
 だが、世間の男たちから見れば……魅力的な、若い女の一人だ。清純そうに、もしくは高慢そうに見えるからこそ、陵辱したい欲望をかき立てる。
 怖いのは、それが俺自身の欲望と共鳴することだ。ジュンの顔を見る時、あの映像が重ならないという自信がない。
 その晩、ルークとエイジに相談したところ、彼らは数日前に、同様の映像を目にしていたという。だが、エディをどうなだめていいか迷い、言えないままだったと。
「だいたい、本人に知れたら怖いぞ」
「今度こそ、死人が出るかもしれん」
「店ごと爆破するんじゃないか」
「広場で吊るし首かも」
 ジュンがどう反応するか、それが俺たちには最大の不安だった。激怒するのか、冷たく無視するのか。それとも、後でこっそり泣くのか。
 怒るのならなだめられるが、泣かれたらどうする。
 もしや、それで意気消沈して、市民社会に帰りたいとは言うまいな。弱気を見せたら、それこそ最後だ。最高幹部会は、そんな幕切れを望むまい。
 それで俺たちは(エディを抜きにして)、怖々、ジュンの首席秘書を務めるメリッサに尋ねてみた。女性の立場では、自分がポルノの素材にされたらどう感じるか、と。
 すると彼女は、細い目を細めて、くすくす笑いだしたのだ。
「殿方って、鈍いんですのね」
 何、何だと。
「そんなこと、ジュンさまはとっくにご存知ですわ。だって、作り手から進呈された見本を何本か、ご覧になっていますもの」
 何だって。
 あれを、本人が、見ているだと。
 それで、俺たちには何も言わずに、知らん顔していたというのか。
「映像作家たちはね、自信満々でしたよ。最高に芸術的な作品に仕上げたといって。ジュンさまは苦笑なさいましたが、実害はないから、放っておけとの仰せです。どのみち、この都市で販売禁止にしたところで、他都市では流通しますもの。ですから、気になさらなくて大丈夫ですわ」
 俺たちには、かえってショックだった。ジュンはいつの間に、そんな大人になっていたのだ。
 俺たちの動揺ぶりを見たメリッサは、涼しい顔で言う。
「ご存じありませんの? 女は男よりずっと早く、大人になるんですのよ。男性に口説かれるのも、強引に迫られるのも、少女の頃から、繰り返し経験しますからね。男性の愚かしさも、よく承知しています。こういう作品があるおかげで、バイオロイド女性の被害が減るなら、仕方ないということですわ。まさか、男性を絶滅させるわけにもいきませんしねえ」
 その、最後の恐るべき選択肢も、一応は考慮してみた、というように聞こえる。
 念のため、お目付け役のユージンの意見も聞いてみたところ、
「ポルノの素材にされるのは、女としては名誉なことなんじゃないか」
 と言う。
「人気がある証拠だから、放置して構わないだろう。いずれまた、他の誰かに人気が移る時までのことだ。有名女性はみんな、多かれ少なかれ、そういう目に遭っている」
 しかし、俺は平静にはなれない。あの映像が脳裏にちらつくと、しばらく、心臓の鼓動が平常に戻らない。
「エディが聞いたら激怒するぞ。そんなこと、奴には言わないでくれ」
 だが、ユージンは平静に言う。
「彼女に一生、付いていくつもりなら、そういうことには慣れなきゃならんだろう。もしもうまくいけば、ジュンは辺境で大きな発言権を持つ存在になるんだ。普通の女の子とは違う。マイナス面も覚悟しないと」
 有名税ならば、当然、エディも理解している。そもそも、ジュンが普通の女の子ではないから、魅かれたのだろう。
 それでも俺たちとしては、普通の女の子として幸せになってくれ、と願ってしまうのだが。
 それは、もう無理なのか。ジュンは、リュクスやメリュジーヌという魔女たちと並ぶ地位まで登るしかないと。

 ジュンの元へはほとんど毎日、面会の希望者がやってくるが、この日は特別の客だった。
 何十もの違法都市に支店を持つ、女性専用のファッションビル《ヴィーナス・タウン》の経営者が、側近を派遣してきたのだ。
「初めまして。カーラと申します。うちの代表者のハニーから、是非とも出店の話をまとめるよう、申しつかっております」

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 数名の女性部下を連れてやってきたのは、白いドレススーツを着た華麗な赤毛の美女で、この《アグライア》に《ヴィーナス・タウン》の支店を置きたいという話だった。
 ジュンにも異存はない。有名店の支店ができれば、ますます女性を集めやすくなるのだ。
「こちらこそ、お話を頂いて光栄です。お手伝いできることは何でもしますので、どうかゆっくり、この街を見ていって下さい」
 通り名でハニーと呼ばれる創業者は、メリッサの話からすると、辺境では珍しく、信念を持った高潔な女性であるらしい。自分の組織は女で固め、バイオロイドに再教育を与えて、従業員として長く使っているという。
 その話が本当なら、ジュンの改革には大きな道しるべになる。
「辺境に女の居場所が増えれば、中央から辺境へ出てくる女性も増える。女性比率が上がれば、辺境もましな場所になるだろう、ということですわ」
 俺たちを前にして、カーラはにこやかに説明した。たった一つの店から始まって、いかに支店を増やしてきたか。その中で、いかにバイオロイドの女たちを育ててきたか。
「つまりハニーは、ジュン総督と同じ考え方をしているのです。お二人が協力し合えば、変革が大きな流れになるかもしれません」
 最高幹部会も、《ヴィーナス・タウン》には特別な庇護を与えているそうだ。そこへ男が押し入ることはできないし、内部に入った女性が、意志に反して連れ出されることもない。
 いわば女の聖域≠ネのだ。
 それもまた、最高幹部会の行う社会実験の一つなのだろう。つまり、ハニーもまた、辺境の新たなスターの一人、ということだ。
「あたしの大先輩ですね。ぜひ、じかにお会いしたいです」
 とジュンも嬉しそうだ。まずは通話、それから会談という流れになるだろうが、その前交渉として側近が来たのだ。
「なんか、大きなことが始まりそうだな」
 とルークやエイジもささやき交わす。そういう有名店があることは知っていたが、俺たちの視点では、遠景にすぎなかったのだ。
「これまでよく知らなかったんですが、《ヴィーナス・タウン》というのは辺境の女性たちの憧れなんですね。そこそこの組織の女性幹部たちが、軒並み顧客になっているらしいです。ハニーさんというのは、部下たちに女神のように崇められているようですね」
 とエディも感心しきりだ。
 その輝かしいスター女性が、辺境では『商売上手』程度の評価しかされていないのは、女性向けファッション産業という、柔らかなヴェールに包まれていたからだろう。
 ハニーはジュンのように、男たちの警戒心を呼び覚ます強硬な真似はしていないのだ。それだけ老獪で、手強い女なのだろう。
 ハニーの使者たちは賓客扱いで、上層階の客室に迎えられた。ジュンは公式の夕食会で歓迎した後、彼女たちと何時間も話し込んで(その親密な話し合いから、俺たち男連中は締め出された)、すっかり意気投合した様子。
(本当に、そこまで信用していいんだろうか)
 と俺は不安だが、ジュンが熱狂しているのなら、しばらくは様子を見るしかない。
 カーラという女は、部下たちと都市内を見学して歩き、やがて出店のための土地に目星をつけた。
「他都市では繁華街に店を出していますが、ここでは趣向を変えて、小さな湖を一つ、周辺の土地も含めて借り受けたいと思います」
 そこで、保養地のような空間を作る計画だという。
「野外でキャンプをしたり、焚火の周りで食事をしたりしたい、という需要がかなりあることがわかったのです。自然の中での休養ですね。ですから、レストランやブティックなどを入れたホテルを中心に、キャンプの他、お花見や乗馬なども楽しめる庭園を整備したいと思います。施設が出来ましたら、ジュンさまにも是非、贔屓にして頂きたいですわ」
 商談はまとまり、カーラは担当する部下を何人か残して、本拠地の《アヴァロン》に引き上げていった。選ばれた湖の周囲では、じきに造園やホテル建設などの作業が始まるだろう。
「いい感じになってきた」
 ジュンは張り切って言う。
「《ヴィーナス・タウン》が保養地を作ってくれるなら、《アグライア》にとっては大きな宣伝材料になる。これで、辺境中から女性が集まるよ」
 結構なことだ。いつか、最高幹部会が掌を返さない限り。

 俺たちがこの街に来たのは、人工的に調整された季節が、冬にさしかかる時期だった。
 それが、新年の行事を経て早春になり、春の盛りを過ぎて、初夏が来た。
 もうじき総督の十八歳の誕生日なので、盛大なパーティが企画されている。メリッサとエディは、招待客のリスト作りで大変だ。おそらく、各組織からの贈り物の山が積まれるだろう。
 《ヴィーナス・タウン》の新しい保養地は、部分的ながら営業を始め、他の都市でファンになっていた女たちを集め始めていた。
 だが、辺境で自由に動ける幹部級の女は、まだ少ない。客は当分、一定の数以上に増えることはなさそうだ。
「すぐに利益を上げようとは、思っておりません。長い目で見て、少しずつ、うちの固定客が増えていけばいいと思っています」
 というのが、責任者として着任した金髪美女、アマリアの弁だ。彼女はセンタービルに出入りするようになると、さっそくエイジに目をつけ、口説き始めている。目が高い。
 ジュンは彼女を通して、違法都市《アヴァロン》にいるハニーと、密接に連絡を取り合うようになっていた。

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 ハニーはそれこそ、男の幻想に出てくるような艶麗な美女だが、大勢の部下を率いた豪傑でもある。経営の手腕を見込まれ、ジュンと同様、最高幹部会の庇護を受けているのだ。
 ハニーが本当に女たちの楽園≠築こうとしているのなら、ジュンとは共存できる。いや、しなければならない。
「女の連帯こそ、世界を変える鍵ですわ」
 とプラチナブロンドの美女は言う。ジュンの存在には、《エオス》の頃から注目していたと。
「《アグライア》から娼館を撤廃したことは、歴史的快挙です。それだけで、女たちには救いになります。悲しい女たちが近くにいると思うだけで、人間の女は辛くなりますから」
 通話画面を通したハニーの言葉を、ジュンの後ろで聞いていて、俺は内心で痛切に反省した。
 ジュンの改革が無茶だと思ったのは、こちらが辺境の常識≠ノ毒されていたからだ。
 いや、男の常識か。
 それを許せないと思う感覚こそ、必要だったのだ。
 やはり、辺境の改革は女がやるしかない。男はただ、それを支持するだけだ。
「そちらの改革の評判は、市民社会にも広まっています。わたしの所にも、市民からの問い合わせが増えていますわ。保護してもらえるなら辺境に出たいと願う女性は、潜在的に、かなりいるようです。永遠の若さは、女の夢ですものね」
 プラチナの髪を結い上げ、首に真珠を巻き、薄紫のドレスをまとった優美な姿だが、女ばかりの部隊を束ねる豪傑だ。
 辺境の改革の主役になるのは、こういう女たちなのだろう。
 だから最高幹部会も、メリュジーヌをジュンの担当に付けた。
 もう、新しい時代が来ているのかもしれない。連合≠サのものが、きしみながらも変わろうとしているのではないか。
「辺境に出たい女たちには、こっそり迎えの船を出しています。不老処置を受けられ、安全に暮らせるなら、《ヴィーナス・タウン》で働きたいという希望者が、毎月、数百人はいるのです。全員をうちの組織に受け入れられるわけではありませんが、独立を手助けすることはできます。辺境にはまだ、空間がいくらでもありますから。あなたの改革ともあいまって、先行きが明るくなってきました。あとは、市民社会が、わたしたちに対する警戒をゆるめてくれればいいのですけど」
「うちにも、市民社会からの打診が増えてきましたよ」
 とジュンはにこやかに答えている。ハニーの方がかなり年上だと思うが、気圧されてはいない。むしろ、頼もしい先輩に出会えて喜んでいる。
「とりあえず、学者やジャーナリストを優先して受け入れています。軍と司法局からも、繰り返し調査団が来ています。一般市民のお試しツアーも、軍や司法局と相談中です。実情が広く伝われば、市民たちも、あたしたちの本気を認めてくれるでしょう」
 ハニーは満足そうに頷き、話題はあれこれ広がっていく。どうやら、本格的な同盟になりそうだ。この《アグライア》だけでなく、他都市に何十とある《ヴィーナス・タウン》の施設が核になる。
 それでもまだ、辺境のごく一部での変化に過ぎない。この変化が辺境の隅々に広がるまで、まだ、五十年や百年はかかる。それも、最高幹部会が脅威を感じて、後戻りしないとしての話。
 人類の半分は男だ。
 そして、男はおおかた、幼稚で愚劣なものと決まっている。
 自分がそうだから、わかるのだ。人類がうまくやっていくには、女に権力を持たせる他ないと。

