ブルー・ギャラクシー サマラ編

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サマラ編 1章 シレール

 

「わたしの昔の男? そんなこと、本当に知りたいの?」
 半分面倒がり、半分面白がる顔で尋ねられた時、ぼくは恥ずかしさに赤くなり、返答をためらった。
「え、いや、その……」
 迷った挙げ句、正直が一番と決心して言う。
「本当は、あまり知りたくない」
 どんな男と抱き合ったのか。どんな風に笑い合ったのかなんて。
「でも、全く知らずにいるのも、嫌なんだ」
 サマラがぼくを見ていない時、一人で何かを考えている時……ぼくは不安になる。そのうち、ぼくのことなんか飽きてしまって、ふいと出掛けてそれっきり、なんてことにならないか。
「つまり、その、それもまた、きみの人生の一部だから……ぼくとしては、未来を共有するだけでなく、できれば過去も少しは理解しておきたいと……」
 広いベッドに横たわった半裸の美女は、くすくす笑って枕に肘をついている。
「若いくせに、妙に深刻なのよね、あなたって」
 こういう関係になったというのに、まだ子供扱いされている気がする。
「そう若くもないよ。中央なら、立派な中年だ」
「でも、わたしたちは、永遠の若さのために、市民社会を捨てたのよ」
「地球を捨てたのは第一世代であって、ぼくたちじゃない」
「そう、わたしたちは、第一世代のおかげで、強化体として生まれることができたの。感謝しないとね」
 彼女は起き上がり、ベッドの端に座ったぼくの頭を抱き寄せた。
「そんな連中のことなんか、無理に知らなくていいのよ」
 もっと若かった頃のサマラを愛し、愛された男たち。
「どうせみんな、とっくの昔に死んでるんだから。共有する記憶なら、これからいくらでも作れるわ」
 ぼくの額にキスすると、彼女は切れのよい動作で床に降り立った。
「さあ、もう行かないと!!」
 さっとシャワーを浴びてくると、クローゼットから服を選び、たちまち身じまいを整える。
 機能重視の短い栗色の髪に、金茶の瞳。すらりと伸びた肢体を、軍人のような戦闘服に包む。飾りは、宝石のイヤリングと金の指輪だけ。
「資源星系を巡回してくるから、しばらくかかるわ。他組織の艦隊がうろついている情報があるの。それがまだ、どこの組織のものかわからない。こちらが睨みを効かせていないとね」
 一族は幾つもの資源星系を確保しているが、それは常に武力で守らなければならないものだ。普段は無人艦隊に警備を任せてあるが、それだけでは、いざという時に臨機応変の対応ができない。
 時には人間が現場に行き、無人艦隊とは異なる動きをしてみせるべきなのだ。それを見れば、他組織の艦隊も対応を変える。
「サマラ、やっぱりぼくもいくよ。こっちの仕事は遠隔でも間に合うから……」
 ぼくはシャツを羽織りながら、ドアに向かう年上の恋人の後に続こうとする。振り向いた美女が、ぴしゃりと宣言した。
「シレール、あなたは、あなたの持ち場を守るのよ。お互い、できることで一族に貢献しないとね」
 正論を持ち出されると、抗議もできない。ぼくの顔を見て、栗毛の美女は軽く微笑んだ。
 どこか寂しい色、苦い気配の混じる微笑み。
 昔の男たちのことは、まだ忘れていないのではないか。何かあるごとに、胸の中に浮き上がるのではないか。あいつがいれば、頼りになったのに、と。
 しかし、今現在、ぼくが唯一の男であることも確かだ。これから先、共に長く生きることができれば、過去の男は全て、遠い思い出になるかもしれない。
「あなたの誕生日までには戻るわ。お利口さんにしてるのよ。ケーキを焼いて、蝋燭立ててあげますからね」
 ほら、そうやってぼくを年下∴オいする。千年経てば、ぼくらの年齢差など、誤差の範囲になるはずなのに。

