超次元戦闘妖兵 フライア ―次元を超えた恋の物語―
渚 美鈴/作
第8話「保護された妖精 ーフライア消滅? ー」
【目次】
(1)保護された妖精
(2)スリーピング・ビューティー
(3)覚醒した妖精
(4)アダム激震
(5)人格交代
(6)妖精レポート
(7)試験勉強
(8)追試験
(9)ハッピーバースディ
【本文】
8ー(1)保護された妖精
「妖精、フライアを保護したって? 」
帝国国防軍 中央即応集団・対次元変動対応部隊は、斉藤一尉からの連絡に大騒ぎとなった。旧帝都・東京の汚染地区では次元超越生物「デスタ」と「プゲル」の完全駆逐に成功したものの、混乱は未だ続いている。
そんな中、フライアと日高は現場の中心から奇跡的に救出されたものの、二人とも意識が戻らず、救急車で都内にある帝国国防軍総合病院に隔離収容されている。
「日高一尉も一緒です。」
「そうか。で、日高の様子はどうなんだ? フライアの方は? 」
「日高一尉もフライアも意識がもどりません。日高一尉の方は、両腿に銃創があります。拳銃で撃たれたものと思いますが、一体誰に撃たれたのか……。現場のホテルからフライアが日高を救い出したはずですので、それからするとその前に日高は撃たれたことになります。すると可能性としては、アダムの関係者かもしれません。これは、あくまで私の推論ですが……。あ、フライアの方は、見たところどこにもケガらしきものは見当たりません。次元超越獣の掃討に力を使い果たし意識を失ったのではないかと思います。」
「ふたりとも、命に別状はないと考えていいんだな? 」
金城副司令は、斉藤一尉の伝えてきた内容に念を押す。
「はい。」
「よし! 病院関係者には、緘口令を出すように。これは、我々だけの話ではすまなくなりそうだ。」
「それが……、すでにアダムのスコット大佐とパワーズ少尉が、どこから情報を聞きつけてきたのか、日高に会わせろと主張して病院の入り口に居座っています。どうします? 」
「断れ! 意識不明で面会謝絶状態なんだろ! 断って当然だ。」
「わかりました。パワーズ大佐は行方不明のケインズ調査官の安否確認をしたいので、日高に状況を聞かせて欲しいということでしたが、後日、意識が回復しだい確認するということで、答えておきます。」
「そうしてくれ。」
金城副司令は、無線を切ったあと、アダムや極東米軍の無線傍受、解析能力の高さに思い至る。
筒抜けかもしれんな。しかし、日高の負傷にアダムが関与している可能性がある以上、妖精保護の情報を隠したと非難されても、弁解は充分可能だろう。
「霧山司令、戻られました。」
アルファワン司令部内に、霧山司令が戻ったことを知らせる同行者の声が響く。金城副司令は、席を立って、入り口まで司令を迎えに行く。
やがて、アルファワンの搭乗口前で司令を出迎えた金城副司令は、霧山司令の耳元で妖精保護の重大情報を伝えた。
「それは本当か? 」
驚いた霧山司令は、きびすをかえしてタラップを降りていく。
「病院まで、司令と一緒に日高の見舞いに行ってくる。後のものはしばらく待機だ。」
金城副司令は、そういい残すと霧山司令の後を追っていった。
8ー(2)スリーピング・ビューティー
髪に包まれた白い顔は酸素マスクに覆われている。頭につけていた銀のティアラも見えない。いつも黒いウェットスーツで覆われている首から下の肢体も、体にかけられたシーツから覗く白い肌を見ると、完全に脱がされてしまっているように見える。だらんと垂れ下がった触角の様子を見ると、もはやフライアの状態がただ事ではないことがわかる。
なんで? 一体何があったんだ?
まさか、俺を助けたようとして……?
両太腿に巻かれた包帯を見て、そのケガの原因を思い出す。まさか、ケインズ調査官がおれを囮にしてフライアを捕まえたのだろうか?
いや、ケインズ調査官は、次元超越獣に体を乗っ取られたはずだ。そのあと……。
立ちあがろうとした拍子に心電図のプラグが外れてしまったのだろう。センサーが警告の点滅を繰り返している。
もうすぐ、宿直の看護師が駆けつけてくるだろう。
ドアが開いて、看護師が飛び込んできた。
「日高一尉。意識がもどったんですね? 」
看護師の第一声が日本語であることに、ほっとする。
少なくともアメリカ軍関係者でないことは確かだ。
「お、教えてくれ。ここは一体? なんでフライアがここにいるんだ? フライアは大丈夫なのか? 」
看護師に問いかけるため、日高は立ち上がろうとして、こけてしまう。
足に力が入らず、体を支えられない。床にひざをつくと同時に、太腿の傷からの激痛が脳天まで貫き、思わずうなり声をあげてしまう。
「無茶です。昨日手術して、両太ももに残っていた弾丸を摘出したばかりですよ。もうしばらくベッドで横になっていてください。」
看護師が日高に肩を貸して、日高をベッドに腰掛けさせる。日高は首を振って、看護師の両肩をつかまえる。
「いや、だいじょうぶだ。それより、隣のフライアは、一体どういうことなんだ。あのフライアがなんでこんなことに……? 」
「落ち着いてください。妖精のことは私たちに任せて、少し冷静に。」
「俺は冷静だ! 霧山司令は、どこだ? お前たちこそ、フライアに変なことしやがったら、ただじゃ済まさんぞ! 」
看護師がまともに答えないため、日高は次第に苛立ってくる。
普段の温厚な彼の性格からすると、信じられない態度である。
フライアが何かされているということを知っただけで、怒りがこみあげてくる。いてもたってもいられないのだ。
目の前の看護師に悪気がないのは、その様子を見てもわかるのだが、命の恩人ともいえるフライアを守らなければという使命感が日高を駆り立てる。
そこに騒ぎを聞きつけて、当直医らしき人物が入ってくる。その後ろから、日高も知っている顔が続いて入ってきた。
「日高一尉! 落ち着いてください! 」
「白瀬! それに三塚も。」
日高は、白瀬や三塚を確認してひとまず安心する。
「教えてくれ。一体なんで、フライアが病院にいるんだ? 俺が意識を失っている間に、何があったんだ? 」
三塚が答えようとするのを制して、白瀬が代わりに答える。
「落ち着いて。フライアは、日高一尉を救い出した後、次元超越獣をやっつけるために力を使い果たして、一尉と一緒に倒れていたんです。」
「そんな。フライアが倒れるくらい強い奴が現れたのか? 」
「いえ、強いというよりも……。数と大きさが……。一尉も知っている『プゲル』が四十、五十匹も現れました。『デスタ』って言う植物の化け物は2体、しかもひとつは汚染地区全体を覆うほど巨大化していましたから……。」
「すごいですよ。そいつらを東京の街に何ら被害を与えることなく、全滅させちゃったんですよ。しかも、怪我をした一尉を守りながら……。シールドとかいうバリアで、次元超越獣を一網打尽にして、中で、ぜ~んぶ焼き尽くしちゃったんです。本当にすごかったですよ。それで、みんなきれいさっぱりなくなった後の焼け跡で、一尉と妖精を見つけたんです。みんな、もう驚きました。」
白瀬の説明を引き取って、三塚が興奮して喋りだす。
「俺をかばって……、倒れたのか? 」
「ええ。でもたぶんだいじょうぶだと思います。今、心電図とかをつけてモニターして様子を見ていますが、疲労して意識を失っただけではないかと医者も言っていました。ただ……。」
「何かあったのか? 」
「残念ながら、医療チームは、フライアに対して、何をどう治療すべきなのかがわからないんです。それで、身につけていたボロボロの黒いウェットスーツを脱がせたんですが、このとおり意識はまだ戻っていません。少し呼吸が苦しそうなので、一応酸素マスクをつけてみています。でも驚きました。スーツの下の体は、ほとんど人間の女性と変わらないんです。しかもブラとショーツまでつけているし……。」
白瀬が少し赤くなって、とまどいながら説明を続ける。
「ブラもショーツも日本製なの。メーカーは、「PS」です。これって一体……。」
「まずいな……。」
日高がつぶやく。
「え? 」
「仮にも、フライアは、我々人類を救うために送られてきた妖精だぞ。神聖不可侵な存在なんだ。そんな存在に対して、いくら治療のためとはいえ、フライアが許可したならともかく、我々が安易に触れていいものだろうか? 」
白瀬は、日高が自分たちが良かれと思ってしたことを責めているのを知って驚いた。思わず三塚と顔を見合す。
「フライアの頭のティアラはどうした? まさか研究のためとかいって、取り上げたりはしていないだろうな。」
「それは……消えました。」
「? 」
「治療の邪魔になるといって、医者がはずしたとたん、消えてしまいました。胸の部分あった甲冑みたいなのも、ブーツやグローブも同じように消えてしまいました。ボロボロになったウェットスーツは、ハサミで切ってしまったのでゴミに出してしまいましたけど……。」
「捨てたの……か? 」
「はい。」
「ばかな! どんな材質でできているのか、どんな機能をもっているか、わからないのにか? いくらなんでも軽率すぎるぞ! 」
「す、すみません。」
日高の言葉に白瀬も三塚も青くなる。
「急いで回収してくるんだ。」
白瀬と三塚が大慌てで病室を出て行った後、成り行きを見守っていた医者が日高に問いかけた。
「日高一尉。足の怪我ですが、昨夜手術して中に残っていた弾を抜きました。一体、誰に撃たれたんです? 」
日高は、そこで初めて医者の顔を見る。
「あなたは? 」
「医務官の中沢です。仕事柄、国防軍の隊員の怪我はよく見ますが、銃創はめったに見ないのでね。犯罪の可能性もあるので。霧山司令からも、確認して報告するように頼まれています。摘出した弾は、すでに司令部に提出済みです。」
「……ケインズ調査官だ。アダムの……。」
「トラブルですか? 」
「一方的に撃たれたんだよ。俺が……フライアを、妖精を独り占めしていると言いがかりをつけられたんだ。」
日高は、フライアの方を確認しながら答える。
看護師がフライアの側に立って、酸素マスクのずれを直したり、シーツをかけ直したりしている。
「それで……。相手は、ケインズ調査官は? どうなったんです? 」
「途中で、次元超越獣になっちまった。寄生……たぶん寄生されていたんだと……思う。」
「では、もう生きていないと? 」
「目の前で、変身しちまったんだ。おかげで、こっちは助かったんだけどね。」
「なるほど。」
中沢と名乗った医者は、「失礼」といって日高の腕の脈を確認する。
「もう、だいじょうぶだと思いますが、しばらく休んでいた方がいいでしょう。個室の方に移りますか? 」
「いや、ここでいい。フライアの様子を見ていたいんだ。」
「わかりました。」
「フライアは、だいじょうぶなのか? 」
医者は、肩をすくめる。
「採血などもして、できる限りのことはしています。バイタルも今のところ安定していますが、意識が戻らないことには……。」
「先生。ちょっと。」
フライアの様子を見ていた看護師が、急に声をかける。それを受けて、中沢がフライアの方へ移動する。
日高が注視する中で、看護師は、シーツの下のフライアの様子を中沢に確認している。
「赤く……なってる。発疹? 皮膚が炎症を起こしているのか?」
「どうしたんだ? 」
日高は、不安になってベッドから声をかける。日高を振り返ることなく、中沢医師が答える。
「心配ない。たぶんシーツが肌に合わなくて、かぶれただけだと思う。」
「本当か? まさか、ウェットスーツを脱がしたのが原因じゃないだろうな?」
「そう言われると否定できないが……、何か根拠でもあるかね? 妖精の体の構造はわからないことだらけだ。手探りで対応するしかないんだよ。」
中沢医師は、フライアの肌全体に広がっている発疹を調べながら答える。
「いや、これは俺の勘だ。フライアのウェットスーツがユニフォームの一部というなら、そこには何らかの機能的な意味があるんじゃないか? たとえば、パイロットスーツの耐G機能とか、普通科兵の防弾チョッキのような……。」
「ははっ。さっき言ったとおり、あのウェットスーツはボロボロになっていたが、ハサミで簡単に切れた。厚さも布1枚程度、いやもっと薄いくらいだった。弾丸や刃物から体を守ることなんか、とてもできそうにないよ。防水とか気密性は高そうだったが……。」
中沢医師が笑って否定するのを聞いていた日高の脳裏を直感が貫く。
「それだ! 体を守る機能だよ! 全身を覆っていたということは、外気に直接触れるのを避けるためだったんじゃないのか? 」
日高の大声に中沢医師の手が止まる。中沢はフライアの全身を覆うシーツを剥ぎ取ると、看護師にスタンドの明かりを点灯するよう指示を出した。
日高も中沢医師の肩越しに、フライアの様子を見る。
下着姿のフライアの裸身は、今や生気を失い、全身に発疹が広がりつつある。
「……もし、そうだとしても、あのボロボロのスーツではどうしようもない。どうすればいい? まさか、この娘の身体の周りだけ空気をなくすなんて、できない相談だぞ。」
中沢医師の反論に日高も黙ってしまう。
「鹿島君。他のスタッフも至急呼び出してくれ。これは、私一人の手に負えん事態かもしれない。」
看護師が慌てて治療室を出ようとした時、ドアが開いて、白瀬と三塚が飛び込んできた。手には黒い無数の紙切れのようなものを詰め込んだビニール袋を持っている。
「俺を起こしてくれ。早く。」
日高が三塚を呼んで、肩につかまりながらベッドから立ち上がる。懸命な足取りでフライアの眠るベッドに近づく。
「フライア。起きろっ! お前は、俺に貸しをつくったままに逝くつもりかっ! 」
日高は、足の銃創の痛みをこらえながら、懸命に呼びかける。
「フライアっ! このままじゃ本当に死んでしまうぞっ。起きてくれっ!頼むっ! 」
日高のふりしぼるような声が、治療室内に響く。
「無理ですよ。ここは、我々に任せてください。」
中沢医師が、日高の肩に手をかける。
「そうですよね。意識を失っているから、聞こえませんよね。」
三塚が、無神経な感想をぼそっとつぶやく。
「眠り姫とか、白雪姫みたいに、ちゅーしたら目覚めるとか、なんて童話みたいなことでもあればいいんですが……。」
三塚が冗談ですよといいながら、日高に肩を貸しながら、ベッドへ戻ろうとしたとたん、日高は三塚の腕を振り払い、フライアのベッドにしがみつく。
「! 」
治療室にいた全員が唖然として見守る中、日高はフライアの顔を覆う酸素マスクをずらし、その唇に自らのそれを重ねた。
病室内の時間が止まる。
長い沈黙の時が流れる。
酸素マスクから漏れる空気の音だけが、室内に満ちる。
ピピピピピ…………
しばらくして、フライアの身体につけられた心電図モニターが警告音を発しはじめた。
日高が顔を上げ、中沢医師が慌ててモニターを確認する。そして、パッドがはずれていないか確認していたその時、異変は起こった……。
8ー(3)覚醒した妖精
「あ……うわっ。」
三塚は、自分が持っているビニール袋の中の黒いウェットスーツの切れ端が生き物のように蠢くのを感じ、驚いて手を離してしまう。
床に落ちたビニールの口が開いた途端、黒いウェットスーツの切れ端は、生き物のように流れ出し、次の瞬間消えてしまった。
三塚が驚いてビニール袋を確認しようと、かがんで拾い上げようとしたその時、今度は白瀬が声をあげる。
「ベッドの上、フライアの身体の上よ! 」
見ると、フライアの身体に取り付いたウェットスーツの切れ端が、次々と液体のように伸び、フライアの全身を覆っていく。
「な、なんだ? これは……」
日高たちは、驚いて見つめるばかりである。
「ん? 」
日高は、視線を感じてフライアの顔を見る。しかし、フライアの目は閉じたままである。意識が戻った様子はない。
「あ……」
日高は、金髪の間から覗く白いイアーマフ状の膨らみの下に緑色の瞳が開いているのに気づいた。今まで、ピアスのような宝石かと思っていたが、どうも目のようなものらしい。先ほどまで見えなかったことからすると、閉じていたということか?
