アメリカとカナダの研究者によるウクライナ戦争論を読む
ここで取り上げる著作(2023年刊*1)は、昨年の戦争開始の衝撃の中で、それを時評としてではなく専門的な地域研究のレヴェルで受けとめて急遽書き下ろされた著作である。二人の共著者のうち、アレルは欧米におけるウクライナ研究の一つの拠点たるオタワ大学のウクライナ研究講座の長であり、これまでに多くの重要論文を発表してきた*2。もう一人のドリスコル(カリフォルニア大学サンディエゴ校准教授)の方はよく知らないが、宇山智彦氏の御教示によれば、軍閥政治を主たる研究テーマとし、タジキスタンやサカルトヴェロ/グルジア/ジョージアの事例に取り組んできたとのこと*3。本書は分担執筆の形をとってはおらず、全体が二人の共同責任で書かれている。ひょっとして二人の間に微妙な差異があるのかもしれないという気もするが、その辺は憶測の域を出ない。全体としては、わりと緊密に統合された著作に仕上がっているように見える。
本書の最大の特徴は、理論的分析と実証研究とを組み合わせて、2014年から2022年2月にいたる紛争拡大の経緯を丁寧に描いていることである。十分理解しきれない個所や多少疑問を感じるところがないわけではないが、全体としては相当高度な達成だと感じた。著者たちの基本的姿勢は、性急な価値判断を避け、淡々とした分析に徹しようとするものであり、このようにホットな主題をとりあげながら、こういう姿勢で論じていることは特筆に値する(背後には、現状への深い憂いがあることが各所で感じられ、決して冷血動物的に観察しているわけではない)。理論・実証とも多岐にわたる議論を展開しているため、その全体を咀嚼するのは容易ではない。とりあえず、私なりに読み取れる範囲で、印象に残った部分を紹介してみたい(筋が十分読み取れない個所もあり、我流の解釈や補足を施してあるので、必ずしも忠実な要約・紹介ではないことを断わっておく)。
本書の冒頭では、1991年のウクライナ独立以来、しばしば国内の東西対立が問題にされ、国家分裂の可能性を警告する声もときおり発せられたりしたが、実際には2014年以前には政治的暴力の可能性はごく低いと考えられてきたことが指摘され、その状況が一変したのは「マイダン革命」を経てのことだと述べられている。これは重要な問題提起である。今般の戦争をめぐる多数の論評は、長きにわたる東西対立――ウクライナ国内の地域間分岐であれ、アメリカ・NATOとロシアの国際的対抗であれ――を重視し、そこから直線的に戦争が生じたかに論じる傾向がある。しかし、本書が指摘するように、かねてより緊張や対抗は多々あったにしても、それが暴力的な形をとるとは予期されない状況が長いこと続いた後に、近年に至って爆発が生じたのである以上、この飛躍をどのように説明するかが重要な課題となる。
本書の理論的枠組みは、よくは分からないがゲームの理論の方法のようである(本文は、理論に通じない人にも読みやすいように、歴史的叙述の中に理論枠組みを織り込む形で書かれているが、巻末の付録ではフォーマルな定式化がなされている)*4。ゲームの理論というと、その方面に通じていない人(私自身を含めて)は、複雑な現実を過度に単純化する弊に陥りはしないかという疑念をいだきたくなるが、本書はかなり周到なお膳立てをすることで、その弊を免れようとしているように見える。ゲームの主たる参加者としては、キーウの中央政府、ウクライナ東南部各地のロシア語コミュニティーのエリート、エリートの統制に服さない「街頭」の活動家たち、そしてロシア政府といった一連のアクターが取り上げられている。特に各地の州エリートと「街頭」を区別して、それらの相互関係を論じている点が重要である。概していって、地方エリートは中央政府に対して種々の不満をいだきつつも、徹底して反乱しようとはせず、妥協的解決を志向する傾向があるが、そうした妥協に不満な「街頭」がこれに圧力をかけようとする。この両者の力関係は地域や時期によって異なるが、とにかくこれが一つの注目点である。
もう一つの注目点は、各アクターは他のアクターがどのように動くであろうかを予測しながら自己の戦術を選択するが、他のアクターの動きを正確に予期することができないために、不可避的に多くの偶発性、誤解、激情、誤算が作用する。それらの累積が、当初は予期されなかったような緊張の増大をもたらした。最初から泥沼的紛争に突入することは誰も考えていなかったにもかかわらず、結果的に紛争がエスカレートしていった過程が一種のギリシャ悲劇的な荘重さで描かれているような印象を受ける。
