| 奥秋加賀守房吉(おくあきかがのかみふさきち) 永禄10年(1567)10月19日、永禄8年9月より幽閉されていた信玄の嫡子義信が死んだことから、家臣の動揺を抑えるため、信玄は一族や家臣からも誓詞をとって動揺や分裂を防いだとされる。誓詞は、生島足島神社(長野県上田市)への起請文という形でだされた。この中には、小山田信茂の他、信茂の家臣の奥秋加賀守房吉、小林和泉守房実、河村治部左衛門房秀、牛田善右衛門真綱の名も見える。岩殿七社権現の棟札に奥秋神右衛門尉長吉、同大蔵2人の名前が記されている。 |
| 【詳しく知りたい人】 「甲斐国志」 巻97 人物部第6 |