広 教 寺(こうきょうじ)


 曹洞宗大幡山広教寺といい、本尊は延命地蔵菩薩で、体内に地蔵立像の小仏像が祀られていたといわれている。
 建仁2年 (1202)鎌倉の源頼家の命を奉じて寿三和尚が此の地に来て一寺を建立し開基となった。数代にわたり建長寺末寺であったが天文9年(1540)曹洞宗の石心宗玖和尚が住持のとき改宗、八代郡米倉竜安寺末寺となった。
 総門の扁額「大幡山」は、加賀大乗寺の名僧舟宗胡禅師の書かれたものである。

 
地蔵菩薩坐像
 座底に「明徳元年(1390)6月16日重吉在判歳二十三」と記されている。また台座に「明徳元年四月二十三日法眼院誉謹作」とあり、広教寺寺記には七条法眼と言う人となっている。
 院の字を用いる仏師は、一般に院派と称されており、本菩薩坐像は院派の特徴である保守的で整美な趣きが表現されている。年代が明記されているものでは、現在市内で一番古いものである。坐高63p。
 昭和52年6月29日、市の有形文化財に指定された。
 広教寺の大般若経
 大般若経は、大般若波羅密多経といって、仏教の中心思想である一切の諸法皆空の理を明らかにしたもので、唐の玄奨の訳。(660〜63年の成立)で600巻から成っている。
 国家安穏、災害消除の祈祷行事として真言、天台、禅宗などで転読され、それがさかんに行なわれたのは天平の一頃からといわれている。
 広教寺の大般若経は、全巻揃ってはいないが寛文10年の年号が記されており、市内最古である。
 昭和57年5月18日市の文化財に指定された。

topへ戻る