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超次元戦闘妖兵 フライア ―次元を超えた恋の物語―

渚 美鈴/作

第2話  「妖兵参戦 ―蒼空の通り魔―」

【目次】

(1)アダム(ADM)

(2)サイキック少女

(3)蒼空の通り魔

(4)おいしいパイロット

(5)妖兵参戦

(6)メシアのもうひとつの顔

 

【本文】


(1)アダム(ADM)

「諸君。」
久我山和久中将は、国防軍中央即応集団・対次元変動対応部隊の全兵士を駐屯地の大講堂に集めて言った。
「次元を超えて侵攻し、人間を手当たり次第に殺戮し、貪り食う怪物がいる。それは、いつ、どこに、現れるのか。これは、想像すらできない非常事態である。我が国防軍は、国土と国民を守るため存在しているが、残念ながらこのような怪現象や怪物に対して、充分に対抗できる組織とはなっていない。それは、過日、旧帝都で発生した事件を見ても明らかである。」
久我山中将は、そこで一端話を区切って、隊員たちを見つめた。そこには、すでに実際に次元超越獣と戦った霧山一佐をはじめとする隊員たちも顔を揃えている。次元ポケットから奇跡の生還を遂げた日高もいる。
「そこで私は、政府にかけあい、日米安保条約に基づいた米軍からの協力と支援の合意を取り付けた。紹介しよう。地球防衛軍・対次元超越獣戦闘部隊「アダム」極東方面司令部総司令官、レイモンド少将である。」
久我山中将の後ろから、背の高い米国人が前に出る。
「レイモンドだ。レイと呼んでほしい。」
レイモンド少将は、流暢な日本語で語りはじめた。隊員たちは、全員、話についていくのが精一杯であり、事態の内容が頭に染み込んでいかない。
「ここにいる諸君、日本帝国・国防軍中央即応集団・対次元変動対応部隊は、本日より私の指揮する地球防衛軍・対次元超越獣戦闘部隊「アダム」極東方面司令部と共力して戦うことになった。諸君は、世界で初めて次元を越えて襲ってくる脅威の怪物、次元超越獣と戦い、撃退したという自負心を持っているものと思うが、それは誤りである。アダムは、すでに一九八六年に次元超越獣と交戦した実績を持ち、現在、世界的規模で次元超越獣に対する警戒網を敷いている。」
レイモンド少将の口から、新たな事実が次々と語られる。
「これから話す内容は、すべてトップシークレットである。録音も記録も一切認めないから、心して聞いてほしい。」
レイモンド少将は、後ろを振り返って、ポカンと口を空けた久我山を確認し、にやりと笑った。そして続ける。
「事の発端は、二十世紀初頭まで遡る。
大戦前のスペインで、人類は初めて、次元を超えて訪れた知的生命体『妖精』と接触した。バチカンが、『ファチマの奇跡』と呼ぶ出来事がそれである。
『妖精』は、核によるこの世界の次元空間の壁の劣化と、次元超越獣が襲ってくる未来についての警告を啓示した。しかし、バチカンがその意味を理解したのは大戦後であり、我が合衆国に預言書を開示して、協力を求めてきた。
アダムの創設は、そこに由来する。
以降、アダムは、次元超越獣の脅威に対抗するための情報収集、研究、そして様々な兵器の開発に取り組んできた。諸君にすでに提供されているDS&APU、次元センサーなどもその成果の一部だ。政府上層部を通じて警告と対応を指示してきたのも我々である。残念ながら、つい先日の事件が発生するまで、この国の政治家やトップの方々には、まったく信じてもらえなかったが。」
レイモンド少将は、霧山一佐にウインクし、再び後ろを振り返って、久我山に謝罪した。
「ソーリー。私のつたない日本語で気分を害することがあれば申し訳ない。先に悪意はないことを伝えたいのだ。許されよ。」
久我山中将は、レイモンド少将の言葉に驚いて首をふる。
レイモンド少将は続ける。
「――残念なことに、世界では未だに領土、宗教、資源や経済といった様々な要因による国家間紛争が続いている。次元を超えた脅威についても、ほとんどの国家が半信半疑であるといっても過言ではない。
しかし、今、諸君は、その恐るべき脅威を目の当たりにした。その貴重な経験と情報は、世界をこの脅威から守るために必要なものである。国家の枠を超えて、我々は協力していかなければならない。
日本帝国に諸君のようなすばらしいスタッフがいることを、私は心から感謝し、これから、できる限りの支援を約束するものである。」
将来の大統領候補の一人と言われているだけあって、レイモンド少将のスピーチは、機知とユーモアにあふれるだけでなく、機密の一端を開陳したことで、高い信頼を勝ち取っていた。そして、同盟国・日本帝国への期待の現われとして、多くの隊員の心に響いた。
かくて、霧山直人一佐指揮する、国防軍中央即応集団・対次元変動対応部隊は、その関連支援部隊とともに、レイモンド少将の指揮する、地球防衛軍・対次元超越獣・戦闘部隊「アダム」極東方面軍と連携して、独立して行動する権限が付与されることとなった。
これには、多くの関係者が驚いた。特に、国防軍中央即応集団の総司令官・久我山和久中将は、傘下に指揮権限が及ばない部隊が存在するのは異常であると政府決定に対して疑義を唱えた。それでも、対次元変動対応部隊を次年度、組織として独立させるまでの暫定措置であると説明され、渋々納得したほどである。これには、霧山一佐自身も、レイモンド少将の政治的影響力の大きさに驚くばかりであった。
その時の世界は、表立った国家間対立は別として、日本よりも真剣に次元超越獣の脅威に取り組んでいたのである。

