三枝彦太郎(さいぐさひこたろう)
 明治6年(1873)10月24日、三枝彦兵衛の長男として東桂村鹿留329番地に生まれた。
 学を志して13歳にして上京し、錦城学校に学んだ。明治26年近衛師団に入隊、日清戦争
に従軍して勲7等青色桐葉章を授与。
 戦後郷里に帰り、34年9月に甲斐絹業組合雑誌記者となり、35年8月村会議員に当選し、
37年4月2日退職まで地方政治の進展に寄与。
 明治35年ふたたび上京し、相川広作、神戸千代氏と協同して電灯広告社を創設し社長に
就任し、今日の隆盛をみる社の礎を築き、後に中央電力、三井物産、富士山麓電鉄株式会
社等の重役を歴任し、実業家として確固たる地位を占めた。
 明治37年3月、日露戦争に応召し満州の拡野に転戦し勲6等単光旭日章を授与される。
 大正9年(1920)47歳のとき衆望を担い第14期衆議院議員に出馬当選し、政友会代議士
として国政壇上で活躍した。なかでも、中央線電化の建議を掲げ、議会通過に努力し、そ
の実現をみる等その重責を果たした。
 そのほか、郷土の繁栄と発展を期して谷村町水道・電気事業の推進、鍛冶屋坂隧道の開
通(大正9年)谷村高等女学校の設置(大正12年)東桂小学校の建設、児童奨学資金の設
置等公共施設の整備拡充と住民福祉増進のために尽力した。
 翁は資性剛毅にして清簾謹直、かつ情誼に厚く、豊かな政治的識見と経験をもって本県
政界の重鎮として指導的役割りを演じた。この功により勲5等瑞宝章の栄誉を贈られた。
 また翁は、多忙の中に寸暇を惜んで書にはげみ、天籍と号して豪放活達な書画を残した。
 数多くの人達に慈父として敬慕されつゝ、昭和4年(1929)4月17日、56歳の生涯を終え
た。
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