勝俣三千代
(かつまたみちよ)
通称は儀七、別号春草庵、春秋庵幹雄を師とした。江戸に遊んで義太夫を好んで師に
ついたといい絶好の粋人だと騒がれた。明治初年にまねかれて長野へ夫妻で養蚕の指導
にいったことは、あまり知られていないようだ。
明治27年、60才で没した。
蚕家の嫁は白歯にもどりけり
夜の間にも日数かたむく楼かな
名月や灯ひとつの置きどころ
この名月の句は京都金閣寺の献額への作品であったという。