 


(2)サイキック少女

「御倉崎由梨亜です。」
日高の目の前に、あの少女がいた。
少女は、ダイヤモンド・デルタ重工会長・佐々木重蔵氏の姪だという。しかも、国防軍中央即応集団・対次元変動対応部隊に、これからオブザーバーとして参加するというのだ。対次元変動対応部隊のメンバー全員が、その発表に驚きの声をあげる。
皆の前で紹介された御倉崎は、どう見ても普通の少女でしかない。
軍の施設にいること自体、場違いな存在なのだ。
霧山直人一佐が、「まあ、まあ」とどよめきを制して説明する。
「言っておくが、御倉崎さんには、単なるお飾りではない。我々の要望を受けて、ここにいる佐々木会長に無理を言って、お願いして入ってもらったのだ。」
 日高をはじめとする対次元変動対応部隊のメンバー全員が、いかにも納得できないという表情を浮かべる。それを見て、霧山一佐は半分困ったような様子で、佐々木会長と御倉崎の方を見る。
「……よろしいですか? 」
 霧山一佐の言葉に御倉崎がうなずき、佐々木会長がつぶやく。
「仕方ないだろう……。」
 霧山一佐は、対次元変動対応部隊のメンバー全員に向き直る。
「御倉崎さんは、サイキッカー、いわゆる超能力者だ。」
「? 」
「何だって? サイ……」
「サイキッカー。超能力者。エスパーだよ。」
「はぁ? 本当かよ。」
 人垣の後ろで、意味が飲み込めず、確認しあう声が飛び交う。
「静かに! 」
 再びざわめき出す一同を、金城三佐が制する。霧山一佐が日高の方を向く。
「日高一尉。貴君は、「旧帝都銀行事件」でB―27街区から他の次元世界に引きずり込まれ、この世界から姿を消した。そして奇跡の生還を成し遂げ、今、ここにいる。そうだな? 」
 日高が返答に迷っている間に、霧山一佐は、駐屯地管財課長の倉田を手招きする。
「倉田さん。俺が駐屯地の広場に、十一月五日は誰も入れないよう指示したのを覚えているか? 」
「ええ。厚生会からマラソン大会の予約が入ってたのを、無理やりキャンセルしたんで、よく覚えてます。」
 管財課長の倉田は、霧山一佐の意図を知っているのか、たんたんと応える。
「――トレーラーと重機、おまけに救急車までスタンバイさせろってんで、整備や消防との交渉までさせられて大変でした。ですが……」
 倉田が言葉をきって、日高の方を見る。
「――ですが、まさか日高の7号機があの場所に現れた時は、正直仰天しましたよ。気がついたら、デーンと広場のど真ん中に……。」
 現場にいた者だけが知る様子を、身振り手振りを交えて、倉田が再現する。
「広場の側のトイレでションベンして、ふり返るとあの7号機がピッチャーマウンドに突っ立ってんですよ! ほんと、驚きました! 」
 しゃべりだして興奮した倉田を制して、霧山一佐が続ける。
「日高。貴君があの場所に生還することを、私は、ここにいる佐々木会長から前日の夜、伝えられた。……我々は、君が生還する日時、場所を正確に予測していたんだ。」
「つまり……君が帰るのを予知して教えたのが、姪の由梨亜だ。」
 佐々木会長が霧山一佐の言葉を引き継ぐ。
「君の命の恩人ともいえるかもしれんな。感謝しろよ。」
「……あなたが僕をひっぱってくれたんですか。」
「えっ? 」
 突然の日高の問いかけに、由梨亜がとまどう。
「いえ、私はただ……そこにあなたが帰るのを伝えただけ……。」
「あ~。」
日高と由梨亜の会話に聞き耳を立てる会場の注意を、再び自分に向けるため、霧山一佐が意味のない声をあげる。
「――次元超越獣は、いつ、どこに現れるのか。残念ながら、それを探知する有効な手段を、我々は持っていない。被害の拡大を防ぎ、次元超越獣と充分な準備をもって戦うためにも、我々には、御倉崎さんの予知能力が必要なのだ。」
霧山一佐は、由梨亜と佐々木会長を振り返ると微笑んだ。
「御倉崎さんには、特別にセキュリティーカードを用意させます。」
 霧山一佐は、そう言うと日高に由梨亜を総務部まで案内して、セキュリティーカードを用意させるよう命じた。
「以上。解散! 」
金城三佐の声が、意味もなく力強く響く。
「……案内します。」
 日高が由梨亜を先導して総務課への廊下を歩きはじめる。二人を見送る霧山一佐と佐々木会長。それを見て、周囲で機会があれば話しかけようと待ち構えていた連中も、「役得だね。」と肩をすくめ、すごすごと持ち場へ散っていった。

「そういえば、病院でお見かけしましたよね。」
 廊下を歩きながら、日高は由梨亜に話しかけた。
「そうですね。」
「憶えていますよ。」
「どうして? 」
「目がいいのでね。」
「そう。」
「ええ、視力は2・5です。」
 傍から聞いていても、とんちんかんで味気のない会話が続く。
 由梨亜の気のない受け答えは、日高に取り付く島を与えない。総務課のカウンターでは、白瀬唯二曹が手を振っていた。
「ミクラザキ ユリアさん……ね。」
 白瀬が形式どおり名前を確認して、コンピュータにデータを入力する。
「あと生年月日と住所、電話番号、血液型、そしてパスワードをこの紙に書いてくれるかな。それが終わったら、隣でデジタル写真を撮るから。」
 申請用紙とペンを受け取った御倉崎が、困ったように小さな声で日高に尋ねる。
「生年月日と住所……どうしても書かなきゃダメですか? 」
「どうしたの? 」
「引っ越したばかりで……覚えてないの。」
「生年月日も? 」
「……ごめんなさい。」
 不思議そうに様子を見ている白瀬に、日高が機転を働かせて応える。
「白瀬。悪い。少し気分が悪いそうだ。セキュリティカードは、また今度にしよう。」
「えっ? ああ、それじゃあ、気をつけて……」
 
