雨 宮 六 園(あめみやりくえん) 

 名は之、字は天賜、六園と号した。駿河沼津の城主水野出羽守の儒臣だったが、故
あって水野氏のもとを辞して諸国を漫遊したのち、甲府学問所、石和教諭所の教員と
なり、嘉永4年(1851)代官佐々木道太郎に招かれて興譲館の教授となり12年間在職
した。多くの門弟を教育し、維新前後の混乱の時代を政治、経済、教育の指者として
活躍した。
 文久3年(1863)9月8日病で没し普門寺に葬られた。享年74歳。墓は市の文化財に
指定されている。
 
                                               
 雨宮六園の墓(普門寺)市指定文化財
topへ戻る