 サマラの指揮する戦闘艦隊は、目立たぬよう分散しながらも、違法都市《インダル》の港湾区域から離脱していった。
 都市の管制宙域を出てしまえば、何が起きてもおかしくない無法の世界だ。何万という組織の艦隊が行き交い、互いに威嚇し、牽制する。
 留守番に残されたぼくは、心を侵食する不安を振り払うようにして、都市管理の仕事に取り組んだ。一族の若手として、年配者たちから様々な業務を譲り渡されている。
 小惑星工場の管理。
 気密桟橋の増設計画。
 緑地及び繁華街の巡回強化。
 管理システムが日々蓄えていく、膨大な情報の整理、分析。
 伸びてきている組織はどれか、分裂しそうな組織はどれか。その隙をついて、乗っ取ることはできそうか。
 それでもふと、どうしようもない不安がきざす。自分一人の時なら、何をしていても、自分一人の心配だけでよかったものを……
 サマラは無事か。
 無理などしていないか。
 もしも助けを求める通信が来たとしても、既に何百光年の彼方だ。駆けつけるには時間がかかる。
 できることなら、比較的安全な、一族の勢力圏内だけにいてほしかった。だが、責任感の強いサマラが、自ら進んで、危険を伴う外回りの仕事を引き受けているのも知っている。
 自分が彼女の全てを包めるほどの男でないことを、自分で歯痒く思い、それをまた、傲慢だと考え直したりした。
 彼女の方が、ずっと長く生きているのだ。恋も仕事も経験を積み、たくさんの傷を受け、それを風化させて一人立っている。
 自分はおそらく、あと何十年も経たなければ、本当には対等な伴侶になれないだろう……

「シレール」
 ある朝、不意に、一族の年配者の一人が、センタービルにあるぼくのオフィスに飛び込んできた。通話映像での訪問ではなく、じかの接触というだけで、受ける不吉さは倍増する。
「サマラの船が消息を絶った。こちらの資源星系から少し離れたあたりだ。非常通信を最後に、連絡が取れなくなった。護衛艦隊も全滅のようだ。いま、捜索の船団を向かわせるところだが……」
 まさかと思いながらも、ついにその時が来たのかという、重い徒労感があった。
 一族の第一世代は、たった一人を残して、既に死に絶えている。宇宙空間での事故、他組織との抗争、不老処置の失敗。
 それに続く第二世代も、第三世代も、何人もの死者や離脱者を出している。辺境星域は、さまざまな違法組織の食らいあう激戦区であるからだ。
 サマラは第三世代の貴重な闘士だったが、だからこそ、危険な役回りを積極的に引き受けてきた……いつか、自分を超える敵に出会うまで、という覚悟を持って。

 ぼくは思ったより落ち着いたまま、捜索の船団に加わった。
 もう、何も急ぐことはないのだ。
 船そのものが大破したなら、乗っていた者はまず助からない。小型艇で脱出したとしても、敵に破壊されたか、拿捕されたかだろう。
 生きて捕まれば、洗脳されるか、売り飛ばされるか。人体実験の材料ということもある。
 無駄な望みは持たない方がいい。一族の年配者たちにも、そう言われた。奇跡を期待して、自分の日々を無駄に費やすなと。
 冷たい宇宙空間に、やがて、探していた艦隊の残骸がみつかった。
 溶けて変形した船体の破片。小惑星に刺さった金属の断片。アンドロイド兵士の一部分。どこの組織だったのか、圧倒的な戦力差だったのだろう。
 もちろん、サマラの遺体はなかった。たぶん、爆発で蒸発し、原子に還って飛び散ったのだ。
 同行した第二世代の伯父は、あきらめの吐息をつき、ぼくの肩に手を置いた。
「シレール、艦隊の増強を考えねばならん。これまでの戦力では、もはや足りなかったのだ。他組織は、どんどん力をつけている」
 その後の慰め事も、全て右から左に抜けた。何もかも、どうでもよかった。自分がサマラに同行しなかったことを、一生悔やみ続けるだろう。
 ぼくは臆病で、用心深い。だから、ぼくが一緒にいたら、もっと安全な航路を選ぼうとか、応援を呼んでから動こうとか、生存につながる提案をしていたかもしれないのだ。
 なぜ、笑われても、叱られても、同行しなかったのか。
 甘ったれの坊やだと、馬鹿にされたくなかったからか。
 どう言われても、しがみつけばよかったではないか。サマラ以上に大切なものなど、ぼくにはなかったのだから。
 しかし、もしかしたら、サマラは過去の男たちに呼ばれたのかもしれない、という気もしている。
 ぼくが見ていないと思っている時、彼女はどこか遠くを見ていた。心がぼくに戻るまで、しばらく待たねばならないことも、よくあった。
 ぼくの元に戻ろうとする気持ちよりも、彼らの元へ行きたい気持ちが、まだ強かったのではないだろうか。
 あと十年、一緒にいられたら、きっと、ぼくの方が大きな存在になっていたろうに。