 日高は、そのまま押し黙ってしまった由梨亜を佐々木会長と霧山一佐の待つ応接室へ送り届けた。気まずい雰囲気で終わってしまったものの、日高は「またがあるさ」と気持ちを切り替え、自室へ向かう。
 その頃、総務課では、白瀬がコンピュータを操作していた。
「由梨亜ちゃんのために、私が先に創ってあげちゃうよ~ん。」


(3)蒼空の通り魔

太平洋上を航行するアメリカ海軍の原子力空母「ニミッツ」からの緊急通報が、アダム極東司令部を通じて、日高たちに伝えられたのは、年があけた1月12日のことだった。
「――『ニミッツ』を発艦した2機のFA18『ホーネット』が、上空で奇怪な生物と遭遇し、攻撃された。」
「FA18『ホーネット』ロスト。パイロット2名行方不明。」
「対空ミサイルは、目標をロスト。」
続いて二時間後、太平洋上を日本へ向かって飛ぶ旅客機が行方不明になったとの連絡が入る。
さらに二時間後、今度は、貨物機2機が相次いで消息を絶ったとの通報が届けられる。
何かが急速に日本へ向けて近づいているのだが、はるか太平洋上で生じた出来事のため、司令部としては手のうちようがない。
「アダム極東方面司令部より、カデナ向けフェリー中のF22『ラプター』に接敵命令が出された模様。」
国防軍中央即応集団・対次元変動対応部隊司令部内に情報が飛び交う。
「次元超越獣でしょうか?」
「たぶん……な。」
金城三佐の問いに、霧山一佐が答える。
「おそらく、御倉崎さんが『日の出とともに海の向こうからくる。」と言ってた奴だろう。」
「……予言は、まあ、便利ですが……。そう言えば、……・御倉崎さんは、今日はいらっしゃらないのですか? 」
「ああ。次元超越獣が出る日時、場所を予知するまでが、彼女の仕事。あとは我々の領分ということだ。」
それを聞いて、金城三佐はうなずく。
「ほお、ずいぶんとできた娘さんですねえ。感心感心。できれば、前日くらいに教えていただけるともっと助かったんですが。」
有給で休む予定だったのを呼び出され、金城三佐は、いつになく機嫌が悪い。
「無理を承知でお願いしてるんだ。がまんしろ。アダム極東方面司令部でさえ、緊急事態にてんてこ舞いしているが、こっちは、御倉崎さんのお陰で、四時間前から準備できただけでもましな方だ。国防軍空軍のF15は、スタンバイしてるな? 予言は的中しているんだ。恥ずかしいマネはできんぞ。」
「すでに日高と三塚を百里に派遣しております。複座のF15、2機に特殊装備を積んで待機しているはずです。北斗空港には、斉藤と比嘉の機動歩兵を中心に、迎撃準備を展開中と。あとは彼らに期待するしかないでしょう。」
金城三佐が、作戦準備と配置状況を確認しながら答える。
「よし。今、我々にできるのは、羽田と成田、北斗に向かって飛行している民間機を、最大速度で避難させることだけだ。滑走路がふさがりそうなら、アダム極東司令部に、横田基地での受け入れを依頼させる。至急、レイモンド少将を呼び出してくれ。」

アメリカ本土からカデナ基地へ向かって飛んでいた最新鋭ステルス機F22「ラプター」の編隊が、アダム極東司令部からの命令を受け、正体不明の怪物の予想接敵空域に到着したのは、それから十分後のことだった。
「レーダーには映らない。巡航速度は音速近い……一体どんな奴だ? 」
やがて、5機のラプター編隊の前に、一機の旅客機が姿を現した。成層圏を飛ぶ機体が陽光を反射してキラキラ輝いている。
と、その時だった。
突然、旅客機の機体がキラキラ光るものを撒き散らしながら高度を下げ始めた。異変を悟り、民間機の交信周波数にチャンネルを切り替える。
「メーデー! メーデー! こちらレキオス航空301便。貨物室に異常発生! 機内の気圧がぐんぐん下がっている。ただちに高度を下げて安全を確保する。」
降下していく旅客機。それを上空から見下ろすラプター編隊。
「ウルフリーダー。旅客機の前方、降下先に何かあります。」
ラプター編隊を率いるウルフリーダー、オルデンドルフ少佐は、2番機からの交信を受け、旅客機の進路に目をこらす。白く広がる薄絹のような雲海にぽっかり黒い穴が開いている。
「雷雲か? 」
突然、旅客機の下腹部分が爆発し、黒い影が飛び出す。
「なんだ? 」
「爆発したぞ。」
黒い影は、旅客機の後方をすさまじい速度で駆け上がると、ラプター編隊に向け突っ込んできた。信じられないマニューバーだ。
「いかん。全機散開! 」
 オルデンドルフ少佐の声が、ラプター各機のレシーバーに響く。
「何……! 」
機体を傾け、急降下で回避に入ったラプター編隊2番機、アーノルド少尉は、下部から煙を吐く旅客機が、ぽっかりあいた黒い穴の目前でかき消すように消えるのを目撃した。見間違いかと思う間もなく、黒い影が起こす衝撃波が機体を襲う。ベキベキと異音が通り抜ける。
懸命に姿勢を回復しようとするが、操縦桿が急激に重くなる。機体が左に傾いているが、なかなか姿勢が回復しない。アーノルド少尉は、ふと左翼を振りかえって愕然となった。
「ぐ、グレムリンだ! 」
ラプター編隊2番機の左翼に巨大な怪物が鎌状の爪を立ててしがみついている。怪物の大きさは、尻尾の長さも含めると、ゆうに十メートルはある。そして、その背中では、透明な羽がブンブンうなっている。
怪物の緑色のバブルアイは、明らかに少尉を狙う肉食昆虫のものであり、鎌状の爪で機体の外板を引き裂きながら、ゆっくり、しかし着実にキャノピーへと近づいてくる。
「うわあああっ」
アーノルドは、恐怖の叫びを上げると、スロットルレバーを全開にした。怪物を振り落とすべく、ラプターのプラット&ホイットニーYF119エンジンが吠え、加速にかかる。
ドン!
にぶい衝撃音とともに、アーノルドはシートから前のめりになる。エンジン出力が急速にダウンし、「はっ」として振り向いたアーノルドの眼前に、怪物の巨大な鉤状のアゴがあった。
 
