図鑑015

● 沖縄県立那覇高校 (Okinawa Prefectural NAHA high school)

【基本データ】

・略称・愛称等:

・男女共学

・住 所: 沖縄県那覇市松尾一丁目21番44号
・校 種: 全日制
・設置者: 沖縄県
・創立年: 1910年
・校 訓:  和衷協同・積極進取

初代制服 1955年? 夏服は、白シャツと青スカートの組み合わせ。冬服は茶色線のセーラー服

2代目制服 1963年 夏服は現行制服へ。 1968年冬服が現行制服へ(※出典資料不明)

※掲載制服は、現行制服

冬服/ 茶色の2本線付襟の濃紺のセーラー服 

夏服/ 水色の襟がついたブラウスと水色のプリーツスカートの組み合わせ 

 

掲載制服は現行制服で、公式には認定されていないが、実質的に夏服、冬服とも2代目にあたると思われる。

その変遷の過程は明確でなく、微細なマイナーチェンジを繰り返した結果なのか、制服規程がかなり自由度が高かったせいなのか、現在でもはっきりしない。また、これとは別に業者による工夫で様々なバリエーションも生まれていたらしいことも判明している。

なお、冬服の襟のラインの意味するところは、同校の前身「二中」の2と、戦前那覇にあった「二高女」のセーラー服の茶色線に由来するものと推定されるが、これについても公式な説明はなく、不明である。


沖縄女子制服図鑑 第84回は、那覇高校の初代夏制服を紹介!

那覇高校の現行制服にモデルチェンジがあったの?という方も多いのだけど、それくらいこの学校の制服変遷については公式情報が乏しい。

今回の紹介についても、なかには、改定、マイナーチェンジだとする解釈もあるけれど、夏服冬服ともに細部はどうでもいいという感じから、「これ!」というものになった意義はその程度では収まらないと思う。

ということで、今回は、研究所の公開資料05のところで掲載している「制服エッセイ」での調査結果をもとにイラストをおこしてみた。

 

同校の初代夏制服は、スカートだけが決められていて、ブラウスは自由だったらしい。しかも、このスカートは入学してから生徒自身が家庭科の時間に手作りしていたという。そのためか、残された写真から見ると、現行のものよりプリーツ幅が大き目で、かつプリーツもしっかりしていない。

イラストでも書いているように、フレアスカートかとも思ったのだけど、当時の生徒たちの証言でプリーツスカートと解釈した。

色は、残されたカラー写真からブルーグレー系と判断して着色したけれども、当時の状況を考えると、微妙な色の違いは許容範囲だったのではないかとも思う。

それでも1950年代、制服の色といえば黒か紺が当たり前の時代に、スカートだけとはいえ個性的な青いカラーを制服として制定した意義は大きいと思う。

胸ポケットにつけられた大き目の校章とともに、青いスカートは同校のシンボルカラーとなっていたらしくて、これがそのまま次の制服に引き継がれることになった。

改定? 2代目夏服の初期タイプの紹介は次回。

マイナーチェンジの分までイラスト描くとは思わんかった。いったいいくつ描くの?(美鈴)

追記)制服の制定の仕方にはいろいろある。

 制服が初めて取り入れられたころは、洋装というカテゴリーだけだった頃もあるし、型紙と生地を支給して自分たちで縫うということもあった。

制服の細部が統一されたのは、大手メーカーがあって、量産体制が整い大量供給できる時代になってからのこと。戦後の物不足、貧困時代の1950年代の沖縄も、許容範囲の広い緩やかな制服にせざるをえない、そんな状況にあったのは間違いない。

那覇高校の場合、生徒の負担軽減のため、スカートだけというゆるい縛りで制服を制定したらしい。これが結果的に、制服の細部を徐々に固めていくという形になり、学校側も制服制定の過程を掌握できなくしてしまったのだと思われる。(量産工房)

渚 美鈴/記  NAGISA MISUZU