「石に泳ぐ魚」出版差止事件
(東京高裁編)
PARTU
そして二審判決
こうして和解は決裂し、もはや判決への道しか残っていませんでした。
和解手続で一時休戦していた主張立証が再び始まり、こちらからも、多岐にわたる論点についての反論の書面をたくさん提出しました。
そして2001年2月15日、東京高等裁判所第19民事部(裁判長淺生重機氏、裁判官西島幸夫氏、原敬雄氏)から、判決が言い渡されました。
「主文 本件控訴をいずれも棄却する」。
結果は、柳さん・出版社側の控訴を全て棄却するもの、即ち、再びこちら側の全面勝訴となりました。
一審判決と二審判決の大きな違い
このように二審判決は、一審の結論(即ち、オリジナル版の差止と130万円の損害賠償を認めたこと)を維持したものだったのですが、その結論に至る法律論において、一審とは決定的に違う部分がありました。
それは、出版差止の理由です。
一審が出版差止を命じた理由は、柳さんが仮処分手続においてした“「石に泳ぐ魚」をオリジナル版では公表しない”との合意の存在でした。つまり、「そういう約束をしたのだから、その約束に従い、もう公表はダメですよ」という理屈です。自分で契約をしたのだからその契約は守りなさい、ということです。
これに対して二審が出版差止を命じた理由は、人格権に基づくものでした。つまり、柳さんが不公表を約束していたかどうかとは関わりなく、Aさんの人格権を侵害する内容であることを理由として、出版を差し止めるという理論です。
「人格的価値は極めて重要な保護法益であり、物権と同様の排他性を有する権利ということができる。したがって、人格的価値を侵害された者は、人格権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができる」。
という判示がその部分です。
そして、どのような場合に差止めを認められるのかについては、様々なファクターを慎重に比較衡量すべきだとしました。
即ち、
「どのような場合に侵害行為の事前の差止めが認められるかは、侵害行為の対象となった人物の社会的地位や侵害行為の性質に留意しつつ、予想される侵害行為によって受ける被害者側の不利益と侵害行為を差し止めることによって受ける侵害者側の不利益とを比較衡量して決すべきである。そして、侵害行為が明らかに予想され、その侵害行為によって被害者が重大な損失を受けるおそれがあり、かつ、その回復を事後に図るのが不可能ないし著しく困難になると認められるときは事前の差止めを肯認すべきである。」
と判示したのです。
そして本件において、出版をされた場合のAさん側の不利益と、出版を差し止められた場合の柳さん側の不利益とを詳細に衡量し、最終的に、
「以上検討したところによれば、出版等の差止めによって控訴人らの被る不利益を上まわる不利益が出版公表により被控訴人に生じるものということができる。そして、その不利益を防止するのに、事後的賠償によることは相当でないから、被控訴人(Aさん)の人格権に基づく本件小説の出版等の差止め請求はこれを肯認すべきである。」
としたのです。
二審判決の反響
このように二審は、合意ではなく人格権に基づく出版差止めを認めたものであったため、一審判決の時にも増して、報道や論評で大きな反響がありました。
大方のものは、Aさんを再び勝たせた二審判決に対して、結論においてはおおむね好意的でした。
たとえば、東京新聞の社説(2001年2月19日朝刊)は、
「柳さん側は『表現の自由を狭めかねない』『私小説が書けなくなる』と反発しているが、詳細で執ような記述を知れば、モデルの女性の心の痛みに配慮した判決にさして抵抗を感じない人が多いのではないか。
小説には障害に関する侮辱的な表現さえある。『困難な生をいかに生き抜くか』という高次元の主題も、書かれる側への配慮を欠いては理解されまい。」
と論評しています。
また、関西学院大学法学部教授の長岡徹氏も、この判決につき、
「東京高裁の判断は、結論的には妥当だと思います。
…まったくの私人のきわめてプライベートな問題について判断した今回の判決が表現の自由を狭めるものだとは私は思いません。…現に生きている人の名誉やプライバシーが侵害されることは、小説といえども許されることではないと思います。」
と評しました。(赤旗日曜版2001年3月25日号)
★
これに対し、表現の自由の保障の観点からこの判決に対して危機感を提示する論評も散見されました。しかし、この事件に対してなされる反対意見の論評は、的を射ていないものや適切でないものが多く、事件の代理人としては見過ごすことはできません。
そのような論評に対して逐一反論をしたいのですが、それを始めると長くなってしまい、上告審のレポートが遅れてしまいます。そこで控訴審のレポートの段階では、次回に、名誉毀損とプライバシー侵害に関する個別の論点について少しだけ私の意見を述べるに留め、「小説の差止め」の可否・当否や「表現の自由」論に関わる大論点については、上告審をレポートした後にまとめて触れたいと思います。