矢澤修次郎『アメリカ知識人の思想』
一
アメリカの社会科学にはあまり通じていない私だが、その中における亡命者の役割や、ある時期に社会主義・マルクス主義の洗礼を浴びたことのある人の位置といった問題については、かなりの関心をいだいてきた。
そうしたテーマについて書かれた文献も相当の数にのぼるが、その一つに、コーザーの『亡命知識人とアメリカ』がある(1)。一九三三年のナチ・ドイツ政権成立から第二次世界大戦終了までの時期に、主にドイツ・オーストリアからアメリカに移住した知識人たち(著者自身もその一人)の群像を描いたものである。これを読むと、実に綺羅星のごとくに、各界著名人が並んでいることに強く印象づけられる。クルト・レヴィン、ヴィルヘルム・ライヒ、エーリヒ・フロムといった心理学者・精神分析学者に始まり、フランクフルト学派、アルフレッド・シュッツ、カール・ウィトフォーゲルなどの社会学者・社会思想家、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス、アレクサンダー・ガーシェンクロン、アルベルト・ヒルシュマン、カール・ポラーンニー、ピーター・ドラッカー等々の経済学者、ハンナ・アーレント、フランツ・ノイマン、レーオ・シュトラウス、カール・ドイッチュ、ハンス・モーゲンソーらの政治学者、ヘルマン・ブロッホ、トーマス・マン、ウラジーミル・ナボコフに代表される作家たち、ローマン・ヤーコブソンをはじめとする人文学者たち、そしてルードルフ・カルナップ、アーロン・ギュルヴィチ、パウル・ティリヒらの哲学者・神学者たち等々である(多様な民族の人を含むので人名をどう表記すべきかも難しい問題だが、ここではコーザーの邦訳書のそれに従った)。
コーザーの本では、主たる対象が一九三〇年代のドイツ・オーストリア系亡命者に限定されているが、より広くいえば、ロシア革命とその直後の混乱、ナチ政権成立、第二次大戦前後の混乱という世界史の激動のなかで、西欧・東欧・ロシアからアメリカに、様々な形での亡命者・移民(2)が大量に流入し、その中には多くの社会科学者が含まれた。なお、実はコーザーの本でも、ナボコフやヤーコブソンのように、元来はロシアからの亡命者だった人々も含まれているが、これはロシア革命直後の時点ではヨーロッパに亡命し、ナチ政権成立後にアメリカに亡命したためである。
私の専門に多少引きつけていうと、ロシアからの様々な時期における亡命者・移住者(エスニックにはロシア人ではなくユダヤ人である場合も多い)も実に多彩であり、「アメリカ社会思想史におけるロシア系移民の役割」といったテーマが成り立ちそうな気がする。レーニンに「ピチリム・ソローキンの貴重な告白」(一九一八年)という論文を書くきっかけを与えた社会学者のピチリム・ソローキンはハーヴァード大学の社会学教授となり、アメリカ社会学の一つの重要な源流となった(彼はペレストロイカ期以降、ロシアで広く関心をもたれるようになった)。法社会学者のニコラス(ロシア風にはニコライ)・ティマシェフ、労使関係論のセリグ・パールマン、先に名を挙げた言語学・記号学のヤーコブソンその他、アメリカおよび世界の学界に大きな影響力をもった人は少なくない。彼らの中には、ボリシェヴィキ政権への強烈な対抗意識をいだいていた人が多いが、社会主義・共産主義を肯定するにせよ否定するにせよ、ともかく強い関心をもち、少なくとも無頓着ではいられなかったという点が私の関心を引く。
あまり広く知られてはいないが、興味深い一例として、経済学者のアレクサンダー・アーリック(ドイツ風にいえばエールリヒ)という人がいる。彼の母方の祖父は、高名なユダヤ史家のシモン・ドゥブノフであり、父はブンド(ロシア帝国のユダヤ人社会主義組織)指導者のヘンリク・エールリヒである。彼自身は、一九一二年ペテルブルグ生まれで、一九一七年のロシア革命のときには小さな子供だったが、当時のことをおぼろげに覚えているという。ロシア革命後、ブンドに属していた父親はソヴェト政権下にはとどまらず、元来の出身地たるポーランドに移住した。アレクサンダー(ロシア風にはアレクサンドル)は高等教育をベルリンで受け、ドイツ社会民主党の青年組織にも加入したが、ナチ政権が成立したためポーランドに戻った。一九三九年の九月にエールリヒ一家はドイツによる占領を逃れてポーランドの東部に移動したが、今度はそこにソ連軍が侵攻してきた。父のヘンリク・エールリヒは、ブンド活動家として名を知られていたためにソ連当局によって逮捕され、一旦死刑判決を受けたが、独ソ戦開始後、イギリスやポーランド亡命政権の要請で釈放され、国際的ユダヤ人・反ファシズム委員会創設の提唱者となった。