1 農村舞台
江戸時代から昭和初期にかけて、庶民の娯楽として人気を博した歌舞伎や
人形浄瑠璃を上演する場として作られたのが「農村舞台」とのことです。
全国調査(昭48年公表)によると全国で確認された1,338棟の農村舞台のうち
209棟が徳島県です。
太夫座を有する人形芝居系農村舞台は、218棟あり、その約96%に当たる
208棟が徳島県内にあると報告されている。(角田一郎編「農村舞台総合的研究」)
ただし、人形芝居を公演しているのは、平成16年現在、坂州・今山・小野・拝宮
法市・犬飼の6舞台とのことです。
2 犬飼農村舞台
徳島市の南南西に位置する八多川上流の名勝「五瀧」の登り口に鎮座する
五王(ごおう)神社境内の社叢の中、山の斜面を切り盛りしたところに農村舞台
は、建っています。
当神社の祭礼は、昔から神輿や山車を出さず、秋祭り宵宮に、地元の若連
(瑞穂劇団)による地芝居や人形座を招いての人形浄瑠璃、氏子たちが継承
してきた「襖からくり」などを、神々に奉納してきたとのことです。
犬飼舞台は、江戸時代に建立、現在の舞台は、明治初年に再建される。
構造は、木造寄棟造茅葺でしたが、昭和10年に屋根を鉄板で覆う。
舞台右側の斜め前方に「太夫座」が、舞台後方には「千畳敷場」が付設され
ている。
平成10年12月に坂洲(木頭村)の舞台とともに、国の重要有形民族文化財
に指定される。
速雨神社(雨の宮)クスノキ徳島市天然記念物 左の道は五瀧へ 右は、犬飼農村舞台
五王神社 農村舞台 右の小さな建物は、太夫座
傾城阿波の鳴門 母娘の出会い 壷坂観音霊験記 沢市・里 夫婦愛の物語
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阿波人形浄瑠璃編:biglobeウェブリアルバムへリンクします。
舞台の特徴
1 「舟底楽屋」と「襖からくり」が、大きな特徴です。
2 「舟底楽屋」は、からくり場の下方に、地面を40cm程掘り下げて造った舟底型
上造りの楽屋で,10uほどの広さがある。
3 「襖からくり」は、氏子8〜10人の手動により130余枚の襖が、42の景色・動物・
花・文様に変化する。
犬飼では、からくりを遣う人を道具役・主役・綱引役・合図役など10名程度で
構成されている。
「舟底楽屋」とともに、阿波独特のもので、全国的にも非常に珍しく、、民族的
に見ても貴重なものだそうです。
「からくり」の技法としては、田楽・引分け・引抜き・千鳥・上昇・切り落とし等が
あり、口千畳から中千畳、そして奥千畳へ次々と展開させていきます。
襖は、明治時代に徳島の絵師等によって、泥絵の具で描かれたものです。
平成10年4月、その価値が高く評価され、「犬飼農村舞台の襖からくり」として、
徳島市指定無形文化財に指定されました。
また、舞台斜め前方に付く太夫座は、徳島県下に残っている約3分の1の舞台
に付いており、重要な役割をしている。
竹虎図 田楽返し 見事完成 鷹図 田楽返し 完成
中央から左右引き分け・・・変化 波鷹図 完
太夫座
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阿波の人形芝居は、300猶予年の歴史と伝統があるとのことです。
人形芝居の発祥の地は、淡路島で、元阿波藩主蜂須賀公が領有しており、
地方巡業に出る時には、阿波の城下で興行してから出発したそうです。
隠密が、人形座と同行することもあったと伝えられています。
このように人形芝居は、阿波藩の庇護のもとに榮え、最盛期には、淡路で48座
阿波で67座の人形座が生まれた。
現在では、小中学校のクラブ活動、民芸部を含めて、約20座が、伝統を受け継ぎ
活躍しています。
阿波の人形浄瑠璃が全国に名をなしたのは、近松半二の「傾城阿波鳴門巡礼歌
の段」、吉田角丸の「伽羅先代萩」、竹田出雲の「菅原伝授手習鑑」、などの不朽の
名作が当時の日本人の気質に乗ったためと思われます。
神社境内の常設舞台や掛小屋で、人形芝居が盛んに上演奉納されていました。
太夫座では、浄瑠璃を語る太夫と、伴奏を務める糸(三味線)が袴を付け、分厚
い座布団に座り見台に浄瑠璃本を載せて、屋外棧敷に響き渡るよう朗々と語ります。
一体の人形は、3人遣いで、舞台の木手や二の手で数体の人形が操られます。
人形・太夫・糸・客席(棧敷)が一体となって、舞台は一段と熱気を帯びていきます。
(犬飼農村舞台保存会資料より掲載)