   2章 サマラ

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 一族の者たちは、わたしの死を納得したという。
「ありがとうございます、麗香れいか姉さま」
 これで出発できる。紅泉こうせん探春たんしゅんがいれば、一族の将来は心配ない。いや、一族がどうなろうとも、それはもう、わたしには関係のないことだ。
 長い年月、辺境で戦い続けて、わたしは一つの結論に到達した。
 人類の不幸は、男がもたらす。
 わたしの一族の男たちですら、バイオロイドの女たちや、男兵士たちが使い捨てられる現状を、
『仕方ない』
 と認めているのだ。
 地位、権力、新しい女。男たちの愚劣な欲望が、果てしない争いの源。
 もちろん、男には男なりの可愛さ、純情さがあるが、だからといって、愚かさが免責されるわけではない。男が男である限り、凄惨な争いはなくならないだろう。
 わたしは遠い銀河を目指し、そこで女だけの文明を築き上げる。それしか、理想郷に到達する方法はない。
 バイオロイドの胚が数十万あれば、一つの社会を築くのに十分だ。長い旅のうちに、まず、わたしが数十人の娘たちを育てる。その娘たちがやがて、次の世代を育てる。
 彼女たちは男を知らず、男を必要としない。
 女だけで協力し、社会を築く。
 船団には、植物の種子や株はもちろん、動物の胚も積み込んだ。どこかで定住することがあれば、地球型の生態系を築く。ずっと船で暮らすとしても、庭園や小農場は楽しめる。
 動物たちの繁殖は、クローン培養か胚合成で行うつもりだ。雄と雌がつがう姿を、娘たちに見せることはない。不自然かもしれないが……人類そのものが、とうに自然から離れているのだ。
 いったんは近隣の銀河に留まり、新たに大規模船団を建造するが、最終的には、もっと遠方の銀河を目指す。二度と、この銀河の旧人類と関わらなくて済むように。
 シレールが自殺したりしないか、それだけがわずかな心残りだが、それは、姉さまが見張ってくれるという。
「あの子はまだ若いから、次の恋ができますよ」
 たぶん、そうなる。
 それでいい。
 シレールを残していくわたしだから、誰にも疑われずに済む。この世界に愛想を尽かし、自分の意志で出ていくなんて。それを隠すことが、育ててもらった一族への、せめてもの礼儀。
 移民船団を用意することに協力してくれた麗香姉さまだけが、わたしを見送ってくれた。
「あなたなら、きっとやれるわ、サマラ」
「ありがとうございます。姉さまも、どうかお元気で」
 この人もかつて、仲間と共に地球文明圏を捨てたのだ。そして、辺境の宇宙に居場所を築いた。子孫であるわたしは、その辺境から旅立つ。
 もちろん、銀河系外への移民は、わたしが初めてではない。既に一族の中からも、他の銀河を目指す移民団が出発していた。
 しかし、彼らは大勢の仲間を集め、男女混成で旅立ったのだ。
 いかに善意の人々であっても、きっと先で意見の対立があり、争いが起こる。それが、殺し合いに発展するかもしれない。
 だからわたしは、わたしだけが絶対の指導者である体制を築くつもりだ。娘たちも、その娘たちも、わたしの判断に従えばよい。
 それで失敗するなら、仕方がない。多くの試みのうちの、一つが潰えた、というだけのこと。
 他の誰かは、きっと成功する。そこからまた、枝分かれを起こす。
 人類はこうやって、永遠に拡散と進化を繰り返すのだろう。

