弁護士佃克彦の事件ファイル

判決要旨交付拒絶事件

PARTV

10月5日・判決言い渡し

 2000年10月5日、寺澤さんの損害賠償請求訴訟の判決が言い渡されました。
 私はこの日、日弁連の人権擁護大会のために岐阜に行っており、言い渡しには寺澤さんと堀弁護士が出頭しました。岐阜にいながらも判決の内容が気になる私は、言い渡しが終わって寺澤さんたちが法廷を出てきた頃を見計らって、寺澤さんと堀さんに電話をしました。
 私「判決どうでした?」
 寺澤さん「負けましたよ。いやあ。ひどいなんてもんじゃないですよ、まったく。」
 私「どんな理屈で負けたんですか?」
 堀「三行半だよ。ひどいひどい。」
 どうやらひどい負けっぷりだったようです。私は寺澤さんに判決を岐阜のホテルにファクスしてもらうように頼み、岐阜での仕事に戻りました。

判決の仰天する内容

 夜ホテルに戻ると、寺澤さんから判決書のファクスが届いていました。届いた判決は、脱力するほどおかしな内容でした。
 判決は、記者クラブにつき「我が国の報道分野で一定の役割を果たしてきた」と積極的な評価をしたうえで、『だから記者クラブだけに松山地裁が判決要旨を渡したとしても不合理なこととはいえない』として松山地裁を免責したのです。
 しかし、記者クラブの果たしてきた役割などというものについては、こちら側も国側も、訴訟では一言も触れていません。裁判所が勝手に認定をして、それを拠り所に「不合理じゃない」と結論づけているのです。
 こちらも相手も言っていないあやふやなことを振りかざして結論を出されては、僕らとしては、何のために法廷で主張立証をしてきたのか分からなくなってしまいます。
 そもそも記者クラブ制度は、「報道分野で一定の役割を果たしてきた」どころか、その閉鎖性や権力の広報機関化した姿勢などに批判が集中しているのです。真の意味のジャーナリズムに反する記者クラブ制度の悪弊を改善しようとしてこの訴訟を起こしたのに、我々も相手方も何も言っていないところで裁判所に勝手に記者クラブを肯定されては、たまったものではありません。
 実は提訴当時、記者クラブ所属の記者から寺澤さん宛に、この訴訟を支援するメッセージが届きました。
 普段記者クラブの既得権に守られている自分たちにとっては寺澤さんの問いかけは重いものだった、記者クラブはさまざまな批判を受けながらも変わろうとすらしていない等、その記者のジャーナリズム精神から忸怩たる思いが伝わってくるメッセージでした。
 このように、クラブ所属の記者自身が疑問を感じている制度を、裁判所が証拠もなしに「我が国の報道分野で一定の役割を果たしてきた」といってしまうわけですから、どれだけひどい判決だったかはご想像いただけるでしょう。
 原告本人は寺澤さんなのですが、本人を飛び越えて私自身が即刻控訴をしたくなってしまいました。

舞台は控訴審へ

 判決を見て脱力すると共に戦いの決意をしたのは、寺澤さんも堀さんも同じでした。
 そして私たちは直ちに控訴をしたのです。

この項おわり

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