天使の眠る星
エリンだったら何と言うかと、いつも考える。
五歳で死んだ妹は、ぼくにとって永遠の天使だ。嬉しいことでも、悲しいことでも、胸の中で妹に報告する習慣がついている。
いま、青い地球型惑星を眼下に見て、やはりエリンに話しかけていた。
――すごいだろ。古代文明の遺跡が見つかったんだ。人類が発見した、十二番目の異星文明だよ。
もっとも、人類が生きた異星文明に出会ったことは、まだない。数百万年か、数千万年前、あるいは数億年前に滅びた文明の痕跡を発見しているだけだ。広い宇宙で、生きた文明同士が出会うことは、極めて困難であるらしい。
それでも、今回の三十七次遠征調査隊にとっては大きな収穫だった。
本隊の船団は未踏の空間を先へ進んだが、ぼくは基礎調査を命じられ、一人でこの惑星の周回軌道に残っている。便宜的に、ブルートパーズと命名された惑星だ。
固有の動物や植物は存在するが、知的生命は見当たらない。だが、知的種族が残したと思われる遺跡がある。
そこまで確認してから、調査隊はぼく一人を残すことに決定した。まだ先が長いので、それ以上の人員は割けないのだ。
科学技術局の本部から本格的な調査チームが派遣されてくるまで、二か月かそこら。ぼくはそれまで、淡々と基礎データを集めていればいい。
もちろん、実際に働くのは機械の群れだ。
何百という探査ロボットが地表の写真を撮り、計測して地図を作り、地中に潜って地層や埋設物を調べ、気候や海流を記録し、膨大なデータをこの船の管理システムに送信してくる。ぼくは気になるデータを見た時だけ、詳しい調査を指示すればいい。
大陸の各地には都市の名残のような、岩と金属が複雑に積み重なった残骸が残されていた。谷を渡る橋の残骸と思われる堆積物もある。
大地震で破壊されたのか。
それとも、核戦争でも起こしたのか。
いずれ、どんな種族が暮らしていたのか、なぜ滅びたのか、解明されるだろう。
惑星の周囲には、かつての衛星が砕けたらしい、大小の岩から成る薄いリングが、ドーナツ状に広がっている。ぼくの乗る調査船NS-268は安全のため、リングから離れた軌道をとっている。
リングを形成する岩の中にも、古代文明の名残らしい、精錬された金属の破片や、人工的なガラス質の物質が混じっていることを発見していた。
この星の住人たちは惑星の重力を振り切り、衛星軌道にまで到達していたらしい。人類以外でそこまで到達した文明は、極めて貴重だ。
――見てごらん、エリン。どんな人たちが……どんな生き物が、この惑星上で暮らしていたのか。何を夢見て、何を求めていたのか。そして最後には、どうやって滅び去ったのか。
ぼくたち人類も、こうならないという保証はない。超空間航法で数千の星系に広がり、たくさんの植民惑星が繁栄しているとしても。
人類の文明圏の外れには、辺境と呼ばれる無法者たちの領域がある。彼らは明日にでも、人類の本体に牙を剥いてくるかもしれないのだ。
***
ぼくが十一歳の時、ドライブ中の車が、大雨の後の崖崩れに巻き込まれた。
ぼくと両親は負傷で済んだが、小さなエリンは助からなかった。救助隊に掘り出される前に、岩と泥の中で窒息してしまったのだ。
エリンのことは、今でも繰り返し夢に見るが、成長した姿で出てくることもある。生きていたら、素晴らしい美人になっていたはずだ。母譲りの金髪と、青い目の。
そして、優しい声でぼくを呼んでくれただろう。エオン兄さんと。
父に似たぼくは、黒髪で黒い目だ。だから、エリンの可愛さは自慢でもあった。子供心にも、妹に慕われる兄でありたいと願っていたのに……
***
個室のベッドで目を覚ました時には、まだあたりに夢の名残が漂っていた。
成長したエリンと一緒に、花の咲く野原を歩いていたようだ。エリンは裾の長いワンピースを着ていて、花の冠をかぶっていた……
しかし、食事をして新しい観測データに目を通し始めた頃には、夢の記憶はすっかり薄れていた。
やはりこの都市群は、ただ古くなって崩壊したのではなく、何かによって破壊されたように思える。
詳しい発掘調査は、専従のチームが到着してからになるが、仮説を立てておいても邪魔にはならない。
データを整理している時、船の統合管理システム、通称ダンディ≠ェ注意を促してきた。
「エオン、説明不可能な電磁波を発している岩があります」
誰もいないのに肩書付きで呼ばれるのは大仰なので、ファーストネームで呼ぶよう要請していた。この船から七百キロほどの位置で、急に電磁波を放出し始めた岩があるという。
「過去三週間の観測データでは、表面上、他の岩と変わった点はありませんでした。軌道要素も平均的なものです。星系外から来た物体ではないと判断します」
「わかった、映像を頼む」
中央管制室で、詳しいデータ付きの映像を見た。周波数は可視光領域だ。直径十メートルほどの、ほぼ球に近い岩の表面に走る亀裂から、内部の光が漏れているように見える。
「核反応か?」
「それらしい陽子や中性子は探知していません。核反応の温度でもありません」
恒星の光を反射しているわけでもない。もしかしたら、内部に古代文明の機械装置が残っている可能性もある。
どうやら船の空き倉庫に納まる大きさなので、ダンディに牽引を命じた。
「爆発の可能性も考えられます」
とダンディは警告してきたが、貴重な異星文明の遺産だとすれば、確保しておきたい。少なくとも数十万年は経過しているだろう機械や兵器類が、急に爆発するとも思えない。この発光は、確かに奇妙だが。
「もし危険な兆候が見えたら、すぐ船外に排出するさ。居住区からは遠いしな」
それでも念のため、小型艇を二隻、母船から離して待機させておくことにした。母艦が被害を受けても、そちらに移れば生命維持に問題はない。
他の小型艇が、発光する岩を係留用ロープで曳いて戻った。倉庫内は真空なので、固定や表面検査などは作業用ロボットが行う。
迂闊に手を出して、内部の構造物を破壊しては困るので、慎重に各種のスキャンを行った。
