東電OL殺人事件の余波
検事の接見妨害事件
PARTV
国家賠償請求訴訟の提起
その後の5月20日、かねて起訴されていたオーバーステイの刑事裁判があり、マイナリさんは執行猶予判決を受けました。しかしこの判決公判後、マイナリさんは、くだんの女性に対する強盗殺人の被疑事実で逮捕されてしまいました。全く薄弱な証拠しかないのですが、ともかくマイナリさんは逮捕されてしまったのです。
被害者の女性に対する暴露報道の嵐によってこの件は世間の注目の的になってしまったため、マイナリさん逮捕の報道も各メディアで大々的になされました。もちろんそれは警察発表をそのままたれ流すものでした。またひどいテレビでは、はなからマイナリさんを犯人扱いしていました。
私たちはこの逮捕の翌日、前記のU検事の接見妨害という違法行為を告発する損害賠償請求訴訟を提起しました。私が原告となり、国を被告として国家賠償請求の提訴をしたのです。この件の訴訟代理人には、実に80名を超える弁護士が参加してくれました。今回の接見妨害は、それほど明白にひどくかつ許し難いケースなのです。
提訴を逮捕の翌日としたのは、マイナリさん犯人視報道にカウンター攻撃をする趣旨もあったのですが、「やはり」というべきか、国賠請求訴訟についてのメディアの対応は極めて冷たいものでした。ほとんどのテレビは無視、新聞も無視かあるいはベタ記事扱いでした。
訴訟の展開・国側の苦しい反論
弁護人による接見の際に、これを阻もうとする警察や検察とトラブルになることはよくあるのですが、そのほとんどのケースは、起訴前の接見の場合です。起訴前の接見の場合、必要に応じて検事が接見時間を指定できると刑訴法が定めている(39条3項)ため、検事のその指定が適正か行き過ぎかが問題となるのです。
しかし本件の場合、マイナリさんはオーバーステイの起訴後の立場にあり、刑訴法の前記の規定が適用される余地はなく、検事が私の接見を阻むことはできません。ところがU検事は、起訴前ですら時間の指定しかできないのに、なんと起訴後の接見で私に一切接見をさせなかったのですから、その違法性は明白です。
ですから被告の国側も反論には窮したようで、法廷での答弁には苦心の色がにじみ出ていました。
国の第一の反論は、「U検事は、佃が自分との面会を希望していたと思っており、佃がマイナリさんとの接見を希望していたとは知らなかった。U検事は仕事中(取調べ中)だったから面会を拒否しただけだ」というとぼけたものでした。
私はU検事と直接電話で話もしているし、地検に行ってからもずっとマイナリさんとの接見を求め続けているのですから、U検事がこれを知らないということはありません。それにしても、苦しいながらもこういう弁解を思いつく国側の頭は「天才」的だと思いました(もちろんこういう頭は正義のために使うべきだと思いますが)。
続いて反論の二点目。私の接見申出は、接見の権利の行使に名を借りた捜査妨害であって権利を濫用しているものだから、これを拒んだU検事の行為は違法ではない、というもの。
これもまたすごい理屈です。そもそも「捜査妨害」という概念は国側が主観的に勝手に言っているだけであり、法律にあるものではありません。
それに「捜査」の妨害といいますが、一体どのような「捜査」が妨害されたというのでしょうか。捜査は刑訴法に則ってなされなければならないのであり、マイナリさんを騙して渋谷署から地検に連行して無理やり殺人の取調べをする「捜査」など、認められるわけがないのです。私のしたことは捜査機関の違法行為のチェックなのであって、「捜査」の「妨害」などといわれる筋合いはありません。
マイナリさんは日本の刑事司法には通じていない外国人であり、自分の置かれた立場が分からないため、地検に連れてこられたときにどうしたらよいかが分からなかったでしょう。このような状況でも唯々諾々と取調べに応じなければならないのかどうかが分からないわけです。そういう五里霧中の状況にある被告人の援助のために、まさに弁護人制度があるのであり、その最も有効な援助の方法が、弁護人による接見なのです。
U検事は、勝手に違法な取調べを敢行しておきながら、接見を求める私を排除したのですから、むしろU検事の行為が「弁護妨害」として指弾されなければなりません。
スピード審理、そして勝訴
このようにこの事件は、法律の細かい解釈論が問題となる事案でないため、第1回期日からわずか1年の98年9月7日にU検事の証人尋問が実施されました。その尋問でU検事は、国の主張と矛盾するようなことを言ったりして自ら墓穴を掘ってくれました。また、「取調中に面会を求めてくるなどとんでもない」というような、刑訴法を無視した独特の感性が前面に出るようなことも言ってくれたりして、こちらの獲得目標は大体とることができました。
そして私も尋問を受けました。尋問する立場は仕事柄何度も経験しておりますが、尋問されるのは初めてでしたので若干緊張しましたが、あのようなひどい扱いを受けた屈辱的な出来事の記憶はいつまでも鮮明でしたので、何かをど忘れするようなこともなく、平穏のうちに終わりました。
そして99年3月23日に判決が言い渡されました。
「検事は、原告が被告人との接見を要求していることを知り、更に原告が東京地検へ来庁したことを知った時点で、被告人の余罪の取調べを一旦中止して、原告と面会して原告の接見申出を確認し或いは更に被告人の意思を確認した上で、速やかに原告と被告人との接見を実現させるべく、原告らが東京地検地下の弁護人接見室を利用できるように手配すべき義務があったというべきである。」
東京地裁民事6部の梶村太市裁判長は、このように明言してこちらの主張をほぼ全面的に認め、国に35万円の支払を命ずる判決を言い渡してくれました。U検事の違法行為が、裁判所によって断罪されたわけです。
この判決に対して国は控訴をせず、本件は一審であっさりと確定しました。
今回のこの件は運良く勝訴することができましたが、捜査機関のなりふり構わぬ姿勢が根本的に改められたわけではありません。捜査機関はいざとなったら無茶苦茶なことを平気で行なうことがあり、これが冤罪の一因になっていると思わざるを得ません。現にマイナリさんは、薄弱な証拠の積み重ねで今なお強盗殺人の罪に問われているのです。
マイナリさんの無罪を勝ち取るための戦いは、まだ続いています。
この項終わり