   3章 紅泉

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紅泉こうせん、シレールの様子を見てきてちょうだい。いくら連絡をしても、管理システムに受け答えさせるだけで、本人は屋敷に閉じこもりきりなのよ。ヒルダやオラフたちが会おうとしても、断るというの」
 違法都市《ティルス》の屋敷内で、ヴェーラお祖母さまからそう言われた時、あたしはまず眉をひそめた。
 たまの帰郷だというのに、暗い話だ。
「まだめそめそしてるんですか、あの男は。サマラおばさまが亡くなって、もう一年近くも経つでしょうが」
 何という情けない男だ、と腹立たしい。
 互いに、貴重な一族の若手ではないか。
 あたしや探春たんしゅんよりは二十歳ばかり年長であるが、同じ第四世代。不老の肉体を持つ一族のうちでは、ほぼ同世代といってよい。
 腰の重くなった年寄りたち(外見は若くても、精神は保守化するものだ)を、力ずくで引っ張っていくぐらいの気概がなくてどうする。
 現在の版図や繁栄に甘んじているだけでは、一族はあっという間に競争力を失い、他の貪欲な違法組織に滅ぼされてしまう。
 だが、探春が横から言った。
「無理もないわ。誰だって、恋人を失えば、そう簡単には立ち直れないわ……」
 心からの同情と心配のこもった、優しい声音である。
 しかし、あたしにはよくわからない。恋人などいないし、恋愛らしい恋愛をしたこともないからである。
 これまでの人生を振り返っても、本当に打ちのめされたことも、絶望したこともない。大抵の困難は、気迫と体力で乗り切ってきた。
 両親が探春の両親と共に、移民団を率いて銀河系外に去った時でさえ、その空白にじきに慣れてしまった。そもそも、遺伝子素材提供元という意味での親に過ぎなかったし、元から仕事で留守がちの人たちだったから、元気でいてくれればいい、と思うだけ。
 あたしたちの育ての親というなら、ヘンリーお祖父さまとヴェーラお祖母さま夫妻の方だろう。
 また、遺伝子設計者という意味なら、最長老である麗香姉さまが製造元である。
「行って、どやしつけてきますよ。頭から水でもぶっかけてやります」
 お祖母さまにそう言って、あたしたちは自分の艦隊を率い、《ティルス》から出航した。
 艦隊そのものは、統合管理システム《ナギ》が運行させるので、航行であっても戦闘であっても、人間の手はほとんど必要ない。
「サマラおばさまは、第三世代の貴重な闘士だった。だからこそ、残ったあたしたちがしっかりしなきゃいけないのに」
 そう言うあたしの言葉に、探春も正面から反論はしない。ただ、
「あなたには、まだ人の心の痛みは、本当にはわからないのよ」
 と悲しげに言う。
 そりゃ、そうかもしれないけど、そんなこと言われたって、どうしようもない。自分でそう決めて、恵まれた立場に生まれたわけではないのだ。
「あなたは常に、自分を宇宙の中心に据えている人ですものね」
 と微笑まれてしまった。
 自分の力だけを信じて、どこまでも歩いていけるだろうと言うのだ。
「それじゃ、まるで能天気な鈍感人間じゃないの」
 とあたしは抗議したが、探春の顔は、
(まさにその通り)
 と答えている。
「だけどねえ、探春だって、恵まれてる立場はおんなじじゃないの」
「そうね……わたしには、あなたがいるから。世界で一番、恵まれているわね」
 花開くようににっこりされると、ぐうの音も出ない。
「いやあ、どうも」
 と頭をかくことになる。
「でも、だからこそ。もしもあなたを失ったら、わたしもきっと立ち直れないわ」
 親友に、悲しい微笑みでそう言われてしまったら、足元に膝をついて手をとるしかない。
「あたしは死なないから、大丈夫。ずっと探春と一緒にいるからさ」
 半分は冗談だが、半分は本気だった。
 あたしは強い。生まれながらの強化体。不老処置を繰り返していけば、このまま何百年でも、たぶん何千年でも生きられる。
 まあ、どこかで何か失敗して、敵に吹き飛ばされない限りは、だが。
 失って、立ち直れないほどの打撃を受ける相手など、おそらく探春だけだろう。
「ずーっと長生きして、死ぬ時になったら一緒に死のうね。探春に恋人ができてなければの話だけど」
 すると、従姉妹はにっこりした。
「その心配は、きっとないわ」
 まったく、この男嫌いは、どうにか治してやりたいものだ。シレールとは仲がいいが、それは身内だからであって、恋愛対象にはならない。
「でも、わたしが死んでも、あなたは生きていけるわよ」
 探春が予言の口調で言った。
「しばらくは泣いてくれるでしょうけど、いずれ元気になるわ。長く落ち込んではいられない人よ。第一、司法局も一族も、あなたを必要としているんだもの」
 不吉な予言を聞いたかのようで、あたしは鳥肌が立った。そんなこと、本気で考えたことなんかない。探春が先に死んで、後に残されるなんて。
 あたしは、従姉妹の小さな手をぎゅっと握った。
「痛いわ」
 と言われるくらい。
「ごめん、でも」
 探春がそんなことを考えたというだけで、あたしは心が痛む。
「あなたを守るために、あたしがついているんでしょ。守きれなくて死なせるかもしれないけど、その時はあたしも一緒だから」
 探春はふっと笑った。
「ありがとう」
 いつか終わりの日が来るなんて、そんなことは考えたくもない。考えたって、止められるものではないのだし。
 ああ、わかっている。
 シレールには、その悪夢の時が来てしまったのだ。
 でも、だからといって、このまま衰弱して死ぬとか、隠者になるとかいうのはやめてほしい。それでは、あたしたちまで暗くなってしまうではないか。

