2012年8月の話題

★ 三浦友理枝ピアノ・リサイタル
2012年8月29日 青葉台・フィリアホール
 先日、プレトークのお相手を務めさせていただいた三浦さんのリサイタルの本番です。
 ともに1937年を没年とする3人の作曲家の作品をとりあげ、透明度の高い音色によって、各作品の多彩な表情が精緻に描き出されました。
 プログラム
   ルーセル(1869-1937):組曲『田舎風』より「水辺の踊り」「祭りからの帰り道」
   ラヴェル(1875-1937):ハイドンの名によるメヌエット
              組曲『鏡』全曲
   シマノフスキ(1882-1937):『9つの前奏曲』より5曲
                ピアノ・ソナタ第 1番
 なかなか遭遇できないシマノフスキのソナタは、古典のたたずまいの中に情熱を秘めた若き日の傑作。
 フィナーレにはとてつもなく難しいフーガが織り込まれています。
 この難曲を、よく弾きこんだ圧巻の演奏で聴かせてくださった三浦さんに感嘆しました。

(左)終演後、同業の寺西基之氏、柴田克彦氏と楽屋に駆けつけ、さっそく4人でパチリ。
(右)フィリアホールの保科隆之さんにも入っていただきました。

●「本日の帯留め」
   珊瑚に牡丹と小菊を彫りだしたかなり大ぶりな帯留め。
 これは祖母からではなく、母から受け継ぎました。
 母の結婚が決まったとき、祖父が娘のために誂えてくれたもの。
 子どもの頃、母がこれをつけるのが大好きで、いつも精緻な細工にうっとりとみとれていました。
   あるとき、母が譲ってくれるというので、思わず「えっ、いいの?」とびっくり。すると母は「私はこれからは、おばあちゃまの珊瑚をするからいいのよ」と言って、同じ珊瑚でもずっと地味な、祖母の珊瑚の帯留めをつけるようになりました。
 おばあちゃまというのは、母には姑、わたくしには祖母で、その時すでに故人。
 今、悲しいことに、どちらの珊瑚もわたくしのものとなっていますが、まだ、祖母のほうはつけたことがなく、もっぱら、母の珊瑚を愛用しています。
 珊瑚の帯留めは、暖色なので冬のもの、とする説もありますが、夏の着物には寒色系が多いので、一点、朱の珊瑚が引き立つため、気にせず、しばしばつけています。
 (右写真)祖母の珊瑚の帯留めは、菊紅葉に観世水を彫った横長いもの。
 母の珊瑚は三分紐(幅約9ミリ)に通してあって、紐に対してこのくらいの比率ですから、大きめです。昭和になると帯留めも大きくなってきて、三分紐を用います。
 それに対して、祖母の珊瑚は二分紐(幅約6ミリ)に通してあって、横長いけれども紐の上下にはそれほどはみ出ません。先日ご紹介した翡翠もそうですが、明治の帯留めは二分紐用で、紐にぴたりと沿って、細くて優美です。細工もそれだけこまかく、明治の職人芸の真髄を思い知らされます。


★ アフィニス夏の音楽祭・東京コンサート
2012年8月24日 虎の門 JTアートホール アフィニス
   蔵王でリハーサルを聴いた、ベートーヴェンの五重奏曲ほかの、本番をしっかり聴きました。
 練り上げた演奏の素晴らしさ!!
  (左)ピアノの村田千佳さんと、再会を喜び合いました!!
●「本日の帯留め」
 はなだ色に同色と赤のカトレアを織りだした紗の着物なので、帯は白献上の博多。
 藤の花を刻んだ翡翠の帯留め。横長いので、真ん中に18金で飾りを施して補強してあります。
 これも祖母譲りの明治の帯留めですが、オリジナルの紐と留め金は失われていて、現代の二分紐に通してあります。


★ 第22回 出光音楽賞 授賞式とガラコンサート
2012年8月23日 オペラシティ コンサートホール  受賞者レセプション:スカイバンケット フォルトナーレ
   今年の受賞者は次の3名の若手演奏家
  ピアノの金子三勇士さん
  同じくピアノの萩原麻未さん
  マリンバの塚越慎子さん