 アーノルドの悲鳴が途絶え、ラプター編隊2番機は、きりもみ状態で墜落していく。そこから飛び立つ黒い影をオルデンドルフ少佐は、見逃さなかった。
「こちらウルフリーダー。グレムリンと遭遇。今から攻撃する。」
オルデンドルフ少佐は、力を込めて宣言すると二十ミリバルカン砲の安全装置を解除し、ラプターの機体を緩降下に入れた。
 こいつは、レーダーに映らない。赤外線での捕捉も怪しい。ミサイルじゃ落とせない。
 黒い影は、オルデンドルフ少佐の考えを察知したかのように、ヘッドアップディスプレイ上のターゲットマークをかわし、右へ右へと回りこむ。ロックオンはとてもできそうにない。緩降下は次第に急降下へ変わり、追尾するうちに今度は上昇へと変わっていく。視界が次第に暗くなる。
「ちっ! 」
 このままでは遠心力で脳が貧血状態となって、ブラックアウトを起こすと判断した少佐は、怪物の動きを見越して、その先へ一連射を放った。
 ブオオオッ!
 牛の短い雄叫びのような発射音がして、光の群れがカーブを描いて怪物の行く先を横切る。それを見た怪物の動きが一瞬緩み、ターゲットマークがその姿を捉える。
「! 」
 少佐の指が反射的に動いて、再びトリガーボタンを押し込む。
 ブオオオオオオオオオッッ!
 再び牛の雄叫びのような発射音が、今度は長めに響き、光りの奔流が怪物めがけて殺到する。
「あたれっ! 」
 だが、初弾が当たったかと思った瞬間、怪物の姿が掻き消える。
「? 」
 あわてて、怪物を探す少佐のレシーバーに、ウルフ4から悲鳴が入る。
「ウルフリーダー! 左旋回! よけてください! 」
 少佐の体が反応し、機体を左旋回へ切り返す。その頭の上を黒い影が猛スピ―ドで通り過ぎる。陽光を受けて光を反射する怪物のバブルアイの頭が、クイッと少佐の方を一瞥する。
「ウルフリーダー。離脱してください。こちらから仕掛けます。ウルフ4、援護を頼む! 」
 今度はウルフ3が、怪物の頭上からバルカンの発射煙をたなびかせながら降下する。それにウルフ4が続く。
怪物は、攻撃してくるラプターを急激な垂直機動に持ち込んで振り切り、高Gで一瞬ふらつくラプターのキャノピーを狙おうと突進する。そこを今度は少佐のウルフリーダーとウルフ5のペアが牽制する……。
最新鋭ジェット戦闘機が4機がかりで怪物に立ち向かうが、勝負はつかない。高G機動の連続に、少佐たちも次第に体力を消耗していく。
あせる少佐たちが3度の垂直機動で怪物を振りきったと思った時、いつの間にか、怪物の姿は消えていた。

 


