高橋了『ポーランドの九年――社会主義体制の崩壊とその後:1986-1995』(海文堂、1997年)を読んで
今から20年近く前に出た本だが、自費出版として出されたせいもあり、あまり広く人々の注目を集めることはなかったようだ。私もごく最近まで知らず、偶然のきっかけで知って読んでみたところ、なかなか面白かった。
著者はいわゆるノンキャリヤの外交官のようで、1986年から95年までの9年間、ポーランドで勤務していた。著者自身があとがきで「内容はかなり混然としたものになった」と記しているように、あまり整然とした構成の本ではなく、日常雑記的な記述と政治・経済の動向の観察がないまぜになった感じで綴られている。ワルシャワに拠点をおきつつ、ポーランド国内各地および隣接諸国への頻繁な旅行の感想もかなりの位置を占めており、その中には、休暇を利用した個人旅行の際にわざわざカティンを訪れたときの模様とか、リトアニアのポーランド人地域(ソレチニキ/シャリチニンカイ)の訪問記などもある。2段組で630頁余に及ぶ大冊である。
標記の9年間は体制転換を挟む激動の時期であり、ポーランドでも隣接するソ連および東欧諸国でも、大きな出来事が次から次へと起きたことはいうまでもない。いくらでもドラマティックに描くことのできる対象だが、著者の筆致はどちらかというと抑制気味で、淡々としたもののように感じられた。図式的にいうなら、1989年までの4年間は希望に満ちた時期であり、90年以降になるとどちらかというと幻滅が目立つという感じだが、著者はあれこれの「裏切り」「失敗」「誤り」について悲憤慷慨するのではなく、「政治というものが色あせるのは早い」「むしろ89年9月の方が史上特異な時期だったと考えた方が良さそうに思える」と書いている。こういう書き方は、人によっては「物足りない」という印象をいだくかもしれない。だが、「歴史的な大変動」というものが、その間近にいる市井の人々にとってどのようなものとして受け止められていたかを知る手がかりとしては、むしろこういうタイプの著作が有用であるような気がした。
外交官である以上、市井の人々のことばかりを書いているわけではなく、政治の動向にももちろんかなりの紙幅が割かれている。旧体制・「連帯」双方の主要指導者たちについてニュアンスに富んだ記述があるのはもとより、シワ=ノヴィツキとかフラシュニュクといった、あまり知名度の高くない反対派リーダー(私もその名を知らなかった)についても、それぞれに個性を際立たせた描写があるのは特筆される。後に有名になる双子のカチンスキ兄弟について、1990年時点での記述があるのも目を引いた。
いろんなことを詰め込んだ本であるため、全体がまんべんなく充実しているというわけではない。ところによっては、やや紋切り型の解説に走っている個所もなくはない。1939年の独ソ密約の説明で、エストニアとラトヴィアは「ドイツの勢力圏」とされたという驚くべき誤解もあったりする。そうした問題があるとはいえ、全体としては、あの時代に生きていた人々の感覚を蘇らせる手がかりとして有意義な本だと感じた。
(2016年9月)
☆フェイスブックの私のタイムラインに2016年9月3日に書き込んだ文章をごく僅かに改訂。