やはり、中心部に何かある。そこだけ温度が上昇しているのだ。絶対零度よりはるかに高い、ちょうどこちらの室温くらいの温度になっている。何かの化学反応か。
ドリルで岩に穴を開けたり、強いX線や中性子ビームを当てたりしていいものか、ためらいを感じる。
あれこれと仮説を立て、害の少ない分析方法を検討しているうちに、夜中になった。自分の生活時間での夜中であって、外の宇宙の眺めには変化はないが。
「後は明日にする。何か変化があったら起こしてくれ」
そうダンディに頼んで、個室に引き取った。調査船団の中でも一番小さな船なので、居住区も個室も広くはないが、眠れればそれで構わない。枕元の写真のエリンに、おやすみと声をかけてから目を閉じた。
ダンディに叩き起こされたのは、明け方だ。
「エオン、解析不可能な事態が起きました。あなたの判断を求めます」
爆発か何か起きたのかと、ぼくは下着一枚の格好で室内の非常ロッカーに飛びついた。
慌てふためきながら非常用の気密防護服に潜り込もうとしていたら、ダンディが言う。
「船内の安全は確保されています。サンプル26が割れかけているだけです」
それは、昨日拾った発光する岩のことだ。
服を着ながら管制室に入り、映像を見た。倉庫の中の岩が、砕かれた胡桃のように割れつつある。倉庫は0G区画にあるので、はがれた欠片は周囲に漂っていく。内側から何かが膨張し、殻を割っていくかのようだ。
岩の大部分が崩れ去ると、その中心部には、半透明の水晶のような塊が納まっていた。
いや、完全な固体ではない。中心に向かうにつれ、ゼリー状に柔らかくなっていくようだ。
そのゼリーの中核に、何か白いものがある。それが不規則な動きをしているために、水晶のような外皮も徐々に崩れて剥がれ、漂い離れていく。
残ったゼリーの中には……丸まった人影のようなものが見えた。まるで……膝を抱えた人間のような。
二本の腕、二本の足。
頭部には、長い髪の毛のようなもの。
まるきり……人間の……女に見える。裸の女だ。それが、もぞもぞと身動きしている。
「おい、ダンディ、何が見える」
声に出して尋ねたのは、自分の正気が疑わしかったからだ。ぼくはまだ、夢を見ているのではないか。エリンの夢を。
「人類の女性のように見えます」
ダンディが答えた時、ぼくは恐怖で飛び上がった。
倉庫内は真空なのだ。裸の人間が生きられる環境ではない。
あれが異星人の残した機械人形だとしても、真空中で無事かどうかはわからない。
「空気の注入……いや、救命ボールを出せ!!」
大きな倉庫を、すぐに空気で満たすことは難しい。そもそも、地球の空気と同じ組成の空気でいいのかすら、わからない。
しかしとにかく、真空にさらすのは危険に思えた。救助用の気密ボールで包む方が早い。
ぼくは結局、気密作業服を着て、倉庫内に飛び込んだ。そして、ゼリーのようなぶよぶよに包まれた生き物を――まだ生物かどうかも断定できないが――膨らんだ救命ボールに押し込んだ。
ゼリーを通しても、この何か≠フ手触りは柔らかい。皮膚の内部に、人間同様の骨格が存在することも感じられる。
救命ボールは自動的に閉じて、内部を窒素と酸素で満たした。ほっと一息ついてから、救命ボールの中を覗き込んだ。部分的に透明素材が使われているので、ゼリーに包まれた何か≠ェ見える。
エリンだ。
想像していたエリンにそっくりだ。
長い金髪に、愛らしい赤い唇、クリーム色の肌の若い女。目を閉じて、眠っているようではあるが、時折、身じろぎする。
「ダンディ、この対象≠医療スキャンにかけてくれ」
倉庫内で待機していた作業用ロボットが、すぐさま種々のデータを示した。骨格、筋肉、心臓の拍動、体温。
「自発呼吸も確認しました。生命体であると判定します。地球人類に酷似しています」
とダンディが報告してくる。
「よし、とにかく、生命体として対処しよう」
あまりにも異常な事態ではあるが……エオン、おまえも科学者の端くれではないか。物事は必ず、合理的に解明できる。
「もし、人類だとしたら……?」
このあたりは違法組織の縄張りからは外れているが、それでも連中の船がたまたま通り、この星系を調査していったのかもしれない。そして、古代遺跡の見張り用として有機体アンドロイドを……
いや、それでは筋が通らない。
見張りを置くなら、武装した無人艦や監視衛星でいいはずだ。アンドロイドを岩に押し込めて、何の意味がある。こんな華奢な肉体では、破壊活動にも向かないだろう。
では、もしかしたら……もしかしたら、こういうことなのかもしれない。
人類は、はるか昔に栄えた宇宙文明の落とし子だ、という仮説がある。
彼らはとうに滅びたか、どこかへ立ち去ったかだが、その前に、自分たちの文明の種を、あちこちの星系に蒔いていったという説だ。
おとぎ話と思われていたその話が、もしかしたら本当だったのかもしれないだろう。
それならば、この惑星の知的生命は、人類と親戚だったのだ。同じ親から蒔かれた種子から芽生えた、兄弟文明。
彼らが自分たちの生き残りを、岩に隠して保護したのではないか。そしてその岩は、訪問者の存在を感知したら、救助を求めるために自ら崩れるようになっていたのかもしれない。
とりあえず、岩の中から出てきた女性に……女性としか思えないので……星を意味するステラという仮の名を与えた。もし、本人が自ら名乗ってくれたら、そちらで呼び直せばいい。
まずは救命ボールから出して1G区画の医療室に運び、まとわりついていたゼリー状物質を除去した。それは検査・分析に回し、本人も改めて検査にかける。
ステラは、ぼくと同じ窒素と酸素の混合空気で生存できるとわかった。酸素を吸って、二酸化炭素を吐くことも確認した。水も飲めるとわかった。
スープも試してみて、成功だった。皮膚の細胞と血液も採取させてもらい、人間と変わらないことが判明した。
「同一祖先という説が補強されたな。やはりあの岩は、冬眠カプセルだったんだろう」
