武田泰淳『政治家の文章』/和田春樹『テロルと改革』
 
 
 ずいぶんと性格の異なる二著を並べたが、これは、私が『政治家の文章』を読むきっかけとなったのが『テロルと改革』にあったという事情による。そこで、先ず後者から取り上げよう。
 和田春樹の『テロルと改革』は、ロシア皇帝アレクサンドル二世暗殺(一八八一年)前後の時期を対象とし、帝政政府内でロリス=メリコフ内務大臣によって準備されつつあった国政改革案が最終的に挫折に至る過程を描いた作品である。ロシアについて専門家でない人たちの間で通俗的に広まっているイメージでは、帝政ロシアというのはどうしようもなく停滞した古くさい帝国で、それ故に一挙に革命によって瓦解せざるをえなかったのだという風に捉えられがちだが、実際には、ロシア帝国にも種々の改革の試みがあった。そのなかでも最も大胆な試みの一つがロリス=メリコフによるものであり、これを著者は「専制の制限、立憲制に道を開くための方策、政治改革のための突破口となる措置」と特徴づけている(二〇五頁)。そのような改革案が皇帝によって裁可され、まさに実現に移されようとしたちょうどそのときに皇帝が暗殺され、その後の政府内での力関係の変動によりロリス=メリコフは辞任を余儀なくされ、その改革案は実施されないままに終わった。いわば、きわめて惜しいチャンスだったというのが本書から浮かび上がるイメージである。そうした改革案が粘り強い支持調達工作によって遂に現実化しようとするところまで行きながら、一挙に逆転して挫折に至るという起伏に富んだ上層部での政治過程を一方におき、他方に革命党「人民の意志」によるテロリスト活動の軌跡を配することで、この時代をきわめてヴィヴィッドかつドラマティックに描き出したのが本書である。
 和田春樹がロリス=メリコフ論というテーマで最初に長大な論文を発表したのは一九六二年、著者二四歳の時のことであり(1)、それ以来、中断を挟みながらも長期にわたって同じテーマを暖め続け、四三年後の二〇〇五年、著者六七歳の年に、単行本として本書が刊行されたわけである。もちろん、その間には資料状況および研究状況の大きな変化があり、そうした新しい条件下で、和田が直接交流するロシアの歴史家(イテンベルグおよびトヴァルドフスカヤ)との競作のような形で新著が書かれたのだが、それでいながら、「あとがき」には次のような一句がある。
 
「ロリス=メリコフを見る私の目に根本的な転換があったということはない。私は四三年前の論文から救える文章は極力そのまま使って叙述を進めた。新しい多くの資料は叙述を生彩あるものにするのに役だったが、評価を変えることには導かなかった」(三二五頁)
 
 ここに表白されているのは、四〇年以上も前の若い時期(大学卒業後わずか二年しか経っていない!)に既に十分な洞察力を持っていたという自負だろうか、それとも、長い時間をかけ、大量の新資料を駆使したにもかかわらず、根本的な見解の変化をもたらすような新発見をすることはできなかったという後悔の念だろうか、あるいはまた、原資料の発掘というものは「叙述の生彩」には関わるにしても「評価」の変化と直結するとは限らないという一般論の確認だろうか。そのいずれでもあるような気がする。資料・時代状況・歴史研究の相互関係について、いろいろな思いを誘発される。
 私自身が和田の一九六二年論文を読んだのは、今では記憶もおぼろげになっているが、七〇年代半ばくらいのことだったと思う。当時の私はソ連史研究を志してまもない段階であり、そもそもロリス=メリコフなる人物がどういう人なのかもよく知らなかったから、やたらと細かく詳しい論文だなという感想くらいしか浮かばず、このテーマにどういう意義があるのか、まるで見当もつかなかった。唯一、「タクト」という言葉(2)に印象づけられた程度である。その後、この時期については専門研究の対象としないながらも、多少は一九世紀ロシア史の関連文献を読む経験を積む中で、ロリス=メリコフおよびその時代のことが少しは見当がつくようになり、また彼がアルメニア人だという事実には特に関心を引かれるようになった(今回の新著でも、イブラギーモワの研究によりつつ書かれたカフカース戦争への関与の部分には特に興味を引かれた)。ペレストロイカ期には、ソ連の新聞に載ったある評論が、アレクサンドル二世暗殺がロリス=メリコフの改革を挫折に追いやってしまったことを指摘して、「全てか無か」的発想を強く批判しているのを読み(3)、これはゴルバチョフに対するテロルやクーデタなどの可能性に対する警告だろうかと考えて、この事件の現代的な意義を感じた。
 このようにして、少しずつこのテーマの意味が分かるようになりつつあったものの、和田が還暦に際して自分の今後の重要課題としてこのテーマを挙げたのを聞いたとき(4)には、どうしてそこまでこれにこだわるのか、やはりよく分からなかった。私自身の個人的な好みでは、和田の膨大な作品群のうち、近代ロシア社会構造論とソ連史学史の二つが最も学ぶところが多く、特に後者は余人に真似のできない業績なのでその完成を強く期待していたのだが、「定年後のライフワーク」計画にこの二つは入らず、代わりにロリス=メリコフ論と一九五六年論が入ったのはどういうわけだろうかと、不思議に思った。
 今回、この新著を読み、これはロリス=メリコフについてよく分かると同時に、和田春樹という人についてよく分かる本だと感じた。新著のプロローグで、和田は一九六二年論文を書いたときのことについて、次のように記している。
 