日高を見つめるその視線は優しく、熱っぽく、日高はつい視線を逸らしてしまう。
日高の動きに、中沢医師が怪訝そうな顔で日高を見つめる。
「先生。心電図モニターが、正常に戻りました。」
看護師が中沢医師に伝える。
看護師の指摘するとおり、警告音もいつの間にか止まっている。
「ああ。」
その間に、フライアの全身は、元通り黒いウェットスーツで完全に覆われてしまった。
「……なんと、不思議だ。」
中沢医師は、思わずフライアの体を覆うウェットスーツを指で軽く突ついてみる。液体のように指に付着するかと思われたが、それは起こらなかった。指先で軽くこすっても同じである。薄いわりに意外と丈夫らしい。
「ただのゴムだと思っていたが、どうも違うようだ。日高一尉の言うとおり、元通り戻ったことからすると、体を保護する役割を持っているのかもしれない……。」
「生き物でしょうか? さっきまで、本当に布の切れ端みたいなものだったんですよ。それがひとりでに融けて、またくっつくなんて……また元通りになるなんて、普通じゃないですよ。」
三塚が素朴な疑問を口にする。
「ナノレベルで細工された特殊な衣服みたいなものかもしれないが、残念ながら私の専門外だ。詳しいことは、国防技術研究所あたりの専門家の分析にまかせるしかないだろう。ただし、サンプルの採集ができるかどうか……。
元通りに戻ったことからすると、日高一尉の言ったとおり、何か身体を保護する機能を持っているのかもしれない。」
中沢医師の解説に、室内の皆が納得する。
「でも、日高一尉がキスした時は、びっくりしました。……勇気があるんですね? 」
白瀬が、少し顔を赤らめながら指摘する。
「勇気? 役得じゃないの? ぼくも……キスしていいですか? 」
三塚が冗談とも本気とも思えない発言をする。
「ばかね。もしフライアが怒ったら、ただじゃすまないわよ。次元超越獣みたいに、簡単に消されちゃうんじゃない? 」
「まさかぁ。正義の味方が、人殺しなんかしないよ。」
「あら。無理やりキスされたら、いくらフライアだって怒るはずよ。そしたら、どうなるか…………。殺されなくても、半殺しくらいにはなるんじゃない? 目覚めなかったから良かったけど、もし、ばれたら絶対に怒ると思うわ。」
「あ……。やっぱり、キスは日高一尉に任せます。」
三塚が発言を撤回する。
「脅かさないでくれ。フライアの身にもしもの事があったらと思って、とっさにキスしてしまったんだ。ばれたら謝るって! 」
日高がしどろもどろに弁解する。
「どーだか? 日高一尉は、御倉崎さんとお付き合いしているんでしょう。御倉崎さんには、何と説明するんです? 」
「いや、これは仕事だから……」
「仕事? 女の子とキスするのが仕事なんですか? 」
白瀬の追及は、もはや遠慮がない。
オホン!
中沢医師が、一つ咳払いをして、話に割って入る。
「すまんが、ここらへんで皆、部屋を出てもらえんか。妖精の状態も安定してきたことだし、ここで騒がしいのも患者の状態に影響するかもしれんし……。
日高一尉も、さきほど意識が回復したばかりだ。少し休みたまえ。」
「ありがとうございます。」
日高が答え、三塚がまあまあと白瀬をなだめながら、その背中を押して部屋を出て行く。
部屋を出る寸前、白瀬が振り返る。
「日高一尉。フライアにおいたしたりしたらダメですよ。」
その言葉に反応して、部屋を出ようとした全員の目が日高を見る。
「あのなぁ……。」
その日の明け方、日高は微かな人の気配を感じて、再び目覚めた。
一緒にフライアの警護と監視にあたっていた白瀬と三塚は、治療室の外で待機していて、部屋にはいないはずだ。
看護師が巡回にきたのかと思ったが、どうも様子がちがう。昨晩は遅くまでフライアの様子を見守り続けていたこともあって、異様に眠い。
薄暗い部屋の中で、日高のベッドのシーツがめくられ、誰かがもぐりこんできたと知って、驚いて目をこじあける。
「え? 」
目の前にいたのは、フライアだった。
目を閉じたままにも関わらず、日高の唇に自らのそれを重ねあわせてくる。驚いて開いた口の中にフライアの舌が入ってくる。舌と舌が絡み合い、フライアの体が密着してくる。フライアの体は黒いウェットスーツに包まれたままだが、ベッドの中には異性の香が満ちてくる。
「やばっ……」
日高は股間が反応してくるのを感じ、どう対応していいか戸惑う。
「あ、あの……フライア……さん? 」
フライアの口付けを引き離して、日高は懸命に話しかける。肩を掴んで押しとどめるものの、フライアはすぐにそれを内側からふりほどいて、日高に口付けしてくる。
「あ……あはは……。ちょっ、ちょっと待って……。」
フライアの目を覚まさせようと日高自ら口付けしたのは、つい数時間前のことだ。しかし、まさか、今度は逆にフライアの方から口付けされようとは……・。
フライアの口付けは情熱的で、日高の股間の反応も次第に高まってくる。
やばい。こいつは本当にやばいぞ。
日高は、フライアが振りほどけないように手を内側から二人の間にこじ入れて、押し返す。引き離された二人の唇を唾液の糸がツーッと結ぶ。日高の手は、フライアの豊かな胸を正面から包み込んでいて、フライアの白い頬に少しだけ赤みがさす。
「あ、いや、これば……。」
その予想外の反応に、日高が気づいてあわてて手を引く。すると再びフライアに口をふさがれる。
甘い誘惑……という言葉が脳裏をよぎる。
いや、これでは発情だ。
フライアの瞳が閉じたままだから、夢遊病か? とにかく、正気ではないはずだ。何とかして目をさまさせなければ……。
甘い吐息と濃厚な口付けの猛攻に、日高の理性は、今にも吹っ飛びそうだ。
どうにでもなれ……という強い誘惑が、日高を刺激する。
それはダメだ。
許されないことだという弱い規範意識が、必死の抵抗を試みる。
相手は、人類を救うため派遣されたと言われている妖精である。
超絶的な戦闘能力の持ち主でもある。本気で抵抗しても、実力ではとても太刀打ちできる相手ではない。
しかもすごい美人である。一部、人間と違う部分はあるものの、すごく魅力的な肢体の持ち主である。逆にそのようなところが、背徳感というか、非日常のものとして、日高の興奮を嫌が上にも高めてしまう。
しばらくすると、日高は意識が薄れてくるのを感じた。
「あれ? ? ?? ? ? ? 」
まさか、薬?