 ジュンの誕生日の大パーティが無事に終わり(ジュンと踊りたい男には、メリッサが高値で予約券を売りつけた。売れるものなら、ジュンの着た服だって売り出すだろう)、それに続いた夏の花火や、広場での仮面カーニバルも(多少の喧嘩騒ぎを除いては)無事に片付き、センタービルは日常の落ち着きを取り戻した。
 ジュン本人は、パーティで初めてシャンパンや赤ワインを飲んで、
『葡萄ジュースの方が美味しい』
 とこぼしていたが、当然だ。酒の味が、そう簡単にわかってたまるか。
 俺たちの仕事もどうやら一定量に落ち着き、交互に、休日も取れるようになっている。
 ジュンも暇ができると湖畔の《ヴィーナス・タウン》に遊びに行ったり、小惑星農場の草原でエディと乗馬を楽しんだり、センタービル内の専用プールで泳いだり(ジュンの場合、ホテル部分の共用プールで泳いだりしたら、どれだけ写真を撮られまくるかわからない)している。
 ルークとエイジもそれぞれ、遠く離れてしまった恋人と連絡を取る他に、自分なりの楽しみを見つけているようだ。女たちは、ちゃんといい男を嗅ぎ分ける。
 ところが、初秋のある晩のこと、ジュンが夕食後に俺の部屋にやってきた。いつもは自室でエディと過ごすくせに、何か言いたいことがあるらしく、昼間の赤いスーツのまま、憤然として戦闘態勢でいる。
「ジェイク、あたし、あんたに確認したいことがあるんだけど」
 怒りを押し殺そうとして、全然隠せていない声音からすると、何か厄介事らしい。
「何だ、言ってみろ」
「昨日のことだけど、朝、あんたの部屋から、バイオロイドの職員が出ていったよね」
 この早起きめ。
 あの子は人目を避けて、早朝にそっと出ていったはずなのに、なぜわざわざ、それを目撃する。
「あの時刻では、朝食の世話ってわけじゃないでしょう。あんたはいつも、あたしたちと食堂で食べるものね。いつも髪を結っている人が、あの時は解き髪のままだったし」
 それでも、俺を追求するべきか、知らん顔するべきか、少しは迷ったとみえる。確かに、彼女が髪を解いていたのは決定的だ。
「おまえの見た通りだ」
 と答えたら、ジュンは息を呑み、後ろへ下がった。何か言おうとしても、うまく呼吸できない様子。
 それでも、努力して穏健に言おうとする。
「それじゃあ、あの人と結婚して。一生、大事にしてあげて。それなら、あたしも喜んで祝福するから」
 つい、失笑してしまった。肉体関係、即結婚とは。そんなことをしていたら、世の中は多重結婚で一杯になる。それにしても、ジュンはもっと大人になったかと思っていたのだが。
「断る」
 と言ったら、ジュンは仰天したようだ。
「なんで!? 少しは好きだから、そういうことしたんでしょ!?」
 おいおい、普通の女の子みたいなことを。最近はずいぶん貫禄が出てきたと思って、内心で敬服していたのに。
「違う。あの時だけのことだ。永続的な関係じゃない」
 このビル内で事務職に使われている、バイオロイドの娘だった。たまたま中層階の通路で出会って、何か言いたげにもじもじしていたので、声をかけたのだ。
 何か、相談事でもあるのかと。
 すると、内密に話したいことがあると言い、いそいそ俺の部屋までやってきた。話というのは、自分から人間の男性に、意思表示をしてもいいのかということだった。総督閣下の方針で、人間からバイオロイドに個人的な誘いをかけることは『推奨されない』と知っているが、その逆はどうなのか、よくわからないという。
 構わない、その権利はあると俺は答えた。そうだろう。ジュンはバイオロイドの権利を、人間の水準に引き上げようとしているのだから。
 酒を飲みたいと言ったのも、向こうだ。そして、いい雰囲気になった。もちろん、だからといって、強引に押し倒したわけではない。ちゃんと、向こうの意向を確かめた上でのこと。
 嬉しい、と言われたから、久しぶりに寂しさを忘れられた。感謝して別れ、それきりだ。次の約束はしなかったし、向こうも望まなかった。彼女はあれで、自信をつけたらしい。たぶんこれからも、新しい男を開拓するだろう。
 そういう経緯を話すと、ジュンは呆れたらしい。憤激で肩を上下させ、息を乱しながら言う。
「そんなこと、していいと思ってるの!? 断れない相手に、そんな破廉恥な申し出をするなんて!!」
 ジュンは俺が、哀れなバイオロイドの娘を毒牙にかけた、と思うらしい。実際には、あの娘も俺に好意を持っていたし、肉体的にかなり楽しんでいた、と思うのだが。
「あたしたちがこれまでしてきたことは、辺境から、そういう卑劣を減らすことでしょ!? 逃げ場のないバイオロイドに手を出すなんて、子供を強姦するのと同じだよ!! せっかく改革を進めてきたのに、あたしの側近がそんなことしたら、示しがつかないじゃない!!」
 ジュンに軽蔑されたことで、逆に落ち着いた。
 薄々、自分で、これを望んでいたのかもしれない。
 いっそ、ジュンに嫌われて遠ざけられた方が、楽になる。市民社会に戻って、片田舎に引っ込めばいいのだ。
 いや、そうなったらまた、くよくよと後悔するかもしれないが。
「おまえはバイオロイドの女には、何の判断力もないと思ってるのか。彼女は自分から、俺に近づいてきたんだよ。だから俺も、感謝して付き合ったんだ。何も強制なんか、してないぞ」
 するとジュンは一歩下がり、鋭くあたりを見回した。そして、飾り棚の上の花瓶を持ち上げ、構えた。俺の部屋に花など要らないと言ったのに、文化的生活とか何とか、メリッサがアンドロイド侍女に命じて、毎日、活けさせているものだ。
 花を撒いて、大型の花瓶が飛んできた。俺が避けると、それは壁に当たって派手に転がったが、割れる素材ではなかったようだ。次は、酒のボトルとグラスが飛んできた。古典様式のボトルとグラスは壁で砕け、せっかくの酒が床に池を作る。俺は次の飛来物に備えた。クッションにデータファイルにティーセット、手あたり次第、ものが飛んでくる。
「何がしたいんだ、おまえは!!」
 殺意はないとしても、害意はある。投げるものが尽きると、ジュンは俺に殴りかかってきた。空手の突きではない。拳固をやたらに振り回して、ぼかぼか俺の肩や胸を殴ってくる。子供の八つ当たりと一緒だ。
 とうとう、ジュンの細い手首を捕まえた。体格差があるから、捕まえてしまえばそれまでだ。もっとも、センタービルの管理システムが、俺が総督に危害を加えていると判断したら、すぐさま捕獲ネットなり麻痺針なりを使うだろう。
「言いたいことがあるなら、言葉で言え。十八歳じゃなくて、八歳みたいだぞ」
 するとジュンは、怒りで染まった顔で叫ぶ。
「あんたなんか、あんたなんか、重りをつけて湖に沈めてやるんだから!!」
 俺はたじろいだ。ジュンがこれほど荒れる姿は、親父さんがドナ・カイテルに誘拐された時以来ではないか。あの時は、取り戻した親父さんが、妻と娘のことを忘れていると嘆いて、大泣きしたのだ。エディがいそいそ慰めていた姿、目に残っている。
「俺を殺したいのか。だったら、兵を呼べばいいだろう」
 するとジュンは、さっと顔を伏せた。
「出ていけと言いたいのか。だったら、船を貸してくれればいい」
 どうなっても仕方ない、と思った。ジュンが本気で怒ったら、止められる者は誰もいないのだ。まさかあんなことで、こんな騒ぎになるとは思わなかったが。
「違う……そうじゃなくて」
 ジュンは俺に両方の手首を握られたまま、俺の胸に顔をくっつけてきた。俺が力をゆるめると、更に顔をこすりつける。完全に手を離すと、俺の背中に腕を回して、しっかり抱きついてくる。
 まさか、泣いている?
 勘弁してくれ。俺が自分の理想に反したのが、それほど許せないことなのか。
「あのな、言わせてもらうが……エイジもルークも、ほとんど毎週、違う女とデートしてるぞ。まあ、人間の女がほとんどだろうが。たまには、バイオロイドとも会ってるんじゃないか……数では、バイオロイドが多数派なんだから」
 そもそも、バイオロイドの職員同士では、前から個人的交際があるではないか。警備部門の男たちと、事務部門の女たちは、そうやって息抜きしているのだ。ジュンが禁じたのは地位を利用した強制であって、自発的交際ではない。
「違う……」
 とジュンは、ぐしゅぐしゅ泣きながら言う。これが本来のジュンなら、今日まで周囲に見せていた姿は、相当に背伸びした演技ということになる。そうではなく、一時的な子供返りに過ぎないなら、疲労が溜まって、無理な緊張が破れたということだろう。子供時代から知っている俺だから、安心してヒスれるのかもしれない。
「わかった、わかった。何でも聞くから、落ち着け。警備兵が飛んでくるから、もう暴れるのはやめろ」
 ジュンの背中を撫でて、落ち着くのを待った。座らせた方がいいのか。しかし、俺にべったり張りついて、離れようとしない。エディを呼んで、引き渡すべきか。
「なんで、あたしは駄目なの……」
「何が駄目だって?」
「あたしだって、相手、できるのに……」
 数秒かかって、何の相手か理解した途端、どっと血が湧きかえって、宇宙が裏返しになったようだった。
 嘘だろう。
 俺の幻聴じゃないのか。
 それとも、何かの演技。罠。
 なぜジュンが俺にそんな罠を仕掛けるのか、意味がわからないが。
「もう、十八になったもの。準備、できてるし……」
 何の準備だ。
「誰でもいいんだったら、あたしでも構わないでしょ?」
 ちょっと待て。呼吸が止まりそうだ。鼓動が強くなりすぎて、心臓が破れるかもしれない。いや、脳の血管が破裂するのが先か。
「馬鹿を言え。俺は、親父さんに、おまえを守るって約束してるんだよ」
 まずい、声が震えた。ジュンはべそ顔で、むくれたように言い返す。
「あたしが頼んでるんだから、構わないでしょ。もう成人だし、だいたい、ここは違法都市なんだから!!」
 待て。落ち着け。ジュンは俺に、技術的な指南役≠期待しているのかもしれない。空手や射撃を教えたように。性愛の世界に踏み込むための、最初の指導をしろと。
 それだって、想像すると、爆発しそうになるが。
「そういうことなら、まずエディに言え。あいつの担当だ。まあ、熟練者でないことは確かだが」
 するとジュンは、ぱっと身を離して叫んだ。ほとんど悲鳴のように。
「それだよ!! なんでみんな、あたしとエディをくっつけようとするの!! あたしの気持ちなんか、聞きもしないでさ!!」
 今度こそ、膝が砕けそうになった。
 どういうことだ。
 出会ってからこっち、エディはひたすらジュンを愛し、尽くしてきた。ジュンもまた、それを当然のように受け入れてきたではないか。
 いや、確かに、過去幾度も、エディの心中を察してやらないジュンの冷酷さに、呆れはしたが……
「おまえ、あいつを自分の騎士だと公言しただろ?」
 それはつまり、相思相愛の状態になった、ということではないのか。だからティエンも、青ざめて引っ込んだのだろう。
 すると、ジュンはじたばた、足を踏み鳴らす。
「あれは、そう言わないと、エディとティエンの張り合いが止まらないからでしょ。あの二人、前に殴り合いの大喧嘩して、大変だったんだから!!」
 単に、喧嘩を防ぐために?
「ティエンに対しては、エディの優先権を認めさせなきゃいけないの。でないと、ティエンが何か誤解して、暴走するかもしれないから」
 誘拐された時に、色々あったというのは聞いたが。家庭内で、飼い犬の序列を決めるみたいなことなのか。
「とにかく、エディはおまえを愛してるんだから……」
「エディはね、何か罪滅ぼしをしたくてさすらってたの!! もちろん《トリスタン》の事件は、エディの責任なんかじゃないけど、本人は生き残った罪悪感で一杯だったから!! たまたまあたしと会ったから、あたしを尽くす対象にしただけ!! あたしが可哀想な女の子≠セから、自分が守ろうって決めたんだよ!! それは恋愛感情とは違うの!!」
 馬鹿か、こいつは。
 鈍いにもほどがある。
 エディが全身全霊でジュンを恋い慕っていることは、周囲の者にはすぐわかる。だからみんな、エディを応援しているのだ。
 ジュンは特殊な両親を持ったために、ひたすら強くなること、戦うことばかり考えてきて、女らしい情緒が育っていないのだろう。
 今だって、自分の身を危うくするようなことを平気で言って。そんな提案をされたら、俺だって動揺するではないか。
「わかってないのはおまえだ。エディはおまえに惚れてるんだよ。あいつを愛してやれ」
「エディのことは好きだよ、親友だもの!! でも、あたしは子供の頃から、あんたが好きだったんだから!!」
 世界が止まった。
 近年、これほどの衝撃はなかった気がする。ジュンが違法都市の総督になると知った時も、これほどではなかった。
 改めて、まじまじと見下ろしたが、ジュンは頑固な怒り顔のままだ。嘘や演技には見えない。
「子供の頃って、おまえ……」
 十歳のジュン。十二歳。十五歳。十六歳。怒った顔、泣いた顔、不貞腐れた顔。母親の葬儀では、バシムとルカイヤ夫婦が手を握ってやっていた。記憶がぐるぐる廻り、頭が爆発しそうだ。
「覚えてないだろうけど、あんた、初めて会った時、あたしに言ったんだよ。将来は、素敵な美人になるぞって。あたし、嬉しくて、ちゃんと日記につけてあるんだから」
 そんなこと、初対面で言っただろうか。いや、小さい女の子を見たら、誰だって、そのくらいのお愛想は言うだろう。
 あの時、ジュンは幾つだった? 十歳かそこらだろう? まさか、そんな時から何かを期待して育つのか? それにしては、《エオス》では、ずっと好戦的じゃなかったか?
「おまえ、まさか、そんな社交辞令を真に受けて……」
「後から、深い意味はないとわかったけど、とにかく、それが始まりだったんだから」
 ジュンは真剣そのものだ。こっちは、脚が震えだしている。震えを悟られたら、立場がない。
「あの頃のあんたは、まだ《エオス》に来たばかりで、背中がしょぼくれてた。失恋したばかりだって、親父がママに話してたのを聞いたから、可哀想だなって、ずっと思ってたんだ」
 子供に同情されていたのか、俺は。
「でも、あたしが《エオス》に乗った頃には、あんたもすっかり馴染んでいてさ。あたしに対しては、ずっと鬼軍曹だったから、近寄れなかった。それに、ガールフレンドがたくさんいたし……だけど、こうやって《アグライア》に来てくれたから。嬉しかったんだよ、ものすごく」
 俺はもしや、ジュンに告白されているのか?
「なのに、人の気も知らないで。あたしだって、そういう相手くらいできるんだから。嘘だと思ったら、試してみなさいよ」
 しかし、これまでジュンは、俺を特別に思っているなんて態度、かけらも見せたことがないぞ。
「あのな、おまえと俺は、親子くらい歳が違うんだぞ」
 こちらは受け身に回ってしまい、どうしても不利になる。だいたい、雲の上にいるようで、足元が定まらず、平常心が消え失せている。
「ふん、年上ぶっても無駄だよ。三十代なんて、辺境じゃ、ほんの小僧っ子なんだから」
 確かにユージンと比較すれば、そうだろう。
「だいたい男なんて、女よりずっと幼稚なんだから、女が年下で、ちょうどいいんだよ。あたしはこれでも、あんたよりうんと年上の男に口説かれたことだってあるんだからねっ」
 どこのどいつだ。俺が知っている奴か。
「せっかくあたしが告白してるのに、それを無駄にしたりしたら、大馬鹿なんだから……どれだけの男が、あたしとダンスするために行列したと思ってるの」
 待ってくれ。酸素が足りない。
 ジュンは、エディを伴侶にするものと思っていた。親父さんもバシムも、周囲は全員、そう認めているのだから。
「おまえ、俺がそれを本気にしたら、あざ笑うんじゃないだろうな……」
 女なら、そういう意地悪をやりかねない。自分のプライドを満足させるためだ。こいつはそんなに女っぽい女ではないと思っていたが、今では自信がない。
 するとジュンは、ぴしゃりと俺に平手打ちをくれた。
「わざわざ、あんたなんか騙して、何の得があるのさ!! どうせ騙すんなら、もっと大物を狙うよ!!」
 だとすると……
 つまり……
「あたしは自分の気持ちを言ったんだから、あんたも言ってよ。あたしには全然、興味はないの? 女に見えない? 試してみる気もない?」
 待て。そう畳みかけるな。頭が真っ白になる。
「俺はてっきり、おまえはエディと結婚すると……」
 だから、力が抜けていた。ずっと。
「だから、あんたの本音を聞きたいんだってば。あんたが冷たいと、あたし、他の男にさらわれちゃうよ? それで平気なの?」
 くそ。
「平気なはず、あるか」
 気がついた時は、ジュンの細い躰が腕の中にある。ずっと、小さな妹だと思ってきたが、いつからか、それが無理になっていた。ジュンは俺の中で、あまりにも大きな存在になっていたのだ。
 無我夢中のままキスを貪り、抱きしめ、肩や背中を撫でさすった。身長差があるのでキスはやりにくいが、双方で、うまく姿勢を合わせればいい。しばらくしてから、まずいと気づいた。俺がブレーキをかけないと、取り返しのつかないことになる。
 エディはどうするんだ。俺はずっと、あいつを応援してきたではないか。
 だが、ジュンの細い指が、俺のシャツの背中をかきむしった。
「ねえ、あたしが好きか嫌いか、はっきりして。親父に対する義理だけで、ここまで来てくれたの? あたしはただ、恩人の娘というだけ?」
 違う、そうじゃない。
 俺が生きるためには、ジュンが必要だ。
 もう、どうでもいい、他のことは。ジュン本人が、エディよりも俺がいいと言うのなら。
 俺はジュンを横抱きにして、奥の寝室へ運んだ。広いベッドの上に降ろして、靴を脱がせて放り投げ、邪魔な上着も脱がせる。その下の薄いブラウスは、もどかしい思いで引き裂いた。ジュンは驚いたようだが、抵抗はせず、顔をそむけて目を閉じた。上から覆いかぶさると、ジュンは俺の首に腕を回し、全身で俺にしがみついてくる。
 あとはもう、今の時間を貪るだけだ。どうせ明日、死ぬかもしれないのだから。

 女の十八歳はもはや子供ではないと、よくわかった。
 ジュンの経験のなさを考慮して、愛撫にたっぷり時間をかけたが、その反応はきわめて敏感で芳醇だった。既に、肉体の準備はできている。心の準備も。
 しまいには、ジュンの方から俺に催促してきた。激しくあえぎながら、もう限界だから、何とかしてくれと。
 どうやら、俺たちの肉体的相性はぴったりだったらしい。貪欲なジュンも最後には満足して、ぐったりし、俺の横で深い眠りに落ちた。
 俺の方が眠れないまま、あれこれと悩んでしまっている。
 本当に、これでよかったのか。
 エディがこのことを知ったら、どうなる。
 まさか、絶望して自殺などしないだろうな。再び放浪の旅に出る、というのも困る。あいつはジュンのために、必要な人材なのだ。
 それなのに、今度は俺の代わりにあいつが落ち込んで、使えなくなってしまうかも。
 小心者の俺は、暗い中でそっと起き出して、隣の居間をある程度片付けた。朝になればアンドロイド侍女が掃除してくれるのはわかっているが、惨状を少しでもましにしておきたい。ビルの管理システムには、記録が残るのだ。エイジがそれを見て、不審に思うかもしれないだろう。
 更にそっとシャワーを浴びてから、ジュンの横に戻った。裸の上に俺のシャツを着て、安らかな寝息をたてている女は、俺の人生の支配者だ。
 そして、そのことに安堵している自分がいる。
 決局、俺は自分の寂しさに負けたのだ。本当は、鬼軍曹のままジュンを突き放すべきだったのに。
 いや、待て。
 これでジュンの心が俺のものになったと、決まったわけではない。
 女はドライなのだ。楽しむだけ楽しんで、翌日にはにっこり、さよならを言う女がたくさんいた。
 ジュンも明日には、
『これっきりだよ。このことは忘れて』
 と言うかもしれないだろう。
 いや、そうではなく、いつでも使用できる気晴らし≠ニして、俺を確保したと思っているのかも。そして今後、気晴らし要員≠ヘ、何十人にも増えていくかもしれないのだ。何といっても、メリュジーヌという師匠が付いているのだから。

 結局、明け方になってから、やっと少し眠っただけだと思う。
 朝になると、ジュンは晴れ晴れとした様子で目を覚まし、寝過ごしそうな俺を起こしてくれた。
「ほら、早く支度して。二人揃って遅刻したら、示しがつかないよ」
 それから、俺のワイシャツ一枚を羽織った姿で、腰に手を当てて要求してくる。
「あとで親父に連絡して、あたしと結婚するって話してね」
 またしても、驚かされた。
 その言葉自体はもちろん嬉しいが、唐突すぎる。みんな、俺がジュンを強引に手に入れた、と思うのではないか。
 ましてや、エディは。
(二人して、ぼくのことを騙していたのか)
 と人間不信に陥り、道を外れてしまうかも。
「あのな、このことは、親父さんにも他の誰にも、しばらく内緒にしておこう」
 と弱気な提案をしてしまった。ジュンは理解しかねる顔だ。
「なんで? 迷惑なの? あたしと添い遂げる覚悟はない?」
 添い遂げる、という言葉には内心、ずしりとくる重みを感じた。ジュンは既に、その覚悟か。
 しかし、これは重大なことだ。ジュンはもはや私人ではない。ジュンの発言や行動は、世界中から注目されているのだ。
 朝の光の中では、冷静にならざるを得ない。
「そうじゃない……俺だって、おまえと一緒にいたい。いるつもりだ。しかし、おまえは今、辺境の新しい顔として売り出し中だ。市民社会にいるファンだって、何百万という数だろう。ファンの男どもががっかりするようなことは、なるべくしない方がいい。それに、エディが世をはかなむようなことになったら、困るだろう? 監視していたって、突発的な自殺は止められないぞ」
 ジュンはさすがに、驚いた顔をした。
「エディが……まさか、そんなこと」
 こいつ、本当に鈍感だな。
「まさかじゃない。あいつは、本気でおまえに惚れてるんだ」
「だけど、告白なんて、されたことないし」
 あの愚図め。ジュンには遠回しな愛情表現など、通用しないのだ。
「おまえに迷惑がられるのが怖くて、何も言えないだけだ」
「あたしが迷惑なはず、ないのに」
 それには、こっちが倒れそうなほど愕然とした。
 どういう意味だ。ジュンは昨夜、自分から俺の胸に飛び込んできたばかりだろうが。
 しかも、正真正銘、処女だった。俺は本気で感動したのだ。それなのに、今朝になったらこの台詞。
「まさか、二股かけるつもりじゃないだろうな……」
 怖々尋ねたら、ジュンはにやりとする。
「それ、いいかもね。両手にいい男。みんな、うらやましがるだろうなあ」
 俺が狼狽したのを見て、ジュンはけらけら笑う。
「そんなの男は、昔から、ずっとしてきたじゃない。地位のある男なら、何人、女を抱え込んでも、当たり前だったでしょ。あたしが男を二人所有してたって、問題ないはず」
 所有だと。
 俺は内心、震え上がった。ジュンは俺が思っていたより、はるかに先に進んでいる。
「男と女は違うだろ……」
「確かに違う部分もあるけど、違わない部分もあるよ。まあ、そっちはあたしに任せて」
「何をするつもりだ」
「それは、エディの様子を見て決めるよ。あんたたち、どっちも大事にするから安心して」
 全然、安心できない。
 俺はもしかしたら、とんでもない女に捕まったのかもしれない。
 だが、それでも、ジュンから逃げようという気にならないのが問題だ。それどころか、薄れていた気力が甦り、世界が明るく見えている。窓の外のバルコニーの緑も、その向こうの市街も、行き交う車さえ、人工の朝日に照り輝いているようだ。
 とにかく、ジュンの初めての男は、俺に間違いない。親父さんに対する責任もあるし、一生、大切に守るつもりだ。ジュンが守らせてくれさえしたら。

