平成最後の湧別原野
 
プロローグ

 4月初旬に父が他界した。
 ここ数年、入退院を繰り返していたものの、こんなにあっけなく死んでしまうとは思いもよらなかった。
 当日も夕方まで母が病院で一緒に過ごして19時過ぎに家へ帰ってきたのだが、いつもと何ら変わらない様子だったそうだ。
 しかし22時頃だったか、病院から電話がありすぐに来てくれと・・・
 母を連れて病院へ行き病室に入ってすぐに心拍モニターに目をやったが既に心停止しているようで全く反応していない。そして医師から臨終を告げられた。
 臨終を告げられてもどう見ても寝ているようにしか見えない穏やかな死に顔。
 特に苦しむこともなく寝たまま自然死したようだ。このような死に方を永眠というのだろう。

 心臓肥大に伴う慢性心不全があったことから入院中は常時心拍がモニタリングされていたので看護師が心停止に気づいたのだが、そうでなければ朝になって看護師が起しに来てそこで死亡に気づくというパターンだったのだろう。入院せずに家で面倒見ていたらそれこそ「なかなか起きないね〜」と昼過ぎまで気づかずに放置だったかもしれない。

 葬儀場へ遺体を運んでもらい、夜が明けてから予約していた歯医者をキャンセルし、フットサル練習の世話を友人に頼み、職場に休暇の連絡をして通夜と葬儀に翻弄した。

 その後1カ月もたたないうちに留萌のWさんが他界したとの連絡が入った。
 その後も親戚や身近な知人のご家族が何人も亡くなった。
 夏までの間に、これまでにないくらい本当にたくさんの悲報を受けた。

 加えて7月の西日本豪雨災害。
 道路が寸断され、被害の少なかったごくわずかなルートに通勤通学者が集中して普段30分で行けるところが3時間近くを要し、とてもじゃないけど正常に仕事や生活ができる状況ではなくなった。

 父の百カ日の法要が済んだ頃から母親と兄弟で相続協議を行い、とりあえず分割協議書を整えたのが10月下旬。
 11月下旬に不動産の名義変更を行い、銀行等で預貯金の相続手続きを行い、税務署で相続税の申告を行ったのが父の死亡から9カ月3週間目。申告期限の10カ月まであと1週間というぎりぎりの提出だった。
 西日本豪雨災害の関係で申告期限は5月7日まで延長されていたのだが、我が家は特に被害を受けたわけではないので甘えるわけにもいきません。本来の締め切りを目標に頑張りました。

 この間、クリオネの面倒をろくに見ることができず、久しぶりに冷蔵庫からクリオネボトルを出してみると、自分の体を分解しながらエネルギーに変えていたのか、よーっく見ないと見えないくらいにまで縮んでしまって、それでも1尾がしぶとく生き続けていた。
 当初は北海道へ連れて帰って故郷へ再放流してやろうと思っていたのだが、ここまで小さくなってしまうと空港のセキュリティーチェックでクリオネを認知してもらえない可能性が大きくて、怪しまれてもいけないから処分することにして改めてボウルに出してみるとオレンジ色の小っちゃい点が3つ動いてる・・・1尾じゃなくて3尾生きていました。
 夏に氷に挟まれてつぶれて変形したダルマクリオネは生きているのかどうかよくわかりませんが、分解されてないしこいつも生きてるなら5尾中4尾生き残ったってことになる。
 とりあえず、もう一度ボトルに収容して冷蔵庫に戻した。

 っというわけで、雪の上での練習が全くできないまま2月に突入。
 1月末に降った雪がなんとか2月最初の土曜日に20cmほど残ってくれてて、ようやく雪の上で練習できた。積雪の後でちょっと雨が降ってその後でまた冷えて固まった雪で、とても滑り易いコンディションでした。でもこの雪も日曜午後からの雨で月曜日にはなくなってたようで、とてもタイミングが良かったですね。
 その後はまた雪のない日々。