いつの間に? という思いよりも先に、たいへんだ。フライアに……犯される?という焦りが頭をよぎる。
睡眠薬か? いや、媚薬か? 股間の状態は、もはや隠しきれないほどになっているのがわかる。フライアにもばれているはずだ。
密着している体の間で、黒いウェットスーツが蠢いていて、フライアの素肌が密着してきているがわかる。
その時になって、日高は気がついた。フライアの耳の下あたりに見つけたイアリングの宝石のような瞳が、じっと見つめていることに……。
寝惚けているのではない。何かもうひとつの動物的な意思がフライアを動かしているのだ。
「ふ、フライア! 目を……目を覚ませっ! 」
日高が大声をあげる。
耳元で大きな声をあげたことが効いたのだろう。
フライアの身体がビクッと反応し、瞳が少しずつ開いていく。
「フライア……起きたか……。」
日高のかけた声に、フライアの瞳が大きく開かれる。
上体を起こして、日高の上に騎乗位で跨っていることに気づき、驚きとともに顔を真っ赤にする。
口をパクパクさせて何か言いたそうなのだが、やはり声は出てこない。
フライアの黒いスーツの前面は、むき出しになっていて、ブラに包まれた豊かな胸が丸見えで、それを日高の手が下から支えている。
「や……やばい……そ、そこをどいて……。」
日高は、股間の上にフライアが腰を降ろしているため、危険を察して女の子のように、しどろもどろに声をかける。
病院衣をつけているため、日高は下着をつけていない。むき出しの状態で下半身が接触しているため、フライアが下着を着けていなければ、繋がりかねない危険な状況だ。
「日高一尉……どうしたんですか? 」
病室のドアが開いて、三塚と白瀬が眠そうな目をこすりながら入ってきた。
「あ……」
二人の動きが止まり、目が点になる。
同じように、フライアも顔を真っ赤にして硬直する。
四人の視線が空中で絡み合い、沈黙の気まずい時間が流れていく。
「し、失礼しましたっ! 」
三塚がうろたえながら答え、呆然として見詰め続けている白瀬を回れ右させると、ドアの外へ出て行く。
「ま、待て……誤解だ……。」
日高があわてる。
そのとたん、ブオンという音がして、フライアの身体の感触、重みが消失する。
「え……あれ? 」
フライアの姿は、消えていた。
ついさっきまであった出来事がウソのように、室内に静寂がただよう。
ふーっ。
日高は、思わず息をもらし、部屋の中を見回す。
フライアがいたという痕跡は何も残っていない。ただひとつ、日高の股間に濡れたような跡を残して……。
もうすぐ、三塚たちが医者たちを連れて押し寄せてくるだろう。何と答えればいいものか……日高は頭を抱えてしまった。
8ー(4)アダム激震
「簡潔に言おう。保護した妖精を我々に引き渡してもらいたい。」
レイモンド少将がスコット大佐ら数名の幹部を引き連れて、国防軍総合病院を訪れたのは、事件翌日の早朝のことだった。
「お言葉ですが、外部の人間は許可なく通すなとの命令を受けております。要求には応じられません。お引取りください。」
それを病院入り口で迎えたのは、斉藤一尉である。
「失礼な。この方は我が軍の将軍だぞ。たかが大尉ふぜいが、そのような対応をしていいと思っているのか!」
お付の幹部が、斉藤の対応をたしなめる。
「なんと言われようと、命令に従うまでです。ちゃんと上層部に筋をお通しくださるようお願いします。この場は、お引取りください。」
「日米同盟にひびが入ってもいいというのかね? 総理大臣には許可をもらっているのだが? 」
「なら、筋を通して、正式な手続きをとって要求していただきたい。こんな早朝に押しかけられても対応できません。」
レイモンド少将が、苛立って斉藤に詰め寄る。
「いいか? 我々には時間がないのだ。これは人類の存亡がかかった非常に重要なものなのだぞ。君のような尉官が口を挟むようなものではないのだ。そこを通したまえ。」
斉藤も負けてはいない。
「どきません。お引取りください。」
「実力行使するぞ! いいのか! 」
レイモンド少将は激怒する。
「やりますか? 」
斉藤が右手をパチンと鳴らすと、通路脇のドアが開いて、完全武装の国防軍兵士が病院のロビーを埋め尽くす。
ガシャン、ガシャンと安全装置が解除される音が鳴り響く。
レイモンド少将に同行してきた幹部や護衛が、それを見て唖然とする。国防軍の今まで見たことのない好戦的な態度に驚くばかりである。
護衛が慌てて胸から拳銃を出そうとするのをレイモンド少将が押さえる。
「ほう、……撃てるのか? 」
斉藤はニヤリと笑う。
「先に撃ったのは、あなた方だ。実力行使するなら、遠慮なく撃ち返しますよ。」
「なに? 」
「わが軍の日高一尉は、昨日、アダムのケインズ調査官に銃で撃たれました。殺されかけたのですよ。それに続いての対応だ。ためらう理由はありません。」
レイモンド少将が驚いて、スコット大佐に英語で話しかける。
スコット大佐は、目を丸くして驚いた声をあげ、斉藤に英語で話しかけてくるが、斉藤は応えない。
早口すぎて、わからないのである。
「…………?」
「……ケインズ調査官は行方不明だ。そちらの日高と会ってから。一体何があったのか教えてほしい……そう言っている。」
レイモンド少将が通訳する。
「これは……、つい先ほど目覚めたばかりの日高から聞き取りをした医師からの話だ。それによると日高一尉は、妖精を独り占めしようとしていると決め付けられて、ケインズ調査官に銃で撃たれたと言っている。その後、ケインズ調査官は次元超越獣に変ってしまったそうだ。」
「何? ケインズ調査官が……次元超越獣になったって? どういうことだ? 」
レイモンド少将は、次々と知らされる新事実に驚くばかりである。
「それは、むしろこちらが知りたいくらいだ。ホテルに出現した次元超越獣が、ケインズ調査官が持ちこんだ……いや寄生されていたものなら、汚染地区の同じ次元超越獣「デスタ」もあなた方の誰かが、寄生されて持ちこまれた可能性が高い。
たいへん失礼な表現になるが、皆さんの中にも「デスタ」に寄生されている者がいるのではないか? 」
レイモンド少将は青ざめ、幹部の一人が斉藤の言葉を通訳して伝えると、同行してきた皆の顔に動揺が走る。
「オーケイ! 今のところは引き上げよう。尉官。君の名前は? 」
「斉藤です。国防軍中央即応集団・対次元変動対応部隊・第1機動歩兵戦隊所属、斉藤明英一等陸尉です。」
「わかった。サイトウ一尉。ただし、先ほども言ったように、妖精は、アメリカだけではない。世界の、いや人類の希望となる存在なのだ。もしも、妖精に何かあった場合は、日本の立場はなくなることを忠告しておく。」
「ご忠告、感謝いたします。上官に報告しておきます。」
レイモンド少将は、きびすを返して病院を後にする。
ついてきた幹部も全員、その後を追う。
少将に、スコット大佐が何事か話しかける。
少将がうなずくと、通訳をしていた幹部の一人を連れて、もどってくる。
「命令の確認が済み次第、妖精は引き渡してもらう。病院の外に移送用の部隊を待機させるから、そのつもりで。勝手に別の場所に移動させることは控えてもらう。いいね。」
少将が引き下がったとはいえ、妖精の引渡し要求はあきらめないという高圧的な態度の表明に、斉藤はカチンと来たが了解せざるを得ない。
病院のロビーからアダムの幹部たちが消えると、斉藤はようやくほっと一息ついた。臨戦態勢をとっていた警備の兵士たちの間にも、安堵した空気が流れる。
斉藤一尉は、携帯電話をかける。
「冗談じゃねぇぞ。……司令も副司令も連絡が取れないと思ったら、わざと切ってやがる。」
ケインズ調査官が、次元超越獣「デスタ」に寄生されていたという斉藤一尉からの情報は、アダム極東方面司令部から、北米方面司令部へ伝えられた。
北米方面司令部は、ケインズ調査官の経歴を急遽洗い出し、4月に起こった「アリューシャン事件」の映像資料を調査し、現場に「デスタ」が繁茂していた事実を確認した。
当時の報告書では、ステラ海牛を次元超越獣と誤認し、枯れ木のようになってしまった「デスタ」を見逃してしまっていたのである。また、「デスタ」を抹殺した核爆発については、当時上層部の指示により発動されたオプションAによるものとされていたが、その発動命令の事実はないことが確認され、核爆発の原因究明とオプションの指揮命令系統の混乱が大問題となった。
そして、ケインズ調査官以外に、もうひとりの兵士が「デスタ」の棘状の種子で負傷した事実に行き着くに及び、騒動はアメリカ合衆国全土に及ぶ大騒動となったのである。
ジャック・ニュートン、アメリカ合衆国海兵隊軍曹は、「アリューシャン事件」後、長期休暇を申請しており、その行方の確認は困難を極めた。
最終的に、同軍曹がカナダのバンクーバーからシアトル空港を経由して日本の成田へ飛び、そこから東京へ出かけたことまで確認できたものの、その後の行方は確認できず、東京の汚染地区に出現した「デスタ」は、同軍曹が寄生されて乗っ取られたものに由来すると推測するに至ったが、同軍曹に接触した軍関係者や一般人も含めて、大規模な隔離収容と検査が実施されたため、アダム内の混乱は、長期化してしまったのである。
レイモンド少将は、苦虫を噛み潰したような表情で、帝国国防軍 中央即応集団・対次元変動対応部隊司令官の霧山と対峙していた。
ここは、国防軍総合病院4階の会議室である。
「妖精は消えてしまったと? そう貴方は言うのだな。」
レイモンド少将の言葉が静かに、室内に響く。
同席しているスコット大佐は、通訳から内容を聞いて、首を横に振り、吐き捨てるよう英語でまくし立てる。
「だから、我々に任せて欲しいと言った。貴方らは……、妖精とコンタクトすることの意味を、重要性を理解していないのではないか? 」
通訳が懸命にスコット大佐の発言を翻訳する。
「その発言は、心外です。我々は意識を失った妖精を保護しただけです。妖精は、次元の壁を飛び越える能力を持っていますので、意識を回復して、また飛び去っただけですよ。」
霧山司令に同行してきた金城副司令が反論する。
「そもそも、今回の事件の原因は、アダム関係者が我が国に、「デスタ」を持ち込んだことにある。それを差し置いて、その危機の回避に尽くした妖精の保護、処遇について、一方的に非難されるのは我々として納得できない。斉藤一尉が、事実確認と引渡しで問題がないか確認し、正式な手続きの後、対応するとしたことは、むしろ適切と考えている。」
「結果論でいえば、残念でしたとしか言いようがない。」
霧山司令が、レイモンド少将に話しかける。
「私は今回初めて、近くから妖精の素顔を見ることができましたが、不思議な雰囲気を持つ、本当に美しい方でした。少将がお会いしたいと強く思うお気持ちもよくわかります。」
レイモンド少将は、苦笑する。
「そうだな。引渡しではなく、お見舞いしたいといえば会わせてくれただろうね。」
「当然です。我々は友人ですから。」
レイモンド少将は、スコット大佐に何事か話しかける。
「ところで、その件はもう過ぎたこととして、妖精のことでわかったことがあれば、教えてほしい。写真とか、記録映像は撮っていないか? 」
「それですが、なにぶんにも医療機関ということもあって、我々も治療に対応するのが精一杯で、特に写真や映像資料は残されていません。ですが、今、治療にあたった医師や関係者からの聞き取りを元にレポートを作成していますので、あとでお渡しできるかと思います。」
「わかった。妖精を直接目にした感想はどうだ? 」
「うん。まあ、思った以上に小柄な女性だという印象かな。それと……」
「? 」
「胸の……心臓のあたりに大きな傷跡があるのが、意外でした……。」
「傷跡? 」
「ええ。刃物で深くえぐられたような……とても痛々しい……。妖精という存在にしては、あまりにも生々しい傷跡で、とても印象に残っています。」
「なるほど……。次元超越獣との戦いで負傷したのかもしれないな。」
レイモンド少将が考え込むのを見て、霧山が続ける。
「いや、そうではないでしょう。私は、あの傷跡は新しいものではないと思います。古い……そう、古い傷跡です。致命傷を狙った悪意ある知的存在が、つけたものですよ。次元超越獣というような生存本能のままに襲い掛かってくる生き物がつけたような傷跡じゃありません。」
「何が……言いたいのかね。」
「妖精……フライアは、次元超越獣と戦ってくれていますが、我々を信じていないのかもしれないということです。思い過ごしかも知れませんが、その原因が、その傷跡に関わっているのではないかと。」
「なるほど。その傷をつけた相手は、我々、人間だと言いたいのだね。」
「可能性は高いと思います。ですから……」
「ふむ。妖精とのコンタクトを性急に求めるべきではないということかね。傷ついた妖精の心に配慮して、今は、信頼関係を積み重ねていくことが大切だと? 」
「ええ。」
「わかった。霧山。君とは、近いうちに二人きりで、ハラキリで話し合う必要がありそうだな。」
「ハラキリ? ああ、腹を割って……ですね。私も、閣下が達者な日本語を話してくれる日本通なので、理解しあうことがとても大切ではないかと考えています。ぜひ、お声かけください。」
「ふっ。俺は、赤ちょうちんでもいけるぞ。」
通訳の言葉を聞いて、スコット大佐が慌てて英語で話しかける。
「ノープロブレム。」
レイモンド少将は、席を立ち霧山と握手を交わす。
「近いうちに、連絡するよ。その時は、うまいサケと肴の店を用意してくれ。」
「イエッサー。」
霧山司令が返礼してレイモンド少将を見送る。
スコット大佐と通訳が、その後を慌てて追いかけていく。
その様子を見送る霧山に、金城副司令が尋ねる。
「だいじょうぶですか? そんな約束をして……。」
「ああ。かまをかけてみたが、動じなかったよ。レイモンドは……。アダムは……いや、少なくともアダム極東方面司令部と妖精は、まったく接点を持ったことがないようだ。」
「そうでしょうか……。」
「私は、レイを信用したいと思う。今後のことも考えれば、アダム極東方面司令部との連携は、強化しなければならないのだ。信頼関係は、必要だ。」
霧山司令は、窓から病院の門を抜けて出て行くアダム極東方面司令部の車列を見つめる。
「予想以上に、早く信頼関係が築けそうだ……」
8ー(5)人格交代
いつになく帰還が遅れていたフライアが帰ってきたのは、東京の汚染地区へ飛び立った翌日の朝のことだった。
出迎えた榛名は、フライアの様子がいつになく、おかしい事に気付いた。
見たところ変ったところは見えないものの、フライアの顔は真っ赤で、瞳も潤んでいた。アンテナのような触覚は、いつものピンとした力強さはなく、萎れた植物のように力なく垂れ下がっている。
榛名の「おかえり。」の声に応えることもなく、変身を解くこともなく、そのままログ・コテージに駆け込んでしまう。
「何かあったな。」
佐々木会長からの情報で、一時フライアが国防軍総合病院に保護されていたことを知り、榛名は由梨亜のいるログ・コテージに向かった。
「由梨亜様。」
ログ・コテージのドアをノックする。
返事はない。
「榛名です。入りますよ。」
ドアを開けて中に入ると、暗い部屋の中で、なんと、フライアが椅子に腰掛けたまま、うつむいている。
「え? フライア? なんで? 」
榛名は、いつものようにフライアが変身を解き、由梨亜に戻っているものと思っていた。榛名の声に、フライアが伏せていた瞳をあげ、こちらを見る。
その顔はまだ赤い。
「ど、どうしたんです? なんで変身を解かないんです? もうすぐ学校の時間ですよ。」
榛名自身、フライアの姿を見るのは、ごく限られた時間しかなく、このように面と向かって話したことはほとんどない。もっとも、フライアは話すことができないので、意思の疎通は困難である。
しばらく口をパクパクさせていたフライアは、やがてテーブルの上にあった大学ノートをめくると、そこに字を書き始めた。世界を救うメシアとも言うべき存在、妖精という神々しい存在が、テーブルに座ってノートに字を書いている姿というのも、にわかには信じがたい光景である。
榛名がポカンと見ていると、フライアは、書いたメッセージを掲げた。
「え? なに? 私は、由梨亜よ! って……ええっ? 」
フライアはうなずいて、また大学ノートに何かを書き始める。
「フライアの意識が戻らない……って? じゃあ、フライアの姿で由梨亜様の意識が目覚めているってこと? なんで、そんなことに……? 」
榛名の疑問に、フライアは首を横にふる。
「わからないって……。それじゃあ、一体、どうするんです! 」
榛名は思わず、問い詰めてしまう。フライアは肩をすぼめ、しゅんとうつむいてしまう。
「あ……。申し訳ありません。責めているわけじゃないんです。由梨亜様は、もうすぐ学校に行かなければないらない時間だし……。だから早く、何とかしなければと思って……。」
榛名もどうすればいいのかわからない。
「と、とりあえず、疲れたでしょう? 朝食を用意しますから、食べて……?そのままで、食べられますよね? 」
榛名は自分で言い出したものの、フライアが食事をしているシーンを見たことがない。だいじょうぶなのか? 食べられるのか? 人間と同じ食事ができるのか?