 シレールの屋敷は、小惑星都市《インダル》の、広葉樹の森に囲まれた一角にあった。元はサマラおばさまが住んでいた簡素な屋敷で、シレールは後からここに移ってきたのだ。
 彼はヒルダとオラフ夫妻、ニナと史郎夫妻など、他の親族たちと共に、この都市の管理運営を任されていたのだが、サマラおばさまの死後は、仕事を全て放棄したきりだという。
 ひたすら屋敷にこもり、心配する親族の訪問も拒絶しているとは、情けない。ならば、あたしのことも拒絶できるかどうか、やってみるといい。
「こら、開けないとミサイルかますよっ!!」
 武装車で屋敷の玄関前まで乗りつけ、あたしは車から降りて怒鳴った。訪問は、管理システムが伝えているはずだ。シレールが面会を拒否し続ければ、本当に小型ミサイルを撃ってやる。薔薇の垣根のあたりとか、女神像のある噴水のあたりとか。
 けれど、
「それはだめよ」
 と探春が言う。ショック療法という善意からの行為でも、シレールは余計、心を閉ざしてしまうはずだと。
「じゃ、どうするの」
「まず、わたしが行きます。紅泉、あなたはここにいて」
 探春はそう言い、一人で屋敷の中庭に回った。
 あたしはおとなしく玄関先のベンチで待ったが、そっと偵察虫を飛ばすくらいはよかろう。虫が捉えた情報は、精度は低いものの、あたしの手首の端末に出る。
 庭に面したフランス窓は、何箇所も開いていた。微風がカーテンを揺らす部屋に、黒髪に黒い目の優男がいる。
「勝手に押しかけて、ごめんなさい」
 探春はそっと声をかけた。シレールは前に会った時から、だいぶ髪が伸びている。以前から、繊細な詩人といった趣の美男子だったが、それがますます、世俗離れした透明さをまとっているようだ。
「ミサイルは勘弁してほしい」
 シレールは答えたが、それも、瓦礫の片付けが面倒だから、という程度の熱意のなさだった。
「いや、もしかしたら、廃墟の中で暮らすのも、いいかもしれないな」
 と、かすかな自嘲の笑いを見せる。
「ね、シレール、わたしたち、あなたを心配しているの。いつまでも、閉じこもりきりではいけないわ。少しは外に出て、仕事をしたり、人と話したりした方が、気がまぎれるわ……」
 言いながら、探春は、慰めが無力であることを知っている顔だった。

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 それもそうだな、とあたしは思う。
 あたしがもし、探春を失ったら。残された世界は、もはや意味を持たないのではないか。それどころか、したり顔に慰める人間を憎むかもしれない。
「わかっている。わかっているよ。だが、一人でいる方が楽なんだ。そう思ってはいけないか?」
 あたしたちが心配しているのは、自殺の可能性である。でも、シレールのように生真面目な、思いつめる性格の者には、しつこい励ましも逆効果になりうる。
「一つ、知らせておきたいことがあるの。もう、どこかから聞いたかもしれないけれど。麗香お姉さまが、新しい赤ちゃんを作るんですって。いま、遺伝子デザインの最終調整にかかっているそうよ」
 一族の第二世代以下は、全て、科学者である麗香姉さまの研究室で、遺伝子操作された胚から生まれている。
 その意味で、姉さまは、一族全体の母だといえる。本人は母と呼ばれることを望まないので、みんな「大姉上」とか「姉さま」などと、好きに呼んでいるけれど。
 赤ん坊の基盤になるのはあくまでも、一族の誰かと誰かの遺伝子だが(夫婦である場合も、ない場合もある)、そこに姉さまの手が加えられた結果、誕生した子供にとって、血縁はあまり意味を持たない。
 ただ、一族全体の子供、というだけだ。だから、その時点で、養育を希望する夫婦に託される。
 シレールは、既に知っている顔だった。でも、聞かないことにしておきたかったのかもしれない。
 祝福を口にすれば、それは嘘になるからだ。どこかに呪いが混じってしまう。それなら、知らないふりをしていた方がいいと。
 一族は、滅多に人員を増やさない。不老の一族が子供を誕生させ続けていけば、やがては統制がとれなくなり、分裂や抗争、ひいては自滅の危険が高くなるからだ。
 貴重な闘士だったサマラおばさまが死んだからこそ、麗香姉さまも、新しい一員を誕生させようと考えたのだろう。その赤ん坊を、シレールは素直な目では見られないはずだ。
「何か、祝いの品を贈る。だから、もう構わないでくれ」
 シレールは探春を見ないままで言う。
「別に、自殺するつもりはない。もしかしたら、その方がいいのかもしれないが。ぼくが死ねば、もう一人赤ん坊が誕生できるからな」
 自嘲の言葉を聞いて、探春が悲しい顔になる。確かに、子育てを希望する夫婦は、一族の中に何組もいるのだ。
 でも、言っていいことと悪いことがある。
 あたしはベンチから立つと、白い花を咲かせた薔薇の茂みの横を通り過ぎ、テラスに向かった。
「まったく、鬱陶しい男だわねえ。サマラおばさまが見たら、張り倒したくなるに違いないわ。あんたがうじうじしてて、おばさまが喜ぶとでも思うの?」
 あたしには、こういう慰め方しかできない。
 もちろん、サマラはおばさまにはもう、喜びも悲しみもしない。何かを知ることも、思うこともない。
 それが死ぬということ、この世界から消え失せるということだ。あたしにはまだ、とうてい実感の持てないことだけれど。
「紅泉、きみは相変わらずだな」
 シレールは、精一杯の皮肉をこめて言う。あたしのことを、粗野な不良娘と思っているのだ。中央の政府機関におだてられ、くだらないハンター稼業に飛び歩いている、能天気女だと。
 そう思われて当然だけれど、それでも、探春に悲しい顔をさせたことが許せない。
「紅泉!!」
 探春が悲鳴のような声を上げた瞬間、シレールの体は宙を舞い、しぶきを上げて、大理石の噴水を囲む水盤の中に投げ落とされていた。
 なに、深さは十分あることを承知している。肉体は強健なのだから、このくらいの荒療治は許容範囲内であろう。
 さすがのシレールも、もがいて水中から起き上がり、咳き込みながら縁石に手をかけた。探春が室内に駆け込んだのは、タオルかガウンを持ってくるためだろう。
 現在の気候は春だから、凍えるほどではないが、それでも十分に冷たい水である。
 ――まったく、何という野蛮な女だ。
 濡れねずみの男から怨嗟の視線を向けられたけれど、あたしは傲然と腕を組んで立っていた。
「男が弱いってことは、知ってるよ。女より数倍、傷つきやすくてもろいってのはね」
 だから、正道を外れる者には、圧倒的に男が多いのだ。
「だけど、それを売り物にするのはやめてほしいわ。傷ついた顔をしていれば、みんなが寄ってたかって慰めてくれる。それに感謝するどころか、迷惑顔をするってのはどういう料簡なの!! 後追い自殺する気なら、勿体ぶってないでさっさとすれば!?」
 意外なことに、シレールはうなだれた。自分でも、一族の保護に甘えている自覚はあったのかもしれない。
「仕事は、する」
 滴を垂らして芝生の上に降り立ちながら、憂鬱そうに言った。
「任された分の責任は、果たす。それで、文句はないだろう」
 うーむ、追いつめてしまったかな。
 探春が大きなバスタオルを持ってきてシレールを包み、
「早くお風呂に」
 と奥へ連れていった。
 確かに、それ以上を要求する権利は、あたしにはない。楽しくない時に、無理に楽しい顔をしろとは言えないのだ。
 やがて、探春が戻ってきた。
「ほんとに、もう、無茶をする人ね」
「ミサイルを撃ち込むよりは、穏健だったでしょ?」
 探春は同意しない顔で、首を左右に振った。
 けれど、少しは効果があったのではないだろうか。仕事をすると言ってしまった以上、シレールは、その言葉に責任を持つだろう。