「ですが、生身の肉体で長期間、なぜ岩の中で生存できたのかが不明です。剥がれた岩の破片からは、生命維持装置のようなものは発見できていません」
岩自体は古いもので、内部にステラを閉じ込めてから、少なくとも数十万年、宇宙線にさらされていたことが判明している。
「ぼくたちには理解できない、高度な技術が使われていたのかもしれない。この船の存在を探知したから、休眠から覚めたんだろう」
「暫定的に、その仮説を支持します」
問題は、ステラと言葉が通じないことだ。医療室で目を開いた彼女は、ぼくを見ても怖がりはしなかったが、何を尋ねてもきょとんとするばかりで、自分の言葉を何もしゃべってくれなかったのだ。
もし何か言葉を発してくれたら、記録して、ダンディが分析してくれるのだが……
とりうえずステラは、ぼくを珍しそうに眺め、ぼくの名がエオンだということ、彼女をステラと呼ぶことを理解してくれた。
普通にしゃべれるということは、
「ステラ。エオン。ダンディ」
と可愛い声で繰り返し発声してくれたことで、確認できた。
スープやサンドイッチが食べ物だということ、服を着る必要があることも、理解してくれた。
知能は高いようだ。こちらの言うことは、かなりの程度、推理して理解しているように思える。
これはきみにあげるとか、スープは熱いから気をつけてとか、この機械に触ってはいけないとか。
女性用の衣類は、幸いなことに、船内倉庫に備蓄があった。簡素なものばかりだが、そのうち彼女の趣味がわかったら、ドレスでも何でも、船内の工作室でダンディに作らせればいい。
物資は潤沢に積まれている。この船一隻で、数十人のクルーを数年間は養うことができるだろう。
市民社会を遠く離れる調査船団が、行く先でどんな困難に遭うかわからないので、物質的には十分な備えをしているのだ。
ステラはシャツとスパッツという衣服を着ると(最初は不思議そうな顔をして布を引っ張るだけだったので、ぼくが手伝うしかなかった)、しばらく体操でもするかのように、首を曲げたり、指を折ったり、手足をぎこちなく動かしたりしていた。長いこと冬眠状態だったので、関節が固まっていたのだろう。
それから俄然、元気そうな顔になり、あたりを興味ありげに歩きだした。
物理的な危険はなさそうに思えたので(腕力は人間の女性並みだから、必要なら、ぼくが取り押さえることもできるだろう)、医務室から出ることを認めたのだ。医務室の精密機器類に触られるより、他の部屋を案内した方が安全だろう。
ステラはまず、船内居住区の通路から空き部屋から、あらゆる場所を探検したがった。
ぼくに非常用ロッカーを開かせ、中の備品を取り出させ、一つ一つ、触って確かめることもした。
風呂もトイレも調べた。洗面台の蛇口から水を出すことも、水温を変化させることも試した。この好奇心の強さは、高い知能の証明だろう。
しかし、ある面では、文明を知らない野生児のような印象も受けた。ステラは最初のうち、あちこちの扉を開けたり、閉めたりして、扉そのものを面白がっていたからだ。事務用品の引き出しを開ける、閉める、という動作も繰り返した。
かと思うと、テーブルの下に潜って座り込んでみたり、床に固定されている椅子の座面をくるくる回したり。
あるいは、0G区画に通じるドアがどうしても開かないので(ぼくがダンディに、施錠を命じているからだ)叩いたり押したりしては、首をひねったりしている。
おかげで、ほどよく疲れたのだろう。パンとシチューの夕食を済ませた後は、気がついたらソファで丸まって眠り込んでいる。
「まるで、赤ん坊みたいじゃないか?」
這い這いし始めた赤ん坊が、室内を端から探検して回るような感じを受ける。ダンディも推測を述べた。
「人類文明を理解しようとしているようです。ステラの文明は、我々の人類文明とは違う発達経路をたどったのかもしれません」
寝室に移そうかとも思ったが、起こしては悪い気がして、毛布をかけて眠らせておいた。
寝顔はまるで、天使のようだ。薔薇色の頬、長いまつげ。
――信じられるかい、エリン。未知の星系で、こんな天使に出会うなんて。しかもこの天使は、ぼくが想像していた大人のきみ≠ノそっくりなんだ。
それから数日、ステラを観察しつつ、好きなようにやらせておいた。
管制室や武器庫、動力系統など、入ってはいけない区画はロックしているし、ダンディも常時、センサーで彼女を追尾している。危険があれば、警備用のアンドロイド兵が即座に拘束できる。
ステラが厨房でナイフを手にしようとした時は、危険なものだと説明した上で、林檎を切ってみせた。皮をむく様子も見せた。
ステラはおおいに感心した様子で、ぼくの真似をしてナイフを持つと、林檎の一片をざくざくと、みじん切りにして喜んでいる。
決して器用ではないが、この調子で遊んでいれば、いずれ何でも使いこなすようになるのではないか。
また、工作室で鋏を手にした時は、ぼくが使い方を実演すると、一枚の紙を徹底的に切って遊んでいた。
そう、遊んでいるとしか思えない。糊を与えて、紙をくっつけてみせたら、またそれでひとしきり遊んでいる。しまいには、自分の髪まで糊で固めようとしたので、それは止めたが。
今は腰まで届く長い髪をしているが、なぜか入浴を面倒がり、髪の手入れにも興味がないようなので、短く切った方が楽かもしれない。
切るには勿体ない美しい金髪なので、厭がるものを拝み倒すようにして、毎朝、ぼくがブラシをかけているのだが。
また、ペンと紙を出して、簡単な絵を描いてみせると、自分でもペンを持ちたがり、ぐしゃぐしゃののたくり描きをして喜んでいる。
野山をたどるような線、潰れた円、歪んだ三角や四角。はたまた、正体不明の記号のようなもの。
ステラの文明の文字かもしれないと思ったが、ダンディが分析しても、規則性は見受けられない。
「子供か……?」
大人の女性というより、幼児を相手にしている感じだった。これが、ぼくを油断させる狡猾な演技ならば別だが。しかし、そんな演技をして何の役に立つ?
