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超次元戦闘妖兵 フライア ―次元を超えた恋の物語―

渚 美鈴/作

第16話「復讐の序章 -時を越えた再会-」

【目次】

(1) 目覚めた少女

(2) 時を越えた再会

(3) 記憶の断片

(4) 赤い罠

(5) 起動したシステム

(6) 融合

(7) ふたりの交代人格

(8)  聖櫃事件の真相


16-(1)  

 「お父さん? うそ。」
 少女は、車椅子から懸命に手を伸ばそうとするが、身体は少女の意に反してほとんど動かない。無理も無い。十年もの長い間、少女は意識が戻らなかったのだから。
「千鶴。おおおお……っ。」
 佐々木重蔵は、車椅子ごと少女を抱きしめる。その眼からあふれる涙は、途切れることなく続いている。
「おお、神よ。私は、今日ほどあなたに感謝したことはありません。本当に、本当に……ありがとうございます。」
「おとうさん。苦しいってば……。本当に……十年もたっちゃったんだ……髪の毛がこんなに白くなっちゃって……おじいちゃんになっちゃってる。」
 重蔵は、千鶴が状況を理解していることに驚く。ベッド脇に立っている黒髪のボーイッシュな女性が説明する。
「千鶴お嬢様には、不安を抱かせないよう、私から事情を説明させていただきました。」
「君は……? 確か……。シオリ……信濃君か……? 」
「ええ。おひさしぶりです。」
「で、千鶴の容態は? どうなんだ? 」
「至って良好です。十年間眠ったままだったというのが信じられないくらいです。医者も驚いていました。ただ、身体を動かすには、かなりの期間、リハビリをする必要がありますが……。」
「なんだか、浦島太郎になった気分。そこにいるのは、岸本さんよね? 」
 千鶴は、それでも明るくふるまっている。病室のドアの側に立って様子を見守っていた金剛が、千鶴に本名を呼ばれうろたえる。
「……はい。」
 押し殺したような低い声で肯定する。
「あは。前は角刈りだったのに、いつの間にかスキンヘッドにしちゃったのね?でも、空手家だから、似合っているかも……。そっちは、新人さん? 」
 霧島は、千鶴に聞かれて、どう答えたらいいものか一瞬悩む。
「鈴木です。主に会長の専用車の運転手を務めさせていただいております。キリシマとお呼びください。」
 それを聞いて、千鶴が笑い出す。
「もう、ピエールもいつの間にか、「大和」なんて言ってるし……。みんなにそんな固い名前付けたの、賢一さんでしょう。あの人、経済雑誌の「プレジデント&ボス」なんか愛読してるから、案外ミリタリーマニアなとこがあるんだから……。」
「ケンイチ? ああ……小田桐社長ですか? ……そうですね。」
 霧島の答えに、今度は千鶴が驚く。
「え? ケンイチさん……社長になったの? 重義兄さんじゃ……なくて? 」
 千鶴の驚きに、佐々木会長がやれやれといった顔で答える。
「意外か? 」
「ううん。さすがね。重義兄さんじゃ、会社ボロボロになっちゃったと思うから……。賢一さんなら、しっかり経営してくれるはずだから。でも……本当に十年経っちゃってるんだ。みんな、私が知らない歴史を歩いてきてるんだね。」
 千鶴の質問は、十年間眠っていた間の情報の遅れを取り戻すかのように際限なく続いた。

「ところで……お前が誘拐された十年前の事件のこと……覚えてるか? 」
 佐々木会長が千鶴に、事件のことを切り出したのは、それから一週間後のことだった。
 ここ一週間、フランスに滞在して千鶴のリハビリに付き添っているが、千鶴の回復はめざましい。今では、補助器具の支援があれば、一人で歩けるほどまで回復している。その日、会長は、ひさしぶりに親子ふたりだけの時間を持って、個室で千鶴と積もる話をしていた。
「……! 」
 会長の質問に、それまで笑顔で答えていた千鶴の顔が、一瞬強張った。
「ごめんなさい。今、その話はよして……。」
「いや……しかし……。」
「やめてっ! 」
 千鶴が金きり声でさえぎる。その肩が震える。少し動くようになった手で頭をおさえる。
「今は……やめて……。もう少し……時間をちょうだい……。」
 佐々木会長は、立ち上がって、千鶴の頭をなでる。
「わかった……。しばらく待つよ。つらい記憶のはずだから……な。」
 しかし、しばらくすると今度は、千鶴の方から話しかけてきた。
「おとうさん……。ゆりあが……生き返ったって……本当なの? 」
「ああ。メシアとして。人類を次元超越獣という怪物から守る英雄として……。私たちのために、妖精が遣わしてくれた……。」
「私のこと……何か……言ってなかった? 」
「いや……。何も……。由梨亜は……あの方は、昔の記憶をほとんど持っていない。」
「え……? 記憶喪失……なの? 」
「いや……。説明するとかなりややこしいんだが、多重人格……というものらしい……。」
「? 」
 佐々木会長は、千鶴に妖精と出会った経緯やフライアが初めて訪れた時のことをぽつりつぽつりと語り始めた。
「お前が事件に会って、行方不明になってしばらくして、屋敷の私の書斎に妖精が現れた。金色の光に包まれて……。死んだように眠るお前を抱えて……。そしてこう告げた。『娘さんは死にません。けれど目覚めるまで、およそ十年の歳月が必要です。その時、私たちは、この世界に御使いを派遣します。その手助けをお願いします。』とね。」
 佐々木会長は、その時の感動を思い出したのか、少し潤んだ目で、千鶴の方を見た。
「あの時のことは、絶対に忘れない。絶望だと言われていたお前を、この腕の中に連れてきてくれたのだ。生きているぬくもりが感じられただけで、私の心は天にも昇るような気持ちだった。目覚めるまでの時は、がまんできる。私は、本当に、感謝の気持ちでいっぱいだった……。」
「おとうさん……。」
「その言葉も、もう十年間、待ちわびていた。そして、去年、メシアが訪れ、私は、約束の日が近いことを確信した。いつ、お前が目覚めるのか? と尋ねたが、答えはなかった。そして、メシアの正体を知って私は驚いた。」
「メシア……が、ゆりあだったから? ね。」
「それもある。他人の空似かとも思ったが、由梨亜には、記憶喪失の人格以外に、もうひとつの人格があったんだ。」
「メシア……としての人格とか……じゃなくて? 」
「それとは別だ。ゆりあの記憶を引き継いだ、まったく別の人格だ。私たちは『御倉崎』と呼んでいるが……。」
「それって……本当のゆりあの意識じゃないの? それが本物じゃ? 」
「ちがうな。ゆりあのことは、お前と親友だったから、その性格までよく知っているつもりだ。『御倉崎』の人格には、ゆりあらしさがまったく感じられない。常に冷静そのもの。まるで傍観者という印象だ。」
「他人の魂が入り込んでるとか? 」
「わからないが、唯一、この『御倉崎』の人格が豹変する時がある。それが事件と関わりのある情報に接した時だ。臨床心理学の医師から説明を受けたが、人は極度に追い詰められると、精神の安定を確保するために、別の人格を作ってしまうらしい。ゆりあも事件のショックで別の人格を生み出したのではないかと言っている。それが、『御倉崎』という人格だろう。だから、由梨亜は、事件のことも、たぶんお前のこともまったく知らないだろう。」
「そう……なんだ……。」
 千鶴は、それを聞くと黙り込んでしまった。
「少し……一人にしてくれる? 」
「ああ……」
 時期が早すぎたか?しかし、いつかは、これを乗り越えなければならないはずだ。それが悲しく、つらい記憶であればあるほど……。
 娘の千鶴が、その試練を乗り越えてくれるものと信じるしかない。今は……。
 それはまた、本人のためだけでなく、由梨亜やフライアのためにも必要なはずだ。フライアがメシアとして、人類を救うためにも……。
 佐々木会長は、部屋を出る刹那、ベッドにうつぶせになる娘の姿を見て、心を鬼にして固く決意するのだった……。

 十年前の事件のことは、当事者たちがほとんど死亡しているため、詳細がわからないことが多い。千鶴は、唯一の生存者だったが、意識を失ったままだったため、事件のことを明らかにすることはできなかった。メシアとして蘇った由梨亜も事件の当事者だということでは一致しているのだが、多重人格となって生まれ変わる前の記憶を完全に失っている状況である。
唯一記憶を保持している、もう一人の人格「御倉崎」の持つ、その死に至るまでの凄惨な記憶の生々しさは、事件の真相とはまったく無縁のものでしかなかった。だから、事件の真相を解明するためにも、千鶴の記憶は非常に重要なものとなっていたのである。
 当時、事件に関わった在日米軍の特殊部隊は、佐々木会長から事情聴取はしたものの、調査結果は一切知らせてはくれなかった。
 佐々木会長が国防軍から知り得たのは、それが「聖櫃事件」と呼ばれて、軍内部でもトップシークレット扱いとなっていることぐらいだった。
 その後、佐々木会長自身、妖精の降臨を受け、千鶴の命の保障と十年後の覚醒を告げられたが、その件は一切外部に話していない。むしろ、話す気にもならなかったというのが正直なところだ。
 千鶴を極秘で海外へ運び出し、信頼できる部下にその警備を任せたのも、得体の知れない相手から千鶴を守るためだった。
千鶴がなぜ襲われたのかさえもわからない。ダイアモンド・デルタ重工が、当時参加していたロボットを中心とする高機動兵器開発計画「Zプロジェクト」の一件が絡んでいる可能性も指摘されていたため、急遽主契約メーカーの座を降りて、計画は(株)エレクトリック・ツルギ社が中心となって再スタートしたほどである。
 千鶴の親友、御倉崎ゆりあは、アメリカ軍の特殊部隊によって、父の御倉崎 栄牧師、妻の御倉崎マリアとともに死亡が確認されたものの、その遺体が行方不明となったと聞いていた。それが、昨年、メシアとして復活して、降臨してきたのである。事件の記憶を失い、多重人格を持った少女として……。
 いずれにしても、もうすぐ真実の一端が明らかになる。
 佐々木会長は、窓の外に広がる南フランスの冬の田園風景を見ながら、これから先のことを考え、物思いにふけっていた。

 目覚める前のまどろみにも似た意識の中の記憶は、決していいものではなかった。角ばった顎の男の顔がぬっと近づいてきて、はっと目がさめる。ここ数日、そんな目覚めを繰り返している。
千鶴は、まだ不自由な手足を懸命に使って、ベッドから起き上がると、洗面所で顔を洗い、鏡をのぞく。
あの事件から約十年が経っているのなら、もう自分は二十七歳ということになるのだが、そんな印象はまったくない。事件のことも、つい数日前のように思い出してしまえるほどで、細部を思い出そうとすると、恐怖で足の力が抜けてへたりこんでしまいそうになる。
しかし、ここは地球の反対側のフランスだ。時間も場所もかけ離れたところにいる。それでも、千鶴の心は毎夜恐怖に支配される。
目覚めなければ、この恐怖におびえることはなかっただろう。けれど、自分は生きたかった。あの時、犯人たちの脅迫のまま電話をしなければ、ゆりあは死ぬことはなかったはずだ。これは、親友を犠牲にしてでも、生きのびようとした自分に与えられた罰だと思った。
ゆりあと再会した時を思うと、心が重くなる。
怨まれるかもしれない。憎まれて当然だ。それでも、自分は、ゆりあに会って心から謝らなければならない。そして、事件について、自分が知っていることをすべて話すことが、自分に与えられた責任なのだ。



 

16-(2)

3月、冬の北海道にも雪解けの季節が訪れた。 屋敷の近くを流れる小川のせせらぎが、水量を増し、生き物たちの動きも活発になる。残った根雪の間から、顔を出すフキノトウが春の訪れを感じさせる。  由梨亜たちが、再びフランスへ飛んだのは、そんな早春の季節だった。「ゆりあ! 」 名前を呼ばれて振り返った先に、一人の少女が立っていた。長い黒髪の清楚な姿の少女は、どこか見覚えがあるような気がするものの、思い当たるところはない。
ひょっとしたら、北斗青雲高校の生徒の一人に偶然出会ってしまったかと思ったが、佐々木会長や金剛、霧島、大和たちが勢ぞろいしているところを見ると、そんな関係でもなさそうである。
 いぶかる由梨亜に、榛名が側から紹介する。
「佐々木会長の娘……千鶴さんよ。そして、あなたの昔の親友でもある。」
「え? 」
 榛名の説明に理解はできたものの、記憶にないため、どう対応していいかわからない。
 とまどっている由梨亜のところに、千鶴という名の少女が歩み寄ってくる。
「……あ……あの……。」
 千鶴は、そのまま由梨亜を抱きしめる。由梨亜は、顔を赤くして、どうしたものか、迷うばかりだ。
「ゆりあ……。本当に……ゆりあだ。」
 千鶴は、少し涙ぐみながら名前を呼ぶ。
「ち、千鶴さん……。ごめんなさい。私……思い出せないの……。」
「いいよ。ずいぶんたいへんな目にあったんだから……。その責任の一部は、私にもあるから……。そんなこと気にしたりしないわ。」
「……」
 千鶴は、ゆりあの手を取ると、海に面して置かれた白いベンチへ、由梨亜を連れて行き、一緒に座る。
 灯台のある岬の一角。海からの風が少し冷たい風を運んでくる。二人は、ダンケルクにほど近い小さな街の近くで再会したのだった。
十年の時を越えて……。