13 ジュン

 いくらかの痛みと違和感は残っていたけれど、それは覚悟の上だったし、気分は爽快だった。
 こんな展開になるとは思っていなかったけれど、何年も我慢していたものが、とうとう爆発したのだ。
 ジェイクにぶつかって、よかった。
 あたしの気迫勝ち。
 メリュジーヌに忠告されていたので、あらかじめ、処女膜の切除処置は済ませている。女はいつ何時、そういうことになるかわからないから、準備だけはしておくように、と言われたのだ。メリッサに頼んだら、すぐに内密で医療室を手配してくれた。
 どうせ、同級生はみんな、大学入学前に処置を済ませている。あたしもいずれそのうち、と思いながら、後回しになっていただけ。
 世界が晴れ上がった。
 ついにジェイクを征服した、という感じ。
 ずっとあたしを子供扱いしていたけれど、とうとう降参させたわけ。
(ちゃんと、あたしを愛してくれていたんだ。責任感とか、親父への義理立てばかりじゃなくて)
 嬉しくて、つい顔がゆるんでしまう。バイオロイド女性に手を出したのも、あたしをあきらめようと苦しんでいた結果なら、許してあげられる。
 もちろん、二度とそんなことはさせないつもり。人間の女性と、ちょっとくらい気分転換するのはまあいいとして、バイオロイドの女たちには、それぞれ自立して幸せになる道を選ばせないと。
 人間は、バイオロイドに対して責任がある。彼らが自立するまで、支えなくてはならない。その先で、バイオロイドが旧人類を圧倒することになったとしても。
   一つ残った問題は、エディのことだ。
 あたしだって、エディの善意と好意はよくわかっている。でも、それが純粋な恋愛感情でないこともまた、わかっている。
 どうしても、罪滅ぼしという側面がつきまとうのだ。
 エディが仲間を失って苦しまなかったら、軍を辞めることも、あたしに出会うこともなかっただろう。
 どちらにしろ、ここまであたしの人生に関わらせてしまった以上、あたしにはエディに対する責任がある。
 エディの意志を確かめ、それに添って対応しよう。

イラスト

 人工の陽光が都市を照らす朝、あたしは浄水場の施設見学に行く車の中で、エディに話しかけた。
「ねえ、あたし、あんたに確かめたいことがあるんだけど」
「うん、なに?」
 と金髪のハンサムはにこにこしている。疑うことを知らない子犬のようで、こちらの胸がきゅんと痛くなる。
 ルークとメリッサも一緒だけれど、彼らは前の運転席区画にいるから、真ん中のオフィス区画にはあたしとエディだけ。
「これまで、はっきり聞いたことないと思うんだけど、あんた、あたしのことが好き?」
 エディは戸惑ったらしい。
「えっ、どういう意味?」
 ほんと、間が抜けている。ハンサムなだけに、余計、無防備さが際立つ。
「友達のままでいいのか、それとも、あたしと結婚したいくらい好きか、って聞いてるの」
 エディは不意を突かれたようで、見るも気の毒なくらい狼狽した。
「それは、その、なぜ、急にそんなこと……」
 空手で鍛えた立派な体格をして、おどおど、びくびくするんだから。
 でも、こういう気弱なところがあたしは好き。
 頭脳明晰で何でもできる優秀な男だから、そのことが逆に、エディの負い目になっているのだ。
「はっきり答えてよ。それによって、あたしも対応を考えるんだから」
 と宣告したら、すっかりうなだれて、悲愴な顔になってしまった。まるで、振られることが確定したかのように。
「好きだよ……愛してる。世界で一番。初めて会った時からずっと、きみを追い続けてきた」
 なんだ、ちゃんと言えるではないか。
「ただ、今はきみが大変な時期だから、告白なんかしたら、重荷を増やすだけだと思って……騎士でいられるなら、それでいいと……だけど、きみがはっきりさせたいなら、言うよ。きみと結婚できたら、どんなにいいかと思ってる」
 そうか。
 ジェイクやナイジェル、みんなの言った通りなのか。罪滅ぼしの気持ちが底にあっても、その上に恋愛感情が重なってしまい、すっかり溶け合っているのなら。
 シドの事件の時、エディが死んだと思った時の後悔と絶望は忘れていない。もう二度と、あんな思いをするのは嫌だ。
 だから、エディがあたしを愛しているなんて、知りたくなかった。昨夜までは。
 ナイジェルが言うように、ただ愛させておいて、何も報いないのでは、あまりに冷酷すぎる。
 それにしても、そうまであたしを思ってくれているのなら、もっと早く告白してくれればよかったのに。シドやティエンのように。
 あっちは図々しすぎるし、こっちは遠慮深すぎる。
 ジェイクだって、あたしがぶつからなければ、本音を出してくれなかった。男って本当に、厄介な生き物だ。
「それじゃ、今夜返事をするから、部屋で待ってて。夕食の後に、あたしの方から行く」
 と言って、話を仕事の方に切り替えた。宙吊りにされたエディは、いかにも不安げで落ち着かない様子だったけれど、夜まで精々、どきどき、そわそわすればいいのだ。意気地なしの罰である。
 あたしだってこれまで、あれこれ悩んできたのだ。
 だって、男から告白してくれないと、女は動きようがないではないか。
 これまで、いろんなお姉さんたちに忠告されてきたことを、あたしも女の基本だと思っていた。
『自分を、高嶺の花にしておくのよ』
『追うんじゃなくて、追わせるの』
『そうでないと、男は図に乗るんだから』
 それなのに、こちらが気にかけている男ほど、引っ込み思案なのだから。
 まあいい。とにかく、こちらの腹は決まった。あとは、去るか残るか、彼ら自身に決めさせればいいのだ。

 昼間の青いスーツを脱いで、シャワーを浴び、女らしいサーモンピンクのワンピースに着替えた。それから、同じ階にあるエディの部屋に行く。
 あたしがどこで夜を過ごすか、ビルの管理システムにも、警備責任者のエイジにも丸わかりだけど、エイジはたぶん、余計なことは言わずにいてくれるだろう。
 エディをあたしの部屋へ呼ばなかったのは、ジェイクと鉢合わせさせないためだ。
 ジェイクには、今夜は一人で寝ると伝えておいた。昨日の今日で、まだ痛みが残っているから、と。
 それでも、ふらりと、お休みのキスでもしに立ち寄るかもしれないし。あたしが留守なら、行く先がエディの部屋とわかっても……押しかけてはこないだろう。
 実際には、あたしが医療室で前処置≠受けた時、想定していた相手はジェイクではなかった。ジェイクの部屋から出ていく女性を見かけて、我慢しきれずに怒鳴り込んでしまうなんて、あたしの予定表にはなかったことだ。
 今となっては、幸運な巡り合わせだったと思う。あれがなければ、あたしは当たって砕ける勇気が出なくて、ジェイクに告白しないまま、手放してしまっていたかもしれない。
 昨夜は幸せだった。どんな空想より、素晴らしかった。大きな手でブラウスを引き裂かれた時は、鋭い快感が走ってしまい、それだけで気絶しそうだったほど。
 あたしは恋愛体質じゃないと自分で思っていたけれど、それは、ただ、我慢が常態化していただけなのだろう。
 それでも、エディに対しては、幾つもの負債がある。エディがあたしに望むことなら、大概のことは叶えなければと思っていた。
 ズボンの上から愛撫したくらいでは、到底足りないとわかっていたのだ。男に強姦されるなんて、どれだけエディの自尊心を傷つけたか。
 エディは昼間のスーツ姿のまま、上着だけ脱いで、そわそわしていた。
「何か飲む?」
 と、すぐさまお茶を淹れかねない態度なので、
「いいから、座って」
 と一緒にソファに落ち着かせた。贅沢な夕食を食べた後だから、もう何も入らない。
「今更言うまでもなく、よくわかってると思うけど、あたしと一緒にいたら、この先、いつ命がなくなるかもしれないよ。それでも後悔しない?」
 するとエディは、苦笑する。
「その場になったら、死ぬのは怖いと思うよ。みっともなく、じたばたするかもしれない。でも、きみを好きになったことは、絶対に後悔しない」
 では、あとはなるようになる、ということにしよう。
「それじゃ、今から、あんたをあたしのものだと思うことにするけど、それで文句ない?」
 するとエディは、青い目を見開いた。意味が通じなかったかと思ったら、壊れた機械のように、がくがく首を縦に振る。
「もちろん、もちろん、ずっときみのものだよ……一生、きみに付いていく」
 この、お人好しの大間抜け。
 他の女性を選んでいれば、もっと平和な人生だったのに。
 あたしなんかを好きになったばっかりに、明日はまた大ショックを受ける羽目になる。
 でも、それであたしに愛想を尽かすのだったら、その方がエディのためだ。さっさと中央に帰ればいい。
 その前に、せめて今夜だけでも、いい夢を見てもらおう。今日まであたしに優しくしてくれた、そのお礼。
 あたしはエディの顔を両手で挟み、引き寄せて、唇にキスをした。何度も繰り返し。ジェイクの場合より身長差が少ないから、やりやすい。エディはぼうっと、されるままになっている。
 こら、それでも男か。あたしがここまで動いたんだから、少しは自分から何かしてよね。
「一緒にお風呂に入る?」
 と尋ねたら、ぎょっとした様子。
「あの、まさか、そんな」
 何がまさか、なのだ。キスだけで満足だとでも?
「明日も命があるって保証はないんだから、今日のうち、できることは全てしておきたいの。それとも、あたしとお風呂に入るのは嫌?」
「そんな、まさか、とんでもない。だけど、ぼくはその、約束を。親父さんと、約束したんだ。きみとは、節度ある付き合いをするって」
 親父も、余計な気を回していたらしい。
「そんな約束、もう無効だよ。辺境まで来てしまったんだから、市民社会の常識なんか、気にしなくていいの。というより、エディはあたしと結婚してくれるんでしょ? それって、最大限に真剣な決意じゃない?」
 エディは可哀想に、泣きそうな顔になった。
「結婚、してくれるの。ぼくと」
「エディさえその気なら、ね」
 もはや、息が止まりそうな顔。
「もちろん、もちろんだよ」
 と、声までひきつっている。
「じゃあ、これの続きをしよう」
 あたしはもう一度、エディにキスをした。エディは惚けている。自分が極悪詐欺師になった気分。
「ねえ、いつまで受け身でいるつもり? ティエンだったら、自分からあたしを抱き上げてくれると思うな」
 意地悪く言ったら、ようやく焦った様子になった。
「頼むよ、そんな恐ろしいこと言わないで!! 他の男とは、握手だってして欲しくないんだから!!」
 それからようやく、あたしを腕の中に抱きしめてくれた。それでも、震えているのがわかる。そんなに緊張しなくていいのに。
 エディが未経験だってぎこちなくたって、あたしがエディを嫌ったりするはずないんだから。

 我ながら、ずいぶん非道な真似をしていると思う。エディをこんなに喜ばせ、夢中にさせてしまうなんて。
 でも、エディはあたしが初めてだと信じた。昨日の今日だから、前処置をしてあったとはいえ、まだいくらか痛いのは本当だし、慣れるまでには至っていないから、当然だ。
 昨日は、あたしの方が無我夢中でジェイクにしがみついていたけれど、その経験のおかげで、今日はだいぶ冷静でいられた。
 だから、さりげなく、誘導するとはわからせないで、エディを誘導できたと思う。エディはタイミングがつかめず、もたもた、おろおろしていたから。あたしが要所で巧く誘導しなかったら、どうなっていたことか。
「ああ、ジュン」
 エディはあたしを抱きしめ、不器用なキスを肌に滑らせ、うわ言のように何度も繰り返した。愛してる、ぼくは幸せだ、生まれてきてよかったと。
 まったく、間抜けなんだから。
 あたしなんかに、いいように扱われて。
 二股かけられていると後で知ったら、どんな顔をするだろう。
 エディが傷ついて泣くかもしれないと思うと、こっちの方が泣けそうになってくる。
 だから、あたしの方からエディを捨てることはしない。エディがあたしに愛想を尽かして、去っていくまでは。
 エディは満足すると、力尽きたようにあたしの横に倒れ込んだ。あたしもしばらく、動けそうにない。エディは若いだけあって、技術はないけど馬力はある。
(相手が二人って、結構大変かも……)
 ジェイクの時はあたしが受け身で、エディの時は導く側。どちらもいい。快感は受け身の時の方が深いけれど、相手を誘導するのは、ゲームに似たスリルがある。
 そのうちエディも慣れて、能動的になり、あたしをうっとりさせるようになってくれるだろうし。
 でも、悪くすると、どちらにも呆れられて、早々に見捨てられてしまうかもしれない。俺たちはおまえの飼い犬じゃない、とか何とか。
 そうなったら、それでいい。
 寂しくなるだろうけど、本当は、あたしなんかと付き合わない方が幸せなのだもの。

 翌朝になると、あたしは自分の部屋に戻って身支度をした。
 ダークグリーンのドレススーツ、金のネックレスとピンク珊瑚のイヤリング。薔薇の香水を一吹き。戦場に臨む気分で、みんなの集まる食堂に行く。
 ジェイクはもう来ていて、中央のニュースについてユージンと話していた。ルークとエイジ、メリッサもじきに揃う。
 エディも、照れた顔でやってきた。何でもないふりをしようと努力しているものの、誕生日かクリスマス直前の子供みたいに、浮かれてそわそわしている。メリッサなら、この変化を見逃さないだろう。
「おはよう」
 あたしはみんなに笑顔を振りまいてから、つかつかジェイクの元へ行って手を伸ばし、金茶の髪をオールバックにした彼の頭を、あたしの方に引き寄せた。
「昨夜は、一人にしてごめんね。寂しかった?」
 と言ってから、彼の口の端にキスする。
 室内の全員が(エイジは別として)、唖然として凝固するのがわかった。それからあたしは、愕然としているエディの元へ行き、
「今夜はジェイクの部屋に泊まるから、一人にするけど、許してね。明日にでもまた、埋め合わせするから」
 と唇にキスして言う。
 皆の視線が、あたしと二人の男の間を行ったり来たりした。エディがようやく、理解した顔になっている。
「ジュン、まさか……まさか、きみ……」
「そう。あたし、あんたたち二人とも、自分のものにしたいの。文句ある?」
 腰に手を当て、にこやかに部屋中を見渡した。
 ジェイクは凍っているし、エディは蒼白になってしまった。エイジは疲労したように額を押さえ、ルークは言葉もない様子。メリッサは、何か懸命に計算しているらしい。
 みんな、あたしが辺境の毒にやられて、魔女になったとでも思うかな。
 聞き覚えのない笑い声が響いたと思ったら、それはユージンである。珍しい、というか初めてだ。彼が声を上げて笑うなんて。
「そうきたか。いや、若い子は怖い。両方取るとはな」
 救われた思いで、彼に向き直った。そう、笑い飛ばしてくれるのが一番だ。
「それって、褒めてるの?」
「ああ、感心してる。メリュジーヌが聞いたら、喜ぶだろう。それでいい。そのくらいでないと、辺境では生きていけない」
 そういう反応とは思わなかったけれど、構わない。あたしはもう開き直っていたので、大威張りで言った。
「男は昔から、何人でも、好きな女を侍らせていたでしょ。英雄豪傑なら、何百人集めても文句は言われなかった。それなら、あたしに男が二人いたって、どうってことないでしょ。エディ、あたしを誰かと分け合うのに耐えられないのなら、中央に帰って構わないよ」
 人生経験を積んできたジェイクはともかく、純情なエディには、乗り越えられない障壁かもしれない。
 二人の男が心配顔で互いの反応を探っているうち、メリッサが実際的な心配を始めた。
「ジュンさま、このことはまだ、外部には公表しないで下さい。今はいけません。人気上昇中なんですから、ファンの夢を壊してはいけません。誰と付き合っても構いませんから、ここだけの話にしておいて下さい!!」
 あたしはふふんと鼻で笑った。
「宣伝するつもりはないけど、いずれは知られるよ。あたし、演技は下手だし」
 メリッサは、両手を唇の前で合わせた。
「とにかく、メリュジーヌさまに報告します。わたしはてっきり、エディさんだとばかり……まあ、ちょっと、微妙なものを感じてはいましたが……まさか、両方とは……ああ、でも、いいのかもしれない。元々、エディさんとの噂はあったわけだし……複数の男性と付き合えるのなら、他の男性も希望を持てるかもしれないし……ファンには、逆に喜ばれるかも……」
 納得が早いな。
 さすが、有能な秘書。
 あたしとしては、これ以上、相手を増やすつもりはないけど。
「メリュジーヌの反応が楽しみだね」
 と、あたしは言った。それに、ティエンが何と言ってくるかな。ぼくを三番目の男にしてくれ、とか?

