改造竿の記憶
 
 
 初めて買ってもらった釣竿は茶色いメタリック塗装が施された長さ3.6mでチューブラー穂先のグラスロッドだった。
 父親に連れられて郊外の川へオイカワを釣りに行ったり、牡蠣養殖を営む親戚の家へ遊びに行き、牡蠣の洗浄水に集まってくる大きなイダ(ウグイ)を釣ったり、この竿は何時も私の釣りのパートナーだった。
 
 いつだったか、思うところあって、この竿の先端を少し切り落とし、渓流竿のグラスソリッド穂先を並継ぎで継げる様に改造してしまった。振り出し竿の先に穂先を並継ぎで継ぐというなんとも面倒くさい竿は、収納時には穂先は竿尻の栓を外して振り出しの中に仕舞うという按配だ。さらに穂先と各継ぎ目下にミニクロガイドを取り付け、手元にリールシートを取り付けた。生まれて初めての竿の改造だった。
 この竿を改造するに当たって、釣り雑誌で読んだクロダイの落とし込み釣りに使う竿を目標としたのだが、当時はまだクロダイは幻の魚で、初心者や子供に釣れるような魚ではなかったことや、我が家の近所には落とし込み釣りに向いた垂直護岸なんてほとんどなかったこともあり、結局はフェリー桟橋の上から足元へ仕掛けを落としてマハゼやシロギスを狙う五目竿としてデビューすることになったのだった。
 この竿に水を見せに行った日のことである。いつものフェリー桟橋に着いて竿を伸ばし、穂先を継いでコロネットミニをセット。コロネットミニから道糸を引き出しガイドに通し、そしてハリスを結びその結び目にガン玉を取り付けて、川ゴカイを針に刺し、足元へゆっくりと仕掛けを沈めていった。仕掛けが2mほど沈んだ頃、何者かが暴力的なスピードで突然仕掛けをひったくって行った。グラスの竿は胴から大きく曲がり、道糸はコロネットミニからどんどんと引き出されていく。プッシュボタンを押して懸命にブレーキをかけるが相手は止まる様子もなく延々と道糸を引き出していく。
 魚のスピードが落ちた頃合を見計らって竿を大きくあおり魚の頭をこっちに向かせコロネットミニの小さなハンドルを懸命に巻く。巻いて巻いて巻きまくって、、でも魚はなかなか寄ってこない。なんといっても直径2cm足らずのスプールである。寄ってこないのはあたりまえだ。それでも懸命にハンドルを回し、また走られを何度か繰り返し、ようやく取り込んだのは30cmほどの小さなサバだった。私にとってはこれが生まれてはじめてのリールファイトだった。
 この時から私の人生の歯車が狂い始めた。竿は柔らかい方が楽しい。リールは低速巻きが楽しい。仕掛けはシンプルな方が楽しい。なによりもリールが逆転する快感!
 
 狂った歯車は当然のようにフライフィッシングへと繋がった。
 4ftの片手竿〜16ftの両手竿、#2の低番手〜#12の高番手、多くの竿を使い、多くの魚と出会ってきた。
 今の私の釣りは、この改造竿とコロネットミニと小さなサバ君によって導かれたといって過言ではない。どれか一つ欠けても今の私には到達できなかっただろう。
 
 話は変わって、今から15年ほど前のこと。
 赤川のサクラマス名人宅にお邪魔した時のこと。
 名人の父親がコレクションしていたという庄内竿を見せていただいた。
 魚が掛かるといい具合に胴に乗りそうな調子の竿だった。このアクションが自分の中で嘗ての改造グラスロッドのアクションと重なったのである。
 ただ、当時はフライロッドをブランクから組み上げるくらいはやっていたが、竹から竿を作ろうなどという大それた考えは全く浮かばなかった。
 またまた時は過ぎ、5年ほど前、通勤途中にある中古釣り具店で紀州のへら竿が何本か売られていた(旧不定記2004年11月参照)。
 特にへら釣りには興味ないにも関わらずこのうちの2本を衝動買いしてしまったのだが、これも改造グラスロッドを思い出させるアクションだったことが衝動買いの最大の理由だろう。
 並継ぎへら竿が庄内中通し竿の代用品として使われていたことを知ったのはそれから随分と経ってからである。この時初めて、改造グラスロッド〜庄内竿〜へら竿が一本の線で繋がった。当然その延長線上には自作丸竹竿がある。
 とはいえ、東北に産する苦竹は此方には生えておらず、苦竹を使った竿を作るのはまず叶わない夢であろう。しかし別に自分は庄内竿を作りたいわけではなく、庄内竿やへら竿のように曲がる竿を作りたいだけ、言い換えれば嘗て改造したグラスロッドのような調子の竿を作って、もう一度童心に帰って釣りがしたいだけなのだ。素材は違えど負荷に応じて穂先から胴まで流れるように曲り込むアクションが再現できればいい。根堀や螺旋継ぎに拘る必要もない。
 
 グラスロッドを改造した当時を思い出しながら、グラスを傾けつつ竹を矯める。最近の私のお気に入りの時間だ。
 
 
20091026:up
 
 
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