(めいせきじ)
明石寺近辺地図
JR卯之町駅から JRバス 野村・坂石・伊予大洲行き 約 4分
鬼ケ窪 下車 約20分
明石寺境内 配置図
第43番 明石寺 仁王門
第43番 明石寺 本堂
本堂 天井画 仏足跡
御本尊 納 経
山 号 | 源光山 |
院 号 | 円手院 |
寺 号 | 明石寺(めいせきじ) |
本 尊 | 千手観世音菩薩 |
開 基 | 正澄上人 |
宗 派 | 天台宗寺門派 |
住 所 〒797−0007 愛媛県西予市宇和町明石201
電 話 (0894)62−0032
御真言 おん ばざら たらま きりく そわか
御詠歌 聞くならく 千手の誓い 不思議には 大磐石も かるくあげ石
明石寺略縁起等(抜粋) |
6世紀の前半、欽明天皇(在位532〜571)の勅願により、円手院正澄という 行者が、唐からの渡来仏であった千手観音菩薩像を祀るため、この地に七堂 伽藍を建立して、開創したのが起源とされている。 後、天平6年(734)に、寿元という行者(役行者:小角から5代目)が、紀州熊 野から十二社権現を勧請し、十二坊を建てて、修験道の中心道場として法灯を 伝承した。 やがて弘仁13年(822)弘法大師が巡錫し、嵯峨天皇の勅願により荒廃した 伽藍を再興して霊場に定められた。 その後、鎌倉時代に源頼朝が伽藍の修復に当たる。建久5年(1194)頼朝 は、命の恩人である池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納する。加えて、 経塚を築いて、山号の現光山を「源光山」に改名した。 以来、武士の帰依が厚く、室町時代には、領主:西園寺家の祈願所として、 江戸時代には、宇和島藩主:伊達家の祈願所となり、末寺は、70余と数えてい たと伝えられている。 |
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