ウクライナとロシア――ソ連解体後30年の歴史を振り返る

塩川　伸明

〈目次〉

はじめに

�T　1991年から2014年まで

1　最初の十数年：クラフチューク期およびクチマ期

　ａ）概観／ｂ）前史ないし背景／ｃ）議会選挙と大統領選挙／ｄ）対外政策／

ｅ）クリミヤ／ｆ）ドンバス／ｇ）ロシアの動向

2　「オレンジ革命」とユシチェンコ期

　ａ）概観／ｂ）アイデンティティ・ポリティクスの諸相／ｃ）世論の動向／ｄ）ユシチェンコ期のクリミヤとドンバス／ｅ）ロシアの動向

3　ヤヌコヴィチ期からマイダン革命へ

ａ）ヤヌコヴィチ政権の軌跡／ｂ）ヤヌコヴィチ期のクリミヤとドンバス／ｃ）マイダン革命・概観／ｄ）マイダン革命の経過と帰結／ｅ）ロシアの動向

�U　2014年から2022年へ

1　クリミヤの動向

　　ａ）モスクワの対応および現地政治エリート／ｂ）現地住民多数派の反応／ｃ）クリミヤ＝タタール人の反応／ｄ〉ロシア国民の反応

2　ドンバスの動向

　ａ）「人民共和国」の登場／ｂ）ドンバス戦争の開始と展開／ｃ）2つのミンスク停戦合意

3　マイダン後のウクライナ�T：ポロシェンコ期

　ａ）ポロシェンコ政権・概観／ｂ）記憶法と非共産主義化法

4　マイダン後のウクライナ�U：ゼレンシキー期

　ａ）2019年大統領選挙とゼレンシキー政権の出発／ｂ）ゼレンシキー政権の軌跡／

ｃ）ロシアの動向

�V　結びに代えて――現状と展望　

　1　開戦およびその直後

　2　戦争の展開

3　現状と展望

はじめに

現下の戦争（ロシアによる侵略戦争とウクライナによる防衛戦争）の歴史的背景はさまざまな形で論じられているが、そうした議論を支える歴史研究の厚さは時期や局面によって凸凹が大きい。これまでのところ比較的蓄積があるのはロシア帝国期およびスターリン時代である[1]。ペレストロイカ期からソ連解体にかけての時期については、私自身がかなり詳細に論じたことがある[2]。これに対して、ソ連解体後30年間の歴史については、同時代的な時事報道・論評は別として、時間を隔てた地点から歴史として振り返る作業は管見の限り極めて乏しい[3]。そこで、本稿ではこの欠を埋めるため、ここ30年間にフォーカスした歴史的分析を試みたい。

もっとも、私は大分以前に現状分析から撤退してソ連時代末期の歴史研究に専念するようになったので、その後の経過にはあまり通じていない。最近になって大慌てでにわか勉強をしているが、本格的な研究を遂行することができているわけではない。現状分析から遠ざかって久しい私が貢献できるのは、現状そのもののフォローよりも歴史的文脈の検討にあるのではないかと考えて、2022年2月以後の動向よりもむしろその前夜に当たる時期に力点をおくようにしているが、その作業はまだ緒についたばかりである。資料探索も不十分であり、本稿はかなりの程度二次文献に依拠しつつ、それらをなるべく多角的につきあわせることで自分なりの像をつくろうと試みたものである[4]。そのため、大小さまざまな遺漏がありうるし、ところによってはやや大胆で粗い仮説に走っているということを断わっておく。

　以下、ソ連解体後の30年間をいくつかの時期に分けて考えてみたい。ウクライナとロシアでは異なるリズムで政治が動いているので、双方を視野に入れて総合的に考えるのは至難だが、ここではウクライナ側に即して流れを追いつつ、ロシア側事情を適宜かみ合わせることにする[5]。なお、本稿は2022年7月に書き始めたが、脱稿までに長い時間がかかり，一応書き終えたのは2023年4月末‐5月初頭のことである。その間に各種の変化が生じ、私自身の見方も揺れを経験した。なるべく最終段階での視点で統一するようにしたが、そうした揺れの痕跡も部分的に残っていることをお断わりしておく。

（補）評価の問題

　本稿はホットな現代政治を主要課題とするわけではなく、そこに至る経過を追うことに力点をおくが、それにしても現状と重要な接点がある以上、評価の問題に触れないわけにはいかない。マスメディアやＳＮＳ上では、「どっちもどっち」と言ってよいかどうかをめぐって、いろんな言説が飛び交っている（自分自身の主張として「どっちもどっち」と表明する人はあまり多くなく、「あいつはどっちもどっちと言っている」という非難の文脈で提示されることが多い）。私見を述べるなら、世の中には、「どっちもどっち」という言い方を絶対にしてはいけない事項と、「特定のアクターだけを悪者と決めつけるのではなく、幅広く多面的に考える必要がある」というべき事項とがあり、両者をどう区別するかが重要ではないかと思う。今回の事態の場合、開戦については、ロシアが一方的に仕掛けた以上、「明らかにロシアが悪い」と断じるべきであり、「どっちもどっち」という言い方は絶対にできない[6]。他方、その背景や付随事項については広い視野で多面的に考える必要がある。そして背景や付随事項を理解するためには、日本ではあまり知られていないロシア側の見方を紹介したり説明したりする――「紹介／説明」は「是認」や「支持」を意味しない――ことも必要だが、だからといって開戦責任について「どっちもどっち」論をとるものでは断じてない。アナロジーしていうなら、どんなに凶悪な犯罪についても、ただ単に犯人を罵ったり憎んだりするだけで片付けることなく「どうしてこのような犯罪が起きたのか。何が犯人を駆り立てたのか」を理解しようと努める必要はあるが、だからといって犯人を擁護したり免罪したりするわけではないのと同様である[7]。

関連して、「アメリカやＮＡＴＯにも／あるいはウクライナにも非がある」という言説は異なった二通りの含意をもちうる。一つは、「アメリカやＮＡＴＯ／ウクライナに非があるのだから、ロシアはそれほど悪くはない」というもの、もう一つは、「ロシアの方により大きな非があることは明白だが、だからといって、より小さな非を見落としてよいということにはならない」というものである。個々の言説がそのどちらに該当するかの判定は往々にして微妙であり、これ自体が大きな論争点となるが、原則論としていう限り、前者は断固否定すべきであるのに対し、後者は正当な言明だというのが筋だろう。

�T　1991年から2014年まで

1　最初の十数年：クラフチューク期およびクチマ期

ａ　概観

　この時期は今からかなり遠いため、多くの人の記憶から去っているが、それでいて歴史研究の対象になるほど遠くはないため、「もはや現状分析の対象ではないが、まだ歴史研究として取り組まれてもいない」という中途半端な対象である[8]。特に重要なのは、当時と今日の間にある「オレンジ革命」（2004年）および「マイダン革命」（2014年）という二つの政変によって当時と今日は断絶しているのか、それとも「独立後の時代」としての連続性・共通性を重視すべきかという問いである。オレンジ革命やマイダン革命を「民主化革命」とするなら、それ以前の時代は非民主的だったということになりそうだが、そういう風に「民主的な時代」と「非民主的な時代」を画然と分けることができるのかと問うなら、答えは自明でない。初代および二代大統領のクラフチュークとクチマは、現在のウクライナでも尊敬すべき元大統領と遇されており（クラフチュークは2022年5月に逝去）、「民主化以前の時代の政治家だから、無視してよい」と見なされてはいないが、このことは当時と現在の連続性の要素を物語る。

　当時のウクライナは、国内に多様な潮流の間の立場の違いと論争があり、またロシアとの関係でも種々の対立や論争があったが、それでもとにかく当時は暴力的衝突はほとんどなかったこと、また独立自体を疑う立場もほとんどなかったことは記憶に値する。当時のウクライナは生まれてまもない独立国だったが、すぐにも崩壊するだろうとか、独立を失うだろうという考えはほとんど見られなかった（ウクライナ内部でそうだっただけでなく、ロシアでもそうだった）。この時期のウクライナは種々のディレンマ・矛盾・対抗関係をかかえていたが、そうした諸矛盾は暴力的衝突や国家存続の危機をもたらすほどの緊迫性を帯びていたわけではない。それがその後にどのように変化したのかが大きな問いとなる。カナダの代表的なウクライナ研究者は最近の著作で、ウクライナの東西分岐は種々の緊張を伴い、国家分裂の危機に関する警告さえもときおり発せられたが、それでも政治的暴力の可能性はほとんどないと感じられており、その状況が一変したのは2013年11月から14年2月にかけてのマイダン革命を通してのことだと指摘している[9]。種々の緊張や矛盾をはらみつつも、それが爆発するとは予期されていなかった状況から、それが遂に爆発するに至った状況への変化はどのようにしてもたらされたのか――これは非常に大きな問いである。そのことを念頭におき、この章では種々の緊張・矛盾・ディレンマが存在しつつも、それが爆発性のものとは意識されていなかった2014年以前の時期の状況を振り返ってみたい。

　最初の二人の大統領であるクラフチュークとクチマの間にも種々の差異があるし、二人ともその在任期間中に種々の変容を経験しているが、ここでは概説が課題なので、とりあえず両者の大まかな共通性について簡単に確認しておくなら、二人はともに元来は共産党員であり、ペレストロイカ末期に民族路線に乗り換えた。二人とも大統領選挙の時点では、ロシア語系住民の多い東部・南部で相対的に多くの票を集めることで当選した。しかし、当選後は、独立国の大統領として国全体を代表しようと努め、西部をも取り込もうとした。そのことと関係して、かつて対抗関係にあったルーフ＝人民戦線にも大なり小なり接近した[10]。先に触れたように、彼らは今日でも尊敬すべき元大統領と遇されており、「元共産党員だったから／ロシア語系住民の票を多く集めて当選したから敵だ」と見なされたりしてはいない。

ｂ　前史ないし背景

ペレストロイカ後期の1990-91年にはソ連全体で共和国主権論が高まったが、ウクライナもその例にもれず、1990年7月にはウクライナ主権宣言が採択された。但し、同年春の最高会議選挙でルーフ（ウクライナ人民戦線）が勝利したのは西部を中心に一部の地域にとどまり、全国的には共産党が優位を占めていたから、主権宣言採択は共産党とルーフの妥協の産物であり、内容的にもそれほど尖鋭なものではなかった[11]。

1990年秋以降になると、民族運動が一段と高揚し、その圧力を受けたウクライナ共産党は「主権派共産党」と「帝国派共産党」に分岐した。主導権をとった「主権派共産党」の代表的存在はクラフチューク――元は共産党のイデオロギー官僚だったが、最高会議議長に就任してからは民族路線に接近した――である。もっとも、彼は1991年半ばまでは独立を目標として掲げてはおらず、ソ連の構成主体としての共和国の主権をできる限り実質化・拡充しようとする立場をとっていた。

他方、最初のうち体制内改革路線が主流だったルーフは、次第に急進化の度合いを強め、独立を目標として明示し、当初提携していた共産党との対決を明らかにするようになった。しかし、ルーフの中でも、主流派＝相対穏健派と最急進派（ルキヤネンコの率いる共和党）の間で分岐が生じ、共産党内の「主権派」とルーフ内の相対穏健派が緩やかに提携する構図が生まれた。

　1991年8月クーデタ時に、クラフチューク最高会議議長はクーデタへの態度が曖昧だったのではないかとの疑惑がかけられ、地位が揺らぎかけた。クーデタ失敗が明らかとなると、彼は失地回復のために、一挙に独立論へと態度を変更した。その直後に採択された独立宣言（8月24日）は、独立論に乗り換えた「主権派共産党」とルーフ内穏健派の妥協によって成り立ったものだが、文面は簡略なもので、独立後の具体的目標については不明確性を残していた。

　ウクライナ独立宣言の直後にエリツィン・ロシア大統領の報道官ヴォシチャノフは「独立する共和国とは国境調整の必要がある」と発言した（8月26日）。この発言はウクライナ東部およびクリミヤへの領土要求を含意しており、一大センセーションを巻き起こした。これ自体は、あまり紛糾させまいとする政治家間の合意によってとりあえず不問に付された（1990年10月のロシア＝ウクライナ条約でうたわれていた「現行境界の尊重」という原則が再確認された）が、それにしても対抗の底流はくすぶり続けた。こういうわけで、後のロシア＝ウクライナ対抗の種がこの時期に蒔かれたという事実は記憶に値する。

　同年末の独立レファレンダムは大統領選挙と同日投票（12月1日）と設定されたため、双方のキャンペーンが重なり合う形で進んだ。主要大統領候補がみな「独立」を掲げて、「われこそは独立の担い手だ」とする競争を繰り広げた結果、短期間に独立論支持が広まり、独立レファレンダムは圧倒的に賛成多数となった（同年３月のレファレンダム時には、ソ連維持論がウクライナでも多数を占めていたが、それから９ヵ月の間に世論が大きく変動したことになる[12]）。もっとも、このレファレンダムの設問には「ソ連の外」という文言が含まれておらず、「独立国の連合体としての主権国家同盟」というゴルバチョフの構想に乗る可能性を排除しないという曖昧性があった。実際、同時期の世論調査によれば、「独立」支持が圧倒的であると同時に、「主権国家同盟」支持もかなり高いという両義性があった[13]。

　独立レファレンダムが圧倒的な賛成多数となり、地域差もクリミヤを除きあまり顕著でなかったのに比して、同日の大統領選挙ではもっと複雑なニュアンスが示された。当選したのは、「主権派共産党」のクラフチューク（決選投票を要することなく第一回投票で当選）であり、以下、ルーフ指導者のチョルノヴィルが第2位、急進派＝共和党のルキヤネンコが第3位、ルーフから分かれてロシア語系住民に配慮する立場をとったフリニョフ（グリニョフ）が第4位という結果になった。地域別の得票率を見ると、クラフチュークが東部・南部・クリミヤで圧勝したほか各地でまんべんなく集票したのに対し、チョルノヴィルとルキヤネンコは西部でしか票を取れず、フリニョフは東部・南部・クリミヤで主に集票した。こうした得票率のばらつきは、独立論を唱える限りで共通する政治家たちの間に種々の立場の差異があったこと、ルキヤネンコに代表される急進ナショナリズムは西部以外ではあまり有力でなかったことを物語っている[14]。

ｃ　議会選挙と大統領選挙

　前述のように独立後十数年の時期のウクライナは、内部にさまざまな分岐や対立をかかえていたが、それが激しい武力衝突とか内戦の形をとることはなく、緩やかな統合を維持した。この間に何回も行なわれた大統領選挙と議会選挙は、混乱や対決を含みつつも、一応は自由で民主的な選挙として実施され、平和的な政権交代を繰り返していた[15]。もちろん、生まれたばかりの民主主義は種々の限界をかかえ、非民主的な要素を多々はらんでいたし、腐敗・汚職の横行も指摘された。だが、それはどの「民主主義国」についても言えることだし、「上からの資本主義化」を強行した諸国では広く見られることである。そうした問題を抱えつつも、とにかく暴力的衝突があまりなく、緩やかな統合が維持されたということを改めて確認しておきたい。

　まず議会（ウクライナ最高会議）について見ると、国内の複雑な勢力分岐を反映して穏健な多党制状況――多数の政党が並び立ち、一つの政党だけでは多数派を形成することができないが、それほど鋭い分極化ではないので、連立交渉が何とか成り立つ――があり、諸政党の連衡合従を通して連立政権がつくられた。他方、大統領選挙とりわけ決選投票ではゼロサム的対決の構図がつくられたが、当選者は選挙時に支持基盤となった地域だけでなく全国を代表する大統領として振る舞おうと努めた。

　一言でいって、ウクライナには言語・文化・宗教・風俗習慣などにおいて大まかな共通性を基礎にした多様性と内部分岐があり、一枚岩的均質性を達成しにくい条件がある。そのことをもって、ウクライナは国民国家をつくることができないのだとする論者も少なくない。だが、均質性を基礎にした一体的団結をモデルとするのではなく、多様性と内部分岐を緩やかに包摂する統合が徐々に生まれつつあったという見方もありうる。独立後十数年の間、穏健な多党制のもとで，選挙を通じた政権交代が何度も繰り返されてきたこと、当選した大統領は選挙時の支持基盤だけにこだわることなく、東西バランスを重視する政策をとってきたことはそのことを物語る。このような内部分岐を緩やかに包摂した多元的統合はその後、とりわけユシチェンコ期およびポロシェンコ期に揺さぶられ、分極化が強まった。その過程については後に見ていくことになる。

ｄ　対外政策

　1990年7月に採択されたウクライナの主権宣言の中には、軍事ブロックに参加しない中立の非核国家になることを目指すという文言が含まれていた。前述のように主権宣言は「主権派共産党」とルーフの交渉の中で作成されたが、この個所はルーフ指導部の提案によっていた。「主権宣言」は「独立宣言」とは違ってソ連の中での主権共和国という前提に立っていたが、1991年8月の独立宣言から12月1日の独立レファレンダムを経て12月末にソ連解体が現実のものとなる中で、ウクライナ議会は12月20日の声明で、非核国家になることと、軍事ブロックに参加しないことを改めて確認した。こういうわけで、独立直後のウクライナは、軍事同盟に入らない中立国となることを基本的方針としており、ＮＡＴＯにも入らなければ、ロシアを中心とする独立国家共同体の集団安保体制にも入らないという姿勢をとっていた。

　この状況に変化が生じたのは、1990年代後半のことである。この時期に中東欧諸国がＮＡＴＯ加盟を目指すようになった（1999年に実現）ことは、ウクライナにとっても無縁ではなく、ウクライナでも国際社会における自らの立ち位置をめぐって種々の議論が交わされた。そこにおいては、「ロシアと西欧の架け橋」論をとるか、それともＮＡＴＯに入りつつある中東欧諸国との連携を目指すかという論点が浮上した。もっとも、後者の観点に立つにしても、当時は自国がＮＡＴＯに入ることはあまり考えられず、ロシアとの関係を敵対的にすることも考えられなかったから、明確なＮＡＴＯ加盟論は一部の政治家によって唱えられるにとどまり、それがコンセンサスとなったわけではない。ロシアとの関係で重要なのは、ロシアがウクライナに天然ガスを国際価格よりも安く供給する代わりに、ＮＡＴＯへの接近を牽制したという事情である（2014年以降は、この関係が変わり、ウクライナはロシアではなくＥＵからガス供給を受けるようになった）[16]。

　いま見たのは政治家たちの議論だが、それとは別に、世論の動向についていえば、ウクライナ世論はＥＵには一貫して好感情を持っており、できることなら加盟したいという考えが優勢だったのに対し、ＮＡＴＯについてはあまり肯定的でないというのが大まかな趨勢だった[17]（これは、ロシアでもある時期までＥＵとは友好と協調を望むがＮＡＴＯは脅威と感じるという一般的傾向があったのと似ている）。もっとも、ロシアが対ウクライナ強硬姿勢を示すことはウクライナ世論をＮＡＴＯ側に追いやる効果をもち、それは今回の開戦で頂点に達した。つまり、ウクライナ世論はもともとＮＡＴＯ加盟を願望していたわけではないが、むしろプーチンこそがウクライナをＮＡＴＯ側に追いやったということである。

ｅ　クリミヤ

　クリミヤには古代にさかのぼる歴史があり、そこにおいてはギリシャ人をはじめ様々な人々が独自の刻印を残してきたが、15-18世紀には、オスマン帝国の宗主権下にあったクリミヤ＝ハン国がクリミヤ半島のみならず黒海北岸および北カフカス一帯を支配する強国として栄えた。しかし、18世紀末にロシア帝国は露＝土戦争に勝利してクリミヤ＝ハン国を併合し、クリミヤ半島および黒海北岸はロシア帝国の領土となった（この後のロシア帝国では、黒海北岸は「ノヴォロシア」と呼ばれたが、この呼称も現代的状況のなかで蘇っている）。

これ以降、19世紀から20世紀初頭にかけてクリミヤ＝タタール人は大量に国外流出し、20世紀初頭にはクリミヤ半島住民の20−25％程度にまで減っていた（クリミヤ住民中でタタール人が少数派になったのはスターリンの強制追放によるとの解説がときおり見受けられるが、間違い）。クリミヤ＝タタール人の流出と入れ代わるようにして、ロシア人とウクライナ人が流入して、この地の多数派を形成するようになった。

1917年のロシア革命後、諸勢力が複雑な角逐を繰り広げたが、勝利を収めたボリシェヴィキ（共産党）は、「民族自決」の建前から、少数派になっているクリミヤ＝タタールを重視し、クリミヤに「ロシア共和国内の自治共和国」という地位を付与した。1926年の人口調査ではロシア人42.6％、ウクライナ人11.0％（ロシア語を母語とする者も含む）、クリミヤ＝タタール人25.3％という人口構成だったが[18]、国家語はクリミヤ＝タタール語とロシア語の双方とされた。

　1944年にスターリンのもとでクリミヤからクリミヤ＝タタール人、ギリシャ人その他の諸民族が「対敵協力」の汚名を着せられて集団的に追放追放されたことはよく知られている。自治共和国も翌45年に廃止されて、単純な行政的「州」となった。

戦前のクリミヤ自治共和国も戦後のクリミヤ州もともにロシア共和国の行政管轄下にあったが、ペレヤスラフ協定300周年[19]に当たる1954年に、フルシチョフは「ロシア＝ウクライナ友好の印」として、クリミヤをロシア共和国からウクライナ共和国に「贈与」した。後に、この「贈与」決定が恣意的かつ不法だったとする見地から、その取り消し論（「ロシアへの復帰」論）が台頭することになる[20]。いずれにせよ、このときクリミヤは歴史上はじめてウクライナの統治範囲に含まれることになった。

1956年のスターリン批判時にいくつかの被追放民族が名誉回復されたときにクリミヤ＝タタールはその対象に含まれなかったが、1967年に遅ればせに名誉回復された。これに伴って移動の自由も原則的には回復したが、複雑な行政手続きの壁に阻まれて、実質上ほとんど帰還することができない状態が続いた。

　ペレストロイカ期の1989年に行なわれた人口調査によれば、クリミヤ州の人口約243万人のうちロシア人が163万人（67％）、ウクライナ人が63万人（26％）、ベラルーシ人が5万人（2％）、クリミヤ＝タタール人が４万人（1.6%）などとなっていた。民族的ウクライナ人やベラルーシ人でもロシア語を母語とする者が多いため、住民全体のうちロシア語を母語とする者は83％に及んだ（これは人口調査での公式記録だが、現実の言語使用はこの数字が示す以上にロシア語優位だった）[21]。なお、クリミヤ＝タタール人はその後、中央アジアからの帰還が増大して、21世紀初頭には州人口の1割を超えるに至った。

こういうわけで、当地の住民中ではロシア語系住民が圧倒的多数であり、ウクライナ民族主義はほとんど浸透していなかった。そして多数派たるロシア語系住民の間では、キーウ／キエフにおける主権宣言採択や言語法に懸念をいだいて自治共和国の地位復活を求める動きが高まり、1991年1月の住民投票で圧倒的賛成を得て可決された（投票率81％, 賛成率93％）。なお、この住民投票に際して、クリミヤ＝タタール人は「自決」の主体は自分たちをはじめとする先住民（カライム人、クリムチャク人を含む）でしかありえないという見地から、現に住んでいる住民たちによる「自決」に反対し、住民投票をボイコットした。自治共和国最高会議はクリミヤ＝タタール人に民族代表としての議席を提供したが、これもボイコットした[22]。

こうして「州」から「自治共和国」への格上げ要求が住民多数の意思であることが示され、まもなくウクライナ最高会議もこれを認めた。なお、このときに認められたのは「ウクライナ共和国の中の自治共和国」ということであり、一部で唱えられていた「ロシアへの移行（復帰）」論はとられなかった。ソ連という大枠が存在している間は「ウクライナの中の自治共和国」でも「ロシアの中の自治共和国」でもソ連の中という点では同じなので、そのどちらでも大差ないと考えることができ、「ロシアの中」か「ウクライナの中」かという選択はさしあたり尖鋭化が避けられた。

