鳴門市ドイツ館:全景
*鳴門市ドイツ館は、大正6年(1917)から大正9年(1920)までの3年間俘虜として収容された
ドイツ兵と地域の人々との交流を顕彰するため、昭和47年(1972)年、元俘虜たちから寄贈さ
れた資料等を中心に建設された。
:*昭和49年(1974)年 鳴門市とドイツリューネブルク市との間で姉妹都市が締結される。
*同館は、老朽化と資料増加により新ドイツ館として、平成5年10月13日、現在地に新築移転された。
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鳴門市ドイツ館等へのアクセス
◎JR高徳線「板東駅」から徒歩約20分
◎マイカーでは、板野インターから約7分
◎徳島空港からタクシーで約30分
開館時間 9:30〜16:30
休 館 日 毎月第4月曜日(祝日の場合は開館、その翌日を休館日とする。)
12月〜12月31日
観 覧 料
区 分 | ドイツ館 | ドイツ館:賀川豊彦記念館(共通) |
大 人 | 400円 | 500円 |
子供(小・中学生) | 100円 | 150円 |
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賀川豊彦は、1888(明治21)年、神戸で出生、4歳で両親に先立たれた。そのため1893年 父の
本家である鳴門市大麻町東馬詰の賀川家に引き取られ、4歳から16歳までの少年期を父の故郷
である徳島で過ごすことになる。
賀川家は、先代が組頭庄屋であり、藍商、富農であったが、彼の生い立ちは、決して恵まれたもの
ではなかった。家庭の温かさに包まれることも少なく、寂しく孤独だったそうです。
しかし、その時代に中学校への進学ができたということは、本人の学力と、義理とはいえ、加賀家の
援助があったと思われる。
名門徳島中学校(現在の城高等学校)に進学し、そこで、めぐり合った素晴らしい先生や友達との絆
に支えられ、一家の破産や病気などのさまざまな苦境を乗り越えたそうです。
徳島中学時代、キリスト教社会主義の著書に触れ、非暴力:非戦争:平和主義の思想を抱いていく
ことになる。
その後のキリスト教的人間愛に基づく幅広い活動の芽生えが、この時期に見られる。
キリスト教宣教師ローガン・マヤス両師の影響で、1904年 徳島中学4年生で洗礼を受ける。
明治学院高等学部神学科に進学、卒業後、神戸神学校に移るが、結核に倒れる。
療養後、アメリカへ留学、帰国して労働運動:農民運動:普通選挙権獲得運動:生活協同組合設立など
先頭に立って、大正デモクラシーの機運を盛り上げた。
彼の人格や思想の原点が形成されたのは、幼年期、少年期を過ごした「徳島」での生活の中であっ
たと考えられている。
彼が故郷徳島の思いを大切にし、故郷の発展を願い、目を日本に、世界に向けて活躍したことは、偉大
な人物であった。徳島に賀川豊彦あり、もっとPRすべきであり、記念館資料等々が展示説明文を含め
写真撮影禁止であったことは、非常に残念である。
商用等に使用する以外、個人的に撮影を許可し、個人を通じて広報する必要があると思われた。
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