谷村工商学校野球部(やむらこうしょうがっこうやきゅうぶ)
 敗戦とともに往年の桂クラブの選手たちも、戦死者や抑留者を除き昭和22年の春までにははとんど復員したが、東京の食料難や住宅事情に恵まれず谷村に居住する者が多かった。
 そのため桂クラブは戦後最強のチームを編成することができ、同年開催された第1回県下硬式野球大会、第3回県下軟式大会など総べての県下大会に優勝し野球王国谷村町の名声を高めた。
 また、第2回国民体育大会の軟式野球に出場した谷村CL(桂クラブ)は決勝戦まで進出したが惜しくも長崎山領組に敗れ2位となった。この年白須鉄工チームは、第2回社会保険野球大会(会場松本市)に出場して優勝した。
 これら各野球大会に活躍して優勝の快挙をなし遂げた社会人チームとともに、谷村工商学校野球部もいち早く復興をめざし、戦後の悪条件をよく克服し、昭和22年山梨県代表となり、第2次予選において静岡県富士高校を撃破し、山静代表として甲子園出場のを果たした。甲子園においては東北代表福岡高校と対戦し、延長11回の末8対7で敗れたが立派な金字塔を谷村野球史上に残した。
甲子園に出場した谷村工商野球部
【詳しく知りたい人】
 
奥 隆行『都留野球回顧録』 1979

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