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【立 地】
遺跡は桂川の右岸段丘上に立地し、遺跡の所在する現在のつる四・五丁目付近には平坦面が広がり、古代においては桂川を挟んで対岸の厚原の牛石遺跡と共に、当地域の中心地と推定されている地域である。
【調 査】
調査は中央自動車道富士吉田線の四車線化工事及び都留インター建設工事に伴う緊急調査として、A地区は、昭和55年5月20日から昭和55年8月23日まで、B地区は昭和57年10月28日から昭和57年12月29日まで、C地区は昭和58年2月21日から昭和58年3月10日まで、D地区は昭和58年5月30日から昭和58年6月30日まで、E地区は昭和58年7月11日から昭和58年9月3日まで、それぞれ実施した。
【遺 構】
A地区からは、平安時代の竪穴住居址2軒、土壙3基、溝状遺構1基、B地区からは掘立柱遺構と思われる94基の小穴、C地区からは掘立柱遺構と思われる54基の小穴、24基の溝状遺構、C地区からは掘立柱遺構と思われる9基の小穴、1基の溝状遺構、E地区からは平安時代の竪穴住居址2軒、掘立柱遺構と思われる39基の小穴、溝状遺構11基がそれぞれ検出された。
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