「仕上げるにあたって、私は服部之総『明治の政治家たち』(上・下)と武田泰淳『政治家の文章』を読んで、分析の手本にした。登場してくる政治家個人に体当たりする気持ちで、格闘して書いたのである」(一一頁)
 
 これを読んで私は、成る程そうだったのか、という思いを懐いた。私はかねてから、和田が政治好きであり、政治家個人に強い関心をいだいているらしいことを感じ、そのことをいぶかしく思っていたが、その起源にぶつかった気がしたからである。昔どこだったかで吉本隆明がレーニンのことを「いやだいやだと思いながら革命家になってしまった男」という風に書いているのを読んだ記憶があるが、「いやだいやだと思いながら政治学者になってしまった人間」である私は、体質的に政治も政治家も嫌いであり、それらを内面的に理解しようという気になかなかなれないのだが、そうした自分自身と引き比べて、一体どうして和田が政治家個人にこんなに強い関心を持つことができるのか、不思議だったのである。そうした昔年の疑問を持ちながら本書に向かい、いま引用した個所にぶつかって、どうやらこれは大学卒業直後からの和田の性向だったらしいということに、いまさらながら気づかされた。
 私はそれまで、服部の『明治の政治家たち』も武田の『政治家の文章』も読んだことがなかったが、これは一応目を通しておいた方がよさそうだと感じて、図書館の書庫で立ち読みをしてみた。『明治の政治家たち』の方は、ざっと見たところオーソドックスな政治史(政治家列伝)の書であり、明治政治史にとりたてて強い関心を持っているわけでない私としては、今すぐどうしても読まねばならない本だとは感じなかった。これに対して、『政治家の文章』はパラパラと頁をめくっているうちに引き込まれるものを感じたので、すぐ借り出して、一気に読み上げた。
 読み終えた印象を一言で言えば、武田泰淳の感性はむしろ私に近く、和田とは異質ではないかというものである。本書に充満しているのは、政治家という存在に対する生理的ともいいたいほどの違和感である。それでいて、政治および政治家から目を背けてはならない、むしろ政治および政治家を正面から見据えねばならない、という義務感のようなものが著者を突き動かしている。推測するに、戦前の文学者の多くが政治に関わることを潔しとせず、政治から目を背けていた結果として、政治家や軍人たちの暴走を許してしまったという痛恨の思いが武田の中にあり、文学者も市井の人々ももっと政治と政治家に深い関心を持たねばならないという決意のようなものが、本書の背後にはあるような気がする(刊行がまさしく一九六〇年安保闘争の時期である――元原稿の雑誌連載はその前だが、時代状況としてはつながっているだろう――ということも、この推測を裏付けるように思う)。しかし、それはあくまでも、自己とはおよそ異質なものに対する関心であり、自分自身はよかれ悪しかれこの観察対象とはまるで異質だという感覚が全編にみなぎっている。私はこのような武田の感覚に深く共鳴する。
 『政治家の文章』を読むと、至る所に政治家に対する違和感や、反感をむき出しにした表現が出てくる。だが、だからといって武田は、登場人物を簡単にやっつけて溜飲を下げるというやり方をとってはいない。むしろ、自分とは異質の存在に対して好奇の視線を向けて、「こいつを何とかして理解してやろう」という意欲を発散させている。そして、政治家という存在を十把一からげにするのではなく、登場人物(宇垣一成、浜口雄幸、芦田均、荒木貞夫、近衛文麿、重光葵、徳田球一)一人一人の個性を丁寧に描き分け、彼らの内在的な理解を試みている。そうした作業の背後にあるのが何であるのか、十分理解できるわけではないが、おそらく、いくら政治家たちが傲慢だったり、汚濁にまみれた存在だとしても、そのような政治家たちを生み出したのは結局は国民であり、だとすれば国民の一人として、そうした現実に無関心ではおられないという意識があるのではないかと思われる。武田は対象とする政治家のおぞましい側面を克明に暴きながら、「このおぞましさは、実は俺自身のものでもあるのではないか」と自問自答しながら書いているのではないかというのが私の印象である。
 これに対して、和田春樹の政治家に対する姿勢は、むしろ自分自身が彼らと同じ地平に立って、あたかも同僚と対話したり、論争したりするかの如くである。『テロルと改革』は、日記や私信など、貴重な原資料を大量に駆使して書かれているが、そうした資料といえども、ある人の「内面の本心」なるものを直接に表現しているわけではなく、それは解釈によるしかない。そして、和田の解釈はしばしば非常に大胆である。「この文章の背後にあるのは、これこれの考えだ」といった類の表現が、断定口調で頻出する。それはもちろん根拠なしに想像力を働かせているのではなく、原資料および各種状況証拠の総合としてある種の結論を出しているのだが、それでも私などは、「ここは自分ならもっと抑制気味に書くのだが」という感じをもつところが少なくない。それはつまるところ、私の場合、政治家という存在への強い違和感があるため、「政治家が内心で考えていることなど、分かってたまるものか」という感覚をどうしても拭えないのに対し、和田は政治家の心理・心情・策謀等々をわがことのように想像し、再現するというタイプの歴史家だからではなかろうか。