フライアがうなずいたので、榛名はほっとしたものの、変身したヒーローがご飯を食べているシーンを想像して、なんだかおかしくなる。
「あはははっ。まあ、気にしない。なんとかなるでしょ。とりあえず、学校には急な発熱でお休みということで届出しておきますから。」
何が原因でそうなったのかわからないが、こうなれば、開き直るしかない。
榛名が朝食の用意に出たあと、フライアの身体で由梨亜はため息をつく。
フライアの意識や記憶は、概ね共有しているものの、今回は、はっと気がついた時には、日高一尉と口付けを交わしていた。それもかなり濃厚なものだ。
おまけに、その時の状況は、負傷してベッドに寝ている日高の上にまたがっているという、由梨亜としては胸ドキドキのラブシーンの真っ最中だったのだ。さらに、その様子を病院にいたみんなに見られたのだから、由梨亜がパニックになったのも当然である。
次元ポケットにジャンプして逃げ、初めて自分の姿がフライアであることを知り、ますます驚く。そして、胸に残る日高の手の感触、濡れたショーツが、日高との情事の激しさを想像させて、空間転移して涼月市の佐々木邸に帰ったものの、恥ずかしさのあまり、たまらずログ・コテージに逃げ込んでしまったのである。
なんでこんな事になったのか、さっぱり記憶がない。
記憶がないということは、私もフライアも意識を失っていたということだ。
妖精兵フライアとして再び生を受けた時、妖精たちは、私には複数の人格が備わっていると告げた。
失われ、傷ついた由梨亜の身体を寄生生命体と合成して補完するだけでは、次元超越獣と戦い、次元世界の守り手として一人立ちすることはできない。
次元超越獣と戦える強い意思を持った人格が必要なのである。
元々は寄生体の意識ともいえるものだが、妖精たちの訓練によって理性と知性を持った妖精兵として生み出された人格、それがフライアだった。
フライアの思考や行動は、私と概ね共有されているけれど、今回は、完全にブラックアウト状態となっている。目覚める寸前までの記憶がない。
日高さんに聞けば……何かわかるかもしれない。
ふと、思ったものの、とたんに日高との濃厚なラブシーンが脳裏に蘇る。
フライアは、日高さんと口付けしていたんだ。この唇で……。
由梨亜は、フライアの唇をそっとなでる。
フライアは、日高さんのことを好きなのかな……。
振り返ってみると、日高さんとの接点は、由梨亜よりもフライアの方が多い。二人とも次元超越獣と戦う戦友同志といったところで、フライアの一部を構成する寄生体の分身が宿った機動歩兵に、日高が搭乗した頃から精神的な繋がりがあるようなのである。
その微妙な感覚や相性の良さは、私にはよくわからない。
次元超越獣との戦闘を通じて理解したつもりだったが、それが発展して求愛までいくとは、思ってもいなかった。
日高さんの腰の上にまたがって、ショーツ一枚隔てて感じた感触を思い出し、由梨亜は、真っ赤になって思わずテーブルを叩く。
ミシッ!
木製のテーブルに亀裂が入り、由梨亜はあわててテーブルを支える。テーブルはフライアの一撃をなんとか持ちこたえたようだ。
今は、フライアの身体なんだ。
手に痛みは感じられない。
細身の身体とはいっても、フライアのパワーは、桁外れのものがある。改めて実感する。そうこうしているうちに、身体の奥が熱くなって濡れてくる。由梨亜はますます戸惑ってしまう。
日高さんに会いたいという思いは、強く感じるが、会うのが恐い。
そして、意識のないフライアの暴走は、なんとしても避けなければならない。
由梨亜は、日高に会うことを想定したシュミレーションを頭の中で繰り返した……。
個室に移された日高は、周囲の騒ぎをよそに、その後ずっと眠り続けた。
アダム極東方面司令部付の情報担当・スコット大佐とパワーズ少尉が、面会に訪れたものの、結局収穫を得ることなく帰っていった。
三塚や斉藤ら機動歩兵パイロットは、アラート任務の関係上、東京にとどまることが困難なため、輸送機に乗せた機動歩兵とともに涼月市へ帰還した。
結局、日高の監視のために残されたのは、白瀬二曹だけとなった。
白瀬は、フライアと日高のラブシーンを目撃した手前、あまり乗り気ではなかったが、金城副司令の命令によりしぶしぶと承知した。
「また、フライアがやってきて、日高一尉とエッチをはじめたらどうします? 」
白瀬は、困惑しながら、金城副司令に指示を仰いだが、副長もこの質問にはとまどった。
「あ~。できれば、怪我人なので、無理はさせないよう。お引取りくださいと……。」
「そんな。姑みたいなこと、私が言わないといけないんですか? それに……どこから部屋に入ってくるか、わからないんですよ。始める前なら、いいですけど、始めちゃったら無理です。それに……黙ってそれを見ていろって言うんですか? セクハラじゃないですか? 」
「生々しすぎる話だな……。少し表現を抑えてくれんか。」
「抑えてますっ! 」
白瀬は、真っ赤になって吠える。
「冷静になろう。第一、フライアが……妖精が、だな。また日高のところにやってくることはないと思うが? 」
「わかりませんよ。フライアは、もともとあぶない女神なんですから……。知らないんですか? フライアって北欧神話の愛と美の女神の名前ですけど、性的には欲しいと思ったら誰とでも寝る女神なんですよ。そんな名前を持つフライアなら、またやってくると思いませんか? 」
「え? そうなのか? しかし、そのフライアと妖精のフライアが同一人物というわけでもないし……。神話の方は神様の話だし、関係ないんじゃないか? それに同姓同名ということも。そんなに気にすることはないと思うが……。まあ、日高も男だ。一応、怪我から少しずつ回復してきているわけだし、何とか押しとどめて、説得してくれるだろう? 」
「どうだか……何があっても、知りませんからね。」
白瀬はプンプン怒りながらも、日高の病室の隣の部屋を確保して、警護を続けることになった。
「自分の身体のことなのに……わからないの? 元に戻る方法もわからないわけ? 」
榛名の問いかけに、フライア姿の由梨亜は、首をふり、大学ノートに懸命に字を書き連ねる。
朝食後、コーヒーを飲みながらテーブルに座って向かい合う二人の間で、筆談が続く。
「可能性? ……何それ? 」
榛名の問いかけに、フライアが再び字を書き始める。
「フライアの元になった意識……? は、起きている? 」
フライアがうなずいて、両耳の緑色のイアリングのような宝石部分を指差す。
「? 」
次に大学ノートに書かれた「寄生体」という文字をさし、続いて自分の目を指差す。
「え? 寄生体の目? それ……イアリングじゃないの? 」
フライア姿の由梨亜が、筆談で榛名にした説明は、こうである。
戦闘妖兵は、人間と寄生体という生物を合成して創造される。死にかけていた自分が、今、生きていられるのもそのおかげである。
戦闘妖兵は、次元世界の秩序を守り次元超越獣と戦えるよう、強い戦闘意思をもった人格が必要なため、合成された時に元の寄生体の意識をベースに戦士としての人格が作られた。それが私のもう一人の人格・フライアである。
フライアへの変身、メタモルフォセスは、フライア自身がコントロールしている。わかりやすく言うと、フライアが目覚めると変身し、フライアが眠ると変身が解除される。
今の状態は、フライアが眠っているので、本来なら変身が解除されているはずなのだが……?