   4章 シレール

 二人の娘が車で引き上げていくのを、ぼくはバスローブ姿で二階の窓から見送った。確かに、仕事だけは再開しなくてはなるまい。
 口より手が早い紅泉に、好感を持つのは難しいが、それなりに活を入れてくれたといえる。
 死ぬなら潔く死ね、生きるならしゃっきりしろ、それは確かにもっともだ……
 後追い自殺、というのも、まるきり考えなかったわけではない。しかし、生きる意味を失った時に、あえて死ぬ意味も見つけにくいのだ。
 時間が経てば腹は減る。喉は渇く。トイレにも行きたくなる。入浴しないのも気持ちが悪い。ただ生物的な本能に従っているだけで、ずるずると時間は過ぎる……
 確かに、サマラが見ていたら、ぼくを殴りたいだろう。そして、苦笑できる自分に感心した。
 こうして少しずつ、傷は風化していくというのだろうか……

 ***

 割り振られた仕事は、するようになった。といっても、まだ皆に気を遣ってもらっているらしく、一人でできる事務作業や、遠隔で済む監督業務が多かった。
 都市の統合管理システムを通じて指示を送れば、誰かと顔を合わせなくても過ごせる。警備や保守管理の実務は、アンドロイド部隊が問題なくこなせるのだ。
 人間の部下との面談や、他組織との折衝のような、神経を使う対人業務からは外された。以前の仕事量からすれば、三分の一以下だろう。
 気怠い半隠居状態が続き、それに慣れてしまった。紅泉たちは中央星域と辺境とを行き来して、悪党狩りのハンター稼業に忙しくしている。
 あの二人は、二人でいれば幸せで、無敵なのだ。

