「石に泳ぐ魚」出版差止事件
(最高裁編)
PARTT
審理は最高裁第3小法廷で
柳さんらの控訴を全面的に排斥した2001年2月の二審判決を不服として、柳さんらは最高裁に上告をし、舞台は最高裁第3小法廷に移りました。控訴審で柳さんらが「控訴人」であったように、最高裁の上告審では柳さんらは「上告人」となり、Aさんは「被上告人」となりました。
上告審では証人尋問はなされず、そればかりか基本的に法廷(口頭弁論期日)自体が開かれません。上告人も被上告人も、するべきことといえば自分たちの主張を書面で提出するのみです。一審や二審の場合には、定期的に口頭弁論期日が開かれてそこで相手方や裁判所と直接対面してやりとりをするので、裁判官がどのようなことを考えているかがそれとなく感じられることがあります。しかし最高裁では、そのようなやりとりが一切ないため、そのあとの審理がどうなるかは、最高裁の石の砦の向こうのことであり、全く分かりません。
上告審でのやりとり
柳さんや出版社からの上告理由は、2001年4月の下旬に出そろいました。
上告審では、判例違反や重要な法律問題を特別に争点としてもらうこともできますが、基本的には憲法違反しか扱ってもらえません。そこで、柳さんらの主張は、二審判決が憲法21条で保障されている表現の自由を侵害するものである、ということに重点をおいてなされていました。
柳さんからは「上告理由書」が、出版社からは、「上告理由書」「上告受理申立理由書」「上告受理申立理由書補充書」がそれぞれ出され、こちらからも、それらに対する反論の書面を順次4通出しました。
こちらから4通目の書面を出したのは2002年6月のことでした。この4通目を出した時点で、そろそろ上告人の方から再反論がくるのではないか、と私たちは思っていました。しかしなにぶん法廷が開かれないため、上告人側がいつどのような準備をしているかも想像の域を出ません。
4通目の書面を出した後、私たちはなんとなく宙ぶらりんの状態で事態の推移を見守っていました。
最高裁からの電話
そんなある日。忘れもしない2002年9月13日。最高裁から電話がありました。9月24日に判決を言い渡す、という連絡です。
上告審では基本的に口頭弁論が開かれないと前述しましたが、二審判決をひっくり返す場合には最高裁は口頭弁論を開かなければなりません。しかし最高裁からの電話は、そのような口頭弁論を開かずに判決を言い渡すというのです。つまり、二審判決をひっくり返すことはないということであり、上告審でもAさんが勝つことが決まったわけです。
こうしてAさんと私たちは、予め結論が分かっているという不思議な状態で、9月24日の判決言渡期日を迎えました。
判決言渡期日
最高裁の法廷は、実質的なやりとりの場ではありません。儀式、お芝居の舞台です。
当事者が出頭して法廷を開く場合、何人来るのか、誰が来るのか、何時にどこに集まれ等と、事前にすべて打ち合わせをさせられます。口頭弁論をするときには、何をしゃべるかさえも事前に提出させられ、その“台本”通りに事を進めることを求められます。最上級審である最高裁の法廷には一種の厳粛さが求められるのかも知れませんが、このような運用が法廷のダイナミズムを失わせているのは事実です。なんとかならないものか、といつも思います。
このときも、ただ判決を聞くだけなのですが、ご多分に漏れずいろいろと細かい打合せを経て、Aさんの代理人である私たちは5名全員が法廷に出席しました。
法廷事務の担当者が開廷を告げると、やおら大きな扉が開き、扉の向こうから、ぞろぞろと4名の裁判官が出てきます。4名の裁判官が着席すると、後ろの扉が閉まり、担当者が事件番号を読み上げ、それに続いて裁判長から判決が言い渡されます。
「本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。」
それだけ言うと、またゆっくりと後ろの扉が開き、ぞろぞろと4名の裁判官は帰っていきました。
ただそれだけ。この間1分くらいでしょうか。
私たちは勝訴判決を聞けたので構いませんが、事前に負けが分かっている判決を聞かされる柳さんらの側は、徒労感の方が大きかったのではないでしょうか。
最高裁判決の中身
法廷での1分の言渡の後、判決正本を受け取りました。
主文はあっさりしたものでも判決理由の記載は詳細かと思いきや、これもまたあっさりしたものでした。
柳さんと出版社とは、主張した内容が別々であるため、柳さんに関する判決文と出版社に関する判決文とに若干の違いはありますが、いずれも、二審判決の認定事実と法律判断とを5ページほどにわたって要約した後、最後に最高裁の判断が極めて短いフレーズでまとめられているものでした。
柳さんに関する判決文は、
「原審の確定した事実関係の下において,原審の上記各判断がいずれも憲法21条1項に違反するものでないことは,当裁判所の判例(…最高裁昭和…61年6月11日大法廷判決…)の趣旨に照らして明らかである。所論のその余の違憲の主張は,その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものにすぎない。論旨はいずれも採用することができない。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。」
というものであり、また出版社に関する判決文は、
「原審の確定した事実関係によれば、公共の利益に係わらない被上告人のプライバシーにわたる事項を表現内容に含む本件小説の公表により公的立場にない被上告人の名誉、プライバシー、名誉感情が侵害されたものであって、本件小説の出版等により被上告人に重大で回復困難な損害を被らせるおそれがあるというべきである。したがって、人格権としての名誉権等に基づく被上告人の各請求を認容した判断に違法はなく、この判断が憲法21条1項に違反するものでないことは,当裁判所の判例(…最高裁昭和…61年6月11日大法廷判決…)の趣旨に照らして明らかである。論旨はいずれも採用することができない。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。」
というものでした。
このように短くあっさりと二審判決の結論を是認したものであったため、最高裁判決もまた一審・二審判決と同様に、「小説表現の自由」を擁護する観点から大きな批判にさらされました。
私も、(出版差止めを求めた側でありながらこのようなことを言うのは恐縮ですが)この判決に対しては、“「最高裁が差止めを認めた」という結果の一人歩きを避けるためにも最高裁にはもっと表現の自由に配慮をした筆致が欲しかった”という複雑な感想を持っています。
次回からは、この判決に対する私の感想や、この判決の反響などについてレポートしたいと思います。