しかし、8月24日にウクライナが独立宣言を採択したことは、この前提を揺るがせ、クリミヤではウクライナからの独立論やロシアへの移行論が急速に高まった。ウクライナ独立宣言直後のヴォシチャノフ発言（8月26日）については前述したが、そこでも触れたように、これはクリミヤおよびウクライナ東部への領土要求を含意していた。これ自体はとりあえず不問に付されたにしても、対抗の底流は残った。

　ソ連解体後、1990年代前半を通して、クリミヤ現地ではウクライナからの独立論や「ロシアへの復帰」論が盛んに唱えられた。1991年9月のクリミヤ主権宣言を受けて、92年5月にはクリミヤの国家的自主性に関する宣言（独立宣言と解されることもある）およびクリミヤ共和国憲法があいついで採択された。この憲法は、自発的にウクライナに委ねる以外の全ての権限を自らの国家機関によって行使すると規定するもので、分離独立論とは異なるが、キーウ政権はこれをウクライナからの独立志向を示すものとして警戒した。94年1月のクリミヤ大統領選挙では、キーウとの関係を尖鋭化させまいとする路線をとっていたバグロフ最高会議議長と明確な独立論者のメシュコフが争って、後者が当選したが、このことはキーウとクリミヤの対抗関係を一段と深めた。キーウ政権はクリミヤ憲法を無効とし、大統領職を廃止するという強硬態度を示した。このときロシア国内ではメシュコフ支援論もかなり強かったが、政権はウクライナとの関係の複雑化を避けるためメシュコフを敢えて支援しようとはせず、彼は病気のためもあって95年7月に政界から引退した。96年にはウクライナ憲法でクリミヤをウクライナ内の自治共和国と規定する妥協が成立して、対立はある程度やわらいだが、その後もキーウとクリミヤの間では種々の対抗が展開した。

クリミヤ現地におけるこのような動きはロシア国内政治にも反映した。クリミヤはロシアに戻るべきだと唱える「愛国派」勢力はかなりの影響力を持っており、政権への圧力となった。政権自身はウクライナとの関係複雑化を避けるためクリミヤ奪還論はとらなかったが、黒海艦隊およびその母港たるセヴァストポリの問題には強いこだわりを見せた[23]。

　複雑な交渉の末、1997年5月にロシア＝ウクライナ友好協力条約および黒海艦隊分割協定が調印され、国境不可侵（つまり、クリミヤはウクライナ領と確認する）、黒海艦隊分割（ロシアの取り分は82％、ウクライナの取り分は18％）、ロシアは母港としてセヴァストポリを使う（当面20年間、後にもう25年延長される）ことに対し賃借料をウクライナに払う、艦船の約8割をとることの見返りも支払う、ウクライナからロシアに移送された核兵器についてもロシアが補償金を支払う、但しこれらの金額はウクライナの対露債務（主に石油・ガス料金）で相殺される、という取り決めが成立した。こうして、クリミヤの地位および黒海艦隊問題は一応の解決にたどりついた。

その後も残った国境画定については、2003年2月にプーチンとクチマが調印した国境画定条約で、アゾフ海はロシアとウクライナの内海とされ、両国の船は自由に航行できる一方、第三国の船は両国の許可を要するという形で解決された（最後の論点たるケルチ海峡問題は後述のようにヤヌコヴィチ期に持ち越された）。この国境画定条約をロシア議会が批准したことは、クリミヤをウクライナ領と認めることの法制的確認という意味を持った[24]。こうしてクリミヤの帰属および黒海艦隊問題はいったん決着した。後に見るように2014年のマイダン革命はこの状況を一変させることになる。

ｆ　ドンバス

　ドンバスとクリミヤは、ロシア語系住民の比重が高く、2014年以降に大きな紛争の舞台となったという点で共通するため、往々にして一括して論じられがちである。だが、丁寧に見ていくと、かなり異なる面もある点に注意しなくてはならない。

まず住民構成についていうと、ソ連時代最後の人口調査である1989年時点で、ドネツィク（ロシア式にはドネツク）州の住民のうちロシア人は44％、ロシア語を母語とする者は68％であり、ルハンシク（ロシア式にはルガンスク、かつてはヴォロシーロフグラードと呼ばれた）州ではそれぞれ45％と64％だった[25]。ウクライナ独立後の 2001年調査では、ロシア人比率が多少下がる一方、ロシア語を母語とする者の比率はむしろ上昇して、ドネツィク州で75％、ルハンシク州で69％となっている[26]。ロシア語優勢地域であることは明らかだが、クリミヤにおけるロシア語母語率が1989年に83％、2001年に79％だったのと比べると、そこまでの高さではないということになる。

　大まかに似た特徴を持つ地域の中でも微妙な差異があるという問題は、ドンバス以外のウクライナ東南部諸州（ハルキウ、ドニプロペトロウシク、ザポリージャ、ヘルソン、ミコライウ、オデーサ）を含めて考えると、より鮮明になる。これら各州の人口構成はまちまちで、ロシア人比率やロシア語を母語とする人の比率も一概には言えないが、とにかくドンバスやクリミヤほどの高さはない。そして、各種世論調査で帰属意識や望ましい将来像について尋ねたとき、相対的な「親露」性の度合いは、全ウクライナ平均よりは東南部諸州で高いがドンバス2州ほどではなく、ドンバスにおける高さは他の東南部諸州より高いとはいえクリミヤほどではないという、一種の序列が確認できる[27]。こうした差異は、大まかにではあるが政治的態度とも相関し、実際、後の政治的・軍事的過程はそうした差異を反映した。

　また、クリミヤは黒海艦隊の母港を抱えるという点で重要な戦略的意義があり、ソ連時代には全ソ連的規模での一大保養地・観光地だったという意味でも全国的意義があるのに対して、ドンバスの主要産業は石炭・鉄鋼業という重厚長大型の産業であり、老朽化も進んでいるため経済効率が高くない。その意味で、ロシアにとってクリミヤ確保の必要性はドンバスよりもずっと高かったものと想定される。このようなドンバスのクリミヤとの異同は2014年以降の変動の展開にも反映した。

　もう一つ重要な点は、ドンバスには伝統的にモスクワともキーウとも異なる独自の地域アイデンティティーがあったということである。この地のロシア人／ロシア語話者とウクライナ人／ウクライナ語話者は互いにそれほど強い異質性を感じることなく共生しており、民族的アイデンティティーよりもむしろ、「この地に住み、炭鉱および鉄鋼という産業に携わる」という地域としてのアイデンティティーが強いということがしばしば指摘されている。これはキーウに対する自立性要求という面があるため、キーウや西部の眼からは「分離主義＝ロシア志向」と見なされやすいが、モスクワへの従属志向があるわけではなく、あくまで地域としての自主性――ソ連時代にはソ連の中の一地方として、ソ連解体後はウクライナの中の一地方としての分権化論――が主柱をなした。この点も、後の政治的展開の重要な背景となる。

　1990年代のドンバスでは、ウクライナの連邦化（州の自治拡大）およびロシア語の第2国家語化という要求が大きな位置を占めた。1994年3月に州レヴェルで住民投票が行なわれたとき、ドネツィク州住民の3分の2以上が賛成の意思表示をした[28]。しかし、キーウ中央政権はこれに応じようとせず、この問題は未決着のままに残った。

　1997年にはドンバスのオリガルヒを中心として、当時のクチマ政権を支持する新しい政党として地域党が登場した。それまでのドンバスは共産党の地盤だったが、この後のドンバスでは、政権とのパイプを利用しやすい位置にある地域党が共産党をしのぐようになった。ここで注意しておかなくてはならないのは、地域党はロシア語系住民の票を多く集めるという意味で「親露的」な政党だとはいえ、ウクライナからの独立を目指す党ではなかったということである。ウクライナが連邦制をとらない単一国家であることと関係して、各地の地方エリートは地元だけに自足するのではなく中央政界に進出しようとする傾向を示すことが多いが、地域党はそれに高度に成功した。地域党はこの後、2014年に空中分解するまで長いことウクライナ最高会議の相対第一党の位置を占め続け、クチマ末期（2002-04年）には、元来ドネツィク州知事だったヤヌコヴィチが首相の座に就いた（その後のヤヌコヴィチの軌跡については後述）。このように中央政権に影響力を行使する政党である以上、ウクライナからの離脱ということは問題にならず、あくまでもウクライナの一部としての権利拡大要求に主眼があった。

前述したように、ドンバスには独自の地域アイデンティティーに基づく地域主義があり、それがウクライナの中での独自性主張の背後にあったが、地域党がキーウ政権に影響力を行使している間は、分離志向が強まることはなかった。やがてこの条件が変わっていくことについては後に見る。

ｇ　ロシアの動向

　本項で検討している時期（1991-2004年）は、ロシアでいえばエリツィン政権第一期・第二期およびプーチン政権第一期にまたがる。今日における漠然たる印象として、エリツィンとプーチンの間に大きな断絶があったかに思われがちだが、実際には、当初のプーチンはエリツィンの忠実な後継者として登場した。また、対外面では、今では忘れられがちだが、初期のプーチン政権はエリツィン末期よりも対米柔軟路線をとっていた。以下、簡単に経緯を追ってみたい。

　1991年8月のウクライナ独立宣言直後にロシア政権とウクライナの間に緊張関係が生じたこと、しかしそれはとりあえず収拾されたことは前述した。その後も、ロシア国内では「愛国主義」を重視する政治潮流が有力であり、クリミヤが1954年にロシアからウクライナに移管されたのは不法だという議論が広い範囲で支持された。そうした国内世論からの圧力を受けたエリツィン政権は、領土問題に関して「クリミヤ奪還」論を打ち出すことは避けたが、セヴァストポリを母港とする黒海艦隊の保持には、より大きな重要性が付与され（前注23参照）、ウクライナとの論争が続いた。1993年のエリツィン＝クラフチューク会談では艦隊の両国への分割という原則が一応合意されたが、分割比率や母港の位置づけの問題をめぐって更に交渉が続いた。

1997年の黒海艦隊分割協定およびロシア＝ウクライナ友好協力条約条約によって、それまで続いていたロシア＝ウクライナ対立は一応の決着を見た。その一方、1990年代後半に始まったＮＡＴＯの東方拡大はロシアを刺激し、強硬な反対の雰囲気を高めた。特に1999年のＮＡＴＯによるセルビア空爆はエリツィン政権の強い憤激を招いた。エリツィンは「アメリカはロシアが核大国であることを忘れているのではないか」という恫喝発言さえも行なった。

エリツィン政権末期のロシアとアメリカ・ＮＡＴＯの関係が極度の緊張に特徴付けられたのに対し、2000年に発足したプーチン政権は、その出発時においては対米関係改善の努力が特徴的だった。プーチンは就任前夜に「ロシアがＮＡＴＯに入ってもいいではないか」と言ったこともある。2001年の「9.11」後にアメリカが「テロとの戦い」を始めると、ロシアも直ちにこれに同調し、アメリカが中央アジアの基地をアフガニスタンへの出撃拠点として利用することも容認した。ＡＢＭ（弾道弾迎撃ミサイル）制限条約をアメリカが一方的に破棄したときにも、これに強く抗議することをせず、容認した。こういうわけで、後に想定されがちなところとは異なり、プーチン政権の出発は対米関係改善を目指すものだった。

その後、米ロ関係が次第に緊張含みになった第一歩は2003年のイラク戦争である。もっとも、このときにイラク戦争を批判したのはロシアだけでなく独仏も同様だったから、全体としての欧米・ＮＡＴＯとロシアが対抗関係に入ったわけではなかった。

初期プーチン政権の相対的に柔軟な対外政策は、ロシア＝ウクライナ関係にも反映した。1999年にウクライナで第2期クチマ政権が成立し、2000年にはロシアでプーチン政権が成立する中で、ウクライナの対外政策は微妙にシフトし、相対的に親露化の傾向を示した。2001年5月にロシアの駐ウクライナ大使にチェルノムィルヂン元首相という大物が任命されたのは、ロシアのウクライナ重視のあらわれと見られた。クチマ政権は一方でＮＡＴＯへの接近を進めながら、ロシアとの関係の緊密化も図るという両面作戦をとった。

2003年2月にはプーチンがウクライナを訪問し、1997年条約時点で未決に残されていた国境画定に関する条約が調印された。ロシア国内の愛国派はこの条約をウクライナに譲歩しすぎるものだと批判し、批准は難航したが、2004年4月20日に批准され、25日に発効した。これによってクリミヤはウクライナ領ということがロシア法制上も確定した（前注24。この後も残ったケルチ海峡問題については後述）。

2　「オレンジ革命」とユシチェンコ期

ａ　概観

　2004年の「オレンジ革命」とユシチェンコ政権の成立は、ウクライナの政治に大きな変化をもたらした。「オレンジ革命」は通常「民主化」革命――不正選挙の糾弾および選挙やり直し――という側面だけが注目されている。最初に公表された開票結果には不正が多く、やり直し選挙の方が有権者の意向に近いということはおそらく確かなのだろうと思われる（但し、最初の公式投票結果とやり直し選挙の差はそれほど大きいわけではなく、大逆転というわけではない）。もっとも、この「革命」は必ずしも全面的な旧体制否定を意味したわけではなく、クチマとユシチェンコらの取引による妥協という側面もあった（ロシアもこの妥協に関与し、新政権の発足を受容した）。それを示すのは、選挙やり直しとセットにして認められた憲法改正による大統領権限の縮小である。その結果、ウクライナの国制は、大統領優位の準大統領制から首相優位の準大統領制へと移行した[29]。この国制変更をどう評価するかという問題は、その後もウクライナ政治の大きな論点となった（2004年憲法はヤヌコヴィチ期に最高裁判所の裁定で無効を宣言されたが、2014年のマイダン革命期に復活することになる）。

もう一つ重要なのは、この「革命」を支えた「オレンジ連合」が短期的に分解したことである。もともと「オレンジ連合」はユシチェンコの「われらがウクライナ」とティモシェンコのブロックからなっていたが、この連合はまもなく分裂し、その結果、大統領与党は議会少数派となった。世論調査でも「オレンジ革命」への幻滅が広がり、経済実績が思わしくないこと、政治腐敗にメスが入れられていないことなどから、ユシチェンコの支持率は急速に低下した。そうしたなかで、ユシチェンコはその政権後期に、ロシアとの対抗を前面に出した急進ナショナリズム路線を採用した。そのことは国内のアイデンティティ・ポリティクスと対外政策の両方にあらわれたが、先ず対外政策について簡単に見ておくことにする。

大統領就任直後のユシチェンコは、最初の外遊先としてロシアを選択したことに見られるように、西欧一辺倒ではなく東西双方のバランスをとろうとする双方向外交――これはそれまでのウクライナでほぼ一貫してとられてきた基本姿勢だった――を継続した。しかし、政権後半期のユシチェンコは西方志向を鮮明なものとし、ＮＡＴＯ加盟論を唱えた。2008年1月には、ユシチェンコ大統領とティモシェンコ首相がＮＡＴＯ加盟を目指すという方針を正式に表明した。これに対して野党は、世論がＮＡＴＯ加盟に消極的であることを念頭におき、加盟方針の確定には住民投票が不可欠だと唱えて、政府を牽制した。

4月初頭にブカレストで開かれたＮＡＴＯ首脳会談では、ウクライナとサカルトヴェロ（グルジア／ジョージア）を候補国と認定するかどうかが大きな論点となった。ブッシュ米大統領が両国の加盟を推進する姿勢を示したのに対してロシアは強い反撥を示した。もともと1990年代にエリツィン政権がＮＡＴＯの第一次東方拡大を不承不承ながら認めたのは、それが旧ソ連の範囲にまでは及ばないという暗黙の約束があったからであり、ウクライナ、グルジアへの拡大はそれを破るものだというのが、ロシアの主張だった。このようなロシアの反撥を考慮して、フランスとドイツはウクライナとグルジアの「加盟候補国」化に反対し、その代わりに、「将来的に加盟候補国となる」という文言を共同声明に盛り込むこととなった[30]。このような中間的方針でもロシアにとっては刺激的であり、国際緊張を高めることになった。

ｂ　アイデンティティ・ポリティクスの諸相

　ユシチェンコ後期に煽られたウクライナのアイデンティティ・ポリティクスは、いくつかの側面からなる。その1つは言語政策に関わり、「国家語」としてのウクライナ語の役割を従来よりも強調して、ロシアから輸入された映画やテレビドラマにウクライナ語の吹き替えを義務づけたり、クリミヤでは裁判所でロシア語を使ってもよいというそれまでの特権を剥奪したりした。

　第2は教会政治の側面である。ウクライナには、西部で強い東方典礼カトリック（ユニエイト）を別にして、正教会だけをとっても複数の教会が競合する複雑な状況があった。もともとウクライナの正教会はロシア帝国期からソ連期にかけてはロシア正教会の一部をなしていたが、ペレストロイカ末期に自立化の主張が高まり、1990年に「ロシア正教会の中で自治をもつ」という地位に移行した（教会法上、「自治」と「独立」は異なる概念であり、「自治」教会は内部事項については自主性を持つが、独自の総主教を選出する権利はない）。これとは別に、ロシア革命直後にウクライナ正教会のロシア正教会からの独立――独自の総主教選出権――を主張して発足した「独立ウクライナ正教会」もあり、これは長らく海外に拠点をおいて活動していたが、ペレストロイカ期に国内に帰還した。さらに、新たに独立を唱えだしたキーウ総主教庁ウクライナ正教会も登場して、三つ巴の状況が生じた。正教の世界において新たな「独立」教会の発足を正式のものとするには複雑な手続きが定められており、しかもウクライナには「独立ウクライナ正教会」を称する教会が複数生じたことから、その正式化は難航した。ユシチェンコは自国に「独立教会」をもつために、並立している「独立ウクライナ正教会」を政治的働きかけで統一させ、コンスタンチノープル総主教――カトリックにおける教皇とは違って、他の総主教の上に立つわけではなく「同輩者中の第1人者」とされる――の承認を取り付けようとした（この時期にはこの狙いは達せられなかったが、後にポロシェンコはコンスタンチノープルの承認を取り付けることに成功した）[31]。

　アイデンティティ・ポリティクスの第３の次元は歴史問題に関わり、これは大きく二つの論点に分かれる。その一つは、1930年代の飢饉を「ホロドモール」と名付け、「ウクライナ人に対する民族的ジェノサイド」だとする宣伝が繰り広げられた。この飢饉はペレストロイカ以前にはほとんど知られていなかったが、ゴルバチョフ期に多くの歴史家によって注目されて、精力的な探求の対象となった。当時はスターリン時代の諸民族共通の悲劇として、ロシアの歴史家とウクライナの歴史家が協力して探求を進めていたが、ユシチェンコ期には、ウクライナ人を標的とした民族的悲劇と描かれるようになった。実際には飢饉の犠牲者はウクライナ人だけではなく，多くのロシア人、カザフ人、ベラルーシ人などを含んでおり、ウクライナ人だけを標的とした民族的ジェノサイドとする見方には無理があるという見解が欧米の研究者の間でも優勢である[32]。

　歴史認識との関わりでは、もう一点、独ソ戦中に反ソ・パルチザン戦争を遂行したウクライナ民族主義者組織（ＯＵＮ）／ウクライナ・パルチザン軍（ＵＰＡ）およびその指導者バンデラを「民族的英雄」と位置づけたことが論争を呼んだ[33]。このバンデラは、ナチ・ドイツと一時的・便宜的にもせよ提携したのではないかとの疑惑がかけられるという意味で、きわめて論争的な人物である。より明確にナチと協力したのはメリニク派であり、バンデラ派は親ナチとは言えないという説もあるが、とにかくロシアでは「バンデラ派＝ナチ協力分子」とのイメージが一般的であり、そのためバンデラを「民族的英雄」と見なす現代のウクライナ・ナショナリストはファシストだというイメージが広がった。なお、ＯＵＮ／ＵＰＡは反ソであるだけでなく反ポーランドでもあり、特に大戦末期には大規模なポーランド人殺戮（1943年ヴォルィニャ事件）およびユダヤ人虐殺に関与したので、これはウクライナとポーランドおよびイスラエルの間の歴史論争のもとともなった[34]。

ｃ　世論の動向

　いま見たようなアイデンティティ・ポリティクスの展開（同様の政策は後のポロシェンコ期により強烈に繰り返される）は、熱心な急進ナショナリスト活動家を鼓舞し、諸外国にも賛同者をある程度取り付けた（特に「ホロドモール」宣伝は、それまで飢饉のことを知らなかった欧米の多くの人たちにショックを与え、かなりの程度広まった）。しかし、こうした急進的ナショナリズム宣伝は、国全体としてはむしろ亀裂を深める結果となった。そのことは対ロシア感情に関わる世論調査結果から見て取ることができる。

　ウクライナ国民の対ロシア感情については、キーウ国際社会学研究所による継続的調査が興味深いデータを提供している。この調査では2008年から2022年にいたる長期的変化が跡づけられているが、図1を見るなら、2008-13年、2014-21年、2022年という3つの時期の間に大きな変化があったことが明瞭に見てとれる。

図1　ウクライナの世論調査にみる対ロシア感情の変遷

（右肩下がりの線は肯定的感情、右肩下がりの線は否定的感情）

＊https//www.pravda.com.ua/rus/news/2022/5/26/7348625/

　　　（2022年10月9日アクセス）

2014年以降については後で立ち戻ることとし、先ず2008-13年の時期（つまりユシチェンコ期とヤヌコヴィチ期にまたがる）についてみるなら、ロシアに対して肯定的な感情をいだく者が8-9割、否定的な感情をいだく者が1割前後ということで、圧倒的に親露感情が優勢だった。世論がこのような状態であるときにユシチェンコが強烈な急進ナショナリズムを煽ったことが広汎な国民の支持を得なかったのは驚くに値しない。

対立が極度に昂進した現在の状況では、かつて両民族の間に親近感が広く共有されていたということ自体を否定する言説も広がっており、両民族の関係について「兄弟」の比喩――それは「兄」の尊大さへの「弟」の反撥や自立化要求を排除しない――を持ち出すこと自体が否定されるべきだという考えもしばしば提起されている。しかし、他ならぬゼレンシキーその人が2014年3月のテレビ発言で、プーチンへの呼びかけとして、「ロシア国民とウクライナ国民は兄弟ではありませんか。私はロシアに暮らしたことがあり、私たちと同じくすばらしい人々を数多く知っています。こうした人々にも私たちと同じ血が流れています」と語っていた[35]。こういった言説が普通に発せられていた時期が今では遠い過去のもののように思われる情勢が生じている。

　とにかく、このような世論状況のなかで強烈な急進ナショナリズムを煽ったユシチェンコの支持率はごく低い水準に低迷し、2010年の大統領選挙では、彼は決選投票に残るのにほど遠い第5位（得票率5％）にとどまった。

ｄ　ユシチェンコ期のクリミヤとドンバス

　前述したように、クリミヤおよび黒海艦隊の地位に関する論争は1997年のロシア＝ウクライナ条約および2003年の国境画定条約によって一応の決着がつき、そのことと関係して、1990年代前半のクリミヤで強かったロシアへの移行論はいったん後景に退いていた。しかし、ユシチェンコ政権のもとで急進的ナショナリズム政策がとられ、クリミヤにおける裁判所でのロシア語使用が否定されたことは現地住民とキーウ政権の疎隔を広げた。国境画定の最後の論点として残っていたケルチ海峡をめぐる交渉もこの時期には進展しなかった。

　このように、クチマ期に一応の関係改善に向かったウクライナ政権とロシア政権およびクリミヤ現地の相互関係はユシチェンコ期には再び緊張をはらむようになったが、それは一挙に抜き差しならない水準にまで高まったわけではない。その一つの要因として、クリミヤには多数の政党が並存しており、それらが微妙なバランスを取ることで、ある種の安定を保持していたことが挙げられる。クリミヤの諸政党はモスクワと直結していたわけではなく、現地の状況のなかで独自の地方政治を展開しており、各勢力は役職と財政を分有することでそれなりの安定を保持していた。クリミヤの諸政党は概してユシチェンコの政策に批判的であり、ウクライナの連邦化を要求したが、それはあくまでもウクライナの中での権限区分の問題であり、1990年代のようにロシアへの移行を掲げることはなかった。