しかし、結局、ヘンリクはソヴェト政権により再逮捕され、処刑された(獄中自殺説もある)。他方、息子のアレクサンダーはたまたま父と一緒にいなかったことが幸いして、逮捕を免れ、ソ連領内を東へ移動して、極東から日本経由で太平洋を渡ってアメリカに移住した。父がソヴェト政権によって処刑されたと知ったのは、しばらく経ってからのことだった。一時脱力していた彼は、やがて気を取り直し、ニューヨークのニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチで改めて勉学をやり直した。こうして一九五〇年代に書き上げた博士論文を単行本として六〇年に刊行したのが『ソヴェト工業化論争』である。アーリックのこの本は、この分野の古典ともいうべき先駆的な業績で、実は、私もソ連史を学びはじめたとき最初に読み、卒業論文の種本とした研究書の一つである。そのときは、著者がそういう経歴の人だとは知らずに、単にアメリカの学者の本として読んだのだが、後に経歴を知って感慨を新たにした。彼はロシア系亡命者にしては珍しく反共的な立場に移行することなく、最後までアメリカ政治においてはリベラルを支持していたという(一九八五年に死去)(3)。このようなことを知ると、アメリカの研究というものが、ただ単に物的条件に恵まれ、知的才能をフルに発揮できる環境があるということからだけ生まれたのではないということを痛感する。
ヨーロッパからの亡命者の中には、種々の潮流のマルクス主義者も多数含まれていた。最も著名なのは、コロンビア大学に一時的避難所を見いだしたフランクフルト学派(後にロスアンジェルスに移動)である。同じくニューヨークには、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチの中に「亡命者大学」がつくられ、ナチ政権成立で職を失ったドイツ・オーストリア系の学者に研究の場を提供したが、ここにも多くの(元)マルクス主義者が集まった(4)。亡命メンシェヴィキが本拠をベルリンからニューヨークに移していたことも、ニューヨークの知的生活に一つの刺激を与えた。メンシェヴィキの主だった指導者の多くがコロンビア大学のすぐそばに密集して住んでいたということを、私はコロンビア大学留学中に聞いたことがある。
そうした亡命者の知的活動の刺激もあって、アメリカの知識人の間でも、ある時期には社会主義の問題がかなり大きな位置を占めていた。何となくアメリカの社会科学というと、社会主義ともマルクス主義とも無縁という一般的イメージがあるが、案外そうでもなかったのである。もちろん、そこではいわゆる正統派マルクス=レーニン主義が中心だったわけではない。むしろトロツキスト系とか、メンシェヴィキ系といった人たちが大きな比重を占めており、社会主義の理念とスターリンのソ連の現実との対照が深刻な問題として意識されていた。また、後にマルクス主義から離反していった人も多い。こういうわけで、マルクス主義との関連はそう単純一筋縄ではないが、それにしても、ともかく一時期は社会主義の実践やマルクス主義の理論的刺激を受け、それが後の知的活動に何らかの影響を及ぼしたという事実が興味を引くのである。
二
さて、社会学者の矢澤修次郎の手になる本書によれば、有名な社会学者のセイモア・マーチン・リプセットも、フィリップ・セルズニックも、ルイス・コーザーも、一時期トロツキスト系の政治運動にコミットしていたし、『イデオロギーの終焉』や『脱工業化社会の到来』で名高いダニエル・ベルはメンシェヴィキ的な政治運動から出発していた。このうちのベルについては、あれほど熱心に「イデオロギーの終焉」を説くのは、彼自身がある時期にイデオロギー的な政治にコミットした経験をもつからだろう位のことは想像がついていたが、それ以上のことは知らなかったし、リプセットとかセルズニックが「トロツキスト」だったというのは全く予想外だった。
彼らが非共産系左翼運動へのかかわりをもったのはいくつかの要因による。ニューヨークという場の特性もその一つだし(但し、本書では、先に触れた亡命メンシェヴィキのニューヨーク居住については述べられていない)、移民が多いという点も影響しているだろう。セルズニックはアメリカ生まれだが、両親はそれぞれルーマニアとロシアからの移民であり、コーザーはドイツからフランスを経てアメリカに渡ったユダヤ人、そしてベルの父は東欧からのユダヤ人移民である。つまり、本書でいう「ニューヨーク知識人」のかなりの部分が移民・亡命者ないしその子供であり、ユダヤ人が相当の比率を占めるわけである。
