中湧別に着いてからはすぐにチューリップの湯へ行き療養。
暖まると脇腹の痛みがいくらかは楽になりました。
実はこのチューリップの湯でちょっとおもしろい出会いがありました。
一人は仕事上の話題がかなりかすりそうな方で、もう一人はなんと元オリンピック日本代表の夏見円さんの中学校時代の教頭先生だったとか。
今回の湧別大会は30回記念大会で、夏見円さんがゲスト参加するんだよね。大会とは全然関係ないグループだったようですが奇遇というか何というか、北海道って広いけど人少ないんだね〜。
温泉で暖まって脇腹も少し楽になったところで宿へチェックイン。
部屋に入るとすぐに宿猫のハナちゃんが部屋に挨拶に来た。
ここの猫、人なつっこくてかわいいんだよね〜。
夕食後は去年と同じ感じで富山の薬売りさんと元編集長さんと私の三人でクロカン湧別バカ談義で夜は更けるのであった。
負傷からちょうど一週間経った土曜日。まだ少し違和感はあるものの、咳やクシャミさえしなければ左腕を動かすのも特に不自由しなくなった。
朝食を食べて鎮痛剤を飲んでゴール地点付近で雪温の変化を測定しながら、準備してきた2セットの板を乗り比べ。
低温用板のストラクチャーはL6浅でワックスはAX10+AX20、高温用板のストラクチャーはR0.5浅でワックスはAX20。雪温が-9℃だったので通常なら低温用が良く滑ると思っていたのだが、意外にも高温用の板の方が滑りが良い。とはいえスピードが乗ってくれば低温用もかなり良い感じ。
実は低温用の板は昨年の大会の後にニッセンスポーツに預けてストラクチャーを入れ直してもらっており、その後ワキシングとブラッシングは繰り返したものの雪の上で全っく走っていなかったことから、滑走面が仕上がっているとは言い難い状態。たぶんちゃんと仕上がった板なら迷うことなくL6なのじゃろうが、今年は気温も上がりそうだし、そこそこ仕上がっている高温用の板が無難?
去年、低温用板に湿雪用のトップワックス塗って、遠軽以降かなり失速した苦い思い出もあるので、ここは迷わず高温用板を本番で使うことに決めて、後の時間は低温用板のケバ取り目的で走ることにした。
っで、しばらく走っているとまた脇腹が痛くなってきたので練習終了。
いったん宿に帰ってまたチューリップの湯に入って療養し、昼飯に豚丼(去年も豚丼だったよねー。)食べて鎮痛剤飲んだ。
大会受付を済ませて宿に帰ってハナちゃんと戯れながら高温用板の最終ブラッシング。
ここ数年は、ワックスルームの無い中湧別の宿に泊まるようになったことと、宅配でワックスが送らせてもらえなくなったこともあって、天気図や週間天気予報の遷移を勘案しながら大まかに戦術を決めて家で高温用と低温用の2セットの板を準備して、適応温度帯の異なるワックスを2つのブラシにたっぷりと付着させておいて、最終的に現地でどちらかのブラシで仕上げるというやり方に落ち着いた。
今年はかなり暖かくなりそうだと予想し、まず湿雪用トップワックスを付着させたブラシでブラッシングとコルク掛けを繰り返し、とはいえスタート時刻はそれなりに雪温は低いだろうというということで、最終層として低温乾雪用トップワックスを付着させたブラシを軽く掛けておいた。
板の準備が終われば後はやることなし。部屋でのんびりとテレビを視ていると留萌のWファミリーさんとSさんが到着したので、ご一行様で元都ホテルのおばちゃんの家へ遊びに行った。
一年ぶりにおばちゃんの明るい笑い声と楽しい話を聞けて、これだけでも北海道に来た甲斐があったってもんですよ。
おばちゃんは「みんなから元気をもらっている」って言うけど、おばちゃんがみんなから集めたその元気を私がもらってます。
大会当日
朝3時に起床して朝食を食べて鎮痛剤を飲んで送迎バスでスタート地点の天狗平へ移動。
思ったほどは冷え込んでおらず、朝4時現在で気温-10℃、雪温-9℃だったらしい。日が昇れば一気に温度は上がるだろう。自分の脇腹のことも顧みず好タイムが出そうな予感でわくわく。
まずは用足ししてスタート地点に板を置いて、スタート地点にある小屋で休憩。
スタート時刻が迫ってきた頃、もう一度小用足ししておこうと男子トイレに並んでいると、ガチャピン発見!写真撮らせていただきました。トイレに並んでいるオッサンに声かけられてもちゃんと写真撮らせてくれたサービス精神に富んだ方でした。
そのちょっと後、水色のウェアを着た大柄な人が私の後ろを通って女子トイレの前に行ってなにやら女子トイレの中を覗き始めた。
この大会では女性出場者が少ないことから、切羽詰まっている男子選手が女子トイレを使わせていただく場面がちょくちょくあるのじゃが、今回もそういった類の人可と思いきや、、、ゼッケンではなくビブスを着用?、、背中に「夏見円」って書いてあるし。。。。。@@!
