「食い逃げ」の法律学
PARTT
(今回から2回は、事件レポートをお休みしてエッセーをお届けします。)
第1 はじめに
食い逃げは無罪。
一瞬驚いた方もいらっしゃるでしょう。
ここでいう「食い逃げ」とはもちろん、レストランなどで食事をして代金を支払わずに逃げてしまうことを指しています。
食い逃げが無罪だなんてことがある筈がない、それが通常の感覚であり、また、正常な感覚だと思います。食い逃げが悪いことであることは論を待ちません。しかし、ケースによっては無罪のときもあるのです。実は、一口に「食い逃げ」と言っても、ちょっとしたケースの違いで、刑法の適用法条はかなり変わってくるのです。
今回は、食い逃げの法律学について、少しお話ししましょう。
第2 刑法の予習
さて、「食い逃げの法律学」に入る前に、刑法の定める詐欺罪と窃盗罪について少しレクチャーいたしましょう。詐欺と窃盗をきちんと理解することが、「正しい食い逃げの法律学」(?)の理解につながるからです
1 詐欺罪
まずは詐欺罪。人を騙して物を取る。それが詐欺の基本です。
たとえば、「両親が病気で家に食べ物がないのです」と嘘をついて同情を引き、パン屋さんからタダでパンをもらえば、詐欺罪が成立します。パン屋さんは、その人の両親が病気で家に食べ物がないと信じたからこそパンをタダであげたのであり、両親が丈夫で家に食べ物があることを知っていたなら、タダでパンをあげたりはしません。「両親が家で病気」というところに騙されて、パンを騙し取られた訳です。この詐欺罪は、刑法246条1項に規定されています。
ところで詐欺罪には、物をだまし取る類型の他にもう1つ類型があります。詐欺利得罪がそれです。これは、人を騙して、物ではなく経済的利益を得る犯罪です。たとえば、友人からお金を借りている人が、「両親が病気だ」と嘘をついて、「お金に困っているから借金をチャラにしてくれ」と頼んで借金を免除してもらう場合がこれにあたります。パンのように物理的なものではなく、目には見えないけれども借金を免除してもらうというような経済的な利益を得る場合を、特に類型化しているのです。これは、詐欺に関する刑法246条のうちの第2項で規定しているため、「2項詐欺」と言われることがあります。これに対して、物を騙し取る詐欺を同じように「1項詐欺」と呼ぶことがあります。
2 窃盗罪
次は窃盗罪。これは簡単です。人を騙すようなことはせずに、単純に物を取ってしまう犯罪です。万引き、スリが典型的な例でしょう。
窃盗罪の場合、被害者の意思に反して取っていることが特徴です。詐欺とはここが違います。1項詐欺の例のパン屋さんの場合、パン屋さんは、騙されたとはいえ、パンをあげたことは自分の意思に基づく行為です。2項詐欺の例の友人も、やはり騙されたとはいえ、債務の免除をしたのは自分の意思に基づくことです。もちろん2人とも、パンをあげたり債務を免除したりすることは本意ではなかったでしょう。しかしともかくも、「親が病気」という嘘に騙されて自ら、「パンをあげる」「債務を免除する」という意思決定をしているのです。
これに対して窃盗の場合、被害者は、自分の意思に基づいて物をあげるということはしていません。勝手に取られてしまう、つまり意に反している点に窃盗の本質があるのです。万引きしかり、スリしかり。隙をつかれて店頭のものを取って行かれる、懐中のサイフを持って行かれる、これが窃盗なのです。
3 「2項窃盗」はない
ところで窃盗罪には、詐欺罪における「2項詐欺」のような、経済的利益を窃取する、という犯罪類型はありません。たとえば、スタジアムに忍び込んでプロ野球を観戦する場合、これは、「プロ野球を見る」という経済的利益を、主催者の意思に反して得てしまっているわけであり、経済的利益を窃取していることになります。しかし、このような行為類型を罰する規定を刑法は設けていません。窃盗罪で罰せられるのは、あくまでも物を窃取する場合だけです。
もちろん、勝手にスタジアムに忍び込んだ点で住居侵入罪にはなりますが、これは、「プロ野球を見る」ことが犯罪とされているのではなく、「スタジアムに忍び込む」ことが犯罪なのです。
ちなみに、スタジアムに忍び込まずに、ゲートから堂々と、しかし「監督の息子です」などと嘘を言って係員を騙して入場し、試合を観た場合、これは、相手を騙して「プロ野球を見る」という経済的利益を得ているわけですから、2項詐欺罪になります。