エリボンのミシェル・フーコー伝を読んで
かなり古い本だが、D・エリボン『ミシェル・フーコー伝』(新潮社、一九九一年)という本を読んだ。
ご多分に漏れず、私はフーコーについて長いこと「読みにくくて、よく分からないが、何か重要なことを論じているらしい」という感覚をいだきながら、折に触れていくつかの著作をぽつりぽつりと読んできた。時間とともに少しずつ分かるような気がしてくる一方、依然として十分飲みこみきれないという感覚も残っている。
今回読んだフーコー伝はフーコーの理論的著作やその内容についての解説もある程度含んでいるが、力点はそれよりもむしろ彼の人生の軌跡を追うことに置かれ、彼の理論活動や思想もその文脈のなかに位置づけられている。こういう書き方は、哲学や思想よりも歴史の方に日頃親しんでいる者にとっては、比較的読みやすいというメリットがある。思想家の生涯を追う際の手法として、その思想内容の解説や解読に力点をおくものと、ある時代状況の中で思想家がどのように生き、自己形成や変容を遂げたかの追跡に力点をおくものとがあるが、そうした二分法でいうなら本書は後者に属する。大分性格が違うとはいえ、マックス・ウェーバー(ヴェーバー)について「伝記論的転回」を提唱した今野元『マックス・ヴェーバー――主体的人間の悲喜劇』(岩波新書、二〇二〇年)とも相通じるところがある。おそらく丸山眞男などについても、同様のアプローチがあり得るのではないか。
若い時期に関する記述の中で重要な位置を占めているのは、彼が同性愛者であり、当時のヨーロッパではそれは絶対に秘匿せねばならないというタブー意識が強固だったことから、恥辱と秘密の感覚にとりつかれていたこと、そのことと関連して、狂気と隣り合わせで生きており、「狂人」と「正常者」の境界線上にいたということである(何度か自殺も試みたらしい。また、後年のことだが、LSD、コカイン、アヘンを含む各種麻薬も試みたという)。彼の初期の代表作が『狂気の歴史』であり、晩年の代表作が『性の歴史』だということをこのような個人史と安易に直結させるべきではないのかもしれないが、とにかくその思想的・理論的営為は個人的背景と無関係ではなかったということなのだろう。
もう一つ注目されるのは、政治への関わりである。彼は一九五〇年から五三年までフランス共産党に属していた。戦後初期に共産党の威信が高まり、大勢の人が入党したという点はフランスと日本に共通する。大量入党は雑多な人々の流入を伴うから、それ以外の時期の「共産党員」に特徴的なタイプとは異なった個性の持ち主も含まれた。党員時代のフーコーも、普通「共産党員」という場合に思い浮かべられやすい行動様式とはかけ離れた面があったようだが、それは彼だけの特殊性ではなく、その時期の日仏の共産党ではかなり広く見られた現象だったのかもしれない。その後、「通常の党員」と異質な要素を持つ人たちは次第に離党していった。そうした人たちの離党後の軌跡はさまざまであり、ある人たちは「非共産党・非正統の左翼」――往々にして「極左」――の立場をとり、ある人たちは一転して右傾し、熱心な反共論者になった。いったん「極左」になってから右転向した人もいる。具体例はフランスでも日本でも事欠かない。フーコーの場合は、「極左」的な傾向を遅くまで持っていたらしい。彼とサルトルは哲学的にも政治的にも立場を異にしたが、それでもいくつかの政治行動を共にしたことが紹介されている。また、「極左」的な政治への関与の一環として囚人の運動に深くコミットしたが、そのことは、もう一つの代表作『監獄の誕生』とも関係している――どのような関係かを解きほぐすのは難しいだろうが――ようだ。
本書はそれ以外にもいろいろな問題に触れているが、個人的に興味を引かれたのは大学教授職への就職をめぐる問題である。二〇世紀フランスを代表する高名な大学者であり、コレージュ・ド・フランス教授という権威あるポストに就いた学者にしてはやや意外なことに、若い時期には就職に関してあまり恵まれなかったようであり、学界政治・学閥のようなことで苦労したらしい(この点でも、今野元『マックス・ヴェーバー』を思い起こさせるところがある)。そのように苦労したフーコーは、アカデミズムの世界での正規職を得るために意外なほど熱心に求職活動を行ない、オーソドックスな学者の世界の作法にも忠実に従っていたらしい。学外では「極左」的な活動にコミットし、そうした運動に理論的支柱を提供する一方、学内ではオーソドックスな教授として振る舞うという二面性があったように見えるが、そのことをどう受け止めるかは微妙である。
本書を読んだからといって、フーコー理解がどのくらい深まるかは何とも言えない。とにかく私にとっては、フーコーが多少身近に感じられるようになるという恩恵があった。
(二〇二〇年九月一〇日にフェイスブックに投稿した文章)。