惑星映画
新しい映画の配役が、発表になった。
わたしは……ヒロインの姉の役だ。
事務所に所属する俳優たちや、事務員たち、報道のために集まっていた記者たちから、どよめきが上がる。
皆の目は、わたしに集まっている。
脚本そのものはまだ公開されていないけれど、おおまかなストーリーは分かっているからだ。
わたしがこの役を辞退するなら、新たな配役編成のために、公表は何日か延期されることになる。
「辞退なさいますか、有栖川さん」
記者の一人が代表で、わたしに尋ねた。期待と不安のこもった声で。
辞退なんて……まさか。
とうとう、この日が来たのだ。女優として完成され、歴史に名を残す時が。
「喜んで、お引き受けいたします」
一瞬、皆が声を呑み、ややあって深い吐息が続いた。フラッシュが焚かれ、その場で撮影会が始まる。質問も飛んだ。花束も贈呈された。
ヒロイン役の女優よりも、わたしが中心だった。
それで当たり前。
わたしの演技こそが、この映画の価値を決めるのだから。
「ありがとう、有栖川くん、ありがとう」
事務所の所長も、監督もプロデューサーも、涙ながらにわたしと握手した。
「いい映画にするよ、絶対に」
分かっている。そうなるはずだ。わたしは最後まで、完璧に演じきるつもりだもの。
これが、女優としての頂点。
まだ美しさと華やかさが残っている今だからこそ、この役が巡ってきたのだ。
撮影が始まってからも、わたしの扱いは別格だった。
お弁当も差し入れも、一番良いものが提供される。休憩の時も、暑い時は涼しい場所に、寒い時は暖かい場所に椅子が用意された。スタッフも共演者も、敬意を込めてわたしに接してくれる。
衣装は有名デザイナーが用意してくれ、宝石もバッグも最高級品が揃えられていた。森の奥の別荘も、都会のレストランも、わたしの美しさ、高貴さを引き立ててくれる。
名家の令嬢。だけど、愛には恵まれない。努力しているのに、幸せは指をすり抜ける。
撮影の中盤、
「有栖川さん、すみません」
共演の男優が、改めてわたしに挨拶に来た。泣き腫らしたような、赤い目で。
「俺、本当に本気でやります……いいんですよね、それで」
今更、言われるまでもない。わたしは微笑んだ。
「いいのよ、それで」
この映画のメイキング映像も、歴史に残る。わたしは伝説の女優の列に加わるのだ。最後まで、完璧に優雅で美しくありたい。
とうとう、撮影は、最後の場面を残すのみとなった。
留学する妹を、空港で見送る姉。
決して仲の良い姉妹ではなかったけれど、姉としてのけじめは、きっちりつける性格だから。
わたしのドレスは白。輝く純白ではなく、クリームがかった優しい色。襟元には薄緑のスカーフ。わたしの最後の衣装。誇り高く美しい姉の、最後の衣装。
「今日子ちゃん、元気でね」
「ありがとう。姉さんも」
そこへ、雑踏に紛れて、ナイフを隠した男が忍び寄る。妹にふられて、逆恨みしている男。
ナイフを構えて突進してくる男を見て、わたしはとっさに、妹をかばう。母に溺愛されていた妹を、憎んでいるはずだったのに。
男優は、全力で突いてきた。
体の真正面に、重い衝撃。
覚悟してはいたけれど、息ができない。
足元に、大量の血がこぼれるのが分かる。
暗くなる視界の中で、愕然とし、半泣きになった男優の顔が遠ざかる。わたしを刺した衝撃で、正気に戻った演技。いいのよ、それで。観客には、彼が更正することが分かる。
気がついたら、仰向けに倒れ、妹役がとりすがっていた。
「しっかりして、姉さん、すぐ救急車が来るからっ!!」
救急車どころか、医師団がすぐそこで待機して緊急手術の準備をしているけれど、間に合わないのは分かった。ナイフは太い動脈を切断している。完璧な殺意の演技。
妹役は、半狂乱で謝り続ける。ママの愛情を独り占めして、ごめんなさい。あんな男と付き合ったりして、ごめんなさい。
今だけは、わたしがこの子に勝っている。天下のアイドル女優に。
「いい、のよ。元気で、しあわせに、ね。姉さん、遠くで、見てる、から」
言えた。
最後の台詞が言えた。
嬉しくて、涙が溢れる。
母に愛され、全てに恵まれている妹がうらやましくて、妬ましくて、冷たくしていたけれど、本当はどこかで愛しいと思っていたの。
俳優が命をかけた演技を見せてこそ、観客は映画を愛してくれる。この映画は名作の列に並び、長く愛されるだろう。
何年も下積みを続けて、とうとう、ここまで来た。
わたしは、永遠の存在になる。