(4)おいしいパイロット

日高と三塚がそれぞれ搭乗したイーグルが、百里基地を飛び立ったのは、オルデンドルフ少佐らが怪物との空戦を終え、カデナに進路を変えてから十五分後のことだった。
 日高は、発進前に渡されたファイルを見て驚いた。
「『バラウ』? 何だこりゃあ。アダムは、もう、怪物に名前までつけてんのか? 」
 ファイルには極秘の赤のスタンプが打たれ、怪物のサイズや習性、おまけに全身の形態図らしきものや、黒く塗りつぶされているものの、出身次元? などというわけのわからない情報まで記載されている。
事細かな情報に半信半疑になりつつも、日高は概ね怪物の特性を読み取ると、ファイルをしまいこむ。
巡航速度で、予想接敵空域を横切り、帝都の北斗空港へ向かう進路をとる。現在、空域のレーダーレンジ内を飛ぶ飛行機は皆無のはずだ。もし、現れるものがあれば、それが目標のはずである。
日高と三塚は、相互に敵を監視するため、2機のイーグルを並行して飛ばしている。日高は、三塚機の後席に座っているパイロットをちらっと見る。少しうなだれ気味のヘルメット。そのバイザーの下を白い包帯が酸素マスクと座席の間を往復して巻きついている。
「結局、御倉崎さんの見込み通りってわけか……。たいした予知能力だ。」
バックミラ―で後席の相棒の姿を確認する。
「日高一尉。6時方向、ターゲット確認。」
 三塚が指差す方向に、ぽっかりと黒い穴が開いている。
「こっちも確認した。出てくる前に先制攻撃をかける。TV誘導弾、発射! 」
 イーグルの右翼下に装備された特殊弾頭付ミサイルが、6時方向の次元ポケットに向けて放たれる。続いて、三塚機からも1発が発射される。
 ディスプレイにミサイルから送られてくる映像が表示される。特設のコントロールスティックを操作し、ミサイルの方向を次元ポケットへロックする。ミサイルが次元ポケットに吸い込まれる寸前、日高は自爆スイッチをONにする。
 ドオォォン!
 空中に半球状の火の玉が生まれる。続いて、三塚機のミサイルが飛び込む。今度は、空間に赤い火柱が吹き出す。すると同時に何か、黒い物体が飛び出して、日高たちの方へ向きを変え、すさまじい勢いで突進してきた。
「来た来た来たっ。このまま逃げるぞ。」
「えーっ! ミサイルが効かないんですかぁ? 」
 ひびった三塚機の反転が遅れ、怪物が後ろに迫る。
「三塚! フルスロットル! 後ろにいるぞ! 」
 三塚機がアフターバーナーに点火し、怪物を振り切りにかかる。すると、怪物は口から赤い舌を出す。そして、それがシュッと伸びると、三塚機の左主翼に絡みついた。三塚機がバランスをくずし、左降下に移る。
 「つかまりました。後席射出します。」
 三塚機から、悲鳴のような交信が入る。
 「まてっ。まだ早いっ」
 日高の返信が届かないうちに、三塚機の後席のパイロットがベイルアウトする。怪物がそれを見て、ベイルアウトした後席のパイロットに襲い掛かった。
怪物の長い鎌状の腕が伸びて、パイロットを捕らえようとする。
ド―ン!
突然、怪物の眼前でパイロットが大爆発を起こした。怪物が吹き飛ばされて空中を回転する。数回回転したところで、怪物は羽を展開し、空中に静止した。
長い鎌状の前足で頭をこすっている。
「しくじったか……」
日高たちの機体の後席のパイロットは、そのフライトスーツ内にC4プラスチック爆薬を百五十キロ装填した爆弾人形だ。空中でパイロットを襲って喰らうという次元超越獣「バラウ」の食性を逆手にとって、食いついたところを吹き飛ばして仕留める計画だったのだが、起爆させるのが早かったようだ。
一方、怪物をふりはらい、離脱を図る三塚機は、姿勢を回復したものの、その立ち上がりはひどく鈍い。
「三塚!急げっ。急降下して離脱しろっ! 」
「だめです。左翼付け根付近に亀裂が入っています。振動が収まりません。燃料タンクもやられたようです。」
その間に、羽をすぼめた怪物は、再び三塚機に接近をはじめた。そのスピードは先ほどよりも余裕さえ感じられる。それとも警戒しているからなのか。
日高は、三塚機を援護するため、機体を右旋回から緩降下に入れた。バルカン砲の安全装置を解除する。試射は、すでに済ませている。
「三塚。そのまま振り切って逃げろ。」
「しかし、一尉だけでは……」
「その状態じゃ、作戦続行は無理だ。あとはまかせて脱出しろ。」
「了解。ご武運を。」
バルカン砲の軸線上に三塚機を入れないため、怪物の右前方から接近しての射撃コースを取る。三塚機がターゲットスコープ上を通過すると同時に、トリガーをはじく。
ブオオオッ!
吐き出された二十ミリ弾が怪物の前面を横切る。そのうち数発は、怪物の側面を抜けたようだが、手応えはない。頭をクルッと右に傾げ、怪物が今度は日高の機体に向かってきた。日高機の右から高速で怪物が接近する。日高は、あえて怪物に向けて機体を右旋回に入れる。コクピットの上から怪物の姿が迫る。
「くらえっ。」
日高は、怪物に向けて、後席のパイロットをベイルアウトさせる。
バシッ!
キャノピーが吹き飛び、続いて後席がパイロットごと怪物の前面に叩きつけられる。怪物は、飛んできたキャノピーを鎌状の前足で掃い、反射的に後席とパイロットを捕捉した。しかし、ホバリングした怪物の目は日高を凝視したままだ。腕の中に捕捉したパイロットに喰いつく気配は、まったく感じられない。
「ちっ! ばれちまったか? 」
日高は仕方なく、起爆スイッチを押した。
ドオォォォーン
再び空中に火の玉が生じる。しかし、その威力は先ほどの半分もない。爆風で怪物の腕の中からパイロットの腕や下半身が飛び散っていく。パイロットスーツに詰め込んだプラスチック爆弾は、怪物の鎌で切り裂かれ、半分以上が爆発することなく吹き飛ばされてしまったようだ。
「イーグルコントロール! こちらイーグル1。メインディッシュ作戦は、失敗した。これよりミッキー作戦に移行する。」
「こちらイーグルコン……。……グル1、了解……。……祈る。」
日高は、キャノピーを失って吹きすさぶ風にさらされながらも、懸命に機体の高度を下げていく。怪物の動きを注視する。
怪物は、日高機よりも上方に位置したまま追ってくる。プラスチック爆弾による被害はまったく見られない。日高は、再度バルカン砲による攻撃を試みようとしたが、怪物は日高機に合わせて飛行するばかりで、日高に攻撃のチャンスを与えてくれない。振り切ることもできず、日高はあせった。怪物がそのままじっとしているわけがない。おそらくチャンスをうかがって仕留める気なのだろう。
ジグザグに飛行しつつ、攻撃のチャンスを懸命につかもうとする日高に、怪物が再び攻撃をしかけてきたのは、それから数分後のことだった。

