今 井 堰(いまいせぎ)

 延宝2年1月、秋元喬知は今井半兵衛に命じて、天家坂上(上暮地)から溝渠を開削し、上暮地・下暮地・小沼の田畑を潅漑した。
 工事には、暮地・小沼の村人515人が駆り出され、112日間の工期を要した。工事の奉行となった今井半兵衛の名をとって今井堰と名付けられたが、後に、今堰(いませき)と呼ばれるようになった。

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