これまでは、フライアが眠ると寄生体も眠りについていた。しかし、今回、自分の知覚に、寄生体の目からの情報が伝わってくるので、寄生体の意識は目覚めた状態になっている。
「変身が解除されない理由は、……そのイアリングのような目の持ち主の寄生体の意識が覚醒しているためじゃないか……? そう言いたいわけね? 」
フライア姿の由梨亜が、大きくうなずく。
榛名は、ため息をつきながら続ける。
「じゃ、なんで寄生体さんは寝ないのよ。眠らない理由は、わかる? 」
フライア姿の由梨亜の鉛筆を持つ手が、一瞬止まるが、筆談を続ける。
「わかる……のね? 」
「興奮……? はは~ん。何か刺激を受けたんだ。」
それを聞いて、フライア姿の由梨亜の白い顔が、少し赤くなる。
「日高さん……好き? はぁ? 求愛? 」
フライア姿の由梨亜が恥ずかしそうに小さく書いた字を声に出して読んで、榛名はようやく事態が飲み込めてきた。
「えーっ! じゃ、寄生体さんは、日高に求愛したくて眠れないんだ?! 」
榛名の驚いた大声に、フライア姿の由梨亜は、手で顔を覆ってしまう。
沈黙の時が流れる。
「じゃあ、早いとこ、日高一尉のところに行って、寄生体さんの思いを満足させなきゃ。」
榛名の言葉に、フライア姿の由梨亜は、ぶんぶん首を横に振る。
「いやって……。ずっとこのままの姿でいるわけにいかないんだろ。」
フライア姿の由梨亜は、顔を赤らめながら、うらめしそうに榛名を見かえす。
「由梨亜も日高一尉のこと、好きなんだから……。いいんじゃない? やっちゃえば? 」
フライア姿の由梨亜は、再び、大学ノートに字を書きはじめる。
「え? 夜、眠ったら日高のところにジャンプしてた? じゃ、もうやってみたわけ? 」
フライアは、大きく首を横にふり、身振りを交えながら筆談を続ける。
「途中で目が醒めて、飛んで帰ってきた……んだ……。それから……寝るとジャンプ。気が付いて帰るの繰り返し……で? ずっと? ずっと起きてるぅ? 」
榛名は、ようやく、フライア姿の由梨亜が置かれている状況がわかってきた。
「つまり、由梨亜が寝てしまうと寄生体が勝手に日高一尉のところへ求愛しに行くので、由梨亜は夜もおちおち眠れないということね。」
フライア姿の由梨亜が、縦に大きく首をふる。
その様子は、普段のおしとやかな由梨亜からは想像もできないほど、親しみやすく、ユーモアにあふれている。
ふたりの人格が混ざり合っているのかもしれない。
榛名はそう思う。
それは、ある意味、由梨亜にとっては良いことのように思えたのだが、次に由梨亜が、筆談で伝えた事実は、榛名に大きな衝撃をもたらした。
8ー(6)妖兵のひみつ
「お風呂に入りたい? 下着を着替えたい? どういうこと? 」
由梨亜の意図不明の文字が続く。
しかし、フライア姿の由梨亜が書き続ける筆談を読むうちに、榛名はその問題の意味するものを理解した。
妖精兵士フライアは、寄生体と人間の身体を合成して創造された。
この次元世界出身の由梨亜の身体と、ある意味では次元超越生物ともいえる寄生生命体の身体を合成して生まれた合成生物、それがフライアなのである。従って、他の次元から侵攻してくる次元超越獣ほどではないにしても、異なる次元世界の存在となる部分、身体の一部は、次元同化の問題による障害を受けることになる。
フライアの寄生生命体は、由梨亜の身体の中に寄生状態でいる場合は、その身体によって守られるが、メタモルフォセス、変身すると、次元同化の影響を受けるようになってしまう。
その問題を解決するため、変身したフライアは、ナノレベルで加工された特殊なスーツで身体を覆って、次元同位の障害から身を守っている。妖精たちが「ミッドガルズ」と呼ぶ、フライアの全身を覆う黒いスーツは、その役割を果たしているのである。強制的に着脱することはできるものの、それを脱ぐことは、次元同化による障害を受けることになってしまうのである。
だから、フライアの姿でいる限り、由梨亜はお風呂にも入れないし、下着を変えることも困難なのだ。
「ぱーっと脱いで、急いでお風呂に入って、着替えてしまえばいいんじゃないの? だめ? 」
首をふるフライア姿の由梨亜を見つめ、榛名は浮かんできた疑問を口にする。
妖精の説明では、極寒の地で毛皮を脱いで裸になるようなものだと言われているので、できるだけ我慢しているのだ。
「あ……じゃトイレはどうしてるの? まさかガマンしてて、便秘とか……。」
顔を真っ赤にして手で覆いながらもフライア姿の由梨亜は片手をふり、ふと誤解しないようにと慌ててノートに書き出す。
「トイレはOK……、便秘は……なし……か。」
声に出して面と向かって読まれると、フライアの身体のこととは言っても、由梨亜にとっては妙に恥ずかしい。
「え……?! 」
次に書かれた文字を見て、榛名が素っ頓狂な声をあげる。
そこに書かれた文字は、「生理」だったからだ。
「な、なんてこった……。」
榛名は頭を抱えてしまった。
金剛たちボディガードスタッフや佐々木会長には、しばらく由梨亜のログ・コテージには来ないように釘をさしていて正解だったとつくづく思う。こんな話は、女同士だからできるのであって、男ではどうしようもない。
考えてみれば、当然のことばかりではある。
いくら妖精兵士とはいえ、生き物であることに変りはないのだから、呼吸もし、食事もすれば、トイレにも行く。そして女性としての性を持つ限り、生理が来るのも当たり前のことである。
「買い置きはあるの? ……ない……か。」
榛名は立ち上がり、確認する。
「あたしの使っているのでいい? タンポン……? ナプキン派なのね……。わかった。買ってくるわ。」
ほっとした様子で、ドアを開けて外に出る榛名を見送るフライア姿の由梨亜を見て、榛名はやさしい気持ちになる。
これが、世界を次元超越獣の脅威から守るために派遣されたメシアだというのだから、おかしなものだと思う。
「心配しないで。まさか、金剛たちに買いに行かせるわけにもいかないでしょ。」
榛名が買い物に出かけた後、フライア姿の由梨亜は、決断した。
もう2日もお風呂にも入っていない。
下着も替えていない。
いくら身体を次元同化の問題から守るためとはいえ、スーツを着けたままでいるのは、限界だ。
いつの間にか次元同化の障害を受けていたのだろう。昨日まで、身体中をチリチリとした痛みが走っていたが、今はそれもやわらいでいる。
フライアの身体でいる状態がいつまで続くかわからないが、少なくとも、長期戦に備えて、お風呂、いやシャワーを浴びるのなら、今しかない。
下腹部の重い痛みは、いつもの生理前の症状だが、いつ始まってもおかしくない気がする。
フライア姿の由梨亜は、ログ・コテージの奥にあるシャワー室へ入る。
シャワーを流しながら温度を調節する。
できるだけ短時間で済ます必要がある。
由梨亜は、左手首を右手で強く握った。妖精たちの呼称で「ミッドガルズ」と呼ばれるフライアのスーツは、これで由梨亜が携帯する形見の時計の形に強制変換されるはずだ。
予想通り、スーツはアメーバーのように動きはじめ、サーッと左手首に集約されて時計の姿に戻りはじめた。それと同時にティアラもブーツやグローブなども、次元ポケット内に配置されている次元転送兵器パックに転送されて消えていく。
頭の上から降り注ぐお湯の感触が心地いい。
急いで下着を脱いで、シャワーを浴びる。あまりの心地よさに、時間を忘れそうになる。ずっと、このままお湯を浴び続けていたい。
身体にこびりついていた汗や匂いをすべて洗い流してしまおうと、シャンプーやリンス、ボディソープを大急ぎで使う。
ほのかな香料の香が浴室内に広がって、由梨亜は、思わずご機嫌になってしまう。
立ち上る湯気を通して、浴室内に設置された鏡で自分の姿を確かめ、由梨亜は、身体を洗う手を止めてしまった。
湯気のベール越しに見える少女の太ももあたりに、赤いものが見える。そして、見下ろすと浴室の床に血が流れている。
はじまったのね……。
そう思った時、由梨亜は、頬にかかる髪の色が変っていくのに気付いた。
「え? 」
髪の毛は、輝くような金色から、次第に濃さを増していく。髪の毛の房を目の前に持っていって、その色を確かめると、栗色に変っていくのがわかる。
まさか……。
シャワーを止め、湯気で曇った鏡を手でふく。
水滴で濡れた鏡の向こうに現れたのは、湯気に包まれてはいるものの、いつもの由梨亜自身の姿だった。
「……もどってる!? 」
浴室内にうわずった声が響き、由梨亜はそれに気付いて、思わず喉に手を当てる。
「あ……、あーっ。」
声も完全に元通りだ。
由梨亜は、鏡に両手をついて、ほーっと大きく息をした。
改めて鏡で、全身を確かめる。
栗色の髪、水滴をあちこちにまとわりつかせた白い肌は、ほんのりと赤みを帯びているが、どこにも異常は見えない。
唯一の傷は、左胸のふくらみの下にある、古い傷跡だけだ。どうやら完全に変身が解除されたらしい。その痛々しい傷跡を見ていると、次第に胃のあたりがムカムカしてくる。動悸が高まり、息苦しさが増してくる。
由梨亜は、目を逸らしてその原因を考えるのをやめる。
口の中に少し苦いものがこみ上げてくる。
再びシャワーを全開にして、手でお湯をすくい、口に含んで苦いものをすすいで吐く。少し、気分が良くなる。
シャワーの暖かなお湯が、心の芯まで染み渡るようで、由梨亜は、変身後はじめて心からくつろいだ時間を味わった。
なぜ、変身が解けたのだろう?
左手首にある「ミッドガルズ」が変形した時計は、いつものように時を刻んでいる。知らない者が見れば、ただの時計にしか見えない。
変身が解けた理由は、寄生体が眠ったからなのはまちがいない。
長いことフライアのままでいたから、疲れたの?
それとも、お湯を浴びたから? どうも府に落ちない。
そこではっと気が付く。
まさか生理が始まったから?
寄生体が、日高との求愛にこだわっていたのはまちがいない事実だ。
生理がはじまったことで、その欲求が低下したという説明は、とてもわかりやすい。
なら、再びフライアに変身した時は、どうなるか?
そもそも変身できるものなのか?
もし、変身して戦うことができなくなったとしたら、私はここにいる理由がなくなる……。
変身を解くことができて喜んだのも束の間、温かなシャワーを浴びながら、由梨亜はこれから先のことを考えて、一抹の不安に苛まれることになった。
「由梨亜様……。本当に良かったですね。」
榛名がほっとした様子で、トイレから出てきた由梨亜に声をかける。
「ありがとう。でも、今さら「様」付けで呼ぶのはやめてくれない? フライアの姿の時よりも、よそよそしい感じ。榛名さんには、本当にいろいろと助けてもらって、私のこと知ってもらっているし……、由梨亜でいい。」
「わかりました。ゆりあ……由梨亜。今日のことは、どこまで伝えたほうがいいかな。会長や金剛チーフ達にも教える? 」
「やめて。何だかとても生々しすぎて、知られたら顔を会わせられなくなりそう……。」
「そうだよね。……まさか、生理と変身が影響しあうなんて、思いもしなかった。生理前の変身はめんどうなことになりそうだから、止めた方がいいかもしれないわね……。でも、怪物たちがそんなことを考えて、出てこないなんてありえないし、……それも無理……か。」
「変身はおそらくできると思うけど、フライアの意識が戻るかどうか、わからないの。」
「は? じゃあ、また由梨亜がフライアの姿になって、怪物と戦うわけ? 」
「…………。」
「ちょ、ちょっとぉ。……だいじょうぶなの? 」
「心配……。すごい武器があるから、何とかなると思うけど……。」
榛名は、頭を抱えてしまった。
由梨亜の「何とかなる」という根拠は、おそらく武器のスペック、知識に基づくものだろう。
しかし、それを実際に使いこなせるかどうかは、とても怪しい。
榛名は、ボディガードとして働いている関係上、海外などで非合法の銃器の扱いなどについても訓練を受けていて、初心者の陥る危険性を十分知り尽くしている。
セーフティーロックの解除を忘れるとか、暴発させるとか、武器の扱いに失敗して命を落とした例を数多く知っている。
危険な武器を扱う者には、それだけの経験と訓練、そして状況に応じた適切な判断力が求められるものなのだ。
「できるだけ……、変身するのは避けた方がいいわね。また、何か問題が起きそうだし……。」
榛名は、そう言ったものの、次に次元超越獣が現れるまでに何か手を打たなければならないと感じていた。
8ー(7)試験勉強
北斗青雲高校では、週初めから始まった学期末試験の最終日を迎えていた。
三日ぶりに登校した由梨亜を迎えた福山は、病弱なせいだと勝手に思い込んだらしい。
「だいじょうぶ。赤点取っても、追試を受ければなんとかなるよ。」と慰めてくれた。しかしながら、すでに昨日までに終わってしまった分の期末試験を挽回することは不可能で、由梨亜は、夏休み返上で追試験を受けることになってしまった。
校内でも話題の人物が、追試を受けるということが伝わると、色めきたつ輩が現れてきた。
「由梨亜~っ。一緒にがんばろうね。」
「えっ。ええ……。」
突然声をかけてきた長身の女生徒は、隣のクラスの如月友紀である。
武道家の家に生まれた如月は、剣道部と弓道部をかけもちしているだけでなく、合気道の道場に通っているスポーツ少女、いや女性武道家の卵なのである。