なんと夏見円さんでした。切羽詰まったオッサンと間違えてごめんなさいm(_ _)m。
しかしこのまま夏美円さんをトイレに入らせるわけにはいきません。何と言っても金曜日に教頭先生と話してますから〜〜〜。
「すみませ〜ん。写真撮らせていただいてもいいですか?」
トイレに入ろうとする独身女性を呼び止めるオッサンが私の中にいました。なんというミーハーオヤジ 笑。
こんなオッサンにも夏見円さんは笑顔で応えてくれました。
やはり日本代表になるくらいの人は不測の事態に笑うことはあっても怒ったりしないねー。
アスリート界の格言?に「強いやつ程良く笑う」と言うのがあるけど、まさにそれです。
っで、トイレに入るところを呼び止めてしまったのが申し訳なくて、早くスッキリとしていただきたくて、金曜日の教頭先生の話を切り出せませんでした。
7時30分、大会は夏見円選手を追いかける形でスタートした。
4列目からスタートした私は、前の選手に阻まれて最初の登り坂でリズムを崩してしまい、そのままずるすると後退。まあ本日の板は日が高くなってからを想定しており午前中は板が滑らないことを覚悟していたので、無理しないで抜かれまくりながらダウンヒルの間はフォームを整えることに集中した。
林間の渓流沿いのコースに入ってからもしばらく我慢の時間が続き、極めつけはお墓の横の上り坂。コースが狭くて追い越し禁止になっており大渋滞です。とはいえ私がそこに到達した頃はまだマシだったようで、後で聞いたところではその後が大変だったらしい。
スタート一つとっても後ろから出る選手って不利なのに、これじゃあんまりでしょ。
来年改善されていることに期待。
平地に降りてからはぼちぼちと板の滑りが良くなってきた。
昨年、無理な追い越しを掛けられて行き場を失って大転倒した下り高速左コーナーも、今年は難なくクリアし、スタートから45分掛けて何とか白滝給食所へ到着。単独で走ったら30分かからないこの区間も、何百人もの選手と一緒に走ると余計な時間を要してしまいます。安全第一だからしょうがないね。
白滝でオーバースーツを脱ごうかどうか迷ったが、まだ気温もそんなに上がっていなかったのでそのまま走ることにした。
白滝を出てからは前後の選手もまばらになり、ほぼ自分のペースで快調に走って9時前に旧白滝に到着。
なんとここでまたまた夏見円さん発見!
急制動掛けて夏見円さんの前で止まってスポーツドリンクを受け取りました(またしてもミーハーオヤジ 笑)。
ドリンクを受け取りながら朝のトイレでの一件を再度お詫び申し上げ(結局教頭先生の話はしないまま)、一休み。
バナナを食べ、鎮痛剤を飲んで10分ほど休んで、筋肉に溜まった乳酸がそこそこ抜けたところで再出発。
実はここでオーバースーツを脱いでおくべきじゃったが、まだ気温もそんなに上がっていないからとそのまま次の区間へと走り出してしまったのが間違いでした。
旧白滝から丸瀬布までの間でかなり汗をかいて無駄に体力を消耗してしまい、加えて朝食と旧白滝での補給が少し足りなかったのか空腹感で力が出なくなってしまった。おまけに鎮痛剤が効きはじめて眠たくなって集中力が・・・・。とはいえ板の滑りはすこぶる良く、なんとか10時過ぎに丸瀬布到着。
板を脱いで丸瀬布給食所名物のソーメン入りお吸い物やあんパンやバナナをたらふくいただいた。トイレに行ったついでにオーバースーツを脱いでウェストポーチへ押し込み、汗ばんで湿気った手袋も予備の手袋と交換した。実は何年か前に暖かくて手袋がビショビショになった年があって、上湧別で手袋を乾かすのに無駄に時間を要してしまった。その時に函館のHさんが予備の手袋を周到に用意していたのを見ていたので、今年は自分も真似して予備手袋を準備しておいたのじゃ。
この後は湧別原野大会最大の難所である地獄の上り坂が待っている。しかし地獄の上り坂の後にはぶっ飛び下り坂が待っている、この下りのために登るんだと思えば、、、、そう思ってもやはり辛い坂ですね。でもここを頑張れば瀬戸瀬給食所で豚汁が待っています。念入りに滑走園にブラシを掛けて再スタートした。
