柳 文朝(やなぎぶんちょう)
 号は、南龍斉、住居は通油南新町、あるいは南油町ともいわれていたという。
 明和年間の末から寛政の頃活躍したと記されているのみで、詳細は明らかになっていない。
 また、2代目文朝の存在が記されている。「柳文朝、初め狩野派を学び、後柳文朝の門に入り、2代目文朝という。俳優肖像を巧にす。文政頃の人。文康、柳文朝の門人、通称安五郎、世人呼んで文康安という。錦絵を描く文化年中の人」(『増補浮世絵類考』)とある。
 初代文朝は明和〜寛政の人、2代目は文朝は文化〜文政頃の人というこのになる。
 八朔祭早馬町屋台中幕「裸馬群像」には、柳文朝の署名と「南龍斉」「文朝」の印が認められるが、年代的には2代目文朝の作と推定される。

早馬町屋台中幕「裸馬群像」
【詳しく知りたい人】
 棚本安男「城下町の祭礼 八朔祭」『郡内研究第10号』2000 都留市郷土研究会