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県病院谷村分院は、明治10年4月6日、現在の谷村第1小学校庭にあった三光院の建物を借り受けて開設された。
その後、県下に開業医や私立病院が増加し、県議会において、県費を多く使ってまで分院を経営する必要はないという意見の多数決により、明治22年3月末日をもって谷村、睦合、日野原の分院は廃止された。
しかし、村民の要望により村立谷村病院として経営された。
明治33年4月、県立中学校都留分校が設置され、院舎を分校に当てるために、病院は院長の野呂勉の居宅(現市役所駐車場)を借りうけて経営を続けた。
明治40年1月1日から、経営を笠井次郎、加藤寅輔に管理を一任し、年間600円の補助金を出して経営を続けたが、大正3年、当事者の協議により12月をもって解散し、診療は私立病院に依存することになり、37年間をもって公立病院の経営は終った。
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