 そんなこんなで練習不足のまま北海道へ飛ぶ日がやってきた。
 思い起こせば平成元年の第4回大会から参加し始めて今年が第34回大会。
 途中で暴風雪の影響でコース短縮してオープン走行会になったり水害の影響で中止になったりコースを短縮して開催された年もあったが、開催された年には必ず参加して述べ3万人近い選手達と一緒にスタートし、述べ2,570kmを走ってきたことになる。広島から北海道まで行って帰って2周目に入って尾道位まで行った感じだろうか?。たいしたことない距離なのかもしれないが、我ながら良く続いているものだと思う。

2月21日

 前々日に発生した緊急事案をひきずりながら出発。
 家を出るのが少し遅くなってしまい、広島バスセンター発のエアポートリムジンバスでは間に合いそうになかったので、路面電車で広島駅まで行って広島駅発のエアポートリムジンバスに乗った。広島駅発の方が便数が多いんだよね。
 っで、リムジンバスまで緊急事案が追いかけてきた。まあ、立場的に最前線で働いているわけでもないので、関係者への連絡とか指示とかお願い事とかを順次済ませて、落ち着いた頃に空港到着。
 土産物買ってラウンジでしばし休んで・・・搭乗ゲートでセキュリティに引っ掛かった(^O^)。
 携帯をポケットに入れたままでした。

 新千歳空港に着いたらお土産チェック。昼食は開高でハーフ拉麺ホエー豚丼セット
 それにしても相変わらす一幻が繁盛してるのが不思議。
 行列が人を呼び、食べる人が多くなれば必然的にあの海老殻臭さが口に合う人も多くなって、その情報が増えてまた人が増えるというサイクルなんだろうね。

 空港内の暖房とラーメンの赤味噌効果で暑くて汗が出てきたので屋外へ避難。外はちょっと肌寒い感じ。
 ANA側ターミナルでちょうどレラ行きのバスが来たので、それに乗ってレラへ移動。
 国際線ターミナルは更なる大規模化に向けて増築工事が進んでいた。
 レラに着いて適当にぶらぶらしていると職場からメールが来たので、レラをぐるりと廻りながら連絡を取り合い、札幌に着くまでのJR でもメールのやり取りが続いた。
 一段落した頃に札幌着。少しでも運動しようと歩いてホテルに移動。
 途中、南三条のメガドンキに寄ってミネラルウォーターを2.5Lを1本と0.5Lを2本買って3.5kg重くなった荷物を背負ってホテルまでトレーニング(笑)。南11条は遠い。
 夕食は近くのコンビニで適当に買って済ませた。

 っで、メシ食って風呂入ってテレビでも見ようかとテレビのスイッチを入れた直後、何だかグラグラと…だんだんと揺れが酷くなって、これって地震?。
 風呂から出たままバスローブ一枚しか身に着けてないし、下着は風呂に入ったついでに洗濯したばかりで着れる状態じゃないし、このまま逃げ出して裸で凍死するよりも倒壊に巻き込まれて潰れた方がましだなっと、そのままベッドの横に踞って揺れが収まるのを待った。
 ほんの数秒程のことだったけど色々と思考が巡るもんですね。6階だったので結構揺れました。
 怖がって廊下に出て来た中国人グループがパニクって何やら騒ぎ始めた。
 ワシは次の揺れが来たときに備えて急いでドライヤーで下着を乾かしたのは言うまでもない。

2月22日

 昨夜の地震の後、また揺れやしないかと緊張しながら寝たのでなんだか寝不足。
 無料サービスの朝食を摂り、昨日買ったミネラルウォーターにホテルのご厚意でさらに1本追加して、4kgの水を背負ってツルツルカチカチになった道をてくてくと歩いて駅へ移動。
 駅前のセブンイレブンでバスの中で食べる昼飯を買ってESTAのベンチでバス待ち。
 バスに乗ってからは、ひたすら寝た。
 遠軽に着いて、遠軽神社瞰望岩デゴイチを観て遠軽教会の前を通ってウメダスポーツで富山の薬売りのIさんと合流して、宿まで同乗させてもらった。
 宿に着いてからは荷物を整理してのんびりと過ごした。