この時期のドンバスについての情報はあまり多くない。大まかにいえば、ドンバスの諸勢力の間ではユシチェンコの対外政策やイデオロギー政策に批判的な雰囲気が強く、ウクライナの連邦化およびロシア語の第2国家語化という1990年代以来の要求を掲げ続けていたが、それが尖鋭な政治対抗になることはあまりなかった。その一つの重要な要因は、ドンバスを基盤とする地域党がウクライナ中央政治でも重きをなして、地元の声を中央に仲介する機能を果たしたことにあった。

地域党を率いるヤヌコヴィチは2004年の「オレンジ革命」で敗者となったが、それは全面的惨敗ではなく、2006年および2007年の最高会議選挙では地域党が相対第一党となった。そうした議席の重みを背景に、ヤヌコヴィチは2006-07年にユシチェンコ大統領の下で首相をつとめた（異なる政治勢力の連立という意味で、フランス流に言えば「コアビタシオン」体制）。2007年には連立工作がうまくいかず、地域党は下野したが、とにかく議会第一党の座を保ち続けた。

　もともと地域党は特定の理念やイデオロギーで結ばれるというよりも、むしろオリガルヒを中心とするパトロン・クライアント関係で結ばれる実利重視の政党という点に特徴があった。よく指摘される相対的「親露性」にしても、ロシアとの経済関係が現に大きな位置を占めるという実利的考慮によるところが大きかった。対外政策で対立するユシチェンコ政権下でコアビタシオンになったのも、そうした実利重視の立場から説明される（後にマイダン革命後の最初の大統領となるポロシェンコが地域党の立党に関与していたのも、この政党の融通無碍性のもう一つのあらわれといえる）。

このようにウクライナ中央政治の主要アクターである以上当然ながら、地域党はドンバスのウクライナからの分離という立場は取らなかった。これとは別に、ユシチェンコ政権と尖鋭に対決し、分離主張を掲げるロシア主義的な勢力も「オレンジ革命」直後の2005年に登場していたが（「ドネツク共和国」運動など）、彼らは当時はマージナルな存在にとどまった。彼らの反オリガルヒ性は地域党とは対立するものであり、地域党エリートから排除の対象とされた。大衆との関係でも、地域党がウクライナ中央とのパイプとして機能している間は尖鋭な分離主義が広汎な支持を集める余地は乏しかった。この前提条件が急変するのは、マイダン革命期に地域党が一挙に瓦解することによってである。

ｅ　ロシアの動向

　本項の対象時期（2004-2010年）は、ロシア政治でいえばプーチン第2期およびいわゆる「タンデム（二人乗り自転車）」期（メドヴェーヂェフ大統領とプーチン首相の組み合わせ）に当たる。

ロシア国内では、順調な経済状況に支えられて安定を享受していた1990年代に比べて、この頃から政権支持率低下の傾向があらわれ[36]、そのことは政界にも反映を見いだした。2007年の下院選挙およびそれに続く2008年大統領選挙のプロセスではさまざまな思惑が交錯したが、結局、それまでに2期務めていたプーチンは大統領から退き、彼に代わって大統領となったメドヴェーヂェフのもとでプーチンが首相となるという「タンデム」体制が発足した。

このタンデムの内実については、二人は一体であり、実権はプーチンにとどまっているという説、メドヴェーヂェフの方が若いだけに相対的に柔軟ないしリベラルだとする説、あるいは二人の間の外見上の差異は「ロールプレイ」に過ぎないという説などがあった。実態はどうあれ、相対的に「リベラル」であるかの印象を与える大統領像を演出したことは、政権支持率が低迷する中で支持率回復を目指して苦慮する政権中枢筋の思惑を反映していたと考えられる[37]。

　2004年のウクライナ大統領選挙に際して、ロシア政界ははじめのうち全体としてヤヌコヴィチ陣営に肩入れする態度をとった（ヤーブロコと右派勢力同盟のみ例外）。しかし、ウクライナで不正選挙批判運動が高まり、やり直し選挙が不可避となる情勢の中で、ロシア政権は中立的な方向への軌道修正を図り、12月初頭にはウクライナ政界における妥協の斡旋に動いた。このときプーチンは、ウクライナのＮＡＴＯ加盟には依然として否定的だが、ＥＵ加盟には反対しないという態度を表明した[38]。

　2005年以降、ロシアのガスプロムはウクライナに天然ガス値上げを通告した。これは、それまでのようにウクライナを同盟国として引き留めるために国際価格よりも低い特恵的条件で供与することをやめて、経済ベースでの取引を選好するようになったことを意味する。ウクライナでは値上げに対抗してセヴァストポリ賃貸料を引き上げるという案も浮上し、複雑な攻防が続いた。この後しばらく、ユシチェンコ政権下のウクライナとロシアの関係は緊張したものであり続けた。

　2008年8月にはロシア・グルジア・南オセチア戦争が起きて、国際緊張を一挙に高めた。この戦争は誰が引き起こしたのかという問題をめぐっては激しい論争があったが、一年後のＥＵ調査委員会報告は、グルジアが先に南オセチアへの軍事的攻勢を仕掛けたと認定する一方、それに対するロシアの反撃も過剰だったという評価を示した[39]（なお、ロシア軍は一時は南オセチアの領域を超えてグルジア本土の基地にも進撃して、いわば「敵基地攻撃」を行なったが、これは短期のものにとどまり、まもなく撤退した）。この戦争は「新しい冷戦」の雰囲気を高めたが、2009年に米大統領に就任したオバマは「リセット」を唱え、緊張はある程度緩和した。ロシアとグルジアとの関係も、一時の最悪の状態から部分的修復へと転じた[40]。

　このときウクライナでは、グルジア問題への対応を一つの契機として、ユシチェンコ大統領とティモシェンコ首相の間の亀裂が広がった。ユシチェンコは強い反露姿勢を明確にして、セヴァストポリのロシア海軍および軍用機に対し、いかなる移動も72時間以上前の通告を要する（事実上の許可制）という大統領礼を発表し、ロシアはこれに強く反撥した。他方、ティモシェンコ首相はグルジア問題に関して発言を控え、これまでの反露姿勢を修正し始めた。彼女はすぐ続いてモスクワを訪問し、ガス価格の段階的引き上げで合意した。このことは「オレンジ連合」内の亀裂深化を意味し、ユシチェンコの足下を掘り崩した。

　この前後の時期のロシアの動向のうち注目すべきものとして、「ルスキー・ミール（ロシア世界）」論の広がりがある。「ルスキー・ミール」とは曖昧な言葉で、そこにどういう含意を持たせるかは多様だが、第一義的にはロシア語を話す人々を念頭におき、世界各地でのロシア語・ロシア文化振興を重視する発想およびそれと関連した制度や団体を指す。それだけであれば、イギリスが英語を世界中に売り込み、フランス、ドイツ、中国などがそれぞれの言語と文化の諸外国における振興に努めているのにも似た「ソフト・パワー」戦略と見られなくもない。他面、その「ソフト」戦略が「ハード」な政治と軍事に裏付けを求めがちだという点に注目して、膨張主義的・侵略主義的なイデオロギーと見なす論者も少なくない。「ルスキー・ミール」に関わる人のすべてが侵略主義的な政治イデオロギーの持ち主だと決めつけるのは性急に過ぎるが、そのようなものになる潜在的傾向性を持っていたことも否定できない。2006年末のプーチン大統領令によって「ロシア語の日」という行事が打ち出され、2007年には「ルスキー・ミール」財団が外務省と教育省の管轄下に設立されたのを契機に、この概念への注目はにわかに高まった。やがて2014年にウクライナ危機が始まると、この概念がロシアの膨張主義的・侵略主義的なイデオロギーを象徴するという見方が広まるが、2000年代半ばから2014年に至る過程は一直線ではなかったし、ロシア語・ロシア文化の振興・普及に携わっていた人々の思いも多面的なものがあった[41]。

3　ヤヌコヴィチ期からマイダン革命へ

ａ　ヤヌコヴィチ政権の軌跡

　2010年大統領選挙の第一回投票で現職のユシチェンコが惨敗したことは前節ｃの末尾で触れたが、このときに決選投票に残ったのは、かつて「オレンジ革命」で敗者となったヤヌコヴィチと、「オレンジ連合」のもう一人のリーダーであるティモシェンコの二人であり、前者が後者を僅差で破って当選した。敗北したティモシェンコは不正選挙があったと申し立てたが、調査の結果、不正の規模は選挙結果を左右するほどのものではなかったとされ、欧米諸国もこの結果を認めた（ＯＳＣＥをはじめとする国際選挙監視団は、全体として公正な選挙だったと認定した）。もともとウクライナの政治はそれほど極端に両極化していたわけではなく、微妙なバランスの中での小刻みな揺れを特徴としてきたから、そのときどきの情勢で勝者と敗者が入れ替わることはそれほど不思議なことではなく、この政権交代は強引な不正選挙の結果というわけではない[42]。

　このようにして発足したヤヌコヴィチ政権は、「親露的」と呼ばれることが多い。そのように指摘されることにあながち理由がないわけではない。もともと選挙において東部・南部を有力な地盤としていた背景があり（第1回投票時にはそれほど地域差が目立たなかったが、決戦投票ではヤヌコヴィチが東部・南部で主に集票し、ティモシェンコが西部で主に集票するという対照が明らかとなった）、ユシチェンコ時代にとられた強烈なアイデンティティ・ポリティクスからの転換が図られた。たとえば、1930年代飢饉問題については「民族的ジェノサイド」論をとらないことになった。

言語政策については、2012年7月採択の「国家言語政策の基礎について」という法律（8月に発効）が代表的である。この法律は、住民の10%以上が母語とする少数派言語使用者がいる地域（州・自治共和国・地区・市・村・集落）では、その言語を「地域言語」として「国家語」（ウクライナ語）と対等に使用することができると規定した。これはウクライナ全体に関わるわけではなく、少数派が一定の比重を占めている地域に限定して、少数派言語を保護しようとするという趣旨であり、それ自体としては「親露的」というよりも多文化主義的な性格を帯びた法律と見ることができる（保護対象となるのはロシア語だけとは限らず、ハンガリー語、ブルガリア語、ルーマニア語、クリミヤ＝タタール語も該当しうる）。そういうものではあっても、批判者の眼からは、ウクライナにおけるロシア語の位置をウクライナ語と同等化し、ウクライナをウクライナ＝ロシア二文化国家と位置づけようとするものと解釈されて、シンボリックな政治争点となった（この法律を維持するかどうかがマイダン革命後に大問題となることは後述する）。

こういうわけで、ユシチェンコ期に比べれば相対的にロシア語系住民寄りの政策がとられたが、それは全面的にロシア寄りということではなく、多義的な解釈可能性に開かれていた。前掲の世論調査データや末期のユシチェンコの低支持率を想起するなら、当時の世論の動向自体がユシチェンコ的なアイデンティティ・ポリティクスからの脱却を求めていたと見ることもできる。

対外面では、ロシアとの関係改善が図られたが、ロシアべったりになったというわけではなく、西欧とロシアの双方と良好な関係を保持しようとする両天秤政策が基調をなした（これはそれまでのウクライナで、ユシチェンコ後半期を除きほぼ一貫してとられてきた態度である）。

ロシアとの二国間関係では、いくつかの対立要因が残っていたが、その解決が課題とされた。最大の問題たる黒海艦隊およびセヴァストポリ基地については1997年条約でロシアへの20年間賃貸が決まっていたが、その期限後はどうなるかという問題があった。97年条約には自動更新条項があったが、ウクライナでは打ち切り論、賃貸料更新論や、見返りとしての投資要求などがあって、論争が繰り広げられた。結局、2010年4月にヤヌコヴィチとメドヴェーヂェフの会談で、賃貸期間を25年延長することとなり、その見返りとして、ロシアはウクライナに供給する天然ガスの価格を30％引き下げるという妥協が成立した（ハルキウ協定）。

もう一つの争点たる国境画定については、2003年の画定後に残っていた最後の問題としてケルチ海峡問題があったが、2012年7月のプーチン＝ヤヌコヴィチ共同声明で、ほぼウクライナの主張通りに境界が引かれ、トゥズラ島や航行可能な水路はウクライナ領と取り決められた（水路は両国共同使用とされ、ウクライナ領ではあってもロシアは通行料を免除される）。ガス田開発にも共同で取り組むことになった。この合意は、国境・領土面でロシアが譲歩する一方、経済協力上の実利を双方が得るという妥協を意味した。こうして、ユシチェンコ時代に凍結されていた係争問題が解決されるにいたった。

このようにヤヌコヴィチはロシアとの二国間関係を改善させたが、他方では、西欧との関係も良好なものとして維持するための努力を続けていた。経済協力の相手としてＥＵとロシアを二者択一とするのではなく、双方とのつながりを維持することが目指された。世論調査においても、ＥＵとの連合協定調印賛成もユーラシア関税同盟賛成もともに40％前後で伯仲していたし（地域的には、西部で前者が強く、東南部で後者が強かった）、両方賛成とか両方反対の人もおり、どちらか一方に決定的に傾いていたわけではなかった[43]。

ＥＵとロシアの双方と良好な経済関係を維持するというのは、それまでのウクライナで長くとられていたプラクティスであり、ヤヌコヴィチの特殊性ではない。この時期の特徴は、世界的経済不況を背景とした国際緊張激化のなかで、ＥＵもロシアもそれぞれに自己の側にウクライナを引きつけようとして二者択一を迫ったことにあり、そのことは両天秤政策の維持を困難にした[44]。

ヤヌコヴィチ政権はもともとＥＵとの連合協定調印に反対していたわけではなく、それどころか遅い時期まで調印に肯定的態度を示していたが、ＥＵが調印の前提としてティモシェンコ（汚職のかどで逮捕されて獄中にいた）の釈放を求めたり、ロシアとの関係を切ることを求めたりしたことから、交渉は難航した。ヤヌコヴィチはギリギリまで迷っていたようだが、経済危機からの脱出のためＥＵとロシアの双方に援助を求めたのに対してロシアの方がより多くの援助を申し出たことが大きな要因となって、調印を断念した模様である。結局、2013年11月21日に調印停止が発表され、これを直接的契機として大衆的反政府運動が高まることとなった[45]。

かねて指摘されていた政治腐敗がヤヌコヴィチのもとで一層深化していると見なされたことも、反政府気運に拍車をかけた。政治腐敗という現象自体はこのときに始まったものではないし、ウクライナに限られたことでもなく、「上からの資本主義化」を強行した旧社会主義国に共通のものだが、ヤヌコヴィチの場合、政治権力も経済力も彼個人およびその家族や取り巻きの手に集中したことが、元来彼を支持していた勢力をも離反させ、反政府的雰囲気を高めた。

こうして、ＥＵとの連合協定調印を求める親西欧派からの政権批判と政治腐敗を批判する運動が合流する形で反政府運動が2013年11月下旬に広がった。これがマイダン革命の出発点をなす。この後に展開したマイダン革命の過程は入り組んでいるが、その問題に入る前に、ヤヌコヴィチ期のクリミヤおよびドンバス情勢について一瞥しておきたい。

ｂ　ヤヌコヴィチ期のクリミヤとドンバス

　先に見たように、クリミヤの政治は多数の政党の並立状態を特徴としていた。ウクライナ中央でヤヌコヴィチと地域党が大きな位置を占めるようになる中で、クリミヤでも、それまで第一党だった共産党に代わって地域党が進出したが、そのなかには、もとからクリミヤで活動していて地域党に加入した人たちと、ドネツィク州から派遣されてきた人たちの二つの流れがあり、両者の間には肌合いの違いがあった。ドネツィク州とりわけマケエフカ市から派遣されてきた人たちは「マケドニア人」――「マケエフカ」と「ドネツィク」にちなんだ呼称――と呼ばれた。2010年3月にクリミヤ首相となったジャルトイ、彼が2011年8月に病死した後に後継者となったモギリョフは、ともに「マケドニア人」だったが、彼らは土着エリートを蔑視し、その地位を掘り崩そうとした。マイダン期について詳しくは次章で述べるが、「マケドニア人」は元来ウクライナ中央と結びついていた背景もあり、マイダン運動が展開し始めてからもしばらくはキーウとの調整を期待していた。これに対して、土着派の方は早くからロシアへの移行論を唱え、その方向でモスクワに働きかけようとしていた。

　これとは別に、早い時期から「ロシアへの移行」の立場を表明していた政党として、アクショーノフの率いるロシア統一党があった。この党は、ヤヌコヴィチがロシア語を第2の国家語にすると約束しておきながらヨーロッパへの配慮からそれを遅らせていることを批判して、地域党への反対党として2009年に登場した。この政党は当初はマージナルな存在だったが（2010年のクリミヤ議会選挙ではわずか3議席しかとれなかった）、やがて急激に脚光を浴びることとなる（アクショーノフは2014年2月にクリミヤの首相となる）。

このようにクリミヤの政治的エリート内で分岐があったことは、マイダン革命への対応およびロシアへの移行がそれほどストレートに進んだわけではなく、ロシアの一方的な指令だけではなかったことの背景をなす（詳しくは後述）。

　この時期のドンバスに関する情報は多くない。地域党がウクライナ全体の政権を握ったことは、一見すると、ドンバスとウクライナ中央の政治的立場が一致するようになり、ドンバス固有の問題状況が政治の表面から去ったことを意味するかにも見える。

とはいえ、ドンバス地域固有の利害とキーウ政権との間のズレが完全に解消したわけではなかった。地域党はオリガルヒに基盤を持つ政党だが、反オリガルヒの気分をもつ人たちは地域党の統治に不満をいだいていた。尖鋭なロシア・ナショナリスト運動が少数ながら登場していたことは前述したが、彼らは当座はマージナルな存在だとしても、やがて地域党の統治を脅かす存在となる。

ｃ　マイダン革命：概観

　ａ項で見たような状況からすれば、2013年11月以降に反政府運動（マイダン広場を中心としていたため、「マイダン運動」と呼ばれる）が高揚したこと自体は自然な流れだったということができる。もっとも、そこには多様な要素が流れ込んでおり、その帰結（ヤヌコヴィチの国外逃亡と政権崩壊）は当初の予想を超えるものだった。

　マイダン革命の評価は論者によって大きく異なっている。「ヨーロッパ的価値」を追求し、その実現に貢献したという観点からは「ユーロマイダン革命」とか「尊厳の革命」と呼ばれる。これに対し、アメリカによってそそのかされたクーデタだとか、極右勢力が主導した不法な暴力革命だとする見方もあり、極端に隔たった見解が並立している。なお、マイダン革命は西側の支援を受けた武装クーデタだという主張は、主に国外の「ロシア寄り」の論者によって提示される傾向があるが、ウクライナの中でも、その見解を取る人たちがいないわけではない。キーウ国際社会学研究所による2014年4月の世論調査によれば、この見解はドネツィク州で70％、ルハンスク州で61％、他の東部・南部諸州で37％の支持を受けていた[46]。おそらくウクライナの西部や中部ではほとんど全く支持されていないであろうこの見地が、ドンバス2州では多数派、他の東部・南部諸州では無視できない少数派の支持を得ていたということになる。

ここで重要なのは、マイダン運動には多様な要素が流れ込んでいたこと、また2013年11月から2014年2月にいたる時間的経過のなかで大きな性格変化が生じたことである。いってみれば、これは単一の革命ではなく、一種の複合革命だったのであり、その複合のあり方は時間の経過のなかで変化した。そうした複合性と短期的変化があったことが、この事件に対する見方を入り組んだものとしたと考えられる。

　以下、時系列を追いながら、この複合革命がどのように進行したのかを検討してみたい。

ｄ　マイダン革命の経過と帰結[47]

2013年11月21日に政府がＥＵとの連合協定調印プロセスを停止すると発表したことは、直ちに反政府運動の高揚をもたらした。この運動は当初は平和的な市民運動が主流だったが、警察（「ベルクート」という内務省部隊）が11月末に手荒い弾圧策をとったことから、12月には暴力的衝突が始まった。もっとも、この時期の暴力はまだ限定的なものであり、年末から2014年1月前半にかけては、祝日休みのせいもあって運動はいったん退潮した。マイダン広場に集まる大衆の数も減り、運動はこのまま収束するかにも見えた。

一時的沈滞の後に大衆運動が再高揚するきっかけとなったのは、集会やデモの規制を強める一連の法律――反政府派からは「独裁法」と呼ばれた――が1月16日に採択されて憤激を招いたことにあった。この後、政府の対応は強硬路線と妥協路線の間を揺れ動いたが、そうした中途半端な対応はますます運動の急進化を刺激した。

　反政府運動は野党指導者、大衆（市民）運動、極右集団[48]といったさまざまな潮流の混合からなっていたが、それらの間には共闘と異質性の複合的な関係があった。野党指導者たちは運動全体を代表しようとしたが、大衆の間には彼らへの期待と不信とが入り混じっており、そのことは野党指導者への圧力となった。また極右集団のイデオロギーは他の人々にそのまま共有されたわけではないが、彼らが犠牲を恐れずに官憲の弾圧への対抗暴力を積極的に行使したことは一定の共感を呼び起こし、彼らは「民主化」運動から排除されることなく、その一翼をなした[49]。

　1月19日に議会ビルへと向かうデモが行なわれたとき、野党指導者たちは挑発に乗らないようにと呼びかけたが、一部の参加者たちは火焔瓶や道路の敷石をはがして警官隊に投げつけるなどの行為に訴えた。警察および警察にリクルートされた体育会系若者（ティトゥシュキと呼ばれた）の応酬もエスカレートし、2日の間に3人の死者が出た。「右派セクター」は早い段階で、もはや平和的解決はありえない、革命が必要だ、警察に対抗暴力を、などと呼びかけていたし、野党指導者たちも、次第に暴力を「やむを得ない自衛措置」として肯定するようになった。

大衆運動の要求事項は次第に拡大し、当初の争点だったＥＵとの連合協定調印から離れて[50]、逮捕された人々の釈放と恩赦、「独裁法」の撤回、2004年憲法への復帰などが掲げられ、ヤヌコヴィチ辞任論も出された[51]。なお、2004年の憲法改正は前述のように首相権限を強めるものだったが、この改憲には手続き上の瑕疵があったとして、ヤヌコヴィチ期に憲法裁判所の裁定によって無効とされ、大統領権限の強い1996年憲法体制に戻っていた。これを再び2004年憲法に戻すという野党の要求は、大統領権限への制約強化を目指すという意味を持っていた。

大衆運動の再高揚を見たヤヌコヴィチは、野党にある程度譲歩する姿勢を示しだした。1月下旬には、野党指導者たちとの会談で、アザロフ首相を更迭し、ヤツェニュク（祖国党の指導者）を首相、クリチコ（ウダル党）を副首相とすることを提案し、「独裁法」の一部撤回も約束された。マイダン広場に集まった大衆はこれを喝采で迎えたが、これだけで満足することはできないとして、「独裁法」の全面撤回、2004年憲法復帰などを求める運動を続けた。

そうした中で2月18日の朝に行なわれた議会ビルに向けた行進は「平和的行進」とされていたが、数万人の参加者のうち数千の「自衛」部隊は棍棒や楯などを持っていた。ほぼ同数の警官隊がこれに対峙し、その背後にはティトゥシュキが控えていた。「自衛」部隊は議会ビルの出口に押し寄せて、トラックで阻止線をつくったり、手製爆弾を投げたりした。警官隊はスタンガンや催涙弾などで応戦し、ティトゥシュキもこれに加わって、数時間の衝突が続いた。近くにあった地域党本部には火がつけられた。銃の射撃がどちらからなされたかは、立場によって異なる説明がある。「右派セクター」は支持者たちにライフルを持ってくるようにと呼びかけていた。衝突が繰り返され、死者数も増えた。翌日の早朝に至るまで、「自衛」活動家たちはまだ広場を押さえていたが、警官隊は総攻撃を躊躇した。あるマイダン指導者の証言によれば、「ベルクートはわれわれが武器を持っているのを見たので、マイダンの演壇まであと50メートルのところで停まった」。20時間の間に36人の死者と509人の負傷者が出た[52]。

　2月19日、フランス、ドイツ、ポーランドの外相がキーウを訪れ、ヤヌコヴィチと野党指導者たちの交渉を仲介した。その間に、20日にはスナイパーによる狙撃で75人が死亡した。この狙撃の真相――誰が誰を撃ったのか――について諸説あるが[53]、とにかくこの事件により政権の正統性は決定的に傷つき、ヤヌコヴィチ辞任論が急激に高まった。地域党の中でも離反の動きが広がり、最高会議議員だった地域党員たちは大量脱退した[54]。