  (右)金子さんの所属事務所ジャパンアーツ副会長の関田正幸氏と。
   金子さん、萩原さんはかねて存じ上げ、しばしば拝聴してその清新な音楽性に打たれていました。
 塚越さんの演奏は初めて聴かせていただきましたが、柔軟さと毅然さを兼ね備えた、引き出しのゆたかなマリンビュスト。
 レセプションでお話しして、すっかり仲良くなりました。


★ 三浦友理枝×萩谷由喜子 プレトーク
2012年8月19日 青葉台 フィリアホール
 「美人ピアニスト」という文字にするのも躊躇われるような定冠詞がこの方ほどふさわしいピアニストも稀でしょう。
 しかも、天は二物を与えて、三浦さんの演奏は真摯な研究に裏打ちされた音楽性ゆたかなもの。音の美しさも天下一品です。
     そんな三浦さんと、ステージでお話しさせていただく嬉しい機会をいただきました。
 8月25日にフィリアホールで開催される『三浦友理枝ピアノ・リサイタル』のプレトーク・コンサートです。
 リサイタルで彼女がとりあげる、ルーセル、ラヴェル、シマノフスキの3作曲家について、なぜ、三浦さんがこの3人をとりあげたか、彼らはどんな作曲家であったか、今回演奏される作品の聴きどころ、などを三浦さんとの対談形式でお話しし、ラヴェルの『ハイドンの名によるメヌエット』では、人名の音名化はAからHまでだけではなく、すべてのアルファベットに可能であること、その方法によると「HAYDN」は「シラレレソ」となることなどを、配布資料を使ってレクチャーさせていただきました。
 そしてもちろん、三浦さんの清澄な音色による3作品の演奏にもご一緒に耳を傾けました。
 演奏曲目
   ルーセル:組曲『田舎風』より 水辺の踊り
   ラヴェル:ハイドンの名によるメヌエット
   シマノフスキ:ソナタ第1番〜第2楽章
   
(右)イベント終了後にピアノの傍らで

(左)左の180センチの長身はフィリアホールのプロデューサー、保科隆之氏
   右のスリムな男性は三浦さんの所属事務所社長の長野純也氏

●「本日の帯留め」
   ピアノ・リサイタルのプレトーク・コンサートですから、これを初めてつけてみました。
 男性ふたりは、まったく気づいてくださいませんでしたが、さすが三浦さんはピアニスト。「最初から気づいていましたよ。あっ、そういうのがあるんだ、と思ったわ」
 じつはこれ、2005年のショパンコンクール取材時に、ワルシャワ音楽院の売店で購入したブローチを帯留めに改造したもの。
 ブローチの針を通す細い管つきの帯留め金具、というのをネットで手に入れて試してみたのです。
 たしかに、何とか帯留めにならないこともありませんが、帯に密着せず、ブラブラして安定悪く、本来の帯留めとは雲泥の隔たりのあるシロモノです。ほかのブローチでも試してみましたが、同じ結果でした。たまには面白く、ちょっと話題もつくれますが、 やはり、本物の帯留めに勝るものはありません。


★ アフィニス夏の音楽祭2012山形取材
2012年8月17〜18日
 アフィニス文化財団主催による夏の音楽祭は、ここ近年、広島と山形で交互に開かれています。
今年は山形の年。しかもこれまでは、市内で開催されていたのですが、今年から山形市内からバスで40分、標高900メートル近い蔵王温泉、蔵王アストリアホテルにメイン会場が移されました。
    (左) 会場の蔵王アストリアホテル
(右) ホテル玄関のプレートの前で
 
 音楽監督は、ケルンのオーケストラのコンサート・ミストレスを長く務められ、現在は都響のソロ・コンサート・ミストレスほかいくつもの要職にある四方恭子さん。
(左)音楽監督の四方恭子さんとヴァイオリンの講師、ヘンリック・ホッホシルトさん。ハリソン・フォードばりの精悍なヴァイオリニストです。

 主として海外から迎えたすばらしい講師陣のもと、アマチュアや学生やセミプロではなく、バリバリのオーケストラ・プレイヤーたちが切磋琢磨して研鑚を積む、という、ちょっと他の音楽祭にはない独自色に貫かれた音楽祭です。

 リハーサルは公開でおこなわれ、メンバーがディスカッションを重ねながら本番への道を歩んでいくようすをつぶさに拝見することができます。
(右)シュポーアの『大九重奏曲』の公開リハーサル風景。 9種の楽器による重奏は室内楽の最大編成。滅多に遭遇できない貴重な機会です。
   