「話は長くなるけど……、最初に言わせて。私は、あの事件の時、犯人たちに脅迫されて、あなたを呼び出す電話をかけてしまった。そして、その結果として、あなたはひどい目にあって……殺されてしまった。だから、あなたが私を憎んでも仕方ないと思う。ごめんなさい。本当にごめんなさい。私は、自分が助かりたいばかりに、親友のあなたを犠牲にしてしまったの。謝って済むことじゃないことはわかってる。でも、私はうれしい。今こうして目覚めることができて、あなたに直接謝ることができるのも、これは、きっと神様が私に与えてくれたものだと思うの。そうでなければ、私はいつまでも……永遠に苦しむことになるから……。だから……。」
「まって……。よくわからないけど……、今の話……私のこと? 」
「ええ……。」
「つまり、千鶴さんは、悪い人に脅迫されて仕方なく私を呼び出した。その結果……私が殺されたってこと……。だからあやまるのね? 」
「ええ。だから、私は……あなたをだまして……しまったの。」
「それは……わかるけど……。千鶴さんは、仕方がなかったってこと……でしょう? 悪意を持ってしたわけじゃないし……。」
「でも、結果は、結果よ。私がうそをつかなければ……ゆりあは死なずに済んだんだから……。」
「そんなことしたら、千鶴さん自身、殺された可能性が高かったんでしょう?親友のあなたが、もし私のために犠牲になったとしたら、それこそ私の方が悪者になっちゃう。そんなのいやよ。」
「じゃ……。」
千鶴は黙って、由梨亜の言葉を待つ。
「うそをついた。でも仕方がなかった。それはそれだけのことよね。」
「許してくれるの? 」
「もし……千鶴さんが私の親友なら、私はそんなことで、親友を失いたくない。これが……今の私の答えよ。」
 千鶴の手を取って由梨亜は、自分の胸に引き寄せる。
「触ってみて。一度死んだのかもしれないけど……、今、私は生きているから……。」
 由梨亜の胸に当てられた手から、トクン、トクンと心臓の鼓動がかすかに響いてくる。添えられた少し冷たい手からもあたたかな温もりが感じられて、千鶴は、思わず感動してしまった。
「本当……。感じるよ。心臓が動いてる……。由梨亜が生きてる……。」
 千鶴の目から思わず涙がこぼれてくる。
「だから……謝らなくていい。」
「いやだ……。ゆりあったら……やっぱり強い。あの時のまんまだ。本当に、帰ってきたんだね……。」
 千鶴は、由梨亜に生前のゆりあの印象を重ねて、つい抱きついてしまう。そんな千鶴を受け止めて、由梨亜の方もついもらい泣きしてしまう。
 二人のそんな様子を遠くから見守っていた佐々木会長をはじめとする一同は、ほっと胸をなでおろした。
 しかし、その心温まる時間は、そう長くは続かなかった。
 突然、由梨亜の身体が硬直する。電流が走ったかのような反応に、千鶴が驚く。榛名は、その様子を見て、すぐに事態を理解した。
 来た。やっぱり……御倉崎が……。
 周囲を見ると、会長も金剛、霧島も状況を察しているのがわかる。わかっていないのは、大和と信濃と呼ばれる女性だけだ。
 今の自分たちにできるのは、二人を見守るしかない。それは、十年前に起こった事件のわだかまりを清算する唯一の道なのだ。避けて通ることはできない。

「感動の時間は、終わりだ。……満足したか? 」
 突然ふってきた冷たい言葉に、千鶴は驚いて顔をあげる。
目の前にいた由梨亜の顔の表情が、一変していた。同じ人物なのはまちがいないはずなのだが、その表情には、少し皮肉っぽい笑みが浮かんでいる。眼光鋭い目は、決して本心から笑っていないことが明白だ。
「……ゆりあ? 」
「由梨亜には、少し退場してもらった。私は、御倉崎だ。」
ここに至って、千鶴も事の次第を理解した。
「あなたが……、もう一人のゆりあの人格……ね。」
「知っているなら、自己紹介はいらないな。甘ちゃんの由梨亜は、許したかもしれないが、私は、あの時のゆりあの記憶をすべて受け継いでいる。だから、私は知っている。あの時、犯人たちに脅迫されたかもしれないが、ウソの電話をかけた時、お前は、ゆりあに危険が及ぶかもしれないと感じたはずだ。それでも、自分が助かりたいために、犯人たちが言うとおりにウソの電話をかけて、ゆりあを呼び出したんだ。ちがうか? 」
その冷たい指摘に千鶴は、泣き出してしまう。
「……そう。そうなの……。あなたの言うとおりよ。だから、私は、あなたに親友と呼ばれる資格なんかないの。」
「当たり前だ! 何が親友だ。本当に大切な友達なら、そうやって裏切ることなんかできるもんか! その後、ゆりあがどうなったか。お前はそれを一部始終見ていたはずだ。ゆりあの受けた苦痛、絶望と悲しみを知っているだろう? 一晩中強姦され続けて、ボロボロになって殺されたんだ。それなのに、お前はきれいな身体のまま、それを見ていたんだ……。」
「……殴って。私があなたにしたことに比べれば……。私はそれだけのことをしてしまったのだから……。許してなんて……言わないから……。」
千鶴は泣きながら懸命に言葉を紡ぐ。しかし……。
「……? 」
御倉崎は、呆然として千鶴を見詰めている。
「……なんで? なんで怒らない? 」
「え? 」
御倉崎の視線は、千鶴を見ていない。その発した言葉も、千鶴に向けられたものではない。やがて、その目から一筋、涙がこぼれて流れる。
「ちくしょう……。何が悲しいんだよ? 怒って当然なのに……。」
御倉崎は、苛立って、ベンチから立ち上がり、歩き回る。千鶴はその様子を黙って見つめる。
「お前はわかっていない!ゆりあの悲しいまでの絶望を……。友達に騙されたという哀しみを……。それで……親友なんて……言えるのかよっ! 」
御倉崎の独り言が続く。怒りの表情で叫んでいるものの、目からあふれる涙がどうしようもなくなって、やがて、御倉崎は歩くのを止める。
「あーっ。もう止め、止め。わかった。……わかったよ。本当に憎むべきなのは犯人たちだからな。」
御倉崎は戻ってくると、千鶴の目線の高さに合わせるように、ベンチに腰掛ける千鶴に向き合う。
「いいかっ。由梨亜が悲しむから、これ以上はもう何も言わない。ただし、今からお前が持っている事件についての記憶をすべて見せてもらうからな。特に犯人の顔や名前、イメージのすべての情報を探らせてもらう。協力しろ。」
「ええ。」
突然の御倉崎の変化に、今度は千鶴がとまどいながら返事をする。
「よし。協力してくれたら、もう恨みはない。」
「は? 」
「……許すって……言ってんだよ。」
御倉崎が左腕の時計を右手で強く握り締めると、その身体が金色の光に包まれ、変身が始まった。
その様子を真直に見た千鶴は、驚きのあまり目を見張る。
少し離れたところから見ていた会長たちは、突然、人目を気にすることなく変身が始まったことに、驚愕した。あわてて周囲の人影を確認する。幸いなことに、この場所は、観光地でもないため、人影はほとんどない。
少し盛り上がった生垣の起伏となだらかな斜面があるため、岬の周囲の道路からは、見通すことはかなり難しそうだ。
それでも、金剛と霧島は、車が入ってこないか監視するため、あわてて道路側へ駆けていく。入ってくる車があれば、そこで停止させるつもりだろう。
その間に、御倉崎の変身は完了し、フライアが千鶴の前に姿を現した。
「うそ……。これがメシア……なの? あなたが? 」
フライアは黙ってうなずくと、耳のイアーマフ、緑色に輝くイアリングの下あたりから、白い触手を伸ばしてきた。少し、ぬめったような印象に、千鶴は少し怯えてしまう。額にそれが張り付いた時、それはピークに達した。
(……だいじょうぶ。心配することはない。)
え?
突然、千鶴の頭の中にメッセージが流れる。
(お前の記憶を……コピーするだけだ。)
驚く間もなく、事件の時の情景が記憶の底から蘇ってくる。
部屋の隅っこには、ボロ雑巾のようになった親友の無残な姿があった。
一昼夜にわたり、父親の神父の目の前で繰り返された輪姦、暴行。
そして、心臓を抉り出すという凄惨な残虐行為の果ての死……。逃亡する犯人たちは、繰り返された暴行で瀕死の状態にあった神父に銃撃を浴びせて出て行った。
角ばった顔の男が、千鶴の方へ歩いてくる。
いやっ。来ないでっ。誰か、助けてっ。
ガムテープで口を塞がれているため、声は出ない。男が血でぬめり、光るナイフを右手に持つと、しゃがみこむ。千鶴の胸に激しい痛みが走る。噴き出す血の中、男が出口に向かっていく。
ガガガガッ!タタン。タタタン。パーン。
突然激しい銃撃の音が鳴り響く。記憶はそこで途切れた。

残酷な記憶の再生は、続く。
「いいかっ。御倉崎ゆりあをここに呼び出すんだ。大事な話があるとか言ってな。でないと、牧師の口を割らせるために、お前を痛い目に会わせるぜ。」
角ばった顔の男は、キムと呼ばれていた。
「へへっ。無理に娘を捕まえなくてもいいんじゃね? こいつでも、神さんを信じる牧師さんなら、罪深くて、吐いちまうと思うけど。」
もう一人の男がにやにや笑いながら、千鶴の身体を撫で回す。
たしか、この男の名前は……、キドウとか言っていたはずだ。二人は一緒になって、千鶴を御蔵崎ゆりあと間違えて、拉致した張本人だ。
すでに二日前から拉致監禁されて、暴行を受け続けている御倉崎栄牧師は、部屋の隅で後ろ手に縛られ、転がされたままだ。
「神よ……許したまえ……。この者たちは、自分たちが何をしているか……わからな……い」
牧師の小さなつぶやき声が気に障ったのか、キムは、牧師の顔面を革靴で蹴り飛ばす。
「いい加減にしねぇかっ! 毛指導者は、漢民族の復権と偉大なる中華帝国の復活のための切り札を探しているだけだ。モンゴル連合の圧政に苦しむ人民を救うため、我が身を捧げようとしている。キリスト教などという軟弱な思想に用はない。我々は、異世界から贈られた武器が欲しいだけだ。」
牧師の血で真っ赤に染まった口から、言葉が漏れる。
「アーク……に納められた贈り物は、世界を怪物から守るためのもの……です。人同士が争うための道具……では……ありません。」
「武器の名はアークって言うのか。その使い道は、託された者が決めるってことなんだろ? 世界の新秩序は、中国人民解放軍が大陸の覇権を握ることによってのみ成立する。今の世界は、まやかしのものにすぎない。そのまやかしを撃ち破る怪物がいるのなら、それは好都合だ。西洋列強は怪物によって滅び、その後の世界に、アークの力を握った我々が、新世界を築くのだ。」
キムの言葉に牧師の身体が、震えおののく。
「いけません。妖精は、決して……それを許しません。アークの中身は、邪悪な心に染めては……な……らない……。ううっ。」
キムは、牧師の背中に足を乗せて、体重を乗せていく。
「邪悪? 聞き捨てならねぇな~。アフリカ、南北アメリカ、そしてアジアへと、侵略と植民地化を進めてきた欧米列強の手先に、そんな非難をする権利があるって言うのか? 毛沢山指導者の説く中華帝国を中心とした東アジア帝国の再興こそが、この世界の本来あるべき姿なのだ。それこそが、善なのだよ。」
キドウがガムテープで拘束した千鶴を引き起こし、外へ連れ出す。
「そんじゃ。ゆりあって娘をおびき出してくる。楽しみにしてな。」
尾根に沿って作られた廃屋を抜け出し、キドウは、千鶴を大型のワゴン車に乗せて連れ出した。

 

16-(3)

「千鶴ちゃん……だいじょうぶか? 」
 御倉崎栄牧師の声が聞こえ、おぼろげな視界の中に牧師の顔が見える。
「君は死なない……。いや……死なせない。」
上着がはだけられて露出した胸に、牧師が何かを押し当てている。すると痛みが少しずつ引いていく。けれども身体はまったく動かない。
牧師は、そんな千鶴を確認すると、今度は、娘のゆりあの遺体へと懸命に這いつくばっていく。牧師から流れ出た血糊が、床を真っ赤に染めていく。
千鶴は、その壮絶なシーンを目の当たりにしているにも関わらず、ただ見つめている。牧師の顔が赤黒いもので染まっている。
それが大量出血によるものだと知っているものの、その意味するところまで理解がたどりつかない。
ゆりあの側までたどりつくと、牧師は何事か唱えながらポケットから取り出した黒い球のようなものをゆりあの亡骸に押し当てる。そして、そのまま床に顔から突っ伏して、動かなくなる。
 死……。
ゆりあも死んだ。
牧師様も。
もうすぐ自分も死ぬんだ。
それは、もう決まったことのように感じられた。
人は死に際に、それまでの人生の様々な出来事を走馬灯のように見ると聞いたことがあったが、何の記憶も湧きあがってこない。
ただ、真っ暗な暗黒の闇が足元から湧いてくる。
そして、暗くなっていく視界の中で、千鶴が最後に見た光景は、天井から降ってくる金色の光のシャワーだった。

 初夏の日差しが照りつける中、丘の中腹に立つカトリック教会に向かって自転車をこぐ。沖縄の中部には、駐留米軍の基地が多いこともあって、基地外に住むアメリカ兵のための外人住宅が数多く建っている。
 入り組んだ道を通り抜け、もうすぐ教会というところで、千鶴は教会からの一本道を下ってくるワゴン車とすれ違った。
 かなり濃いスモークガラスで覆われた、黒い車の運転席には、四角い顔で細い目をした、ぼさぼさ髪の男が乗っている。運転席の後ろには黒いカーテン、そして大音量のBGMを車内で流しているのだろう。ズンズンという重低音が、すれ違いざま鳴り響いてきた。
 地元沖縄の人は、浅黒い肌もさることながら、たいていくっきりとした目鼻立ちの人が多いから、たぶん観光客が道を間違えて迷い込んできたのだろう。
 一旦、振り返って車が道路の角を曲がっていくのを確認し、そのまま、教会へ向けて自転車を押していく。
 教会の建物の離れにある洋風の建物が、親友のゆりあの自宅だ。
 夏休みを利用して、沖縄を訪れたのが昨日の夜。
今日はこっそり訪れて、ゆりあをびっくりさせるつもりだ。
 ガジュマルの木陰に自転車を止め、真っ赤なブーゲンビレアの咲く緑の生垣を抜けて、ドアの呼び鈴を押す。
「? 」
 あれ? 留守かな?
 家の裏側にまわってみるが、物音ひとつ聞こえない。
玄関の方に戻ろうとしたその時、ふいに後ろから伸びてきた手で口をふさがれる。驚きのあまり息を吸い込んだ拍子に、衝撃が脳天を突き抜けた……。

「信じられないかもしれないけど……妖精って本当にいたんだよ。」
 電話のむこうから、ゆりあの興奮した様子が伝わってくる。
「あれ。ゆりあは、イエス様とかマリア様とか、宗教はいやだって言ってたのに……。どうしたのかな? 」
 千鶴の皮肉にも、その夜のゆりあはまったく動じない。
「キリスト教が嫌いなわけじゃないよ。信じてるっていうくせに、矛盾した行いをする人が多いから、いやなだけよ。だから、本当の奇跡を見ると、感動しちゃって……。」
「何があったの? 」
「夜中に、教会の中から光が漏れてくるから、お父さんと様子を見に行ったの。うちの教会の周囲は、外人住宅が多くて、海外派兵から帰ったマリーンとかがお酒飲んで騒ぐことも多くて物騒だから、私がお父さんの護衛についてったわけ。竹ボウキ持ってお父さんの後、ついてったの。そしたら、教会のキリストの像の前に金色の光と一緒に妖精が舞い降りてくるんだもの。もうびっくりよ。」
「本当に妖精だったの?羽根が背中に生えてて、小さなのが……? 」
「小さくなかったよ。でも光に包まれてて姿がよく見えなかったけどね。羽根があったのは確かよ。」
「それ……妖精じゃなくて……宇宙人とかじゃないの?外にはユーフォーが飛んでたりして……。」
「うー。そう言われると……弱いのよね。でも宇宙人だったら、私はどこどこの星から来ましたとか、自己紹介するんじゃない? 妖精は、ファチマでのメッセージに対する答えを持ってきたっていってたから……。あ、「ファチマの奇跡」って知ってる? スペインで昔、聖母マリアが降臨して世界の危機を三人の少女に伝えたっていう事件なんだけど……。」
「ごめん。その方面の話はちょっと……。」
「そう? で、すごいの。私、妖精からプレゼントもらったの。」
「プレゼントぉ? 」
「不思議なものよ。真っ黒いボールみたいなのだけど、持ってると心がなぜか不思議なくらい落ち着いてきて、心があったかくなるの。」
「……あんまり……うらやましく感じないんだけど……。今度会った時、見せてね。」
「でも、お父さんなんかもっとすごいの渡されてたから……。これ秘密ね。大きな黒い箱なんだけど、……法王様に報告しなきゃいけないってことで、いろいろたいへんみたい。」
「そう……なんだ。今度いろいろ教えてね。」
「うん。あ……ごめんなさい。話が長くなっちゃって……またね。」