　こうした情勢の中で、ヤヌコヴィチは直前まで拒否していた譲歩に応じた。野党指導者たちとの徹夜交渉〔20-21日〕で、彼は2004年憲法復活、野党政治家を含む新政府の形成、早期の辞任と大統領選挙を約束した。野党指導者たちおよび独仏ポ外相たちはこれを勝利と見なし、21日午前4時にヤヌコヴィチと野党指導者たちによって合意文書が調印された。ベルクート部隊は姿を消した。しかし、21日に野党指導者が合意の内容をマイダン広場の大衆に発表したところ、群衆から激しい抗議の声があがり、彼らは野党指導者を非難し、この合意を否定して、政府の重要施設を実力で占拠した[55]。

同じ21日に開かれた最高会議会期（このとき、地域党と共産党の代議員の多くは欠席していたが、地域党員議員の何人かが出席したために定足数を満たした）では、野党主導のもと、2004年憲法の回復、内務大臣解任などが決定された。ヤヌコヴィチはこの決定の多くを受け入れることに合意したが、多くの地域党代議員たちが離反したのを見てキーウを去った（先ずハルキウへ、ついでクリミヤ経由でロシアへ）。翌22日、最高会議はヤヌコヴィチが職務を放棄したと宣言し、野党代表のトゥルチノフを大統領代行とし、5月25日に大統領選挙を行なうことを決定した。その際、ヤヌコヴィチ罷免のための憲法的手続きは踏まれなかった。ハルキウにいた彼はこの解任は不法だとする声明を録音して、ロシアに移動した。新しい政府の主な職務は主要野党たる祖国党によって占められたが（ヤツェニュークが首相）、極右も副首相、国防相、農業大臣、環境大臣、検事総長のポストを得た。極右の入閣が認められたことは、批判者たちから新政府の正統性欠如の理由として引き合いに出されることとなった[56]。最高会議はすぐ続いて、2012年言語法（前述）の無効を決定した。もっとも、これは多文化主義の否定を意味することから欧米諸国の批判を招き、トゥルチノフ大統領代行は3月3日にこの決定への署名を拒否した。いずれにせよ、この問題はその後も重要な争点であり続けた。

政府の腐敗を市民が追及して大衆運動が高揚するのは民主主義の自然な生理だが、暴力の応酬のエスカレートの中で大統領が逃げ出して政権が倒れるのは、その枠を超えた事態であり、強くいえば「暴力革命」的様相を帯びたということになる。本来の立憲的手続きによらずに政権交代が生じ、新政府の中に極右が加わったり、一時的にもせよ言語政策基本法の取り消しが決議されたりしたという推移は、｢極右の主導による暴力革命｣というロシア側の主張をあたかも正当化するかに見える様相を呈した[57]（その後の極右については後述）。

　マイダン革命がその最終局面で「暴力革命」的様相を帯び、そこに極右も加わっていたことは、クリミヤおよびドンバス2州の住民を刺激し、前者のロシアへの移行、後者における「人民共和国」樹立を引き起こした。これはそれまでの国家秩序の非立憲的な変更であり、ウクライナのみならず諸外国から強く非難された。もっとも、当事者たちからすれば、その前にキーウで非立憲的な暴力革命があったということが正当化根拠とされている。この変動はモスクワの指示によるものと漠然と想定されることが多いが、クリミヤ、ドンバスそれぞれの内部事情に即して検討する必要がある。この点については次章で取り上げることにする。

ｅ　ロシアの動向

　本項で対象としている2010-14年は、ロシア内政でいえば、「タンデム」からプーチン再登板へと転じた時期に当たる。

　前述したように2008年以降、経済不振が続く中で、政権支持率は趨勢的に低下し続けた。そうした中で、「統一ロシア」の次期大統領候補が誰となるかをめぐる種々の思惑が取り沙汰されたが、結局、メドヴェーヂェフではなくプーチン再登板となった。このことは、メドヴェーヂェフに体制内改革の期待を託していた人たちの幻滅を招き、政権支持率の更なる低下をもたらした。2011年末の下院選挙では、与党「統一ロシア」は得票率49％で238議席にとどまり、前回選挙よりもかなり後退した。

　こうした情勢の中で、2011年末から12年にかけて、久し振りに政権批判の大衆運動の高揚が見られた。これは必ずしもリベラル勢力の主導ではなく、ナショナリスト的傾向や共産党からの政権批判も含む複合的な運動だったが、とにかく各種抗議運動が合流することで、相当大規模な運動となった。

2012年大統領選挙の一つの特徴として、「国民戦線」の登場が挙げられる。これは｢統一ロシア｣の支持率低下が続くなかで、より幅広い勢力を結集して政権を支えるために2011年に登場し、12年の大統領選挙ではそれなりに大きな役割を果たした。

　2011-12年の政権批判運動の高揚を見た政権は、ある程度これを意識して、限定的な政治改革に乗りだした。一時廃止されていた小選挙区が復活し、また比例区での議席獲得に必要な最低得票率が7％から5％に引き下げられた。小規模政党の活動の余地もある程度拡大された。

こうした政治制度改革は政治的競争の要素をある程度拡大する方向のものだったが、他面では、愛国主義イデオロギーの鼓吹が強まった。2012年に制定された「外国エイジェント法」は、外国から資金援助を受けている団体の活動に枠をはめるものであり、この法律はその後、数次の改正を経て自立的団体への規制をさらに強めるものになった。

　この時期のプーチンの一連の発言は精神的・文化的・民族的自決の重要性を説いて、保守的イデオロギーを明示的なものとした。そこにおいては、欧米諸国はキリスト教的価値を事実上放棄しようとしているという認識――同性婚やLGBTへの寛容化を念頭においたもの――が示され、むしろ自分たちこそが西欧的価値（＝キリスト教的価値）を守ろうとしているのだとアピールする姿勢がとられた。

�U　2014年から2022年へ

　マイダン革命後のウクライナについて考える場合、ウクライナ本土、クリミヤ、ドンバスを分けて検討する必要がある。まず後2者について検討してから、ウクライナ本土の政治についてみていくことにする。

1　クリミヤ　

ａ　モスクワの対応および現地政治エリート[58]

　前述したように、マイダン革命に先だつ時期にクリミヤの帰属問題も黒海艦隊問題もいったん決着をみていた。ところが、マイダン革命は、ロシアから見れば、キーウで暴力革命が起きて極右勢力が権力を握ったものと映り、それまでの協調関係の前提を覆すものと受けとめられた。

　黒海艦隊基地を含むクリミヤの戦略上の意義から、モスクワはキーウにおける政権転覆（2月22日）の直後に目的意識的な関与を始めた。27日には、標識をつけないロシア兵（「緑の小人たち」と呼ばれた）がクリミヤのセヴァストポリおよびシンフェロポリにやってきて、クリミヤの指導部交代に関与した。このように素早い行動がとられたことはある程度の事前準備があったことを窺わせるが、それがどこまでさかのぼるかを確定するのは難しい。マイダン革命以前から虎視眈々と占領計画を練っていたとする説も一部にはあるが、マイダン以前のウクライナ（ヤヌコヴィチ政権）とロシアの友好関係からすれば、それほどの切迫性があったとは考えにくい。2013年末から14年2月にかけてウクライナにおける事態が急速に展開する中で、どこかの時点で介入の決断が下されたものと思われる。

　問題を複雑にするのは、クリミヤ現地の政治エリートはモスクワの単なるカイライではなく、独自な政治過程を織りなしていたということである。前述したように、いわゆる「マケドニア人」と土着派の間にはかねてより軋轢があったが，マイダン革命の中で、「マケドニア人」はなおしばらくキーウとの交渉を模索したのに対して、土着派は早い時期からロシアへの移行を目指すというズレがあった。こうしたクリミヤ現地の政治の帰趨は最初から明白だったわけではなく、モスクワも現地の状況を十分把握していなかったが、キーウにおける政変が起きた２月下旬にモスクワはクリミヤへの介入を決意し、現地エリートのうちの「ロシアへの復帰」派と手を結んだものと考えられる。

　その背景として、マイダン革命の暴力化が進行するなかで、2月後半にはキーウでの暴力的対決がクリミヤにも持ち込まれて、何回かの衝突事件が起きた[59]。このことは現地エリートおよび現地住民の間に、暴力沙汰を免れるためにはウクライナから独立するほかないという気運を広めた。相対的に早い時期の例として、2月20日にクリミヤ議会議長のコンスタンチーノフ（反「マケドニア人」の土着派）はモスクワに赴いて、クリミヤの独立可能性について語った。このことをもって、ロシアによるクリミヤ奪取作戦準備はヤヌコヴィチ脱出(21-22日)に先だって始まっていたことの証拠とする見解がある一方、この時点ではそれはまだ複数のオプションの一つに過ぎなかったとする見方もある[60]。いずれにせよ、ヤヌコヴィチ逃亡後、クリミヤ情勢は急変した。26日にはまだコンスタンチーノフはクリミヤはウクライナにとどまる、そうでないという情報は挑発だと発言していたが、27日には「緑の小人たち」がクリミヤに到来してセヴァストポリとシンフェロポリの要所に配置される中で、クリミヤ議会ビルにロシア国旗が掲げられた（このとき、現地の治安機関・軍・警察はキーウから何の指示も受けず、ロシア軍に抵抗しなかった）。その日に開かれたクリミヤ議会はモギリョフ首相（「マケドニア人」）を更迭し、後任としてアクショーノフ（ロシア統一党）を選出し、クリミヤの地位に関する住民投票を5月25日に行なうことを決定した。28日にはロシア兵の介入がより明白になり、シンフェロポリおよびセヴァストポリの空港を占拠した。こうした経過はモスクワの明白な介入を物語るが、この時点で予定された住民投票はまだロシアへの移行ではなくウクライナとの国家連合化への賛否を問うものであり、3月に行なわれる投票とは異なっていた。このことは、その後の方針がまだ細部まで決まってはいなかったことを物語る[61]。

　3月になると、事態はさらに急ピッチで進んだ。まず1日にアクショーノフ新首相はロシアの介入を要請した。同じ日にプーチンは、ウクライナ情勢が正常化するまでの間、ウクライナでロシア軍を利用することの許可をロシア上院に求め、上院は直ちにこれを承認した。なお、クリミヤにいたウクライナ軍の将校・兵士の多くはクリミヤ出身者であり、彼らは集団的にロシア側に移行した[62]。4日にプーチンは、ロシアは隣国におけるアナーキーに対処するためあらゆる措置をとる権利を有すると表明した。

6日にクリミヤ議会はロシアへの移行を議決し、住民投票の日取りを当初予定の5月25日から3月16日へと繰り上げた。設問事項も当初予定から変更され、�@ロシア連邦の主体としてロシアと再統合することに賛成か、�A1992年クリミヤ憲法の回復に基づくウクライナ残留に賛成か、の択一とされた[63]。公式発表によれば、この住民投票の投票率は83％で、�@に賛成は96.8％、�Aに賛成は2.5％だったとされた。これを受けて、17日にクリミヤ議会がロシア連邦への編入要請の決議を採択し、18日には編入に関するロシアとクリミヤの条約が調印され、21日にロシア上院がこの条約を批准し、プーチンが署名して条約が発効するという風に、事態は急ピッチで進んだ。

ｂ　現地住民多数派の反応

　政治エリートたちの動向とは別に、現地住民――その大多数を占めるロシア語系住民――の間には、かねてより「ロシアへの復帰」論が根強く存在していた。もっとも、キーウとの関係が安定している間は「ウクライナの中での自治」が受け入れられており、マイダン運動の初期においても、「もしウクライナが連邦化されるなら、その中での自治でよい」という考えがかなり有力だった。しかし、2月後半以降の情勢は住民の意識を短期間に変化させた。

3月16日の住民投票に関する公式発表については上に述べた。短期間に急遽実行された住民投票がどの程度公正に行なわれたかには疑問の余地があり、公式発表の数字にはある程度の水増しがあったと考えられる。では、クリミヤ住民の世論の実態はどういうものだったかが問題となるが、いくつかの材料から、公式発表が示す数字ほどではないにしても、全体として多数がロシアへの移行に賛成したと判断することができる（この点、2022年9月にウクライナ東南部4州で行なわれた住民投票とは性格を異にする）。その後の併合過程では、現地駐在ウクライナ軍・警察をはじめ現地官僚の大半がロシア側についたため、衝突はほとんどなかった。2月28日にキーウで開かれたウクライナ国家安全保障会議では、現地住民の多数派がロシア側に着いており、親露＝反ウクライナの気分が強い以上、なすすべはないという考えが大勢を占めた[64]。こうして、ロシアへの移行はほとんどさしたる衝突なしに平和裏に実現した（2月の暴力的衝突について先述したが、３月以降のプロセスはごく僅かな例外を除き暴力を伴わなかった）。

　住民投票の信頼性をチェックする上で貴重な情報を提供しているのは、英米の二人の研究者がキーウの国際社会学研究所およびレヴァダ・センター（モスクワ所在だが、政権からの独立性が高く、欧米でも高く評価されている）の協力で得た情報に基づいて書いた論文である。その結論を大まかにまとめるなら、2014年末の時点でクリミヤ現地住民の多数（約85％）がロシアへの併合を肯定的に評価していた。民族別で見た場合、ロシア人よりもウクライナ人の方が肯定度がやや低いが、その差はそれほど大きなものではない。クリミヤ＝タタール人の間では肯定度が相対的に低いが、圧倒的に否定的というわけでもない（それまでクリミヤに居住していたタタール人のうち、確信的な反ロシア派はウクライナ本土へと移動したので、その後もクリミヤに残っているタタール人は相対的に現状容認度が高いという事情も作用していたと考えられる）。このことは、マイダン以前においてはそれほど支持されていたわけではない「ロシアへの移行」論がこの時期に一挙に高まったことを物語る。この論文は以上のようなデータを紹介して、住民投票の実施手続きには瑕疵があったが、仮に瑕疵のない投票がなされた場合にも肯定的回答が多数を占めただろうと書いている。論者はクリミヤのロシアへの併合を肯定しているわけではなく、法的見地からいえば不法だという認識に立った上で、そのように不法な併合であっても現に住民の多数派が支持しているという現実をどう見るかは難問だと指摘している[65]。

ｃ　クリミヤ＝タタール人の反応

　クリミヤ＝タタール人のソ連時代末期までの状況については第�T章で前述した。そこでも述べたように、クリミヤに足場のないウクライナ民族主義者は同盟者をクリミヤ＝タタール民族運動の急進派――彼らが民族議会メジュリスの指導部を握っていた――に求めた。そのため、ある時期以降、両者は密接な同盟関係にあるということが広く宣伝されるようになったが、実際にはクリミヤ＝タタール人団体は複数に分かれており、その分岐はその後も残った[66]。マイダン革命後、メジュリスの指導部はクリミヤからウクライナ本土に移動し、クリミヤに残ったメンバーを除名したが、そのことはメジュリス指導部と現地残留組の溝を広げた。ウクライナ本土に移動したメジュリス指導部はその立場を世界的に発信し、国際的に広く知られるようになったが、彼らとクリミヤに残るクリミヤ＝タタール人との間には一定の疎隔が生じた。

　クリミヤ現地では、多数派たるロシア語系住民の構成する現地権力はクリミヤ＝タタール人に人口比以上に高い議員枠（クォータ）を保証したり、閣僚ポストを割り当てたりするなどして、クリミヤ＝タタール住民をとりこむことに努めた。また、現地に残ったクリミヤ・イスラーム宗務庁は、ロシア内のヴォルガ＝タタールやトルコの宗務庁からの援助を受けて活動を継続している[67]。このように、クリミヤ＝タタール人は、ロシア併合を絶対認めない勢力と現状を容認して現地に残存する部分とに分かれた。

ｄ　ロシア国民の反応

　クリミヤのロシアへの併合は国際法に違反した不法な領土拡大だとする見方が諸外国では一般的だが、ロシア国民――ここで「ロシア国民」とは、プーチン政権と必ずしも一体ではなく、2022年に始まる戦争を支持しないような人々を含む――の受け止め方はそれとは異なっていた。

もともと1954年までクリミヤはロシア共和国の管轄下にあり、フルシチョフの専断によるウクライナ共和国への移管は不法だったという理解がかなり広まっているし、当地の住民の大多数がロシア語系――多くの民族的ウクライナ人を含む――である以上、ロシアに属するのが自然だという考え方も広く分かち持たれていた。それでも、ウクライナとロシアがそれほど厳しい対立関係にはなく、ウクライナの中でクリミヤの自治が尊重されているならウクライナに帰属したままでもよいと考えられていたが、キーウで暴力革命が起き、ウクライナ政権が極右分子に握られた以上はクリミヤはロシアに戻るほかないという考え方は、広い範囲のロシア国民に受容された。クリミヤ編入が住民投票を経て平和的に実現したこともそうした考え方を強めた。

これはもともとプーチン政権を支持していた人たちだけではなく、ゴルバチョフとかナワリヌイのような人たちも、手法はともあれクリミヤがロシアに帰属すること自体は正当なことだという考えを示した。ゴルバチョフの場合、プーチン政権初期には条件付き支持ないし是々非々論だったが、2012年のプーチン再登板後は明確に政権批判的になっていた（『ノーヴァヤ・ガゼータ』紙およびその編集長ムラトフの後ろ盾になったりした）。そのゴルバチョフも、クリミヤがロシアに帰属するのは当然だとして、そのロシアへの併合を支持した[68]。

ナワリヌイについていうと、彼は通常プーチンの最も鋭い批判者として知られるが、彼にはもともとナショナリズムへの傾斜があり、これは孤立した動きではなかった。「統一ロシア」の一党優位が固まり、ヤーブロコや右派勢力同盟といった野党が政治の世界でいうにたる役割を果たすことができなくなる状況の中で、反政府活動家たちの中には大衆的支持獲得のためにナショナリストとの提携が必要だとする「ナツ・デム派」――「民族主義」と「民主」をあわせた名称――があらわれ、ナショナリスティックなシンボルのもとで極右勢力と共同行動（「ロシアの行進」など）をとったりする動きが現われたが、ナワリヌイもこの流れのなかにあった。彼は当初ヤーブロコに属していたが、ナショナリズム路線を容認しないヤーブロコは2007年に彼を除名した。そして、2014年のクリミヤ併合時の彼の態度は、併合の手法は強引だったが、既成事実となったからには尊重すべきだというものであり、クリミヤはこれからもロシアの一部にとどまる、ロシア人とウクライナ人は同じ民族だ、というのが彼の考えだった[69]。

ゴルバチョフとナワリヌイでは大分違うし、また彼らを一般のロシア国民を代表する存在と見るわけにもいかない。その大衆的影響力も、あまり過大に見積もることはできない。ただとにかく、他の点では政権に批判的でありながらクリミヤ併合を支持した例があるということは、一種の象徴的な意味を持っており、彼ら以外にも、プーチン政権を全面的に支持するわけではないがクリミヤ併合は支持するという雰囲気があったものと考えられる。その結果として、2014年にはほぼ完全に近い挙国一致状況が生じた。

　こうして、ロシアにおける政権支持率はこの時期に急上昇し、8割を超えて9割に近づく驚異的な水準に達した。もともとロシアにおける政権支持率は21世紀初頭より種々の要因で趨勢的に下がりつつあったが、それがクリミヤ併合によって一挙に反転上昇したことになる（なお、2022年の開戦後はやはり政権支持率が上がったが、その上昇は2014年ほどの力強さに欠ける。2014年についてはキーウにおける暴力革命からロシア語系住民を保護するための防御措置として肯定されるが、今回の戦争は侵略的・攻勢的なものなので、支持できないという考え方がかなりあるためである）。

　このような考え方は、日本を含む諸外国ではあまり理解されないだろうが、ロシアでは相当広く受け入れられてきた。これを是認するかどうかは別として、とにかく一つの事実として確認しておく必要がある。今般の戦争がどのようにして決断されたかは今なお謎だが、2014年に政権支持率が急上昇したことを覚えている政権中枢にはこの「成功体験」を繰り返したいという願望があったのではないかと考えられる（実際には、今回の支持率上昇は2014年ほど鋭くなく、この願望は外れた）。

2　ドンバス

　2014年におけるドンバスの動向はクリミヤとは大きく異なっていた。クリミヤの変動はマイダン革命の直後に素早く進行したのに対し、ドンバスの変動はそれよりも大分遅れて進んだ。クリミヤはロシアに併合されたのに対し、ドンバスでは独自の「人民共和国」がつくられ，ロシアへの併合という形は取られなかった。そして、クリミヤのロシアへの移行は一時的な衝突を別として基本的に平和的に進行し、その後も平穏な状態が続いたのに対し、ドンバスでは2014年以降、長いこと戦争状態が続いて、2022年以降に連続した。

観察者たちの見解も、ドンバスの二つの「人民共和国」はロシアのカイライかそれとも独自の動きか、ドンバス戦争は「ウクライナの内戦」なのか「ロシアからウクライナへの侵略戦争」なのかといった点をめぐって様々な意見が飛び交っている。

ａ　「人民共和国」の登場

　クリミヤの併合が当初よりモスクワの意思が働いていたのと違って、ドンバスの2つの「人民共和国」成立は、少なくとも発足時においてはモスクワの思惑とは異なった独自の動きだった[70]。

　この2州でそれまで統治に当たっていた地域党は強固な理念や組織によって団結した政党ではなく、パトロン・クライアント関係を基礎にした利権で結ばれた集団だったため、ヤヌコヴィチが失権すると、ボスを失った地域党は混乱状態に陥った。ドネツィク州の地域党幹部たちは自分たちの立場が弱くなったことを意識して、共産党やロシア・ナショナリストなどの活動家たちをキーウとの交渉の駒として利用しようと試みたが、これは「駒」とされる勢力の自己運動を招いた。3月1日に州議会前で開かれた大衆集会は統御不能となり、群衆の怒号の中で、共産党の現地活動家グバレフが「人民の知事」として選出された。この後、活動家たちによる州行政府占拠の試みと警察による占拠解除が繰り返された（なお、グバレフはまもなくキーウ政権によって逮捕され、後に捕虜交換で釈放された）。

　不透明な状況がしばらく続いた後、4月7日にドネツィクとハルキウ、27日にルハンシクで、政府庁舎占拠および「人民共和国」宣言が行なわれ、本格的な権力奪取へと進んだ。但し、ハルキウはすぐにキーウ側が再奪取したので、ドネツクとルハンスクの２州が「人民共和国」として残った。5月11日には、両「人民共和国」で、ウクライナからの自決に関わるレファレンダムが行なわれた。この「自決」という言葉の意味は不明瞭であり、ロシアへの移行、ウクライナの中での自治確保、独立国家の形成といったいくつかの解釈がありえた。当事者の多くは元来ロシアへの移行を考えていたようだが、ロシア政権は「人民共和国」をロシアに併合するのではなく、ウクライナの中の自治地域と位置づける方針をとった（この方針は2022年に覆される）。

　こういうわけで、州レヴェルの旧エリートが大混乱している中で共産党系の下級活動家と一部のロシア・ナショナリスト活動家たちが非組織的な運動を繰り広げることで「人民共和国」は出現した。「人民共和国」というネーミングは「左翼」的発想――反オリガルヒでもある――を象徴している。モスクワの観点からするならば、こうした「左翼」的イデオロギーはロシア政権と異質なものだったし、安定的な統治のために必要な現地エリートとの提携が確保されないことから、この「人民共和国」をどこまで支えるべきかをにわかに決めがたい状況が生じた。

ドンバス2州の「人民共和国」は「ノヴォロシア」全域への運動拡大を呼号した。「ノヴォロシア」とは元来帝政期に黒海北岸地域を指した言葉だが、ハルキウ、ドニプロペトロウシク（ロシア式にはドネプロペトロフスク）、ザポリージャ（ロシア式にはザポロージエ）、ヘルソン、ミコライウ（ロシア式にはニコラエフ）、オデーサ（ロシア式にはオデッサ）各州――場合によっては更にモルドヴァの沿ドネストルをも含みうる――へと「人民共和国」運動を広げることが目論まれた。これら各州がドンバスと地理的に隣接しており、ロシア語系住民の比率も比較的高いという事情がその背後にあった。プーチンはこれを奨励するかのように、4月17日の発言で「ノヴォロシア」の語を用いた。しかし、上記諸州がドンバスの呼びかけに呼応することはほとんどなく、「ノヴォロシア連邦」構想はまもなく立ち消えとなった。