このような事柄について私は以前から強い関心をもっていたので、相当高い期待をもって本書を読んだのだが、率直な読後感をいえば、かなりの不満がある。そもそも本書は論文集ではなく書き下ろしということになっているが、それにしては構成の緊密さと完成度に欠ける。
例えば第二章のアメリカ・トロツキズム運動史は、「ニューヨーク知識人」の知識社会学という観点からいえば一つの背景に過ぎないはずなのに、不必要に立ち入った印象がある。アメリカ・トロツキズムは、ある時期にはかなりの影響力をもったとはいえ、結局のところは有意な政治勢力になることができなかったし、本書のテーマたる社会学者たちの知的営為にとっても一つの経過点以上の意味はもたなかった。何のために、そうした運動にこれだけの紙数を費やしたのか、疑問が残る。確かに、アメリカにもトロツキズム運動があったということ自体は、あまり知られていなかった興味深い事実ではあるが、もしそれを主題にしたいのなら、本書のような知識社会学の書物の中の一章としてではなく、独立した社会主義運動史として書く必要があったろう。私自身はアメリカ社会主義運動史には不案内だが、他の国の社会主義運動史の文献をたくさん読んできた経験からいえば、この章におけるトロツキズム運動の叙述は、単なる事実と主張の紹介にとどまっており、分析に欠ける。つまり、本書の主題への背景説明としては不必要に長く詳しいが、それ自体を主題として考えるには短かすぎて、分析的でなく、いずれにしても中途半端なのである。
主題としてのニューヨーク知識人についても、一人にしぼった伝記的研究ではなく「群像」として描くのならば、もっと多数をとりあげてほしかった気がする。例えばリプセットは極めて著名で影響力も大きい政治社会学者だが、そのような人が若い時期にトロツキスト運動に関与していたというのは非常に興味をそそられる事実である。にもかかわらず、彼については軽い言及しかない。また、共産党系の運動にコミットしていたアルヴィン・グールドナー(彼が共産党系だったというのも初耳だった)については序論で一言触れるにとどまっている。これは対象を非共産系左翼にしぼったためだが、トロツキストにせよメンシェヴィキにせよ、その立場に長くとどまったのではなく、一つの経過点に過ぎなかったのであれば、そうした潮流と共産党系とを特に峻別する必要はなかったのではないか。もちろん、教条的な正統左翼はあまり知的好奇心を引く対象ではない――もっとも、そういう人についても、新しい角度からとりあげれば、案外面白い研究ができるかもしれないが、その点は今は措く――が、グールドナーはそういう人ではないだろう。歴史家のリチャード・ホフスタッター、社会学者のC・W・ミルズ、歴史家のガブリエル・コルコらの名前もちょっとだけ登場するが、正面から論じられてはいない。主要登場人物とかなりの接点をもつエドワード・シルズ、バリントン・ムーアなどについての詳しい説明もない。フランクフルト学派については第一章で触れられるのみで、一時期ニューヨークにいたにもかかわらず、「ニューヨーク知識人」との交流については立ち入った言及がない。
もっとも、本書の後で読んだのだが、同じ著者の別稿では、リプセットとグールドナーが論じられている。そこでは、本書同様に、ニューヨーク知識人と「トロツキズム問題」――なぜ労働者階級はその歴史的使命を果たせず、スターリン主義のくびきをかなぐり捨てなかったのか――の関係も触れられていて、興味深いアメリカ社会思想史の断面になっている(5)。こうした旧稿の問題提起をもっと膨らませて、本書の中に統合していれば、まさに「群像」という副題にふさわしい書物になったのではないかと思われる。
三
結局、本書で主要に論じられているのは、セルズニック、コーザー、ベルの三人である。この三人については確かに教えられるところが大きい。主人公というわけではないが、バーナムと経営者革命論をめぐる論争も、ソ連認識と現代資本主義認識の密接な関連という問題を提起していて、示唆されるところが多い。またセルズニックは、法社会学からコミュニタリアニズム(共同体論)へという軌跡を描いたということだが、コミュニタリアニズムは今日の主要思想潮流の一つであるだけに、本書の対象が過去の思想史にとどまらない現代的意味をもつことが感じられる。