 気が付くと、両手が後ろで縛られ、口はテープのようなもので塞がれていた。
 暗がりの中、目が慣れてくると、次第に状況がわかるようになってきた。コンクリートの暗い部屋の中は、いろいろなゴミが散乱している。部屋の隅に、黒い服を着た男が一人、こちらも何かで縛られて座らされている。
「……千鶴ちゃん? だいじょうぶか? 」
「……。」
 男は、ゆりあの父親、御倉崎栄牧師だ。
「すまない。どうやら、君を巻き込んでしまったみたいだ……。」
 何? どういうこと?
「君は、ゆりあと間違われて、僕と一緒に誘拐されちゃったんだ……。何とか犯人たちに言って、君だけでも解放してくれるように頼んでみるけど……。本当に……すまない。」
 その時、部屋の外から、ごみを踏みしめて人が近づいてくる気配がしてきた。部屋の入り口の影から誰かが立ち上がる気配がする。
「田邉さん。遅かったですね? 」
 迎えた声が突然途切れる。
「うっ……。」
「ばかやろう。俺の通名を呼ぶんじゃねえ。キムだって言っただろ。」
「すみません。つい……いつものクセで……。」
「瀬長ぁ。市議会議員の息子だか、知らねえが、少しは緊張感を持て。こいつは、一世一代の大仕事なんだぜ。」
「はぁ。わかってますが……。大陸との関係とかいう奴ですよね。」
「そうだ。もう少ししたら……詳しく教えてやるよ。駐留米軍も動いているみたいだから、気をつけねぇと……。靴跡も残すんじゃねぇぞ。」
「はい……。」
 やがて、ゴトゴトとベニア板のバリケードを動かす音がして、キムと呼ばれた男と瀬長という気の弱そうな男が、部屋の中に入ってきた。

「もしもし……。ゆりあ……。」
 首に突きつけられた大型の黒光りする軍用ナイフが、ときおり肌に触れる。
「あ……千鶴? なんだ~。お父さんかお母さんかと思った~。」
 電話の向こうから、ゆりあの声が返ってくる。
「今……どうしてる? 」
「留守番……。お母さんたちがいないから……。どっか出かけているのかも……。」
「そう……。あの……あのね……。私……今……沖縄に来てるの……。」
「えっ? 本当? 今どこ? 」 
「今……知り合いと一緒でレンタカーに乗ってるの。少し会えないかな……。今からそっちに向かうから……。」
話の核心部分に入ると、思わず生唾を飲み込んでしまう。キドウとか言う男は、にやっと笑ってキムに合図する。
「わかった。学校から帰ったばかりだから、制服のままならすぐ出られるよ。お母さんたちには、伝言書いとく。いつ来たの? 」
「あ……昨日……の夜……遅く……。最終便で……。ゆりあを驚かそうと思って……。それでー、あの~。」
 キドウが、千鶴の意図を察したのか、聞き耳を立てる。
 だめだ。どうしよう。
「もう。いつもいつも。千鶴ったら、また何か企んでるでしょ?! 」
「ああ……、ははっ。ばれちゃいそうだ……ね。」
「だいじょうぶ。何があっても驚かないから。」
「そ……そう……。じゃ……今……行くから……。」
 受話器を取り上げられて、電話が切られる。
 最悪だ……。私は、犯人たちの言うとおり、ゆりあを誘い出してしまった……。
 このままじゃ。そう思った瞬間、身体に激しいショックが走り、息が詰まる。
 思わず、床に倒れそうになるが、キドウがそれをささえる。
 息を整える千鶴の目の前にキドウが、そのショックの正体をかざした。
 ジジッ。バチッ。
 黒い四角形の男性用電気髭剃りのようなボディから、銀色の端子が二本飛び出し、そこから青白い稲妻が飛んでいる。
「スタンガンさ。よけいなこと考えると、また、こいつで電撃を食わせるぜ。」
 キドウは、にやにや笑いながら、軍用ナイフを鞘に収める。
 だめだ……。ゆりあ……ごめんなさい……。
 千鶴は絶望に囚われて、目の前が真っ暗になった。


 

16-(4)

ダイヤモンド・デルタ重工のマークをつけた大型トレーラーが、涼月市郊外にある、国防軍駐屯地へ乗りつけたのは、パワーズ少尉がアメリカから帰国して一週間後のことだった。
 機動歩兵の整備工場へ入ると、それをパワーズ少尉と先に来ていた佐々木専務、秘書の羽黒、そして、機動歩兵整備班長の神谷が出迎える。
「来た時は空輸だったのに、大破して修理に出す時は、全部こちら任せってのは、どうなんですかね。」
 神谷班長は、大型のフォークリフトでトレーラーに搭載されていく「ブラック・ベアⅡ」92号機を見て、納得できない様子だ。
「システムFとか最重要機密のパーツ部分は外しているって言っても、米軍の最新兵器であることはまちがいないはずでしょう? 武器とか危険な装備品も付いていないとはいっても、その修理を民間企業にそのまま任せるって……、いいんですかね? 」
「だから、パワーズ少尉は、我が社の技術力にかけたんじゃないのか。機動歩兵『蒼龍』で絶大な実績を示している、このダイヤモンド・デルタ社の技術力に。」
 佐々木専務が答える。そこから少し離れたところで、羽黒がパワーズ少尉と何事か英語で話を続けているが、内容はよく聞き取れない。しかし、期限がどうとか、起動の可否の確認とかいう単語が混ざっているので、スケジュールの確認をしていることはまちがいなさそうである。
「ま、こちらも国防軍の正面装備の研究開発、そして量産を任されている軍事メーカーですから、その同盟国たるアメリカの機嫌を損なうようなことはできません。なあに、立派に修理して、日本の技術力の高さを見せてやりますよ。」
 佐々木専務は、胸をはって答える。
 やがて、パワーズ少尉が書類にサインをして、羽黒に渡し、握手を交わした。
 佐々木専務は、それを見て、先に黒塗りのベンツに乗り込む。その後から羽黒がトレーラーの運転手に書類を渡し、ベンツの運転席に乗り込んでくる。
「ご苦労。」
「いえ。それじゃあ、行きましょうか。」
 羽黒が運転するベンツを先頭に、『ブラック・ベアⅡ』92号機を載せたトレーラーは、国防軍駐屯地を出て、まっすぐ、ダイヤモンド・デルタ社の整備工場へと向かった。

「しかし、よくシステムFが手に入ったな。」
 佐々木専務は、ベンツの後部座席で感心したように話しかけてくる。
「まあ、多少非合法なこともやりましたけどね。」
 羽黒は、ハンドルを握りながら、ルームミラーで専務の様子を確認しながら答える。
「おっと……、代金の方もよろしく。」
「いくらかかった? 」
「……ざっと、一億です。」
「な……。おいおい、そりゃいくらなんでも……。」
 佐々木専務は、その額を聞いて驚く。
「システムFは、妖精からアメリカ側に渡ったアークに納められていただけしかないと聞いています。それ以外で、手に入るものなんか普通に考えると、ありません。幸い、私のコネで香港の中華系の闇ルートから確保ができたんです。これの本当の価値が知れたら、こんな値段でも手に入りませんよ。」
「しかし……あまりにも高すぎる……。総会屋対策とかで捻出するとしても、かなり厳しいぞ。」
 佐々木専務は、厳しい顔つきになる。
「なら、やめますか?代金の送金先は、こちらにメモしてあります。今日中に振り込めば、確実にシステムFが手に入りますが……、出し渋ったりすると……。」
「わかった。わかった。なんとかしよう。」
 佐々木専務は、羽黒からのメモを受け取ると、ため息をつきながら答える。
「金の振込みが先とは……、ずいぶん強気だな。香港中華八満銀行? ……この口座の名義人のキム・スンマンという奴は……信用できるんだろうな? 」
「ははっ。裏の世界は、信用が第一です。信用を裏切ると……、生きていけませんぜ。逃げても一生追われることになる。心配はありません。」
「わかった。これでアリソン・バイオテクノロジー社の機動歩兵の技術を吸収できれば、次期主力機動歩兵の開発にもプラスになる。宮川研究所長もこいつを見せたら驚くぞ。」
「いえ。研究所には持ち込みません。」
「なに? どういうことだ?! 」
 佐々木専務は、血相を変える。
「今、そのまま研究所に『ブラック・ベアⅡ』を持ち込んだら、それこそアメリカ側が黙っていませんよ。これは、あくまで、裏取引ですから、別の場所に持ち込んで、そこで対応していただかないと……。」
 羽黒は、佐々木専務の反応を面白がりながら、子どもに諭すように説明を加える。
「なるほど、極力表向きだけは、体裁を整えるというわけか? 」
「ええ。まあ、駐屯地から運び出す手筈だけは、トラブルを避けるために、ダイヤモンド・デルタ重工として正式な手続きを踏んだ形を取らせてもらいましたがね。持ち込み先まで、我が社の研究所じゃあ、技術を盗もうとしていると言われても、弁解できなくなります。」
「うーん。じゃあ、そこに我が社の技術者を送り込んで調べるということか? 」
「それしかないでしょう。」
「……わかった。で、システムFが届くのは、いつだ? 」
「入金が終われば、たぶん今週中に。」
「よし。システムFを組み込む時は、私も立ち合わせてもらうぞ。」
 しかし、佐々木専務の思惑とは異なり、羽黒からは、その後、1週間を過ぎても連絡がなく、事態は思わぬ方向へと展開し始めるのである。

「どういうことだ? 」
 週明け月曜日の午後、アダム極東方面司令部直属の情報担当官・パワーズ少尉からの直接の問い合わせに、ダイヤモンド・デルタ本社は大騒ぎとなった。
 佐々木専務か、秘書の羽黒を出せという英語での剣幕に、秘書課は対応しかねて、小田桐社長が直々に応対に出ることとなった。
「ミスターパワーズ。そのような話は、私は存じ上げておりません。佐々木専務と連絡が付き次第、こちらから連絡するということで、ご了解いただきたい。」
 小田桐社長は、ここに至ってようやく佐々木専務が勝手にアダム極東方面司令部の情報部門と交渉をしていたことを知った。
「佐々木専務を呼び出せ! 大至急だっ! 」
「専務は、本日午後から私用で外出となっています。行き先の申告はありません。携帯も先ほどから呼び出しているのですが……、つながりません。」
「羽黒は? 専務の個人秘書の羽黒の方は……どうだ? 」
「羽黒は、もともとうちの正社員ではありません。専務の個人秘書ですので、行方はまるっきりつかんでおりません。一応、確認した携帯に電話をかけているのですが……こちらも同じです。」
 小田桐社長は、秘書課全員に、佐々木専務や羽黒が寄りそうなところを片端から確認するよう指示を出す。事態は一刻を争う。
 研究所の宮川研究所長に大至急連絡するように伝言し、さらに車両管理の管財課へ連絡して、トレーラーの運行状況と行き先等の使用簿を持ってくるよう手配する。
 こんな時、金剛以下の優秀なセキュリティーガードのスタッフがいたら……と悔やまれるが、佐々木会長の身辺警護に放出した今、代わりになる優秀なスタッフは育っていない。
 しかし、ふと思いついて、佐々木邸へ電話を入れる。
「小田桐だが……金剛たち四人の誰か……残っていないか?」
 しばらくすると、留守を預かっていたのだろう。男の声が返ってきた。
「比叡です。何か、急用ですか? 」
「おおっ。比叡かっ……こいつは都合がいい。大変なことが起こった。専務がアダムの機動歩兵を勝手に持ち出して、今、行方不明になっているんだ。どうやら、最重要機密に関わる部品の修理の約束をしたらしいのだが、裏のルートの組織が関わっているみたいなんだ。何か……わからないか?」
 小田桐は、懸命に用件を要約して説明する。
「落ち着いてください。何か起こっていることはわかりましたが、今、確認したいのは、佐々木専務の居場所ですね? 」
 比叡は、冷静に成すべきことを順位付けして整理する。
「そう……そうだ。専務さえつかまえれば……、羽黒でもいい。状況がわかれば、手が打てるんだ……。」
「なら、一番街裏の社交街にあるソープ『皇帝』です。そこに部下を急行させてください。いつも、月曜日の午後から暇があればそこに入り浸っていますから……。」
「な……。」
小田桐の頭に怒りの血がのぼる。
ここまで……、ここまで腐ってやがるのかっ!会長……あんたの息子は、会社をつぶしてしまうぞ……。
比叡の情報を頼りに、小田桐は会社を守るため、孤軍奮闘することとなった。
 