ドンバス以外の東南部諸州のうち特に重要視されたのは、人口および経済の面で枢要な位置を占めたハルキウとオデーサの2州（およびそれぞれの州都）だが、ハルキウ州はロシアと隣接している一方、キーウとも地理的に近く、キーウ政権からの強力な梃子入れを受けて、州政府が反マイダン派の反乱を鎮圧した。またオデーサでは、5月にマイダン派と反マイダン派の衝突の中で反マイダン派＝ロシア語系が立てこもる建物が焼き討ちに遭って大勢が焼き殺されるという悲劇的な事態が起きたが、ロシアから遠く離れているという地理的条件に加えて、国際港湾都市であるオデーサにとって、国際的承認を得られないような分離主義運動に走ることは現実性を持たなかった。こうして、「ノヴォロシア」運動はごく短期間叫ばれた後に、静かに忘れられていった。4月に「ノヴォロシア」の語を使ったプーチンもその語を繰り返し使うことはなかった。とはいえ、一部の人たちの頭の中には「ノヴォロシア」の残像が残り、8年後の戦争の中で再浮上することとなる[71]。

　ドンバスの二つの「人民共和国」がロシア人擁護の旗を掲げたことから、一部の過激ロシア・ナショナリストたちはロシアから現地へと馳せ参じ、「人民共和国」のために尽力しようとした。その代表例は、ドネツィク人民共和国の初代首相となったボロダイ、初代国防相ギルキン（別名ストレルコフ）らである。もっとも、彼らはクレムリンの直接の指示で動いていたわけではなく、クレムリンの意向を自己流に忖度しつつ独自の行動をとったので、ロシア政権にとっては取り扱いにくい「味方」であり、8月には前面から退くこととなる（ギルキンの軍事行動については次項で後述）。

　7月17日のマレーシア航空機撃墜事件は、正確な詳細は不明であるものの、ロシア義勇兵部隊による誤爆の可能性が高く、ロシア中央に義勇兵部隊への統制強化の必要性を感じさせたものと推定される。また、8月にはウクライナの「反テロ作戦」によってロシア義勇兵部隊が撃破されて後退を強いられる情勢が生じ、そうした中でモスクワはドンバスへの直接的関与に乗りだした[72]。それまでロシアから自発的にドンバスに赴いていたロシア・ナショナリストや義勇兵たちは人民共和国から排除され、モスクワの直接的掌握強化が試みられるようになった。

　住民との関係でいうと、クリミヤでは多数がロシアへの移行を支持し、ドンバス以外の東南部諸州ではキーウ政権への忠誠な態度が優勢だったのに対し、ドンバス2州の反応はその中間で、クリミヤほど強いロシア支持ではないが他の東南部諸州に比べれば相対的に親露気分が強かった。ウクライナの政治学者クデリアの調査によれば、2014年にドンバス2州のいくつかの市が分離主義者とロシアの隠密エイジェントによって占拠されたとき、現地住民の間には分離主義者への支持がかなりあり、抵抗はほとんどなかった。治安機関も抵抗しなかったし、多くの市議会議員が5月のレファレンダム実施に賛成した。世論調査でロシア軍に抵抗する用意があると答えた人の比率はドネツィク州で11.9%、ルハンシク州で10.7%にとどまった（2022年には周知の通り、この数字は一挙に跳ね上がった）。「ロシアの狙いをどう理解するか」との問いに対して、「ロシア語系住民の利害の正当な保護」という回答がドネツィク州の47％、ルハンシク州の44％を占めた[73]。この数字は微妙であり、親露派が圧倒的優位でもなければ、圧倒的に孤立してもいないという中間的な状況を物語っている。いずれか一方の優位が明らかであれば、対決の決着は短期間につくが、ほぼ拮抗した状況にあったことは、この地での抗争が短期に片付くことなく長く続いたことの背景をなしたと考えられる。

ｂ　ドンバス戦争の展開

　マイダン革命のピーク時にウクライナの大統領代行となったトゥルチノフは2つの「人民共和国」を「テロ集団」と認定し、「対テロ作戦」を展開した。これは最初のうち限定された作戦だったが、5月のウクライナ大統領選挙で発足したポロシェンコ政権は、選挙によって正統性を確保した上に、ＮＡＴＯ諸国からの支援も受けて、より本格的な「対テロ作戦」を展開した。

　戦争本格化のプロセスで重要な役割を演じたのは、ギルキン（ストレルコフ）の率いる武装部隊である。この部隊は、ウクライナ側からはロシア軍の別働隊と見なされたが、指揮者のギルキン自身は別として、その構成員の多くはクリミヤあるいはウクライナ本土の出身だった。この部隊はまずドネツィク市の北方に位置するスロヴャンスクを占拠し、そこからクラマトルスクへと展開し、ドミノ式に拡大するかの勢いを見せた（2週間のうちに32市を押さえたといわれる）。ギルキンがモスクワと一定の連絡を持ち、背後でなにがしかの援助を得ていたことは確実だが、クレムリンが総体としてどこまで確固たる方針をもっていたかは定かでない。

このようにギルキン部隊の活動が広がるのに対抗して、キーウはドミノ倒しを防ぐべく「反テロリスト作戦」を強化した。軍と治安警察が協力して担ったこの作戦には、市民義勇部隊も加わり、マイダン革命時に登場した自主武装部隊とりわけ「右派セクター」はこの市民義勇部隊で大きな役割を果たした。このようなウクライナ側の攻勢により、7月初頭にギルキンの部隊はスロヴャンスクを放棄して、ドネツィクに向かった。ウクライナはスロヴャンスクに続いてクラマトルスクを奪還し、ドネツィクおよびルハンシクをも狙うに至った。こうして戦況がウクライナ側有利となるなかで、8月半ばにロシアは正規軍派兵に踏み切った。これに先だって、ギルキンはドンバスから撤退させられ、二つの「人民共和国」の指導者もロシア人から現地人へと置き換えられた。こうした準備の後、8月25日にロシアの直接的軍事介入が始まり、一時的に優勢だったウクライナ側部隊を押し戻した[74]。

　このようにして始まったドンバス戦争の初期段階（2014-15年）においては、双方の側で非公式の暴力部隊が大きな役割を演じた。「人民共和国」／ロシア側では、前述のギルキンやボロダイのほか、スキンヘッド、「ユーラシア青年運動」「ロシア帝国運動」などといった極右集団（一部にネオナチを含む）がロシアから現地に駆けつけて戦闘に参加した。彼らは「愛国主義」を掲げる点でロシア政権と一定の共通性を持ち、部分的には政権関係者からの庇護を受けたりすることもあったが、統制のきかない「野生」の動きであり、ある時期以降は政権から歯止めをかけられるようになった[75]。

他方、ウクライナ側では、ナチのシンボルを身につけた「アゾフ連隊」などの極右勢力が諸外国を含む各地から流れ込み、キーウ政権の統制を離れて活動した。「ネオナチ」については、それがどの程度の規模か、活動実態はどうか、政権はそれとどのような関係にあるのかをめぐっては諸説が乱れ飛んでいて、確定することが難しいが[76]、とにかくそうした勢力が存在することが、ロシアからの「ネオナチ」宣伝に一定のもっともらしさを付与することになった。「火のない所に煙は立たない」という言葉を借りて比喩的にいうなら、大きな火事ではなく小さな火種があったのを最大限に膨れ上がらせて、大きな煙に仕立て上げたということではないかと思われる。

　いずれにせよ、こういった非公式の暴力組織は、ウクライナ側にせよ、ロシア側／「人民共和国」側にせよ、それぞれの中央政権から見て必ずしも好ましくない存在であり、そういう勢力が統制の効かない形で暴走したことが、ドンバス戦争初期段階における破壊の規模を大きなものとした。その後、それぞれの政権は非公式暴力組織を統制下におくことを試みだしたが、必ずしも十分統制しきれないという状態が長く続いた。

ｃ　2つのミンスク停戦合意

　度重なる衝突で大量の破壊と犠牲が生じる中で、双方の政権はある程度停戦の試みを始めた。

まず2014年9月にはミンスク停戦協定が結ばれたが、これはすぐに崩壊した。ついで2015年2月には、ミンスク合意履行のための措置パッケージ（いわゆる「ミンスク2」）がウクライナ、ロシア、フランス、ドイツ４カ国の政府によって調印された。その主な内容は、即時かつ包括的な停戦、ＯＳＣＥによる監視と検証、ウクライナの法律に基づく両州の地方選挙の実行に向けた対話の開始、ウクライナの国境のウクライナ政府による全面的なコントロールの回復、両州の個々の地域に特別な地位を与える分権化をウクライナ憲法に明記することなどからなっていた[77]。

この合意は、対立する当事者間の立場をすりあわせて妥協を図るものである以上、玉虫色の性格が濃く、雑多な内容からなっている。ウクライナもロシアもあれこれの条項に不満をいだき、全面的に満足することはなかった（特に大きな争点となったのは、多数の条項のうちどれを先に実現するのかという順序問題である）。それでも、４ヵ国の政府が調印したものである以上、ウクライナもロシアも履行の義務を負うことになったが、実際には、ウクライナもロシアもあまり積極的に履行しようとはしなかった（表だって否定することはできないので、互いに相手方の不履行をあげつらう形で論争が続いた）。

　ミンスク合意が履行されてドンバスがウクライナに再統合されるか否かは、ウクライナの全国政治の展望にも関わる。ドンバスがウクライナの実効統治から外れてウクライナの選挙に参加できなくなったことは、ウクライナ政治における親ロシア的勢力の比重を押し下げる効果をもった。逆にいえば、この地域がウクライナに再統合されるなら、選挙で親ロシア勢力の進出をもたらす蓋然性が高い。そのため、ウクライナの政治家の間には、ドンバスのウクライナへの再統合という目標を一般論として掲げつつも、実際問題としてそれをあまり好ましくないと考える傾向があり、ロシアとしてはドンバスをロシアに併合するよりも条件つきでウクライナに再統合させる方が有利だということになる（詳しくは後述）。

　ウクライナの政治勢力のうち、ミンスク合意の履行を要求したのは、地域党の後継党に当たる「反対派プラットフォーム＝生活のために」（以下、「生活党」と記す）および「反対派ブロック」――いずれも東部と南部、とりわけドンバス二州のうちのキーウ統治下にある部分に基盤をもつ――であり、彼らはミンスク合意の履行によって平和がもたらされることを期待した。しかし、それ以外の多くの政党は、「ミンスクは押しつけられたものだ」という受けとめ方に傾斜した。

外部の観察者の評価も割れている。ある人たちは、この合意が履行されていればその後の暴力エスカレートは防がれたはずなのに、どちらかが（あるいは双方が）履行を怠ったために、折角のチャンスが失われたとする。別の論者たちは、もともとこの合意は不当な条件をウクライナに押しつけたものだったので、これを出発点にするべきではないとする。あるいは、この合意はもともと実現可能性が低かったので無意味だったと批評する見解もある。一般論として、停戦協定というものは当事者間の妥協に基づくものだから、このように評価が分かれることは驚くべきことではない。

3　マイダン後のウクライナ�T：ポロシェンコ期（2014-2019）

　第1節と第2節ではクリミヤ情勢とドンバス情勢についてみてきたが、これを押さえた上で、マイダン後のウクライナについて目を向けなくてはならない。ポロシェンコ期とゼレンシキー期の間にかなりの違いがあることから、二つの時期に分けて考えることにする。

ａ　ポロシェンコ政権・概観

マイダン革命後のウクライナ政治をどう理解するかは複雑な問題をはらんでいる。もともとマイダン革命には多様な要素が流れ込んでいたが、それらが政権交代後に複雑な相互関係を織りなしたからである。大雑把に言って、マイダン運動が始まった時点では、ヤヌコヴィチ政権の腐敗を追及して「民主化」を志向する大衆運動が前面に出ていたが、組織性を欠く大衆運動がそのまま定着したわけではなかった。政権交代後のウクライナ政治を担ったのは種々の勢力の混成部隊だったが、その中枢に位置したのはマイダン以前とあまり変わらないボス（オリガルヒ）のまわりにパトロン・クライエント関係で結ばれた人間集団であり、その周辺に雑多な勢力が結集した。その中には、西側志向のNGOおよびマスメディア――彼らは「民主革命」というイメージを国際的に広めることに貢献した――もいれば、部分的には極右も関与していた[78]。

他方、極右勢力は、それ自体としては少数でありながら、混乱した政治情勢の中で、独自武装部隊を保持することで実数以上に大きな影響力を持った。選挙および議会が極右にとって得意領域でなかったことは前述の通りであり、5月の大統領選挙では｢スヴォボダ｣のチャフニボク、｢右派セクター｣のヤロシュのいずれも2％以下の得票で惨敗した。10月の議会選挙でも、両党は比例区で独自の議席を獲得することはできなかった。もっとも、｢スヴォボダ｣は他の「中道」政党の候補者リストに載ったり、小選挙区で当選したりすることによって3議席を獲得した。このように、極右は議会では細々と存続するにとどまったが、議会外では尖鋭な行動を繰り返して一定の役割を果たし続けた。中でも、C14という団体は公然とネオナチ・イデオロギーを掲げたし、他の極右団体も、ロマ、LGBT、人権活動家などへの暴力的襲撃行為を重ねた。それを警察が見て見ぬ振りをすることもあり、青年スポーツ省がこれらの団体に一定の認可を与えた例があると報じられたりした[79]。それ自体としては少数である極右勢力が暴力的威嚇の手法に訴えたり、権力機関の一部から暗黙の庇護を得たりすることで実体以上に大きな影響力を行使するという現象は、ロシアを含め世界のさまざまな国で見られることであり、ウクライナに特有ということではない。その意味で、この動きを過大評価すべきではないが、かといって完全に取るに足らないものとして無視するのも現代ウクライナのある側面を見損ねることになるように思われる。

他方、それまでウクライナ政治に一定の地歩を占めていた共産党は、その地盤たるクリミヤおよびドンバス2州の大きな部分がウクライナの実効統治から外れた上に、2015年に非合法化されて、政治の場から追放された。これに伴い、共産党のみならず左翼全般も大きく衰退し、政治の重心は右寄りに傾く結果となった。

　2014年5月の大統領選挙で当選したポロシェンコは「チョコレート王」と呼ばれる実業家であり、かつては地域党に属したこともあるオリガルヒの一員だったが、マイダン革命時には地域党から離れていた。彼はもとからのナショナリストというわけではなかったが、政権についてからは、「革命」の実質的成果をあげることが困難な状況の中で、目に見える「成果」として、ナショナリズム的宣伝による支持調達を試みた。

　ドンバス政策に関しては、ポロシェンコは大統領選挙の前には平和を唱えていたが、選挙後は「人民共和国」に対する「対テロ作戦」を積極的に展開した。もっとも、ウクライナ政府はミンスク合意に調印した以上、どこまで熱心にかはともかくその履行を全然目指さないわけにはいかないという立場にあり、その一歩として2015年8月に、地方自治に関わる憲法の条項に「ドネツィク、ルハンシク両州の個々の地域の特殊性」に応じた例外的適用は特別の法律によって定めるとする憲法修正法が第一読会として承認された。これはあまり具体性を持たない抽象論をうたった法律の、しかも第一読会に過ぎなかったが、それでも「裏切りだ」という激しい反撥が議会内外で生じた。議会内では反対派が演壇を占拠して、会期を打ち切らせた。議会外では、抗議する群衆が警察署を襲い、棍棒、発煙弾、催涙弾などで100人以上の負傷者を出したほか、極右の投げた手榴弾で3人の警官が死亡した。これ以降、この件に関する憲法改正は沙汰止みとなった[80]。

　対外政策では、ポロシェンコは独立当初の非同盟原則からの離脱を目指し、ＮＡＴＯ加盟を明確な目標とした。2015年に策定された新たな軍事ドクトリンおよび国家安全保障戦略はロシアを「脅威」と明記し、ＮＡＴＯをウクライナの特別なパートナーと位置づけた。そこにおいては、ウクライナ軍とＮＡＴＯ軍の相互運用性を高めるため、ＮＡＴＯ諸国と協働した軍改革を目指すという方向が明示された。つまり、正規のＮＡＴＯ加盟ではないにしても、実質におけるＮＡＴＯとの軍事協力が追求されるようになった[81]。ＮＡＴＯおよびＥＵ加盟を国家的目標とするという規定を憲法に盛り込む憲法改正法は2018年11月に最高会議で予備採択され、2019年2月に本採択と同時にポロシェンコの署名を得て発効した。この改憲の背後の事情として、アメリカとりわけバイデン父子の工作があったという推測がささやかれているが、詳しい実情は不明である。具体的駆け引きの実態はともかくとして、これは政治の世界の動向であり、一般国民の世論は、その時点ではまだ加盟論が多数になってはいなかった。

ｂ　記憶法と非共産主義化法

　ポロシェンコ期の政策の中でも特に大きな位置を占めたのは、ユシチェンコ期にとられたのと同様のアイデンティティ・ポリティクスの一層強烈な形での展開である。それを象徴するのは、2015年4-5月に採択された一連の法律――「記憶法」とか「非共産主義化法」と呼ばれる――である。この記憶政策は、ソヴェト期全体を「占領期」と見なすこと、「ホロドモール」の記憶に巨額の資金を投入すること、キーウの「モスクワ通り」を「バンデラ通り」と改名することなどを含んだ（時間的にはもっと後のことになるが、開戦直後の2022年4月27日には、キーウの「民族友好像」が撤去された）。ウクライナ国民記憶研究所〔元来、ユシチェンコ期の2006年に発足〕もこの時期に活動を一段と活発化させた。ソヴェト期全体を「占領期」と見なすということは、スターリン体制確立以前の1920年代に「現地化（ウクライナ化）」政策を推進した政治家たちをも否定の対象とすることを意味した。また、禁止される共産主義的シンボルには、レーニン、スターリン、毛沢東ばかりか、トロツキーやゲヴァラの肖像も含まれた。「大祖国戦争」という呼称も廃止された。7月24日には、内務省が三つの共産系政党（共産党、共産党刷新派、共産主義労農党）の選挙参加を禁止し、12月16日にはこれら三党の活動が禁止された。なお、ＯＳＣＥおよびヴェニス委員会（法による民主主義のための欧州委員会）はこうした措置に批判的であり、世論調査では賛否が半ばしていて、全般的な支持を得たわけではなかった[82]。

言語政策についてみると、2012年の言語法の存廃が大きな争点となっていたことは前述したが、2018年2月には憲法裁判所が2012年法を憲法違反だと認定して、同法を正式に廃止した。2017年9月に採択された教育法は学校における授業言語はウクライナ語でしかありえないと定めた。続いてポロシェンコ最末期の2019年4月には、新たな言語法――正式には「国家語としてのウクライナ語の機能の保障に関する法律」――が採択された。これは「国家語としてのウクライナ語」の実効的利用範囲拡大を目指し、すべての公務員や教員・医療従事者に国家語（ウクライナ語）習得および業務執行時における使用を義務づけるのみならず、映画、テレビ・ラジオ、マスメディア、書籍出版、ウェブサイト、消費サーヴィス、広告など幅広い領域で国家語（ウクライナ語）の優先的使用を義務づけた。もっとも、私的なコミュニケーションまで規制するものではないとの但し書きもあり、「ウクライナでロシア語の使用が禁止された」とまでいうことはできないが（ゼレンシキーを含む多くのウクライナの政治家が元来ロシア語を母語としている以上、そのようなことはありえない）、2012年法が少数派言語の保護に力点をおいたのに対し、2019年法は国家語の利用範囲拡大に力点をおく点で明確な対照性を示した（特定地域の先住民族の言語、またＥＵの公用語となっている少数派言語については特例が認められたが、前者はクリミヤ＝タタール語、後者はハンガリー語を指しており、ロシア語は適用外）。

　このようにポロシェンコ期の政策は急進的ナショナリズムを煽る方向のものだった。前掲のグラフ（図1）を再度想起するなら、2014年を境にロシアへの好感は激減し、反感が激増したことが明らかだが、それでも反感が圧倒的というところにまで高まってはおらず、好感と反感が伯仲する状態に移行していたことが見て取れる。とすれば、ポロシェンコ期の記憶政策は、国論を真っ二つに割るものだったということになる。そして、当時のゼレンシキーはこのような政策からは距離を置いていた。

4　ゼレンシキー期（2019−）

ａ　2019年大統領選挙とゼレンシキー政権の出発

　ゼレンシキー政権をどのように位置づけるかについては、いくつかの考え方がありうる。先ず、皮相なレヴェルでいえば、ゼレンシキー政権もポロシェンコ政権もマイダン革命から生まれた政権であり、マイダン革命を「民主化」革命と見なすなら、ともに「民主派」政権として連続性・共通性を持つという見方がありうる。しかし、前項で見たように、ポロシェンコ政権は必ずしも「民主革命」の成果を体現していたわけではなかったし、その政策は国民全体を結集させるというよりはむしろ真っ二つに割る性格を帯びていた。そしてゼレンシキーはそのようなポロシェンコに挑戦する形で大統領選挙に臨んだ。その面を重視するなら、両政権は大きく性格を異にすると考えることもできる。とはいえ、当選後のゼレンシキーの軌跡はジグザグしており、必ずしもポロシェンコ期との決別を鮮明にはしていない。そのことが事態を一層複雑にしている。

　とりあえず、先ず2019年大統領選挙についてみるなら、この選挙戦でポロシェンコは記憶法、言語政策、ＮＡＴＯ加盟政策などの正当性を訴え、ナショナリスト的大義のリーダーと見なされていた。これに対し、ゼレンシキーはポロシェンコの急進ナショナリズムの行き過ぎを是正する候補というイメージがあった。3月の第一回投票ではゼレンシキーが得票率30％、ポロシェンコが16％となり、4月の決選投票ではゼレンシキーが73％、ポロシェンコが24％という大差でゼレンシキーが当選した。決選投票でゼレンシキー票はほとんどの州でポロシェンコ票を上回ったが、ポロシェンコが相対的に多かったのは西部に限られる一方、ドネツィク州およびルハンスク州のうち選挙に参加した地区ではゼレンシキーがポロシェンコを圧倒した[83]。このことは、急進ナショナリズムの強い西部がポロシェンコ支持に傾斜したのに対し、ゼレンシキー支持は、東部だけとはいわないまでも東部を含む諸州で強く、急進ナショナリズムと距離を置くイメージがあったということを意味する。

　よく知られているようにゼレンシキーは元来喜劇俳優であり、エンターテインメント企業家でもあった。喜劇俳優といっても、日本で想像されるような「お笑い」系とは異なり、もともと政治に深い関心を持ち、むしろ政治風刺を得意としていたようだが，現実政治に直接関与するというよりはテレビ画面での風刺を主要活動領域としていた。またロシア語で演じ、ロシアのテレビにも積極的に出演するという意味でウクライナ・ナショナリズムとは一線を画していた（2014年のマイダン革命には関与していなかった）。彼の主演するテレビ・ドラマ・シリーズ「国民の僕（しもべ）」は、一介の高校教師がウクライナの汚職文化を糾弾する様子を教え子が動画として投稿したものがバズったのをきっかけに、ある日突然大統領になってしまうというストーリーの作品で、これが大人気を博し、あたかもドラマが現実になったかのような形で、彼は大統領に当選した（ゼレンスキーを支えるために新たに創立された政党は、ドラマにちなんで｢国民の僕｣と名付けられた）[84]。

　大統領選挙で大勝したゼレンシキーは、その余勢を駆って議会を解散し、7月に最高会議の繰り上げ選挙を行なった。この選挙で、ゼレンシキー与党「国民の僕」党は、ウクライナの選挙史上はじめて単独過半数の議席を獲得した（全議席の54％）。このことは、首相選出権をもつ最高会議と大統領が同じ勢力によって掌握されたということを意味し、「ねじれ」を免れた権力集中が実現したかに見えた。とはいえ、この与党はにわか仕立てかつ寄り合い所帯だったため、その後の政策決定および履行はジグザグの過程をたどることとなる。