(左)ハンブルク北ドイツ交響楽団の首席ホルン奏者を長く務め、現在ハンブルク音楽大学教授として後進を指導する名ホルニスト、アプ・コスターさんと。コスターさんの講座を見学し、「何か質問は?」とおっしゃるので、「ナチュラル・ホルンとモダン・ホルンの両楽器を吹き分けられるとき、そのチェンジに何か困難はございますか?』とうかがったところ、「車を運転するときも、車種に合わせて運転の仕方を変えるでしょ。それと同じことだよ。ひとつの演奏会で、前半ではナチュラルを吹き、後半でモダンを吹くこともあるけど、まったく違和感はないよ」とこと。
(右)コスター先生の講座に参加していたみなさまとご一緒に。
 左から、トランペットの亀山克敏さん、トロンボーンのロジャー・フラットさん、ホルンの西陽子さん、同じくホルンの藤田麻理絵さん、コスター先生の右はホルンの林伸行さんとテューバの喜名雅さん。


★ 佐伯周子 シューベルト完全全曲演奏会第10回『20歳のシューベルト』
2012年8月16日
   シューベルトのすべてのピアノ曲をとりあげるシリーズの第10回。今回は、作曲家が20歳前後に書いたソナタ3曲と『8つのエコセーズ』がプログラムにのぼりました。
 高本秀之氏によるプレトークつきで、シューベルトのピアノ曲創作の足取りを知る、たいへんためになる演奏会でした。佐伯さんもプログラムで堂々と自説を展開して、それに沿った渾身の演奏を繰り広げました。
● 明治の帯留め
     当夜は黒と真紅の糸で織りあげ、表は黒地に真紅の撫子が浮き上がる紗の着物に淡いクリーム地に銀糸で線柄を織った紗の夏帯を締めて行ったのですが、前々から使えるか試してみようと考えていた、アンティークの帯留めをしてみました。
 現在では、帯留めは三分紐という房なしの細い平打ち組紐に裏側の2箇所の金具に通しておいて、紐の両端を前でギュッと結んでから回して結び目をお太鼓の中へ隠し、帯留めを前へ回して完成、というものが大多数です。
 小さい時分、まだ祖母が生きていて、祖母の帯留めをみて育ったわたくしは、その「ギュッと結んでから回して結び目をお太鼓の中へ隠す」方式を邪道だと子ども心に思っておりました。というのは、昔の帯留めはベルトとバックルのように紐と一体となっていて、最後の部分が可変式で本当に小さな金具で魔法のようにピタリとはめて、微動だにしないような職人技で仕上げられていたからです。でも、子どもでしたのでまだ帯留めなどしませんでしたから、実際にそれを使ったことはなかったのです。おとなになってから帯留めをするときは、金具で通してあって動かせる帯留めしかありませんでしたし、新調するにもそれしか入手できませんでしたので「ギュッと結んでから回してお太鼓の中に隠す」方式を用いていました。
 ところが最近、実家の箪笥をかき混ぜていたところ、子ども時分によく手に取って遊んだ「祖母の帯留め」類がでてきたのです。紐が切れたもの、部品不足のものもありましたが、中に一点、からまった紐をまっすぐにして小さな先端のポッチを帯留め裏の小さいアナに嵌めるとピタッと収まるものがありましたので、それを実際の着用に用いてみました。
 すると、直径2ミリくらいの小さなアナとポッチがしっくりと嵌って、まったく外れる心配がないのにびっくり。本当に驚きました。だって、帯留めと一体となったこの帯締めひとつで、この和装のすべてが支えられているからです。
 この帯留め、明治生まれの祖母のもののはずですが、もしかしたら、慶応とか文久あたりに生まれた曾祖母のものときいたような気もするのです。明治の職人の技、今も生きていました。
 写真は、18金台にマベパールを留めた、明治(新しいとしても大正初期)の帯留め。紐はさすがに退色しているので変えたいのですが、金具で固定されていて、とったら精緻な固定細工に影響が出そうなので、このまま締めました。
補足
     先日の「明治の帯留め」の話題は、わかりにくかったと思うので、補足させていただきます。
(左)はめるポッチとアナの写真です。
(右)表側のマベパールを紐にとめつけた小さな小さな金具にも、お花の細工が施されています。