本書の最大の部分は東南部諸州とりわけドンバスの動向にあてられているが、それらを理解する前提として、一方におけるキーウおよび西部諸州、他方におけるクリミヤの動向にもかなり詳しく触れられている。キーウおよび西部諸州に関して重要なのは、「マイダン革命」が2014年2月に頂点に達する中で既存の国家制度の権威が崩壊し、一種の権力空白が生じたことである。既存の国家制度が安定的に機能している状況で内戦がいきなり生じることは滅多にないが、国家制度の権威の急速な瓦解はその危険性を高めた(といっても、それは直ちに生じたわけではなく、いくつかのステップを踏んでエスカレートしたことが以下で描かれる)。西部諸州の活動家たちは2014年1-2月の過程で既存の国家制度を実力で打倒して、州レヴェルの革命を推進し(州行政府庁舎の占拠、警察機構麻痺の中での自警団創出など)、キーウにも攻め上ったが、そのことは、東南部諸州の人々(とりわけ「街頭」)にとって、模倣すべき先例を提供した(「彼らがやったことをわれわれもやるのだ」という論理)。ロシア語系住民コミュニティーのエリートと「街頭」を分けて考えるなら、多くのエリートは元来ウクライナ中央の政治に影響力を持つ体制内的存在だったが、与党「地域党」の突然の瓦解によって大混乱に陥った。その結果、従来あまり有力でなかった「街頭」がにわかに力を得ることになった。
この辺までは東南部諸州およびクリミヤに共通の構図だが、より具体的に見ると、地域間の差異が顕著になる。クリミヤでは「街頭」の反マイダン運動が強力だっただけでなく、エリート・レヴェルでこれに対抗する動きがほとんどなかった。現地の官吏、駐在していたウクライナ軍、警官の大多数は、あっさりとロシア側に着いた*5。ロシア軍と現地エリートが共同でセヴァストポリの軍事空港およびシンフェロポリの民間空港を制圧したのと同じ2月28日に、キーウでは国家安全保障会議が開かれたが、現地住民の大多数が親ロシア=反ウクライナである以上、なすすべはないという考えが多くの参加者によって述べられた。結果として、クリミヤのロシアへの移行はほとんど衝突も流血もなしに、あっさりと完了した*6。これに対して、東南部諸州の状況はずっと複雑だった。これら諸州はロシア語系住民が比較的多いという共通性を持つが、それぞれの具体的状況は異なっていた。人口や経済面で最重要の位置を占めたのはハルキウとオデーサの両州(特に、それぞれの州都)だが、この両州ではそれぞれの事情でキーウからの統制が強く、「街頭」の反乱をエリートが抑え込むことができた。反マイダン派の観点からすれば、これら両州を含めた「ノヴォロシア」全域を確保することが望ましかったが、その期待は早期に潰えた。ドンバス2州(ドネツィクおよびルハンシク)の状況は、他の東南部諸州とクリミヤの中間に位置づけられる。この2州のエリートはクリミヤのようにロシアに着くことはしなかったが、「街頭」の圧力をはねのけるほど強力ではなかった。そのため、ドンバスでは「街頭」が既存エリートを押しのけて「人民共和国」を樹立した。
これら各地へのロシアの関与を図式的に整理するなら、次のようになる。クリミヤでは「街頭」のみならずエリートの多数派がロシアの側に着き、キーウも介入を諦めたので、ロシアとしてはほとんど抵抗なしに、いわば安心して介入することができた。東南部のうちのドンバス以外の諸州では、キーウの梃子入れを受けたエリートが「街頭」の反乱を抑え込んだので、ロシアとしては介入の余地がなかった。そのいずれとも異なるドンバスの場合、ロシアは最初のうち「人民共和国」への間接的支援および自発的体裁をとった義勇兵の活動の容認にとどまっていたが、ウクライナの「反テロ作戦」がロシア義勇兵部隊を撃破して敗勢に追い込む中で、8月下旬にはロシア正規軍を送り込んだ。こうした地域ごとの対応の差異および時期的変化は、他の当事者たちの間にロシアの行動に関する異なった予測を生み、それ自体が混乱の一要因となった。
ドンバス戦争の一つの特徴は、戦いあう双方の側にロシア語話者がいたということであり、本書はこれを「ルスキー・ミール(ロシア世界)の中での内戦」と特徴付けている。ドンバス戦争を内戦と呼んでよいかというのは大きな論争点であり、ロシアの公式見解が「ウクライナの中の内戦」(つまりロシアは当事者ではない)とするのに対し、ウクライナの主張は、これは内戦ではなくロシアからウクライナへの侵略だとしていて、相容れない解釈が対峙してきた。本書の「ルスキー・ミールの中での内戦」という見方は、そのいずれとも異なるユニークな主張である*7。
2014年後半に激化したドンバス戦争は、9月と15年2月の2回にわたるミンスク停戦交渉を経て膠着状態となり、低強度の紛争に移行した。この頃までに民間人は戦闘の前線から退避したので、これ以降は民間人の死者は少なくなった。もっとも、退避によって難民化した人々は困難な生活を余儀なくされたし、戦闘員たちによる軍事的衝突は間欠的に繰り返されたから、平和的な状態に移行したわけではない。とにかく、停戦合意は本格的和平に行き着くことができなかったが、そこで重要だったのはコミットメント問題(自分が約束を守っても相手が約束を破るおそれがあると双方が考える)だった。こうして生じた袋小路の状況が約6年間続くうちに、外交による解決の展望は乏しくなり、「凍結された紛争」はとうとう2022年2月に解凍されてしまった。