　このような選挙の結果を解釈するに当たっては、有権者数の減少――クリミヤ全域およびドンバスのかなりの部分がウクライナの実効統治から切り離され、選挙に参加できなかった――という問題を押さえておかねばならない。2010年大統領選挙時の登録有権者数が3683万だったのに対し、2019年大統領選挙時には2965万となっており、718万人（19.5%）の減少があった。これはかなり大きな数字である。この減少はすべてではないまでもかなりの部分がクリミヤおよびドンバス――つまり、相対的に親露的雰囲気の強い地域――に関わっていたから、そのことが選挙結果に相当大きく作用したと考えられる。「もしドンバス全域で投票が行なわれていたらどうなったか」という反実仮想は確定的な結論を出すことが難しいが、ウクライナ政治専門家たるダニエリの統計的研究によるなら、この間に地域別投票パターンはあまり大きく変動しておらず、ドンバス2州のうちの投票参加地区では「生活党」および「反対派ブロック」という2政党――地域党の後継政党――が議会選挙で優勢な結果となった。その他のデータを合わせて、ダニエリは、仮にドンバスの他の地区が選挙に参加し、かつ2つの地域党後継政党が統一したならかなり大きな勢力となり、ゼレンシキーの人気には及ばないにしても、彼ほど個人的人気の高くない候補が相手だったなら大統領選挙で勝つ可能性もなくはないという推測を示している[85]。このことは、ロシアとしてはドンバスを永続的にウクライナから切り離すよりも、ウクライナに再統合させた方が、将来のウクライナ政府をロシア寄りにするために有利だということを意味する。ロシアが2014-21年の時期にドンバスを併合しなかったことの背景にはこうした考慮があったものと考えられる（2022年以降の政策はこれと大きく異なったが、これは2021年までの政策が成果を上げなかったことの自認を意味する）。

ｂ　当選後のゼレンシキーの軌跡

　当選後のゼレンシキー政権を全体として評価するのは至難である。時事的報道および毀誉褒貶を含む色とりどりの論評は無数にあるが、距離をおいた地点からの分析は管見の限り乏しい（開戦後の奮闘ぶりは広く知られているが、大統領就任から開戦までの3年間の評価が特に難しい）[86]。ここではとりあえず不十分ながら知られている範囲での軌跡を追ってみたい。

　当選直後のゼレンシキーはドンバス戦争に関して「外交的解決」を唱え、ロシアとの交渉を通した解決を求める姿勢を示した。実際、2019年9月には、ウクライナ、ロシア、ドンバスの間で最初の捕虜交換が行なわれた。続いて、ゼレンシキーとプーチンのあいだで何度か電話会談がもたれ、10月には東部に関する地方選挙実施および特別地位法の発効のタイミングに関わる原則での合意が成立したと報じられた。12月には、3年ぶりの独仏ウ露四国首脳会談（パリ）が実現し、年内の完全停戦、4ヵ月以内の首脳会談再開などで一応の合意が成り立ったと報じられた。もっとも、こうした報道の信憑性については諸説あり、実際には合意などできそうになく、ほとんど交渉決裂に瀕していたという説もある。詳細は確認しがたいが、背後の実態はともあれ、ゼレンシキー政権の初期には、ともかくも対話による和平の方向に歩み出すかの印象が醸し出された。

　しかし、国内ではそもそもロシアとの対話を進めることの是非をめぐって意見が大きく割れていた。一方の側で、対ロ強硬路線の「欧州連帯」党などはミンスク合意履行は「対ロ降伏」だと主張して対話路線に反対したが、他方の側で、「生活党」および「反対派ブロック」はミンスク合意履行賛成の立場から、ロシアとの外交交渉の遅れを批判した。こうして、ゼレンシキー政権は両側からの批判の板挟み状況に追い込まれた。三つ巴の政治対立の中でゼレンシキーは動揺したが、そうした動揺はゼレンシキーおよび「国民の僕」支持率の低下に反映した。

　2020年秋に地方議会選挙が行なわれたとき、「国民の僕」党の議席占有率は17.6%にとどまった。前年の最高会議選挙では比例区で43％を獲得し、小選挙区を合わせた総議席で過半数に達したのと比べると、相当な後退ということになる。全国的選挙と地方選挙の性格の違いがあるから、単純に比較するわけにはいかないが、とにかく「国民の僕」党は2019年ほどの圧倒的地位を確保し続けることはできなかった[87]。。世論調査によれば、同党の支持率はそれでも相対第一位にとどまったが、「欧州連帯」や「生活党」などから追い上げられて、それほど安泰ではなくなった。ゼレンシキー自身の支持率も次第に下がり、ポロシェンコ（欧州連帯）、ボイコ（反対派ブロック）その他の政治家との差が小さくなっていった

　ＮＡＴＯとの関係について見ると、政権出発時のゼレンシキーはポロシェンコのＮＡＴＯ加盟論と距離をおくかに見えたが、2020年9月に「ＮＡＴＯ加盟を求める路線に変化はない」と明言し、ロシアに幻滅を与えた。2021年3月には「ウクライナの軍事安全保障戦略」、8月には「ウクライナの対外政策の活動戦略」がいずれも大統領令で発せられたが、これらは「ロシアの脅威」を強調し、ウクライナ軍とＮＡＴＯ軍の適合性向上を目指すもので、ポロシェンコ期の外交・安全保障政策を引き継ぐ姿勢を鮮明なものとした（前注80と同じ）。

　こうして、最初のうちポロシェンコ期の急進ナショナリズムと距離をおいていたゼレンシキー政権は、次第に自らも急進ナショナリズム路線に接近していった。これに反対する「生活党」および「反対派ブロック」はやがて非合法化されることになる（共産系の3政党はポロシェンコ時代に既に非合法化されていた）。それだけでなく、政権に対して批判的な態度をとる勢力に対してはしばしば「親露派」というレッテル貼りが行なわれるようになった。リベラル左派勢力も共産党あるいは「親露派」と同列視されやすい雰囲気が広がり、リベラル左派は活動困難な状態に追い込まれた[88]。

ｃ）ロシアの動向

ここでは、ポロシェンコ期とゼレンシキー期をあわせて、2014-2021年のロシアの動向について簡単に見ておく。2014年のクリミヤ併合直後に政権支持率が急上昇し、ほぼ全面的な挙国一致の雰囲気が生まれたことは前述した。その状況は数年間持続し、2016年下院選挙も18年大統領選挙も無風選挙となった。但し、18年大統領選挙では「統一ロシア」も「国民戦線」（第�T章第3節のｅで前述）もさしたる役割を演じることなく、プーチンはむしろ「超党派」の体裁をとった選挙戦を展開した。このことは彼の個人的威信の高さを誇示する意味を持ったが、その反面、組織的基盤の脆弱性を物語った。

　大統領選挙の直後に年金改革（年金受給年齢引き上げ）の方針が発表されると、反対運動が広がり、それまで高止まりしていたプーチン政権支持率はこれ以降、趨勢的に低下するようになった。以前の社会保障改革時も同様だが、ロシアの一般大衆は政治的争点に関して強く反応することはなくても、実生活に関わる政策には敏感に反応して、政権への態度を表明した（このことは2020-21年のコロナ禍時にも繰り返された）。こういうわけで、盤石であるかに見えたプーチン体制にも微妙なほころびが見え始めた。

2020年には大がかりな憲法改正が行なわれたが、これは当初提案の後に大幅な追加が提案され、もともと予期されていなかった要素が付け加わるという異例な経過をたどった。当初提案のうち注目されたのは、大統領の任期制限規定の中の「連続して二期まで」という文言から「連続して」の語句が削除されたことである。これは、いったん引退した後の再登板を制限する趣旨であり、プーチンもメドヴェーヂェフももはや立候補することができなくなるかに見えた。それとは別に、国家評議会の権限明確化がうたわれ、その議長は従来のように大統領が自動的に兼ねるのではなく別人が任命されることもありうることになった。こうした憲法改正は、プーチン自身は大統領から退く代わりに国家評議会議長に横滑りして、一種の「院政」を可能にする目論見をもつかにみえた。

　ところが、法案審議中に案文が修正され、今次改憲以前に大統領だった者については以前の任期は参入しないということになり、プーチンの再出馬が可能になった。これは、後継大統領をすんなり決められるとは限らないため、あえてプーチン5選を可能にする余地を残すことになったのではないかとの推測が広まった。その他、対外主権の強調（領土割譲の呼びかけの禁止など）、またイデオロギー的保守化を示す文言の挿入なども追加された。伝統的価値観や愛国主義が強調され、「神への理念と信仰を伝えてきた祖先の記憶」、「歴史の真実」、「祖国防衛」などの言葉が憲法に書き込まれた。また結婚を異性間のものと確認する条項は同性婚排除の憲法的確認という意味を持った。

　2020-21年には、ロシアも世界的なコロナ禍に巻き込まれた。ロシアは独自のワクチン「スプートニク」の開発に成功したが、国民の間に信頼があまりなかったため、ワクチン接種が普及せず、感染者数・死亡者数とも国際的に高い水準になった。このことも政権支持率のさらなる低下をもたらした。

　こうして政権支持率低下が続く中で行なわれた2021年9月の下院選挙では、「統一ロシア」が議席を19減少させて、ギリギリいっぱい3分の2を超えるという水準に落ちた[89]。これに対し、共産党と「公正ロシア」という二つの左派政党が議席を伸ばしたほか、「新しい人々」という新興勢力が比例区で5％の壁（かつての7％から5％に引き下げられていた）を越えて13議席を獲得するという変化があった。

　既成政党および議会におけるこのような勢力変動とは別に、組織を持たない政権批判運動としてナワリヌイを支持する動きも広がった。彼は2020年8月に不審な状況で中毒症状を呈し、ドイツで治療を受けていたが、2021年1月にドイツから帰国したところを直ちに逮捕された。2月に実刑判決が出ると、支持者たちの間で大規模な反対運動が起きた。政権から自立した論調を示していた『ノーヴァヤ・ガゼータ』紙のムラトフ編集長に2021年度ノーベル平和賞が授与されたことも、こうした動きの高まりを刺激した。

　このように見てくると、2014年に挙国一致状況をつくってそれなりの安定を確保したプーチン政権は2018-21年にかけてその安定を失いつつあったことが分かる。そのことは政権にある種の焦りの感覚をもたらし、それが開戦への背景となったのではないかと推測することができる。なお、2021年7月にプーチンは有名な論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」を発表し、また12月にロシアはアメリカおよびＮＡＴＯに対してＮＡＴＯの不拡大、新規ＮＡＴＯ加盟国からの部隊撤退、ロシア周辺での軍事活動の禁止などを定める条約の締結を要求した（ゴルバチョフはＮＡＴＯ不拡大の約束を口頭のものにとどめ、文書化しなかったから失敗したのだという理解）。こうした動きは翌年に始まる戦争の予兆をなした。もっとも、その「予兆」がどこまで確固たる決断を背景にしたものだったかはにわかに確言できない。

�V　結びに代えて――現状と展望　

　以上、2022年2月の開戦までの歴史を追ってきた。その後はあまりにも新しい時期であり、歴史的研究の対象とするにはまだ機が熟していない。とはいえ、ことの重要性を思えば、この後の情勢について何も触れないのは無責任のそしりを免れないだろう。ここでは、ここ1年ほどの事態の展開について、簡単に暫定的な観察を記しておきたい。

1 開戦およびその直後

〈開戦〉

　2021年から22年初頭にかけて、ロシアがウクライナに戦争を仕掛けるのではないかという観測がアメリカなどの諸国から流され、それを挑発だとするロシアとアメリカの間で相互非難の応酬が交わされて、「チキン・ゲーム」的な様相を呈した。こうした緊張激化のうちのどの時点でプーチン政権が開戦に踏み切ったのかについては諸説がある。2021年7月のプーチン論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」は侵略戦争を正当化する内容をはらむものとして広く注目されているが、論文自体のなかに開戦を示唆する文言があるわけではなく、これが決断に直結したのかあるいは何らかの追加的要因があったのかは確定できない。

　ともかく2022年2月下旬には、緊張のエスカレーションが絶頂に達し、一気に戦争――ロシア政権の公式的表現では「特別軍事作戦」――の開始に突き進んだ。まず2月21日にロシアはドネツィクおよびルハンシクの両「人民共和国」の国家承認を行なった。これは、8年前に「人民共和国」が発足して以来ロシア政権がとってきた《支援はするが、直接コミットはしない》という方針から大きく踏み出すものだった。しかも、これは「人民共和国」の防衛にとどまらない大規模な軍事行動を伴った。24日にはウクライナ軍の基地に対するミサイル空爆が行なわれ、25日には地上戦を含む本格的戦闘が始まった。このようなエスカレーションが一気に現実化したことから考えるなら、おそらくロシア政権中枢部では事前にそのようなプランが固まっていたものと推定される。ただ、そのように決意していたのは政権中枢の少数の人たちだけであり、それ以外の人たちは、「ひょっとしたらそうなるかもしれない」という予感はあっても、確定的情報を与えられてはいなかった。

中枢部での決断の実態は不明だが、結果から振り返って考えるなら、論理的に異なった戦略――主要敵はＮＡＴＯかウクライナか、軍事戦略としてキーウをはじめとする全土制圧を目指すかドンバス確保に重点をおくか――が併存し、それらが整序されないまま戦争に突入したように見える。その結果、「二兎を追う」形になり、緒戦はウクライナからの強い反撃に遭って挫折した。その重要な一因は、ロシア軍将兵の確信の欠如および士気の低さにあった。

　プーチン政権は国民の反応についても読み違いをしたように見える。前述のように2014年にはほぼ全面的な挙国一致状況が生まれたから、今回の開戦はその再来を狙ったものと推測される。だが、実際に生じたのは「鈍い挙国一致」でしかなく、そのことが士気の低さに反映した。以下、この問題についてある程度掘り下げて考えてみたい。

〈戦争に対する国民の反応〉

　どのような国のどういう戦争であれ、開戦直後には「挙国一致」「城内平和」が生じ、一部の「意識高い系」知識人による反戦論は孤立するというのが一般的傾向である。犠牲の大きさが明らかとなり、泥沼的状況が感じ取られるようになると厭戦気分が広がるが、それには一定の時間がかかる。

　ウクライナの場合は、開戦とともに典型的な挙国一致状況が生まれた。前述のようにゼレンシキーの支持率は少し前まで漸減傾向を見せていたが、開戦とともに圧倒的に急上昇し、彼は全国民的統合の象徴のような位置に押し上げられた。ウクライナ内おける種々の内部分岐は一挙に埋められた。皮肉なことに、プーチンの戦争こそがウクライナ国民を団結させ、強固に結束したネイションを誕生させたように見える。前掲のグラフ（図1）を再度振り返るなら、2014-21年には反露感情と親露感情が伯仲していたが、22年には反露感情が一挙にピークに達した。もっとも、水面下では様々な迷いや疑念が渦巻いている可能性も考えられなくはない。ロシアへの親近感も完全に消失したわけではないだろうし、戦争遂行のあり方への疑問や戸惑いもあっておかしくない。そうではあっても、現に国土の大きな部分を戦場として侵略戦争が仕掛けられている以上、「打って一丸となって戦勝のために全力を尽くさなくてはならない」とする規範意識が圧倒的に広まり、それ以外の感情は滅多に表出されないという状況が生じた。

　ウクライナとは対照的に、ロシアではそれほど強い挙国一致ではなく、「鈍い挙国一致」となった。世論調査では開戦後の政権支持率上昇が示されているが、これがどの程度の信頼性を持つのか、調査に際してどのような文言が使われているか、世代別・社会層別で見るとどうかなど、さまざまな角度からの検討抜きには国民の戦争支持度を確認することはできない。住民の多数派が政権の公式説明をとりあえず受け入れているのは確かだとして、それはどちらかといえば消極的な受容が主であり、熱狂的な賛成論が広がっているようには見えない。これは2014年に圧倒的な政権支持の雰囲気が広がったのとは大きな違いである[90]。それどころか、開戦の直後から反戦／厭戦気分が表出され、挙国一致のほころびが見られた。それからしばらく経つと明確な反戦論の表明は抑え込まれるようになったが、戦況が思わしくないことや9月に部分的動員が始まったことによって厭戦ムードは再び表面化し、また政府の戦争指導への批判も現われるようになった（もっとも、経済制裁はこれまでのところ国民生活を直撃するに至ってはおらず、全体としての「鈍い挙国一致」自体が崩れる兆しは2023年春の時点でまだ見られない）。

　このような反応の背景として、そもそも戦争目標が曖昧であり、軍事戦略においても分裂的だったという事情が大きいと考えられる。多くのロシア国民は、「ＮＡＴＯの攻勢に対してわが国を守らなければならない」という呼びかけには肯定的に反応しただろうが、「ウクライナをやっつけなくてはならない」などとは、およそ考えつきもしなかっただろう。ウクライナのゼレンシキー政権を「ネオナチ」呼ばわりするレトリックがあまりにも無理筋の宣伝だということは明らかである。ウクライナにネオナチが全然いないわけではなく、「ファシスト」と呼ばれるような勢力が皆無というわけでもないが、政権全体をネオナチと呼ぶのはどう見ても無理であり、説得力が極度に低い。ロシア軍苦戦の一つの要因は、将校も兵士も戦争目的に確信をもつことができず、士気が低いという点にあると思われる。

もっとも、ロシアにおける反戦／厭戦意識には種々の要素が混在しており、その全部がリベラルな立場からの反戦論というわけではない。われわれに比較的届きやすいのは知識人たちのアピールであり、その多くは大変格調の高いもので、受け手を感動させるが、それは反戦／厭戦意識の一部に過ぎない。リベラルな立場からのプーチン政権批判は知識人の間では珍しくないとはいえ、国民全般からいえばごく少数にとどまり、そうした部分が強大になって政治を動かすということは考えにくい。それとは別に、元来は政権を支持していた人たちの中からも、種々の戦争批判の声が出ており、ある意味ではそうした部分の登場こそは政権の安定度を左右するかもしれない。詳しい状況は明らかでないが、とりあえず開戦後まもない時期に伝えられた注目すべき動向をいくつかの要素に分けて見てみたい。

先ずもって注目すべきなのは、いわゆる「オリガルヒ」（財閥の頭目たち）の動向である。ロシアの資本主義化のなかで一種の「成り金」「政商」のような形で台頭したオリガルヒたちは、一面では政権と癒着しているが、他面では、政治権力と対抗することもある。プーチン政権のもとで政権からにらまれた何人かのオリガルヒは海外に逃亡した。その後も国内にとどまっているオリガルヒは基本的に政権に近い立場だが、そうした人たちの間でも動揺が始まっていると報じられている。代表例として、「アルミ王」と呼ばれるデリパスカ、アルファ・バンクのフリードマン、ノリリスク・ニッケルのポターニンらが政権批判的態度を示したとのことであり、他にも何人かが続く可能性が取り沙汰されている（オリガルヒの一員と言えるかどうか微妙だが、チュバイスの出国も類似の意味を持つ）。これは人道的な考慮からの反戦論というわけではなく、経済制裁が彼らを直撃することに由来する実利主義的な批判と解釈すべきだろうが、財閥が政権を支える支柱の一つである以上、無視できない役割を果たす可能性がある。

　軍のなかでも動揺が始まっている可能性が取り沙汰されている。早い時期にセンセーションを呼び起こしたのは、退役将校のイヴァショフ（ロシア将校会議議長）が1月末にウクライナへの侵攻に反対する声明を発表したことである。その時点ではまだ戦争が始まっていなかったが、ひょっとして彼は事前に特別な情報をもっていたのかどうかは不明である。イヴァショフの軍内での影響力がどの程度なのかもよく分からず、これを直ちに軍全体の動向とみるのは性急かもしれない（なお、彼は後に将校会議の議長を解任された）。[91]いずれにせよ、これは愛国主義的な立場からの批判であり、いわゆるリベラルな立場のものではない。軍のなかの動揺が現時点でどの程度のものかを判断することはできないが、「早期の勝利」という展望を裏切って泥沼化が進行するなら、軍事的リアリズムからの批判が増大しておかしくない。さらに、ＦＳＢ（連邦保安庁＝政治警察）の中でも不穏な動向があるとの報道もある。その真偽は定めがたいが、軍にせよ治安機関にせよ、秘かな動揺が始まっている可能性はある（この個所は元来、2022年夏頃の観察を記したが、その後、戦況が思わしくない中で、軍事的リアリズムからの政府批判は改めて増大してきた模様である）。

　ロシア共産党の国会議員・地方議員の中からも反戦論が出ている。彼らは同党が「人民共和国」承認のイニシャチヴをとったのは平和のためであって戦争のためではなかったと主張しているとのことである。日本では、共産党は野党ではなくむしろ与党だという解説が盛んである。そういう風にだけいうのは過度の単純化であり、政権とときおり馴れ合う中途半端な野党（そういう野党は日本でも少なくない）と見るべきだろうが、とにかくそういう勢力の中からこのような声が出てきたというのは注目に値する事実である。これも、もとから政権と対決していた人たちだけでなく、むしろどちらかといえば政権を支えてきたような勢力の間での動揺を物語る。

　ロシア正教会の動きも注目に値する。正教は伝統的に国家と癒着しやすい体質をもっており、今回もキリル総主教はプーチンの戦争を支持する姿勢を明示した。しかし、そのことに対する下部での動揺が始まっているようであり、正教会がどこまで一体性を保てるかが怪しくなっている。ロシア国内の正教会でも動揺があるようだし、ロシア正教会の中で自治を持つウクライナ正教会〔ウクライナ正教会モスクワ総主教座〕ではロシア正教会への離反が公然のものとなった。

　全体として、欧米や日本で理解しやすいリベラルな立場からのプーチン批判は、知識人や青年層を中心とする少数派のものであるのに対し、むしろこれまでプーチンを支持してきた愛国主義的な立場の中から、戦争目的の不明確さとか、戦況の泥沼化による動揺が広がっている点が注目される。現実政治を左右するのは、こうした動きがどこまで広がるかによるのではないか。裏返していうなら、仮にプーチン政権が倒れることがあったとしても、その後にやってくるのはリベラル・デモクラシーの勝利ではない可能性が高い。

　開戦後まもない時期に意外なほど多数見られた戦争批判の声は、その後、統制強化の中でいったん下火となった。しかし、9月以降になると、戦況が思わしくなく、「部分的動員」が始まるといった情勢の中で、再び反戦あるいは厭戦の声が目立つようになった。戦争遂行のあり方が政権の思い通りに進んでいないことは、軍事リアリズムの観点からの政権批判や、より強硬な戦闘方針を要求するタカ派の声を生み出すなど、国内情勢も混沌とした様相を呈するに至った。

2　戦争の展開

　具体的な戦況は刻々と変わっているが、とりあえず2022年2月の開戦から約一年間の経過を簡単に確認する。

　2月下旬に始まった戦闘はロシア軍の総攻撃という形をとったが、それはすぐに行き詰まった。緒戦でつまずいたロシア軍は3月下旬にキーウ周辺から撤退し、東部および南部に兵力を集中するようになった。それまで空回りしていた停戦交渉も3月末のイスタンブール交渉で一定の前進が見えたと報じられ、交渉妥結の可能性が現われたかにも見えた。しかし、この交渉は具体的成果に結実せず、それどころか4月に暴露されたブチャ虐殺事件、ボロジャンカ事件で停戦ムードは一気に吹き飛んだ。

　この後しばらく東部と南部での激しい攻防が続き、しばらくはロシアが軍事的優位を示した。その象徴は、4−5月のマリウポリ市（ドネツィク州）完全制圧――とりわけ、ウクライナ側が立てこもっていたアゾフスターリ製鉄所の陥落――である。ロシアはこれによって、ドンバスの従来の支配地域とクリミヤ半島をつなぐ回廊を確保し、またアゾフ海の港湾を我がものとした。こうしたロシアの軍事的優位の理由としては、手を広げすぎた2月に比して東部・南部に兵力を集中したこと、この地域では他の地域に比べるなら相対的に住民の支持を獲得しやすい状況があったこと（但し、それはあくまでも条件付きの相対的なものでしかないが）、混乱していた初期の軍事指令系統を建て直したことなどが考えられる。