● 熊本市指定文化財 小泉八雲熊本旧宅見学
2012年8月11日
 8月11日、熊本ユースシンフォニーオーケストラの取材に出かけました。
 コンサートの開演まで少し時間がありましたので、小泉八雲の旧居を見学しました。

 1850年6月27日に英国人の父とギリシャ人の母との間にギリシャのレフカダ島に生まれたラフカディオ・ハーンは、両親の離婚、育ててくれた大叔母の破産、16歳時の事故による左目失明などの辛酸をなめて成長し、19歳で渡米、新聞記者として筆名をあげます。
 1890年(明治23年)4月に来日、松江中学校の英語教師として松江に赴任して18歳年下の小泉セツと結婚しました。その翌年、熊本の第五高等中学校に赴任、しばらく熊本に住みました。長男の一雄は熊本で生まれています。
 八雲が最初に住んだ旧宅は熊本市安政町2−6、鶴屋デパートの裏手にひっそりとたたずんでいました。落ち着いた趣で、簡素なお庭もよく手入れされ、部屋部屋の畳もいぐさがすがすがしく薫って、来館者をくつろがせていました。そして、八雲の人柄と日常が生き生きと伝わる真心のこもった展示。展示物のなかで、もっとも心を打たれたのは、八雲とセツ夫人との間で交わされた、カタカナ書きの書簡。ご夫妻の会話は、子どもたちがヘルン語と名づけたふたりの間でしか解しえない不思議な言葉で交わされていたそうですが、この書簡からそれがどのようなものか、伝わってきました。八雲の書簡には二男の巌氏による訳が添えられ、解読の手掛かりとなりました。筆まめで家族思いだった八雲と、つねに夫に対してやさしくまめやかな心遣いを欠かさなかったセツ夫人。ふたりの夫婦愛は時を超えて読む者の胸をゆさぶります。

 じつはこの旧宅は、現在の場所ではなく、手取本町34番地にあったそうですが、昭和34年に解体の危機に瀕し熊本日日新聞社社長らが保存会を結成して、五高出身者らに呼び掛けて寄付を募り、旧宅の一部を現在の場所に移築して保存したものです。館長さんからそのいきさつをうかがい、関係者のみなさまの努力に頭がさがりました。
 入居のとき「造作になにかご希望は?」ときかれ、「神棚だけつくってくれればあとはこのままでよい」と注文した八雲。その神棚も復元されていました。


★ 熊本ユースシンフォニーオーケストラ 定期演奏会
2012年8月11日 熊本県立劇場
  熊本ユースシンフォニーオーケストラは1964年創設。
 第44定期演奏会は客席数1800の熊本県立劇場で盛大に開かれました。  指揮は1987年以来、高関健マエストロ。現在、多忙を極めるマエストロが継続的に指導している唯一のアマチュア・オーケストラだけあってレベルはとても高く、音楽の内奥をしっかりと照らす、きめ細やかな演奏を聴かせてくれました。

   プログラム
 ベートーヴェン:バレエ音楽『プロメテウスの創造物』作品43 序曲
 コダーイ:ハンガリー民謡『孔雀は飛んだ』による変奏曲
 ブラームス:交響曲第4番 作品98
 写真(右) 重厚なふんいきの熊本県立劇場。
 (左)打ち上げに出席させていただき、高関健マエストロにお話をうかがいました。


★ 東京ベートーヴェン カルテット
2012年8月10日 東京文化会館小ホール
 翌晩は同じ会場で、やはりカルテットの演奏会が開かれました。
 超ベテランのチェリスト、奈切敏郎さんを核として、ヴァイオリンの山中光さん、田村昭博さん、ヴィオラの中川裕美子さんで結成する東京ベートーヴェンカルテットの定期演奏会です。1971年に日本フィルのチェリスト、奈切さんが中心となって「奈切弦楽四重奏団」の名称で創設されたこの団体は、1989年の第100回演奏会を機に、ベートーヴェン研究家の小松雄一郎氏のネーミングにより現在の名称に改称されました。
 その名称に恥じることなく、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲演奏、ばかりではなく、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全曲演奏もすでに達成していて、現在はそれぞれその2サイクル目が進行中。
 当夜は、次のプログラムが演奏されました。くわしい批評は『音楽の友』10月号に書かせていただきますが、年輪を感じさせる名演でした。
   プログラム
 モーツァルト:弦楽四重奏曲第6番 変ロ長調 K.159
 ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第7番 嬰ヘ短調 作品109
 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調 作品130


