日本がまだ敗戦の痛手から立ち直りきれなかった1950年代、ヨーロッパのメジャー国際コンクールで日本人として初めて最高位を獲得、現地のジャーナリズムから「東洋の奇跡」とまで称えられ、母国日本の人々の心にも薫風を吹き込んだ若い女性ピアニストがいた。類い稀な資質を超人的な努力で磨いた彼女の名は田中希代子。悲運にも原因不明の難病に倒れ、36歳の絶頂期にステージから去ったが、希代子のピアニズムは欧米の第一級ピアニストに比してなんら遜色のないものであったことを、遺された録音は如実に伝えている。クラシック音楽の歴史の浅い、しかも敗戦国の焦土のなかから、これほどのピアニストが生まれた秘密とはいったいなんだったのだろうか?
2005年1月5日 潟Vョパンより刊行
ヤマハ銀座店 八重洲ブックセンター 新宿の紀伊国屋書店及び同書店の新宿南口店 新宿南口のタワーレコード 池袋東口のジュンク堂書店 オペラシティ−2階のくまざわ書店(いずれも音楽書コーナー)をはじめ多くの書店の店頭に並べられています。
右の写真は、『月刊ショパン2005年1月号』に掲載された広告です。
巻頭のグラビアのほか、本文中の写真も豊富です。巻末には田中希代子と音楽史関連事項の年譜、ディスコグラフィー及び参考文献も掲げました。
定価は、お求めやすい1500円(税込み1575円)
田中希代子は、日本のピアニストが国際的に評価される夜明けを告げた類い稀な才媛だった。これは、その生い立ちから悲劇的な死までを、丹念な調査・取材を基に、克明に迫ったライフストーリーである。と言うと、細かいデータや資料が羅列された、ともすれば無味に陥りがちな内容を想像されるかもしれないが、そこには筆者の小説的構成と巧みな筆致が見事に踊って、一気に読み終えてしまった。
田中希代子は、評者にも少なからぬ関わりのあった人なので、個人的な思い入れが全くなかったとはいえないが、それを差引いても、流星のような軌跡を多くの人に刻みつけた短い一生が、余すところなく書き綴られた貴重なまた感動的な一書であることに変わりない。
山あり谷ありの変化に富んだ筋立てのなかに、三つのクライマックスが築かれる。ジュネーブ、ロン=ティボー、ショパンというヨーロッパのメジャーな国際コンクールに次々と日本人初の上位入賞を果たして国際的に評価され、ヨーロッパと日本を往復しながらの多忙な演奏活動。その栄光の頂点を突然襲った不治の病魔とCDに甦った復活のドラマ。そして身体の自由を失った悲劇的な死。
また、彼女の将来を運命づけた二人の師、安川加壽子とラザール・レヴィをめぐる著者の言葉を借りればハイフィンガーと重力という二つのピアノ奏法の話も、ピアノに関わっている人は興味をそそられよう。加えて彼女の両親を含め、彼女を巡って重要な役割を担った人々が詳細に描写されていて、その史料的価値の高さも本書の価値を高める重要な要素として挙げられる。
日本がようやく敗戦の痛手から立ち直り始めた頃に、田中希代子という桁外れの天才がヨーロッパを駆け抜けて、その後高い水準に達した今日のわが国ピアノ界を予見した。彼女の大きな存在をより多くの人が知るために、本書の果たす役割は限りなく大きい。
(相澤昭八郎)
『サンデー毎日』 2005年3月13日号の 『サンデーらいぶらりぃ』 コーナーで
「私を含めて音楽に夢中の少女たちにとって、田中希代子は憧れの星(スター)だった」 と述懐されるマークス寿子先生より、
「本書には・・・ピアニストにとって致命的な病気を必死で受け止め、生き抜いたひとりの女性の生き様が誇張されることなく正確に描かれていて見事である。」
とのお褒めの言葉をいただきました。
ありがとうございました。
日本がまだ敗戦の痛手から立ち直っていなかった昭和25年夏、第1回フランス政府給費留学生6人を乗せたラ・マルセイエーズ号が横浜から出航した。そのなかにひとり女性が、それも18歳の少女がいた。
安川加壽子にピアノを学んだ田中希代子。パリ音楽院にトップで入学し、その後、ジュネーブ、ロン=ティボー、ショパンなどの国際ピアノ・コンクールに高位入賞。「東洋の軌跡」と謳われた。先輩の「伝説のピアニスト」原智恵子に似ている。
その生涯を追った評伝。