問題は、これを本部にどうやって報告するかだ。
事実をありのままに報告して、ぼくが正気だと、納得してもらえるだろうか。たとえダンディが口添えしてくれてもだ。今のダンディは基本的には、ぼくの命令下にあるのだから。
ステラがあまりにも無防備な白紙状態≠ノ見えるので、それが逆に不安の元になっていた。
――もしや、ぼくは寂しさのあまり、都合のいい幻覚を見ているのではないだろうか。
しかしとにかく、報告は送らなければならない。
なるだけ簡潔に経緯を書き、ステラの診断データや、数日分の記録映像を添えて送信した。
ここまでの探査航行の間に、必要な中継ポッドは設置してきているから、この超空間通信は、数千光年の空間を経由して中央星域に届き、科学技術局本部に受信されるだろう。
途中で違法組織に傍受される危険はあるが、全く連絡が取れないよりはいい。
既に本隊からは、ぼくを見張り番に残すという連絡が行っているから、ブルートパーズ調査チームの招集は済んでいる頃合いだ。
お偉方が追加の報告に驚いて会議を開き、当初の予定より更に大規模な調査チームを送り込んでくるまで、おそらく数週間は余計にかかる。
しかしそれまで、退屈する暇はないだろう。
***
一日一日、ステラは確実にぼくらの言葉を覚えていった。
ペン、紙、時計、ケーキ、クッキー、ジャム、紅茶、立つ、歩く、座る、着る、脱ぐ、洗う……
自分の種族の言葉は頑として話してくれないので、こちらから一方的に教えるしかなかったが。
アーカイブにあった子供用のアニメを見せることで、学習は加速的に進行した。
ステラは魅入られたようにアニメに集中していたが、やがて、表情が伴うようになったのだ。登場する子供や動物たちと一緒に笑ったり、驚いたり、顔をしかめたりする。悲しむことも、喜ぶことも、ぼくらと変わらないらしい。
それにまた、幼児番組の体操のお兄さん≠竍お姉さん≠ニ一緒に、ぴょんぴょん飛び跳ねたり、体を曲げたりひねったりして、運動もするようになった。
試しに縄跳び用の縄を与え、手本を見せてみたら、最初こそ不器用だったものの、すぐに上達した。二重飛び、三重飛びに挑戦して、ぼくに成果を自慢する。
「見て、見て、ステラ、えらいでしょ!!」
ぼくにしゃべりかける内容も、ぐんと豊富になってきた。十日もすると、日常生活には不自由しなくなっている。
「エオン、おはよう」
「ステラ、コーヒー飲まない、苦い」
「ステラ、ケーキもう一つ食べる」
欲しいものは、ぼくかダンディに言えばいいし、好き、嫌いもはっきり主張する。
「ステラ、ピーマン食べない」
「ステラ、人参、嫌い」
眉間に皺を寄せ、口をへの字にしてそう言われてしまうと、無理強いはできず(恒星間戦争になっては困る!!)、みじん切りにしてこっそりハンバーグに混ぜてみたり、別な野菜で栄養バランスをとったりする。
毎食、ケーキで済ませたら、健康に悪いではないか!!
「このスープは全部飲むんだよ。栄養が詰まっているんだからね。ちゃんと飲んだら、おやつにケーキを出すよ」
などと説得していると、まるっきり、子育てをしている気分になる。
ぼくは独身で、今は恋人もいないが、いつか家庭を持ったら、こうして子供を育てるのだろうか。
ステラに絵本を読み聞かせすることを思いつくと(絵本など積んではいなかったが、アーカイブの内容をダンディに製本させることはできた)学習はどんどん進んだ。
ステラの記憶力は驚くほどで、同じ説明を二度する必要はほとんどなかった。わからないことはぼくやダンディに質問しまくり、
「どうして」
「どうして」
を連発する。
ダンディによると、「どうして」は幼児にとって便利な言葉らしい。それを発すると、大人がいつまでも相手をしてくれるからだ。
「ケーキばっかり食べてると、病気になっちゃうよ」
「どうして」
「人間には、いろんな栄養が必要なんだよ」
「どうして」
「栄養が、体を作るんだよ。今のステラは、ちゃんと元気だろ。肉も魚も、野菜もバランスよく食べないと、体が故障してしまうんだよ」
「どうして」
「どうしてって言われてもなあ……おいダンディ、子供向けの栄養学の本、出せるか?」
そうして、どうやら小学校低学年くらいの語彙が身についた頃、初めてステラ自身の過去を尋ねてみた。
家族はいるのか。仲間はいるのか。
どうして岩の中にいたのか。
するとステラは、眉間に可愛い皺を寄せ、懸命に言葉をつなぎながら、語ってくれる。
「わたし、ずっと寝てた。ずっと一人。仲間、もういない。みんな、死んだ。大きな戦争したから。町も、みんな壊れた。たくさん探したけど、誰もいなかった」
要するに、ステラの種族は互いに争い、最終戦争を引き起こして滅亡したらしい。
なぜステラだけが、岩の中に守られて取り残されたのかは不明だ。
有力者か科学者の娘で、たまたま助けられたのか。
それとも、逃がしては困る囚人か、冬眠の実験材料だったのか。
「きみ一人で、どうやって、空にある岩に潜ったの? 誰かが助けてくれたんだよね?」
「助け、ない。わたし、一人で空に昇った。寝る場所、探した」
「ええと、何か乗り物に乗って、空に昇ったんだよね?」
「乗り物、何」
「この船、いまぼくらがいる船みたいに、空気の詰まった入れ物だよ。空気がないと、ぼくらは生きていけないだろ」
「エオン、言うことわからない」
ううむ、まあいい。とりあえず、本部からの指示待ちだ。詳しい調査は、これから来るチームがしてくれる。
チームには人類学者や言語学者もいるだろうし、医師もいる。教師役に相応しい女性科学者もいるはずだ。ぼくよりずっとうまく、ステラから話を引き出せるだろう。