「『ブラック・ベアⅡ』が盗まれたぁ? 一体……どうして? 」
 その日の夜、涼月市郊外にある国防軍対次元変動対応部隊駐屯地内の会議室で、アダム極東方面司令部とダイヤモンド・デルタ重工の秘密対策会議が開かれていた。
 金城副司令は、アダム側の通訳からの報告に思わず素っ頓狂な声をあげる。
「落ち着きたまえ。盗まれたとはいっても、92号機は、システムF等の最重要機密は欠損している。また、武装関係の装備も大方が降ろされているということだし、万が一のことがあっても大きなダメージにはならんだろう。」
 アダム極東方面司令部司令官のレイモンド・チャンドラー少将が、流暢な日本語で、騒然とする会議室内の一堂を制する。
「うん。問題は、どこの誰が、何の目的で盗んだかということだ。」
 国防軍で次元超越獣対応の対次元変動対応部隊の司令長官を務める、霧山直人少将が、レイモンド少将の発言にうなずきながら、事件のポイントをまとめる。
「本基地から当該機動歩兵CPSー04F1、92号機を持ち出したのは、ダイヤモンド・デルタ重工の関係者であることは、間違いありません。そして、本日判明したところでは、それらの関係者は当該機動歩兵とともに、全員行方不明となっています。おそらく盗んだ機動歩兵と一緒に逃げたか、あるいは……。」
「ま、まってください。我が社は、正式にこの事件に関わった事実はまったくありません。これは、……何かの陰謀です。佐々木専務は……、罠にかけられたんです。」
 須藤三佐の説明に、小田桐社長は、異議を唱える。
「そう。何らかの組織によって嵌められた……可能性があります。」
 須藤三佐は、小田桐社長の言葉を引き取って話を続ける。
「ダイヤモンド・デルタ重工から先週、香港の中華八満銀行へ根拠のない金の流れが確認されています。アダム極東方面司令部でも確認していますが、入金口座の名義は、キム・スンマンという男になっています。すでに口座から金が引き出されて、どこかへ送金されているようですが、合計で六百万ドル近い大金の動きですから、我々の情報網で金がどこへ流れたか、概ね確認はとれています。」
 須藤三佐は、一堂の顔を見渡す。
「マカオ中華三光銀行。マカオの中華マフィアの支配下にある銀行で、国際テロ組織・中華人民解放軍と関係があるとされています。キム・スンマンという男も、中華人民解放軍と関係を持っていることが確認されていまので、今回の事件は、国際テロ組織・中華人民解放軍によるものと推測されます。」
 ざわめきがわき起こる。
「国際テロに、機動歩兵を使うつもりか? 」「いや、モンゴル連合とのゲリラ戦に使うんじゃないか? 」「無茶だ。あんなでかい図体の兵器じゃ、目立ってしまう。それじゃゲリラ戦にもテロにも使えない。」「いや、機体は資金を獲得するための隠れ蓑なんだよ。」
 その時、霧山少将が、須藤三佐に合図を送った。何か、話したいことがあるらしい。
「アテンション! 」
 須藤三佐の大声が響き、会議室は何事かと静まりかえる。
 そこで、レイモンド少将が立ち上がる。
「十年ほど前、我々は妖精から対次元超越獣戦のための支援をいただいた。諸君もよく知っているシステムFがそれだ。それらは、聖なる柩に納められていたため、我々は聖櫃、アークと呼んだが、当時、バチカン経由で伝えられたこの情報を入手し、その横取りを図った組織があった。」
「それは……まさか? 」
「そう。国際テロ組織・中華人民解放軍だ。彼らは、大陸に自らの自治国家を建設するため、テロ活動を続けている。おそらくそのために強力な武器を欲したのだろう。幸いにもその野望は、在日米軍が阻止し、アークとそれに納められたシステムFは、守りきることができた。もし、今回の事件が、それと関連があるとすれば、彼らは、その野望を諦めていなかったということになる。」
「しかし、盗まれた機動歩兵には、システムFは付いていません。勘違いをして盗んでしまったということですか? 」
金城副司令の問いを通訳から聞いたパワーズ少尉があわてて手を挙げ、何事か英語で早口でしゃべりまくる。
それを聞いて、レイモンド少将が、日本語に要約して通訳する。
「は……? じゃ、やつらはシステムFをどこからか入手済みってことなのか? そんなバカな……。ありえないだろ? 」
金城副司令は、驚いて声を発してしまう。
「パワーズ少尉にそれを伝えたことからしても、作り話ではなさそうだな。実際、アメリカ側からシステムFが奴らに渡った形跡はないんだろう? なら、システムFを持っていることを前提に、奴らの考えや行動を予測するのが正しい見方だと……私は思うが? 」
レイモンド少将もうなずく。
「我々は、十年前、システムFをすべて守ったつもりだった。しかし、ひょっとしたら奴らの手に渡ったものがあったのかもしれない。そうだとすると、奴らが、我が軍の機動歩兵の入手を図った理由も明快だ。奴らは、入手したシステムFの使い方をまだ知らなかった。そこで機動歩兵を手に入れて、その使い方や実力を試そうということだろう。」
「き、危険だ。機動歩兵がシステムFの力で動き出したら、武装がないといっても、かなりの戦闘力を発揮できる。テロどころの騒ぎじゃなくなるぞ。」
「まて。システムFの起動率はかなり低い。超電磁プロッカー(SEB)がなければ確実な起動はできないはずだ。」
「まさか、それまで入手していると言うのか? 」
「それはありえん。」
「なしでも……超電磁プロッカー(SEB)なしでも、起動する可能性はある。確率は低いが、0ではない。やはり、大至急、手を打つ必要があるだろうな。」
 レイモンド少将の言葉に一堂が頷き、須藤三佐が続ける。
「結論が出たようなので、ここまでの内容を整理します。
 敵は、国際テロ組織・中華人民解放軍。敵の目的は、システムFを使った機動歩兵の起動と戦力化。
 我々は、それによるテロの危険を排除するため、機動歩兵の奪還とシステムFの回収、そしてテロ組織の壊滅を目指します。これでよろしいですね?」
 須藤三佐が確認して、続ける。
「では、ダイヤモンド・デルタ重工の小田桐社長から、犯人たちの逃走先等についての考えを……」
 会議は続き、国防軍とアダム極東方面司令部は、共同して機動歩兵を奪った国際テロ組織・中華人民解放軍を追跡することとなった。
 

 

16-(5)

機動歩兵盗難事件の第一報が、フランスにいる佐々木会長に伝えられたのは、事件発覚から二日後のことだった。
「専務も……重義も行方不明なのかっ? 」
「はい。残念ながら、犯人グループに拉致された可能性が高いのではないかと思われます。」
 電話の向こうの比叡の声は、冷静に事件の状況を説明する。
「それで。まだテロリストたちの行方は……? わからないのか? 」
「巧妙な逃走経路を確保していたようで、未だに特定できていません。北海道内に潜伏しているのか、それとも海外へすでに逃走しているのかも不明です。小田桐社長は、船による逃走の可能性が高いと見ていますが、北斗港から出航した貨物船はすべて臨検して確認済みです。」
「見つからなかったのだな。」
「はい。国防軍の方は、列車もしくはトレーラーによる逃走を視野に道内を徹底捜索しています。郊外の漁村で、専務らしき人物を見かけたという目撃情報も入っていますので、それが事実であれば、もうすぐ捕捉できるかもしれません。」
「わかった。何か、新しい情報が入ったらすぐに知らせてくれ。」
 電話を切り、佐々木会長は、榛名を呼び出す。
 しばらくすると、部屋に榛名が入ってきた。
「お呼びですか? 」
「ああ、メシアは……どうしてる? 」
「由梨亜は、今、千鶴様と一緒にツインルームでお話しています。由梨亜の過去を知っている千鶴様の話は、とても興味があるみたいで、ずーっとおしゃべりが続いています。この分だと寝る時間もなくなってしまうかもしれません。」
「二人の間のわだかまりは……解けたかな? 」
「御倉崎はとても厳しい糾弾者ですが、由梨亜は優しいですから。それに、前世の過去を引き継ぐべきなのは、本来、由梨亜の方です。彼女が許してくれる限り、問題ないと思います……。」
 ここまで言ってから、榛名はふと、疑問が湧き起こってきた。
 「前世の過去を引き継ぐ……」って、どっちが? 本当に由梨亜の方でいいのかな?
たしか……多重人格、正式には解離性同一障害といって、精神病理学とか、心理学の世界では、本来あるべき人格が本体で、その他が他人格。
 まさか、ホストじゃないよね?
「そうか。実は、たいへんな事件が日本で起こっていて、メシアに助けてもらいたいのだが……。今から話すのは無理だろうか? 」
 榛名は、はっとして、多重人格について湧きあがってきた疑惑を抑えて、会長の言葉に注意をもどす。
「会長がおっしゃるからには、よほどのことなのですね。」
「ああ……。たいへん申し訳ないことなのだが、せがれが、大失敗をやらかして行方不明となっているようだ。助けてはくれないか? 」
「え? 佐々木専務が……? 」
「メシアには、以前たいへん無礼なことをした。それは、十分承知している。たいへんすまないと思っている。問題のある息子であることも事実だ。しかし、親の立場からすれば、そんな息子であっても、助けてやりたいという思いは一緒だ。……頼んでみてはくれないか? 」
 佐々木会長は、榛名に頭を下げた。榛名は、突然の会長の願いにびっくりしてしまう。
「あ……どうか頭をお上げください。私にその権限はありませんし、会長は私に命令すればいいのです。由梨亜には、私から説明いたしますから……。」
「おお……。お願いできるか。」
「はい。日本で起こったことなら、由梨亜と一緒に私も戻ろうと考えていますが、よろしいですか? 」
「そうだな。あっちは、比叡一人でかなり対応に苦労している。一緒に飛んでくれ。」
 
 佐々木会長の依頼を受け、由梨亜と榛名は、すぐにフランスから日本へ飛んで戻った。そのすばやい対応に魂消る比叡から、事件の詳細の説明を受ける。
「次元超越獣が関わっているわけじゃないから、フライアが関わるのはどうかと思うけど……。でも、システムFが関係しているとすると、そのままにすることもできないと思う。」
 榛名は、言葉を選びながら由梨亜に確認する。
「いえ。会長にはお世話になってますし、息子さんの命が危ないと知っててそのままにはできないと思います。それに……。」
 由梨亜が話の途中で硬直して、言葉が途切れてしまう。
 驚く榛名と比叡の前で、由梨亜の人格は御倉崎に替わってしまった。
「……十年前の事件と関係があるなら、そのままにはできない。今回は、私が対応しよう。」
「……で、でも、それじゃあ、専務は……? 」
 驚いて訊ねる榛名。
「ん。心配するな。できる限りのことはする。ただ、由梨亜に対応させるには、荷が重過ぎるということだ。相手は人間なんだからな。」
「そ……そうね。」
「十年前の事件の犯人たちが相手なら、望むところだ。私には、ゆりあの記憶と千鶴の記憶のコピーがある。犯人なら、見ればわかる。見つけたら、八つ裂きにして殺してやる。」
 御倉崎の声に、特に感情がこもっているわけではないが、榛名はそれがまぎれもない殺意に満ちていることを感じ取る。
「でも、まだ彼らの居所はわからないのですよ。」
 比叡が、小田桐社長から聞いたメモを確認しながら、釘を刺す。
「いや、たぶんすぐにわかるだろう。まさかとは思ったが、アメリカ軍の使っているロボットにもシステムFが搭載できるようになっているのなら……。」
「ええ。『ブラック・ベアⅡ』と言いますが、システムFの稼働率を高める工夫がされているようですが……。」
「それだ。」
「私には……、フライアは、この世界に送り込まれたシステムFが起動した時は、その存在している場所や状況がわかるようになっている。システムFは、次元超越獣の侵攻を感知した時、あるいは良き魂が危機に陥った時などに起動することになっているが、今まで、日本以外でシステムFが起動した感触が得られなかった。だから私は、日本に今あるシステムF以外は死滅したか、起動できない状態になったのだと思っていた。」
「え? 」
「アメリカ軍のロボットに付けられた……その工夫が、フライアとの連絡を妨害していたわけだ。ヨーロッパにも同じロボットがいたから、あちらも同じ状況なんだ。」
「ちょっと待って……。じゃあ、犯人たちが、盗んだ機体に、彼らが持っているシステムFをつけて起動させたら……、すぐにフライアにわかってしまうということ? 」
榛名の質問に、御倉崎は黙って肯く。
「どこにいるか……も? 」
榛名の念押しに、御倉崎は肯いて、説明をはじめた、
「システムFは……、妖精たちは、ニーズへグと呼んでいたが……、元々は、フライアの身体を補完する寄生生物の身体の一部から作られている。残りの部分がバラバラに分割されて、この世界に送られたわけだが、それは、この次元世界を守るための監視システムを構成すると同時に、妖精兵士として派遣されるフライアを補佐する戦闘システムとしての役割も持っている。起動すれば、単体でもある程度、次元超越獣と戦えるだけの力を発揮できる。それ故、その力の行使者には、良き魂であることが求められる。同じ人間を傷つけ、殺した経験があれば、起動させることなどできない。そうすることで……、悪用を防いでいるということらしい……。」
御倉崎は、そこで話を切り、一旦考え込んでから続ける。
「……ただひとつ、起動する危険な例外がある。それは、私の……フライアとなった人間の血でシステムFが穢された時だ。その時、どんなことが起こるか、私にも知らされていない……。」
「『ブラック・ベアⅡ』は、ロボットではありません。中にパイロットが搭乗して動かす一種のパワードスーツです。システムFは、その動力源、駆動システムの中心となるよう設計されていると聞きました。御倉崎様が言う危険とは、操縦するパイロットに何らかの危害が及ぶということでしょうか?」
比叡が「ブラック・ベアⅡ」がロボットではないことを説明して、システムFの危険な例外の意味を推測する。
「それは、わからない。その程度で済めば……いい方かもしれない。」
榛名、比叡、そして御倉崎の三人は、そのまま黙ってしまう。三人とも、自然と窓の外に視線が向いてしまう。窓の外は、まだ夜明け前の闇が支配している。
今は、とにかく、待つしかない。
三人とも考えることは一緒だ。
佐々木邸のデルタ・パレス1階の玄関脇に設けられている警備指揮室で、三人は眠れぬ夜を過ごすこととなった。

