五十嵐城南(いがらしじょうなん)
 本名を喜惣太といい、号を城南逸士と称した。伊勢崎藩士の息子で、父氏蔵が明治初年谷村に裁判所が置かれたとき初代判事として就任したといわれている。
 田崎草雲の弟子となった後、修業のため各地を遍歴して谷村に居住し、当時さかんであった絵甲斐絹の下絵を描きながら画道に専念し立派な作品を多く残している。昭和4年11月2日、62歳で没し円通院に埋葬された。
 下町、仲通り組には、城南の描いた八朔祭幔幕「富士山と龍」(昭和3年製作)が伝えられている。
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