弁護士佃克彦の事件ファイル


赤坂警察署裏ガネ疑惑事件

PARTV

名簿の認否ができなくなった被告

 被告側の主張が混迷を深める中、こちらは裁判に、くだんの名簿(参考人呼出簿)を証拠として提出しました。それを証拠に出された被告としては、裁判上のルールとして、その名簿が赤坂署の作成したものかどうかを認否しなければなりません。しかし被告はいつまでたってもその認否をしませんでした。
 被告が認否をしなかったのには理由があります。
 被告の言い分は、「本当は悪いことはしていないけれど参考人のプライバシーとかを守るためにお金を払う」というものですが、そうだとすると、名簿には参考人として出頭した人の氏名も住所も真実が記入されていることが前提となります。しかし、名簿上の参考人の住所には、本来存在しない番地や市立図書館の住所が記入されたりしているのであり、被告としては、さすがにこの文書を「赤坂署の作成であることを認める」とは言えなかったのでしょう。
 しかしそうかといって被告は、「この名簿は赤坂署が作ったものではなく誰かが偽造したものだ。誰かが赤坂署を陥れようとしているのだ。」とも言えません。なぜなら、被告としては、参考人のプライバシーを守るとかいって東京都にお金を払ってしまっているからです。お金を払っている以上、もし名簿をニセ物だと言い出したら、「あんたはニセの名簿を示されてもホイホイお金を払っちゃうのか」と言われることになってしまうわけです。
 つまり被告は、自分で自分を進退両難の地位に追い込んでしまったのです。正直に「赤坂署で作った」と言ってすべてを認めればいいものを。

立証に入ったとたんの「認諾」

 被告はその後なおも「悪いことはしていないけどお金を払ったから裁判を終わらせろ」という矛盾した主張を言い続け、また、名簿の認否をしないとの宣言をし、訴訟がなかなか進行しなくなってしまいました。
 こちらとしてはいつまでもぐずぐずしていられないので、相手を理屈で言い負かすのはひとまずおいて、立証活動に入ることにしました。つまり、参考人として名前の上がっている中で実在する人から事情を聞き、日当を実際には受け取っていないことを供述書にして裁判所に提出する作業を始めたのです。
 97年の夏を使ってその作業をしました。名簿に載っていて実在する人と会って話を聞き、日当を本当に受け取っていないことを確認しました。そしてその中のひとりの人には、赤坂署に出頭することになったいきさつから日当を受け取っていないことまでを述べた陳述書を作ってもらい、書証にしました。これを手始めに、期日ごとに赤坂署による日当の不正流用を示す証拠を積み重ねていくことにしたのです。
 参考人のひとりに作ってもらった陳述書を書証として裁判所に提出しようと迎えた第8回口頭弁論期日。忘れもしない97年10月8日。被告は突然、「本訴請求を認諾する」との答弁をしました。
 これは、「原告の主張する事実を全部認め、請求されているお金の全額を原告の言うとおりに東京都に払います」という意味の答弁です。訴訟の途中で言っていた「悪いことはしてないけどお金は払った」という主張とは違い、自分が不法行為をしたことまでもきちんと認めた答弁なのです。
 これから赤坂署による日当の不正流用の事実を立証していこうと思っていた矢先の出来事だったので、被告の突然の認諾に、私たち原告訴訟団としては拍子抜けした感がありました。しかし、これで訴訟の目的を達成したことにはなるため、私たちはひとまずクールに喜びました。

警視庁の懲りない発言

 そもそも民事訴訟で認諾の答弁がなされること自体あまりないのですが、ましてや公金の不正支出が問題とされた訴訟が認諾されたのは異例中の異例といえるでしょう。このためこの認諾の事実は、新聞各紙で報道されました。記事の扱いもかなり大きく、私は改めて事柄の重大性を感じました。
 ところが、警視庁の常盤毅訟務課長は、この件を報じる朝日新聞に対して、「警視庁としてはコメントする立場にないが、裁判を続けると警察活動への協力者に迷惑をかけることになりかねないので、認諾によって裁判を終結させただけで、違法行為があったと認めたわけではないと聞いている」というコメントを寄せました。
 これは、訴訟の途中で被告から出た「悪いことはしていないけどお金は払った」というワケの分からない主張と同じ次元の言い種であり、被告が司法審査の場で請求を認諾したことの意味を真っ向から否定するものです。警視庁という法の執行機関にありながら司法制度をないがしろにするこのような発言を公にするとは一体どういう感性の持ち主なのでしょうか。
 おまけに本件は、警視庁が直接訴訟当事者になったわけではなく、そのような訴訟に対するコメントとしては、冒頭の「警視庁としてはコメントする立場にない」という一言だけで終わってもよかったものです。それをわざわざこのようにコメントしたということは、警視庁としてもこの請求認諾の意味をできるだけ小さいものにしたかったということなのでしょう。有罪判決に対してした上告を自分で取り下げながら「私は無罪だ」と開き直ったどこかの政治家とそっくりの感性です。

警察の情報公開を

 赤坂署の事件は請求認諾という予想外の結果で成功裡に終わりましたが、これはたまたま名簿が入手できたから不正を追及することができたに過ぎません。
 国の情報公開法が警察情報を公開の対象としたことも影響し、これまで警察情報を公開の対象から外していた地方自治体でも、それを見直して警察情報も公開しようという動きがみられます。しかしその内容は、公開するか否かについて警察の裁量に任せてしまうような骨抜きの内容となっているものがほとんどです。これでは、カラ出張や官官接待を告発してきた市民の目が警察には及びません。
 情報公開は時代のキーワード。情報公開において警察を聖域にすることはもはや合理性を失っています。全国の自治体が、警察情報の真の意味の公開に向けて頑張って欲しいと思います

この項おわり

TOP