★ TOKI弦楽四重奏団2012 in Tokyo
2012年8月9日 東京文化会館小ホール
   みなさまは『TOKI弦楽四重奏団』というグループ名から、なにをイメージされますでしょうか?
 時を大切にする人々の集まり? コンテンポラリーな曲をメインとする集団? TさんとOさんとKさんとIさんからなるカルテット?
 じつは「TOKI」とは、「鴇」あるいは「朱鷺」、学名を「ニッポニア・ニッポン」というあの美しい桜色の羽根を持つ特別天然記念物のことだったのです。
 もともとこのグループは、朱鷺のふるさと新潟に縁のあるメンバーで創立されたことから「TIKI」を冠して発足したそうです。
 左のポスターのバックカラーも鴇色、朱鷺の翼がデザインされています。
 現在のメンバーは第1ヴァイオリンが関西フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスターの岩谷祐之さん、第2ヴァイオリンがオランダ・リンブルグ交響楽団で活躍中の平山真紀子さん。ヴィオラが読売交響楽団ソロ首席奏者の鈴木康浩さん、チェロがソリストとしても活躍し主要オーケストラの客演首席奏者を務めている上森祥平さん。
 今回はこの4名に加え、かつてこの四重奏団に在籍し、現在、オランダのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団ヴィオラ副主席奏者を務める新潟出身の小熊佐絵子さんがゲスト出演して、弦楽五重奏曲をメインとする次のようなプログラムが組まれました。
 ブラームスの大作以外は遭遇機会のまれな隠れ名曲が顔を揃えました。なかでもブルッフの弦楽五重奏曲は作曲者80歳代の晩年作ですが、自筆譜の紛失により長年演奏されることなく埋もれていたものが、義理の娘の筆写譜が現存していたため数年前にようやく出版されたばかり、という貴重な1曲。
 初めて耳にさせていただいたところ、人間味あふれる旋律美と深い情感、親しみやすく美しいハーモニーの虜となりました。冒頭のヴァイオリンのモノローグ、アダージョ楽章のヴィオラの息の長い開始音、中間部でその上に弦4者を歌わせるピツィカートなど各楽器の聴かせどころもさりげなく配されているあたりにも、老練な作曲家の手腕を感じました。
 メインのブラームスはヴィオラ2挺を重ねた効果が十全に発揮された快演で、弦楽五重奏の醍醐味を堪能しました。
 最後に、思わず目頭が熱くなってしまったのはアンコールの『スコッチ・ファンタジー』第3楽章でした。第1ヴァイオリンの岩谷さん不在のままアンコールが始まろうとしたので?と首をかしげていましたら、ステージ裏からあのノスタルジックなテーマが聴こえてきて、岩谷さんがそのまま弾きながら登場して椅子に腰をおろし、ほかのメンバーもそれに和して胸に染みる合奏が繰り広げられました。スコットランド民謡『ジョニーがいとしい』による切なく甘美な変奏曲です。あとで鈴木さんにおききしましたら、このすばらしい編曲と演出を手掛けたのは平山真紀子さんだということです。本当に実力派揃い、しかもチェレンジ精神の旺盛な魅力あふれるカルテットです。


★ チョン・ミン指揮 アロイシウス・オーケストラ 日韓友好演奏会(14:00開演)
★ チョン・ミュンフン指揮 アジア・フィルハーモニー管弦楽団2012(19:00開演)
2012年8月2日 サントリーホール
 同日、同ホールで5時間を隔てて、ふたつのオーケストラ演奏会が開催されました。
 それだけなら珍しいことではありませんが、なんと、ふたつの演奏会の指揮者は実の親子。