 春の日本海を1隻の大型タンカーが、中東に向け航行していた。
 「瑞鳳丸」七十五万トン。
今、その船内の大部分を占める原油タンク内には、原油に代わってバラストとして海水が満たされている。そしてその一角に、特別に設けられた空間がひとつだけあった。
「一体、どうする気だ? 」
 佐々木専務は、ロープで縛られ転がされたまま、秘書の羽黒に向かって疑問の言葉を投げかける。
 羽黒と数人の男達の前には、「ブラック・ベアⅡ」92号機が、大型のブイ四本を縛り付けられた状態で置かれている。その全身からは海水が滴り落ちていて、かなり長時間、海中にあったことがわかる。
 そして、そのさらに後ろの壁際には、27式機動歩兵「剛龍」が二機並んで立っている。原油の匂いさえなければ、ここがタンカーの内部ではなく、ダイヤモンド・デルタ重工の整備工場の一つと言われても納得できそうな景観だ。
 やがて、米軍の「ブラック・ベアⅡ」専用パイロットスーツを着た、角ばった顔が印象的な男が、入ってきた。
 羽黒とそこにいた男達が、それを迎える。
「ふふっ。やっと手に入ったな。」
 パイロットスーツの男は、「ブラック・ベアⅡ」の真っ黒な機体をなでながら感慨深そうにつぶやく。
「キム。手に入れたのはいいが、肝心のシステムFがないと、動かないそうだぞ。だいじょうぶなのか? 」
 羽黒が、懸念を伝える。
「これを手に入れるために、俺はそこの秘書の仕事を捨てたんだ。今頃、アダム極東方面司令部や在日米軍、国防軍やダイヤモンド・デルタ重工の連中が懸命に追いかけているはずだ。二度と日本には戻れんだろう。それだけの値打ちはあるんだろうな? 」
「心配するな。システムFは、入手済みだ。」
 キムと呼ばれたパイロットスーツの男は、ポケットから黒い箱を取り出す。
 そこにいる皆の注目が注がれる中で、キムが箱を開けると、その中には、黒い小さなゴムボールのようなものが納まっていた。
「本物なのか? まさか、本当にアメリカから入手できたなんて……。」
 羽黒の驚く様子を、キムは鼻で笑う。
「ちがうな。これは、我々が十年前、沖縄で直接入手したものだ。初めは、これが何なのか、まったくわからなかったがな。」
「本物という証拠はあるのか? 」
「ああ、こいつは妖精から渡されたという女の部屋から見つけたものだ。しかも、こちらが入手したシステムFの形状写真とも一致している。まず、まちがいない。問題は、これをどう使えばいいか……、それがわからなかったということだ。この米帝の『ブラック・ベアⅡ』は、そのプラットフォームとして、最高の稼働率をあげている。試すには最適なのだよ。」
 キムは、そう言うと、そこにいた二人の部下に指示する。
「ワイヤーをはずせ。ブイもだ。」
 そこに、佐々木専務が声をかける。
「あんたが、ここのボスか?もしそうなら、私と取引をしないか? 」
「? なんだ、こいつは? 」
 キムが羽黒に尋ねる。
「ああ……。『ブラック・ベアⅡ』を入手するために手伝わせたダイヤモンド・デルタ重工のおえらいさんだ。もう用なしだが、追跡されるヒントを与えちゃまずいと思ってね。あとで処分すりゃいい。」
「しょ……処分って……どういうことだ。私は、ダイヤモンド・デルタ重工の専務だぞ。なんかわからんが、そこにある27式機動歩兵『剛龍』は、うちで開発した兵器だ。今後のことを考えれば、私と取引した方が、何かと役に立つはずだ。」
 佐々木専務は、ようやく自分の身に危険が迫っている事に気付き、懸命に自身の価値を強調する。
 キムは、興味なさそうな顔で一瞥した後、ヘルメットを被り、起立させられた「ブラック・ベアⅡ」の背後に回り込む。
 こいつだ。
 キムは、シリンダー状のケースを取り外し、内部に残されたリング状の金属枠に、システムFを嵌めて固定する。シリンダーケース下部に機体から伸びている伸縮式パイプを接続して、シリンダ本体を元の場所にはめ込む。
 よし。これでいい。あとは確率の問題のはずだ。
ダメなら、次はSEBを付けるだけだ。
「よし、起動用の電源をつなげ! 俺が乗って試してみる。」
「キム! 本当に……操縦できるのか? 」
 羽黒が改めて確認する。
「ふん。シュミレーターで十分経験済みだよ。そちらの『剛龍』もかなり乗りこなさせてもらったから、経験としては、素人じゃないぜ。」
キムは、そういうと、ハッチをあけて「ブラック・ベアⅡ」に乗り込む。
「どいてろ。」
キムがそう言うのと同時に、ハッチが閉まり始める。起動用ケーブルが繋がったままだが、やがて、ブウーンといううなり声のような音が始まり、「ブラック・ベアⅡ」の全身にミシミシと何かが満ちていくような音が伝わっていく。
「ははっ。見ろ。起動するじゃねぇか。ちょろいもんだ。」
「ブラック・ベアⅡ」の音声スピーカーから、キムの声が響く。やがて、起動用ケーブルが外れ、「ブラック・ベアⅡ」がゆっくりと立ち上がった。

「起動した……! 」
 御倉崎は、椅子から立ち上がると、机の上に広げられた地図を確認する。
「ここから南西の方向……。場所は……海の上だ。船、大きな船の上だ。」
 比叡が、地図の上で方位を合わせ、西南に向けて真っ直ぐ線を引く。
「距離は、どれくらいですか? 」
「ここから、直線距離で……、約八百五十キロ。」
「え……。それじゃあ。日本海まで行ってしまいますが……? 」
 御倉崎は、それに答えず、机から少し離れると変身を開始した。
「行ってくる……。」
 金色の光があたりに立ちこめ、御倉崎がフライアへと変わっていく。比叡は、その変身シーケンスを目のあたりにして、呆然とただ立ち尽くし、見とれるだけである。榛名は、その側で、小田桐社長へ緊急連絡を入れる。
「社長。こちらで掴んだ極秘情報ですが……、ええ。犯人の逃亡先がわかりました。海です。大型船に乗せて、機動歩兵を運んでいるようです。……はい、船名はわかりませんが、今、日本海を南下しているようです。」
 そこで、榛名は意外なことを告げられた。
「え? タンカー……ですか? 涼月市沖でユーターンした不審なタンカー……? たぶん……それです。大至急、追跡してください。ただし、この情報源は秘密にしてください。」
 榛名が電話を切った時、部屋の中にフライアの姿はなかった。
「戦闘開始……ね。」

「……? な……何だあ? 」
 キムは、「ブラック・ベアⅡ」の中で得体の知れない焦燥感に襲われた。
それは、これまでテロ活動を続けてきた中で、危険回避の時に感じた第6感に似たものだった。
 何か……来る! 敵……?!
「羽黒っ! 敵が来る。ブリッジに行って、様子を見てこい! 」
 「ブラック・ベアⅡ」の側で様子を見ていた羽黒は、突然の命令にあわてて部屋を出て行く。残った四人の部下は、うろたえ気味に周囲に目を配る。
「うろたえるな! 宗学儀とイ・ジョンウは、すぐに機動歩兵に乗れ。あとの者は、武器を準備しろ。」
キムは、「ブラック・ベアⅡ」の武器をチェックする。
ちっ! 伸縮式棍棒だけか……。
 宗とイは、ダイヤモンド・デルタ重工から予備部品等をこっそり横流しして組み立てた二機の「剛龍」に乗り込んでいる。しかし、それに重火器類は装備されていない。今回、タンカーに載せてきたのは、海中に隠して漁船で引っ張ってきた「ブラック・ベアⅡ」を、タンカーへ引上げるためのクレーン代わりにするためだ。実戦になるとは、予想もしていなかった事態なのだ。
 機体と一緒に、機動歩兵用の携行火器も盗み出しておけば……。
 しかし、今さら言っても始まらない。それに通常の火器やロケット砲などは十分に持ち込んでいる。日本の海上保安庁程度であれば、撃退できる。
 在日米軍が動くとやっかいだが……。
 その時、センサーカメラを人影がよぎった。
次の瞬間、キムの「ブラック・ベアⅡ」は、壁へと吹っ飛んでいた。
カメラからの映像が一瞬にして途切れる。
 ……?
 壁に叩きつけられた衝撃は、機動歩兵内のため、それほどの打撃ではない。
すぐさま、身体を起こし、反射的に身構える。
目の前、先ほどまで立っていた場所に、不思議な姿の女が……いた。

 その感覚は、おぞましく、触ることさえ、ためらわれた。
 ニーズヘグを通じてなだれ込んでくる悪意と肥大した自己正当化意識、被害者の苦痛を快楽と哄笑で享楽に変える歪んだ感情に、御倉崎は吐き気とともに激しい怒りに囚われた。
 御倉崎は、怒りのエネルギーを空間転移終了と同時に、「ブラック・ベアⅡ」への右の拳による強烈なフックでぶちまけた。異なる温度と湿度をまとった身体から繰り出されたパンチは、その軌跡に白い水蒸気の帯をまとわりつかせながら「ブラック・ベアⅡ」のセンサーカメラを積んだ頭部を直撃した。
センサーカメラを積んだ頭部が打撃にひしゃげ、首にあたる部分からちぎれて吹っ飛ぶ。
「ブラック・ベアⅡ」は、壁際に激突したものの、すぐに体勢を立て直す。
なくなった首の根本部分から黒いアメーバー状のものが伸びてきて、その先端に緑色のレンズを形成した。
 ……目?! 目の代わりのものを再生した?
 フライアとなった御倉崎は、それが意味するものを瞬時に悟った。こいつのニーズヘグ(システムF)は、明らかに普通ではない。悪意をもったパイロットに加勢をするなど、異常でしかない。ということは、このシステムFは、ゆりあの血で穢されて……いる?
 御倉崎の頭にカッと血がのぼった。両腕をまっすぐ「ブラック・ベアⅡ」に向け、最大出力で両手計4門のハンドレーザーを発射した。
 ブウォン。ドォーン!
 大気を震わす重低音が響き、タンカーのタンクを構成する鋼鉄製の壁に瞬間的な気化爆発が生じる。
だが、「ブラック・ベアⅡ」は、瞬時に跳躍して、タンクの上部を覆っていたブルーシートを突き破り、タンカーの上甲板へと脱出する。
 フライアとなった御倉崎は、ジャンプして逃走を図る「ブラック・ベアⅡ」を目で追う。
……逃がさない!
 
 キムは、突然の敵の襲撃に慌てたものの、自らの反射的な動きの速度に驚愕していた。信じられないほど、相手の動きが手に取るようにわかり、思ったとおりに「ブラック・ベアⅡ」が反応してくれるのである。一瞬途切れたカメラの視界も瞬時に回復したのだ。身体も羽が生えたかのように軽い。
すごい……。こいつは本当にスーパーマンになったようだ。
こいつなら、どんな奴と戦っても勝てる!
そう思った矢先、危機が上から迫るのを感じる。
……!
十メートル近いジャンプをした頂点となる空間の先に、黒い人影が突然現れる。背中で羽ばたく羽が見える。
 敵は、妖精か?
キムは、とっさに腰から伸縮式棍棒を抜いて、殴りかかる。
 黒いウェットスーツ姿の妖精は、たなびく長い金髪の中から白い顔をのぞかせる。青い瞳が剣先のような鋭い光を反射したと思った瞬間、その姿が再び消失する。伸縮式棍棒を振りぬいた腕を下に、体勢を崩したキムは、背後に気配を感じ、振り向こうと空中で身体をひねる。
 振り向いた視界に、羽を閉じて降下してきた妖精の強烈な両足蹴りが飛び込んでくる。
ドカン!!
衝撃が腹部に走り、落下速度がグンと高まる。
 くそっ。このまま墜落死かっ……。
 ドオォォォーン!!
大太鼓を叩いたような衝撃音が轟き、タンカーの上甲板にキムの「ブラック・ベアⅡ」は背中からめり込んだ。上甲板に張り巡らされたパイプやバルブ類が一部はへし折れ、一部は甲板に張られた鉄板にめり込む。
ビン、ピッ!
ボルトで止められた鉄骨がゆがみ、ボルトの頭部がちぎれて弾丸のようにすっ飛んでいく。
 こいつ……やりやがったな……。
 キムは、激怒して立ちあがった。「ブラック・ベアⅡ」の頑丈さには、驚くばかりだ。キム自身の身体にも何の影響もない。
 その頃になって、宗とイの操縦する二機の「剛龍」が、ソ連製RPGー7携帯対戦車擲弾発射器を抱えて上甲板にあがってきた。空に浮かぶ妖精めがけて、次々と発射するが、キムには、その弾道も速度も頼りにならないほど弱々しく見えてしまう。
 だめだ……。機関銃の弾幕の方が、まだ、ましだろう。
 ロケット弾が着弾する前に、妖精の姿が消える。
二機の「剛龍」が、消えた妖精を探してうろたえ、数歩、歩いてあたりを見渡す。と、その瞬間、二機の間に突然、妖精が姿を現した。宗とイは、すかさず妖精に向けて、一方はニードルガンの連射を、もう一方は火炎放射器からの火炎放射を叩き込んだ。
 な……バカが……。
 キムが制止する暇もない。
妖精は、二機の「剛龍」の反応をあざ笑うかのように一瞬にして消える。
 至近距離から発射された全長約三十センチ、直径二センチのタングステン製の針が五、六本、音速で宗の乗る「剛龍」を正面からぶち抜く。宗の視界も意識も、その瞬間、一瞬にして消失する。
 一方、至近距離から一千度の火炎放射を浴びせられたイは、懸命に右手でかばったものの、溶けて弾け飛ぶ防弾ガラスの破片の雨の中、高温ガスを正面から吸い込むことになった。悲鳴をあげ、反射的にのけぞるイの「剛龍」は、宗に打ち込んだニードルを巻き取る。
ブシューッという血しぶきが宗の乗る「剛龍」からあがり、一本のニードルが先端にバイザー付きのヘルメットを付けたまま、発射口に巻き取られる。
残りのニードルは、倒れかかった宗の「剛龍」をワイヤーで引き戻し、前のめりに甲板に叩きつける。
 タンカーの甲板上に血が飛び散り、後ろにひっくり返ったイの「剛龍」のコクピット内からは炎が上がり、硬直したパイロットが、松明のように火を噴き出して燃え上がっている。
 大型タンカー「瑞鳳丸」七十五万トンの船上は、今や血と黒煙漂う死の空間となりつつあった。

 

16-(6)

 まずい……。このままでは負ける……。
羽黒は、タンカーのブリッジから船上で展開される戦いの様子を見て思った。
「やめさせろっ。こんなことしたら、船がもたんぞ。会社に知れたら、わしの首がとぶ……。」
船長が青くなって羽黒に詰め寄る。
「なっちまったもんは、仕方ないだろうが……。止められるもんなら、止めてるよ。」
「しかし……。」
「それより、早く避難した方がいいんじゃないか? 救命ボートはあるんだろう? 」
「そんな……まだこの船は……。」
ドーン! タタタン、タタン。
爆発音と機関銃の乱射音が響き渡り、船長の言葉を遮る。
「これでも、無事に済むと思うか? 俺は、こんなところで死ぬ気はないんだ。早く停船して、救命ボートを降ろせ。そう長くはもたんぞ。」
羽黒の恫喝に、船長は唾を飲み込み、ブリッジ内の船員たちに停船を指示し、船内に退船命令を流す。巨大タンカーといっても、船員の数は、十数人しかいない。
キムさん……。せいぜいがんばって時間稼ぎしてくれ。
羽黒は、船長たちとともにブリッジを出て、救命ボートへと向かった。

