四国のみちと遍路
                                                              
≪四国のみち≫ 
2015年12月5日【北三方ヶ森へのみち(10.9km)】
【高縄寺〜北三方ヶ森休憩地〜水ヶ峠〜木地

 水ヶ峠から北三方ヶ森の間には、大小10ほどのピークがある。そして、二百段を越える階段が数か所で造られていた。
    

≪高縄寺から続く≫
  
 簡単な昼食と参拝が終われば、≪愛媛環15 北三方ヶ森へのみち≫へと出発である。12時半、木製の柵の道を降りると、コンクリの道に突き当たった。傍らには真新しい遊歩道の案内板が掲げられているが、こんな看板の地図に惑わされて道を辿ると大変な事になるのは、判り切っている。道は、直近に車が通った形跡が残っていない。それは、道路へ植林の枯れ枝が落ちた後の踏み跡で判る。

 
 12時37分、大きな石に欅平と刻まれた場所に出合う。すぐ先、道の右手に≪ ← オンロードで県道(北条)へ出れますが、とがった小石の落石が多いので、タイヤを切って、パンクしないよう、お気をつけて≫と手書きの看板が建つ場所で、高縄寺に居た二人連れのサイクリストが追い越して行った。最初のオジサンは「後から、もう一台降りてきます」と云いながら去って行ったが、後から来た人は無言で去って行った。

  
 地図に宝坂谷と名付けられている林道(ネット検索をするも、市道と呼んでいるものもある)を降りる事、降りる事。13時過ぎ、≪ ← 高縄寺 2.7km、北三方ヶ森 3.3km → ≫の案内板がある。少し先、道が左にヘヤピンカーブになっている場所に右上に向けて土道が見えた。そこが四国のみちだった。

  
 林道から入った道はここ最近、間伐作業が入っていたようで随分と明るい。土の山道によくある山側から水が流れる溝は製材された角材を利用していた。

 
 すぐ先、作業の道(林道から入ってから同じ道幅の土の道が続いている)に流れる沢沿いにコンクリの路肩が現れ、13時20分、北三方ヶ森まで2.3kmの案内がある場所で小休止である。再出発後、今までの作業車が通る道とは明らかに違う道を暫く進むと、上の写真のように『ここは、道だったのかなぁ〜』と云えるような道が現れた。

   
 間伐の林の中に道は続いていて、やがて、沢部の突き当たり状の場所を尾根へと登ると、13時37分、≪Yサークル 高縄山 尾根道 → ≫と、北三方ヶ森まで1.9kmの案内標識があった。高縄山からの尾根道コースの存在は知らなかったので、どこの山域にも山好きの人達がいるんだなぁ〜と、感心する。結局、4.1kmの林道歩きの四国のみちは、ど〜う〜なの〜?

  
 もう何年前になるのだろう、北三方ヶ森へ登ったと記憶しているが、どのコースを登ったのか定かでは無い。20年近く前の出来事なのだ。前方に小高いピークと続く尾根が現れた。鞍部まで降りて行くと前方から人の声が聞こえて来た。暫くで、降りて来た人は高縄寺で出会った三人組の山登りの人の内の二人だった。

 
 高縄寺で、我々に「北三方へ行きますか」と尋ねてきたのは、もう一人の初心者の連れへの誘いだったようで、「もう一人は膝が痛いので、こちらには二人で来た」との事。また、「何処かで貴方達と会うと思とったが、私らは尾根の道を来た。この界隈は年中歩いている」との事で、年配の方はピッケルを携えていたのだった。相棒が「私たちは四国のみちを歩いているので・・」と応えたのだったが、年配の方は遠回りとなるような道には興味が無いとの事だった。お互いに「お気を付けて」と別れて、急坂を登れば≪松中OB 山の会≫の標識に出合った。

  
 14時33分、北三方ヶ森に着いた。瀬戸内海に浮かぶ島を結ぶ橋は来島大橋だ。また、傍らにある案内板には≪ ← 水ヶ峠 3.9km 高縄寺 6.0km → ≫となっているが、小生の持参しているプリントアウトでは、水ヶ峠まで3.7kmと書かれている。立て看板には、以下のとおり書かれていた。5分ほどの小休止の後、記念写真を撮って出発だ。

北三方ヶ森≫

 この北三方ヶ森は、高縄半島のほぼ中央に位置する標高978mの山であり、
今治市と松山市の境界線上に位置し、頂上からは、北西の方角に旧北条市内
や鹿島、北東の方角に今治市内やしまなみ海道を見渡すことができます。
ここから三方向に延びる尾根を分水嶺として、北西側は立岩川となって
旧北条方面へ、北東側は蒼社川、玉川ダムを経て今治方面へ、南側は石手川
ダムを経て松山方面へ、それぞれ豊かな水を供給しています。
 また、この付近は奥道後玉川県立自然公園に指定されていますから、自然を
大切にするとともに、素晴らしい緑を守るため、火の後始末は入念に行い、
絶対に山火事などを起こさないよう十分注意してください。