世界的に活躍するようになった絶頂期の36歳に突然、不幸に襲われる。膠原病にかかりピアノが弾けなくなった。以後、後進の指導にあたるのだが、ピアノを弾けないピアニストの悲劇に胸が熱くなる。(川)
1996年に64歳で没しているので、まだそんなに昔の人ではないはずだが、30代後半という若さで膠原病に侵され、早々とコンサート・ステージを退かねばならなかった悲劇的境遇が、田中希代子を「伝説のピアニスト」とした。
その晩年、篤志家たちにより制作されたCDシリーズ「田中希代子・永遠のレコーディング」を聴き返しても、この人は本当の天才であったと思う。敬愛をこめて偲ぶ人も多い芸術家だけに、その評伝はぜひ書かれねばならなかったもので、いま、ふさわしい書き手によりそれが成されたことを喜びたい。
すでに「五線譜の薔薇」「幸田姉妹」と、女性音楽家評伝の好著を世に送っている萩谷由喜子さんは、この本を「ラ・マルセイエーズ号の船出」と題する序章から始める。そこに描かれるのは、対米戦争の痛手がまだ癒えぬ頃、すべて不如意な中、しかも健康状態が良くないまま、あえて長旅の客船に乗る18歳の少女、希代子の姿である。日本のピアノ界に真の夜明けをもたらすべく、限りない夢を抱きながら、しかも悲劇を予感させる、その姿は、まさしくこの本の「主題」を提示するもので、巧みな「音楽的」出だしと言えよう。
つづいて語られるのは、共に音楽家であった両親のことをはじめ、希代子の生い立ち、師事した先生たちについて、それにちなんで洋楽輸入黎明期以来の日本のピアニストたちのあれこれなど。この著者らしく、すべてに考証の行き届いた筆致により、日本におけるピアノ演奏法の流派や、その中で際立った才能を示した希代子の位置づけと意味するところが明らかにされていく。
日本のみならずヨーロッパでも声価を高めながら引退を余儀なくされたのち、後進を導くことに生きがいを見いだしたピアニストの、ゆかしく、含みが豊かで、しかも凛とした人となりを描き得ていることも、この一冊に、たんなる資料的な伝記には終わらぬ価値をもたらしている。
(濱田滋郎)
・・・今回紹介する萩谷由喜子著「夜明けのピアニスト/田中希代子」もこれらに比肩すべき好著となってここに加わった。前作「幸田姉妹」でも好評だった萩谷の綿密な取材による優れた評伝であり、奏法にまで踏み込んだ著述はピアノ演奏を研究する人にも参考になるだろう。・・・(K)
・・・ピアノという自己表現の手段を奪われた彼女の本当の絶望感は彼女にしかわからない。でも、過酷な運命と向き合い、辛い病気を受け入れていった様子は、本書から伝わってくる。
・・・本書では、田中希代子の生涯に付随して、彼女に至るまでの日本人ピアニスト(久野久と小倉末子との比較が印象的)の歩みやピアノ奏法(ハイフィンガー奏法と重力奏法)の歴史などの興味深い話も紹介されている。
(山田治生)
・・・私がこの人のことを知ったのは、没後の97年に山野楽器から発売されたCD『ドビュッシー・リサイタル』によって。静かな品のいい演奏に魅了された。
最近出版された評伝、萩谷由喜子の『田中希代子 夜明けのピアニスト』は、この悲運のピアニストの生涯を敬愛こめて描き出している。・・・
(川本三郎)
上記の他にもたくさんの新聞、雑誌等において 『田中希代子』 をご推薦いただきました。いくつかをご紹介させていただきます。
『五線譜の薔薇』、『幸田姉妹』に続き、『田中希代子』 も 2005年9月、有限会社オフィス・コアの手によって録音図書になり、視覚障害の方々に聴いていただけることになりました。嬉しいことです。
★ 「田中希代子」 が、『東大新入生にすすめる本』 に !
東京大学出版会 「UP」 2010年4月号
このほど、、東京大学出版会「UP」 2010年4月号(左写真)の特集記事 「東大教師が新入生にすすめる本」 において、箸本春樹先生(総合文化研究所・教養学部准教授/植物細胞生物学)が拙著 「田中希代子」 (ショパン、2004年)をあげてくださり、素晴らしい推薦文(右写真)を掲げてくださいました。
大変名誉なことと、嬉しく思います。
詳細は、東京大学出版会のホームページをご覧ください。
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