　しかし、7−8月には戦闘の主導権はウクライナ側に移りだした。ウクライナ側の反攻が成果を収めた背景として、ＮＡＴＯ諸国からの軍事支援が拡充される一方、ロシア側の武器は水準が低く、戦闘での損耗も著しいことが指摘されている。また、ドンバス2州に比べ他の東部・南部諸州（ハルキウ、ヘルソン、ザポリージャ）では「親露性」は相対的に低いから、ロシアは初期よりも戦線を狭めたにしても、住民の支持を得ることは難しい状況にあったと考えられる。ウクライナ軍は9月下旬にハルキウ州のほとんど全部を制圧し、ロシア軍は大敗を喫した。それにとどまらず、ウクライナ軍はヘルソン州、ルハンシク州などへと進出を続けた。ヘルソン州はドニプロ川の両岸にまたがるが、西岸はウクライナ側が制圧した一方、ロシア側は東岸を維持して反攻拠点とすることに努めている模様である。

　劣勢に追い込まれたロシアは巻き返しを図って、9月21日に部分的動員令を発し、23−27日にはドネツィク、ルハンシク、ヘルソン、ザポリージャの4州で住民投票を強行して、30日にはこれら4州の併合を宣言した。核兵器の使用も露骨に仄めかされるようになった。ロシア国内の動向として、「部分的動員」は、それまで戦争が自分に直接は関わらないと考えていた多くのロシア国民を愕然とさせた。都市部を中心に動員への反撥が広がり、国外脱出が急増した。このように反戦ないし厭戦の気分が高まる一方、政府の軟弱さや戦争指導の拙劣さを非難する右翼タカ派の言論も目立つようになった。この時期には正体不明の怪事件も続発した。ダリヤ・ドゥーギナの爆殺（8月20日）、ザポリージャ原発周辺への爆撃（8−9月）、ノルドストリームの海底パイプライン爆発（9月下旬）、クリミヤ橋での爆発と大火災（10月8日）等々である。

　10月以降、ロシアはクリミヤ橋爆発への「報復」と称して、ウクライナ各地へのミサイル攻撃を繰り広げた。10月19日には、併合された4州に戒厳令が施行され、それ以外の各地にも高度の警戒態勢がとられることとなった。ロシアは引き続きウクライナのインフラ施設を爆撃して、冬期における電力不足に追い込もうとした。こうしたロシアの空爆に対抗して、ウクライナ側はロシア領内の軍事基地へのドローン攻撃などを展開した。

　2022年末から23年初頭にかけては、バフムト（ドネツィク州）をめぐる攻防戦が激しく繰り広げられた。ロシア側はバフムト近郊のソレダルを制圧し、ソレダルからバフムトへの攻勢を強めた。この過程で、ロシアの民間軍事会社ワグネルが大きな役割を果たしたが、そのことは正規軍を率いる国防省とワグネルの対抗関係を表面化させ、ロシア指導部の内紛がささやかれる情勢が生まれた。ウクライナ戦線の総司令官に参謀総長のゲラシモフが任命されたことは国防省がその威信をかけて戦争のイニシャチヴを握ろうとしたものと観測された。当初容易に陥落すると目されていたバフムトがなかなか陥落せず、長期にわたる攻防戦が続いていることはロシア側の戦闘能力の限界を示すのではないかという見方も強まった（その後、5月半ばにいたって、ロシア軍はバフムトから後退しつつあるとの情報が伝えられた）。

　他方、ウクライナ側は反攻のための戦車供給をＮＡＴＯ諸国に求め、後者がこれにどう応じるかが注目を集めた。特に戦車供給元として重要な位置を占めるドイツは最初のうち、戦争の拡大に巻き込まれるのを避けようとして慎重姿勢を示していたが、2023年1月末に供給肯定論に転じた。アメリカも自己の戦車を提供すると発表して、ＮＡＴＯ諸国全体が足並みをそろえた。もっとも、新たな戦車をウクライナ兵が操作するには一定の訓練期間が必要である上、冬の末から春にかけての雪融けの泥濘のなかでは戦車が動くことが困難だとの指摘もある。実際、2022年末‐23年初頭の冬は、ウクライナでは異例な暖冬だったために雪が固まらず、戦車が動くことが困難な状況が続いた。ウクライナは戦車供給に続いて戦闘機および弾薬の供給を要請し、ＮＡＴＯ諸国がこれにどのように応じるかが注目されている。雪融けの季節が過ぎて道路が固まり、またウクライナ兵が新しい戦車や戦闘機操縦に習熟した5月頃から反攻が始まるのではないかとの観測が流れている一方、4月のアメリカ機密文書漏洩事件によって、ＮＡＴＯの支援を受けたウクライナの反攻戦略は予定の変更を余儀なくされたともいわれ、事態は混沌としている（その後、5月に入って、ゼレンシキーはいったん反攻の時期を遅らせる、この戦争は長期間続くと表明したが、まもなく反攻を展開して早期勝利を目指すという強気の態度へと転じた）。

3　現状と展望

　本稿執筆時点（2023年4月末‐5月初頭に脱稿）において、戦闘はおさまる兆しを見せておらず、停戦や和平への展望は開けていない。

　今後の展望に関しては様々な見解が提出されている。軍事面では、ロシア側の更なる攻撃拡大、逆にウクライナ側の大々的な反攻と領土回復、あるいは両者の力の均衡の中での停戦などといった可能性がささやかれている。ロシアの国内情勢については、国家統制の一層の強化を予測する人もいれば、民衆の反政府・反戦運動に期待を託す人もおり、あるいは政権内の分裂とそれに伴うプーチン退陣という予測も出されたりしている。あるべき停戦の方向性に関しては、これ以上の人命喪失増大を一刻も早く止めることを重視する議論がある一方、公正な平和に結びつかない停戦では意味がないとする考えもあり、後者の場合、何をもって「公正な平和」と考えるか、とりわけロシアをどこまで押し返せば目標達成とするかをめぐって意見が割れている（ここでの最大の問題はクリミヤに関わる）。こうして多様なシナリオが想定可能であり、将来像は未知というほかない。どのようなシナリオが現実化するにせよ、これまで検討してきた様々な問題が跡形もなく消え去るということはありそうになく、それらは形を変えながら持続すると想定される。そう考えるなら、本稿は短期動向の予測はできないにしても、今後のウクライナ・ロシア・世界を考える上でもなにがしかの意味を持ちうるのではないかと期待される。

　振り返って痛感するのは、本格的な戦争が始まった2022年2月に先立つ時期の情勢――直接には2014−21年、やや長くは冷戦終焉後の30年、さらにもっとさかのぼって長いソ連の歴史やあるいはロシア帝国の歴史――は、今回の戦争につながる背景としての意味を持つとはいえ、そうした背景が今回の戦争を絶対的な必然として宿命づけていたわけではないということである。そこには、いわば「連続性の基礎の上での飛躍」があった。よく取り上げられるプーチンの世界観にしても、それを実現するために戦争に訴えるほかないという論理的必然性があったわけではない。それに、結果的にみれば、戦争の開始はウクライナを反ロシアの方向に追いやり、東スラヴ諸民族の統一性を追求するプーチン的世界観の実現をむしろ遠ざけた。

では、どうしてこのような破滅的戦争――相手国に多大な惨禍をもたらすのみならず、自国民にも犠牲を強い、更に自らの政治目標にとっても狙いに背く結果をもたらした――を開始したのか。ここには大きな謎がある。一つの推測としては、内外の情勢が思わしくなく、支持率の趨勢的低下に直面していたプーチンが、2014年のクリミヤ併合時に生じた支持率急上昇と挙国一致状況を想起して、その再来を狙ったと考えることができるかもしれない[92]。与党の「統一ロシア」が十分堅固な組織を構築しておらず、支持率も下がっていることとプーチンの長期政権化・高齢化があいまって、近年のプーチン体制は組織的基盤を持つ権威主義よりもむしろ個人支配の性格を帯びるようになってきたが、そうした個人支配のもとで犯された判断ミスの所産が開戦の決断だったとも考えられる。

　いずれにせよ、いったん始まった戦争は、その前に存在していた背景状況の単純な延長上ではなく、質的に新しい局面を生み出した。もともとウクライナとロシアの間には近接性と異質性の両面があり、ウクライナ自体のなかにも「西向き」の要素と「東向き」の要素が共存していたが、そうした両面価値的な状況は、「敵か味方か」という二者択一を迫る戦争の状況のなかで存続困難となり、ひたすら「西」を向きロシアと敵対するウクライナ像が一挙に全般化した。19世紀ロシアの詩人プーシキン像がウクライナ各地で倒されたり、クリスマスを東方正教の伝統に則った1月7日ではなく西方式の12月25日に祝おうとする傾向は、少し前までのウクライナでは思いもよらなかった動きだが、ひたすら反ロシアが強調される風潮のなかでは、こうした新しい動きが「自然」と見なされるようになっている。

　国際面でいうなら、長らく中立政策をとってきたフィンランドとスウェーデンがＮＡＴＯ加盟を目指すようになり（フィンランドは2023年4月に正式加盟、スウェーデンはトルコの反対で未定）、日本が戦後長らく保持してきた「平和国家」論から離れて軍備増強に向かうなど、一種の地殻変動が進んでいる。もともとロシアとの関係の深かった中央アジア諸国やベラルーシさえも、戦争に巻き込まれることをなるべく回避しようと努めるなど、ロシアの孤立化傾向が目立つ（中国やいわゆる「グローバル・サウス」が欧米主導のロシア非難から距離を置いているのは、欧米諸国のダブル・スタンダードへの反撥が主であって、積極的にロシアを支持しているわけではない）。全体として、このたびの開戦はロシアを圧倒的に不利な国際状況に追い込んだ。しかし、そのことは単純にロシアの態度変更をもたらすわけではなく、むしろ「われわれは孤立しているからこそ、団結しなくてはならない」という心理を生み、ますます頑なな態度を強める方向に作用しているように見える。

　戦争の行方という観点から深刻なのは、大量流血と人命喪失という現実が自己増殖傾向を生み出したということである。犠牲が大きければ大きいほど、それに対する報復の欲求も強いものとなるし、犠牲を払って遂行した戦争は、「ここまで犠牲を払ったのに、中途半端なところでやめるわけにはいかない」という心理を双方の側に生み出した。「犠牲が大きいから停戦を」という声もないではないが、むしろ「払った犠牲に見合う成果が得られるまでは停戦できない」という考えの方が有力になっている。戦争のなかで双方とも疲弊し、戦闘能力の維持も難しくなっているが、それでも戦い続けるほかないという心理がこれまでのところ優勢であるように見える。

　この戦争がいつ、どのようにして収まるのか、そもそも収まりうるものなのかは、今のところ何とも言うことができない。ただとにかく、何とかしてあまり遠くない時期に平和と安定が回復すること、そしてそれまでに流される血の量ができる限り少なくてすむことをひたすら祈るほかない。

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[1] 帝政期から第2次世界大戦までの時期の諸側面に関する分析としては、中井和夫『ソヴェト民族政策史――ウクライナ、1917-1945』（御茶の水書房、1988年）が先駆的かつ古典的である。帝政末期からロシア革命直後の時期に関しては、村田優樹の一連の論文（「第一次世界大戦、ロシア革命とウクライナ・ナショナリズム」『スラヴ研究』64号（2017年）、「1918年のウクライナにおける国制構想と外交路線の相互関係――独立と連邦制」『ロシア・東欧研究』47号（2018年）、「ロシア革命期ウクライナにおける民族属人自治」『ロシア史研究』105号（2020年）、「革命期ロシアのウクライナ問題と近世ヘトマン領――過ぎ去った自治と来たるべき自治」『史学雑誌』130篇7号（2021年）、「二〇世紀初頭のウクライナ・ナショナリズムとロシア・ナショナリズム――「独立説」と「一体説」の系譜」『現代思想』2022年臨時６月増刊号）がある。ソ連時代初期からスターリン時代にかけては、テリー・マーチン『アファーマティヴ・アクションの帝国――ソ連の民族とナショナリズム、1923-1939年』（明石書店、2011年）が詳しい。

[2] ペレストロイカからソ連解体にいたる時期のウクライナについては、塩川伸明『国家の解体――ペレストロイカとソ連の最期』（東京大学出版会、2021年）第7章、第16章、第18-20章で論じた。本稿におけるソ連末期からソ連解体直後にかけての記述はこの拙著による（簡略な概観として、塩川伸明「ペレストロイカとウクライナ――ロシア・ウクライナ戦争の歴史的理解のために」『歴史学研究』2023年6月号掲載予定も参照）。

[3] この30年間を主たる対象とした稀な英語文献として、ダニエリの著作がある。Paul D'Anieri, Ukraine and Russia: From Civilized Divorce to Uncivil War, Cambridge University Press, 2019.この本は対象時期のウクライナ政治を丹念に追っており、独自の解釈枠組みを出している点でも興味深いが、その中には説得力の高い部分とやや一面的と感じられる個所が入り混じっている。そのため、本稿はある個所ではダニエリと見解を同じくし、ある個所では解釈を異にする。研究書とは別に、一般読者向けの概説書としては、アレクサンドラ・グージョン『ウクライナ現代史――独立後30年とロシア侵攻』（河出新書、2022年）があり、東西対抗図式（ウクライナはヨーロッパだが、ロシアは非ヨーロッパだとする）の観点から歴史を描き出している。

[4] 多くの先学に負うところが多いが、とりわけ松里公孝、大串敦両氏の名を挙げておきたい。もちろん、本稿の限界や欠陥は私だけの責任である。

[5] ソ連解体後のロシア政治30年間の流れについては、和田春樹編『（山川セレクション）ロシア史』下巻、山川出版、2023年、第12章を参照。また同書の補章では、ウクライナを含むロシア周辺諸国の動向を概観してある。

[6] 軍事力行使に関わる国際法は、開戦法規（jus ad bellum）と交戦法規（jus in bello）に大別される。前者は伝統的には「正戦論」の領域だったが、戦争違法観念が広がった後は、国連憲章でごく限定的に例外的な軍事力行使が認められるということになったので、具体的な軍事力行使がそれに合致するかどうかが開戦法規上の主要問題となる。他方、交戦法規は今日では国際人道法という形で体系化されている。国連憲章に体現される開戦法規に違反した軍事力行使が国際的に強く非難されるのはいうまでもないが、いったん戦争が始まった後は、開戦責任がどちらにあるかに関わりなく、どの当事者も交戦法規遵守が要請され、その違反は戦争犯罪として追及されるというのが国際法の建前である。もっとも、第二次世界大戦後に枢軸国は開戦責任（平和に対する罪）と戦争犯罪の両方が裁かれたのに対し、連合国側のおかした戦争犯罪（端的には原爆投下やドレスデン爆撃）が裁かれなかったことに示されるように、すべての当事者の責任を公平に問うのは極度に難しい。今回の戦争の場合、開戦責任は明らかにロシアだけにあり、「どっちもどっち」論の余地はありえない。他方、いったん戦争が始まった後の交戦法規違反（戦争犯罪）は、一般的な原則論としていえばロシア側・ウクライナ側双方が犯している可能性があり、どちらも批判される余地があるが、実際にそれを確定し、公平に責任を問うのは容易でない。2022年8月初頭にアムネスティ・インターナショナルがウクライナの戦争責任を追及する声明を発して物議を醸したことがあるが、これは防衛側といえども抽象論・原則論としては交戦法規遵守の義務を免れないこと、と同時に、戦争遂行中に事実関係を確定するのは容易でなく、特定の事例に関する戦争犯罪指摘が論争的なものとならざるを得ないことを物語る。9月下旬にウクライナを訪れた国連調査団は、ロシアによる多数の戦争犯罪とウクライナによる少数の戦争犯罪を確認したと伝えられる。さらに2023年3月には、国連人権高等弁務官事務所の調査結果として、ロシアでもウクライナでも捕虜の虐待･拷問･即決処刑があった（その際、ロシアの方が調査に非協力的である度合いが高く、掌握度が低いと推定される）と報じられた。とにかく本稿では、交戦法規違反（戦争犯罪）はさておき、開戦責任に関する限りロシアに一方的な非があるという前提から出発する。

[7] 私はかつて、冷戦期のＥ・Ｈ・カーが文字通りの意味で「親ソ」ではないが、あたかも「親ソ的」であるかに見える態度をとったことに触れて、「凶悪犯罪の容疑で起訴されている被告を、無実と信じるからではなく、『どのような被告であれ、公正な裁判を受ける権利がある』という信念から弁護する弁護士」にアナロジーしたことがある。そのような弁護活動が必要だというのは一般論としては当然のことだが、正当な弁護の域を超えた過度の擁護論に外見上近似し、多くの人からそのようなものとして受けとめられやすく、これは際どい綱渡りにも似た危うい作業だと記した。塩川伸明『民族浄化・人道的介入・新しい冷戦――冷戦後の国際政治』（有志舎、2011年）、313-316頁。今日の状況で、ロシアについて、無実と考えるわけではないが、それでも弁護人は必要だと唱えるのはこれと似た際どさを抱え込まざるを得ない。

[8] その当時の代表的な同時代的文献としては、中井和夫『ウクライナ・ナショナリズム』（東京大学出版会、1998年）がある（本書は2022年の開戦直後に緊急復刊されたが、内容的には一切手を加えないままの重版となっている）。同時代的観察である以上やむを得ないことながら、資料的基礎も今から見ると手薄であり、考察にも一面的なところがある。いずれにせよ、そこに描かれた状況がその後の推移とどのようにつながり、あるいはつながらないかを考えるのは、同書の後に残された課題である。ここでは特に、同書の副題にある「独立のディレンマ」が武力衝突のような形で爆発するという予感が述べられてはいないという点に注目しておきたい。

[9] Dominique Arel and Jesse Driscoll, Ukraine's Unnamed War: Before the Russian Invasion of 2022, Cambridge University Press, 2023, p. 1.ウクライナの社会学者イシチェンコも、ペレストロイカ期以降のウクライナの政治は種々の政治対抗をはらんでいたにもかかわらず、マイダン革命までは非暴力的･平和的なものにとどまっていたと指摘している。Volodymyr Ishchenko, "Insufficiently diverse: The problem of nonviolent leverage and radicalization of Ukraine's Maidan uprising, 2013-2014," Journal of Eurasian Studies, vol. 11, no. 2 (2020), p. 20.

[10] 当時の状況を象徴する言葉として、「ウクライナの大統領は東部で生まれ、西部で死んでいく」というものがあった。中井『ウクライナ・ナショナリズム』215-216頁。大統領選挙に際しては人口比の大きい東部・南部で主に集票した候補が勝利するが、いったん当選した大統領はむしろ西部寄りの姿勢をとることが多く、そうなると東部・南部の離反を招いて、次の選挙では苦戦するという構図を示した言葉である。

[11] ペレストロイカ期のウクライナに関しては、塩川『国家の解体』の関係各所、より簡略には『歴史学研究』2023年6月号掲載予定の拙稿参照。

[12] 3月17日のレファレンダム時には、ソ連維持への賛否を問う全国共通の設問の他にウクライナ独自の設問もあったが、後者の文言は「ウクライナが主権宣言の諸原則に基づいてソヴェト主権国家同盟の中にあるべきだとの考えに賛成か」というもので、やはり同盟内存在を前提していた。結果として、全国設問は約7割、共和国設問は約8割の賛成を集めた。塩川『国家の解体』1692-1696頁。

[13] Henry E. Hale, The Foundations of Ethnic Politics: Separatism of States and Nations in Eurasia and the World, Cambridge University Press, 2008, p. 151; 塩川『国家の解体』2094頁。

[14] 塩川『国家の解体』2094-2097頁。

[15] 独立からオレンジ革命期までの大統領選挙および議会選挙についての概括として、塩川『民族浄化・人道的介入・新しい冷戦』（有志舎、2011年）第5章。これはオレンジ革命直後に書かれ、資料的基礎も不十分で、その後の展開を見通すことができなかったという点で大きな限界を持つが、その当時のウクライナ政治の一通りの概括としてはそれなりの意義を今でも失っていないのではないかと思う。

[16] 藤森信吉「ウクライナとＮＡＴＯの東方拡大」『スラヴ研究』第47号（2000年）、同「ウクライナの「中立」は買えた――ロシア天然資源外交の興亡」アジア経済研究所『ＩＤＥスクェア』2022年6月）参照。

[17] 「オレンジ革命」後に西欧志向が強まった後でもＮＡＴＯに対しては消極的反応が優勢だったことは、イギリスの社会学者デイヴィッド・レインがウクライナの社会学者と協力して行なった調査データに示されている。Д. Лэйн. Оранжевая революция: "народная революция" или революционный переворот? //Полис, 2010, �� 2, с. 37-39, 45.また、D'Anieri, Ukraine and Russia, p. 161も参照。

[18] 塩川『国家の解体』646頁の表6参照。

[19] ペレヤスラフ協定（1654年）とは、ウクライナのコサック首領フメリニツキーとロシア・ツァーリの間で結ばれたもので、コサックに一定の自治を認めつつ、ロシアの宗主権下に入ることを定めた。後の歴史解釈として、ロシアではこれをもってロシアとウクライナの団結・連帯の象徴とするが、ウクライナ民族主義の立場からは、これは一時的な戦術的提携に過ぎないとされるというズレがある。

[20] この移管については様々な解釈があるが、当時は「ロシア＝ウクライナ友好の証」という一般的な言葉以外には明確な説明がなく、そのことが「フルシチョフの恣意的決定」という批判を招くもととなった。現代の研究者の間でも諸説あり、決定版的説明はないが、フルシチョフが権力闘争上の考慮からウクライナの指導者たちの支持獲得を求めたという解釈が比較的有力である。Mark Kramer, "Why Did Russia Give Away Crimea Sixty Years Ago?," Cold War International History Project e-Dossier, No. 47, 2014. 戦後初期の反ソ・パルチザン戦争がまだ収まっていなかった当時のウクライナに領土を「贈る」ことで民族感情の宥和を求めたという側面もありうる。 異なる見解として、Gwndolyn Sasse, The Crimean Question: Identity, Transition and Conflict, Harvard University Press, 2007も参照。

[21] 塩川伸明『民族と言語――多民族国家ソ連の興亡�T』（岩波書店、2004年）第3章。

[22] もっとも、クリミヤ＝タタール人の運動はいくつかの組織に分かれていて、一枚岩ではなかった。また、当時、ウクライナの政治家たちはクリミヤに足場をもたず、クリミヤ自治にもあまり関心をいだいていなかったが、ロシアとの対抗が高まる中でクリミヤ＝タタール人団体の一部に働きかけて同盟関係の構築に努めた。その結果、ある時期以降、ウクライナ人とタタール人が一体であるかの構図がつくられたが、それが全体を代表しているわけではない。塩川『国家の解体』1717-1724, 2088-2094,2223-2226頁。この後のクリミヤ＝タタール人の動向については後述。

[23] 黒海艦隊およびその母港たるセヴァストポリの軍事的価値をめぐっては諸外国の論者の間で議論があり、さしたる軍事的価値はなく、ロシアがこだわる必要はないはずだとする見解もある。しかし、ロシア国内では黒海艦隊およびセヴァストポリの確保を至上命題とする点でほぼ全般的なコンセンサスがあり、それはクリミヤ奪還論よりもずっと強かった。

[24] ロシアの法学者による解説として、П. П.Кремнев. Распад СССР: международно-проавовые проблемы. М., 2005参照。

[25] 1989年ソ連人口調査の典拠は、Национальный состав населения СССР. По данным Всесоюзной переписи населения 1989. М., 1991. 以下、他の個所も同じ。

[26] 2001年ウクライナ人口調査の結果は、http://www.ukrcensus.gov.ua/rus/results/nationality_population/nationality_popl1（2022年12月6日アクセス）。

[27] このことは多くの研究によって示されている。Ivan Katchanovski, "The Separatist War in Donbass: A Violent Break-up of Ukraine?" European Politics and Society, vol. 17, no. 4 (2016); John O'Loughlin, Gerald Toal & Vladimir Kolosov, “The rise and fall of 'Novorossiya': examining support for separatist geopolitical imaginary in southeast Ukraine," Post-Soviet Affairs, vol. 33, no. 2 (2017); Serhii Kudelia "Civil War Settlements and Conflict Resolution in the Donbas," in David Marples, (ed. ), The War in Ukraine's Donbas: Origins, Contexts, and the Future, CEU Press, 2022; Dominique Arel and Jesse Driscoll, Ukraine's Unnamed War: Before the Russian Invasion of 2022,Cambridg University Press, 2023など。