 季節が幾つも過ぎ、木々は裸になり、曇天に小雪が舞うようになった。
 違法都市にも四季があるのは、人間が飽きやすいからだ。衣替えをしたり、季節の行事をしたりしないと、退屈すぎるのだろう。
 ぼくもまた、独りの暮らしの中で、それなりのリズムを刻んでいた。朝、起きて、午前中に仕事を片付け、午後には散歩や運動をし、夜は読書をする。
 その声に気がついたのは、歴史書をめくりながら、ぼんやりと暖炉の火に当たっていた時だった。室内が寒いわけではないが、冬は炎を見るのが好きなのだ。
 外の木枯らしの中に、猫の泣き声のような声が混じる。錯覚かと思っていると、また聞こえる。
 おかしな話だ。庭の端から先は森林なので、鹿や猪や山猫などが迷い込むことはあるが、大抵は警備システムが追い払う。山猫が、仔猫でも生み捨てたのか。
 ぼくは立って、テラスから中庭を見渡した。闇の中、テラスの端に、見慣れない籠のようなものがある。中に、何か動くものが詰まっているようだ。
 血の気が引いた。
 まさか。
 そんなはずは。
 だが、慌てて駆け寄って確かめても、やはりそれは、生きた赤ん坊だった。淡い緑の毛布に包まれて、涙で濡れた顔を赤くし、か細い泣き声を立てている。
「いったい何なんだ!!」
 ぼくは籠を持ち上げると、急いで室内に運び込んだ。暖炉の前の、一番暖かい場所にそっと置く。
 いくら布にくるんでおいても、冬の夜ではないか。こんな小さな赤ん坊を戸外に放置するなど、一族の者たちは何を考えている。
 人の気配と暖かさに安心したのか、泣き声はいったん収まった。赤ん坊は大きな目をきょろきょろさせて、新たな居場所を探るかのようだ。
 他でもない。大姉上が新しく作った赤ん坊だろう。
 噂に聞いていた通り、くるくるの赤毛に緑の目をしているし、そもそも一族の者でなければ、警備厳重なこの屋敷の敷地に入れるはずがないのだ。
 しかし、文句をつけるのは後のことで、とにかく温め、ミルクを飲ませるなり、おむつを替えるなり、世話をしなければならないだろう。
 ところが、いったん離れようとした途端、赤ん坊がぐずりだした。最初はひくひくと、しゃくりあげるようだったが、やがて、火がついたようにけたたましい声になり、新しい涙を流し、全身をつっぱらせて反り返る。
 ぼくは背中に火がついたような気分になり、慌てて手を伸ばした。
 眠いのか? 空腹なのか? それともおしめか?
 そっくり返る赤ん坊を籠から取り出すのは、時限爆弾を扱うかのように恐ろしかった。こんなに小さいくせに、むずかる勢いはすごい。下手をしたら、手の中から取り落としそうだ。
 絨毯の上で、前開きの服をそっと脱がせ、まずおしめを確かめる。
 生まれて初めて、女性の局部を明るい光の中で見たことになるのだが、何らかの感慨を覚えるゆとりはなかった。おしめは吸水性だろうから、おしっこだけなら不快感はないはずだ。やはり、大きい方か。
 これだ。ミルクしか飲んでいないだろうに、緑色のべとべとしたものが噴出している。
 とっさに浴室に走り、タオルを湯で濡らして戻ってきた。噴出が終わるのを待って、赤ん坊の尻を拭き、ありあわせの柔らかい布で下半身を包み直す。
 いや、これでは、ずるずるほどけてくる。何かで留めなくては。ピンの類は危ない気がする。たとえ、安全ピンという名前であってもだ。書斎に、粘着テープか何かなかったか?
 悩みながらあれこれ動き、ようやく赤ん坊に服を着せ直して、ほっとした。
 気がついたら、服の胸元に刺繍で文字が入っている。ダイナと読めた。これが、この子の名前なのか?
 ご機嫌は直ったようで、このまま寝てくれそうな感じもするが、今度はいずれ、空腹で泣き出すのではないか。
 厨房にはどんな食材でもあるが、さすがに赤ん坊用のミルクの用意などない。普通の牛乳で間に合うのだろうか。いや、それなら、赤ん坊用が製品として存在するはずはない。きっと、必要な成分が違うのだ。
 しかし、違法都市で、そんなものを売っているのかどうか。管理責任者の一人であるくせに、ぼくには見当がつかなかった。違法都市には成人の男女が多く、子供は、奴隷として働ける年齢のバイオロイドしかいないはず。
 通話画面に取りついて、都市の総合管理システムを呼び出した。このシステムは、一族に仕えてくれる執事のようなものだ。何か頼めば、アンドロイド兵なり人間の職員なりを通じて、用を果たしてくれる。
「赤ん坊に必要なものを、一揃い調達してくれ。売っていなければ、作らせてくれ。まずは、赤ん坊用のミルクだ。それから、衣類とおむつ」
 そして、都市の経営責任者であるヒルダ夫妻を呼び出した。とにかく、この赤ん坊のことを相談しなければ。
 だが、管理システムが無常に却下してきた。
「今後一週間は、お取り次ぎできません」
 ニナ夫妻も同様だった。つまり、ぼく独りで何とかしろということだ。これはやはり、一族の長老たちが仕組んだことだと考えるしかない。
 腑抜けたぼくに、活を入れようというのだ。生まれたての赤ん坊を押しつけることによって。