第二次大戦後の反共主義とその中におけるアメリカ自由文化会議の役割についての叙述も面白い(二四六‐二五九頁)。ベル、シルズ、リプセット、ガルブレイス、ケナンらが大きな役割を果たした自由文化会議は、確かに反共主義の立場に立っていたが、マッカーシイズムに対しては批判的な態度をとっていた。マッカーシイズムはかえって共産主義との効果的な闘争を妨げるというのが彼らの考えだった。こうしてリベラルと右派の分岐が生じ、右派と区別される反共リベラリズムが確立したというのである。同時期の日本では、反共イコール右派という図式があり、リベラル知識人はたとえマルクス主義者でなくても親共的――といって語弊があるなら、少なくとも「反・反共」的――だったのとこれは対照的である。こうしたズレのために、日米の知識人の間には長らく議論のスレ違いがあったように思われる。ベルのマッカーシイズム分析(二六一‐二六三頁)も、少なくとも私にとっては新鮮で興味深いものだった。
とはいえ、これらの知識人を描いた本書の中心部分にも、私としては若干の不満がある。
私見では、知識人を描くやり方には二通りの方法があるように思う。一つは、社会思想史的な方法、つまり本人がどのような社会的・歴史的条件下で生きたかを重視し、それとのかかわりで知的営為を分析するやり方である。もう一つは、学説史ないし理論史的な方法で、社会的背景はひとまず措いて、知的活動それ自体を主要に論じるものである。後者は「内在的」思想史と言い換えてもよいが、前者については、「外在的」と特徴づけて片づけるわけにはいかない。単純な「土台‐上部構造」論に立った、昔なつかしい教条マルクス主義的な社会思想史であれば、「外在的」といって差し支えないだろうが、ここで念頭におくのはそういうものではなく、「外的」条件に対して本人がどのように立ち向かったかを考察し、「外部」と「内部」の交錯のあり方を跡づけようとするものである。
これらを比べてみると、単純に「外在的」な思想史は、いうまでもなく最も安易である。主人公の生きた時代の政治・経済・社会などの動向を描けば、それが直ちに思想を説明することになるからである。「内在的」な理論史は、それよりは難しいが、その分野の理論にある程度通じている人なら、何とか書ける。主題とする人の著作を丁寧に読み、その内容を紹介し、他の論者との対比などを通じてその特徴を明らかにすればよい。これに対して、「外部」と「内部」の交錯を描くのはおそらく最も難しいだろう。これを描くためには、主人公の生きた時代の社会状況を――それも一般論的・マクロ的にではなく、まさにその人が直面したミクロな環境に即して――深く理解しなくてはならないし、それと同時に、その人の公刊著作ばかりか、私的文書(日記や手紙)を読んだり、関係者にインタヴューしたりして、その人を内面から本当に深く理解しなければならない。そうした資料がなければどうしようもないし、仮にそれらの資料を手にしたとしても、著者が明示的に語っていない――あるいは本人自身も意識していないとか、語りたくない――領域に分け入って、社会的状況に著者がどのように立ち向かったかを解明するのは、相当な困難事だろう。誰を主題としてとりあげるかにもよるが、不可能に近いかもしれない。見事に「外部」と「内部」の交錯を描いた思想史を読みたいとは思うが、滅多にそういう作品にはお目にかからない。私自身、もしそういったものを書けたら最高だとは思うが、おそらく一生できないだろうと感じていることも告白しておこう。
さて、本書はこれらのどれに属するだろうか。序論や第一章の問題提起は、社会思想史的なものを目指すかにみえる。第二章は、単純に「外在的」な思想史を書こうとするのではないかという懸念をいだかせる。しかし、その後の部分は、むしろ理論史ないし学説史的な性格を帯びている。部分的には社会思想史的要素も含まれてはいるが、十分掘り下げられておらず、徹底していない。
全体として本書の叙述は、事実の平板な記述や著作の内容の淡々とした紹介が大部分を占め、あまり分析的でない。紹介されている主張に対する著者の評価もあまり明らかには述べられていない。それでいながら、突然、「ニューヨーク知識人は共産主義に対して正しい立場を獲得していたと同時に、モダニズムの重要性に関しても正しい立場を持っていた」などという文章が出てくる(二八九頁)と、いささか驚かされる。それまでの個所で評価基準の問題を論じていないにもかかわらず、「正しい立場」などということがこんなに安易にいえるというのは不思議である。第六章の末尾にある、「現代における社会主義の伝統を継承するもの」、「ベルは一貫して社会主義のプロジェクトを追求し続けている」という記述(二八二頁)も唐突で、飲み込みにくい。他の個所の叙述はむしろベルの社会主義離れをこそ示しているのではないだろうか。