持って生まれた優れた運動神経を活かして、部活動の大会では優秀な成績を残しているのだが、理数系の教科が大の苦手ということで、毎度のように追試を受けていると噂されている。
「いや~。毎回追試を受けてると、心細くて心細くて。でも、今回は、由梨亜が一緒でうれしいよ。」
如月と由梨亜は初対面なのだが、如月は、前からの知り合いといった感覚で話しかけてくる。
「だいじょうぶですか? 追試まで、あまり時間がありませんが……」
「そこだよ。そこ。」
「? 」
「いや~。毎回、先生に大目に見てもらってきたんだけど、数学の岸本先生が、今度は厳しくやるって言うもんだから、困ってたんだよね。でも、幸運の女神は私を見捨てなかった。……・そうだよね? 」
由梨亜の両手を握り締め、如月が由梨亜をじっと見つめる。
「お、教えてほしい……ということ? 」
由梨亜の問いかけに、如月は「うるうる」と言いながらこっくりうなずく。
「見捨てないよね? 」
「はぁ……。まあ、私が教えられるものかどうか……・わかりませんけど。」「ありがとう。……共に試練を乗り越えたところから生まれる、女同士の厚い友情。いいよねぇ。」
如月は、すでに追試を乗り切ったかのようなことを言って、一人で未来へ飛んでいる。由梨亜は、つい、その乗りの良さにつられて、厳しい突っ込みを入れてしまう。
「乗り越えられなかったら、……友情はパア……ですか? 」
「つ……冷たい! うるうる。見捨てないで~。」
如月は、由梨亜の突っ込みにも動じることなく応じる。
あははっ。ははははっ。
二人向き合ったまま、笑いあう。
「わかった。一緒に勉強しよ。」
「ありがとう。じゃ、今日の放課後、図書室で待ってる。」
「ええ。」
如月は、ルンルン気分で教室を後にする。そばで、二人の様子を見ていた福山が由梨亜にたずねる。
「由梨亜。如月さんといつから知り合いになったの? 」
「え? いいえ。今日初めて話しました。」
「そう。如月さんって……・。あんまり女子と話さないんだよねぇ~。意外とあなたと相性がいいのかな? 」
「悪い人という感じは、なかったですよ。」
「と言うか、スポーツ、武道少女なもんだから、女子より男子とつるんでることが多いんだよね。本人は意識してないかもしれないけど、試合とかの時と普段で表情が変るのよ。落差が大きすぎるし、ぶりっ子しちゃうんで意外と男子に人気があるから、あんまり女子の友達いないみたい。」
「そうなの? 」
「でも、由梨亜なら気にならないかもね。日高さんっていう、大人の彼氏もいるから。」
日高という名前が出たとたん、由梨亜の顔がほんの少し赤くなる。
「な、そんな……。日高さんとは、……まだそんな仲じゃないです。」
「? 」
あれ???????こりゃ、何かあったな。
タッタッタッ
廊下を駆けて、一組の男女が教室に飛び込んできた。天然パーマの小柄な少女と、がっちりした体格の見るからにスポーツマンというタイプの少年である。
「御倉崎さんいるっ? 」
二人の声がハモる。
「はい? 」
福山と由梨亜が驚いて見ている前で、二人が押し合い圧し合いしながら、やってきた。
「如月さんと追試のための勉強会を開くって聞きましたが、本当ですか? 」
「? 」
「私も(俺も)入れて! 」
「ち、ちょっと待って。私は転校してきたばかりで、皆さんに教えられるほどの……? どうして私とお勉強したがるんです? 」
「だって……。クリ先生が御倉崎さんの編入学試験の成績がパーフェクトだったって言ってたし……。」
クリ先生というのは、由梨亜たち2年2組の担任、栗林千春のことだ。
「そうそう。前の学校は中途で退学扱いになっているけど、成績はとんでもなく優秀だったって褒めていたし……。あ、俺、4組の上杉卓磨。」
「あたしは、椎名恵。メグって呼んで! 」
しばしの沈黙の後、由梨亜は二人に微笑みながら言った。
「二人とも、追試決定なの? 」
コクコクとうなずく二人。
福山はあきれたように見ている。
北斗青雲高校は、私立の普通高校ではあるが、進学校としてレベルが高いわけではない。むしろ、自由な校風の中、趣味やスポーツ、芸術といった人生の目標を見出すことを重視するという少し変った学校なのである。
特別進学クラスといった進学率を高めるようなクラスもないため、行われる試験もそれほど高度ではない。
落ちこぼれをなくすため、追試の内容についても先生たちは苦労し、試験のレベルを落としてきているのだが、落とせばさらにレベルが下がるの悪循環にとうとうガマンができなくなった数学の岸本先生は、今回、高校生として最低限のレベルまで勉強してもらうと宣言したのである。
1年生の時から追試慣れしてきたレギュラー陣は、前回の中間試験で壊滅的打撃を受け、今回の期末でさらに打撃を受けたため、背水の陣で、追試を受ける羽目に陥っていたのである。
「で、どうすんの? 」
福山に訊ねられて、由梨亜も困ったような表情をかえす。
「どうしましょう。私ひとりで教えられるかどうか……。そうだ。恵子も手伝ってくれますか? 」
「え、私も教えるの? 」
「この前、将来は先生になりたいとか、言ってたじゃない。」
「はは、あれは、例えというか、何と言うか……。」
「ちがうの? 」
福山は、自分にもお鉢が回ってきて頭を抱えてしまう。
「わかった。付き合うわ。」
福山の返事に、上杉と椎名が飛び上がって喜ぶ。
かくして、由梨亜も含めた追試組4人と福山の、放課後追試勉強会がスタートすることとなった。
「ま、まさかこれほどとは? 」
福山は、思わずうなってしまった。
北斗青雲高校の校舎の別館にある図書館の中、由梨亜も含めた追試組4人と福山、そしておもしろそうだとついてきた南の計6人が机をひとつ占領して、追試対策に取り組んでいた。
「椎名さんは……漢字がダメなのね? 」
「メグって呼んで~。」
「はいはい。メグは……この漢字が読めなかったのね? 」
「読めるよぉ。そんなの。でも先生が認めてくれないの。」
「え? まさか、毎度こんな回答をマジで書いてるわけ? 」
「うん。」
由梨亜と福山は、椎名恵の15点と採点された答案用紙を見て、顔を見合す。
そのテストの問題は、「次の漢字を読みなさい。」となっていて、漢字のそばに、ふりがなを入れる括弧がついているというものなのだが、椎名はその括弧すべてに「読みました」と書き入れていて、先生から力強い真っ赤な「×」をもらっていた。
「あ、あのね。これは「読みなさい」だけど、「括弧の中に、ふりがなを書きなさい」って意味なの。」
「え~。そんなのおかしいよぉ。読めっていうから、いつも声に出して読んで、先生に怒られちゃうんだよね。だから、最近は小さな声でごにょごにょごにょって読んでるんだけど……。」
「はぁ? じゃあ、ここに書かれた漢字、全部読んでみて。」
由梨亜が促すと、椎名はハキハキと答える。全問正解である。
「合ってる! まさか、メグは、ず~っとこんな感じでテストを受けてきたわけ? 」
「そうだよ~。中学校の時の先生は、なぜか知らないけど怒って『ふざけるな!』って怒鳴ったりしてたから……。」
「す、すごい。それでよく高校まで来れたわね。」
福山があきれかえると、椎名は舌を出して「えへっ」と笑う。
「いやあ。それほどでも……。」
「そこで喜ばない! 褒めてるんじゃないの! 驚いてるのよ! 」
福山が半分切れかかるのを、由梨亜が止める。
「恵子。落ち着いて。メグ。さっきも言ったけど、この問題用紙に書かれた質問の意味は、「声に出して読め」じゃなくて、「ふりがなを書きなさい」って意味なの。テスト時間中に、問題の答えを声に出したら、みんなに聞こえてテストにならないでしょ? 」
「え~。そうなの? だったら、問題にそう書けばいいのに~。そんなのおかしいよぉ。」
「メグは、ひょっとしたら……発達障害とか言われたこと……ない? 」
「なにそれ? 」
「……わかった。先生には、私と恵子でちゃんと問題の意味がわかりやすいようにしてくださいって伝えておくから。恵子、あと、お願い。」
椎名のことは福山に任せて、由梨亜は如月の方へ行く。
「どう? 方程式、解けたかな? 」
如月は、由梨亜が書いた問題を前に固まっている。
「……だめだ。Xの謎が解けん……。」
「一次方程式だから、そんなに難しく考えないで。」
「しかし、Xには1からはじまって無数の数字が入る可能性があるのだろう。こんな短時間では到底間に合わない……。」
「まさか、いちいち数字を組み込んで考えているわけ? 」
「パズルと一緒だと岸本先生が言っていた。」
如月は、Xに数字を1から一個ずつはめ込んで検証していたらしい。
「じゃ、Xを□に置き換えて、こうすればわかる? 」
由梨亜は方程式を小学生が学ぶ算数の式に置き換えて見せる。とたんに、如月が即答する。
「□は、6だな。」
「ピンポン! 正解。じゃあ、今、頭の中でした計算を書いてみてくれる? 」
「おう。これは二倍になっているから、まず半分にするんだ。そうするとここを2で割ってだな……」
その一方で、机の端っこでは南と上杉が歴史の勉強の仕方で、盛り上がっている。
「みんなよく年号なんておぼえられるよ。俺には無理だ。」
「年号の暗記に力を入れる前に、何が起こってどうなったのかという歴史の流れをつかまないと……。教科書を声に出して読んでみようよ。」
「あれ? 読むだけ? そんなんで覚えられないと思うけど? ? 」
「丸暗記するんじゃなくて、毎日繰り返し読めば、少なくとも歴史の流れは物語みたいに頭に入るから。原始社会の語り部が、村の歴史を記憶するのと一緒だよ。」
「そーかなー? 」
由梨亜と如月の勉強も次第に熱が入ってくる。
「2乗と係数の2は、意味がちがうんだってば! 」
「なんで?両方とも同じ4だのに……? 」
「それはXが2の時だけです。」
椎名と福山のテスト対策は、現代国語なのだが、次元が違う話へと展開する。
「何これ? 『小さい白いニワトリ』? ニワトリは、最後に何と言ったでしょう? って……いつの追試よ? 」
「去年、担任だったクリ先生が……。小1の問題だから、だいじょうぶだろうって……。」
「で、何て回答したの?」
「『ニワトリはしゃべりません』って……。そしたら、思いっきり笑われた……。」
「……あのね。そんな当たり前のこと書いてどーすんの。これは童話でしょ。童話の世界のお話だから……。ニワトリも、豚も犬や猫もしゃべる世界のお話なの! 」
「そっかー。空想小説か、SFなんだね。あ、ちがう。ファンタジーだ。え……でも、ニワトリと豚と犬と猫が会話するって……何語をしゃべってるのかな? 豚語? 犬語? 猫語? 通訳がいないといけないんじゃ……・。ああ、ひょっとしたら、ニワトリさんがバイリンガルだったとか? 」
「知りませんっ! 」
こうして、由梨亜も含めた追試組4人と福山と南の計6人の勉強会は、その日から追試験前日まで、毎日、夜7時まで続いたのである。
8ー(8)妖精レポート
東京での事件から1週間後、日高は国防軍総合病院を退院し、涼月市へ帰ってきた。両太腿の銃創は完治していないが、涼月市の国防軍駐屯地内の病院へ通うことになっている。
事件翌日早朝以降、フライアは日高の前に姿を現していない。しかし、そのインパクトは、日高のメンタル面に大きな影響を及ぼしていた。
入院期間中にアダム極東方面司令部や国防軍の事情聴取を受けたため、寝ても醒めてもフライアのことを思い出してしまう形となり、日高はフライアへの贖罪感と由梨亜への裏切り感で、自己嫌悪に陥るばかりだった。
また、白瀬二曹は二人の関係に嫌悪感を露にして、日高から距離を置いているという有様で、軍内部で日高とフライアの関係が、あぶない関係として広まっていることも、日高を落ち込ませる一因となっていた。
その一方で、所属する機動歩兵戦隊では、大幅な人事異動が行われていた。まず、第1機動歩兵戦隊の斉藤一尉が三佐に昇進し、入間基地へ配置転換となったが、これは政府からの圧力によるものと噂されている。その後任に東八郎一尉が着任した他、しばらく動けない日高の代理として、西沢卓人一尉が第2機動歩兵戦隊7号機のパイロットとして着任している。
以前ペアを組んでいた村雨と同じように、自分も機動歩兵パイロットとしての任を解かれるのではないかという不安が日高の脳裏をよぎるが、人事異動ではどうしようもない。
おぼつかない足取りで、涼月市内の6階建てアパートにある自宅へ帰宅する。
ずいぶん、ひさしぶりという感じだ。ここしばらくは、戦力外ということで、緊急の呼び出しもないはずなので、ゆっくりすることができる。
日高はベッドに横になって、携帯を確認する。東京汚染地区事件で、日高の前の携帯はホテルとととも焼失したため、新調したものだ。
真新しい携帯には、所属する機動歩兵戦隊関連の連絡先等が登録されているが、由梨亜と関連する連絡先の情報は一切引き継がれていない。
そういえば、由梨亜の誕生日が近かったはずだが? 今月末だったか?
榛名の携帯番号がわかれば……教えてもらえるだろうか?
そこで、ふとフライアとの出来事を思い出し、由梨亜や榛名たちに、この情報が伝わっているかもしれないと、少々不安になる。
佐々木会長は、事件で俺が負傷したことを知っている。なら、病院に入院したことも含めて、榛名も含めた金剛たちボディガードもすべて知っていると考えた方がいいだろう。
「あ~~~~っ! 」
日高は思わず声を出す。
フライアにキスしてしまったこととか、抱き合っていたことなども知られてしまったのだろうか?
