| 鹿 留(ししどめ) 室町時代から村名がみえ、宍富とも書く。 当地の光照寺旧蔵の応永18年(1411)12月17日の紀年銘をもつ梵鐘に「甲斐鶴郡宍富村大医山広照禅寺」とある(甲斐国志)。 永正5年(1508)7月28日の旦那願文案(熊野那智大社文書)には、「しゝとみ」住人として「渡辺」安衛門、「ふかたの」新左衛門、「小野ま」ぬいの助、「しゝとみ」源六の名がみえる。 また、天文18年(1549)8月6日の旦那願文(同文書)には「しゝとみ」の住人として「はんはの村」渡辺新衛門尉、「同かぬま」の渡辺弥次郎、「ほうのう」監物弥七郎、「谷村」竹井与衛門、「古平石」中野小三郎・同甚七郎、「中つもり」小三郎、「うえ狩の村」善三郎ら8名の名がみえる。 元亀4年(1573)7月3日の小山田信茂寺領書立(長生寺文書によれば、長生寺領41貫675文の内鹿留で5貫850文が与えられている。 |