ぼくはステラに、自分たち人類の歴史を教えた。
地球という一つの惑星から、どうやって広い宇宙に散らばったか。
といっても、大部分は子供用の教育番組の力だ。ステラはすっかり教育番組が好きになって、次から次へと新しい番組を見たがる。船内アーカイブに膨大な蓄えがあって、幸いだ。
ぼくは自分が、大規模な調査船団の一員であることも伝えた。ステラは頷き、自分の言葉で確認する。
「エオンの家、ずっと遠い。ここまで、船で旅してきた。仲間はみんな、先に行った。もっと遠くまで探検するのが、仕事だから」
「そう、そうだよ。これから別の仲間が来るまで、ここで待つんだ。ぼくは次の仕事を命じられるだろうけど、きみのことは、科学技術局が責任持って保護するから、心配いらない」
「ほごって、何」
ステラはまだ、抽象的な単語までは理解しきっていない。
「ステラを守ってくれて、美味しいケーキを食べさせてくれるってことさ」
ケーキの話になると、ステラの顔がぱっと輝く。
「ケーキ、もっとたくさんある? 明日も食べられる?」
「ああ、まだ倉庫にたくさんあるよ。抹茶ケーキにマロンケーキに……アイスクリームも、プリンもね」
ステラはチョコレートケーキやチーズケーキを、非常に気に入っている。苺のショートケーキに至っては、しばらく言葉を失うほど陶然としていた。これまでは、甘い菓子類を食べたことがなかったのだろうか。
「プリン、何?」
と、青い目を輝かせて尋ねてくる。
「えーと、卵と牛乳で作るお菓子……ケーキの仲間だね」
「プリン、いつ食べられる? おやつの時間?」
ステラは、ダンディに工作室で作らせたアナログの時計を持ってきて、針がどこに来たら食べられるのか、確認しようとする。おかげで、時刻や年月の概念は習得済みだ。
――これなら、すぐに人類文明に馴染んでくれる……普通の女の子として、幸せに暮らせる。そうだよな、エリン?
とはいえ、ステラのことが世間に知られたら、大事件になることは間違いない。
人類文明が、太古の文明から分かれた分流の一つだという証拠になるのだ。
ステラは研究対象になり、あちこち連れ回され、議会で証言したり、特集番組で紹介されたりして、マスコミにもてはやされるだろう。彼女が疲れきらないよう、祈るばかりだ。
ステラはまた、ぼくの部屋に置いてあった家族写真も見た。両親とぼくとエリンが映った、古い写真だ。
白い家、緑の庭、父が作ったブランコ。
問われるまま、事情を説明する。ステラはどうやら、理解してくれたようだ。
「これ、エオンの家族。これ、子供の頃のエオン。これ、エリン。エリン、もういない」
「そうだよ。最初、きみがあんまりエリンに似ているので、驚いた……いや、勝手に似てるなんて思って、ごめん。でも、これも何かの縁なのかもしれない。こんな遠い宇宙で、こんな風に出会うなんて」
「えん、何のこと」
「あー、そうだな……不思議なつながり? 大事な関係……? うーん。何て言えばいいんだろう」
テーブルや椅子は、その物体を示せば済むが、抽象概念は説明が難しい。しかしそれは、教育者や言語学者が助けてくれるだろう。世界中の学者が、ステラを研究したがる。こうしてぼくが世話役を務められるのは、今のうちだけだ。
「関係、ステラ、わかる。あなたとわたし、関係ある。わたし、あなたが起こした」
「えっ?」
「エオンが、わたしのこと、起こした」
急に降ってきた重大事実に、慌てて身構えた。
ステラがどうやって目覚めたのかは、まだ確認できていないのだ。息を整え、慎重に尋ねてみた。
「この船を、きみの冬眠カプセルが探知したんだろう? どんなメカニズムが働いたのか、わからないけど。きみのカプセルが、きみを起こしたんじゃないのかい」
「カプセル、わからない」
「カプセルは、入れ物のこと。きみが寝ていた、岩の寝床だよ」
「岩の寝床は、わたしが選んだ。布団、欲しかった。宇宙は寒いから」
宇宙は寒いって!?
それは、恒星の近傍でない限り、もちろんそうだが。
あの岩を、布団と表現したのには驚いた。いや、ぼくが寝床と言ったせいか。そういえば、あのゼリー状物質は、断熱性があったのかもしれない。あれなら毛布と言っていいのかも。
ただし、ダンディが分析しようとしている間に、蒸発して消え去ってしまったから、ゼリーの性質は未確認のままだ。慌てて付近の空気を採取して分析したが、普通の酸素や二酸化炭素、窒素、水蒸気しか検出できなかった。ステラには、謎が多すぎる。
「わたし、ずっと寝ていたけど、あなたの声、わかった。あなた、話してた」
ぼくはまじまじ、ステラを見た。岩の中にいたステラが、ぼくの声を……どうやって聴いたというのだ。
「きみは、ずっと寝てたと言ったよね……戦争が終わってから、長いこと寝ていたと」
何十万年か、ことによったら何百万年も。
「寝てた。すること、なかったから。でも、目が覚めた。あなたの声、聞こえたから。わたし、エリンのこと見た。こういう髪。こういう顔してた。だからわたし、エリンの姿になった」
ステラは自分の姿形が、エリンの姿を引き写したものであるかのように言う。まるで、テレパシーでも使えるような……
いや、そうなのか!?
ぼくの心の声を聞いたから、そしてエリンのイメージを感知したから、その通りの姿を選んで復活したと!?
ステラは真剣な顔で続けた。
「あなた、エリンに会いたい……エリンが好き……だから、今はわたし、エリンの姿。でも、わたしの元の姿、違う。わたしを創った人たち、あなたの種族と違うから」
愕然とした。ステラは、ぼくの仮説を覆そうとしている。
ステラの種族は、人類とは全く別種なのか!?