 キムは、ブルーシートを被せて隠してあったM2重機関銃を手に取ると腰だめで、妖精めがけて撃ちまくった。第二次大戦時に使われた古い重機関銃は、四十キロ近い重量があり、人間が手に抱えて撃つことなどできる代物ではない。しかし、今、「ブラック・ベアⅡ」に乗ったキムには、余裕でそれができた。射撃の反動も苦もなく押さえ、妖精に向かって弾幕射撃を浴びせ続ける。
 しかし、妖精は、金色の光を前面に展開し、その弾幕をまったく受け付けない。残った2人の部下、瀬長とパクがAKー47突撃銃を持ち出して、銃撃に加わる。
 ガガガガガッ!
 瀬長は、突撃銃で連射しながら、妖精に接近し、手投げ弾を投げつけて退避する。手投げ弾は、金色の光の壁に弾かれ、床に落下すると同時に炸裂する。
 バアァァァァァン!!
 辺りに爆発の煙が立ち込め、弾片が飛び散る。換気ダクトの側に隠れて、爆発を避けていた瀬長は、爆発が収まると確認のため、ダクトから顔を出す。
 ……やった……か?
 と思った瞬間、AKー47突撃銃が手の中から引き抜かれ、瀬長の身体がひょいと持ち上げられる。
「あわわわっ。」
 瀬長は、襟首を捕まえられて、キムの「ブラック・ベアⅡ」の正面に投げつけられる。
「じゃまだっ! 」「ぐはっ……」
 キムは、瀬長の身体を受け止めることなく、M2重機関銃で横に払いのける。瀬長は、そのまま甲板に顔から突っ込んで、動かなくなった。それを「ブラック・ベアⅡ」の足で蹴り飛ばす。瀬長の身体は、ブリッジの壁まで吹っ飛んで血糊と肉の塊となってべっとりと貼りついた。おぞましい光景が展開される。
悲鳴をあげて逃げ出すパクの前に、妖精が現れて退路を遮る。キムは、パクごと妖精に機銃掃射を浴びせるが、パクの上半身がちぎれ飛ぶだけだ。
 ブン。
「! 」
 キムの目の前に輝く光のブーメランが迫っていた。とっさに左腕で受けるが、光のブーメランは左腕にガキッと食い込むと、じわじわと「ブラック・ベアⅡ」の腕の装甲板を溶かしはじめる。
「あちっ!! うわあぁぁぁぁぁぁっ! 」
 悲鳴をあげてキムは転げまわるが、光のブーメランは外れない。右手で抜き取ろうと、その端を掴むと、ポロッとマニュピレーターの指が溶けて落ちる。
 くそっ!
 とっさにキムは、右手で光のブーメランが食い込む左腕を掴み、引きちぎった。スポッとグローブごと引き抜くと、生身の腕がむき出しになる。それを今度は黒いアメーバー状のものが覆って、金属質の硬質の腕が再生される。
 しかし、キムの「ブラック・ベアⅡ」の正面からは、さらに第2、第3の光のブーメランが食い込み、「ブラック・ベアⅡ」の装甲板を溶かしながら次々と引き剥がしていく。溶けた金属が接触し、時には身体の一部を削り取られて、キムが痛みに甲板上を転げ回る。そして、数分後、「ブラック・ベアⅡ」の機体は完全に剥ぎ取られて、黒いアメーバー状のものに全身を覆われた奇怪な姿のキムが、甲板上に立っていた。
 なんだ……一体、どうなってるんだ?
 キムは、自身のほとんど無傷の身体を見て呆然とする。自身の目で直に確かめようとヘルメットをむしりとる。全身を覆う黒い硬質のプロテクターは、ところどころ波打つように震えていて、生きているようだ。「ブラック・ベアⅡ」の機体は、バラバラに切り刻まれて断片となって周囲に散らばっている。
 こいつが……システムFの力か? やれる……やれるぞ!
 全身にみなぎる力と、心のそこからわきあがってくる何の根拠もない自信にキムの戦闘意欲は、さらに高まりつつあった。

 ……その顔……キム!!
 ヘルメットをむしり取って現れた素顔を見た御倉崎の脳裏を衝撃が走る。
 とうとう見つけた。私を強姦し、殺した相手を……。
 フライアの金色の髪が逆立ち、すさまじい殺気の黒いオーラが、その身体の周りを蛇のように絡みつきながらのぼっていく。頭部のティアラから鋭い突起が角のように立ち上がる。そこからパリパリと火花が飛ぶ。それは怒りのエネルギーのすさまじさを語っているようだった。
 フライアの右手に、長さ二メートルの黒い槍が出現する。先端の三センチほどの球体の周囲の空気が、陽炎のようにゆらめく。
 ……思い知れっ!!
フライアは、怒りを込めた槍を、キムめがけて投げつけた。
ヒュ…………ゥゥゥゥン!
空気を裂いて飛ぶ槍は、キムの正面から胸元にめがけて伸びていった。

 全身を黒いプロテクトスーツのようなもので覆われたキムは、飛んでくる槍を意気揚々と軽くジャンプしてかわした。ジャンプした高さは、五メートル近い。常人技ではない。
 これだけの力があるのだ。妖精であっても、捕まえてしまえば、ひねり殺すこともできるだろう。
 キムは確信して、槍をかわした後の反撃のことを考えていた。と、突然、身体がぐいと下へ引き降ろされる。
 な……? なんだっ?
 スローモーションのような時間感覚の中で、キムの身体は、かわしたはずの槍の進行方向へ引き戻される。ジャンプした時の場所に向かって、周辺から様々なものが集まっていく。大きなものでは、タンカーの碇の鎖が生き物のようにうねって引きずられて集まりつつある。
 ばかな……! こんなことってあるかよ!!
「ぐわあぁぁぁぁぁぁぁっ! 」
絶叫があがった。キムの急所を槍が貫通し、そのまま船首甲板へ下半身を縫い付けたのだ。
 槍にまたがるように、前のめりになってキムは動けなくなる。縫い付けられた下半身を中心に、甲板の鉄板がゆがみ、太いアンカーの鎖が飛び上がって巻き付いてくる。船首自体も鉈で真っ二つに割られたかのように内側へとまくれあがって、キムの下半身を挟み、押しつぶし、食い込んでくる。
 くそっ……こんなところで……こんな死に方って……。
 キムは、すさまじい激痛に痙攣しながら、敵の動きを上目遣いに確認する。
 なぜか、敵の動きも緩慢だ……。なんとか……逃げなければ……。
 キムの思いに答えるかのように、黒いアメーバー状のものが伸びてきて、頭部を包み込む……。

 御倉崎は、槍がキムを突き刺したところで異変に襲われていた。視界が霞みはじめ、意識が点滅するかのように飛ぶ。
 まずい……。限界だ……。
 フライアの身体を使って戦うにしろ、由梨亜の身体を使うにしろ、その時間は無限ではない。せっかく復讐のチャンスが訪れたというのに、それに至るまで時間をかけすぎてしまったのだ。
 ちくしょおおおっ……。
 御倉崎は、悔しさに涙を流す。その瞬間、御倉崎の意識は、……消失した。

 ここは……?
金色の光が光度を増して、身体を包み込む中、由梨亜は、目覚めた。
 見知らぬ船の上、目の前には、奇怪な黒い人型の怪物が、グングニルの槍に貫かれて絶命寸前だ。
 意識を御倉崎と交代する前、盗まれたロボットと誘拐された佐々木会長の息子の救出を頼まれたはずなのだ。
 見渡す甲板上には、機動歩兵の残骸と黒いロボットの破片が飛び散っている。巨大なタンカーのような船体は、船首から真っ二つに裂けるように崩壊しつつある。戦いは終了したように見える。
 「だれかっ……助けてくれぇ~っ。」
 か細い声が、船体中央のブルーシートを被せたあたりから聞こえてくる。
 この声は!?
 由梨亜は、ジャンプしてブルーシートの側に降りると、中を確認する。そこは、タンクを改造して作られた部屋で、そこの隅に佐々木専務がロープでぐるぐる巻きにして転がされていた。
 佐々木専務と由梨亜の視線が合う。
「おおっ。頼むっ。助けてくれっ。……助けてくれたら、金を……好きなだけやるぞ。」
 専務が必死に呼びかけてくる。
 由梨亜は、羽を広げてその側に降りる。
「おおっ。ありがたい。助けてくれるのか? 」
 会長に頼まれたのよ。
由梨亜は、つい答えようとして、フライアの口をパクパクさせてしまう。
「? なんだ……? 何か言ったか? 」
少し震えている佐々木専務が、懸命に身体を起こすのを手助けする。
「すまん。ありがとう。ありがとう。」
涙ぐみながら佐々木専務がフライアにお礼を言うのが、おかしくて、由梨亜は少し笑ってしまう。それがフライアの表情に表れたのだろう。専務もつられて笑ってしまう。
「ははっ……。さあ、早くロープをほどいてくれ……。」
フライアは首を振り、佐々木専務を立たせると、その身体を抱えて、一気に空へと飛び上がった。
「おわわわわわああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 」
 佐々木専務の口から悲鳴があがる。
 見下ろす船の形状から、それが大型タンカーであることがわかる。しかもあちこちから黒煙があがり、船首部分は折りたたまれるように消失して水面下に水没しつつある。まもなく完全に沈没するだろう。グングニルの槍は、次元超越獣を吸い込むと、自動的に次元ポケットに置かれた次元転送兵器パックに回収されるはずだ。放置しても問題はない。
 はるか水平線に船が見える。フライアは、佐々木専務を抱きかかえたまま、そちらへ向かう。船は、灰色の塗装が施された平たい形状が特徴的なもので、201と数字が書かれた広い甲板上には、ヘリコプターが数機置かれている。
 軍艦?空母とかいうのかな?前にもどこかで見たような……。
 フライアも由梨亜も、軍艦や飛行機など、軍事関連や兵器の類には詳しくないため、識別するだけの知識がない。
「おおっ。国防軍海軍の揚陸強襲艦『ずいかく』だ。……助かった……。」
 フライアの疑問に答えるかのように、佐々木専務が喜びの声をあげる。
 フライアは、その声に応えて、船の甲板に降下していった。
「いや、本当に助かった。君のうわさは耳にしている。人類を救う神の使者、怪物と戦う女神だろう。正義の味方は、こうでなくちゃ……。本当にありがとう。」
 佐々木専務は、フライアが何を言わないので、感謝の言葉をしゃべり続ける。まるで、話し続けないと不安で堪らないという感じだ。
 佐々木専務を後ろから抱きかかえながら、由梨亜は思った。
 とりあえず、会長の期待に応えることはできた。佐々木専務は、フライアの正体を知らない。「ありがとう」と感謝した相手、フライアの正体が、まさか、以前暴行しようとした由梨亜だと知ったら、どんな反応をするだろう。
 正体を知っても、今と同じように感謝してくれるだろうか。
 揚陸強襲艦「ずいかく」の飛行甲板の端に、佐々木専務を降ろすと同時に、船のあちこちから、多くの国防軍兵士が集まってきた。皆、空から降りてくる妖精の姿を見ていて、驚きと興奮、そして興味津々という顔だ。
 フライアは、船の甲板に足を降ろすことなく、再び飛び上がる。その時、船のブリッジから艦長らしき人が、こちらを見ているのに気付く。目と目があう。すると艦長らしき男は、ニッコリ微笑みながら、敬礼する。
 フライアもそれにつられて思わず敬礼してしまう。すると、船の上に大きなアナウンスが流れた。
「海難救助に協力してくれた、妖精殿を見送るっ! 全乗組員、敬礼っ! 」
 バッ!!
 甲板上で、佐々木専務の縄を切っていた乗組員をはじめ、甲板や船の舷側近くで様子を見守っていた全乗組員が、フライアに向けて敬礼する。
 フライアの顔が熱くなる。由梨亜は、少し恥ずかしくなりながら、飛び上がる高度をあげていく。
 それは、由梨亜がフライアになって初めて感じる喜びのひと時だった。

 後日、このとき、「ずいかく」乗艦の広報カメラマンが望遠で撮影したフライアの敬礼写真は、全乗組員の間でブロマイドとして飛ぶように売れたという噂があるが、その写真の存在自体、今日まで明らかになっていない。

「あんれ。大きな事故だぁ。えれえこった……。」
大型タンカー「瑞鳳丸」の最後を見届けたのは、付近を航行していた漁船のひとつだった。沈没に巻き込まれないよう、距離を置いて遠くから見守る船長は、波間を漂う一人の男を発見し、救助した。ほとんど全裸に近い男は、奇跡的に一命をとりとめたものの、魚港につくといつの間にか姿を消していた。
そして、救命ボートで漂流していたタンカーの乗組員と羽黒、パクは、海上保安庁の巡視船に救助され、身柄を拘束された上で、徹底的な取調べを受けた。
それによって、アメリカ軍の戦闘用パワードスーツ「ブラック・ベアⅡ」強奪事件の全容がほぼ明らかとなった。そして、十年前の起こったシステムF強奪事件、通称「聖櫃事件(アーク事件)」に、中国大陸の国際テロ組織「中華人民解放軍」が関与した事実も確認されたのである。

 事件が収束した数日後、新潟県の海沿いを走る国道で、小さな強盗殺人事件が発生した。
 深夜の国道を通りかかった長距離輸送トラック運転手が、身元不明の変死体を国道上で発見したのである。後に身元は判明したものの、人里から数十キロも離れた場所での死体発見は不自然であり、警察は、現場の状況から殺害後、乗っていた自家用車が奪われたと判断し、緊急手配を敷いた。そして、強盗殺人犯が乗り捨てた自家用車は、数日後、九州北部の博多港で発見されたが、犯人の行方はまったくわからないままとなったのである。

 

 

16-(7)

「まだよっ。やつは、まだ生きてるっ! 」
 フライアが佐々木邸へ帰還し、由梨亜に戻って、榛名や比叡とともに事件の確認作業を進めている最中に、それは起こった。
 由梨亜が突然、御倉崎に人格交代したのだ。
「くそっ……。あと少しだったのに……。」
 目に涙を浮かべながら、歯軋りする御倉崎の様子に、榛名と比叡はただ驚くばかりだ。
「一体、どうしたって言うの?そりゃ、盗まれた『ブラック・ベア』の回収はできなかったけど……結局、海に沈んだわけだし……。何も問題は……? 」
「そんなのはどうでもいい。あの場にいたのは、ゆりあを強姦して殺した犯人の一人だったんだ! 」
 榛名の問いに、御倉崎がテーブルを叩いて衝撃的な事実を告げる。
「しかも、そいつは、ゆりあの血で穢れたニーズヘグ……、システムFの力で、化け物になりつつあった。あれは、そのままでは死なない。」
「……システムFが起動すれば、その場所がわかる……んでしょう?生きているかどうか……も。」
「あれは……もう、眠らない。奴の身体の一部になりつつあるんだ。このままでは、探し出すことさえ、できないかもしれない……。」
 震える拳を握り締めて、御倉崎は、榛名の問いに答える。
「わかりました。では、小田桐社長に、犯人の一人がシステムFを持って逃走したと伝えて、海上保安庁や警察に追いかけさせましょう。」
「いや、それでは、小田桐社長にあらぬ疑惑がかけられてしまう。私が……由梨亜が予知した情報として、国防軍に伝えた方がいいだろう。超能力者としての私の存在の方が、これまでの実績も含めて説得力がある。誤解や疑惑を招くリスクも少ない。」
「なるほど。わかりました。さっそく霧山司令に連絡します。」
 比叡が電話をかけるのを見て、榛名は御倉崎に疑問をぶつける。
「どうして……とどめを刺さなかったの? 」
「……刺せなかったんだ。前にも言ったように、私が、フライアの身体や由梨亜の身体を使い続けるのは、時間的に限界がある。殺してしまう前に、時間切れになってしまったんだ。」
「由梨亜は、黙って逃がしてしまったってこと? 」
「あれは、相手の素顔を見なかったのだろうな。もし見ていれば、精神的に大きなショックを受けただろう……。」
 榛名は、ここで気になっていたことを御倉崎に尋ねた。
「前から気になっていたんだけど……御倉崎は、交代人格だよね? 」
「ん? 」
「あ……気にさわったら、ごめんなさい。多重人格の人間の場合、オリジナルの人格と交代人格に分かれていると言われてるんだけど……。御倉崎も由梨亜も、どちらもオリジナルの人格のような気がして……、わからなくなったものだから……。」
「意味のない区別だな。私は、ゆりあの苦しみと憎しみの感情と記憶を引き受けた人格だ。由梨亜は、日常生活を送るための人格だ。だから、日常生活を送るのに不必要な、私の記憶も感情も読み取れない。私の、この思いとも無縁な人格だが、どっちも本物の人格だ。」
「そんな……。普通は、過重な負担やストレスに耐えるために生み出された人格が交代人格で、元の人格と区別されるはずよ。どっちも元の人格なんてありえない……。」
 榛名は、御倉崎の回答に思わず反論してしまう。
「……。なら、元の人格は、ゆりあが死んだ時に、消滅したんだろう。妖兵として創られたフライア、戦い専門の人格のように……。」
「……。」
 御倉崎のあまりにも非情な解釈に、榛名は返す言葉もない。
「……言い過ぎか?もし、元の人格が残っているなら、今でも心の奥底で眠ったままなのかもしれん。殺された当時のまま……。」
 御倉崎の冷たい指摘が、榛名の心に突き刺さる。
 そこに、比叡が割ってはいる。
「霧山司令と繋がりました。直接話しますか? 」
御倉崎は、電話を受け取ると、少し声を調えて話しはじめた。
「由梨亜です。ええ……。実は、不思議な予知夢を見たので、伝えないといけないかと思って……。いえ、次元超越獣ではありません。船の上でフライアと国防軍の機動歩兵が戦っている夢で……。え? そうですか? じゃあ、あれは正夢かもしれません。」
御倉崎の話に聞き耳をたてながら、榛名も比叡もその巧みな芝居に感心してしまう。
「実は、ここから先が重要なんです。黒い機動歩兵の中の人間が怪物に変身して、フライアから逃げ出したんです。あの怪物は、危険です。早く捕まえないと……たいへんなことになります。ええ。よろしくお願いします。」
電話を切ると、御倉崎がにやりと笑う。
「ざっと……こんなもんだ。至急海上保安庁と連絡をとって、付近の漁船や船に確認するそうだ。比叡は、もし情報が入ったら、由梨亜に伝えてくれ。」
そう言うと、御倉崎の身体からふーっと張り詰めていた力が抜けていった。
どうやら、御倉崎は、由梨亜に身体を返したらしい。
身体を支配するという意味で、主導権を握っているのは、御倉崎の方に見える。ということは、由梨亜の方が交代人格、いわゆる「ホスト」ということになるのだろうか?専門家の意見を聞きたいけど、どうしたらいいものか……。
榛名は考え込んでしまった。