2月23日

 日曜日を想定して朝3時半に一旦起きて、少し体を動かして5時からまた二時間程仮眠。8時前に朝食を摂って一休みした後にゴール地点で軽く練習。
 雪温-5℃。ザクザクのザラメ雪の上にうっすらと新しい雪がのったバーンで比較的滑りやすかった。R0.5の高温用板とL6の低温用板を乗り比べると明らかに高温用板の方が良く滑る。本番は高温用板に決定。
 とはいえペースはキロあたり6分くらいかかってる感じ。こんなペースだと本番でゴールまでに何時間かかることやら。
 気温が高い関係で汗が出てきて一時間も走らずに切り上げた。
 練習後は例年どおりにチューリップの湯で疲れを癒して、昼食は施設内のレストランでジンギスカン定食
 お土産買ってTOMで受付して都ホテルのおばちゃんちへ行って四方山話。
 そのうちにかしましい留萌のWTK3人娘(笑)がやって来て女性四名に囲まれてプチハーレムでした(笑)。
 羽幌のSさん、千歳のY夫妻も到着されたようだが、Sさん行方不明に(チューリップの湯に行ってたらしい)、YさんはIさんの板のワキシングするとかで、おばちゃんちには現れなかった。
 いったん宿に戻った後にまた外出し、農協スーパーで白いヱビス買って前夜祭に備えた。
 夕食は春に亡くなられたWファミリーご主人のネタで盛り上りつつ、翌日に備えて早めに就寝。

2月24日

 3時に起きて身仕度して朝食。
 Iさんはトラディショナルなウェアで走るようだ。
 板にもストックにも木目調シートを貼って(ここまでやるか?)準備万端(写真を取らなかったのが悔やまれる)。

 4時50分のバスでスタート地点の天狗平に向かう。
 道中はほとんど寝て過ごし、何となく目が覚めたらもう天狗平への登り道に入っていた。
 朝焼けが美しい

 バスを降りてゴール地点へ運んでもらう荷物を輸送トラックへ預けてスタート地点に板を置きに行きに行った。
 前から5列目くらいに置けそうだったが、練習不足でキロあたり6分位でしか走れていないので後ろの方からスタートしようと、隙間を開けて板を置いた

 アナウンスによると気温-9℃、雪温-7℃。
 この雪温だとワシの板は滑らないだろうけど、午後から気温がプラスに転じれば絶対に滑るはず。
 休憩所で岡山のNさんと四方山話しながら寛いでいるとチーム民宿ふじ乃ご一行様も休憩所にやって来て一気に賑かになった。
 ここでSさんのブーツにトラブル発生。ファスナーがパッカりと・・・。
 中の靴紐で締まっているので脱げたりはしないだろけど、ファスナーが開いたままだと雪が入って足が濡れちゃいそう。
 スタート15分前にスタート地点へ移動してGPSロガーとスマホのGPSアプリを起動してウエストポーチのポケットに入れてスタートの合図を待つ。

 7時半、号砲とともにスタート 。
 エプソンのGPSウォッチで測位を開始して走り始めた。
 雪不足の関係でスタート直後の登り坂が少し延びていたが、板はそこそこ滑っているようでNさんや留萌のKさんと抜きつ抜かれつしながら難なく降り坂に入った。