「わたし、武器。人の願い、かなえる。そのために、生まれた」
待ってくれ。理解が追いつかない。
ステラがいったい、何の武器だというんだ。
するとステラは、遠くの声に耳を傾けるかのように、首をかしげて言う。
「わたしを創った人たち、戦争してた。戦いのため、わたしを創った。わたし強いから、たくさん戦った。そして、敵を滅ぼした」
強いって、どう強いんだ。
今のきみは、ただの女の子……
いや、これは仮の姿で、本当は、もっと恐ろしい怪物なのか。どんな姿でも、誰かに望まれるままに、変身しうるのか。
「でも、敵も強かった。敵も兵器、作った」
何だって。
それは……ステラに対抗する最終兵器だったのか。
「わたしたち、最後まで戦った。わたしと、ライバル。ライバル、合ってる?」
「あ、ああ、ライバルだね。わかるよ」
「わたしたち、陸でも、海でも、空でも戦った。地震おきた。津波おきた。星も砕けた」
それはもしや、衛星のことか。
戦いの余波で砕けて、リングになったのか。
「わたしは敵、たくさん殺した。敵はこちらの人たち、殺した。そのうち、敵も味方も、みんないなくなった。だから、わたしたち、役目終わった。もう、戦争ない。ライバルも、消えた。それから、ずっと寝ていた。エオンが来て、起こしてくれるまで」
つまり……このステラが究極の戦闘兵器で……同類の兵器もいて、ついには敵も味方もみんな滅ぼしてしまい……役目を終えたから、休眠していたというのか。
ずっしりと重いものを載せられたようで、肩が下がる。ついにはうなだれて、頭を抱えてしまった。
どうしたらいいんだ。
とんでもないものを目覚めさせてしまって。
ステラの言葉を疑う理由はない。一生懸命、使える限りの言葉を駆使して、ぼくに文明の滅亡を語ってくれた。そして今は、ぼくの反応を心配そうに見守っている。
ステラはぼくの心が読める……だから、嘘は無意味だ。それどころか、有害だ。
正直に向き合うしか、ステラと付き合う方法はない。
「教えてくれて、ありがとう。ぼくの心の声がきみを起こしたなんて、知らなかったよ。妹のことを考えていたのは、いつものことだ。きみは、ぼくの心が読めるんだね……」
ぼくはこれまで、ステラに、人間の醜さや、よこしまな男の欲望を見せてはいなかったか?
くそう、何てことだ……最初にステラに服を着せた時……風呂の入り方を教えた時……つい、雄の本能が発動しそうになって、慌てて気をそらせたが……
「エオン、悲しい?」
心配そうに問われたので、急いで首を横に振った。
「ごめんよ、そうじゃない。ただ、驚いて……」
ステラは真剣な目をして、言葉を続けた。
「わたし、人の心、わかる。そのように、作られた。人の願い、叶えるのが仕事。あなたの願い、妹と暮らすこと。だから、わたし、あなたといる」
しばらく茫然として、ステラの可憐な顔を眺め続けた。
邪悪な考えを反映すれば死の天使になり、優しい考えを反映すれば、こんな可憐な生き物になるのだとしたら……
人類には、ステラと接触する資格があるのか!?
自分が今、重大な岐路に立っているという認識が芽生えた。
このステラは、数百キロの彼方からぼくの心を読んだだけで、自分の姿を作り変えることができたのだ。外見はおろか、細胞レベルまで完璧に。それだけで、現在の人類の科学水準をはるかに超えている。
今の人類に、このステラが制御できるのだろうか。
いや、そうではない。
人類は、ステラに生存を許してもらえるのか。
遠からず調査チームが来たら、彼らだってそれぞれ、願うことがあるだろう。ステラが大勢の願いに心を引き裂かれたら、どうなる。いがみ合う心に影響されて、破壊神になってしまったら。
「エオン、ステラのこと、嫌いになる?」
妹そっくりの顔に問われて、はっとした。しっかりしろ、エオン。ステラに不安な思いをさせてはいけない。
「嫌いなはずがない。きみは……きみは、何も悪くない」
ステラはただ……役目を果たしただけだ。
「わたし、誰もいなくなって、困った」
ステラは眉を曇らせて言う。
「戦うの、つまらない。ずっと眠るのも、もうつまらない。それより、エオンと一緒にいて、ケーキを食べて暮らすのがいい。アニメも見る。もっとたくさん。絵本も好き。エオンといると、楽しいこと、たくさんある」
そうか。少なくとも、ステラには自分の意志があるのだ。楽しく生きたいという意志が。
それならば、これから時間をかけて、兵器から人間へと育てれば……
いや、そうではない。それは甘すぎる。
高度な文明が、無邪気な殺戮兵器を生み出してしまったのだ。人間もまた、ステラには害になる。
今の人類を見よ。市民社会と違法組織に分かれて、互いに互いを非難しているではないか。市民社会は硬直している、違法組織は野蛮だと。
もし、市民社会でステラを、違法組織を滅ぼすための武器にしようとしたら。違法組織がステラを、市民社会を支配するための道具にしようとしたら。
地雷原に踏み出すような気持で、尋ねてみた。
「ステラ、教えてくれないか。きみは、どうやって戦うの。今のきみは、ぼくより力が弱いだろう?」
すると、青い目の娘は、生真面目に言う。
「わたし、人の心に呼びかける。死ぬ、殺す、戦う、何でもさせられる」
敵の心を操る能力なのか。
真空の宇宙空間を通してぼくの心が読めたなら、敵の基地内にいる司令官の心も読めるだろう。司令官の意志と、逆のことをさせたらどうだ。司令官が間違った命令を出せば、軍隊は壊滅する。
途方もない力だ。ステラが人類社会に危険視されて、凍結処分や、廃棄処分にされるという未来も頭に浮かぶ。
いや、そんなことは考えるな。そんなことにはさせない。とにかく、まずは事実関係の確認だ。
「それじゃあ、きみのライバルも、そういう力を持っているんだね」
ステラは首を横に振った。違うって?
