「御前山について」

御前山は栃木県境に近い那珂川中流域に位置し、標高182m、面積約4千ヘクタールの小山ですが、樹種の豊富な、おだやかな山容と、麓を流れる那珂川の清流と那珂川大橋の調和美はまさに絶景で、昭和25年茨城百景の一に指定され「関東の嵐山」又は「常陸嵐山」と称される景勝地です。

 山林は古くから水戸藩の御用林として造林保護され、のち風致林、保安林として管理されたため、峡谷には樹齢数百年の杉、檜など自然の林相をなしており、明治になって植栽されたケヤキは約3万本、桂は約11万本といわれ、暖帯性のシイ、イズセンリョウ、カゴノキ、サカキ、カシ類、又温帯性のコナラ、ミズナラ、シデ類などが混合林をつくり、うっそうとした樹海となっています。
 又、動植物学の宝庫としても知られており、植物にはシシランやイワタバコ、クモノスシダ、コミヤマスミレ、ギンバイソウなど珍種の山菜が豊富で、昆虫類ではモンキアゲハ、ムカシトンボが生息しているほか、トウキョウサンショウウオもいます。さらに、野鳥も約百種類を数えると言われています。

 
山頂付近には、庚辰2年(1220)に菅原時房が築いたといわれる御前山城跡があり、堀、土塁、馬場、鐘つき堂などの跡が見られます。
 この鐘つき堂跡付近からの眺望は素晴らしく、眼下には色鮮やかな緑織りなす樹海が広がっています。
 御前山の名の由来には、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)と孝謙天皇(女帝)の悲恋伝説がかかわっていると言われます。「御前」が貴人の敬称とされる言葉であるように、御前山の「御前」は、孝謙天皇の事を示したのだという伝説があります。
 

弓削道鏡を愛し、重用していた孝謙天皇が、失脚して下野国の薬師寺別当に左遷された道鏡を追って御前山に移り住み、その「御前様が住んだ山」から、この地名がついたと言われており、「皇都川」と呼ばれるのもこの由縁で、上伊勢畑には天皇所在の後と伝えられる場所もあるといわれるなど、このなぞを秘めたロマンスは、今なお伝えられています。