「まったく、信じられん。俺と過ごした翌日に、すぐさま……」
 ジェイクは不機嫌にぶつくさ言っていたが、だからといって、エディと喧嘩するつもりはないらしい。
 エディはあたしに騙された被害者のようなものだし、元々、ジェイクはエディを弟分として可愛がっていたのだ。ことによると、あたしよりも可愛いと思っているかも。
 男同士の絆というやつは、女には入り込めないくらい堅い。
 あたしはセンタービルの自分の部屋で、二人の男を前にしていた。屈強な長身のジェイクと、すらりとしたハンサムのエディ。
 二人とも、あたしに腹を立てて立ち去る代わり、おとなしくあたしの部屋にやってきた。
 あたしたちは、今後の計画を立てなくてはならない。男二人に女一人で、どうやって安定した関係を保っていくか。
 エディはしばらく、茫然自失の態だった。怒るというよりは、あきらめ半分で悲しんでいる。
「話がうますぎると思ったんだ……ジュンがぼくを愛してくれるなんて……ジェイクの次だったんだ……それならわかる……仕方ない……」
 別に、どちらが一位で、どちらが二位というものではないんだけど。
 ジェイクに対する思いと、エディに対する思いは、少し色合いが違う、それだけのこと。二人とも、あたしにとっては大事な存在だ。
「たまにはいいでしょ、逆ハレムも。世の女性に、夢と希望を与えると思わない?」
 と、あたしは笑ってみせた。エディは惨めな顔だ。
「そりゃ、きみがゼロより、二分の一の方がずっといい……いや、十分の一だって構わない。そもそも、きみを独占しようなんて、身の程知らずの考えだったんだ……」
 と自分で自分を慰めている。エディは元々ジェイクを尊敬しているから、ジェイクに当たるつもりはこれっぽっちもない。
 ジェイクは既に、自棄のようにして開き直っている。
「で、どうしたい。何かルールを作るのか。何日おきに、どっちの部屋に泊まるとか」
「ううん、あたしの体調や気分があるから、そういう機械的な決め方は無理。でも、どちらにも不公平にならないように配慮するから、それでいいでしょ」
 ジェイクは皮肉で言った。
「3Pにしようとは言わないのか?」
 エディが悲痛にうめいた。可哀想に。
「それは無理だな。あたし、一度に一人しか相手にできないもの。あんたたちだって、そんなの嫌でしょ。あたしを挟んで向き合うなんて」
 エディはもう、泣きそうだ。
「ジュン、頼むから、女の子が露骨なこと……」
 と手で顔を押さえている。そうは言っても、一度は三人で、きっちり話し合っておかなくては。
 そのうち関係がこじれて、エディかジェイクのどちらか、あるいは両方があたしから去ってしまうかもしれないけれど、その時はそれでいい。
 去ってほしくはないけれど、あたしの側に置いておいて、無駄に死なせることになったら、その方がもっと辛い。
「あたしはあんたたち二人とも、伴侶にしたいの。側にいてもらって、あたしを支えてもらいたい。できたら、一生」
 二人とも、気の重い顔で息を吐く。
「まあ、おまえに支えが必要なのはわかってるよ……」
「それも、一人でなく、何人も……」
 二人とも、頭では理解しているのだ。あたしの立場の苛酷さは。
 でも、ここから逃げたいとは思わない。せっかく、有効に戦える場を得られたのだ。ママの夢、ベリルやペトラの思い、大勢のバイオロイドの運命を、あたしが何とかできるかもしれない。
「あたしって、ものすごく贅沢? わがまま? 付き合いきれない?」
「仕方ない……惚れた時点で負けなんだ」
 うわあ、ジェイクの口からそんな言葉が聞けるなんて。思わず、にやけてしまう。あたし、いつから惚れてもらっていたんだろ。
「ぼくらの側が、大幅に負けてますよね」
 と沈鬱なエディ。
「そうかなあ。勝ち負けの問題? とにかく、これであんたたち二人が、あたしの最大の弱点だと敵に知られることになるんだから、しっかりしてよね」
 すると、
「敵って誰なんだろう」
 と不思議そうなエディ。どうやら、ショックのあまり混乱しているらしい。
「ぼくらは最高幹部会の下にいるんだから……惑星連邦が敵になる?」
「そうじゃないよ。あたしたちの理想を妨害する者が敵なの。だから、最高幹部会も敵になりうるし、場合によっては、惑星連邦もそう。保守的な市民たちがね」
「潜在的には、世界中が敵ってことか」
 とエディは悲しげに言う。
「その代わり、世界のどこに味方がいるかわからないよ。きっとリリス≠燗ッじ理想を持っていると思うし、ハニーさんやカーラさんも、アレンたちもそうだと思う。この現状は変えなければならないって、市民の大多数はきっとわかってる」
 それに、口には出せないけれど(ここでの会話は、エイジやメリッサがそのつもりになれば、聞くことができる)、アイリスともきっと手を結べるはず。
 今はどこにいて、どれだけ仲間を増やしているのだろう。連合≠ェ敵になるとしたら、アイリスと同盟するしかない。
「アレンだって、双子の両方を同時に愛せたら、あんなに長いことカティさんを苦しませなくて済んだんだ。あたし、彼はきっと、カティさんとアンヌ・マリーのどちらも抱えてやっていけると思うよ。あんたたちも、仲良くあたしを共有してよね」
 今はアレンとカティさん、二人でうまく組織を運営している。できれば早いうち、子供も欲しいそうだ。アンヌ・マリーを起こす前に。
「そのうち、ティエンも加わるんじゃないだろうな」
 と疑う顔のジェイク。自分は同時に、十人近い女性と付き合っていたくせに。
 もっとも、嫉妬されるのは嬉しい。全然嫉妬されなかったら、愛情を疑ってしまうものね。
「まさか、ナイジェルを呼んだりしないよね……」
 と、わかっていないエディ。
「とりあえず、二人いれば足りると思うな」
 と、あたしは答える。最高の男が二人。あたし、恵まれている。女でよかったな。
「ジュン、親父さんがこのことを聞いたら、卒倒するかもしれない……」
 とエディに言われ、
「そうかもね」
 と笑ってしまった。親父はたぶん、あたしがエディと普通に結婚することを期待していただろうから。
 でも、それはいずれ理解してくれると思う。たぶん、ドナ・カイテルが皮肉な一言で、親父を納得させるのではないだろうか。
『あなたが、強い娘に育てたからでしょ』
 とか何とか。
 あたしはそもそも、普通ではない夫婦の元に生まれ育った。ママの姉妹であるアイリスが聞いたら、きっと笑うだろう。そんなことで悩むなんて、人類は不自由ねって。

14 エディ

 ジュンはまったく、まぶしいくらい晴れやかで、美しい。
 毎朝、華麗な衣装で現れて、ぼくとジェイクの双方にキスしていく。
「おはよう。今日は、どっちがあたし当番≠セっけ?」
 警備隊長のエイジは可能な限り、ジュンに付き添うし、それに加えてぼくかジェイクのどちらかが、日替わりでジュンに付いて歩く。メリッサも、大抵は同行する。誰が付くかは会議や視察などの予定に連動して変わるので、土壇場での変更もある。
 ユージンもメリッサも、ルークもエイジも、ギデオンのような旧来の幹部たちも、《ヴィーナス・タウン》の姐御たちも、
(この娘なら、男の二人や三人、奴隷にしても当然だろう)
 と納得してしまっている。
 メリッサから報告を受けたメリュジーヌも、笑って『二人の男』を認めたそうだ。
 元々、ぼくが奴隷だったところに、もう一人の奴隷が増えたというだけの話。
 ジュンとしてはおそらく、
(あたしに惚れてくれた男に、何か報いてあげなくては悪い)
 という気持ちなのだろう。
 もしかしたら、ぼくに対してもジェイクに対しても、熱烈な恋愛感情というより、寛大な哀れみを抱いているだけなのかもしれない。だからジュンにとっては、その慈愛の対象が一人でも二人でも問題ないのだ。
 どのみち、惚れているのだから、ジュンと二人きりの時間が持てるのは、舞い上がるほど嬉しい。他の晩はジェイクの腕の中だと思うと、余計に燃え上がってしまう。
 彼と比較して、下手とか早いとか思われているのではないか、そう想像すると怖じ気づいてしまうけれど、ジュンはからから笑う。
「あたしがあんたを好きだと言っているんだから、他にどんな保証が必要なの? 学習能力は高いんだから、技術はすぐ上達するよ」
 心配なのは、親父さんがどう思うかだ。
 やはり、世間には噂が洩れていく。
 センタービルの下級職員も、ぼくたちが接触する他組織の男たちも、ジュンの態度の変化には気づいて当然だ。何しろ、人前でも堂々と、ぼくたちにキスするようになったのだから。
「ジュン・ヤザキは、側近の男連中を全員、自分の奴隷にしているんだとさ……」
「毎晩、違う男が寝室に呼ばれるらしい」
「まだ若いのに、最高幹部会に買われるだけのことはあるわけだ」
「やっぱり魔性だな」
「メリュジーヌの弟子だけある。男どもは片端から精気を吸われて、捨てられるんだとさ」
 それは誤解だ、乱脈などではなく、たった二人だけのことだと、親父さんが卒倒する前に説明しなくては。
 そうしたらジュンが、楽しげに言う。
「大丈夫だよ。それは、ドナ・カイテルに説明してもらうことにしたから」
 親父さんの誘拐犯として逮捕され、中央の隔離施設にいるドナ・カイテルに連絡を取り、事情を説明したというのだ。
「親父はほとんど毎日、彼女に通話してるんだ。彼女が刑期を終えたら、一緒に暮らすんじゃないかな」
 ジュンはもう、彼女に嫉妬しないのだろうか。最初は、変装してまで親父さんのデートを監視しようとしたのに。
「もちろん、ちょっとは悔しい気もするけど、仕方ないよ。誘拐するくらい、親父が好きだったんだもん」
 今の自分なら、ドナ・カイテルを逮捕したりせず、そのまま違法都市に残してきた、とジュンは言う。
「あの頃は市民社会の枠に囚われていたから、犯罪者は逮捕するもんだとしか考えられなかったんだ。親父さえ取り戻せれば、それでよかったのにね」
 その枠を、ずいぶん軽々と飛び出してしまったものだ。ジュンのお母さんが超えたのとは、逆の方向に。

「どうせなら、お披露目をしよう」
 とジュンが決めたのは、魔性の噂に飽きたからだと思う。最初は面白がって聞いていたが、ついに食傷したのだ。見境のない女吸血鬼のように思われることに。
 辺境には、市民社会のような法律も制度もないが、ぼくたちが『結婚』という言葉で関係を公にすれば、それで面白半分の噂話は消える、と考えたらしい。
 ぼくたちは話し合い、違法組織の幹部たちを招いて、パーティを開くことにした。いつもの小規模な親睦会ではなく、千名近くを招待した、大きな催しになる。
 ぼくらはこれまでもジュンの側近として、親睦会に出席してはいたが、接待側の一員として、隅に控えていただけだ。
 それが今回は主役になり、まばゆい金色のドレスを着たジュンの両脇に、フォーマルスーツ姿で立たされることになる。センタービルの一番広いパーティ会場を、三つ使っての大宴会だ。
 照れるし、緊張もするが、これで故郷の家族も、少しは安心できるのではないだろうか。
 親父さんとバシムには、ジュンとジェイクと三人で報告した。ドナ・カイテルからあらかじめ説明を受けていたこともあり、親父さんは冷静だったと思う。
「まあ、めでたい……ことなんだろう。きみたちが、それでいいというのなら」
 難しい顔ではあったが、祝福してくれた。末永く、娘をよろしくと。
 本当なら、親父さんたちにも出席してもらうところだが、軍と司法局に軟禁されている身には変わりないので、報道される映像だけで我慢してもらうことになる。
 違法組織の情報部門だけでなく、中央からも放送局の取材班が押し寄せるから、ニュースでもたっぷり放映されるはずだ。
 招待者の顔ぶれは、いつもより幅広くしたので、中央から現地調査≠ノ来ている学者やジャーナリスト、偵察任務の司法局員、軍人たちも混じっていた。
 違法組織の幹部だけだと男性が多いので、おかげで女性比率が上がって、会場が華やかになる。
 当日は、センタービル全体が麗々しく飾り立てられた。花火こそ上げなかったが、人間とバイオロイドがの混成楽団が切れ目なく音楽を演奏し、あちこちに花やリボンが飾られ、職員たちがシャンパングラスを並べて接待に動き回り、次々にやってくる正装の客たちを案内する。
「てっきり、お相手はエディさんだと思ってたんだけど」
「両方とは、驚いた」
「でも、オウエン氏とも似合ってる」
「一人の男では、支えきれないんだろう」  という声が聞き取れた。ぼくとジェイクが並んで立てば、どうしてもぼくが見劣りすると思うが、それは仕方ない。
 これからもっと経験を積み、実力をつけて、貫禄を増せばいいのだ。
  「ジェイク・オウエン、エディ・フレイザー、この二人を改めて、わたしの伴侶として紹介させて頂きます。三人で協力し、皆様の応援を頂いて、この《アグライア》を発展させていきますので、これからも、どうぞよろしくお願いします」
 とジュンが簡単に挨拶して、お披露目の会を始めた。
 都市の発展を願い、結婚≠祝して、会場に溢れる客たちが乾杯する。
 伝統的な結婚の形式からは少し外れるが、違法都市としては、まあ、これで十分なのではないだろうか。要は多くの人に、ぼくらの決意を知ってもらえばいいのだ。
 あとは祝福の言葉、雑談、料理、音楽、ダンス。
 外から雇った歌手やダンサーたちが入れ代わり立ち代わり、会場を盛り上げる。
 ぼく個人としては、見世物の立場に慣れず、笑顔がこわばりがちだったが、それはジェイクも同様だっただろう。しかしジュンは、ゆったりとしてにこやかだった。
「おめでとうございます」
 という言葉を受け、
「ありがとう」
 と返しながら、素早く適切な外交をこなしている。
「あの件ですが、うちの秘書が後でご報告しますので」
 とか、
「もしご祝儀を頂けるのなら、あの件は、大目に見て頂くことでどうですか?」
 とか。
 既に顔なじみの、他組織の幹部たちは、噂の段階で納得していたらしい。
「これで、話が分かりやすくなった」
「違法都市の流儀に馴染んだ、ということだな」
「辺境に腰を据えた、という覚悟の表明でもある」
 と、おおむね歓迎の様子。
 中央のジャーナリストたちは、もちろんこの大ネタを撮影し、回線経由で市民社会に届けている。ぼくらは何枚も写真を撮られ、コメントを求められた。
 それでも、内心で心配していたような、寝室に踏み込むタイプの下世話な質問はほとんどなかったので、ほっとする。かろうじて、笑みを保てるような質問が多かった。
 どちらが第一の夫で、どちらが第二なのか、とか。
 互いに嫉妬はないのか、とか。
 第三、第四の男が現れたら、認めるのか、とか。
 たぶん、ジャーナリストたちは、事前にメリッサに警告されていたのだと思う。総督閣下の機嫌を損ねる質問をしたら、二度と招待いたしません、とか何とか。
 《ヴィーナス・タウン》支部からは、アマリア以下、女性幹部が七、八人来ているので(女性比率を上げるため、女性の部下たちの同伴も頼んであった)、彼女たちからも祝福を浴びた。
「おめでとう、残念だけど」
「浮気したくなったら、いつでも声をかけてね」
 というお言葉には、有難く微笑むだけにしておく。
 ジュンは事前に、ハニーさんにも挨拶し、祝福されていたようだ。女はやはり、伴侶がいると安定すると。
 《ヴィーナス・タウン》は基本的に男子禁制で(シェフやデザイナーなど、わずかな男性専門職がいるだけだ)、内部の女性たちは、恋愛したければ組織外でのみ、男性と付き合うらしい。しかし、創業者であるハニーさんだけは、男性の恋人を本拠地の最奥に隠しているらしいのだ。
 その男性が背後に控えているからこそ、安心して仕事に打ち込めるのだという。
 まだ紹介してもらったことはないが(敵持ちなので、顔をさらしたくないという)、たぶんぼくのように、補佐に徹することを決めた、地味で実務的な男性なのだろう。
 男優位の辺境で、そういう覚悟ができる男は、たぶん貴重なのだ。ユージンも、そういう資質があるから、メリュジーヌに抜擢されたのだろう。彼女もおそらく、男の多い最高幹部会で、色々な苦労をしてきたに違いない。
 そのユージンはジュンの晴れ舞台を隅から眺めて、黙っていた。暗色のサングラスには、溢れんばかりの花や、グラスを持つ人々、踊る男女が映っている。
「今日くらいは、どうですか」
 と、ぼくは彼にシャンパンのグラスを手渡した。彼にとっては職務時間中だから、いつもなら酒は飲まないと知っているが。
「そうだな。まあ、一口なら」
 ぼくたちが《アグライア》に到着するまで、彼が相当な辛抱強さでジュンの世話をしていたことを、ぼくは理解している。
「改めて、お礼を言います。色々と、お世話をかけました」
 と言ったら、苦笑している。
「ちょっとだけ、味わったよ。娘を嫁に出した父親の気分てやつを」
 もしかして、ユージンにも娘がいる……いたのだろうか。ジュンを、その娘に重ねていたのだろうか。
 だが、過去は詮索しないのが辺境の礼儀。
「まだ、いてくれますよね」
 既にユージンの負担は、かなり軽くなっていると思う。だが、ルークとエイジが中央に帰ってしまうことを考えれば、ジュンを補佐する陣容はまだ不足だ。
「まあ、もう少しはな。だが、そう長いことではないだろう。改革は成功している。きみたち二人が、ジュンを支えられるはずだしな」
 いや、まだ足りない。
 辺境では、安心など有り得ないのだから。

 お披露目と前後する数日間に、ジュンのオフィスには、各組織からの贈り物や、その目録が積み上げられた。ジュンの誕生日の時もそうだったが、贈り物の豪華さを見るだけで、ジュンの地位が安定したことがわかる。
 湖で使うための豪華クルーザー。
 乗馬用の馬。
 珍しい宝石。
 地球時代の古典絵画。
 大通りに面した大型ビルを丸ごとというのは、《キュクロプス》以外の大組織の最高幹部たちだ。
 メリュジーヌからは、ジュンの乗艦にするようにと、大型の新鋭艦を一隻。
     市民社会の結婚とは少し違うとしても、辺境では珍しい慶事なのだ。中央のニュース番組でも、トップ扱いだった。ジュン・ヤザキが《エオス》の元クルー二人を、同時に夫にしたと。
 好奇の目で見られるのは何だが、ジュンがぼくらとの関係を世界に発信してくれたことは、やはり嬉しい。
 ジュンが堂々としているなら、ぼくだってそうすればいい。
 郷里の母と姉には前もって連絡し、お祝いの言葉を受けていた。辺境から市民社会への通信は、本来、違法なのだが、司法局が特例扱いで中継してくれるので、動静はまめに知らせている。今頃はきっと、親戚や知人たちからの、好奇心満々のお祝い通話が殺到しているだろう。
 艦隊勤務の父はおそらく、
(女の一人さえ、一人で支えられんのか)
 と、苦い顔をしているだろうが。
「パパだって、ほっとしているわよ。意地があるから、そうとは言わないけど」
 と姉のアリサが笑って言う。
「あれで、ジュンちゃんの大ファンなのよ。こっそりニュース映像を集めていること、間違いないわ。ただ、夫が二人というのは、しばらく悩むでしょうね」
 それは、仕方ないのだ。ジュンは非凡だが、ぼくは平凡なのだから、一人では支えきれない。珍しい経歴を持つジェイクだって、ジュンと比較したら、やはり凡人だろう。
 だが、世界は天才や豪傑だけで構成されているわけではない。たくさんの凡人が、少しずつ貢献して歴史を作っているのだ。堂々と、凡人の人生を送ればいいではないか。