 っで、自分的には良く滑ってるつもりだったのだが、留萌のTさんに凄いスピードでぶち抜かれた。
 そのすぐ先でKさんに追いついたので、

ワシ「Tさんの板、良く滑ってますね。」
Kさん「私の板も同じ人に同じワックス施してもらったんだけど、Tさん下り上手いからねー。」

 同じチューニングでも乗り方でこんなに違うんだね。
 それにしても、猛スピードで他の選手の隙間をスイスイとスラロームして行くTさんの後姿には惚れ惚れしました。

 林間に入りちょっとした登り坂で渋滞していると、左側のトラックからクラシカル子さん(特に親しいわけではありませんが、勝手にこう呼ばせていただいています・・笑)がダブルポールでひょいひょいと集団を抜いて行き、あっという間に見えなくなった。
 日当たりの悪い林間は雪温が低くて雪の結晶が固くて板が思うように滑らなかったのだが、その後も登り坂の度に何度も渋滞に巻き込まれたものの、時間が経つに連れて気温が上昇して滑りやすくなるはずなので特に焦りはなかった。

 汗だくで上白滝給食所に到着し、オーバーウェアを脱ごうとコースの端に寄って減速した所、誰かが脱いで置いてあった板がするすると私の前に流れてきて避け損ねて転倒してしまった。
 右足の板が体の下に入ってしまい起き上がるのにちょっと難儀したが、ブーツから板を外すことができて何とか立ち上がれた。
 オーバーウェアを脱いだりトイレに行ったりしてるとNさん到着。
 Nさんは例年なら上白滝の給食所はパスして行くのだが、この日は気温が高いのでウェアを脱ぐために寄った模様。
 Nさんに挨拶して給食所を出発。
 まだ雪温が低くて板が雪に合っていないものの、日の当たっているところでは結構楽に走れるようになってきた。
 しかし予期せぬ事態に、、、
 旧白滝関門を出てしばらくして左の太ももがひくひくと軽い痙攣を起こしはじめて左足でキック出来なくなった。
 丸瀬布関門までペースダウンを強いられ、丸瀬布に着いたのが10時30分。
 イスに座って休みたかったが、座ると立ち上がれなくなりそうで、立ったままいつもより長めに休憩。
 丸瀬布を出ると瀬戸瀬までの間には嫌な登りが何ヵ所もあり、ついに右太ももまで、、、
 長い登り坂は一期に登りきれず休憩を入れながらなんとか登り、降りは太ももに負担をかけないように加速を控えて我慢の走りを続けてなんとかがんばって丸瀬布に到着。
 先に到着されていたWさんの出発を見送ってイスに座ってゆっくりと体を休めて豚汁を2杯いただき、太ももの回復を図った。
 瀬戸瀬から先はもうキツい登りはなく、コースの日当たりも良いので軽いキックでもそこそこのスピードが保て、太ももも徐々に回復して本来のスピードが出せるようになった。
 遠軽関門のちょっと手前に着ぐるみファミリー発見、私設給食所を出していただいていたようで、チョコバナナ美味しかったです。
 遠軽関門到着直前にWさんを抜いて一目散にワックスサービスへ行って板を預けて給食所でうどんをもらってイスに座って長めに休憩。
 Wさんが出発した後もさらに10分ほどイスに座って太ももを休めて、遠軽を出発。
 遠軽から8km程走ったところで前方にWさんが見えた。脚が引き付け出来なくなって腕の力だけで走ってる感じ。追い越し際に声をかけたところ、捻挫して傷めていた脚が悪化したらしい。
 そのまま見捨てて先に進んだ。だって期待したとおりの雪質になり快調に走れてたんだもん。

 上湧別関門で休憩してそろそろ出発しようかというタイミングでWさん到着。走って来る姿を前から見ても普通のスケーティングになっていない。悲惨だ。
 一方でワシはますます快調になり追い風に押されて順調に瀬戸瀬までの遅れを取り戻した。
 堤防折り返しからの向風はさすがにキツかったが余裕で8時間は切れるペースまで盛り返せたので最後の小さな登りに備えて少しペースダウンして走っているとコースの右に立ち止まって膝の屈伸をしているSさん発見。追い付いて声を掛けると、どうやらSさんも太ももトラブルらしい。
 一緒にゴールしましょうってことで、先にゴール地点のトラックまで走り、Sさんが来るのを待って最後の直線をゴールまで並んでスプリントして完走!。
 ゴール後に一緒にソバ食べて話をしているとWさんがナンパされて同伴ゴール(笑)。ネタ提供ありがとうございます。