こうして、突っ込んだ分析が欠けている上に、飛躍した判断が断片的に示されるために、書物の全体としての狙いも、あまりはっきりしない。著者の意図については、本書の「はしがき」の末尾に、次のような記述がある。
「専門職、技術職としての知識人が圧倒的に優位に立つ現状に照らしてみれば、本書は明らかに『過去』について語ったことになる。しかし本書は、過ぎ去りし牧歌的な『過去』にあこがれて書かれたものではない。来るべき『情報社会』における知識人と社会学に関心があったればこそ、この『過去』について語ったつもりである」。(はしがき、iv頁)。
この文章は共感を呼ぶ。私は、本書のテーマ自体にも関心があったが、はしがきのこの一句に惹かれて本書を買ったのである。しかし、通読してみて、期待はかなり裏切られた感じをもった。右の一文に対する回答らしきものが本文のどこにも見当たらなかったからである。
かなり辛口の批評ばかり述べてきた。それというのも、私が本書のテーマに強い関心を寄せ、高い期待をもっていたからである。本書はそれに十分答えてはくれなかったが、しかしもちろん、いくつもの興味深い情報と考えるヒントは与えてくれた。そうしたものを提供してくれればそれで十分というべきであり、私の幻滅は無理な要求に発する「ないものねだり」なのかもしれない。
四
冒頭でも触れたが、アメリカの社会科学の中に、亡命者による知的刺激を一つの要因として、社会主義・マルクス主義への高い関心――否定や懐疑も含めて――があったということは、興味深い事実である。そうした要素があったからこそ、戦後アメリカの社会科学は平板なものにとどまることなく、活気ある仕事を生みだし続けることができたのではないだろうか。
ところが、近年、そうした活気のもととなる外的刺激が少なくなったのではないかという気がしてならない。一つには、ロシア革命からナチ政権成立を経て第二次大戦にいたる数十年間のような亡命者の太い流れがヨーロッパからアメリカに入ることが少なくなった(その代わりに、アジア系移民が大きな役割を果たすようになったようにもみえる。この点については別に考える必要があるかもしれない)。またもう一つには、社会主義やマルクス主義について、かつてのような緊張感がなくなって、「深く考えるに値しない、下らないものに決まっている」と頭から決めつけることが容易になったようにみえる。
こうして、亡命者および社会主義イデオロギーという二種類の「異質なるもの」の流入およびそれとの対決が比重を低めた結果、「アメリカ的自由」を人類普遍のものと無意識に想定することが容易になってきているようにみえる。この発想は一種の自文化中心主義(エスノセントリズム)だが、にもかかわらず、そうした発想が日本や、最近は旧社会主義国の社会科学者にも伝染しつつある。旧社会主義圏の経済に関し、新古典派経済学に基づく開発経済学の処方箋を安易に適用したり、政治体制移行について、欧米型民主主義を固定的な目標点と想定した「比較民主化」論が流行(はや)ったりするのはその例である。私はアメリカ社会科学を毛嫌いしているわけではなく、多くを学んでいるつもりだが、こうした外的刺激の弱化とそれに伴う自己満足的傾向の増大は、やや危険な兆候ではないかという気がしてならない。
(1)ルイス・コーザー『亡命知識人とアメリカ』岩波書店、一九八八年。
(2)厳密には、「亡命」という言葉は政治的亡命に限定されるべきであり、それ以外の移住者(移民)と区別されるべきだが、その区別が曖昧にされていることも多い。ここでも、この使い分けにあまり神経質にならないことにする。
(3)アーリックの経歴に関しては、主に Padma Desai, "Alexander Erlich: Biographical Sketch," in Padma Desai (ed.), Marxism, Central Planning, and the Soviet Economy: Economic Essays in Honor of Alexander Erlich, The MIT Press, 1983 を参照した。なお、父ヘンリク・エールリヒについては、P・スドプラトフ、A・スドプラトフ『KGB 衝撃の秘密工作』下、ほるぷ出版、一九九四年、一〇四‐一〇七頁、およびツヴィ・ギテルマン『葛藤の一世紀』サイマル出版、一九九七年、二一一‐二一二頁に言及がある(後者の二一八頁には写真もある)。
(4)コーザー、前掲書、一一〇‐一一九頁。
(5)矢澤修次郎「アメリカ社会学と現代思想」『現代思想』一九七六年一二月号。
*矢澤修次郎『アメリカ知識人の思想――ニューヨーク社会学者の群像』東京大学出版会、一九九六年
(一九九六年九‐一〇月)