 はるか離れた違法都市のティエンからは、祝福のメッセージを添えた豪華な花束が来た。
『ジュン、おめでとう。きみがぼくの女神であることは、変わらない。今はとりあえず、彼らに預けておく』
 負けず嫌いの奴だ。通話してこないのは、笑顔を保つ自信がないからか。
 少なくともこれで、奴にもわかっただろう。ジュンにとって、奴とぼくでは、存在の重さが全く違うのだと。
(何年経っても、おまえの出番はないぞ)
 こちらは俄然、闘志が湧いてくるから、ライバルというものも、いていいのかもしれない。
 中央のナイジェルとチェリーからも、お祝いの通話が来た。ナイジェルだけなら無視するのだが、チェリーが一緒では、笑顔で応対するしかない。
「エディお兄ちゃま、結婚おめでとう。今はまだ無理だけど、そのうちきっと会いに行くわ。一般市民が《アグライア》に行けるようになったら、絶対行くから」
 チェリーが楽しい学校生活を送っているようなので、こちらは安心だ。ナイジェルが後見人みたいな顔をしているのは、不愉快だが。
「まあ、精々、ジュンに飽きられないように頑張るんだな。きみの後釜なんか、いくらでもいるだろう」
 という態度は、いつもながらのこと。
「そっちこそ、何か悪さをしたら承知しないからな」
 チェリーが同席しているので、チェリーに対する悪さ、とは言えなかったが。

イラスト

「ナイジェル、チェリーの力になってくれてありがとう。二人でこっちへ来る時は、歓迎するからね」
 とジュンは優しい笑顔だ。なぜこんなプレイボーイに肩入れするのか、いまだにわからない。
 アレン・ジェンセンとカトリーヌ・ソレルスからも、通話申し込みが来た。アンヌ・マリーの築いた組織だが、何とか二人で維持しているという。
「きみたちを見て、励まされたよ」
 アレンが赤毛の美女の肩を抱いて、笑顔で言う。
 いや、こんな状態、手本にしてもらって、いいのかどうか。
「いま、カティが妊娠しているんだ。双子でね。子供が生まれて落ち着いたら、アンヌ・マリーを起こすよ。そして、彼女を説得する。愛する相手を、一人に限定する必要はないんだ。きっと三人で、いや、子供たちも含めて、うまくやるよ。アンヌ・マリーもおそらく、子供が欲しいと言うだろうし」
「うん、きっとうまくいく。カティさん、いい顔になってるもの」
 とジュンは微笑んでいた。
「手助けすることがあったら、あたしたちで手伝うし」
「ありがとう。きみが友人扱いしてくれるおかげで、他組織からも、それなりの敬意を受けられる。助かっているよ」
 ジュンの名前は既に辺境で、かなりの重みを持つようになっている。《ヴィーナス・タウン》との提携が実現したことも大きい。
「子供が生まれたら、あなたの名前をもらっていいでしょう? 男の子と女の子の双子なの。男の子の名前はアレンのお父さまからもらうけど、女の子はジュンにするわ」
 とカティさんは幸せそうだ。二人とも、郷里の家族とこっそり連絡を取り、親不孝を謝罪したという。
「いずれ、中央との行き来がもっと増えたら、孫を抱いてもらうこともできるよ」
 とジュンは言う。
 そういう未来のために、ぼくはぼくで、ジュンの補佐をしていけばいいのだ。一生、それを期待すると、ジュンが明言してくれたのだから。

15 ジェイク

イラスト

 俺は思うのだが、ジュンが必要としているのは、夫というより愛人≠ネのではないだろうか。
 十八の小娘が、いや、もはや立派な女かもしれないが、違法都市の総督という重圧に耐えているのだ。
 しかも、前代未聞の改革に挑戦している。
 その苛酷な緊張から、ほんの一時逃れるために、何かに耽溺するとしたら。
 一番簡単なのは、安心できる男にすがり、肉体的快楽に没頭することくらいだろう。
 だから、その相手は俺でもエディでもいいのだ。あるいはティエンでも、もしかしたらユージンでも。
 ただ、エディよりは俺の方が付き合いが長く、女に慣れているという条件があるから、俺を『最初の男』に指名しただけかも。
 エイジやルークを選ばなかったのは、彼らがジュンを妹としか思っていないからだろう。
 もちろん、俺が初恋だったと聞いたのは嬉しかったが……ジュンはそのすぐ翌日に、エディにも手を付けたのだ。
 恋愛感情については、大幅に割り引いて考えるしかない。
 俺もエディも、ジュンにとっては『都合のいい男』に過ぎないのだ。
 千人近くも集めて、派手にお披露目をしたことも(エディは感激していたが)、こき使うことへの事前通告のようなもの。
 俺たちは、総督直属の代理人として、都市内を走り回る毎日だ。
「ジェイク、この件はお願いね」
「エディ、あの件はどうなった?」
「もめるようなら、二人で仲裁してね」
 と、毎日、任務を投げられ、責任を負わされる。
(好きなだけ、こき使えると思ってやがる)
 内心でそう思いながらも、ジュンが夜、俺の部屋へ来ることは拒めなかった。拒むどころか、嬉々として迎え入れてしまう。
 こんな小娘に溺れてしまって、と自分で自嘲してしまうが、もはや、他の女のことは考えられない。
(捕まった、というやつだ)
 いや、本当はもっと前に捕まっていた。だから、他の女たちと平気で別れて、辺境までやってきたのだ。中には悲しい顔をしてくれた女もいたが、俺を本気で引き留めた女はいなかった。俺の心が、ジュンの元へ飛んでいたことを知っていたのだろう。
(こうなるしかなかった)
 ジュンは俺の下で好きなだけ声を上げ、罠にかかった獣のようにのたうち、最後には満足して、ぐっすり眠る。俺は、生きた睡眠薬というところか。
 たぶん、これでいいのだ。ジュンの役に立っている。他に、行きたい所があるわけではないし。
 エディとの間にも、問題はなかった。
 互いに、相手に遠慮しているからだ。嫉妬をぶつけまい、これまで通りの関係を保とうと、努力している。
 ジュンが、そこまで計算して俺たちを選んだのだ。俺たちならジュンにかかる重圧を理解し、それを和らげるために支えになると承知して。
「いや、おまえらは偉いよ」
 ルークが、痛々しいものを見るような顔で言ったものだ。
「本気で愛していなかったら、できないことだ」
 エイジも難しい顔で腕組みし、しみじみと言う。
「俺たちは、遠からず中央へ戻る。だから、俺たちの分も、あいつを守ってやってくれ」
 辺境で生きることは、もう覚悟した。他組織の幹部たちとも、本音のぶつかり合いをするようになっている。その中で、信用できそうな者も見えてきた。
 辺境の人間が全員、狡賢い小悪党というわけではない。確かに損得の計算はするが、長期の展望を持てる者もいる。永遠に生きるつもりなら、なおのこと。
 俺とエディは、既に《アグライア》の中枢にがっちり組み込まれた。市民社会から見れば、れっきとした違法組織の幹部ということになる。
 いずれは、不老処置を受けることにもなるだろう。
 ジュン本人はまだ若いからいいが、俺はもう中年だ。若さを保っておかなくては、ジュンのお守りはできない。
(こういう人生だったのか)
 振り向いてみれば、父親が犯罪者という屈辱を晴らすためにエリート軍人を目指したことも、ネピアに誘われてハンター稼業を経験したことも、バシムに誘われてエオスに乗ったことも、全てジュンと出会うための、魂の準備だったのだろう。
 これから先、どんな変転が待っているのかは知らないが、今は気持ちが定まっている。
 これでよかったのだ。ジュンが俺を必要としているのだから。

16 ジュン

 センタービルのバルコニーを冷たい冬の風が吹き過ぎる朝、メリッサに厳しい顔で言われた。
「ジュンさま、朝食前に医療室にいらしていただきます。途中の通路は人払いしましたし、検査は十分で済みますから」
 とうとう来たな、と思った。
 自分では、わかっていたのだ……生理がこんなに遅れるなんて、初めてだったから。
 この件に関しては、あたしは周囲を騙していた。避妊用のホルモンセルを皮下に埋めたから、妊娠の心配はない、とジェイクにもエディにも、メリッサにも言っていたのだ。
 最高責任者であるあたし自身が、センタービルの医療室の利用記録を誤魔化すことは、簡単にできる。
 もちろん当初は、避妊処置をするつもりだった。でも、あれこれ考えているうちに、気がついたのだ。
 妊娠して、何が悪い?
 それどころか、妊娠、万々歳ではないか。
 だって、いつまで生きられるか、何の保証もないのだ。仕事の忙しさは、どうせ何年後でも変わらないし。
 アイリスだって、言っていた。子孫を残すこと。それが生物としての、最大の仕事だと。それに、きっと、ママの願いに応える道でもある。
 父親は別に、どちらでも構わない。たとえ彼らが怒っても、後の祭り。
 検査の結果は、陽性だった。妊娠確定だ。もう少し経てば、父親も確定できるという。
 メリッサは細い眉を曇らせ、ほう、とため息をついてから、改めてあたしに頭を下げた。
「おめでとうございます。すぐ、メリュジーヌさまに報告します」
「総督失格、と言われるんじゃないかな」
 指揮官の前線離脱と思われるのだけは、うまくない。仕事への影響は最小限に食い止めるつもりだと、説明しなくては。
「あら、そんなことはありません」
「でも、今、ため息ついたでしょ」
「失礼しました……これは、ただ、うらやましくて」
「うらやましい?」
「それはそうですわ。ジュンさまは成功者ですもの。あんないい男を二人も惹きつけて、おまけに子供までできるなんて、女の王道ですわ」
 自分を成功者、と思ったことは、あまりない気がする。むしろ、何かの大失敗に至るまで、悪あがきしている最中なのではないか。
「メリッサだって、口説いてくる男はたくさんいるでしょ」
「ぱっとしませんわ。こちらでいいなと思うと、女に興味なかったり、他の女性を追いかけていたりするんですから」
 と無念そうに言うが、本当は、あまり男性に興味がないような気がする。かといって、女性の恋人がいるわけでもない。たぶん、今はまだ仕事が第一なのだ。先に行って、相応しい相手と巡り会えたら、変わるかもしれない。
「妊娠中は無理できないから、あなたに迷惑かけると思うけど」
「あら、迷惑なんて、そんなことはありません」
 メリッサの声が明るくなった。
「ジュンさまを助けるために部下がいるのですから、子育ても当然、お助けしますわ。それに、胎児は適当な時期に、人工子宮に移してもいいのですから」
 メリッサがそう思ってくれるなら、助かる。
 辺境では、元々数少ない本物の女性が妊娠、出産したという事例がほとんどないけれど、人工子宮の利用は市民社会でも珍しくないし、技術的には何の心配も要らないことだという。
「とにかく、朝食の間へどうぞ。わたくしは、メリュジーヌさまに報告しますから」
 それから、気づいたように言う。
「くれぐれも、走ったり、転んだりはなしですよ!! 冷たいものも食べないで下さいね!! 濃いコーヒーも控えて下さい!! 後で、妊婦用の暖かい衣類を届けますから!!」

 前後左右を護衛兵に囲まれ、高層階にある生活エリアに戻った。さすがに足元がふわふわするというか、何か頼りない感じ。
 これまでのあたしは、
『どこからでもかかってこい』
 という気概を持って、肩で風を切るように、早足でずんずん歩いていたけれど、身重の状態では、まず、そんな力みをやめないといけないだろう。
 戦うことと、赤ん坊を育てることは、きっと両立が難しい……でも、そのために伴侶がいるのだから……二人がどう反応するか、わからないけれど……
「ジュン、おはよう」
 みんなが集まる食堂では、エディが笑顔で出迎えてくれた。他のみんなはもう、てんでに食べ始めている。
「コーヒーがいい? それとも紅茶?」
 そうだ。赤ちゃんには、カフェインはよくないのかも。あたし、妊娠のことを何も知らない。これから勉強しなきゃ。
「ええと……」
 冷たいジュースもよくないかも。でも、白湯というのもつまらないし。
「お茶……番茶がいい」
 エディは少し意外そうな顔をしたけれど、すぐさま香り高い番茶を持ってきてくれた。
 あたしはぼんやり席に座ったまま、どう打ち明けようか悩んでいる。そもそも、どちらが父親なんだろう。ジェイクもエディもすねたりしないよう、訪問≠フ回数は半々になるよう気をつけていたし……
 賑やかな食事が終わる頃、メリッサが部屋に入ってきて、晴れ晴れと宣言してくれた。
「ジュンさま、ご安心下さい。メリュジーヌさまは、でかしたとおしゃいました!! 妊娠は大歓迎ですって!! 遺伝子検査の結果、女の子で、父親はジェイクさんと確定しました。おめでとうございます!!」
 伝え方に悩むまでもなかったな。テーブルのあちこちで、ガシャンと何かを落としたり、ぶつけたりする音が響いた。全員、総立ちだ。
「妊娠だって!?」
「ジェイクの子供!?」
「早業だな、若いだけある」
 ルークやエイジはもちろん驚いていたが、ユージンは何か嬉しそうだ。サングラスで目元を隠していても、口のゆるみ方でわかる。あたしの企みを、察知していたのだろうか。
 どうせ生むなら、早く生み始めた方がいいのだ。地位があるうちに。そうすれば、あたしが死んでも、子供たちが生き残る確率が高くなる。
 ジェイクとエディはそれぞれ凍りついて、あたしを眺めていた。知らない女でも見るかのように。あたしはやむなく、にっこりしてみせた。
「いま、検査してきたの。当面、仕事を少し減らそうと思うので、よろしくお願いします」
 ああ、親父にも報告しなきゃ。孫ができるって。

 メリッサは直ちに、あたしの専属医師を決めた。自分も出産、子育てを経験したベテランの女性医師、ドクター・ミナを、元の同僚たちの推薦で、他組織から引き抜くという。不老処置のおかげで若く見えるけれど、中央では三人の子供を産み育てたそうだ。頼りになる。
「おめでとう、ジュン」
 通話画面の向こうで、銀白色のドレスを着たメリュジーヌは満足げだった。まるで、自慢の名馬が、優秀な種馬の子馬を妊娠した時みたい。
「よくやったわ。大成功よ」
 何がそんなに嬉しいのかわからないくらい、にこにこしている。
「改革を始めたばかりで妊娠なんて、ちょっと間が悪いかなと思ったんだけど」
 と言い訳のバリアを張ったら、自信ありげに断言された。
「だからいいのよ。改革が本物になるわ」 
「え、どういう意味?」
「都市の総督が子供を産んで、自分で子育てするのよ。これ以上の宣伝はないわ」
 あたしはまだ、よくわからない。
「何を宣伝するの?」
「決まっているでしょう。子育てできる都市を、あなたが売り物にするのよ」
 あ。
「あなたの妊娠がニュースになれば、辺境全体の女たちが、《アグライア》に注目するでしょう」
 そうか、そういう展開になるのか。
 メリュジーヌが以前、あたしの私生活に立ち入ることを尋ねてきたのは、こういう結果を期待していたからなのだ。
「辺境でも、女の本能がなくなるわけではないわ。子供が欲しい女は、潜在的にはたくさんいるはずよ」
 そうだ、きっとそうだ。
「ただこれまでは、そんな贅沢、とても無理だとあきらめていただけ。男ばかりの違法組織の中、女一人では、とても子供を守りきれないもの。でも、そういう女たちが千人、一万人、十万人集まれば、大きな力を持つ集団になるでしょう」
 一気に視野が晴れ、視界がはるか彼方まで広がった。
 母親になりたい女の集団。
 これは、無敵の軍団ではないか。
 女一人では弱くても、数が集まれば潮流になる。市民社会からも、理解されやすい。
 最初に手を挙げる、わかりやすい誰かがいればいいのだ。
 それが、あたしの役割。
「彼女たちを《アグライア》に集めればいいの。ここで生まれた子供は、あなたの子供と友達になって育つのよ。つまり、あなたが都市の子供たち全体の保護者になる。辺境の女たちにとって、これ以上、有り難いことがあるかしら?」
 よくわかった。
 それにしても、メリュジーヌの透徹した知性。
 いや、最高幹部会全体の考えか。彼らはあたしなんかより、ずっと大胆な改革を目論んでいたのかもしれない。
「もしかして、最初から、こうなることを予測していたの?」
「予測ではないわ。期待していたのよ。あなたは若いし、好きな男も一緒にいるのだから」

イラスト

 白い妖女はくすくす笑った。
「まあ、誰の子供でも構わないのよ。辺境で生まれる子供は少ないのだから、貴重だわ」
 そうですか。
 でも、自分では作らなかったんでしょ? それとも、こっそり作ったの? その子はどこかで、あなたの名前を後ろ盾にせず、自力で生きているわけ?
「人手はあるのだから、子育てに問題はないでしょう。子供が欲しい女たちが集まれば、男も引き寄せられるわ。人生を楽しんでいる女たちは、辺境の男たちにとっても魅力的でしょうからね」
 ふむ、そうかもしれない。
「もちろん男は、バイオロイドの女に子供を産ませることができるけれど、育てることを考えたら、人間の女が母親である方がいいと計算するかもしれない。いずれにせよ、《アグライア》がそうして成功すれば、他都市でも追従する動きが出るでしょう」
 そうやって、辺境でも、まともに人口を増やそうという計画か。安心して子育てできるとわかれば、中央から脱出してくる女たちも増えるかもしれない。
 あたしはつくづくと、メリュジーヌの美貌を眺めた。
「罠はないでしょうね?」
「あら、何のことかしら」
「そうやって集めた子供たちを生体実験に使うとか、洗脳して連合≠フために働かせるとか、そういうこと」
 向こうは艶然と微笑む。
「そういうことをさせないために、あなたが目を光らせるんでしょう? その質問、あなたが女たちから受けるはずよ。彼女たちを安心させるために、万全の体制を整えることね」
 あたしには、やるべき大仕事ができたわけだ。みんなにも、うんと働いてもらわないといけない。当面、あたしは活動を制限されるのだから。