「×××は、速いの」
主語が聞き取れなかった。
「何が速いって?」
「エオンには、聞こえない。発音できない。その名前、エオンの言葉なら、稲妻だと思う」
ステラの種族の言葉は、人類には聞き取りも発音もできないから、あえて使わなかったのだろうか。
「じゃあその、稲妻……それはやっぱり、岩のリングのどこかで眠っているのか?」
「違う。たぶん、地上のどこか」
その時、ダンディが声をかけてきた。
「エオン、注意を喚起します。複数の超空間転移反応があります。星系外縁に七……十……十五……二十まで確認しました」
慄然として立ち上がった。
調査チームではない。それには早すぎる。
「違法組織か!!」
馬鹿だった。本気で考えていなかったのだ。異文明の遺産≠フ発見が、どれほどのインパクトをもたらすか。
違法組織の行動は、お役所仕事よりはるかに速い。
出現した艦隊は短距離の超空間転移を繰り返し、このブルートパーズを囲むように布陣した。
いずれも軍艦並みか、それ以上の戦闘能力を備えていることは、間違いない。彼らはこちらの通信を傍受して、この星系にお宝≠ェ眠っていることを知ったのだ。
「エオン・高城博士、聞こえるな」
映像なしで、音声だけの通信が届いた。
「抵抗は無駄だ。降伏すれば、悪いようにはしない。上級研究員は、常に不足しているのでね。おとなしく、ステラとかいう最終兵器を差し出してもらおうか」
はいそうですかと、降伏するわけにはいかない。
ぼくは洗脳されて手下にされ、ステラは兵器として使われるという未来しかないだろう。
違法組織は互いに争いあい、辺境の覇権を奪い合っている。彼らが十分な力を蓄えたら、いずれ市民社会までも征服されてしまうかもしれない。
「ステラ、すまない。逃げるのは無理そうだ。戦うしかないが……」
待てよ。
「きみは、人の心を操れると言ったな。もし、自分の進路に敵がいたら……」
いや、だめだ。
ステラに人殺しをさせるわけにはいかない。
そんな力を振るわせたら、奴らの執着を強めるだけだ。たとえ何隻かは潰せても、残った船が追いかけてくる。
彼らはステラの力が届く範囲を確認し、その範囲外から物理攻撃を仕掛けてくるのではないか。
ステラはぼくの心をどう読んだものか、にっこりした。
「わたし、エオンと一緒に逃げる。どこか遠くへ行く。ずっと一緒がいい」
そう言われたことは……嬉しい。泣きたいくらいに。
しかし、どうやって逃げればいいのだ。
降伏のふりをしても、騙されてはくれないだろう。ぼくはステラと引き離され、ステラは奴らの武器にされてしまう。
「高城博士、まだ決心がつかないのかね? では、決心を手伝ってやろう」
こちらが降伏の手順に従わないので、違法艦隊から脅しの砲撃が来た。この船に当てるつもりがないのは明白だが、高出力レーザーやプラズマ弾が近くの岩を砕き、蒸発させ、あるいは、じかに惑星に降り注ぐ。
惑星の大地や海洋に、幾つもの爆発が広がった。もし、この船に直撃が来れば、ひとたまりもない。
「あ!!」
ステラが叫び、恐怖を露にして両手で顔をはさんだ。ステラのこんな怯え方は、初めて見る。
「あの子が……稲妻が!!」
ステラの言う稲妻は、ブルートパーズのどこかに隠れていたらしい。とうに目覚めて、ステラの様子をうかがっていたのか。それとも、砲撃によって初めて覚醒したのか。
何か一筋の流星のようなものが、地表から宇宙へ噴き上げた。ほとんど一瞬で、大気圏を突き抜ける。その衝撃波が、大気を震わせる。
通常の物質ではありえない速度だ。ほとんど光速に近いのではないか。
ということは、ほんの小さな物体でも、莫大な運動エネルギーを持つということだ。
それは違法艦隊の船から船へ飛び回り、合金の船体を、まるで豆腐のように削り取っていく。そして、惑星を取り巻く岩塊の群れを利用して、鋭角に不規則なターンを繰り返していく。
弾き飛ばされた岩が他の岩に衝突し、砕け散る。その破片がまた次の岩にぶつかり、安定していたリングに擾乱が広がっていった。
稲妻の航跡を追いかけた砲撃は、無駄に岩を吹き飛ばし、ついには射線上にあった仲間の船を破壊してしまう。
やがて違法艦船が、互いに狂ったような砲撃を浴びせ始めた。母艦から飛び出した小型艇が小転移して、他の艦に自爆攻撃を仕掛けるのもわかった。核ミサイルも飛び交い、星系中に何十もの核爆発が起こる。
明らかに、意味のない仲間割れだ。
これも、稲妻の力なのか。それとも、もしや……
振り向いてステラを見たら、彼女は黙って目を閉じている。胸元で手を握りしめ、何かに深く集中しているようだ。
その姿がぼやけていると思ったのは、錯覚ではない。ステラの全身から、青白い光がにじんでいる。いや、肉体そのものが、幽霊のように半透明になっているのだ。
魂が冷える気がした。
これが、ステラの本質。
しかし、邪魔はできなかった。精神集中を途切れさせたら、どんな反動があるかわからない。
ぼくとダンディが見守るうち、違法艦隊は一隻、また一隻と大破しては、沈黙していった。生存者はいるかもしれないが、たぶん、しばらくは身動きしないだろう。恐ろしい攻撃を招くことを恐れて。
ついに、無事な船は、ぼくたちの船だけになった。飛び回っていた白い光は、どこかへ消えている。
核爆発の残照も薄れて消え、岩のリングも、岩石同士のわずかな衝突を残すだけとなった。眼下の惑星は、砲撃を受けた地点に痕跡があるだけで、あとは元通りに青く静まり返っている。
ステラもようやく目を開き、深い息をした。発光も消え、肉体の輪郭が元に戻っている。もう、話しかけてもいいだろうか。
「ステラ、大丈夫か?」
「大丈夫。戦い方、覚えてた」
満足そうな微笑みだった。やはり、ステラも戦ってくれたのだ。
そうだ、彼女には生きる権利がある。幸せに暮らす権利がある。だから、脅迫者の言いなりになる必要はない。
「稲妻は、どこに行ったんだろう……」
「あそこ。あそこにいる」
