弥生時代(今から2,300年前から1,700年前)
 狩猟、漁労、採集による生活から、水稲農耕が開始された時代を弥生時代という。稲作技術は、縄文時代晩期の終わりにはすでに北九州地方へ伝えられていたが、やがてこれに金属器や機織りの技術などが流入し、弥生文化が生まれた。
 弥生時代は、前方後円墳などの古墳が出現する4世紀までの600年間を呼び、この時代土器の発達段階によって、前・中・後期の3期に大別されている。
 市内では、生出山山頂遺跡、宮原遺跡、牛石遺跡などの遺跡が認められる。

@ 生出山山頂遺跡  都留市四日市場  
【立 地】
 標高701.4mの生出山山頂 に遺跡は立地する。
 生出山は、採石によってかっての姿が偲ぶべくもなくかわってしまったが、山頂部には東西約20m、南北約30m以上の平坦部があり、山頂から少し下ったところには豊かな湧水をたたえていた沢があったと伝えられている。遺跡は、この山頂部を主体に拡がっていた。
【調 査】
 遺跡は、太平洋戦争中に油の不足を補うために松根油の採掘が行われた際、土器も採取されたことから遺跡の存在が知られるようになった。
 調査は、採石区及び鉱業権の取得申請に伴う緊急調査として、昭和52年5月9日から5月30日までの19日間にわたって実施された。
 調査の結果、縄文時代早期(今から約8,000年前)の住居址1軒、小竪穴3基が発見され、また、グリッドより弥生時代中期の条痕文系土器片及び環状の磨製石斧が出土した。

A 宮原遺跡  都留市法能  
【立 地】
 桂川の支流である菅野川と戸沢川の合流点に近接する沖積台地上に立地し、専徳寺から谷村第二小学校にかけて広がる。
【調 査】
 昭和59年7月に、谷村第二小学校の新校舎建設に伴う発掘調査が実施され、遺構は検出されなかったものの弥生時代中期の条痕文系の土器や、石鍬、打製石斧、磨石などの石器類が出土した。

B 牛石遺跡 都留市厚原  
【立 地】
 桂川とその支流、大幡川が合流する厚原地区字牛石の河岸段丘上に立地する。
【調 査】
 
圃場整備事業に伴い昭和54年5月〜8月、昭和55年7〜9月、昭和56年1月〜3月の3次にわたって調査が実施された。
 第2次調査において、台地の西側を対象として発掘調査を実施したところ、縄文時代中期末葉の大環状配石遺構の存在が確認され、全貌をあきらかにすべく、第3次調査を実施したところ、配石遺構の中央部から弥生時代中期の住居址3軒が検出された。
【遺 構】
 発見された3軒の住居址の内、第1号住居址は、5.5m×5.5mの隅丸方形プランを呈し、四隅に焼土塊が認められた。同住居址からは、壺・甕・鉢の土器組成の他に、石器類として有孔磨製石鏃が出土した。

詳しく知りたい人】   都留市史 地史・考古編 1986 都留市史編纂委員会