 あたしは、親父にも連絡を取った。司法局も、あたしとの通話は認めてくれている。一緒にいるバシムにまず話をして、それから親父と交替してもらった。
「ごめんね、色々心配させて」
 あたしが《アグライア》に来てから、しばらく司法局に軟禁されていた親父は(小島のホテルとか、山奥の温泉地とか、場所はあちこち変えてもらっていたから、実質はバカンスと変わりない)、最近ようやく自由の身になり、《エオス》への復帰を認められていた。
 新しいクルーを募集して、バシムと共に彼らを鍛えながら、貨物や人員の輸送を請け負う日々。
 まだ司法局の警備は付いているけれど、それは、娘のあたしが有名人になってしまったから、仕方ない。
 懸賞金リストからは外されても、どんなひねくれ者が、有名人の家族をつけ狙うかわからないのだ。
 それにまた、親父が《エオス》で辺境に出ることも、惑星連邦としては警戒している。
 市民が辺境に吸い寄せられることを、市民社会の大多数は、まだ認めていないのだ。
 あたしの改革なんて、いつ消し飛ぶか分からない。
 市民社会の最高権威である最高議会でも、ジュン・ヤザキは連合≠フ操り人形になっているだけだ、改革など表面だけだ、という意見が根強く残っている。
 あたし自身、自分の立場は、まだ弱いと知っている。あくまでも、実験的に許されている改革なのだ。何か計算違いがあれば、メリュジーヌだって、かばってはくれないだろう。
「《エオス》はちゃんと飛んでる? 依頼主は戻ってくれた?」
「まあ、何とか、最小限の人数でやっているところだ。クルーの希望者が多すぎて、絞るのが大変なんだ。面接するのがまた、一仕事で。おまえこそ、辺境なんかで苦労して……」
 親父はあたしを慰めていいのか、励ましていいのか困っている。
 ジェイクとエディを両方あたしのもの≠ノしたことについては、もうあきらめて、納得したはずだと思うけど。
 娘がハレムの主みたいに噂されたら……父親の立場としては、頭を抱えてしまうのだろう。アイリスなら、笑ってくれると思うけど。
「ところで、また驚かせて悪いんだけど、あたし、親父をお祖父ちゃんにしちゃった。ごめんね」
 親父はきょとんとしている。
「つまりね、あたし、赤ちゃんができたの。父親はジェイクだけど、次はエディの子供を産むつもりだから」
 にっこりしたら、親父は口をぱっくり開けた。
「不公平にならないように、ジェイクの方に二人、エディの方にも二人、子供を作ってあげようと思って。これから数年で孫がたくさん出来るから、楽しみにしておいてねっ」
 親父はぐらりとよろめいたけれど、待機していたバシムが、素早く支えてくれた。
「ごめん、迷惑かけて」
 バシムは苦笑していた。
「迷惑ではないが、ずいぶん欲張るんだな」
「うん、できるうち、何でもしておこうと思って」
 いつ死んでもいいように、できることは全てしておく。
 もちろん、これから《アグライア》で生まれる大勢の子供たちの保護者にならなければならない以上、長生きするつもりだけど、何がどうなるかはわからないから。
 あたしが死んでも、子供たちが残れば、ジェイクもエディも生きていけるだろう。ママから受け継いだあたしの夢は、彼らが引き継いでくれる。
 そう、これがママへの最大の供養。
 やっと少し、ママの気持ちがわかった気がする。
 やむにやまれず自由を求め、愛する人を求めたママは、あたしに希望を託して死んだ。
 あたしはその希望を、これから生まれる子供たちに託す。あたしの遺伝子を持つ子供だけでなく、他の大勢の子供たちにも。
 誰の子供でも同じだ。人類はみんな、親戚なのだから。
 親父がバシムの腕から離れ、きちんと身を起こした。
「めでたい……めでたいことだとは思うが……しかし、ジェイクとエディはそれでいいのか。納得しているのか」
「大丈夫だと思うよ。二人とも、父親が誰でも、生まれた子供は全力で守るって約束してくれたから。父親教室にも通う予定だし。ドクター・ミナが、赤ちゃんの世話を教えてくれるの。おむつの世話も、お風呂も、二人でやってくれるって」
 親父はそこで、絞り出すように叫んだ。
「もう、放っておけない。わたしが、おまえを甘やかしすぎたんだ。よくもそんな、恐れ知らずの真似を。辺境で子育てだと!?」
 あれ、怒ってる?
「もう、決めた。ジュン、待っていなさい。軍や司法局が何と言おうと、わたしがこれから、孫の子守りに行く!! 何人生まれようと、全てわたしの孫なんだからな!!」

 あたしの話を聞くと、ユージンはからから笑った。最近は、わりと気軽に笑い声を立てる。時々、自分の組織に戻るけど、また《アグライア》に来てくれて、相談役をしてくれる。
「そりゃ、過保護な親父さんだな」
「気持ちは有難いんだけど、親父が辺境に出るなんて、連邦議会や司法局が認めるはずないのにさ。懸賞金リストから外されたとはいえ、大事な英雄には違いないんだから」
「しかし、いいかもしれん。ヤザキ船長が子供たちのお守りに付いてくれるなら、他の母親たちも安心するだろう。どうせきみは、無理はできないのだから」
 その通り、妊娠が文字通りの身重≠セということが、日に日にわかってきた。
 前はできたことが、今はできない。
 空手の稽古はもちろん休み、軽い体操程度にしているけれど、その他にも、できないことが増えた。
 まず、かっかと怒ることができない。怒ろうとしただけで、お腹がきゅっと縮むような気がする。赤ちゃんが身をすくめ、
(ママ、怒らないで)
 と哀願しているような感じ。
 殺伐とした事件の報道を見るのも辛い。ホラー映画やサスペンス映画も、もう見られない。見たいとも思わなくなった。刺激が強いものは、赤ちゃんに良くないのだ。
 それで、怒ったり警戒したりするのは他のみんなに任せて、あたしは刺激の少ない事務的仕事や、害のない面談を受け持つくらいにした。
 あとは、女性作家の手になる子育て本を読んだり、ベビー用品を揃えたり。
 もちろん、辺境にベビー用品の専門店はないけれど、系列の工場に注文すれば、いくらでも作ってくれる。いずれそのうち子供用品の店が必要になるだろうから、ちょうどいい準備作業になるようだ。担当者たちは、張り切っている。
「待っていてください。子供用の絵本や文具、洋服、自転車、何でも揃う店を作りますからね!!」
 じっとしているのに飽きると、センタービル内を歩いたり、屋上庭園で花を摘んだり、温水プールで軽く泳いだり。
 もちろん常に誰かが付き添い、いたわってくれる。まるで、女王さまみたいな暮らし。
「それでいいんだよ」
 とエディは言う。妊娠した女性は、周り中からちやほやされるのが当たり前だと。
 幸い、つわりもたいしたことはない。吐き気に悩まされる期間は、そう長くなかった。
 だるくなったり、眠気が強くなったりという変化はあるけれど、そういう時は、横になって休めばいいのだし。
 ホルモンの変化で、躰が妊娠に適応しようとしているらしい。子宮の壁にしがみついた受精卵が、母体を作り変えようとしているのだ。あたしの肉体なのに、既に半分、子供に乗っ取られているようなもの。
(すごい力。まさに生命の神秘だなあ)
 と自分で感心する。
 まして男どもは、全面降伏というありさまだった。
(十代で妊娠なんて、大変なことだ)
(何でも聞いてやって、守ってやらなくては)
 と思うらしい。
「仕事は全部、俺たちに投げろ。毎日、報告するから」
 とルークやエイジは言う。
「細かいことは部下に任せて、大きな構想だけ考えればいい」
 とユージンも忠告してくれる。
 ジェイクとエディは毎日、可能な限りあたしの元へやってきて、何か要望はないか、困ったことはないか尋ねる。あたしは嬉しいやら、可笑しいやら。
 何か一つでもすることがあれば、彼らも安心するようなので、
「小さいパフェを食べていいか、ドクター・ミナに許可をもらってきて」
「足をマッサージしてほしいんだけど、正しいやり方を習ってきて」
 などと、適当に任務を割り振るようにしている。
 知らなかった。妊娠が、こんなに幸福なことだなんて。
 二人きりになると、ジェイクは安楽椅子に座るあたしの前に膝をついて、お腹にそっと顔を押し当てるようになった。まだ動いたりしないのに、何か聞こえるかと思うらしい。
「胎動があったら、真っ先に知らせるから」
 と約束した。
 ちょっと寂しそうなエディには、
「次は、あんたの子供を妊娠するからね」
 と約束している。
 自分でもようやく納得したのだけれど、あたしはとうの昔に、エディを愛するようになっていたのだ。たぶん、出会って間もない頃から。

イラスト

 ただ、《タリス》以降は、エディの死を恐れる気持ちが強すぎて、自分で自分をごまかしていたのだと思う。この気持ちは感謝と友情に過ぎないのだから、遠く離れることになっても、自分は平気だ。エディが無事なら、その方がいいと。
 でも、こうして一緒に暮らしていれば、エディを見る度、愛しさが湧いてくるのは否定できない。
 エディにも、子供を持つ幸福を味わってほしい。エディの幸せは、そのままあたしの幸せになる。
「そんな、無理しなくていいんだよ。きみもぼくも、まだ若いんだから」
 とエディは言うけれど、若いからこそ、急いで生むべきだ。
 目標の四人、さっさと生み終わって身軽になれば、また戦える。あたしには、家庭生活の他にも、やることがあるのだから。

 メリュジーヌに言われた通り、あたしの妊娠と、《アグライア》を子育てに相応しい都市にする決意を宣伝したので、辺境の各地から、女性たちの問い合わせが相次いでいた。
「わたしも子供を産みたいのだけれど、今の組織を抜けたら、そちらで保護してもらえますか」
「組織を抜けるにあたって、口添えしてもらえますか」
「迎えを頼むことはできますか」
「精子をもらいたいと思う男性が周囲に見当たらないので、そちらで誰か紹介してもらえますか」
「適切な人工精子が欲しいのだけれど、そちらで手に入るでしょうか」
「子育てが一段落したら、そちらで働き口を紹介してもらえます?」
 あたしは出来る限り、それらの問い合わせに直に答えた。所属する組織に許可を得てから移住してくると言う人もいれば、円満退職ができないから脱走を手伝って欲しいと言う人もいる。
 あたしが持つ権力で助けになる場合は、喜んで助けた。最高幹部会の権威を借りれば、大抵の組織はこちらの『要望』を聞いてくれる。
 迎えの船を出す手配もした。
 人工精子を集めることもした。
 辺境では金さえ出せば、ほとんど何でも手に入る。男は要らないが子供は欲しいという女性は、自分の希望に合う人工精子があれば、それでいいと考えていることが多い。
 そうして毎週何人かずつ、妊娠、出産を希望する女性がやってくるようになった。
 最初のうちは、彼女たちをセンタービル内のホテルや、繁華街のホテルに泊めていたけれど、やがて、それでは間に合わなくなるのが見えてきた。
 既に申し出のあった希望者だけで、三百人近い。評判が広まれば、たぶんもっと増える。
 やがては数千人、あるいは数万人にまでなるかもしれない。
 そこで、彼女たちを集めて会議を開き、『子育て村』の建設を始めることにした。広大な緑地の一角に、病院や保育所や学校がセットになった居住区を作る計画だ。
 最初はルークをその事務主任に据えたけれど、いずれは、母親たちの完全な自治にもっていくつもりだった。
 彼女たちはそれぞれ、辺境で生き延びてきた猛者だから、自治能力は十分にある。性格も経歴も様々だけれど、子供を守るという一点で、団結できるのが強い。
 あたしが大きくなりかけたお腹で相談に乗っていることで、信頼してもらいやすくなっている。
 総督じきじきの事業なんだから、というわけ。
 公園や広場を備えた共同住宅のデザインを、コンペで募集したら、それもまた辺境中の話題になった。
 点々と孤立した家を建てるより、子供たちが友達の家に出入りしやすいよう、大きなまとまりになった低層の建物がいい。子供が大きくなったら、母子して、好きな場所に移転すればいいのだから。
 連続したテラス、子供の遊び場にもなる集会室、広い芝生の庭、ほどよく視界をさえぎる花壇や植え込み。
 やがて、緑地の中にゆったり広がる、快適な共同住宅が何十棟も建った。その周辺には、公園や花畑を整備していく。
 趣味で世話できる菜園や、子供たちが遊べる小川もある。
 子供たちが動物に触れ合うための牧場も計画した。いずれ子供たちが犬と走ったり、山羊や羊を飼ったり、鶏の卵を集めたり、子馬に乗ったりする姿が見られるようになるだろう。

 そういう日々の中、あたしの肉体は変化し続けた。
 長時間立っていられなくなったり、お腹が突っ張る感じがしたり、足が攣ったり。
 食べ物の好みも変わった。濃いコーヒーは、もう飲もうという気も起こらない。ミルクたっぷりの、甘いカフェオレなら、たまには飲める。薄い紅茶には、蜂蜜やレモンを入れる。
 かと思うと、夜中に急にプリンやメロンが食べたくなって、我慢できなかったり。
 体重も増えた。以前は子鹿のように身軽だったのに、今では信じられないくらい鈍重だ。
 階段の上り下りがきつい。足元が見えにくいので、手すりに掴まっても、転落しそうで怖い。やむなく、エレベータに頼るようになった。
 平らな通路を歩く時でも、誰かが手を貸してくれる。
「ほら、掴まれ」
 とユージンまでが優しい。というか、元々、かなり気を遣って、あたしの世話を焼いてくれたのだけれど。
 何しろ、自分の組織はあらかた部下に任せ、ほとんどあたしに付きっ切り。いくらメリュジーヌの命令でも、義務感だけでここまではできないだろう。
 気晴らしのドライブに連れて行ってもらう時は、メリッサの他にもエディやジェイクやエイジが付き添ってくれ、アンドロイド兵士の部隊が周囲を囲む。暑くないか、寒くないか、疲れないか、気遣われる。
 自分が、途方もない貴重品になったみたい。
 そのうち、胎動も感じるようになった。何か、虫がうごめくようなむずむずする感じがあって、ドクター・ミナに訴えたら、
「それが胎動ですよ」
 と笑われた。するとジェイクとエディが交互にやってきて、
「触っていいか?」
「耳をつけていい?」
 とまとわりつく。
 彼らが感動しているのを見て、あたしも嬉しかった。これで少しは、辺境に引きずり込んだ埋め合わせができただろうか。
 父親であるジェイクの感動は当然なのだけれど、エディも自分の感動の予行演習なのか、しみじみ感慨に浸っているようだった。
「本当は、絶望したんだ。ジェイクの子供が出来たとわかった時。ぼくはもう、お払い箱になるのかと思った」
 まさか、そんな。
「次はエディの子供を産むから、待っててよ」
 あたしの場合、男を好きになるということは、その男に子供を持たせてやりたい、という願いに直結するらしい。それが何より、男の愛情に報いる道だと感じるので。
 健康で、妊娠できてよかった。
 それというのも、ママが、命がけであたしを産んでくれたからだ。卵子は他の人からもらったものだけれど(その人にも、今は心の底から感謝している)、自分の子宮で育ててくれた。
 だからあたしも、命をつなげたい。
 仕事は戦いだけれど、妊娠は祈りに似ている。
 どうかこの子が、無事に育ちますように。この子の見る世界が、明るいものでありますように。

イラスト

 やがて、お腹の重量で、寝返りにも苦労するようになった。ウォーターベッドも試してみたけれど、水に浮いて眠るのは落ち着かない。確かに、カプセル中で温水に浮いていれば、躰は楽なんだけど。
 自由自在に走り回り、飛び回っていた頃は、何て楽だったのだろう。妊娠の途中で胎児を人工子宮に移す女性の気持ちが、よくわかってきた。
 別個の命をお腹に預かるというのは、とても大変。ある意味、エイリアンに寄生されているのに等しい。
 それでもあたしは、出来るだけ長く、赤ちゃんをお腹に入れていたかった。ママもそうして、あたしを育ててくれたんだもの。
 愛されて生まれたという確信があれば、その後、辛いことがあっても耐えやすいでしょ?
 この子を抱えている時間は、この子に対する贈り物。
 いや、二人目からは、早々に人工子宮を利用させてもらうかもしれないけれど。

 夕方、私室のベッドで横になって休憩していたら、外回りから帰って来たジェイクが、報告と様子見にやってきた。
 『子育て村』の運営は順調で、もらった精子や、人工精子で妊娠した最初の数百人が、続々と入居し始めている。女性同士の仲も良いらしい。
 部屋に好きな家具を入れたり、集まってパーティをしたり、キルトや編み物の会を始めたり。
 もちろん、最初から人工子宮を利用する女性もいるけれど、多くの女性は妊娠という体験を欲している。
 ただ、これまで、仕事の鬼だった女性がほとんどなので、
「料理なんて、したことない」
「のんびりしろって言われても、どうすればいいの」
「手芸なんて、向いてないわ」
 と戸惑っているようだ。
「何か、仕事を下さい」
 と願う人もいるという。
 どのみち子供が増えたら、保育士や医師、教師が必要になる。彼女たちのうちの何割かに、その役目を担ってもらいたかった。妊娠している間に、少しずつでいいから、先のことを考えてもらおう。
「この様子だと、村を拡張するか、別の場所に第二、第三の村を作るかってことになりそうだな。場所の目星をつけておかないと」
 話を聞きながら、足をマッサージしてもらった。エディだけでなく、ジェイクもかなりマッサージの達人になっている。
 好きな男にこうして優しくしてもらうのが、女には何よりの薬。
 愛され、守られているという確信がなければ、こんな不自由な生活は続けられない。
 ジェイクは真剣な顔をして、ハーブ入りのマッサージオイルを使い、そろそろと慎重に、大きな手で足腰をさすってくれる。腰の辺りが重いので、マッサージがとても有り難い。
 ママもきっと、幸せだったんだろうな。あたしがお腹にいる時。こうやって親父に尽くしてもらい、うっとりしていたかも。
 そう思ったら、突然、涙がぶわっと溢れてきた。
 今、とても幸せなのに。
 多分、どんな幸せも永遠には続かない、とわかったからだろう。
 ママはもういない。ずっと独り身を通してきた親父も、ドナ・カイテルと付き合うようになった。
 あたしは今、ジェイクとエディに守られているけれど、いつかはみんないなくなる。
 何十億年、何百億年という宇宙の歴史の中で、人間に許された命は、ほんの一瞬にすぎない。
 不老処置を受けて数千年、数万年生きられても、永遠には届かない。人類の歴史そのものが、花火のような一瞬の輝きにすぎないのだ。
「おい、どうした? ドクターを呼ぶか?」
 ジェイクが慌てて心配するので、ボロボロ泣きながら、
「何でもない」
 と答えた。
「ちょっと、おセンチになって……」
「マタニティ・ブルーというやつか」
 ジェイクは勝手に納得した様子。
 メリッサに言われてエディと二人、父親講座を受けているのだ。妊婦の心理や肉体の変化から、赤ちゃんの世話、幼児の発達過程まで、ドクター・ミナからびっしり教わっている。時にはルークとエイジも、飛び入り参加するらしい。彼らもいずれ、父親になるのだ。
 ドクター・ミナは子育て村にも通って、母親たちの検診をし、相談役を務めていた。既に、かなりの忙しさだ。ルークが手配して、新たな医師の募集をかけている。
 ジェイクが大きな手で、あたしの頭を撫でてくれた。
「心配するな。俺たちがいるんだから、おまえは何も悩まなくていい」
「うん」
 あたしくらい恵まれた妊婦は、他にいないとあたしも思う。何しろこの子が生まれたら、ジェイクとエディが二人して、全ての世話をしてくれるというのだから。
 あたしがするべきことは、授乳だけ。それすらも、しばらくしたら合成ミルクに切り替えていいと言う。
 あたしだって少しは何かできると思うのに、二人とも、その点ではあたしを全然信用していない。無事に身二つになったら、子供のことなんか忘れて、仕事に飛び回ると思ってる。
 まあ、それはそうかもしれないけれど。
 妊娠の苦労はあたしが背負ったのだから、子育ては父親に任せていいかもしれない。
「あたし、ブルーじゃないよ。すごく幸せ」
 と泣き笑いしたら、ジェイクはあたしの目元にキスして言う。
「俺もだよ」
 そして、あたしが落ち着くまで寄り添い、ゆっくり頭を撫でてくれた。
 いつか、あたしもジェイクもエディも、みんなこの世からいなくなる。でも、力の限りに生きた後なら、それは仕方ない。その時に、誰かが後に残っていてくれればいい。
 必ずしもあたしたちの子供や孫でなくていいから、同じように幸福を感じ、感謝を覚え、涙を流す誰かが。