 昼公演の指揮者チョン・ミン(1984年ドイツのザールブリュッケン生まれ)は、夜公演の指揮者チョン・ミュンフン(1953韓国ソウル生まれ)の第三子。カエルの子はカエルで、幼い時から交響曲を子守歌に聴き、楽器をおもちゃに育ったそうです。コントラバス、ピアノ、ヴァイオリンを弾きこなし、高等教育はパリで終えたのち、韓国のソウル大学でドイツ文学と音楽を学びました。こうした幅広い実践力と教養をベースに指揮者街道を驀進中。
 今回の演奏曲は、マーラーの交響曲第1番ニ長調『巨人』。聴かせどころも多いかわりに、場面転換の運びの難しい曲ですが、チョン・ミンはメリハリをつけながらもスムースにつないでいき、各楽器のソリストたちにも存分に歌わせました。
 彼が指揮するアロイシウス・オーケストラは1979年、Sisters of Mary財団の運営する児童養護施設に創設された青少年オーケストラで、初めはミサのための演奏団体として発足したそうですが、その後多くの本格的ステージを経験し、厳しい練習に耐えながらレベル・アップを遂げて、カーネギーホールの聴衆からも大喝采を受けるまでとなりました。
 音楽から生きる希望とパワーを受け取っているという彼らの演奏は、若者らしいひたむきで潔癖感にあふれるもので、聴いていてとてもすがすがしい気分になりました。共演した千葉県少年少女オーケストラも力の限り彼らを支え、すばらしいアンサンブルをつくりあげていました。

 お父さんのチョン・ミュンフンは、シューベルトの『未完成』交響曲とベートーヴェンンの『英雄』交響曲という、王道中の王道プログラム。
 驚くほどテンポを落としてじっくりと隅々まで精緻に描き出した『未完成』。
 この分だと、きっと『英雄』も荘重に始まるのかな、と固唾を飲んでいると、なんと、きわめて快調にきびきびと冒頭ふたつの和音を響かせ、ぐんぐんと軽やかに進みます。
 かと思えば、第2楽章の『葬送行進曲』は重々しい足取りで。
 前進力にあふれたスケルツォも、フィナーレの快進撃も圧巻!!

写真は、(上)息子のチョン・ミン  お顔も体つきも指揮ぶりもお父さんにそっくり!  (下) お父さんのチョン・ミュンフン


★ 外山啓介ピアノ・リサイタル
2012年8月1日 サントリーホール
 外山啓介君の今年のリサイタル・ツァーは東京、札幌、大阪の3公演。初日にあたる8月1日のサントリーホール公演は満杯に近い大盛況でした。
 前半は『幻想』をテーマに、モーツァルト、ショパン、リストが並び、後半は一点豪華に『展覧会の絵』という意欲的なプログラム。長身、大柄なピアニストですが繊細な神経の持ち主だけに、初めのうちはとても慎重に弾き進みます。でも、メイン・ディッシュの『展覧会の絵』にはここぞと精進の成果を注ぎ込み、最終曲「キエフの大門」で豪快な和音を響かせて完全燃焼のようすでした。
 初日の自信を手土産に出かけた札幌公演、大阪公演は、さらによい結果が出たのではないでしょうか。
 プログラム
  モーツァルト:幻想曲 ニ短調K.397
  ショパン:幻想即興曲op.66
  ショパン:幻想曲 ヘ短調op.49
  リスト:ソナタ風幻想曲『ダンテを読んで』
   休憩
  ムソルグスキー:組曲『展覧会の絵』

写真左から  假屋崎省吾さんとバックステージに駆けつけ、外山君を囲んでリサイタルの成功を祝福しました。
 作曲家の権代敦彦さんと假屋崎さんで、外山君を囲んだところ。
 権代さん、假屋崎さんとご一緒に。
 そのあと、お向かいの「オー・バッカナール」で納涼のひととき

●「本日の帯留め」
   「迷子のパール」
 楕円形のシルバー台に、あこやの7ミリ玉、5つを並べたシンプルな帯留め。
 これはごく最近、自分で購入して、この日初めてつけたものでしたが・・・・・・。 帰りに六本木一丁目の駅まできて何気なく帯を見たとき、わが目を疑いました。なんと、楕円形の台だけが残り、5つのパールが忽然と消え失せていたのです。一瞬、何がおきたのか、まったくわかりませんでしたが、パールを留めた細い横バーが枠からはずれたのです。
 来た道を引き返して探しましたが発見できず、あきらめていたところ、翌日、手提げバッグの中に見たことのあるようなアイテムが。
 運よく、手提げの中に落ちたというか、手提げのふちがあたったはずみでとれたのか。
 金属溶接の技術がないため、白の絹糸で、枠の唐草透かしに苦心して縛り付けました。 写真に糸が写っているのがご覧いただけるでしょう。昔のものなら、こんなことは絶対にないでしょう。というか、昔とか今とかの問題ではなく、安物ゆえの悲喜劇。貯金して、高級パールを買うまでは(涙;)、この絹糸で縛り付けた「迷子パール」に活躍してもらいます。


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