浄土宗古今山西凉寺といい、本尊は阿弥陀如来である。
開山深誉上人は、江戸神田に生まれ、武家の出であったらしい。芝増上寺の中興上人で、師の観智国師は徳川家康の帰依をうけ、家康の葬儀のとき引導を授けた人である。
深誉上人が谷村に来たのは、天正10年(1582)郡内領主小山田氏が亡んだ後、鳥居元忠が都留郡に移封になった頃で、里長であった里吉弥次右衛門を開基としてこの寺を開いた。里吉家はもと曹洞宗であったが、同氏が信仰していた中津森の「光り堂」の本尊阿弥陀如来を移し、深誉上人に帰依して大壇那となり、精舎を建立して古今山西龍寺と号したが、後に西凉寺と改めた。
寺は正保3年(1646)と、元禄8年(1695)の下谷村大火で類焼し、そのたびに本堂、庫裡等を再建したが、昭和24年の谷村大火により全焼した。現在の建物は、3年間の歳月をかけ昭和47年に復興したものである。
郡内33番観音霊場第3番札所で、御詠歌に「いにしえも今もたえせぬ西凉寺大悲の誓いあらたなりけり」と詠まれている。都留市下谷の笈堂が廃寺となったため、西凉寺に合祀し、33番札所をかねている。
儀秀稲荷杜
秋元氏が谷村城に入城した時から、72年間屋敷に祀られていた稲荷社であったが、宝永2年(1705)川越に移封のとき、西凉寺へ遷座されたもので、藩主喬朝の法名(義舟喬知大居士)をとり、別名儀秀稲荷杜と呼ばれている。昭和24年の谷村町大火のとき、西凉寺裏山の一本一草まで焼け果てた中に、木造の小さな稲荷社だけが残されていた。それから厄除儀秀稲荷として、毎年5月13日に儀秀講により祈願祭が行なわれている。稲荷社の彫刻は福田俊秀の作で、明治30年に内殿を再建したときに彫った名作である。
徳本上人名号塔
境内に、徳本上人の名号塔が建てられている。これは、文政元年(1818)に建立されたもので、高さ2m、幅1mもある大きな六字名号塔である。
|