評価の心理  

(2013年9月8日)


 今でも通信簿というのはあるのかどうか知らないが私の中学時代の成績表は5段階評価であった。特にどの教科も勉強した記憶がないが授業に興味の持てた理科と数学は5であった。しかし授業に全く興味が持てなかった社会や国語は3であった。この時代の先生は2や1の評価は余程駄目でない限り付けなかったのではないかと思う。とにかく評価は1から5までの5段階であった。

 最近、我々の仲間では読んだ本の評価を知らせている。この本は五つ星だから是非読むようにと薦めたり、薦めに応じて読んではみたものの自
分の評価では3つ星が良いところだ、というやりとりである。このように本の評価も5段階ぐらいが良いところであろう。

 ところが、時に「この本は星、3.5だ」という評価をつけてくる者がいる。暗に5段階評価がルールであるにも関わらず3.5と
は、思い切りの悪い男だと思わなくもなかった。そうではなく、自分の心に忠実な男なのだ。3では低すぎるが4では高すぎると思うから間を取って3.5としたのであろう。

 何故、このように3では低すぎるという心理が生まれてくるのだろうか。それは過去に3
と評価した本の記憶があって、あの本と同じ低さの3と評価するのでは本に申し訳ないと思うからであろう。そして同時に過去に4と評価した本ほど良くはないと考えてしまうのであろう。

 それでは最初から10段階評価にしておいたら良かったのだろうか。ところが、自分の心に忠実な人はやはり中間の評価をしたくなる。つまり、7の評価
では低すぎるが8では高すぎる、従って7.5だ、と言って安心することになる。

 深夜の料理番組でTBSの「チューボーですよ」が長く続いている。堺正章がゲスト1名を招き、アシスト役の女性アナウンサーと共に3人でその日の料理を作る。選ばれた料理は実際のレストラン3店における作り方も紹介される。最後に3人で堺正章の作った料理を試食し、ゲストが3段階の評価で堺正章製の料理は星幾つであるかと言うものである。評価の星の数は直ちに電光パネルで示される。

 評価は3
段階であるが、ゼロ評価(実際にゼロと評価したゲストは一人もいなかったと思う。)も入れれば電光パネルは4段階を示せる。

 ゲストによっては、この番組で初めての出演であっても、どうしても3段階評価ができず1.5とか2.5とかの間を取る人が結構いる。この番組の制作者はこれを見越して電光パネルは半分だけ光らすことが出来るようになっている。電光装置は最初から7段階評価に対応できているのだ。

 これを最初から6個の星を点灯させるようにしておいたのでは、さらに星4.5とか5.5とかの間を評価値にするゲストが出てきて困ったことになったろう。どうも評価は間を取りたいとの心理が働くようだ。中庸が良いとされたお釈迦様に通じることかもしれない。

 本や料理の評価は全く主観的であり、数字で表すとしてまず一桁で事足れりである。そして、これらの何人かの評価を平均で示すならば、その平均値は二桁の数字でも十分意味があるだろう。

 国から予算を貰う事業計画は実施結果を国に報告しなければならない。計画どうり進めることができた場合は100%の成功でしたと報告できるだろう。ところが、計画以上に上手くいったのでエキストラ・サクセスでしたと報告することが出てきた。この場合は報告する人も報告される人もハッピーでマスコミまでもが誉めそやす。

 しかし、このようなことでは、賢い計画者は2重帳簿を考える
だろう。予算を取る時には出来るだけ低い予想成果を示し、予算を得てからは可能な限り密かに多くの挑戦をする。この事態は密かな挑戦の部分が人知を集めずに行われるところに問題がある。帳簿の一つは頭の中だけであり、場合によってはプロジェクト・マネジャーも知らない作業になってしまうことも起こり得る

 安全・ミッション保証活動の基本として、一部の人間だけが知っている作業というのはあってはならないことである。常に計画どうり進められた成果を100%の成功とすることを徹底し、エキストラ・サクセスという定義はあり得な
いとすべきである。もしエキストラ・サクセスを最初に定義しているのなら、この成果を100%の成功というべきである。
 
(了)


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