 


(5)妖兵参戦

ガン! ガン!
機体に生じた衝撃に、日高は機体の後部を振りかえる。
「! 」
機体上面のあちこちに、大人の握りこぶし大の破孔が生じている。
ガン!
日高の目の前に、透明な矢のようなものが高速で降ってきて、機体に新たな破孔を作り出す。エンジンが異音をたて、機体全体に不気味な振動が広がる。ある破孔からは、白い霧状のものが噴出している。
怪物が別の方法で攻撃してきたのに気づいた時、コクピットを影がよぎった。日高は、とっさに首をすくめる。
ブーンという音とともに怪物の払う鎌状の腕が日高の頭の上を通り過ぎた。 
ガシッ……。
怪物が日高機に鎌をかける。機体からキラキラと破片が散る。
日高は、もはやこれまでと、ベイルアウトレバーを引いた。衝撃とともに空中に放り出される。怪物はベイルアウトする日高をそのまま見送ったが、やがて日高機を突き放すと、降下していく日高に接近してくる。パラシュートが開き、怪物がゆっくりと鎌の腕でそれを絡めとる。
喰われるよりはましだ。
日高はパラシュートを切り離す。再び降下がはじまる。この高度でパラシュートなしで降下したら助かる可能性はない。墜落死は必至である。それでも、怪物につかまり、喰われるよりは、はるかにましである。日高は目を閉じた。
その時だった。突然、日高は、暖かな空気に包み込まれるように受け止められた。右手を誰かが握り締めている。
 目を開けると、そこに輝く金髪をなびかせる、日高と等身大の妖精がいた。

 妖精に右手を支えられて、日高は空中に浮かんでいた。あまりのことに呆然としながら日高は、妖精を見る。
 金髪の頭部に銀のティアラを戴いた妖精は、耳の部分に長いアンテナのついた白いイアーマフをつけている。妖精の目鼻立ちは彫が深く、その白い陶磁器のような素肌は、まるでギリシア彫刻のようである。その反面、首から下は全身黒づくめで、その背中には高速で振動している羽が見える。腕を覆う絹のような長い白手袋は、ひじの部分から少しずつ厚くなっているようで、手の甲には、2本の突起がついている。脚のほうも同じように長い白いブーツで覆われていて、足先は不思議なことに2つに割れている。ブーツは、ガータベルトのようなもので腰の部分に固定されているようだ。体の前面は怪物と対峙しているためよく見えないが、背中から伸びる鱗状のパーツが胸や腰といった重要部分をカバーしているようである。その美しいプロポーションからすると、女性であることは明らかだ。
「バラウ」と対峙する妖精の姿は、自信に満ちていた。
 妖精は、「バラウ」に向けて握った右腕を水平に伸ばす。右腕から拳に向けてリング状の波動が空気を震わす。そのとたん、妖精の握りこぶしの甲にある2本の突起が青白い閃光を放った。
 ボッボッボッ……。
 ホバリングしつつ様子を伺っていた怪物の胸部から腹部にかけて、破裂音が轟き、甲虫のような頑丈そうな身体に次々と焼け焦げた穴が、深く穿たれていく。妖精が右手甲から放つ光線が、着弾すると同時にその体組織を気化爆発させているのだ。
 あまりの威力に神経系統が痛みを伝えることができないらしく、怪物は自らの身体が破壊されていくことに気づいていない。それでも体のあちらこちらで起こる爆発に驚き、怪物は一端、猛スピードで上空へ駆け上がっていった。
 妖精が日高の方を向いて、口を開くが、声は聞こえない。その耳のあたりにあるイアーマフの下側についたイアリングの宝石がキラリと輝く。
日高は、怪物と交戦中という緊迫感の中にも関わらず、妖精の美しさに目を奪われていた。
 妖精は、日高の様子に少し首を傾げたものの、やがて日高の手をひいて「バラウ」を追って上昇を開始した。
妖精は、親指と薬指をいっぱいに広げた右腕をまっすぐ進行方向に伸ばす。静止状態から身体全体が急速に浮揚する感覚に包まれていく。なんで浮かんでいられるのか、昆虫の羽のような構造の羽ばたきだけでこのような揚力を生み出せるわけがない。日高は、この時になって、ようやく、この妖精が常識を遥かに超える存在だという気づきはじめた。
 一方、妖精が追ってくるのに気づいた「バラウ」は、尻尾の先を妖精に向ける。その先端が急速に膨らみ始める。
「いかん! よけろっ。」
 日高は思わず握られた右手を握り返して、叫んでいた。妖精がふり返って微笑む。何か伝えるように口が動くが、まったく声は聞こえてこない。
日高はあせって、酸素マスクに手をかける。しかし、片手だけでは酸素マスクは簡単にはずれない。だめだ、間に合わない。
 「バラウ」の膨らんだ尻尾の先からは、日高の乗機を破壊した、無色透明の槍が発射される。エンジンをも貫通した、その硬度と破壊力は尋常なものではない。やがて、怪物の膨らんだ尻尾の先端にポツンと穴が開いた。
ボッ!
高速で飛来した「バラウ」の槍が、妖精の眼前に迫る。妖精の差し出した手の先に槍がつきささる。日高には、その様子がスローモーションビデオを見るかのようにはっきりと見えた。しかし、槍が妖精の手に触れたと思った瞬間、日高はわが目を疑った。
「き、消えた? 」
 驚く余韻の中、状況を確認する間を与えず、「バラウ」は次々と槍を発射した。
 ボッ、ボボボボッ!
 雨のように降り注ぐ槍は、そのすべてが、妖精の手の先で消滅していく。
 異常な状況が生じているのだが、怪物は気づかない。やがて牙をむき出し、ガチガチ鳴らしながら、鎌状の腕を振りかざして怪物が頭から突進してきた。
 妖精の右手指が動き、頭のティアラの宝石が発光しはじめた。
 怪物が鎌の腕を振り出す。
 妖精は、右腕を引き、胸の前にひきつける。視線は怪物を捉えたままだ。
 鎌が妖精の頭に迫る。
 次の瞬間、妖精のティアラの宝石が黒い光を放った。あたりが瞬間的に闇に包まれる。
次に日高が見たのは、妖精のティアラから怪物に向けてほとばしる光の柱だった。
 光の柱は、怪物の体を貫くというよりも、その先端に怪物の体を巻き込んで伸びてゆく。怪物は光の柱に押され、尻尾の先まで残すことなく吸い込まれて、やがて光の柱とともに消滅した。
 真昼の空に、大気圏上層部まで打ち抜かれ、暗黒の宇宙空間に瞬く星が見える穴がぽっかりと開く。
「やった……・のか? 」
 日高は、自分の手を握っている妖精に目をやる。妖精は、目を閉じて静かに浮かんでいた。
「あんた……一体何者だ? 」
 日高の問いが聞こえたのか、妖精が瞳をあげ、微笑みながら口を開く。
「…………」
 やはり声は聞こえない。しかし、日高はその口の動きを読んで、声にする。
「フ……ラ……イ……ア……。フライア? 」
 その名前は、次元の狭間に日高が引きずり込まれた時、助けに来てくれた女性がつぶやいていた名前だった。
「夢じゃなかったのか……。フライア。君は実在していたのか。」
 今更ながら、異次元空間に迷い込んだ時のことを思い出す。
「助けられるのは、これで2度目だな。ありがとう。」
 日高の言葉に、一瞬、妖精が驚いたように目をみはる。日高は、右手で握り締めている妖精の手の感触、暖かさに気づく。それは、フライアと名乗る妖精が、夢や幻ではなく、血の通った生命体として存在している証だった。
 