  
 何年前に整備された道かは判らないが、尾根筋を外れる植林の道になると道標や道しるべの替わりに、道を形成するコンクリ柱の並びには感心するのだった。

   
 14時54分、薄暗い植林の中に道は続いていて、辺りの景色が望めない中では足を進めるだけだ。道端に使われていない鉄塔と傍らに碍子が落ちていた。15時半、擬木で造られた階段の道は幾く年を経て埋もれてしまったのか、落葉で隠れてしまっている。やがて、目の前に急坂が現れた。

  
 アップダウンは何度目だろうか。16時、降りて来た擬木の階段を見るが相棒の姿は見えない。しかし、下方にも階段の道は続いていて、未だ先も見えない。

  
 階段の先が明るくなった。右側に林道が垣間見え、犬が歩いて来た。小生が音を出すと犬は歩いて来た下の方を振り向いたが、小生は山の中、峠の上である。峠に着いたのは16時13分だった。四国のみちの案内板には≪ ← 今治市玉川町木地 1.2km 松山市米野町 → ≫と書かれているのだが、今日はバスを利用するので、米野町へと降りる。


≪帰路≫

   
 水ヶ峠の直下まで林道が伸びているとは想像していなかったが、帰宅後調べていると≪峠ガ谷林道(とうがたに)≫と呼ぶようだ。小生の下調べが至らなかったようだ。コンクリの道は沢沿いに付けられていて、何か所か新しい堰堤も出来ていた。道端に≪県民ふれあいの森林≫という看板が建てられていた。

  
 16時50分、国道317号線の水ヶ峠トンネルを抜けて来る車のエンジン音に出合う。水ヶ峠からの谷の橋を渡ると直ぐに北三方ヶ森からの谷の橋があった。もう、この辺りでは石手川と呼ぶようだった。結局、林道歩きは30分ほどだった。

  
 トンネルから米野のバス停(米野々口)までは10分ほどだったが、もう日は暮れて来ていた。バスの時間は17時台は無くて、次は18時8分だった。一時間のバス待ちなので、民家の脇をお借りして、コーヒーブレイクである。

 特急バスは、少し遅れて10分過ぎにやってきた。乗客は10名ほどは乗っていた。途中のバス停でスーツケースを持つ若いペアが降りた。この特急バスは、バス便によっては集落が無いバス停には止まらない。そんなこともあって、今日のような予定を組まざるを得ないのだった。そして朝方の車デポ地点の奥道後の駐車場には、18時半に到着した。


【指導標や標識など】


  

   

   

   

 


ちょっと 一息

データベース「愛媛の記憶」より転載
愛媛県史 地誌U(東予西部)
高縄半島の道路交通


高縄半島の主な登山道路

 高縄半島は一般国道一一号とほぼ平行している中央構造線以北の山塊で、一〇〇〇m級の山々を主峰としている。主峰の中でも高縄山(九八六m)、楢原山(一〇四一m)、福見山(一〇五三m)は、いずれも信仰の対象となる寺社があったことや山頂からの眺望が良いこともあって、古くから山を訪れる者が多かった。
 高縄山の登山コースには、現在ではハイキングコースのほかドライブコースもある。ドライブコースには高縄スカイラインコース(北条市柳原より)、高縄・奥道後ドライブコース(北条市九川より)、宝坂ドライブコース(北条市立岩より)が設けられている。ハイキングコースには、猿川コース及び院内コースなどがある。山頂近くにある高縄寺に参詣する善男善女とともに、キャンプに訪れる若者達の姿も多い。
 楢原山(奈良原山とも書く)は、かつては山頂に祭られている奈良原神社が牛馬の守護神であるという信仰が強かったため、旧暦の丑や午の日には牛馬を引く参詣人が多く行き来した。現在はハイキングの適地として訪れる人も多く、今治方面からは鈍川下木地コース・上木地コース・竜岡中村コース・カ石コースなど、かつての参道がハイキングコースとなっている。この他、北条市猿川や松山市湯之谷からのコースもある。鈍川側の参道には南朝ゆかりの伝説に関連する「千疋のサクラ」(国指定名勝)と称される山桜の老木林の名所があった。
 福見山は石手川と重信川の分水嶺で、古来霊山として知られてきた。山頂の西方には俵飛山福見寺があり、本尊の聖観音は水月観音とも呼ばれ広く信仰されている。現在の登山コースには、重信町側からは河原樋コース及び神子野コースがあり、松山市側からは湯山の福見川コースがある。


交通費など
タクシー料金(奥道後〜五明)・・・・・ ¥1,770
瀬戸内バス・特急松山市駅行(米野々口〜奥道後)・・・・・一人 ¥620