かなり雑駁に書物の内容をまとめてきたが、最後に本文の末尾を見ておきたい。ここで著者たちは、戦争の帰結はまだ見通せないが、ロシアはウクライナを武力によって取り戻そうとして、永遠にウクライナを失ったのかもしれない、と述べている。実際、数年前にさかのぼるなら、ロシアとウクライナの間には親近感と違和感の入り交じった複合的両面感情が並存していたが、このたびの戦争によって和解や相互理解のチャンスは失われ、ロシアは元来「敵」ではなかったはずのウクライナを完全な敵にしてしまった。「ロシアはウクライナを永遠に失ったのかもしれない」という結びの言葉は重い。
(フェイスブック20230320の投稿に若干の補訂を加えたもの。改稿に際して、宇山智彦氏のコメントを参考にさせていただいたので、記して謝意を表したい)。
*1Dominique Arel and Jesse Driscoll, Ukraine's Unnamed War: Before the Russian Invasion of 2022, Cambridge University Press, 2023.
*2代表的な論文として、Dominique Arel, "The Parliamentary Blocs in the Ukrainian Supreme Soviet: Who and What Do They Represent?," Journal of Soviet Nationalities, Vol. 1, No. 4 (Winter 1990-1991); id., "Voting Behavior in the Ukrainian Parliament: The Language Factor," in Thomas F. Remington (ed.), Parliament in Transition: The New Legislative Politics in the Former USSR and Eastern Europe, Boulder: Westview Press, 1994; id., "Ukraine: The Temptation of the Nationalizing State," in Vladimir Tismaneanu(ed.), Political Culture and Civil Society in Russia and the New States of Eurasia, Armonk, NY.: M. E. Sharpe, 1995; id., "Interpreting 'Nationality' and 'Language' in the 2001 Ukrainian Census," Post-Soviet Affairs, Vol. 18, No. 3 (July-September 2002). また共編著として、David Kertzer and Dominique Arel (eds.), Census and Identiy: The Politics of Race, Ethnicity, and Languages in National Censes, Camridge University Press, 2002がある
*3ドリスコルは本書の少し前の時期にウクライナについて論争的な発言をして物議を醸したとのこと。その詳細には通じていないが、とにかく批判者によって彼に帰された極端な見解は本書には示されていない。
*4アレルはかつてデイヴィッド・レイティンを中心として進められた旧ソ連各地の言語状況に関する共同研究に参加していたことがあり、この研究方法はそのときにレイティンらによって開発されたものを土台としているようである。この共同研究はエストニア(およびラトヴィア)、カザフスタン、ウクライナを主たるフィールドとして進められ、エストニアについてはレイティン自身、カザフスタンについてはBhavna Dave(故・岡奈津子氏の友人だったらしい)が分担したが、アレルはウクライナを担当していた。
*5本書では言及されていないが、ポクロンスカヤ検事(ウクライナ東部生まれのウクライナ人で、クリミヤで育ち、ウクライナの検察に勤めて、主にクリミヤで活動していた)が20014年にロシアに移行したクリミヤ検察の長となり、いわば「ロシア側の人間」となったのもその一例と見ることができそうである(もっとも、彼女は2022年には開戦を「悲劇」と呼んで、左遷された)。
*6人口的には少数派だが先住民として認定されているクリミヤ=タタール人については本書ではあまり詳しく論じられておらず、別個に検討する必要がある。ここではただ、彼らのうち尖鋭な反ロシア派はクリミヤを離れてウクライナ本土に移住し、その立場を世界的に発信しているが、現地に残ったタタール人はどちらかといえば現状受容的であることを確認するにとどめる。
*7「内戦」概念をどのように規定するかは大きな論争点であり、ここで深入りすることはできない。ここではただ、内戦と国家間戦争は重なり合うことがしばしばあり、現地の内部事情と外からの関与の双方を視野に入れる必要があるということを確認するにとどめる。