 そのことと関係して、本書には、「誰それの政治判断は甘い」とか、「誰それは鋭い観察眼を持っていた」といった風な評価を含む文章が頻出する。「現実政治家たりえない官僚的政治批評の弁」(二〇七頁)、「恐るべき記憶力と貧弱な思考力がこの官僚の頭には共存しているようである」(二六〇頁)、「政治的感覚の甘い男の言葉を同じように甘い男が伝えているのだから、相乗されているのである。これはまた超楽観主義である」(二七二頁)等々の文章を読むと、ひょっとしたら、これは純然たる歴史論ではなく、今日ただいま生きているあれこれの政治家――ないし政治に関与する知識人――を念頭においた批判の言葉ではなかろうかという気さえしてくる。ある人の政治判断を「鋭敏だ」とか「甘い」と断定的に評価するような文章は、自分自身が政治的決断の場面に立ち、適切な判断をすることができるという強い自信を持っているタイプの人でなければ、書けるものではない。武田泰淳はそうした文章を決して書かなかったし、私にも書けない。もちろん、これは善し悪しの問題ではなく、個人の資質の違いである。
 このように政治家個人の内面に分け入った解釈と評価を下しているおかげで、本書はまるで歴史小説のように面白く読める作品になっている。禁欲的な学者の作品が(私自身のものも含め)、こうも解釈できるしああも解釈できるといった、やや分かりづらい議論を連ねがちになるのに対し、本書は、このとき誰それはこう考えた、そしてそれは間違っており、その間違いが重大な結果を招いた、といった感じの叙述を多数含み、そのことによってドラマティックな緊迫感を読者に与える。もっとも、単純に歴史小説のようだと言いきってしまうと、誤解を招くかもしれない。本書の面白さは、主として想像力に訴える小説家的才能によってではなく、大量の資料読解の積み重ねを通して当時の状況をリアルに再現する歴史家的才能によって生み出されたものだということは、念のため強調しておかねばならない(この点、一見したところ類似性のある山内昌之『納得しなかった男』が、歴史研究としての厳密さを犠牲にしてひたすら歴史小説としての面白さに走っているのとは、明らかに一線を画している)。そのことを確認した上でであれば、本書は優れた歴史書であると同時に一種の歴史小説のようにも読めるという感想は、あながち本書をおとしめるものではないだろう。
 最後に一つの疑問を出しておく。本書に描かれているロリス=メリコフ像は、表向きはそれほどラディカルでない改革案に実は大胆な狙いを秘め、皇帝および皇太子を味方につけたり、政府内の権謀術数を十分考慮におく慎重さをもちながら、究極目標に着実に迫っていく現実政治家=改革者というものである。そうした評価は、次のような文章によく示されている。「曖昧とみえるもの、不明確とみえるもの、場当たり的とみえるもの――そこにはロリス=メリコフの戦術があったのではなかろうか」(一一五頁)。同じことだが、「偽装した改革」(二〇五頁)という表現もある。そして、そのような努力を一挙に吹き飛ばしたのが革命党による皇帝暗殺だったとされる。ところで、ロリス=メリコフについてこのような評価を下す著者は、ペレストロイカ後期のゴルバチョフについては、彼の態度が「曖昧」で「不明確」で「場当たり的」であることに苛立ちの感情をあらわにし、むしろ革命派としてのエリツィンに期待を託していた。一九世紀について革命家のテロリズムよりも上層の政治家の体制内改革――それも「偽装した改革」――のわずかな可能性に高い評価を与えた同じ和田が、どうして一九九〇‐九一年には、改革路線よりも革命路線に期待をかけてしまったのだろうか。
 
 
(1)和田春樹「ロリス=メリコフの改革とツァーリズム」『スラヴ研究』第六号、一九六二年。公刊は一九六二年だが、起源からいえば、一九六〇‐六一年(著者二二‐二三歳の頃)に準備された作品である。
(2)この言葉は今回の新著でも随所に出てくるが、「人との正しい関係を示唆する限度の感覚」(一一四頁)の意だと説明されている。
(3)В. Кобрин. Все или ничего. Необходимо помнить: политика -- искусство возможного //Московские новости, 1989, 39 (24 сентября), с. 12-13.
(4)一九九八年春の最終演習(東京大学社会科学研究所大会議室)での和田の発言。
 
 
*武田泰淳『政治家の文章』岩波新書、一九六〇年/和田春樹『テロルと改革――アレクサンドル二世暗殺前後』山川出版、二〇〇五年
 
(二〇〇五年一〇月)
 
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