 スタート時に預けた荷物と完走賞を受け取り宿に帰って一休み。チューリップの湯に行って一風呂浴びて売店覗くと、土曜日にお土産に買ったお菓子が半額になっていた。来年はゴール後に買おう。

 夕食は大反省会。
 みんな今年は苦労したようで、遠軽から先の何でもない平地で何でか分からないけど何度も転けたとかの話が多かった。
 前半のバーンが固くて凸凹の振動がもろに太ももに響いたみたいで、その負担が蓄積されてて、スピードを出した時にバランスが保てなくなってたんだろうね。
 結局のところ、練習不足、体力不足が原因ってことで、これをどうにかするのが来年への課題ですな。
 飯を食い終わった後も富田ファームのブルーチーズを肴にビールに日本酒にワインで、ちょっと呑みすぎたけど楽しかった。

2月25日

 毎年の事だが大会翌日は早く目が覚める。
 広島へ送り返す荷物をまとめて朝食を摂り、留萌に帰るWTK3人娘を見送り(Sさんは既に帰ってしまっっていた。)、Iさんに遠軽まで送ってもらった。

 バスの時刻まで書店で立読みしてミートパビリオンで昼食を摂ってしばらくバスターミナルで過ごしてバスに乗車。
 バスの中ではガーディアンズが放映されていたけどあまり面白くなかったね。
 時計台BSでバスを降りてホテルにチェックインしてすぐに外出。行き先は当然ニッセンスポーツ。
 ブーツのソールが摩耗してビンディングに繋がる金属の棒まで削れ始めたのでそろそろ新しいブーツにしたいのと、板も滑走面が薄くなり前回のストラクチャー加工が最後と言われていたので、この際まとめて更新しようという目論見。

 しかし、いざ店舗を訪れてみると、スタッフのYさんが言うにはシーズン後半とあって靴のサイズがなく、板もフィッシャーはプラス板は在庫があるけどコールド板が短いものしか残っていないとのこと。オガサカも短いものしかなかった。金曜日に寄った遠軽のウメダスポーツにはたくさん在庫が並んでいたからニッセンにも有るだろうって油断してました。残る選択肢はロシニュールかアトミック、どうするかな〜。
 とりあえずはブーツのフィッティングをってことで近いサイズのサロモンの42とかKV+の41とか履かせてもらったがサロモンなら41、KV+なら42かな?って感じでどちらも在庫なし(泣)。
 申し訳なさそうなYさんが他の客の対応をしている間に、板コーナーで何気に手に取ったフィッシャーの181cmプラス板、よく見るとコールドって書いてあるじゃん。
 これってワシに買ってもらおうとプラス板に隠れてワシが来るのを何ヵ月も待っていたに違いないっと運命的なものを感じて購入を決意。

 接客が終わったYさんに、

ワシ「これちょうだい。これにする。」
Yさん「えっ、プラスですよ。」
ワシ「コールドって書いてあるよ、ほら。」
Yさん「・・・あっ。」

 Yさんも無いと思っていたコールド板があったことに驚いていた。
 そんなこんなで、とりあえず今回は板だけ買って、ブーツは秋にニューモデルが入ってから購入する事にした。
 ビンディングがターナミックに変わるのでブーツはNNNとなり古い板が使えなくなるが、サロモンのプロリンク(NNN)のビンディングならパイロット(SNS)と同じ穴位置で板に付けれるので、古い板もビンディングを交換すれば予備板として使えるだろう。

 支払を終えて今度はAさんを捕まえてブーツについて色々と質問。やはりお薦めはサロモンで、マズシャスも履きやすくて人気らしい。ニューモデルに期待。
 っで、カタログ見ながら