 無音状態から、やがて急激に風が吹き込みはじめる。轟音を立てて光の柱で開けられた空間を埋め尽くそうと周囲から突風が吹き込み、やがて断熱膨張によって柱状の雲が出現した。
 妖精に手をとって支えてもらっているとはいえ、日高の体も妖精とともに突風によって生じた竜巻状の上昇気流に飲み込まれる。
高空のため、酸素も薄い。気温は氷点下だ。日高は、妖精の腕に抱かれながら意識を失っていった……。


(6)メシアのもうひとつの顔

日高のイーグル1と三塚のイーグル2が相次いで消息を断ったため、国防軍中央即応集団・対次元変動対応部隊司令部に設置されたイーグル・コントロールは、迎撃作戦を失敗と判断、百里基地に待機していた全迎撃機に緊急出撃を要請した。
 しかし、迎撃隊は怪物と遭遇することなく、まもなく、洋上を漂流中の三塚二尉を発見した。連絡を受けた救難隊は、三塚二尉を救助したものの、日高一尉を発見することはできず、三塚二尉の証言もあって、その安否は絶望視された。
 そんな霧山一佐らのもとに、御倉崎から連絡があったのは、それから二日後のことだった。
まず最初に、北斗空港の駐機場に、突如消息を断っていたレキオス航空301便が出現した。機体は下部貨物室の隔壁が破壊されているものの、乗員、乗客は全員無事であり、空港は喜びの声に包まれることとなった。
一部の乗客から旅客機と平行して飛ぶ怪物の目撃情報は得られたものの、襲撃の経緯や301便がどうして時間を飛び越えて助かったのかは、不明で、結局、奇跡のひとつとして片付けられてしまった。
 そして、北海道で奇跡的ともいえるオーロラが輝く、深夜の国防軍中央即応集団駐屯地のサブグラウンドで、隊員たちが固唾を飲んで見守る中、日高一尉は、再び虚空から奇跡の生還を成し遂げた。
 よれよれのパイロットスーツ姿で天空を彩るオーロラの下、突如姿を現した日高に、サブグラウンドでは歓声が爆発した。そして、隊員たちの歓声に出迎えられた日高一尉の最初のコメントは、「腹がへった」であった……。

 

