ヤマハボートカタログ 1
ヤマハが免許教室やヨット教室を開催し日本のマリンレジャーに果たした役割は貴重だ。
1980年代はプレジャーボート生産数はピークを迎えたがそれ以降は右肩下がりである。
日本経済が成長できない現状を打破するには国民の働く意識改革が必要かもしれない。
■PC-35(開発担当)
ヤマハで最初に量産したマルチクルーザー
■F-26(開発担当)
F-24の買い替え需要を期待したフィッシングボート ■F-24(開発担当)
当時、F-22と共に代表的なフィッシングボートだった。 ■F-22、SR-22(開発担当)
当時、最も多数量産されたフィッシングボートでディーゼル仕様も販売された。
次第に居住性重視が求められるようになった。
■F-15(開発担当)
トレーラブルフィッシングボートとして開発したがFRP重量管理が厳しかった。 ■S-19RX、S-21RX(開発サポート)
新たに開発した波きりの良いスティープV船型は中程度の波で快適な乗り心地を実現