[28] Kudelia, "Civil War Settlements and Conflict Resolution in the Donbas," p. 208. ドンバスにおけるウクライナの連邦化要求はソ連解体の前夜にさかのぼる。塩川『国家の解体』2081-2082頁。

[29] 憲法および国制に関しては、松里公孝『ポスト社会主義の政治――ポーランド、リトアニア、アルメニア、ウクライナ、モルドヴァの準大統領制』（ちくま新書、2021年）第5章が詳しい。

[30] この間の経緯について、D'Anieri, Ukraine and Russia, pp. 160−165．

[31] ウクライナにおける教会政治については、松里公孝が各所で書いているほか、高橋沙奈美「危機の時代における公共宗教としてのウクライナ正教会」櫻井義秀編『アジアの公共宗教――ポスト社会主義国家の政教関係』（北海道大学出版会、2020年）、同「割れた洗礼盤――「ロシア世界」という想像の共同体とその終焉」『現代思想』2022年臨時6月増刊号、同『迷えるウクライナ――宗教をめぐるロシアとのもう一つの戦い』（扶桑社新書、2023年）など参照。

[32] なお、テリー・マーチンは30年代の飢饉について、「飢饉はウクライナ民族を狙い撃ちにした意図的なジェノサイドではない。しかしながら、飢饉で民族が全く何の役割もはたさなかったと言い切るのも間違っている」という微妙な書き方をしている。『アファーマティヴ・アクションの帝国』377-378頁。

[33] ＯＵＮとは、1929年にウィーンで結成されて主にポーランドで活動していた反ソ民族主義団体で、これが第2次世界大戦期にＵＰＡの母体となった。ウクライナにおける歴史と政治の問題については、松里『ポスト社会主義の政治』第５章、立石洋子「自国史像を分断させた記憶政策」『Voice』2022年5月号、橋本伸也「「紛争化させられる過去」再論――記憶の戦争から軍事侵攻への飛躍について」『世界』臨時増刊号（2022年4月刊）、浜由樹子「「歴史」をめぐる相克――ロシア・ウクライナ戦争の一側面」塩川伸明編『歴史から見るウクライナとロシア（仮題）』（東京堂出版、近刊）など参照。

[34] 第1次大戦後の講和でポーランドは広い領土を認められる代わりに内部のマイノリティ保護を義務づけられたが、ポーランド人の間には、これを「外圧で押しつけられた」とする反撥があり、ポーランド政府もその履行に熱心でなかった（1934年にポーランドは国際連盟に対して、マイノリティ保護条項の無効を通告した）。そのことが、在住ウクライナ人の反ポーランド意識をかきたてるもととなった。ポーランドとウクライナのナショナリスト間の衝突に関しては、Jeffrey Burds, "AGENTURA: Soviet Infomants' Netwoks & the Ukrainian Underground in Galicia, 1944-48," East European Politics and Societies, vol. 11, no. 1 (Winter 1997); Anna Wylegala, "Managing the difficult past: Ukrainian collective memory and public debates on history," Nationalities Papers, vol. 45, no. 5, 2017; 吉岡潤「ポーランド共産政権支配確立過程におけるウクライナ人問題」『スラヴ研究』第48号（2001年）など参照。

[35] ギャラガー・フェンウィック『ヴォロディミル・ゼレンシキー喜劇役者から司令官になった男』作品社、2022年、106頁。

[36] 政権支持率低下の一つのきっかけは2004-05年の社会保障改革にあった。2008年に世界的な経済不況がロシアに押し寄せてきたことは、それに拍車をかけた。

[37] なお、2022年にウクライナ戦争が始まった後のメドヴェーヂェフは、かつて「リベラル」なイメージを振りまいていたのを打ち消すためか、殊更にタカ派的な言動を繰り返すようになった。

[38] D'Anieri, Ukraine and Russia, pp. 133-134.

[39] ＥＵの独立調査委員会報告は、Independent International Fact-Finding Mission on the Conflict in Georgia（2009）.この報告をうけて、多面的な角度からの論評を収録したものとして、Caucasus Analytical Digest, No. 10 (2 November 2009) の特集があり、現地調査に基づく研究論文として、Kimitaka Matsuzato "The Five-Day War and Transnational Politics: A Semiospace Spanning the Borders between Georgia, Russia, and Ossetia," Demokratizatsiya: The Journal of Post-Soviet Democratization, vol. 17, no. 3 (2009）がある。

[40] グルジアでの政権交代を経て、ロシアによるワイン禁輸は解除され、直行便も再開するなど、国交回復への地ならしが進行した。もっとも、その後もグルジアとロシアの間ではギクシャクした関係が続き、全面的な正常化には至っていない。

[41] 「ルスキー・ミール」については、さしあたり、浜由樹子「ウクライナ侵攻のイデオロギー――５つの構成要素とその背景」『ロシア・東欧研究』第51号（2023年）、渡邊日日「遠い友への書簡――ウクライナ情勢・シベリア民族学・言語と民族と地理の問い」『ことばと社会』（三元社）第24号（2022年）など参照。

[42] アメリカの代表的なウクライナ政治研究者ダニエリは、全体的評価としてはヤヌコヴィチに辛いが、2004年に不正選挙で当選し損ねたヤヌコヴィチは2010年には公正な選挙で勝利したと書いている。D’Anieri, Ukraine and Russia, p. 172.

[43] Interview with Volodymyr Ishchenko, "Ukraine's Fractures," New Left Review, No. 87 (May-June 2014). ダニエリによれば、ＥＵ加盟に賛成42％、ユーラシア経済同盟加盟に賛成31％となっている（但し、ＥＵ加盟は日程に上っていなかった）。D’Anieri, Ukraine and Russia, p. 204。

[44] ゴルバチョフはロシア・ウクライナ・ＥＵの「トライアングル」を築くために交渉と調整のメカニズムを模索する必要があったのにＥＵはロシアと協力する機会すら拒み、この問題についてロシアを加えて話し合うことを一切拒否したと書いて、ヤヌコヴィチを擁護している。Михаил Горбачев. Остаюсь оптимистом. М., 2017, с. 366-369（ミハイル・ゴルバチョフ『我が人生――ゴルバチョフ自伝』東京堂出版、2022年、439-441頁）。またイシチェンコは、ウクライナの工業は自由貿易に耐える力を持っておらず、自由貿易は企業閉鎖と失業をもたらすから連合協定調印停止は正しかった、それにヤヌコヴィチは連合協定調印を停止しただけであって、ＥＵとの協力を拒否したわけではなかったとしている。Interview with Volodymyr Ishchenko, "Ukraine's Fractures," New Left Review, No. 87 (May-June 2014).

[45] 連合協定調印停止に至る経過は曲折しているが、D’Anieri, Ukraine and Russia, pp. 190-207が「安全保障のディレンマの経済版」という特徴づけでかなり詳しく書いている。

[46] Serhiy Kudelia, "Domestic Sources of the Donbas Insurgency," PONARS Eurasia Policy Memo, No. 351, September 2017, pp. 2-3.

[47] マイダン革命およびその後の紛争の経過については、多くの論者がそれぞれに異なった観点から書いている。管見の限り最も詳しいのは、D’Anieri, Ukraine and Russia, chap. 7;およびDominique Arel and Jesse Driscoll, Ukraine's Unnamed War: Before the Russian Invasion of 2022, Cambridge University Press, 2023, chap. 4である。その他、Interview with Volodymyr Ishchenko, "Ukraine's Fractures," New Left Review, No. 87 (May-June 2014); Katchanovski, "The Separatist War in Donbass”なども参照。邦語文献の例として、松嵜英也「ウクライナにとって「西欧」とは何か――独立後の外交政策の変遷を手がかりに」『外交』72号（2022年3-4月）があり、またマイダン革命支持の見地に立ったルポルタージュとして、マーシ・ショア『ウクライナの夜――革命と侵攻の現代史』（慶應義塾大学出版会、2022年）がある。

[48] 主な極右団体として「右派セクター」と「スヴォボダ（自由）」の二つが挙げられる。「スヴォボダ」の方が早くから政党として組織化されており、2009-10年の地方選挙では西部の3州で勝利を収めたばかりか、2012年の最高会議選挙では、極右性を薄めてみせる戦術のおかげもあって、得票率10.4%となって、はじめて議席を獲得した（37議席）。これに対して、「右派セクター」が明確な形で登場したのはそれよりもずっと遅かったが、そこに合流する種々の極右団体は古くからの根源をもっており、ネオナチ的イデオロギーや武装闘争論を特徴としていた。Serhiy Kudelia, "When Numbers Are Not Enough: The Strategic Use of Violence in Ukraine's 2014 Revolution," Comparative Politics, vol. 50, no. 4 (July 2018). 極右と区別される「野党」という場合、ティモシェンコの率いる「祖国」とクリチコの率いる「ウダル」が主として念頭におかれるが、「スヴォボダ」も最高会議に議席をもっていたことから、極右であると同時に「野党」の一角でもあるという二面性があった。

[49] 極右勢力の影響力については、非常に大きいと見るものから極く小さいと見るものまで多様な言説が乱立しているが、その背後には、多義的解釈を可能にする複雑な現実があった。Vyacheslav Likhachev, "The 'Right Sector' and others: The behavior and role of radical nationalists in the Ukrainian political crisis of late 2013 - Early 2014,” Communist and Post-Communist Studies, vol. 58, no. 2/3(2015); Volodymyr Ishchenko, "Far right participation in the Ukrainian Maidan protests: an attempt of systematic estimation," European Politics and Society, vol. 17, no. 4; Ishchenko, "The unique extra-parliamentary power of Ukrainian radical nationalists is a threat to the political regime and minorities," The Foreign Policy Centre, July 2018; D’Anieri, Ukraine and Russia, pp. 213-214; Kudelia, "When Numbers Are Not Enough,“; Katchanovski, "The Separatist War in Donbass” など参照。リハチョフは極右の役割を過大視すべきでないとするのに対し、イシチェンコは極右の役割を過小評価してはならないとしていて、両者の結論は対照的だが、個々の具体的事実認識においては共通点もかなりあり、両者は完全に相反するものではない。極右は実数としてはそれほど大きくなく、議会と選挙は彼らの得意領域ではなかったが、混沌とした政治情勢の中で強固な組織と独自武装部隊を維持したことは彼らの政治的発言力を実勢以上に大きなものとしたという点で多くの論者は一致しており、対立は力点の置き方および観点の違いにある。

[50] ＥＵとの連合協定がウクライナ経済にとって有利か不利かをめぐっては多様な意見があり、必ずしも大多数が賛成論で一致していたわけではなかった。しかし、そうしたプラグマティックな経済政策論から離れて、シンボリックな次元で《ＥＵ＝ヨーロッパ＝人類普遍の価値＝民主主義》というイメージが広められたことから、それが運動を鼓舞する主たるイデオロギーとなった。

[51] Arel and Driscoll, pp. 79-80; D’Anieri, Ukraine and Russia, p. 216.

[52] Arel and Driscoll, Ukraine’s Unnamed War, pp. 84-86; D’Anieri, Ukraine and Russia, pp. 216-217.

[53] Kudelia, "When Numbers Are Not Enough“が詳しい検討を行なっている。

[54] D’Anieri, Ukraine and Russia, pp. 218-219; Arel and Driscoll, Ukraine’s Unnamed War, pp. 89-90.

[55] D’Anieri, Ukraine and Russia, pp. 220; Arel and Driscoll, Ukraine’s Unnamed War, pp. 91-92.

[56] D’Anieri, Ukraine and Russia, pp. 220-222.

[57] この「革命」の背後にアメリカの手が作用していたという説（とりわけ当時国務次官補だったヌーランドの役割を重視）があり、論争を呼んでいる。当時ヌーランドらがキーウに赴いて反政府運動支援の立場から活動していたことは確かだが、それが全体情勢に決定的な影響を及ぼしたという証拠はない。

[58] 当時のクリミヤ情勢全般に関して、Arel and Driscoll, Ukraine’s Unnamed War, chap. 5; D’Anieri, Ukraine and Russia, pp. 226-227; Kimitaka Matsuzato, "Domestic Politics in Crimea, 2009-2015," Demokratizatsiya: The Journal of Post-Soviet Democratization, vol. 24, no. 2, 2016; 松里公孝「クリミアの内政と政変（二〇〇九‐一四年）」『現代思想』2014年7月号、同「クリミア問題――社会革命としての東部ウクライナ動乱、およびロシアの関与について」塩川伸明・池田嘉郎編『東大塾　社会人のための現代ロシア講義』（東京大学出版会、2016年）、同「クリミア後の世界――旧ソ連圏の再編とロシアの政策」｢岩波講座　現代4（グローバル化の中の政治）｣岩波書店、2016年など参照。

[59] この衝突については大きく異なった報道があり、実相を確定するのは難しい。確実なのは、ともかくある程度の衝突があったこと、それに関する実像・誇張・虚像の入り混じった情報が乱れ飛び、クリミヤ住民たちの間の恐怖心を高めたということである。Arel and Driscoll, Ukraine’s Unnamed War, pp. 104-106; Matsuzato, "Domestic Politics in Crimea, 2009-2015"; 松里公孝「クリミヤの内政と政変」97-98頁。

[60] 前者は、D’Anieri, Ukraine and Russia, pp. 225-226. 後者は、Matuzato, "Domestic Politics in Crimea,” p. 244.

[61] モスクワのイニシャチヴを重視するダニエリも、軍事作戦はよく準備されていてスムーズに進んだのに対して、政治的調整の方はもっと混乱していたと指摘している。D’Anieri, Ukraine and Russia, pp. 229-230、

[62] D’Anieri, Ukraine and Russia, p. 227.

[63] 前述のように1992年クリミヤ憲法はウクライナの中での独自の自治を定めていたが、キーウ政権によって無効を宣言されていた。従って、「1992年憲法回復に基づくウクライナ残留」とはキーウがウクライナの連邦化を認めるならという条件つきでウクライナにとどまることを意味していた。

[64] Arel and Driscoll, Ukraine’s Unnamed War, pp. 111-112.

[65] John O'Loughlin and Gerald Toal, “The Crimean conundrum,” Open Democracy, 3 March 2015 (https://www.opendemocracy.net/en/odr/crimean-conundrum/　(2022年9月11日アクセス).

[66] クリミヤ＝タタール人運動の分岐については、塩川『国家の解体』1719-1728, 2224-2226頁。

[67] トルコの世俗権力はクリミヤのロシア併合を認めない立場だが、宗務庁は事実上承認するという食い違いがある。Matsuzato, "Domestic Politics in Crimea, 2009-2015"; 松里「宗教とトランスナショナリズム――レニンゴル、沿ドニエストル、クリミアに共通するもの」六鹿茂夫編『黒海地域の国際関係』（名古屋大学出版会、2017年）、310-314頁参照。

[68]Горбачев. Остаюсь оптимистом, с. 335-383 （ゴルバチョフ『我が人生』402-457頁）参照。

[69] ヤン・マッティ・ドルバウム、モルヴァン・ラルーエ、ベン・ノーブル『ナワリヌイ――プーチンがもっとも恐れる男の真実』（ＮＨＫ出版、2021年）、101-112, 150-151頁、Marlene Laruelle, "Alexei Navalny and challenges in reconciling 'nationalism' and 'liberalism'," Post-Soviet Affairs, vo. 30, no. 4, 2014. 極右主導の「ロシアの行進」については、マルレーヌ・ラリュエル『ファシズムとロシア』（東京堂出版、2022年）96, 199頁参照。

[70] ドンバスの動きについては、Marples (ed.), The War in Ukraine's Donbas ; Arel and Driscoll, Ukraine’s Unnamed War, chaps. 6 and 7; Katchanovski, "The Separatist War in Donbass”; Kudelia, "Civil War Settlements and Conflict Resolution in the Donbas" ; Kimitaka Matsuzato, “The Donbass War: Outbreak and Deadlock,” Demokratizatsiya, vol. 25, no. 2, 2017;松里公孝「クリミア問題――社会革命としての東部ウクライナ動乱、およびロシアの関与について」塩川伸明・池田嘉郎編『東大塾　社会人のための現代ロシア講義』（東京大学出版会、2016年）、同「クリミア後の世界――旧ソ連圏の再編とロシアの政策」『岩波講座　現代4（グローバル化の中の政治）』岩波書店、2016年などを参照。

[71] 「ノヴォロシア」運動については、O'Loughlin, Toal, Kolosov , “The rise and fall of 'Novorossiya' “; Gerard Toal, Near Abroad: Putin, The West and The Contest Over Ukraine and The Caucasus, Oxford University Press, 2017, chap. 7; ロシアにおける「ノヴォロシア」イデオロギーについては、Marlene Laryuelle, "The Three Colors of Novorossiya, or the Russian Nationalist Mythmaking of the Ukrainian Crisis," Post-Soviet Affairs, vol. 32, no. 1, 2016; id., "Back From Utopia: How Donbas Fighters Reinvent Themselves in a Post-Novorossiya Russia," Nationalities Papers, vol. 47, no. 5, 2019参照。

[72] 小泉悠によれば「2014年8月、約4000人と推定されるロシア軍正規部隊がドンバスに投入され」た。小泉『現代ロシアの軍事戦略』132頁。

[73] Serhiy Kudelia, "Putin's Occupation Options for Ukraine: Keep or Trade?," PONARS Eurasia Policy Memo, No. 763, April 2022. この論文の主眼は、2022年には2014年と違って、ロシアの狙いはウクライナの完全な破壊にあるという理解が圧倒的で、武装抵抗論も高度の支持を得るに至っていたという指摘にある。

[74] このプロセスについては、Arel and Driscoll, pp. 147- 154.165-169が詳しい。

[75] ラリュエル『ファシズムとロシア』208-209頁。

[76] 最近の情勢のなかで、「アゾフ連隊は本当にネオナチか」という点が激しい言論戦の対象となっている。かつて彼らが実際にナチのシンボルを身につけていたことは、ロシア寄りの情報だけでなく、欧米寄りの情報でも確認されているが、もともと非公式な存在だった勢力がウクライナ内務省の国民親衛隊に組み込まれるなかで性格を変容させ、ロシアの宣伝に対抗するためもあって、ナチを連想させるシンボルを外すようになった模様である。そうした変容を前提すれば、その後のアゾフ連隊を「ネオナチ」というのは誇張ないしプロパガンダということになるが、かつてそういうものとして出発したことは否定しがたい。

[77] https://www.unian.info/politics/1043394-minsk-agreement-full-text-in-english.html　（2022年10月24日アクセス）。正式には「3者接触グループの協議結果に関する議定書」。ウクライナ寄りの観点からの解説として、Alina Cherviavtsova, “Hybrid War and Hybrid Law,” in Marples (ed.), The War in Ukraine’s Donbas参照。

[78] 現代ウクライナ政治の特徴に関する分析として、大串敦「脆弱な中央政府・強靱な地方政治――独立後ウクライナの政治構造と戦時体制の形成」塩川伸明編『歴史から見るウクライナとロシア（仮題）』（東京堂出版、近刊）。また、ウクライナの社会学者による示唆的な分析として、Interview with Volodymyr Ishchenko, "Towards the Abyss," New Left Review, No. 133/134 (January-April 2022).

[79] Christopher Miller, " Ukrainian Militia Behind Brutal Romany Attacks Getting State Funds," RFE/RL, June 18, 2018. (https://www.rferl.org/a/ukrainian-militia-behind-brutal-romany-attacks-getting-state-funds/29290844.html. 2022年9月20日アクセス).

[80] Arel and Driscoll, Ukraine’s Unnamed War, p. 189; Volodymyr Ishchenko, "The unique extra-parliamentary power of Ukrainian radical nationalists is a threat to the political regime and minorities," The Foreign Policy Centre, July 2018, p. 4; Interview with Volodymyr Ishchenko, "Towards the Abyss," New Left Review, No. 133/134 (January-April 2022), p. 22.

[81] 松嵜英也「二〇一四年以降のウクライナの安全保障認識」『ＵＰ』2022年11月号。

[82] ポロシェンコ期の記憶政策に関して、David Maples, "Decommunization, Memory Laws, and 'Builders of Ukraine in the 20th Century," Acta Slavica Iaponica, Tomus 39 (2018)が詳しい。また、赤尾光春「ロシア語を話すユダヤ人コメディアンvsユダヤ人贔屓の元ＫＧＢスパイ」（『現代思想』2022年6月臨時増刊号）は、全体的トーンとしてはプーチン政権を激しく糾弾するものだが、ポロシェンコ期の記憶法や非共産主義化についての批判的分析を含んでおり、それがプーチンの主張に｢一抹の真実｣を帯びさせたと指摘し、ゼレンシキーがそこから離れたことを高く評価している。

[83] Paul D'Anieri, "Ukraine's 2019 Elections: Pro-Russian Parties and the Impact of Occupation," Europe-Asia Studies, vol. 74, no. 7, published online: 29 September 2022, p. 14.

[84] 赤尾光春「ロシア語を話すユダヤ人コメディアンvsユダヤ人贔屓の元ＫＧＢスパイ」（『現代思想』2022年6月臨時増刊号）に詳しい。

[85] D'Anieri, "Ukraine's 2019 Elections.”また、Matsuzato, “The Donbass War”も参照。

[86] ジャーナリストの手になる一般読者向けのゼレンシキー論が何冊か邦訳されている。S・ルデンコ『ゼレンスキーの素顔――真の英雄か、危険なポピュリストか』（ＰＨＰ、2022）、R・ジャンテ、S・シオアン『ゼレンスキーの真実』（河出書房新社、2022）、G・フェンウィック『ヴォロディミル・ゼレンスキー――喜劇役者から司令官になった男』（作品社、2022）。これらは開戦後のゼレンシキーの奮闘を称賛する観点で共通するが、それ以前の軌跡における「汚点」と見なされる要素や疑問点にも大なり小なり触れている。それらは2022年2月の開戦を機に一挙に後景に退き、彼は全国民的団結の象徴となった。2019年に大統領となってから22年2月の開戦までの時期については、あれこれの疑惑がエピソード的に触れられているが、立ち入った分析はない。

[87] D'Anieri, "Ukraine's 2019 Elections"; Masatomo Torikai, “Growing localization and fragmentation of patronal politics: Ukrainian local elections since 2010,” Eurasian Geography and Economy, vol. 64, no. 3, 2023.

[88] リベラル左派の社会学者イシチェンコ――キーウ・モヒラ・アカデミーで学んだ後、キーウ工科大学で社会学を講じていた――は、2019年選挙ではゼレンシキーに投票したが、その後のゼレンシキー政権の変質によって国内活動が不可能になったとして、出国した（ロシアへではなく西欧へ）。Interview with Volodymyr Ishchenko, "Towards the Abyss," New Left Review, No. 133/134 (January-April 2022).

[89] 議席数とは別に、絶対得票率で見ると、「統一ロシア」の得票率は2007年をピークに、2011年、16年、21年と漸減傾向を示している。この間、世論調査における支持率も一貫して低下し続けた。多数議席の確保は小選挙区のおかげであり、支持率・得票率とも安泰ではない。

[90] 前述のように2014年には、ゴルバチョフとかナワリヌイのように、他の点ではプーチン政権に批判的な人たちもクリミヤ併合を支持したが、2022年には彼らはともに戦争に批判的態度をとった。別の例として、ポクロンスカヤ検事の例も挙げられる。彼女はウクライナのルハンシク州（当時はヴォロシーロフグラード州）で生まれたウクライナ人で、クリミヤで育ち、ウクライナの検察に勤めて、主にクリミヤで活動していた。2014年には、ロシアに移行したクリミヤ検察の長となり、いわば「ロシア側の人間」となった。2016年には「統一ロシア」に入党して、ロシア下院議員になった。その彼女が2022年の開戦を「悲劇」と呼んで、左遷されたことは大きな注目を浴びた。

[91] イヴァショフについて、ラリュエル『ファシズムとロシア』172-173頁参照。

[92] 塩川伸明「2014年と2022年」『ユーラシア研究』第67号（2023年）参照。