丸瀬布を出発してからおよそ40分で瀬戸瀬へ到着。瀬戸瀬ではちょっと早い昼飯という感じで、豚汁を2杯いただき、あんパンやバナナも沢山食べた。
この先は急な上り坂もなく、川沿いに降りてからはほぼ平坦な道となる。毎年一番スピードを出して走る区間ですね。今年もこの区間が一番スピードが出ており、平均時速約17.7km/h。快調に飛ばせました。
鎮痛剤の効果が薄れて左脇腹の痛みが少しづつ強くなり始めた頃、瞰望岩が見え始めました。久しぶりに午前中に瞰望岩を拝むことができたぞ。
瞰望岩を眺めながら富山の薬売りさんとWファミリーご主人さんに追いつきぶち抜いて12時ちょっと過ぎに遠軽到着。
少し遅れてWファミリーご主人さんと富山の薬売りさんが到着。
ワックスサービスを受けるかどうか迷いましたが、板は良く滑っているし特にベースバーンも起こっていないのでそのままゴールまで走りきれると判断してワックスサービスはパス。そんなことより遠軽ではうどんを食べなければならない。これを食べずに遠軽を出発するとゼッタイに後悔することになります。そんなわけでうどんを食べ、栄養ドリンクを飲んでいると富山の薬売りさんが、
「あそこ、夏見円さんじゃないですか?」
っで指さす方を見ると、確かに夏見円かさんがいました。
富山の薬売りさんが撮ってくれるというので、もう何も遠慮することなくツーショット写真をお願いしました。(どんどんと要求が高くなる図々しいミーハーオヤジ 笑)
遠軽を出てからは、少し向かい風が吹いてきましたが、例年のような強い風ではなく板も良く滑っていることからあまり苦にはなりらなかったね。
13時過ぎに上湧別、そこから少しペースは落ちたけど、7時間を余裕で切ってゴール。
左脇腹をかばいながら右半身だけで走った感じでしたが、意外にも良いタイムでゴールできました。追い風と高い雪温感謝です。
過去のデータを見ても、雪温が-2℃以上だと5時間台、-4℃以上だと6時間台、-5℃以下だと7時間以上掛かるようになり、雪温が-10℃を下回った年はもれなく8時間以上掛かってゴールしています。低温に弱いヤツ。(去年は序盤にトラブルがあって暖かい割に遅かったけどね。)。
今年は雪温が-2℃と高かった割には7時間近く掛かっていますが、実のところ休憩を差し引いて実際に走っていた時間を計算すると、5時間20分ほどしか走っていません。これってほぼ休憩なしで走って自己最速記録を樹立した20年前と概ね同じ実走行時間なんですね。まあそれでもトップクラスの選手に言わせると5時間20分も走っているわけで、「よくそんな長い時間走れるね」てなっちゃうんですけどね。
とりあえずは、気温や雪温の上昇を見越して高温用の板を選択し、序盤は無理せず我慢しながら、各給食所で十分な休憩を取って走ったというのが全て良い方に転んでくれたって感じでしょう。
しかしまあ、今年は手袋だけじゃなくブーツの中まで汗でびしょびしょになってしまいました。それだけ暖かくて走りやすいコンディションだったってことですね。こんな年は10年に一度あるか無いかで、こんな年にベストコンディションで走れなかったというのはちょっと残念でした。たしか2006年の第21回大会も左手親指付け根を怪我して右だけで走った感じだったね。
ゴール後に文化センターTOMで軽くストレッチしていると館内アナウンスで夏見円さんのサイン会を行うとかの案内が、、、こりゃサインもらうしかありません。
そそくさと並んでゼッケンにサインしてもらい、ここでようやく
わし「中学校時代の教頭先生って覚えてますか?」
夏見円「ははは、すみません。覚えてません。ごめんなさ〜い!」
いえいえ、謝ることなんてありませんって、覚えてないのが普通だと思います(だったら最初から聞くなよ〜ってのは無しで。)。
わし自身も、中学校の教頭どころか大学時代の学長さえ覚えてないし(っというか興味ないからそもそも知らないし)、そんなのきっちり覚えてるような人は、たぶんスポーツではない違う道に進んでると思う。