フライアの存在自体は極秘扱いのはずだが、関係者の間では周知の事実として伝わっている。まして、基地内での噂の広がり具合から見て、俺との関係がおもしろおかしく伝わっているのはまちがいない。
由梨亜がこのことを知ったらと思うと、居ても立ってもいられなくなる。
誤解だ。あれはフライアを助けるために……。そう、それでフライアの方から一方的に求めてきたわけで……。
会話のシュミレーションを頭の中で行った日高は、再びハーッと深いため息をつく。
だめだ。こんな説明じゃあ、到底納得してもらえそうにない。
そもそも、フライアの気持ちなど知ることができない中で、推測混じりの弁解が通用するわけがない。
いっそのことすべてフライアの方から迫られたということに……。しかし、そうなると、2度、3度と命を救ってくれた恩人に「淫ら」というレッテルを貼り、その名誉を傷つけてしまうことになりかねない。
忠義や恩を大事にする生真面目な日高には、とてもそんなことは、口が裂けても言えないことだった。
事実を話すしかない……か。
それにしても……。
日高は、確認のため渡された妖精レポートのコピーを鞄から取り出す。
それは、今回の妖精保護に関わった関係者からの聞き取り情報を中心にまとめられたフライアについてのレポートだ。
実際には、保護の際に撮影された全身写真や、病院で行ったCTスキャンなどの添付資料も追加される予定だ。
採血もしたとされているが、事実かどうかは明らかでない。
日高は、関係者として確認のため渡されたコピーに目を通した。
「……ったく、白瀬といい、三塚といい、好き勝手なことを話しやがって。誤解満載じゃねえか……。」
日高は、レポートを握り潰すと机の上に放り投げ、ベッドにうつぶせになる。
弁解は、日高が最も苦手とするものだ。
「真実はひとつ」「今にわかる」と思っていても、うまく行った例がない。
かといって、弁明しなければ非難が増すばかりで、しまいにはどうでもいいと突っぱねてしまい、よけいに敵を作ってしまったことも数多くある。
霧山司令の言を借りれば、日高は誤解されやすい損な人生を歩んでいるとのことだが、今回だけは、由梨亜にだけは誤解されたくなかった。
そのためにも、今度の由梨亜の誕生日にはなんとかしなければと思う日高だった……。
8ー(8)追試験
「これは……すごい。」
北斗青雲高校の国語教師・栗林千春は、椎名恵の国語の追試験の採点をして驚いた。
ほぼ満点に近い出来栄えだったからである。
一週間前、御倉崎と福山から試験問題の出し方について、相談を受けて少し問題の表現を変えた。
試験を受ける側からの注文ということで、最初は拒否したものの、御倉崎の説明に納得し、他の追試の担当教諭にも協力をお願いした手前、効果が現れるかどうか不安に思っていたのだ。
御倉崎の注文は、できるだけ直接的な表現で簡潔に……というものだったのだが、まさかこれほどまでに点数が上がるとは予想もしていなかった。
「どうしました? 」
数学教師の岸本が話しかけてくる。
「いやぁ、御倉崎と福山が、追試レギュラーの椎名の勉強を見てあげていると聞いたんで、期待したんですが、予想以上に点数があがったもので……・。そういえば、御倉崎と一緒に如月や上杉、椎名の4人が数学の追試を受けたんですよね? どうでした? 」
「期末試験を欠席した御倉崎さん以外の3人は、どうかと思いましたが……。すばらしいです。去年までの追試よりもレベルを上げたつもりだったんですが、全員が八十点以上です。御倉崎さんは、いい教師になれると思います。」
「本当ですね。まさかあのチャランポランな椎名が発達障害だなんて、想像もしてませんでした。いつ怒っても、注意しても平気な顔しているもんですからー。反抗しているとばかり……。振り返ると、そうだったのかと納得させられることばかりで、彼女にはかわいそうなことをしたな……と。」
「あははは。同感ですね。如月は、男子生徒と話している時間が多くて、同性からはよく見られていないんですよ。それでクラスでも孤立していて、今回みたいに友達同士で勉強しているのを見たことがなかったんです。御倉崎さんは、如月のいい友達になれます。どうです。いっそのこと、御倉崎さんを私の1組へ移してみません? 」
「なにをバカなことをー。御倉崎さんの転入が決定した時に、最初に受け入れを拒否したのは、岸本さんの1組でしょう。」
「いやー、あの時は、対立抗争しているやくざの娘さんが転入してきたとばかり思ってましたので……。はははっ。クラスの平和のためです。」
「問題児は、これ以上増やせないと言ってたでしょう! 」
「あれ? そうでしたっけ? 」
栗林と岸本が追試の結果で盛り上がっている職員室に、世界史の安藤が入ってきた。ヒゲ面をなでながら、二人に結果を告げる。
「採点終わったぜぇ。こっちの単位保留は、なしだ。」
「お疲れ。2学期から、試験問題の作り方を検討した方がいいかもしれませんね。」
にこやかに結果を告げる安藤にねぎらいの言葉をかけながら、岸本と栗林はこれからの対応について、検討をはじめた。
「えーっ。今月末が誕生日なのぉ? 」
椎名が素っ頓狂な声をあげて驚く。
「何をそんなに驚く? 由梨亜の誕生日が七月三十日で、何か驚くようなことでもあるのか? 」
福山が、不思議そうな顔で聞き返す。
夏休みの図書館内で、追試を終えた椎名や上杉と落ち合った福山は、二人を由梨亜の誕生パーティーに加えようと、誘ったのだった。
「だって、星占いとかから予測すると、由梨亜は魚座だよ~。そしたら、誕生日は、ニ月十九日から三月二十日の間のはずなのにぃ。なんで、獅子座の誕生日なの? 」
「知らねぇよ。そんな予測。でもこれは、由梨亜から直接聞いたんだからー。間違いないよ。」
「おっかしいなぁ? 」
首をかしげる椎名に、ふと福山が尋ねる。
「じゃあ、私の星座わかる? 」
「……射手座……でしょ。」
福山の動きが止まる。
「なんで? 」
「そんな性格だもん。」
「じゃあさ。南は? 」
「彼? たぶん天秤座。」
「上杉は? 」
「蟹座。」
「如月。」
「獅子座。」
「………………」
福山は黙ってしまった。上杉や如月は知らないが、自分や南の星座はずばり的中していたからだ。
そこへ席をはずしていた上杉が戻ってきた。
「あれ? 如月と御倉崎は? 」
「如月が部室や武道場を見せるって、由梨亜を連れてっちゃったのよ。」
上杉の問いに、福山が答える。
「あ、じゃあ、俺もー。」
「あ。ちょっと待って。」
そのまま飛び出して行こうとする上杉を、福山は反射的に呼び止める。
「ねぇ。由梨亜の誕生パーティーに行ってくれるよね。」
「ああ。追試ではみんなの世話になったからな。ちゃんと礼はするよ。」
「よろしい。ところで……あんたの誕生日は、いつ? 」
「俺? 十月十日だけど? 」
「……いい日ね? 」
福山は、椎名を振り返る。
「蟹座だね……。」
椎名が上杉を指差しながら、にっこり笑って答える。
「でも、由梨亜だけは外した……」
「う~。」
椎名は、福山の指摘に落ち込む。
そんな二人を前に、上杉は何のことか、よく飲み込めないまま突っ立っている。
福山は、椎名の意外な特技に感心したものの、由梨亜については例外的にはずしたものと結論づけてしまった。
長い栗色の髪を背中で束ねた由梨亜が、弓を持って弓道場に現れた。
その姿を見た男子弓道部員の動きが止まる。
弓道着を着た由梨亜の姿は、セーラー服姿よりも新鮮で、かつ神聖な雰囲気を漂わせている。固まった男子部員の間を御倉崎が静かに通りすぎる。
如月が、由梨亜を迎える。
「おおっ。やっぱり似合ってる。」
そう言いながら、如月は、弓道着を着た由梨亜のお腹のあたりを手で触る。
「え? ちょ、ちょっと……何するの? 」
反応を無視して如月は、由梨亜の二の腕をさわり、感心したようにうなずく。
「……意外と腹筋も締まっているし、腕の筋肉も十分ありそうね。これならすぐにいけるかな。見てて。」
如月は、近くにいた男子部員から矢を受け取ると、位置についた。的に向かって立ち位置を整えると、すっと背筋を伸ばす。
身長が一メートル七十五センチある如月は、普段から存在感がある。
しかし、弓を持って構えた時のクールな雰囲気は、さらに多くの目をひきつけるだけの迫力がある。
如月は弓に矢をつがえると、すっとひきしぼる。的に狙いを定める。弓道場を吹き抜ける風を読みながら、タイミングを見計らって如月は、矢を放った。
パチパチと拍手が起こる。
如月の放った矢は、寸分の狂いもなく、的の中心を射抜いていた。
「やってみて。」
「はい。」
如月に代わって、今度は由梨亜が矢を受け取り、位置につく。
「ここでいい? 」
如月はこっくりうなずく。
由梨亜は弓に矢をつがえて、弓をひきしぼる。足の位置、開き、そして背筋をすっと伸ばした姿勢、いずれも完璧だ。弓を引く腕もぶれることなく、安定している。引きも十分だ。
由梨亜が矢を放った瞬間、如月は由梨亜の弓を持った手首の動きをしっかり捉えていた。
かえし?
弓を放つ瞬間、弓を持った手首を心持ち外側に反らして、弓が矢の軌道に与える影響をはずす動作である。御倉崎は、素人が知らないテクニックを意図も簡単に再現してみせたのだ。
「おっしい~っ。」
弓道場にため息まじりの声が広がる。
由梨亜の放った矢は、的のど真ん中をわずかに左へそれていたからだ。
北斗青雲高校の弓道場は、校舎と校舎の間に設けられているため、都心のビル風の影響をほとんど受けることがないように見える。しかし、的の設置された場所近くには、微妙な風が右から左へ吹き抜けることがあり、それを計算に入れないと、ほんのわずかだが左へ矢が逸れてしまうのである。
弓道場に吹く風の性質を経験で理解している者と知らない者の違いが、結果として現れただけなのである。
この子、ただ者じゃないね。
筋肉のバランス、呼吸の整え方、そして立ち居ふるまいのいずれを見ても、由梨亜は、ただの女子高校生ではない。
「由梨亜。すご~い。なぁ。弓道部に入らない? 」
「え? でも私、忙しいから……。」
「え~っ。如月さんが見込みがあるっていうから、期待してたんだぜ。」
弓道部の男子部員に囲まれ、とまどっている由梨亜を見つめている如月のそばに、上杉がやってきた。
「今度は、俺の番だな。」
上杉はそう言うと、つかつかと由梨亜の前に歩いていく。
「御倉崎さん。俺と剣道をしてみないか?」
「はい? 」
突然の申し入れに由梨亜が、ますます戸惑う。
「上杉。そばから手を出さないでくれ。御倉崎さんに、汗臭い剣道着は似合わないよ。静かな雰囲気の中で精神を高める弓道の方が向いてるんだよ。それに……剣道部は、部員不足で大会にもほとんど出られないだろう。」
「外野はだまっていてくれ。俺は、御倉崎さんの隠れた才能に期待しているんだ。御倉崎さんの才能は、たぶん噂以上のものがあると俺も思う。ぜひ、手合わせしたいんだ。」
由梨亜は、困った顔で上杉に訊ねる。
「一体、どんな噂が流れているんです? 」
その場にいた全員が、如月の方を見たため、如月は慌てて目を逸らす。
「もう……。あまり周囲をあおらないでください。」
8ー(9)ハッピーバースディ
「意外と集まったな。」
金剛は、ログ・コテージに集まった面々を確認しながら、榛名に話しかけた。
福山と南、如月と椎名、そして上杉がそろっていて、テーブルに白いテーブルクロスをかけるなどして、由梨亜の誕生パーティーの準備を手伝っている。
「ん? 由梨亜様は、まだ厨房か? 」
「ええ。由梨亜は意外とお菓子づくりが得意で、今日のケーキも手作りよ。」
「そこのドーナツもか? 」
金剛が近くの皿に山盛りになったいろんな種類のドーナツを指差す。
「チーフも食べてみて。料理長の小畑シェフも感心していたから。」
「ん。」
金剛は一番オーソドックスなドーナツをひとつ掴むと、口に運んだ。
「どう? おいしいでしょ? 」
「…………。サーターアンダギーみたいだな……。」
「あはは。わかる? それ金剛チーフが沖縄出身ってことで、合わせてくれたみたいよ。うれしいでしょ? 」
「…………。」
金剛はそれに答えない。黙ってドーナツを口に運ぶだけだ。
そこへ、屋敷内専用の小型電気自動車に乗った比叡と由梨亜がやってきた。
「榛名。ケーキを運ぶのを手伝ってくれ。」
「オッケー。」
比叡の呼びかけに榛名が応える。自動車の後方トランクには、飲み物や料理、そして食器が積まれている。
ログ・コテージの中にパーティーに必要なあらかたのものを運び込み終えると、比叡が金剛のところへやってきた。
一メートル九十近い比叡は、その長い黒髪とともに遠くからでもよく目立つ。それでいて、諜報活動のプロだというのだから、不思議だ。
