| 森 嶋 其 進(もりしま きしん) | ||
| 森島弥十郎は、諱は其進、字は子与、弥十郎は通称で桂園と号した。宝暦11年(1761)下谷村の絹問屋森島利八の長男として生れ、安永7年(1778)18歳のとき、父に請うて江戸に遊学し大学頑林家の門に入り昌平校に学んだ。 天明2年(1782)3月、父の失踪により郷里に帰って家業を継ぎ、商売は盛んになり富を得たが、学問の道を歩むために家を弟の理八にゆずり塾舎「朋来園」を開いた。 其進は、下天神町の天満宮を尊崇し、社殿、神輿を造営寄進し、門下生たちも師にならって同社へ二基の石灯籠を奉納した。其進は、学友雲室が描いた「菅公像」に賛を書き、また、自ら「天満大自在天神」の神号を墨書し、「藤原其進」と署名している。 文化11年(1814)甲府勤番支配松平定能のもとで「甲斐国志」の郡内地区編さん主任を命ぜられ、私財を投じて完成させた。 文政4年(1821)10月13日、多くの門下生に看護されながら、学者、教育者としての生涯を終えた。享年60歳であった。 |
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| 【詳しく知りたい人】 都留市史資料編 都留郡村絵図・村明細帳集 1988 都留市史編纂委員会 |
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