 一方、涼月市郊外にある国防軍対次元変動対応部隊駐屯地に臨時に設けられた作戦司令部では、「ブラック・ベアⅡ」強奪事件についての状況確認会議が開かれていた。
 会議は、日本帝国国内ということもあり、国防軍主導で進められたが、途中で由梨亜からのM情報が伝えられたため、一時脱線してしまう結果となった。
「キリヤマ、君までそんないいかげんな情報を信じているのかね? 」
 レイモンド少将は、顔の前で手を組んだまま、霧山少将に尋ねる。
「ええ。」
 霧山少将は、レイモンド少将の両側に座るアダム極東方面司令部幹部たちのあきれたような視線を平然と無視してうなずく。期せずして、アダム幹部たちの間から失笑がもれる。レイモンド少将の隣に座るスコット大佐が、英語で何か喋った。
「あ、あの……通訳してもいいんですか? 」
 会議に通訳として立ち会っている白瀬唯一曹が、困ったように金城副司令に確認する。
「ああ。構わんよ。皮肉だろ。」
「さすが……神秘の国・日本。シャーマ……巫女にでも……占ってもらって作戦も立てているのか? ……だそうです。」
 白瀬は、懸命に通訳してスコット大佐の皮肉を伝える。
「ふむ。作戦を立てるとまではいかないが、大いに参考にさせてもらっているのは事実だ。」
 霧山少将が、答えて白瀬が英語に通訳する。
「実際……何度も貴重な情報を提供してくれたからな。我が軍のパイロットや旅客機の異次元からの生還……、硫黄島沖事件をはじめとして、涼月市4号倉庫襲撃事件や北斗赤十字中央病院事件では、次元超越獣の出現をかなり正確に予言してくれたからな。信頼して当然だろう? 」
 レイモンド少将の目をじっと見つめながら、答える。
「オーケイ。その娘は、超能力者だというのだな。」
「そうです。信じていただけますか? 」
 霧山少将は、レイモンド少将の反応しか関心がないという様子で、白瀬の通訳でしか理解できないアダム幹部のどよめきを無視する。
「『ファチマの奇跡』を受けて……、我々は、妖精や女神とのコンタクトをめざし活動を続けている。次元超越獣という脅威と戦うために。それで超能力を信じないといったら、むしろ無神論者の多い君らの方が笑うんじゃないのか? 」
 レイモンド少将の日本語を白瀬が通訳すると、スコット大佐の顔がひきつる。
「さて。そのシャーマンの予言……Mインフォメーションというのかな? その詳細にある『黒い機動歩兵の中の人間が怪物に変身して、逃げ出した』という内容だが、これを諸君はどう解釈する? 」
 レイモンド少将が、左右の幹部たちを振り返って、確認する。
「……『黒い機動歩兵』というのは、今回強奪された『ブラック・ベアⅡ』97号機のことでしょうな。で……『中の人間』というのは、犯人の一人が乗り込んで操縦していたということでしょう。」
 スコット大佐が、推測を述べる。
「なるほど。では、『人間が怪物に変身』という件は、どう解釈するね? 」
「言葉の通り解釈することもできますが、そうなると犯人の一人は怪物が化けていたということになります。あるいは、謎の次元超越獣だったという可能性も……。ははっ。ありえないでしょう。夢の話だ。『ブラック・ベアⅡ』とイメージが重なって、怪物に見えたということじゃないですか? 」
「まってください……。」
 隣で聞いていたスティーブン・レヴィ中佐が、話に割って入る。中佐は、今回の事件を聞いて、北米方面司令部から急遽派遣された技官だ。
「今回、我々は、盗まれた『ブラック・ベアⅡ』はシステムFが欠けているため、使用不能だと考えていました。しかし、日本側から伝えられた情報を総合すると、『ブラック・ベアⅡ』は代わりのシステムFを搭載されて、超電磁プロッカー(SEB)なしで起動し、しかも動いたものと考えられます。これが、いかにたいへんなことか……。」
 ここで中佐は、レイモンド少将に耳打ちし、了解を確認して話を続ける。
「これは、あまり外部に話さないで欲しい極秘の話だが、大切なことなので、あえて申し上げる。実は、システムFは、生きた細胞の塊なんだ。そして、我が軍の『ブラック・ベアⅡ』は、そのシステムFの細胞が急速に増殖して構成する強力な生体組織によって動くようになっている。もし……それが直接、パイロットを覆ったとしたら、おそらく怪物の姿に見えたのではないかと思う……。」
 あまりにも突然の突拍子もない話に、霧山少将とレイモンド少将以外の面々は、唖然とする。
「……ちまたでシステムFの開発者とされているフェルナンド・バークレー博士は、妖精から提供されたシステムFを安定的に起動、コントロールするための超電磁プロッカー(SEB)の開発計画名で、実在する人物の名前ではない。私も詳細はわからないが、その開発過程では、システムFの異常な反応で、何人かのパイロットが犠牲になったという話を聞いている。たぶん、それと似たような事態が発生したのではないだろうか……。」
「……それなら、私も聞いたことがある。システムFに人間が喰われたとかいう噂だろ? 」
「ああ。俺は、狂った博士が関係者を皆殺しにしたため、システムFの開発計画がストップしたという噂を聞いたぞ。だから、先行生産された数しかなくて、『ブラック・ベアⅡ』が量産できないとか……。まさか……本当にそんなことが? 」
「少なくとも、まったくの噂話ではないことは確かだ。システムFが、異常な起動を起こしたということであれば、人間が……怪物になるということは、ありえないことではない……。」
「では、犯人の一人が怪物となって、今、日本国内を彷徨っているというのか?こいつは、たいへんなことになるぞ。へたをすると日米同盟や安全保障の政治問題にもなりかねん。」
「今は、そんなことを考えている余裕はない。大至急、怪物の……逃げた犯人の行方を追うんだ。在日米軍の総力をあげて、捜索するんだ。」
「我が国の……国防軍海軍、海上保安庁、警察もすでに捜索に入っています。何とか、早く見つけ出せればいいのですが……。」
「困難なのは、わかっている。しかし、今、我々にできることは限られている。せいぜい主な犯人たちの顔写真を手配に提供できる程度だ。あとは、それと並行して、ズイカクで身柄を確保したササキ専務や、ジャパン・コースト・ガードの船に収容されたハグロをはじめとする犯人グループを至急こちらへ連行して、タンカーで起こった事件の内容を確かめることしかない。大至急それぞれの役割を果たせ。ゴゥ! 」
 レイモンド少将は、てきぱきと幹部たちに指示を出す。スコット大佐をはじめ、幹部たちが一斉に立ち上がり会議室を出て行く。
「では、我々も動きますか? 」
 霧山少将も部下たちに合図し、立ち上がる。
「レイモンド閣下。霧山閣下。意見具申よろしいでしょうか。事件の指揮をとるには、あまりにも当司令部は、現場から離れすぎています。本作戦司令部を日本海に展開しているヘリ搭載護衛艦、DDH201『ずいかく』へ移すことを進言いたします。」
 須藤三佐が、提案する。
「オーケイ。」「いいだろう。任せるよ。」
 須藤がただちに司令部の移転に向けて作業を始める。
「司令部を移動する。遠藤一曹、オスプレイを二機手配しろ。大至急だ。」

 会議室を出て行く霧山少将の隣にレイモンド少将が近づき、並んで歩きながら耳打ちする。
「水が匂うぞ。なんでもっと早く教えてくれなかった? 」
「は? ああ、水くさい……ですか? 何のことです? 」
「Mインフォメーションのことだ。相手を信用しているのはわかったが、一体どんな奴だ? やはりヤスクニの……神社にいるシャーマンなのか? 」
「いえ。実は、普通の女子高校生なんです。」
「? ハイスクール・ガールだってぇ?」
「ええ。ダイヤモンド・デルタ重工の佐々木会長の姪のようです。」
「……会いたいな。美人か? 」
「閣下の好みはわかりませんが……。まあ、かわいい方ですね。」
「俺が、カワイイ日本人女性が好きなのを知ってるくせに……。」
「あ、ダメですよ。彼女……、由梨亜さんは、我が軍の機動歩兵のエースパイロット、日高の恋人ですから……。」
「ん? ヒダカは……、戦死したんじゃなかったか? 」
「いえ、戦死は、確認されておりません。MIA、戦闘中行方不明です。彼女にとっては相当ショックだったみたいですから、できれば、今しばらくそっとして置いてあげたいのですが……。」
「う……ん。本人が会わないというなら仕方がないが、私は、会うべきだと思う。」
 霧山少将が立ち止まり、レイモンド少将を見つめる。
「勘……ですか? 」
「イエス。シックスセンスという奴だ。俺は、それでこれまで数多くの危機を乗り越えてきた。彼女に直接会って、話がしたい。いや、会って話をしなければならないと思う。」
「わかりました。早急に会えるよう手配しましょう。」

 

16-(8)

佐々木会長が、娘の千鶴を連れて帰国したのは、日本海上での事件から十日後のことだった。
 誘拐された息子の佐々木重義専務は、事件への関与でアダムや国防軍、警察から厳しい取調べを受けたが、羽黒に扇動された結果として、厳重注意だけで済ませられることとなった。もちろん、そこには、国防軍の機動歩兵生産メーカーという、ダイヤモンド・デルタ重工の立場と、会長の懇願への配慮も強く影響していた。
 そして、北斗空港で、千鶴を迎えた腹違いの兄に当たる重義の驚愕は、想像以上のものがあった。
「ほ、本物? 本当に……千鶴なのか? 」
「本物よ。重義兄さん。」
「信じられん。行方不明になった時のままじゃないか……。」
「兄さんこそ……。ずいぶん、おじさんになってしまったのね。」
「……大きなお世話だ。でも……良かったな。」
重義は、少し遠慮がちに接しながらも、その目にうっすらと涙が見える。
「ええ。でも……意外。兄さんが、私のこと……心配してくれてたなんて。」
「ふ……。いろいろあったからな。なあに。遺産相続の競争相手が増えて、もう悲しくて、悲しくて……。泣けてくるよ。」
重義は、今回の事件の責任を取らされ、小田桐社長から停職六ヶ月の懲戒処分を下されていた。事件の後の取調べと厳重注意、そして停職処分のショックで、重義は以前と比べかなりおとなしくなっていて、人当たりもこれまでとがらりと変わっていた。
その日、十年ぶりの妹との出合いは、いなくなって以降の重義の人生をまき戻したかのような印象を周囲に与えていた。それに一番驚いたのは、会長であり、父親の重蔵だった。
そのかしこまった姿に、佐々木会長は、カミナリを落とすこともできなくなる。
「結婚した? 」
千鶴は、十年の時間の空白を埋めるつもりで、重義の状況をチェックする。
「いいや。……人生を謳歌するのに邪魔なんでね。一人が……気楽でいい。」
重義は、たんたんと答える。
「やれやれ。相変わらず、後ろ向きなんだから。そんなこと言って、本当は自分より頭の切れる女性が現れるのが嫌なんでしょう? 」
「……ん。」
そこに会長が割って入る。
「重義。反省はしているようだな。」
「はい。」
「よろしい。もう何も言わん。しばらく自宅で謹慎しとくんだな。後でいろいろ聞かせてもらう。」
「はい。では、これで……。」
重義は、そう言うと、空港内の送迎ロビーから去っていった。
会長や千鶴、小田桐社長と大和や金剛などの秘書グループがそれを黙って見送る。
「この後、いかがなさいますか? 」
小田桐社長が、会長に確認する。
「事件の動きは、どうなっている? キムとかいう犯人は……、まだ捕まらんのか? 」
「はい。九州の博多港までは追跡できたのですが、その後の行方は……。残念です。」
「そうか。あとで、報告書を作成して、屋敷まで届けてくれたまえ。」
「わかりました。」
 一行が送迎ロビーを抜け、空港付属の立体駐車場へ行くと、そこには、三台のベンツと榛名が待機していた。
「会長、お迎えにあがりました。」
「ん? アーヤだけ? 」
大和が、思わず榛名を本名で呼んでしまう。
「……! あ~ら。ごめんなさい。だってこんなにプロの運転手がそろっているんだもの。車だけでいいかと思って。いけなかったかしら? 」
榛名はニッコリ微笑んで、霧島と金剛、大和にベンツのキーを渡す。
「霧島は、小田桐社長を会社まで送ってあげて。大和と信濃さんは、先頭車。あとは、二号車でよろしいですね。」