17 ジェイク

 俺のしたことは犯罪だと、どうしても思ってしまう。
 ジュンに相応しいのはエディだと、よくわかっていたのに。
 それを横から盗むような真似をして、妊娠までさせてしまって。まるで、受け持ちの女生徒に手を出した淫行教師のようだ。
 かろうじて犯罪にならずに済んだのは、ジュンの意志が強かったからにすぎない。
 親父さんには通話をして許しを乞うたが、俺を責める人でないのは、最初からわかっている。
 逆に頭を下げられた。ジュンのために苦労をかける、娘を頼むと。
 苦労ではないと思う。いや、あれこれ悩んだり、忙しく飛び回ったりはしているが、それは幸福な忙しさだ。
 ジュンはけろりとして、俺もエディも両方好きだと言う。両方の子供を、交互に産むつもりだと。
 あいつのことだから、本当にその通り実行するだろう。まったく、女には勝てない。
 だが、女なしの人生なんて、砂漠か極地と同じだ。簡素で高潔だろうが、寂しすぎる。
 おまけに俺には、娘ができるのだ。
 子供部屋に用意された小さな服や、色鮮やかな玩具を見るだけで、むずむず、そわそわする。
 抱っこしてやろう。ミルクを飲ませてやろう。風呂に入れてやり、寝かしつけてやろう。一緒に遊んでやるし、絵本も読んでやる。犬か猫も飼ってやろう。馬にも乗せてやろう。自転車も教えてやろう。
 ああ、小さな娘はどんなに可愛いか。
 これまで、特に自分を子供好きだと思ったことはない。早くに結婚して父親になった友人たちを見て、
(まんまと捕まりやがって)
 と皮肉な目で見たこともある。
 だが、こうなってみると、
(ずっと独り身なんて、砂漠の彷徨じゃないか)
 と思えるのだ。
 普通、子供に夢中になるのは母親の方だと思うのだが、ジュンは俺より醒めているように見える。
「子供の世話は頼むね。あたし、なるだけ早く仕事に復帰したいから」
 と、あっさり言うのだ。
 仕方ない。最高幹部会に見込まれ、総督に抜擢されたのはジュンだ。
 続々と集まってくる母親志望の女たちも、ジュンを信頼して、自分と子供の安全を託している。
「わかってる。子供は俺が責任持つから、おまえは好きに動け」
 ジュンの地位が安泰である限り、違法都市での子育てに不安はない。やはり女たちに人気の高い《ヴィーナス・タウン》の支部も、周辺都市から客を集めて繁盛している。
 《アグライア》は有力都市になるだろう。既に、人口は六十万超まで増えている。娼館を廃止したジュンの改革が、賛同者を集めているのだ。この勢いだと、百万都市になる日も遠くないのではないか。
「ねえ、何か文句ないの?」
 特注の安楽椅子に座ったジュンが言うので、絵本をめくっていた俺は顔を上げた。
「何の文句だ?」
「前はよく、あたしにきついこと言ってたじゃない。世間知らずのガキとか、ファザコンとか」
 別に、意地悪で言っていたわけではない。ジュンを鍛えるためだ。
「単に、事実だっただけだ」
「そう、それ」
 ジュンは喜ぶ顔をする。
「そういう言い方。あたし、あんたにけなされると、なにくそって思ったもん。時々きついこと言ってもらうと、ファイトが湧くな」
 大きな腹をして、ファイトなど燃やさなくてもいい。
「やめとけ。妊娠中は、へらへらしていればいいんだ。好きなだけ甘えろ」
 すると、ジュンは口をすぼめてみせる。
「変な感じ。エディは元から優しいから何も変わらないけど、あんたはがらりと変わったもの」
「そうか?」
「そ。前は鬼軍曹だったでしょ。でも、優しいあんたも好き。いてくれて嬉しいな。安心できるもの」
 俺は胸が詰まる。
 そんなに幸せそうに言われてしまったら、逃げられないではないか。別に、逃げるつもりもないが。
「おまえが大人になれば、鬼軍曹は要らないんだ。大人は、自分で自分に厳しくできるだろ」
「うん」
「まあ、腹が平らになるまでは、自分を甘やかしておけ」
 その時の俺は赤ん坊に振り回されていて、ジュンのことなど後回しになっているかもしれないが。

 産み月が近づくと、我慢できなくなった過保護親父が、軍の艦隊を借りてやってきた。親友のバシムも一緒だ。
 最高議会がとうとう、親父さんの辺境行きを認めたのである。もちろん、軍と司法局から選抜した護衛付きだ。
「親父。来てくれてありがとう。バシムもありがとう」
 ジュンは重い腹を抱えて父親を出迎え、二人から抱擁を受けた。
「具合はどうだ? そろそろなんだろう?」
「うん、そのはず。子供は元気だよ。バシムが来てくれて、心強いな」
 ジュンが護衛の軍人たちと挨拶しているうちに、俺とエディは、ばつの悪い思いで親父さんと対面した。
「遠い所まで、はるばるどうも……」
「二人とも、直に会うのは久しぶりだな。後で一杯やろう」
「はい」
「こんなことになって、何と言えばいいのか……」
「気にするな。ジュンが望んだことだ。男は、女の希望に添っていればいいんだ」
 というのは、親父さん自身の経験から出る言葉らしい。親父さんもまた、難しい恋愛をした人だった。
「それで、子供の名前はもう決めたのか?」
「ええ、ジュンが自分で決めると言い張って」
「苦労して産むのはあたしなんだから、決定権はあたしにあるでしょ」
 ゆったりしたクリーム色の妊婦服を着たジュンが、俺たちの方に戻ってきた。前はよく赤やオレンジを着ていたが、妊娠してから、淡い色を好むようになっているのだ。
「遥。漢字でこう書くの。いいでしょう」
 俺としては、もっと平凡で穏健な名前がよかったが。
 純粋の純という字をもらったジュンも、そんな名前だから、こんな無鉄砲な娘に育ったのではないか。遥なんて、遥か彼方まで飛んでいきそうで恐い。成長したら、他の銀河の探検に乗り出すんじゃないか。
「そうか。ハルカか。おまえの娘なら、きっとたいしたお転婆だろう」
 親父さんはジュンの肩を抱き、優しく撫でた。
「心配するな。マリカの分まで、わたしが見守る。それに、おまえのお祖父さん、お祖母さんとも和解してきた」
 ジュンが驚く。
「本当!?」
 違法な実験体との結婚を反対されてからというもの(普通、反対するだろう)、親父さんは故郷の一族と絶縁していた。だが、自分に孫ができるとなって、ようやくわだかまりが溶けたらしい。
「おまえのことも、生まれてくる子供のことも、認めてくれるそうだ。わたしに何かあっても、心配要らない。うちの一族がみんな、味方になってくれる」
 俺は事前にバシムから聞いていたので驚かなかったが、いいことだ。親父さんはジュンのために、自分の意地を引っ込めたのである。
「じゃあ、あたし、親戚ができるんだね。遥にも、頼もしい味方ができるんだ」
 ジュンは涙声になり、親父さんの肩に顔を埋めた。俺も安堵している。味方は一人でも多い方がいい。いつか最高幹部会が、ジュンの敵に回った時のために。

「前に親父さんに言われたことが、少しはわかるようになりました」
 その晩、俺たち《エオス》の仲間たちは、親父さんの泊まる客室で飲んでいた。
 もう一度、このメンバーで飲めるとは有り難い。それも、ジュンが妊娠したおかげ。
 俺が口にしたのは、前に、
『娘ができたら、きみにもわかる』
 と親父さんに言われたことだ。その時は、自分には関係ないことだと聞き流していたのに。
「まだ産まれてもいない娘なのに、今から心配なんですよ。いじめっ子にいじめられたら、とか。悪い奴らに誘拐されたりしたら、とか。俺の気に入らない男と付き合うようになったら、というのもありますね」
 親父さんは苦笑した。
「それがまた、父親の楽しみだ。娘のすることにはらはらしていているうちが、一番いい。いずれは大人になってしまって、全て事後報告になってしまうんだから」
「すみません」
 と改めて頭を下げた。エディも神妙に言う。
「全て事後報告で、親父さんを驚かせることばかりになってしまって……」
「いや、いいんだ」
 と親父さんは、鷹揚に手を振った。
「ジュンが決めたことだからな。ジェイクとエディの二重の守りがあるわけだから、あの子は恵まれている」
「そう思ってもらえるなら、少しは気が楽ですが……世間並みの結婚にはならなくて、申し訳ありません」
 まあ、全世界に報道される、派手なお披露目はしたが。そもそも花婿が二人では、普通の結婚の枠には入らない。
「あの子はマリカの娘だ。普通≠ゥら飛び出す予感はあった。こうなって、むしろ納得といえる」
 さすがは親父さん、理解が深い。生きた戦闘兵器と結婚しただけはある。
「あとは、最高幹部会がどこまで、ジュンの改革を許すかだな」
 とバシムが言う。
「女たちが集まって、子育てできる違法都市とは……男には、考えつかなかったことだ」
 と親父さんも、腕を組む。
「都市内では、バイオロイドの人権も保障できるようになりました。他組織から逃げてきて、ここを頼る者も多い。子育て村も、拡大しています。成功しすぎていることが、不安材料です。最高幹部会がどこまで容認するか、まだわからない。いざとなったら、他の銀河へ脱出してでも、ジュンとハルカを守ります」
 と俺は約束した。
 それが可能かどうかは別として、覚悟は本物だ。
 ジュンはエディと半分こだが、ハルカは俺の娘。この世に、これ以上の宝物があるか。
 娘のためなら、たぶん、何でもできる。
 年長の男たちは、にやりとした。
「人生の執行猶予期間は、終わったわけだな」
 とバシム。その通りだ。
 結婚を避け、ずるずる青春の名残に浸っていたのは、責任を負いたくなかったから。
 それは、人生の前半戦が終わったと認めることだからだ。
 だが、いつまでも逃げていることはできない。人生の後半戦を始めなくては。
 そして、有限の残り時間を無駄にせず生きる。
 不老処置を受けるとしても、それは、残りの日々をわずかに伸ばすだけのこと。
 俺はジュンとハルカを背負った。これからもまた、負う者が増えるだろう。彼女たちのために戦うこと。それがまた、俺自身の幸福なのだ。

 これまで、俺とエディと他の連中とで、何不自由なく世話を焼いているつもりだったが、実の父親が側にいると、やはりジュンは芯から安心するらしい。
「屋上に散歩に行きたい」
「足をさすって」
「お産が済んで、あたしが回復したら、ハルカの誕生記念パーティ開いてね」
「メリッサに許可を取って。ちょっとだけなら、チョコレートパフェ食べてもいいでしょうって」
 などと、遠慮なく甘えている。
 親父さんとバシムがジュンのお守りをしてくれれば、その間、俺とエディは別の仕事に回れるので有り難い。
 子育て村で暮らす女たちの世話、他組織との交渉事、繁華街の見回り、その他諸々。
 出産そのものについては、バシムも加わった医師団が付いているので、心配していない。ただ、早目の帝王切開を希望するメリッサに対し(その方がジュンの負担が少なく、回復が早いからだ)、ジュン本人は自然分娩を希望していた。
 自然な出産を経験してみたい、それが娘への愛情の印になる、というのである。
 ジュンに似ない感傷のような気もするが、本人の希望なら仕方ない。そこで、陣痛を少しだけ味わったら、後は麻酔をかけて手術という段取りになった。なぜわざわざ痛い思いをしたいのか、俺にはさっぱりわからないが。

 やがて、メリッサが俺たちに告げる日がきた。
「ジュンさまは陣痛が始まりました。産室に入りますので、皆さんは近くで待機していて下さい」
 男どもは現場に入れないが、近くでうろうろしていてくれ、というのがジュンの希望なのだ。
 そこで、外回りの仕事はルークとエイジに頼み、ユージンには総合司令室に詰めてもらい、俺とエディ、親父さんは、産室の近くのロビーに陣取った。センタービルの中層階であり、警備は厳重なので、他人は近づけない。
 優秀な医師団が付いているし、ジュンは健康だが、何しろ若いし、初産だ。俺たちはやはり心配で、うろうろ、そわそわするしかない。
「代われるものなら代わりたいけど、陣痛って、男だったら耐えられない痛みだって言いますよね」
 とエディ。
 俺たちは今日まであれこれ学び、父親になる準備をしてきたのだ。赤ん坊の人形を使って、ミルクを飲ませる練習も、沐浴させる練習もしてきた。
「帝王切開すれば簡単なのに、わざわざ苦しい方法にこだわるなんて」
 とエディはひたすら、ジュンの負担を気にかけている。
 俺だって、ジュンが他の男の子供を産むために苦しんでいると思ったら、たまらないだろう。
 エディは今日までよく、俺に対する嫉妬や反感をこらえていてくれた。次は、俺が我慢する番だ。ジュンは何が何でも、エディの子を妊娠するだろうから。
 しかし、その時、俺にはハルカがいるから、エディに嫉妬している暇はあまりないかも。
 途中、メリッサが差し入れの酒やつまみを届けてくれたが、ジュンが苦しんでいるのに、飲み食いなどできない。どれだけ痛いのか、苦しいのか。
「いや、我々が断食しても仕方ない。まだ時間がかかるだろうし」
 と親父さんが言うので、少しずつ差し入れに口をつけたが、気が気ではない。
 エディも懸命に祈っていた。つくづく男というのは、この世の脇役だと思う。女がいなくては、人生に何の明かりも灯らない。もし、この次、息子を授かることになったら、それをよく、叩き込んでやらなくては。
 だが、ついに、俺たちが呼ばれる時がきた。
「もういいですよ」
 俺たちは薬液のミストで全身を消毒されてから、産室に入ることを許された。大小二つ並んだベッドの片方にジュンがいて、ぐったりしている。その横の小さなベッドには、白い産着に包まれた、赤い肌の小さな生き物が。
 すごい。
 何という奇跡だろう。
 この生き物が、ついさっきまで、ジュンの体内にいたとは。
「ジュン」
 感謝を込めてささやき、身をかがめてジュンの額にキスをした。これ以上何か言ったら、泣き声になりそうだ。
「どう? 美人?」
 ジュンは力なく横たわったまま、優しく微笑む。赤ん坊は赤くて、猿のように小さく、わずかな髪は綿毛のようだが、もちろん、世界一の美人だ。
 いやいや、まずジュンをねぎらわなくては。
「世界で二番目に美人だ。おまえが一番だからな」
 と言うと、疲労の底でも、にやりとする。俺はこれまで、ほとんどジュンに甘いことを言った覚えがないが(いや、考えたら、どの女にも言っていないかも)、今日ばかりはいいだろう。
「ありがとう。今日は人生最高の日だ」
 まず俺が、次に親父さんが、それからエディが、そっと赤ん坊を抱いた。
 嘘のように小さく、繊細で、触るのも怖いくらいだ。それなのに、ちゃんと爪まで完璧に揃っている。
 くりっとした目をして、俺たちを興味深げに見定めているようだ。自分がどこにいるのか、わかっているだろうか。温かい子宮の中から、広い世界に出てきたのだと。
 この子がいつか、そこらを自在に這い回ったり、俺に噛みついたり、髪の毛を引っ張ったりするのか。
 俺のことを、パパと呼んでくれるのか。
 身内に何かが満ちるような感動で、神はいる、と信じたくなった。
 神に祈りたい。どうかこの子が、幸せな一生を送りますように。
 これまでに散々、神も仏もいないという現実を、見てきているのに。
 出産に立ち会ったバシムが、解説してくれた。
「体重は三千二百グラム、健康だ。母体も問題ない」
 同席していたメリッサが早々に、俺たちを追い出す。
「さ、もう出て下さい。ジュンさまは眠ります。向こう数日は医師団の管理下にありますから、あなた方のすることはありません」
 俺たちは感動で呆けていて、どうしたらいいのかわからない。
「とりあえず乾杯だ」
 と冷静なバシムが言い、ロビーで祝杯を上げた。ジュンの一族から預かってきたというシャンパンだ。
「すまんな、俺が先に子供を産んでもらって……」
 エディに言ったら、明るく微笑まれた。
「いいんです。ジュンと先に会ったのは、ジェイクですから。あなたが守ってくれたから、ぼくと会うまで、ジュンは無事でいられたんです」
 そう思ってくれるか。
「それに、ジュンの娘ですから、ハルカはぼくにとっても宝物です」
「ああ」
 この子には、父親が二人いる。次に生まれる子にとっても、父親は二人だ。変則的ではあるが、こういう家族の形があってもいいだろう。
 それからビールを飲み、差し入れの料理を食べた。ようやく安心して、ものが食べられる。
「あの子、どっちに似てた?」
「まだ、わかりませんよ。でも、娘は父親に似るって言いますね」
 わずかな髪は茶色だった。目も茶色だった。しかし、これからどう変化するか。
「美人だといいが、美人すぎるのも困るな」
「ほどほどが一番ですね」
「ジュンみたいな、きつい娘になったらどうしよう」
「逆に、おとなしい娘になるような気もします。子供って、親を反面教師にすることがあるでしょう」
 などという、他愛ない話をするのもいい。
 俺の父親は、俺がまだ子供のうち、要人の暗殺に失敗して当局に追われ、辺境のどこかに消えた。おそらくもう、生きてはいまい。
 自分さえ大金を手にすれば、残される妻や息子のことなど、どうでもよかったのか。それとも、妻と息子を手元に呼び寄せるつもりだったのか。いずれにしても、暗殺などで賞金をせしめようとしたこと自体、腐っている。
 俺は、そういう卑怯者になりたくなかった。だから、エリートコースを目指して努力した。
 結局はこうして辺境に来ることになったが、冒険に惹かれて軍を辞めてしまったあたり、本当は父親に似たのかも……
「なあ、ジュンはママでいいだろうが、俺たちのことは何と呼ばせるんだ?」
「ジェイク・パパとエディ・パパでしょうか」
「そんな面倒な呼び方、してくれるか?」
「区別をつける必要がある時だけ、その呼び方をしてくれれば」
「あるいは俺がパパで、おまえがダディとか?」
 そんなことを話しているうちに、日が暮れた。ジュンはまだ寝ている。大変な消耗だったのだろう。
 仕事に出ていたルークやエイジが戻ってきて、赤ん坊の顔を見に行き、はしゃいで食堂に集まってくる。ユージンも仕事の途中で、そっと覗いてきたそうだ。
 ジュン抜きの夕食は、みんなで乾杯して気持ちよく酔った。人生最高の夜。きっと後から、そう思い出すのだろう。
 生きていて、よかった。
 生まれてきて、よかった。
 この先、どんな変転が待ち受けていようとも。