ステラの示す方向を、ダンディが拡大映像にして見せた。点在する岩の間に、白い姿が浮いている。
人の姿ではない。四つ足の獣のような……青白い炎でできた獣だ。輪郭ははっきりしない。常に揺らめいている。
「あれが、きみのライバルなのか」
「本当の名前、あるかもしれないけど、知らない。でも、わたしを創った人たち、稲妻と呼んでいた」
「きみは、あいつと、話せるのか」
「いつでも、じゃない。向こうが、心にはっきり思ったら、わかる。最後には、戦うのは、もういやだって。だから、わたしも、戦いはやめた」
ステラにとっては、造物主に命じられて戦った相手が、ただ一人、同じ運命を分け合う仲間だったのか。
「今は、さよならって言ってる。遠くへ行くって」
そして、白い獣はまた流星になり、幾度か鋭角にターンしてから、宇宙の闇へ消えていった。きっと、邪魔な人間たちのいない場所を探して、長い旅をしていくのだろう。どこか……どこかで、安らげるといいのだが。
「ステラ、きみは……」
きみはどうする、と聞くために、傍らの娘を振り向いた。愛らしい顔には、何かを待つような平静さがある。
そうだ、まず、謝らなければ。
「ごめんよ。怖かっただろう。ぼくの種族も、互いに戦うんだ。ぼくを助けてくれて、ありがとう。でもきみは、もう戦うのはいやだろう?」
今はぼくのために人間の娘の姿をしてくれているが、本当は、定まった形はないのかもしれない。
ぼくが縛りつけなければ、今の白い獣のように、好きな姿で好きな場所へ行けるのではないか。
「わたし、エオンとケーキが好き。あの人たちは、嫌い」
ステラははっきり言い、にっこりして宇宙の深淵を指さした。
「一緒にどこか、遠くへ行く? あの人たちが、追いかけてこないくらい、遠くまで」
***
ステラのためにも、人類のためにも、ぼくらはこのまま、人類社会から消えた方がいいのだろう。
ただ一つの困難は、ダンディを説得することだった。
基本的に、船の管理システムは法規の範囲内でのみ、人間の指図に従う。
今のぼくに要求される行動は、ステラを連れて、最寄りの基地へ帰還することだ。軍基地でも、科学技術局の探査基地でもいいが、とにかく本部からの指令を仰げる場所へ。それなら、ダンディはぼくの指図する通りに飛んでくれる。
しかし、ぼくがステラと共に、市民社会から遠ざかる方向へ行こうとするのなら、それは職務規定違反であり、法律違反であり、犯罪行為ということになる。
かといって、この船を捨て、大破した違法艦船に乗り移って修理を試みたとしても、そこにもまた独自の管理システムがある。
そして、違法組織の管理システムの方が、危険度は高い。ぼくらを閉じ込め、組織の基地へ帰還しようとするかもしれない。既存のシステムを完全にダウンさせ、新たに組み立て直すことは、惑星生態学者でしかないぼくの手には余る。
どうすればいいか悩んでいたら、ステラが助け船を出してくれた。
ステラが読んだ絵本の中に、そういう話があったらしい。地球時代の物語だが、外国に留学中のお姫さまが、外交特権を活用して、留学先の色々な事件を解決するという話だそうだ。
「ダンディ、わたし、この星の生き残りだから、大使なの」
「文明の代表者ですね。理解します」
「大使はこれから、地球文明のことを勉強します。そのために、エオンの助けが必要です」
「理解します」
「十分に勉強しないと、良い外交できません」
「理解します」
「たくさん勉強するために、邪魔されない場所を探します。友好のために、あなたも協力して下さい」
ステラの言語能力は、たいした飛躍を遂げた。ダンディも、そのために協力したのだが。
今はもう、制限をかけられた人工知能であるダンディより、ステラの方が上手なのではないだろうか。
「文明間の友好ですね。それなら、通常の法の適用は一時停止できます。異星文明との友好的な接触は、惑星連邦憲章の中に、重要目標として明記されていますから」
そして、法の一時停止に明確な期限はない。これで、ダンディはずっとあてにできる。
やがて調査チームがこの星系に到着すれば、ぼくたちの失踪は、違法組織の攻撃のためという結論になるだろう。
故郷の両親や祖父母、友人や同僚たちを嘆かせることになるのは悲しいが、仕方がない。ぼくのことは、死んだものと思ってくれる方がいい。
違法組織の側には戦闘の情報が伝わり、後続部隊が派遣されてくるかもしれないが、彼らは他組織にお宝≠フ存在を知られたくないだろうから、黙って捜索しようとするだろう。
しかし、ステラの能力があれば、もし追っ手に発見されても、何とかなるのではないか。殺さなくても、眠らせるとか、迷子にさせるとか。
ぼくらの船は超空間転移をかけ、青い惑星から遠ざかった。市民社会に戻ることは、二度とないだろう。
しかし船には、野菜を育てられる温室もある。倉庫には、鶏や牛や豚の胚も冷凍保存してある。当面は自給自足でやっていけるし、いずれはどこかで地球型惑星を発見することもできるだろう。
ステラはお気に入りのソファに座り、絵本に夢中になっている。その姿を見るだけで、こちらは笑みがこぼれてくる。おやつの時間になったら、大好きな苺のショートケーキを出してやろう。
――見ているかい、エリン。ステラは毎日、成長しているよ。ぼくもこれから、ケーキ作りを研究するつもりだ。行く先はともかく、退屈しないことは確かだよ。ほら、ステラが顔を上げた。
「エオン、怪獣って、わるもの?」
どうやら、怪獣が暴れる絵本らしい。
「いや、そうとは限らないよ。怪獣には、怪獣の家族も仲間もいるだろう」
「どうして、怪獣は町を壊すの」
「きっとまだ、人間との付き合い方がわからないんじゃないかな」
「じゃあ、怪獣に教えればいいのね。友達になれるよって」
ステラは輝くように微笑んだ。こちらも、つられて笑ってしまう。
いつかステラも、他の生き物と調和して生きることができるようになるだろう。それまで、ぼくらは旅を続けていけばいい。