弁護士佃克彦の事件ファイル

「石に泳ぐ魚」出版差止事件

PARTX

勝訴!

 99年6月22日、東京地方裁判所で、判決が言い渡されました。
 東京地裁民事38部(裁判長小池信行、裁判官渡邉左千夫、星直子の各氏)による判決は、柳さんに130万円の損害賠償を命じ、さらに「石に泳ぐ魚」の出版の差止を認めました。
 これはAさんの全面勝訴といえるでしょう。
 判決は、「石に泳ぐ魚」が、Aさんの名誉を毀損し、プライバシーを侵害し、また名誉感情を侵害するものであることを認め、また、「表現のエチカ」はその損害をさらに拡大させた、と認定しました。
 更に、本裁判の前の仮処分手続において柳さんがAさんとの間でなした合意、即ち、“「石に泳ぐ魚」をオリジナル版では公表しない”との合意に基づいて、この小説の出版差止を認めたのです。

判決で指摘されたこと

 判決は、「石に泳ぐ魚」の小説の内容を詳細に吟味し、文脈と記載内容に照らし、「このような記載はAさんの名誉を毀損する」「このような表現はAさんの名誉感情を侵害する」等と丁寧に認定をしていきました。
 また、柳さんが法廷で主張した純文学論、即ち、「石に泳ぐ魚」は純文学作品であり、作中人物はAさんとは別の世界、作者の世界の存在なのだから、Aさんに権利侵害が起こることはありえない、という見解に対しては、
「副主人公がAさんをモデルとする人物であると読者が認識するかどうかは、本件小説の小説としての価値評価とは必ずしも関連性がないというべきであるから、仮に、本件小説が柳さんのいうような純文学小説ないしは文芸作品にあたるとしても、そのことによって直ちに、副主人公とAさんとが同定されないとは限らない」
と述べて排斥しました。
 つまり、仮にこの小説が「純文学」であったとしても、読者がその小説を読んだときに副主人公からAさんを想起して同定してしまう可能性はあるのだから、「純文学」かどうかは関係がない、ということです。


 また、出版社が主張した「テーマ」論、即ち、「石に泳ぐ魚」のテーマは「困難に満ちた〈生〉をいかに生き抜くか」という社会の正当な関心事である以上、この小説に不法行為は成立しない、という論法に対しては、
「特定の表現行為が社会にとって正当な関心事に関するものである場合には、一定の限度において、ある人のプライバシーを侵害する行為の違法性が阻却されることがあり得るとしても、右被侵害利益の保護の必要性との均衡を考慮すれば、それは、社会にとって正当な関心事について表現する上で、当該者のプライバシーを開示することが必要不可欠であるときに限定されるべきものと解するのが相当である。
 しかるに、『困難に満ちた〈生〉をいかに生き抜くか』という本件小説の主題を小説という形式で表現する上で、Aさんのプライバシーを開示することが必要欠くべからざるものとまで言い難い」
と判示しました。
 ひらたくいえば、“柳さんの書きたい小説世界を書くのに、わざわざAさんのプライバシーを侵害するようなことをする必要はなかったでしょう? 必要性がないのにプライバシー侵害をしてしまった以上、いくらテーマが立派でも責任は取らなければなりませんよ”ということです。


 更に判決は、柳さんがこの小説を、Aさんに対する愛情を持って書いた、と述べていることに対してもきちんとコメントをしました。いわく、
「柳さんがAさんに対する真の友情の発露として、Aさんの顔面の腫瘍に言及するというのであれば、それは、本来、柳さんとAさんの全くプライベートな世界で行われるべき性質のものである。柳さんが本件小説において、前記のとおり副主人公の顔面の腫瘍について触れていることが、柳さんのAさんに対する個人的メッセージの意味合いを有しているとしても、不特定多数の者が購読する雑誌にこれを掲載したこと自体は、社会的には全く別異の意味を持つのであって、柳さんの意図とは裏腹に、侮辱・名誉毀損などの法的問題を胚胎する余地を生じるに至るのである。」
「かかる帰結は柳さんの意図に反するものであろうが、それは、所詮、柳さんにおいて、現実の個人的世界と不特定多数の読者を抱えた小説の世界との関係について混淆ないしは誤認をしたことによるものと評さざるを得ない。」
というのです。
 表現物を対社会的に公表することの意味を明確に指摘した、まさに的確な判決といえましょう。

つづく

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