駐屯地のサブグラウンドの駐車場に停められたベンツの中で、ダイヤモンド・デルタ重工の佐々木重蔵会長は、傍らの御倉崎由梨亜に声をかけた。
 日高一尉の帰還を喜ぶ歓声と救急車のサイレンで、周囲はかなり騒がしい。
「通報者であるあなたが、先頭に立って迎えるのが、信頼を得る近道だと思いますが……。よろしいのですか。」
「ええ。かまいません。」
「しかし、今回は旅客機一機まるごと飛ばしたと聞いて、驚きました。かなり無理をなさったのではないですか。」
「……。」
黙り込む由梨亜の様子を見て、重蔵は続ける。
「バチカンでは、あなたをメシア、救世主のように考えていると聞いております。確かに、脅威的な力を持ってはいるが、万能ではない。失われる命を少しでも減らすことは、たいへんすばらしいことですが、あまり無理をしない方がいいのではないでしょうか。妖精でさえも、私の娘……千鶴の命を繫ぐのに、十年はかかると言っていたのですよ。」
「その話は、また今度にしましょう。屋敷にもどってください。」
「日高一尉にお会いしなくてよろしいのですか。」
「なぜ? 会う必要はないと思いますけど。」
「……わかりました。」
重蔵は、運転席側と後席を仕切る防音・防弾ガラスを少し下げて、運転手兼ボディガードに声をかける。
「金剛。屋敷にもどってくれ。」
「かしこまりました。」
特別仕様のベンツは、ゆっくりと駐屯地の駐車場から出る。ゲートで身元の確認を受け、公道へ乗った。屋敷は涼月市の郊外に位置するが、駐屯地とはまるっきり正反対の場所にある。中心市街地を抜けるため、到着まで最低でも三十分はかかってしまう。
重蔵は、ふと傍らの由梨亜を見る。いつの間にか目を閉じ、眠っている。
「いつか……千鶴とともに心を開いてくださるのをお待ちします。」
重蔵は、ひとりつぶやいた。
深夜の涼月市の街中は、オーロラが輝く奇跡の空を見ようという人々が数多く繰り出し、いつもと違う雰囲気が漂っていた。行き交う車の数も普段よりもかなり多い。ロマンチックな夜空は、恋人同士が愛をささやきあうのにふさわしく、通りすがりカップルも、その雰囲気に酔っていた。
「……・何が聞きたい? 」
突然、車内に響く小さな声に重蔵は驚いた。窓の外から、視線を傍らの由梨亜に向ける。由梨亜は、うつむきかげんだった顔をゆっくりとあげるところだった。その容貌は変わらず美しいが、重蔵に向ける鋭い目つきは、先ほどまで会話していた時とはまるで別人である。
「め、メシアですか? 」
「その表現は正しくない。私は、妖精たちから派遣されてきた妖精兵士の一人にすぎない。」
「いや、何とお呼びすればいいのか。いつも急に現れるものですから、とまどってしまいます。」
 重蔵は、緊張し、いつになく言葉を選んでしまう。
「そうだな。では、正確ではないがフライアと呼んでもらおう。彼女の代弁ができるのは、今のところ私と由梨亜しかいないのだから。」
「わかりました。フライア。実は、前に依頼されていた事件の調査の件ですが……。在日米軍の高官から少しだけ情報を引き出すことができました。アメリカ側では、「聖櫃事件」と呼ばれているようです。聞き取りの内容は、文書に起こしてあります。それと、由梨亜さんの親御さんの消息が判明しております。」
「由梨亜にも教えたのか? 」
「いえ、調査の依頼をされたのは、フライア様ですから、由梨亜さんには、伝えてはおりません。よくわからんのですが、由梨亜さんは、事件のことはまったくご存知ないのですか? 」
「封印されているのさ。精神の安定のために。同じ肉体を持っているから、不思議に思うのは当然だが、たぶん由梨亜自身、私の記憶や意識は、把握できないはずだ。」
 脚を組み替えながら、フライアと名乗った由梨亜が続ける。
「私が帰ってきたのは復讐のためだ。私には記憶がある。おぞましい記憶だが、それは、私自身の記憶ではないからこそ、耐えられるのだ。私は、由梨亜を苦しめた奴らを絶対に許さない。」
 フライアと名乗った由梨亜の憎悪の強さに、重蔵は息を飲む。
「しかし、フライア様が手を汚しては……。
――フライア様には、妖精から遣わされたメシアとしての崇高な使命があります。その尊厳を穢すようなことになれば、今後、バチカンや軍との協力体制づくりにも影響してしまいます。人々の信頼を得ることも……。」
「だめだ。これは私が自ら手をかけなくてはならないことだ。由梨亜のご両親は、亡くなっているのだろう? 」
「……はい。公式発表は行方不明となっていますが、アメリカ側の資料では、残された遺体の鑑定結果で確認されています。これは、未解決事件のため、警察当局が公にしていない事実です。これです。」
 重蔵が調査ファイルをフライアと名乗る由梨亜に手渡す。ファイルを持つ由梨亜の手がふるえる。怒りがオーラのようにメラメラと湧き上がってくるような雰囲気さえ漂う。
やがて、ファイルが返される。
「由梨亜には、言うんじゃないぞ。ファイルの管理は任せる。」
「わかりました。金剛たちにもそのように伝えておきます。」
 重蔵は、フライアと名乗った由梨亜が、今にも飛び出していくのではないかと、ドキドキしながら次の言葉を待った。
「千鶴は、まだ目覚めないのか? 」
 突然、娘の千鶴のことを聞かれ、佐々木会長はドキッとする。
「はい。残念ながら……。……必ず目覚めるのですよね。」
「ああ……。千鶴が目覚めれば、事件の詳しいことがわかるはずだ。」
事件についての、被害者側の唯一の生き証人は、未だ目覚める気配がない。しかし、妖精自らが保障したことなのだ。目覚めの時が来るのは近い。
愛する娘が目覚める。その日をどれほど待ちわびたことか……。そこにどんな事実があったとしても、父親としては目覚めることを祈らずにはいられない。
私があなたを支援するのは、バチカンとの関係だけではなく、娘が生き返ることを願ってのことなのですよ。
 重蔵は意を決して、フライアと名乗った由梨亜の方を向いた。
「! 」
 傍らの由梨亜は、再び目を閉じて眠っていた。その安らかな寝顔は、先ほどまでの憎悪に染まった表情とは無縁のおだやかさである。
 は―っ。
 重蔵は、一つ深いため息をついた。
 世界は、今、次元超越獣という脅威にさらされている。その脅威に対抗する力を備えているのは、ここにいる心を病んだ少女だけなのだ。
なんと危ういことだろうか。
 重蔵は、ファイルを封筒に納めながら、由梨亜を襲った悲惨な事件の内容に思いをめぐらせ、ただ涙をこぼすばかりだった。

(第二話完)