ワシ「ブーツにカーボンとか要るの?」
Aさん「やっぱカーボンモデルの方が軽いですからね〜」
ワシ「でもカーボンって言ってもブーツの中ではほんのちょっとしか使われてないし、その程度の軽量化と剛性アップでこの最高級モデル13万円って、、」
Aさん「又七さん何言ってるんですか。釣竿だってちょっといいの買えばこれくらいするでしょ?」
ワシ「・・・確かに、この倍位の値段の竿も持ってるけど、、(笑)」

 っとここでスマホに異常が、
 バッテリー残量があるにも関わらず「バッテリー残量がありません」みたいなメッセージが出てシャットダウンされる。起動し直してもすぐに落ちる。
 木曜日の地震のこともあるし、何か起こった時に連絡手段が無いのは困るので、すぐにホテルへ戻ることにした。
 夕食はホテルの近くのセコマでカップラーメンとサラダとヨーグルトを買って済ませた。
 ホテルに戻ってコンセントに繋いでもやはり落ちる。
 っで、何度か再起動を繰り返していたら治った。バッテリーマネジメントアプリにバグがありそうな予感。

2月26日

 社会復帰に備えて6時に起床。
 のんびりと身仕度して遅めに朝食コーナーへ。
 かなり混雑していたが奥のテーブルに陣取っていたグループが良いタイミングで席を空けてくれた。
 胃が大きくなっているようで、普通の量では空腹感が消えないが、欲しいだけ食べてしまうと余計なところが逞しくなってしまうので我慢する。

 ホテルをチェックアウトして札幌駅まで徒歩移動。地下は暖房で暑いので2階のバスの待ち合いエリアで時間潰し。
 南千歳までのJR 切符を買って、どさん子プラザとキオスクで土産物追加して満席の快速エアポートに乗り込んだ。
 腹が減ってきたけどレラまで暫し我慢。

 レラに着いたら一目散に春一家蝦千に行ってえび味噌ラーメン
 一幻ほど海老殻臭くなくて食べやすいんだけど、えび力はもう少し控えても良いんじゃないかな?

 腹が太ったのでシャトルバスで新千歳空港へ。
 新千歳空港でさらにお土産を追加。30年も来てると買うものが無くなって、購買欲そそる新商品もそんなにないし、土産物選びも苦労し始めました。そろそろ昔からある御菓子の2ラウンド目に突入かな?。
 スーパーラウンジも人が多くて落ち着かない。しかも暑い。
 人気の少ない到着ロビーで少し涼んで、保安検査を受けて搭乗待合室の多目的トイレでアンダーウェアを脱いで飛行機に搭乗。

 こうしてワシの平成最後の湧別原野大会は幕を閉じた。

エピローグ

 湧別原野オホーツククロスカントリースキー大会
 かつては湧別原野オホーツク100kmクロスカントリースキー大会と呼ばれ、現在は「100km」の語がなくなったものの、今でも世界第2位の長距離を走り、フリーテックニックで競う種目としては世界最長の大会である。

 平成元年、25歳の時に初めてこの大会に出場し、その時に75歳まで続けて50回連続完走することを目標に掲げた。
 自然の中で行われるスポーツなので当然中止になることもある。50回連続完走が達成されたときに自分が何歳になっているかは予想できないが、体力的には既に下り坂に入っており今後どんどんときつくなるだろう。
 それでも「また来年も」っと思えるのは、この大会で知り合えた多くの仲間達との再開があるからに他ならない。

 この魅力を多くの人に知っていただき、この大会に参加していただき、そこで感じた魅力を広めていただき、新たな参加者を増やしながらこの大会が長く続いてゆくことを願うばかりである。

 

 
 
20190303:up
 
 
又七の屋敷メインメニューへ戻る
 雪で遊ぶメニューへ戻る