   5章 紅泉

「いいのかねえ、本当に、こんなことして」
 赤ん坊を捨てる役を引き受けたあたしは、数キロ先の森の中で、探春に向かってぼやいていた。中型の武装トレーラーの車内である。
 はるばる故郷まで呼び出されたと思ったら、麗香姉さまに、こんな役を命じられて。
「何も、赤ちゃんを独り身の男に預けなくても、ねえ……何かあったら、どうするわけ?」
 姉さまから赤ん坊を受け取り、ここまで運んでくるだけで、あたしは十分に情が移っている。
 森の中に車を止めたまま、これ以上シレールの屋敷から離れられないのだ。管理システムを通して彼の様子を見ているのは、何かあったら、ただちに奪い返すつもりでいるからだ。
「麗香お姉さまと、ヴェーラお祖母さまが決めたことよ」
 探春の方が、いさぎよく心配を止めていた。
「シレールには、生きる目的が必要なの」
 小さな子供だけが、彼の魂を揺り動かすだろう、というのだ。
「一切の援助なく、自力でダイナの世話をする。そのまま時間が経てば、きっといい変化が起こるわ」
「そうかなあ」
 あたしとしては、今からでも、赤ん坊を取り返したい。
 ヒルダ夫妻なり、ニナ夫妻なり、安定した夫婦が育てるのが、一番いいことに決まっている。
 そうでないなら、あたしと探春が二人で育てる方が安心ではないか。
 ハンター稼業など、しばらく休んでもいいのだし。
 何も、半分世捨て人のようなシレールなどに、無理やり生き甲斐など持たせなくてもいいではないか。
 憂鬱な顔のままでも、生きてはいるのだ。
 どうやら、仕事もこなすようになったし、自殺を図る気配もない。あとは、自然に元気になるまで、放っておけばいいだろう。
 一族の長老たちも、賢いのか阿呆なのか、わからない判断をするものだ。
「シレールは本来、手先も器用だし、責任感も強い人よ。彼に任せて、わたしたちはホテルに引き上げましょう」
 探春が言っても、あたしは首を縦に振らなかった。
「あたしは今夜一晩、ここにいるよ。何かあった時、すぐ駆けつけられるようにね。別の車を呼ぶから、探春だけ、ホテルで休みなよ」
 しかし、探春もまた、あたし一人を森の中に残しては、心配で立ち去れないらしい。
「付き合うわ」
 と言って席を立ち、簡素な厨房でディナーセットを温めて運んできた。
 移動基地にもなるトレーラーであるから、シャワーも使えるし、簡易ベッドで眠ることもできる。一族の経営するホテルには及ばないが、数日過ごすくらいは我慢できる。半分、覚悟はしていたことだ。
 都市の管理システムに位置情報開示を禁じてあるから、シレールがこの車に気づいて、怒鳴り込んでくることはないだろう。
 いや、怒鳴り込む元気があるくらいなら、心配ないか。
「まったく、繊細な男って面倒くさい」
 食後のハーブティを飲みながらぼやくと、探春が微笑んで言った。
「いずれそのうち、ダイナと遊べるようになるわ。シレールがちゃんと育ててくれるから、わたしたちは時々、遊びに行けばいいのよ」
「そうかなあ」
「管理システムの支援があれば、男性一人でも、十分子育てはできるわ」
「それはそうだろうけど……」
「子供が欲しいのなら、あなたが産むっていう手もあるのよ」
 うーん、別に産みたいわけじゃない。赤ん坊は、目の前にいれば可愛いと思うが、他に色々とすることもあるし、あえて創り出す気はしない。遺伝子操作で頭を悩ますなら、なおのこと。
 あたしのような闘士がいいのか、探春やシレールのような頭脳派がいいのか。それとも、両方を欲張るのか。それがはたして、幸せな人生につながるのか。
 あたしのように、じっとしていられず、冒険を求め続けるというのも、問題がある。家出したきりのシヴァのように、反抗心がありすぎるのも不幸だ。
「王子さまを探すのが先だよ。子供を作るにしても、人工精子なんてつまんない」
「あら、それじゃあ、永遠に無理そうね」
 と従姉妹は愛らしくにっこりする。
「意地悪!!」
 冬の森の中で、夜は更けていく。いつか、そんなこともあったねと、笑い話にできる日が来るといい。
 あたしたちは三日、森で待機してから引き上げた。中央では司法局が、ハンターの帰還を待っているのだ。

   サマラ編 了

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