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文様あれこれ 「縞文様」 華やかさと滅びの異なるベクトルを併せ持つ、もののあわれの象徴のさくら文様。その対極にある文様といえば縞だろうか。九鬼周造の「粋の構造」でも、京都風の「はんなり」の美意識は花模様に具現し、対する江戸風の「粋」の代表は、縞文様ということになっている。 花模様と縞の対照は、九鬼周造も当然知っていたに違いないが、西欧にも伝統的にみられる。中世において、受胎告知の聖母の庭に咲き乱れる花々は聖母の純潔の象徴であり、花園は愛、生命、神の栄光、すべて善きものとして描かれていた。そんな花模様と縞文様の扱いはずいぶん違う。これは後ほど詳しく見てみよう。 さて、縞模様の「シマ」という名称は「島」からつけられたことはよく知られている。室町時代に盛んに舶来した縞文様は当時カルチャー・ショックとも言うべき新風をもたらしたらしい。 *(これは漢道、シルク・ロードのことという説もあります。) もちろん舶来の縞模様以前にも、シンプルの代表のようなこの文様はあったのだ。それはだいたい「スジ」と呼ばれていた。土器の表面につけられたスジは用具の名をとって櫛目文。中高な形状からは鎬(しのぎ)文という具合だ。 ◎…画像をクリックして大きな写真を御覧下さい ◆(右側の花器の縞は巾が広いのでもう麦わらとはいいませんね。左の湯のみが「色絵麦わら湯のみ」。このくらいの長さの線を一息に引くのは別に難しいことではありませんが、真直ぐで肥痩のない線だけで描くと息苦しい感じになってしまいます。あえて線を継ぐことでリズムがでます。中央は線の接ぎ穂が紬地のネップのような味になっているもの。意匠ともつかないような意匠の例です。) また、「縞」という語は白川静の字通によると「声符は高。高は枯こうした骨。白く色の抜けたものをいう。(中略) うすい白絹の意。わが国ではしまの意に用いる」とある。文様という意味もシとかマという音もない。この字がどうして用いられるようになったかはわからない。鎬に似ていて織物だからかな、と素人の私なんぞは単純に考えるけれど、そんなことを言う専門家はいないようだ。 平安時代の貴族社会ではシマ、特に縦シマは好まれなかったようだ。艶なるを宗とする貴族の感覚にはあまり直裁すぎたのだろうか。身分の低いものが着る文様とされていた縞を拾い上げたのは、やはり茶人達だった。通人たちの好みの縞は茶入の仕覆などにされてに、今も名品として伝わっている。権威にとらわれない新興階級の町民達の意気が文様の価値転換を惹き起こしたのだ。 不思議なことにおなじような事態は西欧にも起こった。中世西欧の図像のなかで、縞文様の衣服をあたえられている人物は、「なんらかの意味で疎外されたか排斥された人たちである。そこにはユダヤ人や異端者から道化や旅芸人までが含まれており、ハンセン氏病患者、死刑執行人、売春婦のみならず、円卓物語のなかの邪悪な騎士、『詩篇』の愚か者、ユダといった者たちも対象になっている。いずれも皆、既製秩序を乱すか堕落させる人たちであり、多かれ少なかれ、すべて悪魔と関係がある」(縞模様の歴史 ミシェル・パストゥロー)のだそうである。 縞模様の意味はだから時代によってゆれる。”悪魔的”だった文様は徐徐に差別された人・モノから従属的なしもべのしるしへと移行して、君主につかえる奉公人の服装につかわれるようになる。 近現代の縞模様は不幸である。ミシェル・フーコーの「監獄の歴史」にあるように、中世には境界的存在として一種の聖性をさえ付与されていた狂気の人たちは監獄に収監されるようになった。そして、縞模様、特に目立つ横縞は監禁され隔離される囚人や狂人の制服となった。西欧の縞は中世以来、ある時期その意味が逆転することあってもどこか疎外されたものの影を帯びているようである。 そんな縞模様の運命はこれからどうなるのだろう。そろそろ例の逆転が起きてもよいころだ。そのきざしはどうもスポーツ・ウェアの縞に現れているようだ。 日本の縞はどうだったろう。室町時代の流行語、婆娑羅。その常軌を逸した派手さや狼藉ぶりの指標になった縞は、江戸時代、遊客、遊女の好むものとなった。ときには逆に文化英雄のような洗練と教養を身につけた 苦界に生きる女性達の意気地が縞文様を粋にしたのだろう。 これ着ると梟が啼くめくら縞 晴子 2007年3月19日
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