宿に帰って風呂に入って(大会当日のチューリップの湯は、人多すぎて入る気になれません)、部屋で着替えているとSさんが帰ってきて(どうやら5時間半くらいの好タイムでゴールできたらしく、一人で祝杯あげてたらしい。)、しばらく話してたら、お互い急に疲れが出てきて眠気が襲ってきたので夕食まで睡眠タイム。
夕食は昨年とほぼ同じメンバーで大反省会。でもどんなに反省しても来年また同じ反省するんだよね。懲りない面々。
でもこの大会に出てる人たちの大半は毎週のようにどこかの大会に出場したり、雪のない時期にはフルマラソンに出場してたりでかなり走り込んでいるようです。みなさんサロマ湖100kmマラソンにも無事エントリーできたようで、これから6月に向けてまだまだ走り込むんだろうね。
わしもサロマ湖100kmマラソンにチャレンジしてみたいのじゃが、下手すると自分の両膝をサロマ湖に捧げて帰ることになりそうで、ちょっと失う物が大きすぎるかな〜っと。
大会翌日、朝早く目が覚めたので、そのまま荷物の梱包してのんびりと過ごす。
留萌のW夫妻が遠軽駅まで送ってくれるというのでご厚意に甘えて送っていただきました。
バスターミナルで降ろしてもらい、駅に向かって歩いていると、どこか見覚えのある人が・・・一足先に出発した千歳のYさんでした。
何してたんだろ?
指定を受けたいた特急オホーツクの時間まで1時間以上あるので、指定をキャンセルして1時間早い特別快速きたみに乗って旭川まで行き、そこで特急に乗り換えて札幌まで戻ることにした。(去年もこんなだったような・・・)
ホームに立って瞰望岩にお別れの挨拶をして快速きたみに乗って、、、しばらく記憶がありません、、、ふと気がついたら旭川。
旭川では乗り換えの待ち時間が30分位あったのと、冷たい風が結構吹いててホームに立っていると寒く、遠軽でのんびりしてた方が良かったかな?
特急に乗ってからもすぐに意識がなくなり、我に返ったら札幌だった。
札幌に着いたらまずはニッセンへ行って状況報告。次にテムズへ行って四方山話。夕食は特に食べたいものもなかったのでコンビニでサラダを買って済ませました。
それにしても、今回の行き帰りで利用した札幌のフレイムホテルって所は宿泊料安くて、おまけに部屋にパネルヒーターがあって洗濯物をそこに掛けておけばあっという間に乾くのでなかなか便利でした。
すすきのの外れにあるので駅からちょっと歩く必要があるけど、基本的に札幌駅からすすきのまでは地下道が歩けるので、結局外を歩く距離ってちょっとなんだよね。よほどの吹雪でも来ない限り問題有りません。
最終日、今回の遠征で初めて北海道らしい天気になった。朝から雪しんしんと降っている。
すこし長めに地上を歩いて札幌の冬を楽しんで地下道へ入った。
札幌駅まで歩いて駅で朝飯食べて、お土産買って、早めに新千歳空港へ行くことにした(当然レラ経由で)。新千歳空港の銀波露でとんこつ味噌ラーメン食べてお土産を追加し、スーパーラウンジでのんびりとコーヒー飲みながら時間調節ってのがいいね〜。
ラウンジの扉を出るとあとは飛行機の乗って現実に向かってまっしぐらに帰るだけ。
家へ帰るとパイン君がものすごい勢いで何度も何度もフライングボディアタックを繰り出してきました。
毎年のことじゃが、たった6日間でも犬にとっては長く感じるんだろうね。相当嬉しかったみたい。
っで、すまん。パインへのお土産買ってくるの忘れちゃったよ。
後日談
夏見円さんは翌週の裏磐梯2時間トライアルにもゲスト参加されたようで、東京のIさんが同じペンションに泊まってるということで実況メール連絡が来ました。
っで、教頭先生を思い出したか聞いてもらったところ、やはり思い出せてないようです。
まあ、教頭先生は思い出さなくていいいけど、“湧別大会でトイレに入ろうとしたときに呼び止めた変なオッサン”については時々思い出してもらいたいものじゃ。