 数日後の夕方、佐々木邸を一台のハマーが訪れた。乗っていたのは、アダム極東方面司令官のレイモンド少将と運転手の二人だけである。
 由梨亜との面会は、当初、国防軍北斗駐屯地内で霧山司令も立会いの下、行われる予定だったが、二人だけで話したいというレイモンド少将の希望を由梨亜が了解したことで、佐々木邸で実現することとなったのである。
 比叡が、レイモンド少将をデルタ・パレス内の部屋へ案内する。部屋の窓越しに外を眺めていると、一台のベンツが駐車場に止めてあるハマーの横に停車し、セーラー服の上からコートを羽織った女子高校生が二人降りてきた。二人とも美少女といっていい顔立ちである。降り積もった雪の中で、何やら交わされる会話の内容は二重ガラスのため聞こえない。
 彼女か。やはり……。
 やがて、部屋のドアがノックされ、そのうちの一人の少女が、秘書らしき女性にエスコートされて入ってきた。
「おまたせしました。御倉崎由梨亜です。」
 栗色の長い髪の少女が自己紹介する。
「レイモンド・E・チャンドラーです。地球防衛軍・対次元超越獣・戦闘部隊アダム極東方面総司令官をしております。よろしく。」
「ち、地球防衛軍? 」
 突然出てきた荒唐無稽な単語に、由梨亜は驚く。
「ええ。まあ、まだ正式に国連で承認されてはいませんが……いずれ、そうなるでしょう。」
 レイモンド少将は、にっこり笑いながら、たいしたことではないと言わんばかりにすらすらと答える。
「お二人とも、お座りください。どうぞ。ただ今、飲み物をお持ちいたします。」
 榛名は、そう言って、ソファーを勧めると、飲み物を取りに部屋を後にする。
 榛名が部屋を出ると、レイモンド少将は身を乗り出して話しかけてきた。
「お目にかかれて、光栄です。メシア、いやフライア様。」
「は? 」
 突然のことに由梨亜は、唖然とする。
「何のことでしょう? 」
「失礼。今の御姿は、ミス、ミクラザキ・ユリアさんでしたね。超能力者の……。」
「……はい……。」
「貴方の活躍とご協力で、日本の国防軍だけでなく、世界の安全が保たれていることに深く感謝申し上げます。」
「そんな、大げさな……。私はただ、次元超越獣の予知をしているだけです。人々を守って戦っているのは、皆さんの方ですよ。」
「……私が、今日、二人だけでお会いしたいとお願いしたのは、アダムという組織の代表という立場ではなく、一人のキリスト教徒として希望したのです。メシアが正体を明かしたくないというのが望みであれば、それを追求したりすることはありません。ですが、今のままではいけないのではないかという思いも強くあります。世界各地で起こる次元超越獣の侵攻は、人類自らの手で防がなくてはなりませんが、今はまだ、人類にそれだけの力はありません。必然的にあなたの力に頼らなくてはならない状況です。その先に何が起こるか……それがハルマゲドンの引き金となり、人類に対して「最後の審判」が下されるのかもしれませんが、私は、何もせずにそれを座して迎えるつもりはありません。私にできるだけのことはやるつもりです。奇跡の存在である、あなたを目の前にして、何もしないわけにはいかないのです。」
「困りました。どうしても私をメシアにしたいのですね。」
 由梨亜が困った顔をするのを見て、レイモンド少将は、次に意外なことを話し出した。
「私は、あなたを知っているのですよ。」
「え? 」
「十年前、オキナワで、起こった牧師一家の誘拐事件で、私は、特殊部隊の一人として現地に乗り込みました。その時、ミクラザキ牧師の自宅で、私たちはあなたの写真を拝見しました。行方不明者、拉致被害者の一人として……。その時のあなたの本名は……ミクラザキ・ユリアでした。」
 衝撃が由梨亜を襲い、目の前が真っ暗になる。御倉崎が、レイモンド少将の言葉に反応しているのだ。だめ、今出たら……もう隠せなくなる……。
 由梨亜の懸命な努力にも関わらず、人格交代は起こった。それは、レイモンド少将自身、予想もしていなかった出来事だった。
 
「……ゆりあのことを知ってる……んだ。」
「あ……ああ。」
 突然、由梨亜の雰囲気が豹変したことを知り、レイモンド少将はどう対応していいかわからず、とまどうばかりだ。
「御倉崎?! 」
 突然、部屋の入り口の方から声がして、レイモンド少将が振り向く。そこには、コーヒーカップの乗ったお盆を抱えた榛名が立っている。
「チャ、レイモンド少将……申し訳ありませんが……、由梨亜様は、お気分が……。」
「いや、榛名、気にするな……。」
 榛名が気を利かせて、対談を中止しようとするのを察したのだろう。由梨亜が、それを制止する。
「少将は、私のことを知っているようだ。」
「え? 」
 由梨亜から交代した御倉崎は、顔をあげるとレイモンド少将に鋭い視線を浴びせる。目の前で風貌が一変したことに、少将は、たじろぐ。ついさっきまでの奥ゆかしさや丁寧な物腰は、まったく影を潜めてしまっている。
「……この方は、由梨亜のもう一人の人格。御倉崎さんです。」
 榛名がコーヒーを配りながら、諦めた様子で少将に説明する。
「もう一人の……人格? ……まさかこの娘は……MPDなのか?」
「ふっ。マルティプル パーソナリティー ディスオーダー……多重人格障害。長ったらしい表現で、病人扱いするのは構わないけど、あなたの対談相手としてふさわしいのは、この私だ。」
「ま、まってくれ。よくわからない。ミス……、ミクラザキ・ユリアは、超能力者だと聞いた。超能力で次元超越獣と戦っている人格というのは、あなたなのか? 」
「もともとはフライアの人格がそれを担っていたが、以前、旧帝都・東京で起こった事件の時に無理をしすぎて、その人格は消えてしまった。今、フライアとして戦っているのは、私たち二人だ。」
「ふたり? で……では、十年前、私がオキナワで会ったのは……? 」
「それは、私たちが死ぬ前の人格だ。今は、どうなったか、私たちにもわからない。」
「死んだ? ……あなたでは……ない? 」
「生前の記憶は、私がある程度受け継いでいる。私が、ここに出てきた理由は、十年前に前世のゆりあが、どうして死んだのか? その理由と犯人を突き止めたいからだ。」
「な……なんてことだ。私は、今、君が再び現れたのは、あの当時、超能力で逃げることができたからだとばかり思っていた……。一度、死んでしまったなんて……死体が見つからなかったために、考えもしなかった。」
「そんなことは、どうでもいい。十年前の事件について、私は知りたいのだ。さあ、教えてもらおう。十年前……私たちは……ゆりあはなぜ襲われて、死んだのか? 私たちには、その理由を知る権利がある。」
「……わかった。私が、知っている限りのことを話そう。詳細な事件報告書もあとで届けさせる。だが……、その前に約束して欲しい。」
「なんだ? 」
「どんなに失望しても……人類を見捨てないで欲しい。」
「? ……見捨てるとは? 」
「これまで通り、次元超越獣との戦いに協力して欲しいということだ。」
「……わかった。約束する。」
「それと……、妖精のことを教えて欲しい。」
「一つだけじゃないのか?意外とずるいな。まあ、いい。知っていることは全部話そう。」
「ちょ……ちょっと、そんな約束してだいじょうぶ? 」
榛名が心配して側から口出しする。
「妖精とは……、秘密にするような話は一切していないし、注意も受けていない。何も問題はないと思う。」
御倉崎は、冷静に応える。
「結構だ。最後に……私を信じて欲しい。……以上だ。」
そう言うとレイモンド少将は、立ち上がり右手を出した。御倉崎も立ち上がってその手を握り、二人は握手を交わした。
そして、少将は、しずかに語り始めた。
「……これは、十年前、オキナワで起こったシステムFに関わる事件だ。……我々は、それを『聖櫃(アーク)事件』と読んでいる……・。」

「聖櫃事件」は、妖精が三回目の降臨で、黒い謎の箱を沖縄のある教会の牧師に預けたことからはじまった。
我々は、その箱を神聖なものとして「アーク」と呼んでいるが、牧師にとっては、その中身はまったく意味不明なものに映ったことだろう。無理も無い。アークの中に納められていたのは、百数十個のシステムF、一見するとただの黒いゴムボール状のものにしか見えなかったのだから……。
その牧師は、「ファチマの奇跡」の噂は聞いていたはずだが、プロテスタントということで、カトリックの総本山であるバチカンが、妖精と交流していたことなどまったく知らなかった。だから、妖精から頼まれた時に、教派の本部やロシア正教会などを通じて、バチカンとコンタクトを取ろうとしたんだ。そして、事件の悲劇は、そこから起こった。
降臨した妖精は、システムFの納められた箱について、バチカンと話し合って正しい使い道を考えるようにとのメッセージを伝えたのだが、牧師からの報告はバチカンへ届くまでの間に、ロシア正教会などから伝わっていくうちに、中国大陸のテロ組織「中華人民解放軍」にも知られてしまったんだ。
「奇跡の武器が詰まったアークが、極東の島にある。それは、恐るべき怪物と人類が戦うための切り札となるような超兵器だ。」そんなあいまいな噂に近いものだったのだろうが、テロに狂っている彼らにとっては、それだけで十分だった。
中華人民のための独立国をつくることを目的に、大陸でモンゴル連合共和国に対して、テロ活動を続けていた彼らは、その武器を手に入れようと画策し、牧師夫妻の拉致誘拐殺人事件を起こした。
これが、「聖櫃事件」だ。
 初めに牧師本人が誘拐され、その過程で奥さんが……射殺されている。それでも牧師は、バチカンからの指示を守り、聖櫃を隠した場所を答えなかった。
 このため、拉致した犯行グループは、娘を誘拐しようとして、間違えて教会を偶然訪れた娘の友達を誘拐した。続いて、その友達を脅して、娘を誘い出して誘拐し、聖櫃の隠し場所を無理やり聞きだしたのだが、その時にはバチカンからの通報で動き出した我々、在日米軍特殊部隊が先にそれを確保したため、彼らの手に渡ることはなかった。
 これを知って怒った犯行グループは、牧師を殺し、さらに娘とその友達も殺したところで、アジトを察知した米軍の特殊部隊と戦闘になり、逃げていったと考えている。
戦闘の最中、牧師と娘さん、そしてその友達の救出に向かったのは、私が率いる部隊だった。しかし、犯人たちが逃亡した後のアジトで発見したのは、牧師の死体と、大量の血の跡で、娘さんとその友達の死体は見つけることができなかった。
その事件で惨殺された牧師というのが御倉崎栄氏、射殺された奥さんが御倉崎マリアさん、君の……ご両親だ。そして行方不明となった娘というのが、君の……前世とでもいうことになるのか?御倉崎ゆりあだ。もう一人の友達というのが、佐々木会長の娘、佐々木千鶴さんだ。
佐々木会長は、夏休みに沖縄へ遊びに行った娘が行方不明になったということで、事情聴取させてもらったが、残念ながら、得られた情報はまったくなかったが……。
我々としても、テロ組織の一掃が目的ではないため、至急合衆国本国へシステムFの入った聖櫃を確実に届ける必要があったため、長居することなく、引上げるしかなかった。
「聖櫃事件」について、我々が後日調査したところでは、犯行グループは、共産主義者の指導者・毛沢山を支持する日本共産化革命軍で、その首謀者がキム・スンマン、日本名で田邉欠作という男だと確認している。事件に関わった男たちも判明しているが、それは後で資料を渡そう。

 レイモンド少将の長い話を、御倉崎も榛名も黙って聞いていたが、少将が亡くなった両親の話をした時だけは、御倉崎の握り締めた手がぶるぶると怒りに震えるのが見えた。
「……以上だ。」
 少将が話し終わると同時に、御倉崎が少し掠れた声で尋ねる。
「……犯人がわかっているのに……なぜ……捕まえない? 」
「うん。それは日本の警察の管轄なので、我々が口出しすることではないが……。恐らく状況証拠だけで、立件するだけのものを揃えることができなかったからだと思う。何しろ被害者全員が死亡か行方不明では、どうしようもなかったのだろう。」
「……罰することもできないのか……。」
 御倉崎の顔が激情で赤く紅潮する様子を見て、榛名がそれを鎮めようと、あわてて話を変えて質問する。
「少将は、なぜ御倉崎が……、いえ、由梨亜がフライアだとわかったんですか? 」
「最初は、シックスセンス……勘だな。それが確証に変わったのは、つい最近だ。……ケインズレポートだよ。旧帝都汚染地区事件で死亡したケインズ調査官が、生前にまとめていた調査報告書が、ネット上で最近見つかったんだ。その中で最も疑わしいと思われる人物の筆頭に挙げられていたのが、ミス、ミクラザキ・ユリアだったのだ。ただし、すべてこれまでの状況証拠と人間関係からの推測にしかすぎなかったのでね。こちらとしても確証が得られるまで動けなかったのだ。ミス・ミクラザキがM情報の提供者だと知って、ケインズレポートを読み返してみて、私は確信した。写真を見たときには、さらに驚いたが……。ちなみに、疑わしい候補の2番目は、君だったよ。」
「は? 私ぃ? 」
「その程度のレポートにすぎなかったということだ。しかし、先日、ミス・ミクラザキ・ユリアの超能力の話を聞いて、私は確信を持った。それだけのことだ。アダムの他のスタッフも幹部も、このことは誰も知るまい。」
「御倉崎がフライアだってこと……発表するんですか? 」
「さっきも言ったように、本人の意思を尊重したい。信じて欲しい。私は、フライアや妖精がこの世界を救いたいという意思を信じて、この職に身を投じているのだ。その崇高な目的のために必要だと考えたから……今日、会いに来た。私は……」
「すまない……。」
 突然、榛名と少将の会話を御倉崎が中断させる。
「今日は……このまま帰ってくれないか? 」
 二人は、御倉崎の表情が暗いことに気がつく。
「どうかしたのかね? 」「だいじょうぶ? 」
 少将と榛名が気遣う。
「少し、一人で考える時間が欲しい……。」
 そう言うと、御倉崎は立ち上がり、左手の時計をきゅっと握り締める。
「ええっ! うそっ! 」
 榛名が驚いて思わず声をあげてしまう。
「おおっ……。」
 レイモンド少将も思わず声を出して、目を瞠る。
 御倉崎の身体は金色の光に包まれ、二人の目の前でフライアへと変身していく。そして、変身が完了すると、背中からスーッと羽が伸び、後ろを向いたと思ったとたん、その姿は部屋の中から一瞬にして消えてしまった。
「アンビリーバボー……。」
 レイモンド少将の口から驚きの言葉がもれる。フライアに変身する様子を直に目撃したのだから、その驚きは無理もない。
 グワラグワラグワラ……ドーン!!
 突然窓の外に閃光が走り、すさまじい雷鳴が轟く。二人とも、そのあまりの衝撃に思わず首をすくめて固まってしまう。
 窓の外から見上げる空は、いつの間にか厚い雲に覆われ、ちらちらと雪が降り始めていた。
グワラグワラグワラグワラ……カッ!
 雲の上ではすさまじい雷が荒れ狂っているようだ。時折空が明るさを増す。その日の夕方、涼月市を襲った強烈な雷雲は、およそ四時間にわたってすさまじい雷を轟かせ続けた。

 
 

 

(第16話完)