他の諜報機関の目は節穴としかいいようがない。
「霧島からの連絡です、佐々木会長と車で向かっていますが、渋滞にまきこまれて到着が遅れるそうです。先に始めなさいということですが、どうします? 」
「始めよう。主役は由梨亜様だ。遅らす理由はない。」
「もうひとつ。日高一尉からも、病院へ寄ってから行くので、遅れるとの連絡が入っていますが。」
「……さっさと始めようか。」
金剛はその報告は無視して、榛名にパーティー開始の合図を送った。
小さなパーティーは、金剛たちボディガード3名、そして福山たちクラスメート5人で始まり、十分後には、霧島と佐々木会長が加わって、さらににぎやかさを増した。
「日高さん、遅いね。何か連絡あった? 」
福山が由梨亜に訊ねる。
「……きっと仕事で忙しいのよ。……仕方ないと思う。」
由梨亜が答えたところで、そばにいた比叡が会話に入ってくる。
「由梨亜様。申し訳ありません。日高一尉から、病院へ寄ってくるので、遅れるとの連絡が先ほどございました。」
「病院? どう言うこと? 」
福山が何のことかわからず、きょとんとする。
「あ、ああ。日高さん、東京で事故にあって……怪我したのよ。」
由梨亜が説明する。
「え? それで、お見舞いとか、行かないで、いいの? 」
「つい最近まで、東京の病院に入院していたようですが、退院してつい先日、こちらへ戻ってきたと聞いています。自宅療養中なので、病院へ寄るというのは、通院治療のためだと思います。」
福山の問いに、比叡が代わって答える。
「そう。でも日高さんの仕事って自衛隊でしょ。どんな怪我? 重傷じゃないの ?心配じゃない? 」
「国防軍ですので、怪我の内容や事故の詳細は教えてもらえないのです。ですが、本人がだいじょうぶと言っているので、たぶん大きな怪我ではないと思います。遅れるとは言っても、由梨亜様の誕生パーティーには参加してくださるので、そう心配することはないと思います。」
比叡は、由梨亜に目配せしながら理路整然と説明を続ける。
「東京なら、例の怪生物襲来事件じゃないかな? 日高一尉が怪我したってのは? 」
そこにチキンの皿を持った南が加わってきて、オタク独自の情報網を駆使した知識を披露する。
「日高一尉は、機動歩兵のパイロットだから、東京で怪物と戦闘して負傷したんじゃないかな? きっとそうだよ。一尉が来たら、ぜひその時の様子を聞きたいなぁ。」
「はいはい。今日は由梨亜の誕生パーティーなんだから、そんなきな臭い話は他でしてくれるかな~。」
福山は南の背中を押して、話の輪から押し出していく。その先では、榛名と如月、上杉がボディガードの仕事の話で盛り上がっている様子だ。
身振り手振りからすると、格闘術のレクチャーを受けているようだ。
椎名の方はその側の椅子に座ってケーキを食べている。
福山と南を目で見送る比叡に、由梨亜がポツリとつぶやく。
「お見舞いに……行くべきだったのでしょうか? 」
「……」
「冷たいとか、思われてるかもしれませんね。」
「気になりますか? 」
「……」
「気になるなら、直接聞いた方がよろしいかと思いますが? 」
「無理。」
「怖いんですか? 」
「……そう思われても仕方がないことしか、してないし……。」
「ずいぶん弱気なんですね。あなたらしくもない。もうすぐ来てくれるわけですから、そんなに気にしなくてもいいと思います。」
「なんだか、顔を合わすのが怖い……」
「会えば、どうってことないですよ。」
比叡がやさしく由梨亜を諭す。
その時、佐々木邸の門前を監視しているモニター室の警備員から連絡が入った。
「どうした? 」
金剛がすばやく応答する。
「……わかった。お通ししろ。」
金剛は、携帯を切ると、由梨亜の方へ近づき、来客者の名前を告げた。
「日高一尉の代理で、三塚ニ尉がお見えになりました。もうすぐこちらへ到着します。」
「代理? 」
由梨亜が驚いたように問い返す。
「ええ。代理……だそうです。」
しばらくすると、ログ・コテージの前に電気自動車が停まり、三塚ニ尉がログ・コテージの中に現れた。
「いやぁ。由梨亜さん。お誕生日おめでとうございます。日高一尉の代理で来ました。」
みんなの注目の中、三塚はつかつかと由梨亜の前まで歩み寄ると、きれいなラッピングを施した小さな箱を差し出した。
「これ。日高一尉からの誕生日プレゼントだそうです。」
「あ、ありがとう。」
「あ~。招待してくれれば、ぼくもプレゼント用意できたのに~。由梨亜さんも人が悪いなぁ。日高さんだけ招待するなんて。すごく、うらやましいです。」
「ご、ごめんなさい。あまり大げさにしたくなかったから……。次はご招待します。」
三塚の遠慮ない話に由梨亜は、たじたじとなる。すると三塚は小声で続ける。
「本当ですかぁ。日高一尉だけだなんて、ホント、うらやましいです。日高一尉だけ、なんでこんなにもてるのかな~。フライアも日高一尉のことが好きみたいだし……。知ってます? 日高一尉は、この前、フライアさんとキスしちゃったんですよ。軽いキスじゃなくて、かなり濃厚なやつですよ。ぼくもしたかったんだけど、ちょ~っと、自信がなかったのであきらめたんですけど、日高一尉もまんざら嫌な様子じゃなかったし、きっと二人はどこかで会っているんじゃないかって、基地中の噂になってるんです。知ってます? だから、……日高一尉には……気を許しちゃいけませんよぉ。」
「あ~。おほん。」
佐々木会長が咳払いする。
すると、金剛がすっと三塚の前に出た。
「三塚ニ尉。わざわざご苦労さん。どうです。せっかくいらっしゃったことだし、ケーキでも食べないか? 」
金剛の提案に、三塚の顔がほころぶ。
「え? いいんですかぁ。悪いなぁ。」
「はっはっは。今日のケーキは、由梨亜様が作られた特別製だ。あんたは運がいい。」
金剛が三塚をケーキの置かれたテーブルに誘導する。
「ところで、…………・日高一尉は、どうしたのかな? 」
「ああ。病院での治療の後、レポート内容の確認ということで、情報部の青木さんと服部さんの再聴取を受けちゃったんだ。フライアさんとの関係で、今回は相当聞かれるんじゃないかと思うよ。ぼくは、日高一尉のバディだから、信じてるけど、情報部の二人は疑心暗鬼になってるみたいで、しつこいんだ。」
三塚の話がケーキを食べるために止まったところで、佐々木会長が由梨亜に小さな声で話しかける。
「何も気にすることはない。あなたは彼の命を幾度も救ったのだから、これくらいの面倒は、気にすることはない。むしろ、感謝されるべきなのだ。」
「それは、フライアがしたことです。私じゃ……ありません。」
由梨亜は、さびしそうに目をふせながら答える。
「逆に助けてもらっているのに、壁をつくってばかりで……」
「そうおっしゃらずに……。もう少し前向きに考えてみてはいかがかな。そうそう、日高一尉から贈られたプレゼント。何が入っているか、開けてみてはどうか?彼の本当の気持ちが少しはわかるかもしれない……。」
会長の催促を受けて、由梨亜は、日高一尉から贈られたプレゼントの包装を解く。中から出てきた小さな箱を開く。
「イアリング……。」
箱の中に納まっていたのは、小さな金色の十字架のイアリングだった。
「おお、メシアにふさわしい……」
会長がそれを見て思わずため息混じりの感想を漏らす。由梨亜の方は、包装紙の間から出てきた小さなメッセージカードをじっと見つめている。
「? 何が……書いてあるんです? 」
会長の問いに答えず、由梨亜は、そのメッセージカードをイアリングの箱の中にしまう。
「日高さんって……意外とロマンチストね。」
由梨亜が少しほころんだ笑顔を見せると、会長もにっこりうなずく。
「え~っと。ここで、今日めでたく誕生日を迎えた由梨亜に、プレゼントで~す。」
福山が騒がしい雑談を中断させ、皆に注目するよう、大きな声で呼びかける。
如月が小さな包みを持って、由梨亜のところへ駆け寄る。
「はい。これ、みんなで少しずつ出し合ったんだ。おめでとう。」
「ありがとう。」
由梨亜は、少しはにかみながら笑顔でプレゼントを受け取る。
「開けてみて。」
如月に促されて、由梨亜は包みを開ける。中から出てきたのは、携帯電話だ。驚いている由梨亜に、福山が答える。
「あ、それプリペイド携帯だからね。通話料に制限があるから、受信を中心に使ったらいいと思うよ。」
「いえ、かまわないわ。いろいろと役に立つと思うから……。みんな本当にありがとう。」
「それでね、僕の携帯番号は……」「私のは……」
真新しい携帯を持った由梨亜の周りに、如月や南、上杉、椎名、そして福山が集まり、互いの携帯番号を登録する。
その騒ぎの輪の外で、佐々木会長が口に手を添え、霧島にぼそりとつぶやく。
「変更だ。」
「はい。2番に切り替えます。」
霧島は外の電気自動車へ向かい、後部のトランクから少し大きめの箱を持ち込んでくる。
「あ~。私からもプレゼントだ。」
佐々木会長が霧島から受け取った箱を、由梨亜の勉強机の上に置く。
「あ、いつも、ありがとうございます。」
由梨亜が、恐縮した様子でお礼を言う。
「いや、礼には及ばんよ。ただのノートパソコンだ。これからのことを考えると必要なものを用意しただけだ。ネットへの接続は、比叡にやってもらいなさい。」
由梨亜の側にいた比叡がうなずいて、明日の昼間、接続と設定をやっておきますと告げる。
「うっそお~っ。由梨亜、パソコン持ってなかったのぉ?」
意外といった表情で椎名が驚きの声をあげる。
それを聞いて、由梨亜は困ったような顔でうなずく。
「まあまあ、そんなことは詮索しないの。」
如月が椎名の頭をなでながら諭す。
「最後に、これ。ある人からメッセージを預かってきました。」
福山がスカートのポケットからピンクの封筒を取り出す。
「読んでくださいとのことですので、ここで私が読み上げたいと思います。
え~、由梨亜。お誕生日おめでとう。
本当に短い間だったけど、私にとっては一生記憶に残る日々でした。
そして、本当に、心の底からわかりあえる出会いだったと思ってます。
お母さんのことは気にしないでください。
自分を責めたりしないで。
あなたが私のために一生懸命だったことを私は知っています。
他の誰が何と言おうと、私は貴方の味方です。
例えこの世界が滅んでも。
だから、絶対、無茶なことはしないで。
突然の連絡で、プレゼントは用意できなくてごめんなさい。
でも、いつでもあなたに心から感謝している親友がいることを忘れないで。
私たちの友情の印に、あなたに私の心の友、第1号の称号を贈ります。
三上翔子。」
福山は三上から送られてきたメッセージをたんたんと読み上げ、便箋を封筒にしまうと由梨亜に渡す。
「なんか……、すごく大げさだね。」
三塚がケーキ皿を片手に笑いを取ろうと茶々を入れる。
しかし、三塚を除く全員は、由梨亜がその封筒を抱きしめて、うつむいた姿に目を奪われていた。うつむいた由梨亜の頬を一筋の涙が伝い落ちる。
しばらく続いた沈黙を、榛名が破る。
「さあて、感動のメッセージはお終い。みんなで乾杯といこうかぁ。」
「よおっし。」
みんな由梨亜の涙に気付かないふりをして、乾杯の準備を始める。
「あ、そうだ。たいしたものじゃないけど、もうひとつプレゼントがあるよ。」
突然、南が大声をあげ、持ってきたリュックサックから、フレーム付きの写真を取り出した。
「はい。日高一尉の写真だよ~。」
ポカンとしている由梨亜に、写真を渡す。
「どれどれ? 」「はぁ? 」
由梨亜の近くにいた皆が写真を覗きこんだものの、写真には、27式機動歩兵「剛龍」の全体像が映っているだけである。
「ちょっとぉ。写真まちがえたんじゃない? 」
如月の指摘に、南は慌てて写真を確認し、勝ち誇ったように写真の隅を指差す。
「やだなぁ。ここだよ。ここ。」
南の指差したところ。「剛龍」の背景の片隅にパイロットスーツ姿の国防軍兵士が何人か写っていて、よく見るとその中の一人が、南の言うとおり、日高一尉のようである。
「…………あのなぁ~。」
上杉があきれたように、南に突っ込みを入れようとするのを由梨亜が制する。
「ありがとう。日高一尉の写真持ってなかったから、ちょうどいい。大事にする。」
「さぁて。皆さん。乾杯の用意はできましたかぁ。」
「乾杯の音頭は、私が。皆さん、ご唱和願います。」
榛名と福山の息が合った声が響く。
「御倉崎の誕生日を祝って、かんぱ~い。」
シャンパングラスの鳴り響く中、由梨亜のスカートのポケットの中で、イアリングの箱が揺れる。その中に仕舞われた日高一尉からのメッセージは、次のような短いものだった……。
(第8話完)