 ジュンの健康に関しては、メリッサが断固として防壁になっている。
「ジュンさまの回復が先です。それには、睡眠が必要なのです」
 それはいいが、ハルカは合成ミルクを受け付けてくれないのだ。ちょっと味見をしては、ぷいと口を外す。なぜだ。味も栄養も完璧なはずなのに。
 しかし、母乳なら飲む。ジュンが胸に抱いて乳首を含ませると、夢中のさまで吸い付くのだ。やはり、母乳が一番らしい。
 しかし、ジュンはぶっ通しで眠りたいらしい。授乳が済むと、俺にハルカを預け、こてんと眠りに落ちる。
 俺とエディは、交替でハルカの世話をした。それに親父さんとバシムも加わって、四交替制になる。自分の担当時間外でも、可能な限りは付いているから、手厚い体制だ。
 ハルカは誰に抱っこされても泣かないので、それは助かる。といっても、寝たと思ってベッドに下ろすと、ぐずったりするので、また抱き上げることになるのだが。
 それでも、一番大変なのはジュンだった。八時間通して眠れればいいのだが、ハルカが三時間おきに母乳を欲しがるから、細切れで起こされることになる。
「ああもう、おまえが合成ミルクを飲んでくれりゃ、ジュンは眠れるんだよ」
 と俺はぼやいてしまうが、
「いいよ、平気」
 ジュンはけなげに起きては、授乳する。それだけは、自分の大事な義務だと思っているらしい。だが、それが終わると、またすとんと眠ってしまう。
 つくづく、妊娠、出産というのは大事業なのだ。俺たちは交替すれば休めるが、ジュンは夜中でも明け方でも、ハルカの都合で起こされるのだから。
「次はやはり、早い段階で人工子宮にした方が」
 とエディが言うくらいである。
「いいんだよ。どうせ、飲ませないと胸が張って痛いし」
 とジュンは言う。
 俺はどうしても、まじまじと授乳の姿を眺めてしまう。実に不思議だ。前は小さかったジュンの胸が大きく張って、そこからミルクがほとばしる。ハルカが吸いついて、懸命に『んくんく』やる。
 何という生命力だ。こんなに小さいくせに、自分に必要なものが、ちゃんとわかっている。
「あの、なあ」
 ついに俺は、二人きりの時、ジュンに頼んでみた。ちょっとだけ。ほんのちょっとでいいから。
 ジュンは軽く笑って、
「多分、そうくると思ってた」
 と服の前を開き、俺にも母乳の味見をさせてくれた。ううむ。感動は感動だが、それほど美味とは思えない。
「大人は別に、お乳を必要としていないからでしょ」
 とジュンはあっさり言う。
「あんたに欲しがられても困るよ。ハルカのものなんだから」
 俺に必要なものは、ジュン本人だ。
 妊娠がわかってからというもの、大事に大事に奉って、一度も不埒な真似をしていない。あとどれだけ待ったら、解禁になるのだろう。
 もちろん、優先権はエディにある。しかし、次の妊娠には、最低でも一年の間を空けなくては。
「なあ、次は、最初から人工子宮にしたらどうなんだ?」
 俺が恐る恐る提案したら、ジュンは明確に言う。
「ううん、産み月までは、あたしのお腹で育てるよ。でないと不公平だもの。でも、その次からは人工子宮にするかもね」
 どうやら本気で、四人作るつもりらしい。
「そんな、無理しなくていいんだぞ」
「無理はしないよ。あたしが欲しいの。きょうだいが多ければ、お互いに助け合えるしね」
 確かに肉体的には大変だが、妊娠期間は幸せだったという。
「ほら、人間て、この世に生まれてしまったら、ずっと一人でしょう。でも、妊娠中だけは一人じゃないんだ。朝も昼も夜も、一人になることがないんだよ。命がつながっているというか……あたしの思うことに、胎動を通して反応がある感じ。それが、すごく不思議でね」
 と深遠な微笑みで言う。まるで、宇宙の神秘とつながったかのように。
「まあ、おまえがそうしたいなら、それでいいが」
「ありがと。あたし、すごく恵まれてる。こんな恵まれてる母親、いないよ。父親が二人に、お祖父ちゃんも二人、傍にいるんだもの」
 なるほど、ハルカにとっては、バシムも祖父のようなものだな。
「とにかく、責任を一つ果たせて、よかった」
 ジュンが言う責任とは、俺に対する負債(!!)のことらしい。
「俺は好きでここにいるんだから、借りなんて思うな。ルークとエイジには借りがあるが、それは俺が返すから、おまえは心配しなくていい」
「うん」
 ジュンは微笑み、とろんとした顔で言う。
「また眠くなってきた。寝てもいい?」
 俺はジュンを抱き上げ、ベッドに運んだ。体重は妊娠前より、いくらか増えたままだ。もはや少女ではなく、若い母親になっている。
「お休み。ハルカはちゃんと見てるから、大丈夫だ」
「うん、おやすみ」
 親父さんもバシムも、自分の当直時には、楽しくてたまらない顔でハルカを抱いている。
 幸せな娘だ。ずっとこのまま、幸せであって欲しい。そのためには、俺たちが世の中をいい方に変えていかないと。

18 エディ

 子供にとって、大家族で暮らすのはいいことだ。長女の遥、長男の勇気、次男の真人、次女の愛。
 本当は、末っ子にはリナ・クレール艦長の名前をもらいたいとも思ったのだが、バシムに忠告されて、考え直した。あまり思い入れの強い名前は、つけるべきではないと。
 そもそもジュンが、いまだにそのことを気にしているというのだ。自分はリナ・クレール・ローゼンバッハ艦長の身代わりではないのかと。まさか、まさかだ。ぼくにとっては、遠い思い出の人になっている。
 ただ、ジュンが気にするのなら、そこにこだわるつもりはない。多くの人や物事を愛し、多くの人から愛される名前でいいではないか。
 子供が多いのは、大変ではあるが、助かることも多い。四人のうち誰かが泣いても、誰かが笑う。誰かが怒っても、誰かがなだめる。
 密かに心配したように、ぼくの体内に根付いているアイリスの細胞が、子供たちに影響を与えることはなかったようだ。ぼく自身は、わずかではあるが、体力が向上している。年齢からいって、これには特殊細胞の影響が出ているのかもしれない。
 ただ、検査は続けているので、心配な変化があれば、対策は立てられるだろう。その時は、メリュジーヌが相談に乗ってくれる。
 あっという間に、ぼくらは怒濤のような子育て生活に突入していた。
 毎朝、誰かが彼らを車で『子育て村』まで送る。幼稚園と学校が、そこにあるからだ。子供たちの人数は、毎年、増え続けているから、遊び相手はたくさんいる。喧嘩相手も。
 子どもたちはそこで遊び、当番の母親たちが用意する素晴らしい昼食を食べ、昼寝をしたり、工作したり、楽器を鳴らしたり、勉強したり。
 夕方になると、また四人を積んで、自宅のあるセンタービルに戻ってくる。ジュンも仕事を終えて、第一秘書のメリッサ、第二秘書のセリアと共に戻ってくる。
 ぼくは現在、第三秘書だ。子育ての責任を負っていると、それが限度なのである。
 それから長いテーブルで、報告会も兼ねた夕食を摂る。
 ぼくとジェイクのどちらかが、日替わりで子供たちの付き添いをしていた。子供たちが幼稚園でお遊戯していたり、学校で授業を受けたりしている隙に、書類仕事や連絡業務をこなす。
 一応、乳母も家庭教師も頼んでいるのだが、四人もいると大抵、誰かが何かやらかすので、応援が必要になる。
 友達と玩具の取り合いをしたり、遊具から落ちたり、腹痛を起こしたり、吐いたり、熱を出したり、すねてどこかに隠れたり。上の子が下の子を叩くこともあるし、下の子が上の子に噛みつくこともある。
 四人がそれぞれベッドで眠るまでは、こちらも常に走り回っているような状態だ。
「まあ、もう数年すれば、手もかからなくなるさ」
 とジェイクは言うが、そんな遠い未来、今は想像がつかない。彼らが成人するまでには、疾風怒濤の思春期を通過しなければならないだろうし。今はまだ、
「パパーっ」
 と呼ばれたら、他のことを投げ捨て、飛んでいく毎日だ。
 子供たちは、父親が二人いるのは当たり前だと思っている。呼べば、近くにいる方のパパが飛んでくる。
 家にいる間、喧嘩の仲裁も、かすり傷の手当も、おやつを出すのも、風呂の世話も、大抵はパパだ。
 ママは忙しいから、パパが二人いてちょうどいい、らしい。
 他の家にはママしかいないことが多いので(辺境の女性は、自分一人で子供を産むことが多い。父親は単なる精子提供者か、もしくは人工精子だ)、四人きょうだいで、
「うちは、パパがいてよかったあ」
 と笑い合っている。
 いずれは、この四人のうちの誰かが、《アグライア》の都市経営を支えてくれるだろう。
 他所へ武者修行に行く者も、いるかもしれない。市民社会を体験してみたい、と言うかもしれない。彼らの自由だ。こちらはただ、幸福を願って送り出すだけ。
 嵐のような時間が過ぎて、ふと気がつくと、ジュンと二人で静かな寝室にいたりする。ジュンは、
「お疲れさま」
 とねぎらってくれ、ぼくにハーブティや、薄い水割りを持ってきてくれる。
「真人のたんこぶ、だいぶ引っ込んだよ」
 とぼくが報告すると、軽く答える。
「心配してないよ。子供は怪我をして学ぶものでしょ。痛い目に遭ったら、次は用心する」
 ジュンはぼくに寄り添ってソファに座り、甘えてくる。
「ねえ、背中マッサージして?」
 ぼくらはとても仲良くするが、次の子供を作る予定はない。まあ、何百年が生きるとしたら、どこかで気が変わるかもしれないが。
 ユージンは自分の組織に戻ったが、メリュジーヌの指令を受けて、代理人として飛び回る仕事もあるらしい。たまにぼくたちから通話して、意見を求めることもある。彼から、他組織の動向を教わることも多い。
 ルークとエイジは、数年前、中央に帰っていった。今は船乗りを辞め、それぞれ家庭を持って、自分たちの子供を育てている。たまに通話して、近況を伝え合う。
 親父さんとバシムも中央に戻り、ドナ・カイテルや新しいクルーと共に、輸送船稼業を続けていた。
 刑期を終え、自由の身になったドナは、すっかり有能な副長になっている。親父さんは尻に敷かれているようだが、それが嬉しいらしいのは、通話の様子でよくわかる。
 チェリーは何回か、ナイジェルをお供にして《アグライア》に遊びに来た。魅力的な女性になって、研究者の道を歩んでいる。ナイジェルは独身のままだから、まだ一人の女性に縛られる気はないのだろう。
 故郷の両親や姉夫婦とは、時々通話をして、子供たちの成長ぶりを報告していた。頑固な父も孫には弱く、通話を断ることはなくなった。まだ現役の軍人なので、辺境まで遊びに来ることはできないが。同僚たちには、孫自慢をしているらしい。
 ジュンもまた、親父さんの実家の人々と交流している。ぼくたちに何かあった時でも、子供たちは、中央の祖父母や従兄弟たちを頼ることができるだろう。
 ティエンはたまに、時間を作ってジュンに会いに来るが、レジーナやソランジュなど、ティエンの補佐をする女たちが一緒だ。
「ジュンのことは愛しているけど、ぼくにはまず、彼女たちに対する責任があるから」
 と神妙に言う。
 いまだに負けず嫌いで、ぼくに張り合ってくるが、絶体絶命の時に自分の味方をしてくれた女たちのことを、大事にしているのがわかる。
 彼もだいぶ、ましな男になった。
 だから、ジュンが奴を弟扱いするのは、気にしないことにしている。
「どうして弟なんだよ。きみとは三か月しか違わないのに」
 とティエンが文句を言うのが、すっかりお決まりになった。いいんだよ、永遠に弟でいれば。
 アレンのところは、カティさんにもアンヌ・マリーにも、それぞれ子供が二人いる。冷凍睡眠から目覚めさせた時、アンヌ・マリーはしばらく荒れ狂ったが、
『カティと子供たちを傷つけたら、きみをもう一度眠らせる』
 とアレンが断固として言ったそうだ。
 アレンの背後にジュンが付いていたことで、実利的なアンヌ・マリーは降参した。そして、自分もアレンの子供を産むと宣言して、すぐに妊娠したのである。

「来月になったら、《アヴァロン》に行くつもりなの。あなたかジェイク、どちらか一緒に来てほしいんだけど」
 広いベッドで寄り添って横になりながら、ジュンが言う。
「明日、彼と相談するよ。何か問題?」
「緊急の用件じゃないんだけど。一度、ハニーさんとあれこれ、ゆっくり話そうと思って」
「そうか」
「もう、辺境で集められる女性はかなり、うちか《ヴィーナス・タウン》に集めてしまったから。他の組織から、だいぶ恨みを買っているでしょ。市民社会から新たな人材を呼び込むのに、何かいい手はないかと思って」

イラスト

 女性を構成員として確保している組織は、ちゃんとある。だが、それは、それなりの見識を備えた組織だけだ。
 女性に配慮する組織でなければ、女性から選ばれない。
 だが、まだそれがわかっていない連中がいる。わかりたくないのだろう。バイオロイドを使い捨てにする組織も、減りつつはあるが、まだなくなってはいない。ジュンを目の敵にする者も、少なくはない。
 旧来のやり方から抜けられない連中は、新しいやり方を広めるぼくたちを、快く思っていないのだ。これからもまだ、様々な抵抗や妨害があるだろう。
 だが、それは、滅びゆく者のあがきに過ぎないのではないか。
「連邦議会に働きかける方が、まだうまくいってないんだ。古い議員が多くてね。軍と司法局の方が、まだしも現実を見てくれる」
 ジュンは辺境にいながらにして、市民社会に影響を与えられるようになっていた。ジュンの行動や発言は、かなりの頻度で正規のニュースになる。子供たちや若者たちは、それを見て育つ。彼らが社会の中核になれば、変化は加速するだろう。
 だが、法の壁は高く堅い。市民が自由に辺境に出られるようには、なっていない。
 チェリーたちのように特別な許可を得た者か、二度と戻らない覚悟を持つ者しか、辺境に出られないのだ。
 まあ、取材だの研究だのという名目で許可をもらえる者は、だいぶ増えてはきたが。
「旅行はいいことだね。往復の時間、のんびりできる」
「うん。そしたら、エディの手料理も食べられるだろうし」
 ここ何年も、ぼくがまともに料理できるのは、子供たちの誕生日とか、何かの行事の時くらいだ。大抵は、プロのシェフに任せきりになっている。
 ぼくらが辺境で暮らし始めて、もう八年近い。
 《アグライア》は百万都市になり、経済力もついた。既に、辺境の一級都市だ。
 知己はあちこちに増え、《ヴィーナス・タウン》の他支部の幹部たちとも友誼を深めた。子供を産み育てるため、《アグライア》に移住してくるメンバーもいる。
 《ヴィーナス・タウン》のトップに立つハニーさんは、ジュンの盟友だ。ハニーさんを仲介として、伝統ある違法都市《ティルス》とも、友好関係を樹立した。この都市も、女性の総帥がトップに立っている。この三人を中核として、辺境は大きく変わっていくだろう。

イラスト

 この潮流は、もはや最高幹部会が方針を変えて妨害しようとしても、止められないのではないだろうか。
 連合≠ヘ依然として巨大だが、もはや、それほどの恐怖をもたらすことはなくなっている。ジュンのもたらした変革は、連合≠ノも利益を与えているからだ。
  「ハニーさんがね、何か、あたしを驚かせる話を持っているらしいんだけど。じかに会ってから話すって言って、教えてくれないの」
「何だろうね。何か厄介なこと?」
「ううん、あたしが喜ぶこと、らしいんだけど」
「じゃあ、楽しみに待てばいい」
「何だろう。新発明とか、新発見かな」
「新しい同盟者かもしれないよ」
「でも、それならじかに、こっちに連絡してくるんじゃない?」
「仲介者を通す方が、重みがあると思うのかも」
 辺境の違法組織と市民社会との融和は、まだ先が長いとしても、門は開いた。自分たちが文明の転換点にさしかかっているという、確かな実感がある。
    自分がこうも辺境に馴染むとは思っていなかったが、今はもう、市民社会に帰りたいと強く思うことはない。
 ここが家なのだ。ジュンとジェイクと、子供たちのいる所が。

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