牛田唯一(うしだただいち)
 元治元年(1864)3月14日、牛田八郎の長男として玉川村53番地に生まれた。
 郡内の名門豪族で郡内甲斐絹織物の先達であった父八郎の跡を継ぎ、よく業界の発展に
尽くした。
 明治11年東京に遊学し、野口英夫らと中村敬宇の同人社に学び和漢英学を修め、さらに
2年間東京第一中学校に学び、また諸大家の門に遊んで帰郷、21年には三吉、盛里、開地、
三村連合戸長、22年同村長、26年には郡会議員を経て32年(1899)1月35歳、県議会議員
に当選して参事会員となり、36年10月まで県政の枢機に参与した。
 明治40年10月県議会議員に再選し、42年11月7日県議会議長に選ばれ、44年10月5日の任
期終了まで就任した。
 いわゆる智謀の人として政友会山梨支部院内総務ともなり、郡内出身の胆力の藤田胸太
郎(上野原町)腕力の後藤善四郎(大原村)の各県議とともに常に県政界をリードした。
 なお、明治43年には雨宮敬次郎、小野金六らと協力して桂川電力株式会社を設立して取
締役となった。
 明治44年10月、県議会議員に3選されたが、大正4年(1915)3月、第12回衆議院議員総
選挙に出馬し、猛烈な干渉の中で苦闘よく政友会ただ1人の当選者となった。
 ついで大正6年4月、第13回総選挙にも再選されたが、活躍中不幸にも大正7年(1918年)
11月2日五52歳にて病逝した。
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